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エブリアの巫女姫

作者: 立川みどり

       1


 エブリア王国は、かつては木材の一大産地として栄華をきわめた国だったが、いまでは乱伐による木材資源の枯渇のために、かつての栄華は過去のものとなり果てていた。

 百年も前にはひっきりなしに訪れていた各国の隊商も、今はせいぜい年に数回訪れるのみ。山々にわずかに残された木々と、わずかながらに採掘される鉱石や宝石と、多少の細工物を他国に売っては、自国では賄いきれない物資を買い入れる。そんな暮らしが、ここ数十年つづいていた。

 とはいえ、まだ山々には、砂漠の国々がのどから手が出るほど欲しがる木材となる木々が、多少は残されている。

 逃れようのない衰亡の予感をだれもが感じ取りながら、滅びはまだとうぶん先。見る影もなくさびれ果てながら、まだまだ周辺諸国の欲望の的。エブリア王国は、そのような国であった。

 その国の運命と呼応するかのように、王宮もまた、荒れすさんだ雰囲気のなかに、わずかな生命の輝きを残していた。

 荒れすさんだ雰囲気は、国の衰亡の予感と三人の王妃の不和のせい。そのなかにあってなおきらめく輝きは、第三王妃レイシアと、その腹に生まれた王女シャジルだった。

 レイシア妃は北方の騎馬民族出身で、故郷を遠く離れたエブリア王国まで旅をして、そこで出会ったエブリアの王を情熱的に愛し、第三王妃におさまったのである。

 娘時代は勇敢な戦士だった彼女の性質は、座して滅びを待つばかりのエブリア王国の人々と対照的に、きわめて活動的。シャジル王女もまた、母親に似て、活発で聡明な少女だった。

 滅びに向かう気怠く退廃的な雰囲気の中で生きてきた国王が、この生命の輝きに満ちた異国の女戦士に惹かれたのも無理からぬことなら、彼女やシャジル王女に多少なりと接したことのあるエブリアの人々が、この母子に魅了されたのも、また当然といえよう。

 レイシア妃とシャジル王女は、王宮内にどす暗く漂う不和の一因であると同時に、荒れ地に湧く泉のごとき存在でもあった。

 それは、ことさら、あとのふたりの王妃の心にさざ波を立てた。おとなしい第二王妃は、心の内に嫉妬と羨望を秘めながらも、活動的なレイシア妃に圧倒されるばかりだったが、勝ち気で誇り高い第一王妃タドケヴァは、王の寵愛を一身に集めるレイシア妃を激しく憎んだ。

 タドケヴァ妃は、レイシア妃への憎悪をよく自分が生んだ娘にこぼした。俗世を捨てて巫女となったアトロビケス王女である。

 アトロビケスは、幼いころに予言者としての素質を見いだされ、それからずっと、エブリアの守護神であるエブラ女神の巫女として暮らしてきたので、俗世の争いには関心が薄く、母の繰り言をいつも困ったことと思いながら聞き流していた。

 そんな巫女姫の態度は、タドケヴァ妃には不満だった。俗世を捨てた身なのだからしかたがないと思いながらも、母のことにもっと親身になってくれてもよさそうなものとも思っていた。


 ある日のこと、アトロビケス王女は、いつもと同じようにうわの空で母の愚痴を聞いたのち、いつもと違う答えをした。

「シャジルを追い出しなさいませ」

 予想外の助言に、タドケヴァ妃はまじまじと娘を見つめた。

「な……んて……?」

「シャジルを追い出しなさいませ」

 巫女姫は繰り返し、タドケヴァ妃はしどろもどろに聞き返した。

「そんな、おまえ……。どうやって?」

「奴隷商人に売り渡してしまうのです」

「ど、奴隷商人にって……。そんなこと……」

 タドケヴァ妃はうろたえた。彼女は誇り高く、それだけに王の寵愛を奪ったレイシア妃を憎んでいたのだが、残忍でも策謀家でもなかったので、実際にレイシア妃やその娘を排除しようと考えたことはなかったのだ。

