運命の使徒1
「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ!!!!」
プシューーーーーーーーーーーーー!!!!
振り返ったらそこにヤツが居た!
「ギニャアアアアアアアア!!!! 止めるにゃああああぁぁああ!!!!」
「黙れこの不審物!! とっとと私の部屋から出て行け!!」
プシューーーーーーーーーーーーー!!!!
白い煙がモクモクと六畳一間に立ち込める。
「出て行けって言ってるだろコイツっ!!」
「分かったにゃ!! 分かったから取り敢えずその殺虫剤を止めてくれにゃ!!!!」
プシューーーーーーーーーーーーー!!!!
「ギニャアアアアアアアアアア!!!! 目がっ!! 目がああぁぁああああ!!!!」
「問答無用じゃああああ!!!! っ!? おごぉおゴホゴホゴホっ!!!!」
思い切り殺虫剤を吸い込んでしまい、私は盛大にむせる。
「ほらっ!! 周りをよく見るにゃ!! 殺虫剤の煙で一面真っ白にゃ!!」
私は咄嗟にベッドの上の枕を引っ掴み、そこに自分の顔をうずめる。
「ゴホォオゴホゴホゴホっ!! オエェェエエエエ!!」
喉と目が焼けるように痛い。
「だから止めろと言ったのににゃ……。キミは賢いと聞いていたけど、データの間違いだったのかにゃ?」
データ?
コイツ何を言って……!?
私は枕で顔を覆ったままベッドの上によじ登り、その上にある窓を開けようと手探りでロックを探す。
それを何とか探り当ててロックを解除し、そのまま窓を思い切り横に引いた。
ガリッ!
「痛っ!?」
右手の指先に鋭い痛みが走り、私はバランスを崩してベッドの上に倒れ込んでしまう。
手が滑った?
それともロックが外れてなかったのか!?
急いで再びそこに手をかけるが、何をやっても一向に窓が開く気配はなかった。
「……無駄にゃ」
背後のその声を聞いて、背筋に冷たいものを感じる。
「今、この空間は完全な”閉鎖空間”となっているにゃ。ボクの許可なしにここから出ることは、もはや敵わないにゃ」
ゾクゾクと悪寒が走り、全身の身の毛がよだつ。
心臓が高鳴って呼吸が乱れる。
私はゆっくりと枕をずらしながらふり向いて、自分の背後を覗き見る。
至近距離に、黒猫のような形をした未確認生物の顔があった。
「さあ、己斐アヤメ。キミは魔――」
「きゃあああああああああああああああああ!!!!」
ドゴォッ!!
「ギャフンッ!!」
私はそれに枕を叩きつけて、一目散に部屋の入り口を目指す。
「助けてえぇぇええ!! お父さんっ!! お兄ちゃあぁん!!」
ガチャガチャとドアノブをいじるが、鍵なんて付いて無いはずなのにドアは一向に開く気配がない。
「何で!? なんだこれは!!」
背後にさっきの物体の気配を感じる
――怖いっ!!
「ああぁぁああああ!! 誰かああぁぁああああ!! 誰かああああああ!!!!」
「ちょっと落ち着くにゃ。取って食おうって訳じゃな――」
「うおぉぉおおおおおおお!!!!」
私は学習机の椅子を持ち上げると、それを背後の不審物に振り下ろす。
「おちょちょちょちょっ!? マジかにゃ!?!?」
「問答無用ぉおおお!!!!」
――!?
確かに捉えたはずの不審物は突然、視界から消えて振り下ろした椅子が空を切る。
ゴリッ!
その勢いで椅子が前に投げ出されるが、床のローテーブルの上で不自然な音を立ててバウンドした椅子は、やはり妙な音を立てて奥の壁へとぶち当たる。
「だからちょっと落ち――」
ブオンッ!
ガッ!
私は後ろから聞こえた声に対し、私は咄嗟に裏拳を放つが、またもやそれは空を切り拳で本棚を殴ってしまう。
「どぉりゃあああああああ!!!!」
めいいっぱい叫びながら、床に落ちた椅子を再び拾い上げる。
「おおああああああああ!!!!」
そして今度は、窓に向かってそれを思い切り放り投げた!
「ああもうっ! いい加減クドいにゃよ!」
――ピタッ。
「…………ぇは?」
未確認生物が何か言ったかと思うと、目の前では投げたはずの椅子がピタリと空中で静止していた。
「ふぅ……これを見れば、流石のキミもただ事では無いと気づいたんじゃにゃいかにゃあ?」
いや、ただ事でない事など、お前が背後に現れた時から分かっとるわ!
私は目に入った窓を確認するが、開けられたカーテンの向こうは室内の光の反射で外の様子を伺い知ることは出来ない。
気付けば、撒いたはずの”ゴキデストロイ”の霧も臭いも、完全に晴れていた。
「……お前、一体何者だ!?」
散々叫んだせいか、口の中がパサパサになって乾いたツバが飛ぶ。
「やっと聞いてくれる気になったかにゃ? とんだお転婆少女にゃ」
その猫……のぬいぐるみ風の物体は、手を広げてやれやれのポーズを取っている。
何だこいつ?
