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百日草の同期  作者: 兎束作哉
第1章 再会の同期
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case10 分かってるくせに



「離せよ、離せ!痛えんだよ!」



 引きずられるようにして神津に手を捕まれながら俺は必死に抵抗するが、彼はびくともしない。

 つかまえたタクシーに押し込められるように乗せられれば、乱暴にドアが閉められ、神津は俺の言葉に耳を傾けることなく運転手に行き先を伝え俺を見下ろした。暗い車内の中でもその若竹色の瞳が冷たく光っているのが見えて、俺は本気で酔いが覚めそうになって、寒気さえ感じた。



「あ、え……神津」

「春ちゃん、家に帰ったらちゃんとお話ししよっか」



と、目が笑っていない、勿論その声も冷たくて、俺は思わず身震いをした。


 俺は抵抗することを諦めてシートに深く腰掛けた。神津はそんな俺を見て満足そうに微笑むが、やはり目は笑っていなかった。

 車内での会話など一切なく、殺伐とした重い空気が流れるばかりで、呼吸をすることさえ上手く出来なかった。



(何だよ、俺だけが悪いみたいに……)



 俺は唇を噛み締めた。



(お前だって、あんな、女性にヘラヘラとしてたじゃねえか)



 心の中で呟きながら、俺は窓の外を眺めた。

 俺の家はもうすぐそこだ。早く着いて欲しかった。そして、この重苦しい空間から抜け出したい。


 しかし、それは叶わない願いだったようだ。


 神津の家に着くまで、俺達は一言も話さなかった。そもそも、一緒に住んでいるのに逃げ場なんてはじめから無い。

 家に着き、俺の家の玄関前で神津が立ち止まると俺を見下ろす形で口を開いた。



「春ちゃんどういうつもり?」

「どういうって、何が……」



 玄関の鍵がガチャリと閉められ、明りの灯らない真っ暗な室内には神津の冷たい声が響くだけ。

 俺は、分かっているつもりで分かっていないような返事をして顔を逸らす。が、神津に顎を捕まれてしまい彼の若竹色の瞳から逃げることは出来なかった。冷たい海の底のような目をしていて、心の芯から凍ってしまいそうだった。


 まだ季節は夏にさしかかったばかりだというのに、俺は上着が欲しいぐらいに震えていた。



「分かってるくせに、言わないと分かんないの?」

「…………神津」



 玄関の扉を背にしていた神津は俺の手首を掴み上げると、そのままぐるりと俺を玄関の扉に縫い付けて、股の間に足を滑り込ませてきた。所謂壁ドン状態で、俺は神津の視線から逃れることが出来ずにいた。身長差があるせいか、若干足が浮いてしまいつま先立ち状態で痺れてくる、



「僕ね、春ちゃんの事好きだよ」



 そう言って、神津は俺の頬を撫でる。まるで猫でも愛玩するように優しく丁寧に。



「だから、すっごく許せないの」



と、神津は俯いた。少し長めの前髪が俯いたことで完全に神津の顔をかくし、俺は彼の顔を確認することが出来なかった。どんなかおをして言っているのか、声からじゃ想像がつかない。怒っているのか、悲しんでいるのか。


 それでも、先ほどから俺ばかりが悪いみたいな言い方をする神津に腹が立ってもいた。

 その雰囲気は怖いが、神津も神津だと文句が言いたかった。けれど、そんな文句が口から出ることはなく、俺はただひたすらに握りしめられている手から逃れようとしていた。



「痛えよ」

「何で逃げようとするの?」

「……」

「やましいことがあるから?」



 神津の声色が変わる。俺を責めるような、咎めるような言葉に変わっていくのを感じた。

 神津の顔を見上げれば、眉間にシワを寄せて俺を睨みつけている。暗闇でもはっきり分かるそれに、こんなにも怒りに満ちた神津を見たことがなくて、俺は息を飲むことしかできなかった。


 つぅ……と俺の唇をなぞって、俺の口の端を親指でくいっと持ち上げる神津。



「ねえ……そんな、こと、ねえ」

「じゃあ、何でさっきみお君にあんなベタベタしたの?」

「それは、神津だって!」



 やはり、それについて怒っていたのかと俺はバッと顔を上げる。

 嫉妬しているのかと、少し嬉しくも感じたがそれを上回る怒りがふつふつとこみ上げてきて、俺は思わず叫んでしまった。



(俺ばかりが、悪いみてぇにッ!)



「僕が何?」

「お前だって、お前だって……女性にヘラヘラしてたくせに」

「……春ちゃん」



 そういえば、神津の瞳が見開かれ、冷たかったその若竹色の瞳はパッと光を取り戻した気がした。


 さっきの雰囲気は何処に行ったのやらと。

 何処か嬉しそうに、その口角がゆるゆるとなっていく神津を見ていると、俺の中でぷつりと糸が切れた気がした。



「……お前ぇ」



 俺の手首から手を離し、神津はその手で自分の口元を覆うと、その視線はふよふよと宙を漂い始めた。何かを考えるように、自分に言い聞かせるように、うん、うん。と譫言のように何かを呟いて納得すると再び俺の方に向き直った。 

 機嫌がすっかり直ったようなその顔を見て怒り以外の感情は湧いてこなかった。



「もしかして、春ちゃん嫉妬してくれて……ふぶっ!」



 そう言いかけた神津の胸倉を掴み、俺は思いっきり頭突きをかました。



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