 まして、憎いレイシア妃本人ならともかく、幼い王女を奴隷商人に売り渡すというのはためらわれたし、王の怒りも恐ろしい。

「どうして、おまえ……」と、タドケヴァ妃は娘に聞き返した。

「きょうにかぎって、そんなことを言い出すのだえ? いつもはわたしの言うことなど、右から左へ聞き流しているというのに」

「シャジルの未来が見えたのです。南の砂漠の国で奴隷となっている姿が」

 タドケヴァ妃はごくりと唾を飲み込んだ。巫女姫が未来を見たというなら、それは神託であり、女神がそれを望んでいるということを示しているからだ。

 第一王妃は目を輝かせた。神託に従うのなら、これは悪事ではない。第三王妃は最愛のひとり娘を奪われて嘆き悲しむだろうが、女神がそれを望んでいるのだ。

 シャジルのような将来美しく成長しそうな娘が奴隷に売られれば、行き着く先は、運がよければ異国の貴族か金持ちの後宮で、運が悪ければどこぞの娼館。王女として生まれた身としては屈辱の境遇であろうが、それは女神が定めた未来なのだ。

 かわいそうだが、神託とあらばしかたがあるまい。

「わかりました。シャジルを奴隷商人の手に渡しましょう」

 タドケヴァ妃は笑みを浮かべ、アトロビケス王女は、そんな母から目を背けた。



       2


 タドケヴァ妃は、さっそく適当な奴隷商人を探し、神託を実行に移した。気が咎めはしたが、これは神託なのだと、自分自身に言い聞かせた。

 だが、いざシャジル王女が行方不明になったと大騒ぎとなったとき、タドケヴァ妃は、王に知られることを恐れた。王は気も狂わんばかりに末娘のシャジルの身を案じており、たとえ神託だと主張しても、王の怒りを買わずにすみそうになかったからである。

 タドケヴァ妃が恐れおののくうちに、シャジルを奴隷商人の手に渡した侍女が捕らえられて、第一王妃に命じられたことを自白した。

「神託だとお伺いいたしました。ですから、ご命令に従ったのです」

 侍女は涙ながらに訴え、ただちにタドケヴァ妃とアトロビケス王女が王の前に呼ばれた。

「シャジルを奴隷商人に渡すようにと命じたのはまことか?」

 タドケヴァ妃は怯えておろおろするばかりだったが、アトロビケス王女は落着きはらって答えた。

「まことです」

「なぜそのようなことを命じた?」

「神託でしたから」

「神託だと? あれほど愛らしい娘が、女神の怒りに触れたとでもいうのか?」

「いいえ。シャジルは女神さまの怒りになど触れてはおりません。……むしろ、愛されているといったほうがいいかもしれません」

「愛されているなら、どうして奴隷商人に渡されねばならんのだ?」

「それはシャジルに課された試練なのです」

「試練? シャジルはまだ十歳だぞ。そのように幼い者が、なにゆえそのような苛酷な試練を受けねばならんというのだ?」

「すべては女神さまのご意思。巫女のわたくしはそれを告げるのみ。陛下の問いには答えようがありませぬ」

 王は、恐ろしいものを見るような目で、娘を見つめた。

 これまで、王は、ずっとこの王女を信頼していた。血を分けたわが子に対する情愛というよりは、力ある巫女に対する信頼であり、親子にしては距離をおいたつき合いだったが、そうなることは娘を神殿に捧げたときからわかっていたこと。ひとり娘ならいざ知らず、王には、肉親の情愛の対象となるわが子は何人もおり、巫女となった娘との距離に不満や淋しさを感じたことはなかった。

