case01 亡き父へのご報告
紅葉も見頃を過ぎ、イチョウの葉は黄色く色づき始めていた。
あれから、俺と神津の関係は変わらない。相変わらず、神津は依頼で忙しく逆に俺は暇をしていた。
変わったことと言えば、事務所にグランドピアノが届き、一体誰からだろうと思えば、神津の母親の蓮華さんからのプレゼントだった。プレゼントにグランドピアノとはさすが、金持ちだと思った。思えば、蓮華さんとは神津以上に長い間会っていない。神津曰く、今でも凄く美人で自慢の母親らしい。
そんな母親からのプレゼントだったというのに、神津は浮かない顔をしていた。だが、俺が一曲引いてくれと言えば、快く承諾してくれて真っ白な鍵盤にその細長くも力強い指を置いて鍵盤を叩いた。何を弾いているかは聞いている最中は分からなかったが、聞いたことあるような曲で、弾き終わった神津は「バッハのメヌエット BWV Anh.116」だと教えてくれた。曲名を聞いてもピントは来なかったが、メヌエットという単語だけはしっていた。まあ、それでも詳しくは知らないのだが。
「わー寒い、もう冬だね」
「若干、秋が残ってるから、実質秋だろう」
「寒かったら冬!」
と、神津は、俺の脇の下に手を滑り込ませて、そのまま抱き着いてきた。確かに少し冷えていたが、そこまで寒さは感じなかった。いや、完全にこれは強がりだ。
それに、神津の方が体温が高いため、暖かかった。神津は甘える猫のように頬を擦り付けてくる。その行動が可愛くて、それでいて、恥ずかしくて離れて欲しかった。
とくに、父親の墓の前では。
俺は、父親の墓の前まで行き、しゃがみ込んだ。それから手を合わせ、ゆっくりと神津の方に視線を向ける。
すると、彼女は俺の行動に気づいたのか、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「どうしたの?」
「いいや、お前は?」
と、俺が聞くと、神津は小さく首を横に振った。
そして、俺の隣に同じようにしてしゃがみ込み、手を合わせる。
俺は、墓石に向かって口を開いた。
「わりぃ、親父。俺は、親父みたいになれなかった。それどころか、周りを不幸にして……ほんと、情けねえよ」
「春ちゃん?」
ギュッと唇をかむ。
会わせる顔がないような気がした。父親の背中を追って頑張ってきた日々が、たった数ヶ月で打ち砕かれて、辞職して。それぐらいでへこたれるなと言われそうだが、俺には耐えられなかった。
隣で手を合わせていた神津はどうしたの? と再び聞いて、俺の顔をのぞき込もうとしたため俺は立ち上がった。今、顔を見られたくない。きっと情けなくて子供みたいな顔をしている。甘えたことがなかったから、愚痴を言ったことがなかったから……それでも、頑張ったんだよ、と本当は褒めて欲しかった。今でも子供だと、そんなことを神津に悟られたくなかった。
ふぅ……と吐いた息は白く、鈍色の空を見上げて、その寒さをより感じた。まだ雪は降らないだろうが、確かに思えば神津の言うとおり寒い気がする。
カイロなど持ってきていないため、暖を取る手段がない。
(かといって、神津にはくっつけねえしな……)
ちらりと、神津を見ればどうしたのかと目を丸くしていた。
(いや、ダメだ。調子に乗る)
俺はそう思い、ポケットに手を突っ込んだ。それを、神津は残念そうに見つめていた。
「んだよ」
「手、繋いだら温かいのに」
「表面は空気に当てられるだろうが」
「僕の手、温かいよ?」
と、神津は言って俺に手を差し伸べてくる。先ほど寒いといって俺で暖を取っていた人間とは思えなかった。
だが、神津の手は温かいため、握っていればその内温かくなるのではないかと期待してしまい、俺はポケットから手を出そうとした。
(って、待て!絶対、恋人つなぎしてくる奴だろ!?)
俺はそこで踏みとどまった。
神津の事だ、寒いと俺がいったことを良いことに、恋人つなぎをしてくるはずだ。と一体自分の恋人のことを何だと思っているんだと、恋人同士なのにそれぐらいいじゃないかと言われたらそれまでなのだが、こっぱずかしくて繋げない。そういう可能性があるような気がして、俺は頑にポケットから手を出さなかった。いつもは不意打ちで繋がれるため、俺からは絶対に繋がないし、繋がれまいと深くズボンに突っ込む。
(まあ、別に嫌じゃないんだけどな……むしろ、嬉しいというかなんと言うか……でも、素直に喜べないというか……)
神妙な面持ちで考えている俺を見て、神津は差し出した手をゆっくりと引っ込めて、「寒いね」と笑っていた。
「そうだな。墓参りもすんだし、帰るか」
「ね、春ちゃん、帰りに何か甘いもの食べに行かない?」
「甘いもの?」
「僕のおごりでいいからさ」
と、神津はウインクをした。
そういうことなら話に乗ってやらないでもないと思った。俺が甘いものを好きだと知っているから、そんな提案をしてくれるのだろうと、嬉しく思いつつ、帰りにあのイチョウの木を見に行きたいといったら、神津はそれも快く受け入れてくれた。
「イチョウか~あんまり見ないから、楽しみかも。ほら、前に行ったときは翠色だったし」
神津は、イチョウを見に行くのが楽しみなのか、俺がいきたいといったから誘われたと思って喜んでいるのかどっちかは分からなかったが、笑みを浮べていた。全く子供みたいだなあと思いつつ、歩いていると後方から聞き慣れた声で、声をかけられた。
「おっ、明智じゃねえか」
振返ればそこには、赤いジャンパーを着た高嶺と、寒そうに水縹色のマフラーに顔を埋めた颯佐が俺たちに向かって手を振っていた。




