case15 期待しすぎ
「は……る、春ちゃん?」
神津の目が面白いぐらいにまん丸になるので、思わず笑いが零れそうになったが俺はそれをグッと堪えつつ、神津の手に自分の手を重ねた。少し開けたシャツに、取れかかったボタン。これなら、神津も……と何処か期待している部分もあった。
神津なら、俺の無言の誘いに気づいて乗っかってくれるはずだと。
さすがに、抱いてとかは直接言えないし、恥ずかしすぎるため口にしないが、ここまでお膳立てすれば神津もその気になるだろうと淡い期待を胸に抱く。
「神津……」
「春ちゃん、ちょっと……」
しかし、そんな俺の思惑とは裏腹に神津は慌てるようにして俺から手を離そうとする。ただ驚いただけだろうと、俺は神津の手を離さなかった。
神津は、どうして、とでも言うような表情をしていたが、その若竹色の瞳の奥では熱が渦巻いていて、今すぐ俺を食いたいとでも言うような意思が感じられた。
お前になら食われてもいい。
そう思って、俺はさらに大胆な行動に出る。酒が回っているせいだと、自分に言い聞かせて、このまま流れに身を任せる。
俺の行動に驚いている神津の手を俺の地肌に触れさせてやれば、神津の喉仏が大きく上下するのが分かった。それを見て気分が良くなった俺は、神津の首の後ろに腕を回して抱きつく。
「身体が熱いんだよ、神津」
「春、ちゃ……」
「なあ、どうにかしてくれよ」
耳元でそう囁けば、神津は大きく息を飲む。
ここまで煽れば、神津の理性なんてぷっつんじゃないかと俺は笑みがこぼれる。
俺からは言わない、神津が抱かせて欲しいと言ってこればそれでいい。そのまま、仕方なく流されてやる。今は気分がいい。と、俺は神津の出を伺う。
だが、幾ら待っても俺の期待している、言葉も行動も起こらなかった。
「神津?」
「春ちゃん、ダメだよ」
「かみ……」
神津が何て言ったのか聞き取れず、聞き返そうとすれば、神津は俺のシャツのボタンを締め直して、俺の上から退くとにこりと微笑んだ。
先ほどまでの欲情した目は、獣のそれは何処に行ったのかと、俺は呆気に取られる。
そして、神津はいつものように優しく笑って俺を見下ろした。
「春ちゃん酔ってるし、眠たいでしょ?寝室までお姫様抱っこして連れて行ってあげるから。もう寝よう?」
と、神津は俺に手を差し伸べた。
思考が追いつかず、俺がその手を見つめていれば、どうしたの? と声をかけられる。何も変わらないいつもの神津の声。
それが気にくわなくて、辛くなって、ギュッと心臓を捕まれているような気分になった。
(さっきまで、そういう雰囲気だったじゃねえかよ)
俺は落胆すると同時に恥ずかしさと、寂しさが一気にこみ上げてきた。
抱いてくれると思っていた。
そういう雰囲気だった。
なのに何故? と何度も何度も頭の中で繰り返される。何を間違えたのだとか、何がいけなかったのだとか。
そもそも、俺に魅力がないのではないかと。
「春ちゃん、どうしたの?」
「……何で」
「え?」
何で、抱いてくれない?
そう聞けるはずもなく、俺は悟られないために「何でもない」と強く言って、神津の手を取った。
(期待しすぎだろ……酒の力に頼ろうとした俺が悪いし)
罰でも当たったんだろう、と俺は自傷気味に笑いつつ、視線を逸らす。
「どうしたの?春ちゃん」
「何でもねえよ。後、普通に歩けるから、お姫様だっことかすんじゃねえぞ」
「え~介抱されてよ」
と、神津は冗談気味に言う。それに俺は鼻で笑うと、立ち上がって神津の肩を押して部屋から出て行こうとする。しかし、神津はその場から離れようとせず、俺にされるがままになっている。
それどころか、神津は何かを言いたげにして俺を見るので、俺は首を傾げた。
「んだよ」
「ううん、何でもない。お風呂は朝一で入ろっか」
「おう、そうする」
おやすみ。と互いに言葉を交し、俺は寝室へ神津は、何かまだ用事があるようで事務所の方に残っていた。
寝室に入り、俺は扉のまでずるずるとその場にへたり込む。
「はっ……俺、何やってんだ」
神津の前では泣かなかったが、俺は膝を抱えて顔を埋めた。今きっとみせられない顔をしているだろうから。
(期待しすぎていた。抱いてくれると思っていた。仲直りできるだろうって、そう思い込んでいた)
全ては俺の幻想で、現実は酷く痛いものだった。
まだ何か足りないのかと思ってしまう。
もう一生このままかも知れない。そしたら、もう次は神津が離れていってしまうかもと。
俺は、そんな恐怖に怯えつつさらに小さくなった。後数歩移動すればベッドなのに、どうも動く気になれず、少しの間うずくまっていた。
そうして、ポケットに入れていたタバコと棚の上に置いてあったライターを持ってベランダに出てタバコに火をつける。元々、タバコは苦手だったが、いつの間にかこの匂いと味から離れられなくなっていた。父親の匂い……唯一残した残り香だからか。
「……ふぅ」
息を吐けば、白い煙が宙へと消える。
俺はそれをぼんやりと見つめながら、今日は星が見えていないなと思った。
真っ暗な夜空も好きだが、やはり星がないと物足りないようにも感じる。そんな風に思っていれば、ヴーヴーとスマホのバイブ音が鳴った。
「誰だよ、こんな時間に」
そう思いスマホを確認してみれば、高嶺からの謝罪のメッセージと、明日会えないかという誘いの文がそこには表示されていた。
俺は暫く考えて、そのメッセージに返信をする。
今日はドタバタとしていたせいか、ゆっくりと話せなかったから。
「……ふんっ、了解っと」
待ち合わせ場所はまだ見頃ではないイチョウの木の下と、思い出の場所を選んだ高嶺に思わず鼻で笑ってしまった。
たまには……というか、久しぶりに同期だけでゆっくりと話せるのはいいんじゃないかと、この虚しさを埋めるために俺は了解の返信をしてスマホの電源を落とした。