 だが、妹を奴隷商人に渡しておきながら、淡々としている娘を見て、王は戦慄した。

 目の前にいるのは自分の娘ではない。人でもない。女神の依り代たる巫女。ただ女神の意志を語るのみの器だ。

「それで? 女神の意思なれば、怒るなとでも言うのか?」

「いいえ。陛下のお怒りは予知しておりました。女神さまがそれをわたくしにお見せになりましたから」 

「ほう。では、そなたの母は死罪だ。異存はないな」

「はい。予知していたことですから」

「なんですって!」

 タドケヴァ妃が叫んだ。

「おまえは母を最初から殺すつもりだったのですか」

 アトロビケス王女は、傷ついたような瞳で母親を見た。母の言葉ではなく、このようにしなければならなかったことに傷ついていたが、それに気づいた者がこの場に幾人いたか。

「女神さまのご意思なのです」

 王女の言葉は冷静で、ひどく薄情に聞こえた。

「では」と、王が口を開いた。

「おまえ自身の未来は予知したのか? 自分が死罪となる未来を?」

「いいえ。わたしは死罪とはなりません」

「ほう。自分の命は惜しいか?」

「いいえ、べつに。わたしの望みは関係ありません。これは予知ですから」

 毅然として答えた王女は、ひとりごとのようにつけ加えた。

「いっそ、死罪のほうがまだしも……」

 その声はとても小さかったので、王には聞き取れなかった。

「なに?」

 王の問いに、王女は首をふった。

「いいえ。なんでもありません」

「……で? おまえは自分の未来をどのように予知したのだ?」

「わたくしは塔に幽閉され、生涯そこから出ることはないでしょう。そのあいだに、ある人物にある予言をいたします。そのような未来です」

「生涯、塔に幽閉される? そのような未来を知って、なお、シャジルを奴隷商人に渡したのか?」

「はい」

「なにゆえに?」

「それが女神さまのお見せになった未来ですから」

「もうよい!」

 王はいらだたしげに叫び、兵士たちに命じた。

「アトロビケスを青の塔に幽閉しろ。彼女の望みどおりにな」

 兵士たちに伴われてアトロビケス王女が退出しようとしたとき、王が呼び止めた。

「アトロビケス。おまえはわたしを恨んでいるのか?」

「いいえ?」

 王女はふり向き、ふしぎそうに首をかしげた。

「わたくしが何を恨んでいるというのですか?」

「おまえを幼いうちに巫女にしたことと、シャジルをかわいがっていたことをだ」

「わたくしが巫女になったのは女神さまの神託でした。陛下がシャジルをかわいがっていたのは当然のこと。恨むようなことではありません」

「理屈ではそうだが……。感情は理屈どおりではなかろう。おまえには感情はないのか? 愛は? 悲しみは? 憎しみは?」

「持っておりますわ。感情も、愛も、悲しみも。憎しみはよくわかりませんが」

 予想外の答えに、王は虚をつかれた。あまりにも驚いたのでしばらく芒然としてしまい、われに返って「それならなぜ?」という問いを発しようとしたときには、王女はすでに退室したあとだった。



       3


 青の塔は、王家に連なる高貴な罪人を幽閉するための塔で、最上階とその下の階に二室ずつ、個室の牢が四室あったが、もう長いこと無人となっていた。

 アトロビケス王女はそのうち最上階の一室に入れられた。

 牢とはいっても、罪人の身分を考慮して、天蓋付きの寝台、椅子とテーブル、湯浴み用の浴槽などといった設備もあれば、じゅうぶんな広さもある。王女が入ると決まって急いで掃除され、寝台に新しい寝具が入れられたので、清潔でもあった。

 本来なら、王女が入るともなれば、床にじゅうたんや毛皮が敷かれるところだが、王がそれを許さなかった。シャジルが奴隷の境遇を強いられるというのに、そう仕向けた姉姫にぜいたくを許すわけにはいかぬというのが、その理由だった。