ちょっとムカつくなぁ……。
「いいから質問に答えろ。少しでも変な真似をしてみろ? またゴキデストロイをお見舞いしてやるからな?」
私は足元に転がっている殺虫剤を拾い上げ、それを真っ直ぐ不審物の方へ構える。
「だから落ち着いてほしいと言ってるにゃ。話をする前に、自分の右手をよく見るにゃ?」
右手?
私は持っているゴキデストロイを左手に持ち帰ると、相手から視線を外し過ぎないように注意しながら自分の右手を見る。
そこには、爪が剥がれて拳の抉れた血まみれの右手があった。
……そうか、窓を無理やり開けようとした時に……。
「とりあえず、それを治療するところから始めるにゃ」
不審物がその憎たらしいつぶらな瞳を光らせて、真っ直ぐこちらを見つめていた。
自分の手の惨状を認めてしまった事で、じわじわと痛みが浮き上がって来る。
治療と言っても、この部屋から出られないのに一体どうすればいいと言うのだろうか。
「さあアヤメ。その手をこっちに見せてみるにゃ」
「断る」
「即答かにゃ……」
この物体、本当になんなのだろうか?
見た目は完全に黒猫のぬいぐるみ……いや、よく見ると紫のようにも見える。
その顔は、あるのかどうかも分からない様な黒いつぶらな瞳が一対と、三角の猫耳が一対。
ちゃんと髭もある。
その他には目立った特徴は無いが、しいて言うなら胸元の青紫色のリボンがアクセントになっているくらいだろうか。
全体のフォルムは二・五頭身くらいの頭でっかっちで、尻尾はその全長よりも長かった。
しかしそんな見た目の事はもはやどうでも良く、一番の疑問はこの物体が少しもブレることなく空中に浮いている事である。
「色々疑問はあると思うけど、まずはその傷を治すのが先決にゃ。今はアドレナリンが出てるから大丈夫にゃけど、時間がたてばたつほど痛みが増して来るにゃ」
悔しいがこの物体の言う事は事実であり、今まさに私の右腕はジクジクと激しく痛みつつある。
それに、足元のラグに血が落ちて、それを汚してしまっているのも気がかりだった。
私は不本意ながら右手を不審物の方に突き出すと、自分からゆっくりとそちらへと歩いて行く。
「はぁ……やっと分かってくれたにゃ?」
いちいちイラつくポーズを取って、相手もこちらに近づいて来る。
「私が行くからお前は動くな」
「本当に疑り深いにゃね……まあいいけどにゃ」
ようやく相手の元にたどり着いた私は、不審物の目と鼻の先に手を突き出したまま動きを止める。
「ああ、せっかくのキレイな手が台無しにゃ。女の子なんだからもうすこし自分を大切にしなくちゃいけないにゃ」
「無駄口を叩くな。私はこれをどうすればいいんだ?」
「その男みたいな言葉遣いも良くないにゃ? そのままじっとしてるにゃ」
本当に余計なお世話だ。
相手はゆっくりとこちらに手を伸ばし、私の突き出した拳へと触れる。
……さて、一体何をするのだろうか。
そう思った次の瞬間、相手が触れた辺りがゆっくりと発光し始め、徐々に私の拳を侵食して行く。
!?
私は驚いて手を引きそうになるが、空間にでも固定されたように右手が動かなかった。
「痛くないにゃ?」
「あ、ああ……」
思わず返事を返してしまったが、右手は痛いどころかほんのりと温かく、むしろ気持ちがいいほどだった。
しばらく固まっていると、手から光が引いて行き、同時に温かいような感触も無くなって行く。
「ほら、終わったにゃ。何か気になることは無いかにゃ?」
相手からそう言われて、私はハッとして手を引っ込める。
そして、右手を見て驚いた。
剥がれたはずの爪は元通りくっついており、裂けた拳も完全に塞がっていた。
私はまじまじとそれを眺めながら、グーパーして感触を確かめる。
「……すごい。まったく問題ない」
驚きのあまり、つい思った事が口から出てしまう。
「それは良かったにゃ。でも”魔法”でキズを直すのはあまり良くないから、出来れば怪我をしないように気を付けて欲しいにゃ」
ん、魔法?
「おい今お前、魔法って言ったか?」
「そうにゃ。今からそれを説明するにゃ」
不審物はそう言うと、宙に浮いていた椅子を謎の力で操って、あたしの後ろに降ろす。
「とりあえず座るにゃ」
どうぞと手を差し出しながら、相手は私に着席を促す。
言われるがまま座るのは何か癪だったが、そうしなければ話が進まなそうだったので私は大人しくそこに着座する。
「今のもその魔法とやらなのか?」
私は席に着くなり不審物に尋ねる。
「そうにゃ。でも順を追って説明するからまずはこちらの話を聞いて欲しいにゃ」
相手はそう言って少し距離を取り、私と目線を合わせて空中に静止する。
そして咳払いのような仕草をした後、突然こちらを右手で指して来た。
「己斐アヤメ! ボクと契約して魔法少女になってくれにゃ!」
その表情は変わらないが、私にはドヤ顔をしている様に見えた。