賢明で愚か
開始時間はAM9時。
まだ30分程、時間がある。
それでも、広い体育館内には、既に多くの親子連れが集まっていた。
恥ずかしそうに父親の背中に張り付いている少女。
友達と追いかけっこをして遊ぶ男の子達。
喧騒の中で龍太が千香良に気が付く道理もない。
千香良は気張って体育館に入ったはいいが、行き場に迷う。
すると駆け回って男の子が千香良の胴に腕を回してきた。
「おっ、捕まえたか」
千香良は聞き覚えのある声に振り向く。
やはり元ヤン男だ。
腕白くんは元ヤン男の甥っ子に違いない。
男の子は、今度は元ヤン男に絡み付いた。
「オッス、千香ちゃん」
「おはようございます」
「甥っ子はここの1年生なんだ。で、俺は姉貴に頼まれて引率ってやつ。此奴が、千香ちゃんの事を覚えていてさ、急に駆け出してくんだぜ……それで、千香ちゃんは龍太さんの手伝い?」
元ヤン男は甥っ子を捕まえながら、忙しなく話し出す。
「うん……そうなんだけど……」
千香良は恨めしげな視線を龍太の方へ向けてみせる。
「あぁ、龍太さんは女連れか……あの人も懲りないって言うか……学習しないって言うか……龍太さんは女性からのアプローチって全然、分かんない人らしいよ」
「え?」
千香良は唐突に語られた話の内容に戸惑ってしまう。
「いや……だから俺も先輩から聞いた話し、合コンに行くと龍太さんは ‘来る者は拒まず’ のスタンスでいるらしいんだけど、その理由が、断るのが面倒くさい、それだけなんだよ」
元ヤン男の掻い摘まんだ話では、今ひとつ意味が掴めない。
小首を傾げている。
「だから……女だけがその気にで、龍太さんは何とも思っていないって感じ……なんだけど……あの人、無駄に距離感近いし、スキンシップ過多だから……女は付き合っているって思うだろう。でも、龍太さんには全くその気はなし。合コンの度に恨まれるらしい」
千香良は釈然としない。
遠目で見ると仲の良い夫婦に見える。
「でも……今回は本気だって外構屋さんが言っていたよ」
「どうかな……」
元ヤン男は緩やかに首を捻ると腕組みをして観察しだした。
隣で甥っ子が同じポーズで真似をしている。
千香良は微笑ましいやら末恐ろしいやら……
苦笑する。
「けど、あの女も、あからさまに恋人気取りでヤバそう……俺は後が怖いよ」
甥っ子が意味も分らず頷いている。
すると龍太が千香良の方を振り向いた。
元ヤン男の視線が刺さったのだろう。
千香良は小さく会釈。
「それに、龍太さんは昔に好きだった女が忘れられないって話だし……酷い目に遭わされたらしいけど……稀に見る美少女だったらしいよ」
けれども元ヤン男は龍太に気が付かれたのを分かっていない。
知っている情報を千香良に話しだした。
興味深い話だが千香良は気が気じゃない。
龍太が千香良に向かって駆け出したのだ。
千香良は元ヤン男の言い分を漸く理解する。
一緒にいた女性には目もくれていない。
置き去りだ。
「ヤバっ、千香ちゃん、俺に言ったことは内緒な。俺、挨拶だけして消えるから」
千香良は黙って頷いた。
元ヤン男の話は常に龍太には内緒らしい。