 衣類も食事も奴隷と同じものを与えよという王の意向を、牢番が申しわけなさそうに王女に伝えた。

「知っておりました」

 静かに答えた王女の表情からは、牢番はいかなる感情も見いだせなかった。


 アトロビケス王女が入牢した日の夜、ひとりの面会者が王女のもとを訪れた。レイシア妃である。

「しばらくふたりだけにしてください」

 レイシア妃の言葉に、牢番はためらった。愛娘を奪われたレイシア妃が怒りのあまり王女に危害を加えないかと、心配になったのだ。

「おっしゃるとおりにしてください」

 王女にも言われて、牢番は心配そうにしながらも退室した。

 それを確認してから、レイシア妃が静かに口を開いた。

「さきほどタドケヴァさまが亡くなりました」

「……そうですか」

 王女が目を伏せた。つかのまの沈黙ののち、ふたたびレイシア妃が口を開いた。

「いったい何を予見なさったのですか?」

「陛下の前で申し上げたとおりです」

「奴隷となったシャジル、タドケヴァさまの処刑、ご自身の幽閉……ですか?」

「はい」

「その不吉な未来を、どうしてわざわざご自身の手で招こうとなさるのですか?」

「それも予見したからです。わたくしがそのようにするという未来を」

 レイシア妃は納得できないというふうに首をかしげた。

「わたしの故郷にも予言をおこなう巫者はおりました。けれども、不吉な予言は警告だと聞きました。不吉な予言が現実となるのを回避するために、精霊が危険を教えてくれるのだそうです。不吉な予言とは、そのようなものではないのですか?」

「あなたの国の巫者とこの国の巫女は同じではありません。信じる神さまが異なるのですから」

「そうでしょうか? わたしは他の国々の巫者についても話を聞いたことはありますが、わたしの聞き及んだかぎりでは、不吉な予言が警告だという点はおおむね共通していました。不吉な予言を現実にするために、巫者がわざわざ手を下すなど聞いたこともありません。この国の予言にまつわる伝説もいくつか聞いたことがありますが、やはり不吉な予言は警告と受け取られているように思いますけど?」

「人間に変えようのない未来もあるのです」

「それでもあなたは未来に手を下しましたね。ただじっと未来を待つのではなく、シャジルを奴隷商人に渡すよう、タドケヴァさまに進言なさいました。変えようのない未来なら何もする必要のないはず。あなたはどのような未来を変えようとしたのです?」

「……わたくしは女神さまのご意思に従っただけです。わたくしは運命に従うことしかできません。あなたやシャジルと違って」

 レイシア妃はアトロビケス王女の両頬に手をあてて、自分のほうを向かせ、その目をのぞきこんだ。

「わたしの部族にはありませんでしたが、母の姉が嫁いだ部族では、古くからいけにえを捧げる風習がありました。あるとき、その伯母の息子たちのひとりがみずから名乗り出ていけにえとなることが決まり、習わしに従って、わたしはそのとき病気だった母の名代として、いとこに面会にいきました。あなたの目は、そのいとこの目と似ています」

「似ているかもしれません。いけにえとなった人とわたくしとは。どちらも運命に従うだけですから」

「運命に従うことしかできないのなら、何もせずに日々を過ごすだけのはず。けれども、いとこはみずからいけにえに志願し、あなたは動きました」

 レイシア妃は王女の頬から手を離した。

「いとこの心のなかは、わたくしには理解できませんでしたし、あなたの考えていることもわかりません。ただ、生涯に二度しか会ったことのないいとこと違って、あなたのことはよく知っているので、多少は推測できます」

「どのような推測ですか?」

 王女の声が不安の色を帯びた。

「あなたはご自分が動くことによって、シャジルとタドケヴァさまとご自身に苦難を招かれました。つまり、もしもあなたが何もしなかった場合、これよりさらによくないことが起こるはずだったのではありませんか?」

 王女は無言だった。心ならずも、それは肯定をあらわしていた。

「よくないことが回避されたというわけでもなさそうですね。それなら、あなたは隠す必要がないはず。いったい何が起こるのですか?」

「申し上げられません」

「あなたは実の母君を死なせてまで、シャジルをこの国から遠ざけようとした。そうまでするところをみると、あなたの予見は……、この国の滅びですか?」

 これまで感情を表に出したことのない王女の表情に、苦悩の色が浮かんだ。

「申し上げられません」

「不吉な予見をしたのなら、なぜ、それをもとに、回避する手だてを講じようとなさらないのですか?」

「女神さまのご意思に逆らうなど、恐ろしいことです。わたくしにはできません。どうすればいいのかもわかりません。わたくしにかぎらず、この国の者には無理なことです」

「なぜです? 巫女のあなたはともかく、俗世に生きる者たちは、滅びをすら受け入れるほど信仰が強いというわけではないでしょう?」

「その理由は、気づいておられるのでしょう? この国は、突然の破滅がなかったとしても、ゆっくりと滅びに向かっています。人の心そのものが、生き延びるための戦いをする気力をなくし、滅びに向かっているのです」

「それは、あなたもですか?」

「そうです」

 理解できないというふうに、レイシアは首を横に振った。

「わたくしには、あなたがそれほど心弱いとは思えないのですけれども。ご自身と母君を犠牲にしてもシャジルに未来を賭けるその強さがあるのなら、別の選択もできましょうほどに」

「いいえ。これは強さではありません。わたくしには、このほかにどうするすべもないのです」

 レイシアは深いため息をつき、アトロビケスを抱きしめた。義理の親子とはいえ、レイシアが嫁いできたとき第一王女はすでに巫女となっていたので、このような親愛の情を示したのははじめてだ。

「せめて、あなたの未来がそれほど過酷なものとならずにすみますように」

 王女は無言だった。巫女といえども自分の未来がそれほどはっきりわかるわけではなかったが、自分の未来が過酷であろうことは想像がつく。実の母を処刑に追いやり、幼い妹を奴隷の身に落とした今以上に。



      4


 エブリア王国は、第一王女が幽閉されてから十数日のち、じつにあっけなく滅亡した。数年前から勢力を増してきていた近隣のバト王国が突如として攻め込み、勝利を収めたのである。

 国王も、女性ながらに王とともに出陣して戦ったレイシア王妃も戦死し、王族や有力貴族は、女性や子ども、赤子にいたるまで処刑された。

最後にただひとり残されたのは、幽閉中のアトロビケス王女のみ。バト王国のゴルダス王は、他の王族たちの処刑をすべて終え、自らエブリア王国の王も兼ねると宣言したのちに、はじめてこの獄中の王女を召しだした。

 王女とはいえ、幽閉され、冷遇されていた身。父王や自国に対して恨みの気持ちを持っていただろう。そんな不遇の王女は、この状況にどんな反応を示すだろうか。

 自国に恨みがあっても、その滅亡を嘆き、憎悪をぶつけてくるだろうか? それとも、冷遇された恨みから、自国の滅亡を冷ややかに受け入れているだろうか?

 そんな興味を覚えながら、ゴルダス王は王女が引き立てられてくるのを待っていた。


 まもなく姿を現した王女は、青ざめてやつれてはいたが、取り乱してはいなかった。

 自国を滅ぼした敵国の王に怒りや憎悪をぶつけるでもなく、かといって媚びて命乞いをするでもなく、ただ静かにゴルダス王を見た。

 毅然としているというには、あまりにも虚ろ。だが、悲しみに打ちひしがれているというふうにも見えない。彫像のような女だというのが、ゴルダス王の抱いた印象だった。

「おまえの兄たちも、そのほかの王族もすべて処刑した。残るはおまえひとり」

 ゴルダス王が告げても、アトロビケスの顔にはいかなる感情も浮かばない。

「死ぬのが恐いか?」

「いいえ、べつに」

 アトロビケスがはじめて口を開いた。まるで自分の生死に何の関心も持っていないかのような、うつろで淡々とした口調だった。

 ゴルダス王は眉根を寄せた。

 王が滅ぼした国や都市はいくつもあり、そのたびに捕らえた敵の捕虜とこうして対面してきたが、この王女のような反応を見るのは初めてだ。

 これまで見てきた敵の王族の女たちは、たいていが怯えて震えているか、憎悪の言葉を投げつけるかだった。なかには冷静さを保ちながら、毅然として「殺せ」と言った誇り高い女もいたが、アトロビケスの反応はそれとも違う。誇り高くふるまおうとしているような気負いが感じられない。かといって、絶望のあまり放心状態になっているというようにも見えない。

 何を考えているのかわからない不可解な女だと、ゴルダス王は思った。

 それとも、何も考えていないのか? 彫像のように、ただそこに存在するだけなのか?

「ただ処刑するだけではつまらん。兵士たちに投げ与えることにしようか」

 侍女は真っ青になってヒイと悲鳴を上げたが、アトロビケスは無表情だった。

「その冷静さは、意味が理解できておらぬゆえか? 箱入りの巫女姫には、わしの言っている意味がわからぬか?」

「意味はわかっております。もしそのような運命がわたくしの身にふりかかったとしても、それは女神さまの思し召し。ですが、どのみち、あなたはそのようにはなさいません」

「なぜそう思う?」

「あなたがそうなさっていない未来が見えたからです」

「ほう。どのような未来だ?」

「あなたは、たんにわたくしを幽閉しつづけます。わたくしの予言が気にかかるがゆえに」

「ほう。だが、その予言ははずれだな。おまえは今ここで命を落とすのだ」

 王はつかつかとアトロビケスに近づくと、剣を抜いて振り下ろした。その剣先は、アトロビケスの首のすぐ横で止まった。

 アトロビケスは無表情のまま身じろぎもしない。

「ほんとうに怖くはないのか」

 王は半ば感心しながら言った。

 生きる意欲を失ったにせよ、死ぬ覚悟ができているにせよ、自分に向かって振り下ろされる剣を目の当たりにして、目を閉じようともせずに平然と立っている女は初めてだ。

「怖くはありません」

 アトロビケス王女が口を開いた。

「死ぬのが怖かろうが怖くなかろうが、どのみち同じこと。わたくしがこの場で死なないことはわかっております」

「ほう。では、おまえはいつ死ぬのだ? 自分がいつ、どのようにして死ぬのか予知できるのか」

「何日後か何年後かはわかりませんが、あなたが殺されたすぐあとに、剣に胸を貫かれて死ぬことはわかっています。あなたを殺した者の手によって」

 翌日の天気でも占うかのような坦々とした口調に、王はしばらくあっけにとられたが、王女の言葉の意味が飲み込めると、怒りで顔を赤くした。 

「予が殺されるだと?」

「はい」

「だれにだ?」

「あなたの息子に」

「どの息子にだ?」

「あなたのあとに王となるべき息子に」

 王は動揺した。自身も兄王を暗殺して王位を継いだ身であり、まさかと思いながらも、長男である王太子への疑惑が湧き起こる。王は、王太子をはじめ、五人の息子たちのだれも心から信用してはいなかったのだ。

「敵の企みにはまってはなりませんぞ!」

 王の動揺に気づいて叫んだのは将軍たちのひとり。王太子の子を身ごもっている妃の父親である。

「その女は陛下に毒を吹き込もうとしています。国を滅ぼされた復讐をするつもりなのです」

 将軍の訴えは逆効果だった。王太子が舅と組んで父王を排除し、一刻も早く即位しようとしていると、王は疑った。

 自慢に思っていた嫡子と、最も重用していた重臣。そのふたりがつるんで裏切ろうとしている!

 あまりにも衝撃的なアトロビケスの予言を信じたくない思いと、重臣と息子に対する疑惑のはざまで、王は苦しんだ。エブリア王国の統治のために別の将軍のひとりを代官として残し、アトロビケスを連行してバト王国に凱旋する間も、彼女を罪人用の塔に幽閉してからも、王は迷い続けた。



      5


 二十日あまりの苦悩の末に、ゴルダス王は決断を下した。危険要素は取り除くべきだ、と。

 王は、王太子とその舅を謀反人として討った。ふたりとも寝耳に水で、弁明することすらできないまま、命を落とした。まだ赤子の息子を連れて城を脱出した王太子妃は、捕えられると、切々と夫と父の無実を訴えたが、我が子とともに殺された。

 息子夫婦と孫を夫に殺された王妃は、嘆きのあまり郊外の離宮に引きこもった。残された四人の息子たちのうち、まだ子供の四男と五男も離宮に伴った。

 王妃に去られたことを王は残念に思ったが、それよりも身の危険を退けて安堵した気持ちのほうが強かった。

 王はアトロビケスのもとを訪れ、勝ち誇ったように訊ねた。

「どうだ? これで、おまえの予言は変わっただろう? 予が息子に殺されることはなかろう?」

 アトロビケスは、しばらく目を閉じたのち目を開くと、王の顔を見つめて告げた。

「いいえ。あなたはご自分の息子に殺されます」

「なんだと? 予を殺すのは王太子ではなかったというのか? 予は、罪のない息子を殺したというのか?」

 王はアトロビケスの首に手をかけた。

「言え! どの息子が予を殺すのだ?」

「そこまでは、わたくしにもわかりませぬ。わたくしにわかるのは、あなたの息子があなたを殺すことと、その人が次の王になること。そして、わたくしもその人に殺されるだろうということ。それだけです」

 王はアトロビケスを突き放して王宮に戻ると、次男を召し出し、謀反の疑いで首をはねた。次男は無実を訴えながら絶命した。

 あまり野心家とは見えなかった気の優しい次男。ほんとうにこの次男がいずれ自分を殺すはずだったのか?

 そんな疑問が王の脳裏をよぎったが、やはり危険を取り除いた安堵のほうが大きかった。

 次男を殺したその足で、王はアトロビケスのもとを訪れた。

「さあ、聞こう。おまえの予言は変わったのか? 予が息子に殺される恐れはなくなったのか」

 アトロビケスは目を閉じた。前回より少し長い時間目を閉じていたが、やがて眼を開くと、王の問いに答えた。

「いいえ。あなたはご自分の息子に殺されるでしょう」

 王は怒りで顔を赤くした。

「余は息子をふたりも手に掛けた。跡を継がせるつもりだった長男も、野心などなさそうに思えた次男も。それがきさまの狙いか。国を滅ぼされた復讐に、偽りの予言を余に聞かせたのか」

「いいえ。わたくしは巫女。偽りの予言などできませぬ」

 王はいまいましげにアトロビケスを突き倒すと、神殿をあとにした。

 では三男が自分を殺そうとするのか? それとも、自分は敵国の王女に騙されて罪なき息子ふたりを殺してしまったのか?

 判断がつかぬまま王宮に戻った王を待っていたのは、三男が直属の部下たちを連れて出奔したという知らせだった。

 兄二人を殺された三男は、今度は自分の番かと恐れて逃亡したのだが、王は、謀反を企んでいたのは三男だったのかと確信した。

 王はすぐさま三男謀反として討伐の兵を出した。三男は母の故国に逃げて祖父母を頼ろうと国境を目指したが、途中で追っ手に追いつかれて討ち取られた。

 今度こそ不吉な予言を覆せたかとアトロビケスを訪れた王に告げられたのは、相も変わらず冷たい予言。

「あなたはご自分の息子に殺されるでしょう」

 王は王妃のもとを訪れ、四男を差し出すように命じた。

 王妃は断固として拒絶したが、王は許さなかった。泣きわめく王妃の目の前で、四男は父王に刺し殺された。息子の血にまみれた剣を手にして王妃を振り向いた王の目に留まったのは、王妃にすがりついて自分を見つめている五男。幼いながら、その眼には、兄を殺された怒りと憎悪の光があった。

 さては自分を殺す息子はこの五男であったか。王妃は、幼い息子を抱きしめ、血まみれの剣を手にして迫る王から我が子をかばおうとした。

 王は、王妃の頬を打って幼子をむりやり引きはがし、五男を刺殺した。

 王が立ち去ったあと、息子たちの亡骸に取りすがって泣き崩れていた王妃は、悲嘆と絶望のあまり、子供たちのあとを追うことを考えた。思い直したのは、腹のなかの赤子が動いたからである。

 神殿にこもる前、息子たちが五人とも健在だったとき、王と寝所をともにして宿した命である。身ごもったことに気づいたのは、上の三人の息子が殺され、神殿にこもったあと。ゆえに、王に懐妊を告げてはいない。

 もはや子の父に憎悪しかないが、腹の子への愛情は変わらぬ。残された唯一の子であり、唯一の希望である。

 王妃は、王に懐妊を隠したまま男児を出産し、生まれた我が子に繰り返し言い聞かせた。

「おまえの兄たちはおまえの父ゴルダス王に殺された。ゴルダス王を倒さなければ、いずれ父王はおまえを殺そうとするだろう。おまえの身を守るためにも、この母の恨みを晴らすためにも、いつか父王を倒して、王位に就いておくれ」と。

 いまや唯一の王子となった第六王子ケレスは、会ったことのない父王への敵意と警戒心と憎悪を募らせながら育っていった。

 その成長を見守りながら、王妃は、自身の兄弟、殺された長男の妃の兄弟たちなど、予言に翻弄される王を憎む者、王国のためにも生かしておけぬと考える者たちと慎重に連絡を取り、息子が決起したときのための戦力を確保した。

 滅ぼした王国の巫女姫に翻弄され、王子たちを次々に殺した王に、文官たちにも武官たちにも不信感を募らせる者は多かったゆえ、ひそかに王妃に呼応する者は多かった。

 そして十七年の歳月が流れた。


 王宮内にも軍にも不穏な動きがあることにゴルダス王が気づいたとき、ケレス王子の元には十分な戦力が集まっていた。

 ケレス王子は、王が動くよりも早く決起して王宮に攻め込み、父王の前に立った。

「わたしはきさまの六番目の息子。だが、あやしい予言に誑かされて兄たちを殺したきさまを父とは思わぬ。敵の王女の言いなりになって王国を恐怖に陥れたきさまを王とは思わぬ。亡き兄たちのためにも、母のためにも、王国のためにも、きさまを殺す」

 アトロビケスの予言が成就したことを、王は悟った。自分が予言を信じたがために、予言が成就してしまったことも。

 あまりの皮肉さに苦笑しかけたとき、王は息子の剣に胸を貫かれて絶命した。

 その足で、ケレス王子は巫女姫の居室に踏み込んだ。

 長年に渡って幽閉されていた女。すでに若くはなく、髪は半ば以上白くなっている。にもかかわらず、凛とした美しさがある。若い頃はさぞかし美しかったことだろう。

 父王は、この女の美貌に誑かされたのだろうか?

 そう思いながら、ケレスはアトロビケスの前に立った。

「ゴルダス王はわたしが殺した。きさまの予言に誑かされて、わたしの兄たちを殺し、王国を不安と恐怖に陥れた罪によって。すべての元凶はきさまの予言だ。何か申し開きがあるか?」

「いいえ。何も」

 その声音にも表情にも、恐怖の色は皆無。明らかに自分を殺そうとしている男を、巫女姫は無表情で見返した。

 実際、アトロビケスは恐怖を感じてはいなかった。恐怖も悲嘆も、王国の滅亡を予知したときにさんざん味わった。いまはすべての終わるを待つのみという、静かな境地である。

「虚言の予言によって王を誑かしたことを認めるか?」

「虚言?」

 巫女姫はふしぎそうに首をかしげた。

「わたくしは巫女。虚言の予言などできませぬ。王に求められるままに、女神さまの神託を告げたのみ。その神託は、いま成就されました。あなたさまによって」

 それは確かに事実だった。ゴルダス王は、確かにその息子によって殺された。

 つかのまの動揺とともに、この女は危険だと、ケレス王子は思った。

 そのときまで彼は、巫女姫を公開処刑しようと考えていた。国民の見ている前で王を誑かせた敵の王女を公開処刑し、恐怖の時代の終わりと新しい時代の訪れをはっきり示そうと思っていたのだ。

 だが、民たちの前でこの女に口を開かせれば危険だ。新たな予言をこの巫女姫が口にすれば、かつて王を誑かせたように、予言によって民が誑かされるやも知れぬ。彼女を憎んでいる者でさえ、動揺するやも知れぬ。いま自分がつかのま動揺しかけたように。

「これがきさまの復讐か」

 ケレスの言葉を、巫女姫は、今度は否定しなかった。たしかに復讐かもしれないと思ったからだ。バト王国に滅ぼされずとも、エブリア王国は遠からず衰亡しただろうが、緩慢な衰亡を待たずに突然の破滅をもたらした者を、自分は憎み、復讐を望んでいたのかもしれないと。

 その思いを口にすることなく、アトロビケスは、自らの予言の通り、ゴルダス王を殺した者の手によって剣に貫かれて絶命した。

 そのあと彼女の遺体は、新国王の予定通り、三日に渡って広場で見せしめに公開されたという。


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