巧みで愚か
千香良は満足するまで高城の手首に食いついていた。
けれども顎の力にも限界がある。
顔面はより一層赤くなり正に憤懣やるかたない。
そして千香良はドアを開けようする。
しかしながら高城に車は高級車。
自動ロックで開けられない。
「千香ちゃん忘れ物だよ」
すると高城が悪びれる様子もなく千香良に弁当袋を渡してきた。
千香良は弁当袋をもぎ取ると上目遣いで睨んでみせる。
「悪かった」
流石に高城も両手を挙げて降参のポーズ。
「でも……抵抗しなかった千香ちゃんも……」
「馬鹿」
千香良は最期まで言わせない。
間髪入れずに弁当袋を高城の顔面に打ち付ける。
そして、もう一度、降車を試みる。
するとドアロックは既に解錠されていた。
高城は運転席で鼻を押えて目をしばたたく。
千香良の一発はさぞ、効いたのだろう。
降り立った千香良は‘あっかんべえ’
一頻り報復したら千香良は満足。
会えなくなるのは嫌だ。
高城はその様子に一笑。
するとトランクが開いた。
千香良は左官道具をすっかり失念。
慌てて取り出す。
抜かりないのも忌々しい。
そしてトランクが閉まるのを確認すると高城が車をゆっくりと走り出させる。
千香良は怒りながらも見送ってしまう。
テールランプが5回点滅するのは恒例。
千香良は未だに意味が分からない。
高城は原田や『長良グループ』の男とは違う。
千香良は驚きはしたが嫌じゃなかった。
逆上の理由は他にある。
高城にとっては軽い悪戯。
手練れた扱いに身を任せたのは千香良だ。
自覚している。
千香良は高城に車が見えなくなるまで見送ったあと土場に向かった。
現場を出たのがAM10時頃。
昼休憩には早い。
千香良はそのまま土場に行くと気持ちを切り替えて手袋を装着。
漆喰を練リ始める。
少ない量なのでゴーグルとマスクは未装着。
そして漆喰を練リ始める。
黙々と単純作業をしていると気持ちが落ち着く。
それでも頭に浮かんでくる。
高城は三上とも違う。
千香良が三上と付き合う切っ掛けは成り行きに近い。
「どうした?難しい顔をして……」
村岡の声だ。
千香良が顔を上げると腕組をして立っていた。
「まぁ、建設現場は色々な奴が出入りする。俺からも『長良グループ』の会長に言っておいた。だから辞めたいなんて言わないで欲しい」
村岡が懇願してきた。
千香良の様子に勘違いをしたようだ。
「親方…違う、違う……」
千香良は慌てて頭を振った。
今、漆喰を練っている。
『プラスター工房ムラオカ』の正社員になって3ヶ月。
現場の仕事はアルバイトの頃よりも厳しくなった。
理不尽な事、嫌な事、面倒くさいこと……
それでも千香良は辞めたなんてこれっぽっちも思わない。
確かに現場が怖くなった。
けれども今はもう平気。
高城が上書きをしていった。
千香良は訃と核心に触れ、口元を綻ばす。
体までもじんわりと暖かい。
「親方……私、辞めませんよ。今、チョッと別の事を考えたいたんです」
「そうか……」
村岡が肩の力を抜いた。
千香良は随分と不安視されていたみたいだ。
「今から練習するのでご指導お願いします」
千香良は少し戯けて見せた。
親方を安心させたい。
また、少し成長したみたいだ。
そして昼休憩。
弁当が見事に偏っている。
肉巻きのアスパラには佃煮の昆布が塗され、卵焼きは変形。
母に申し訳ない。
千香良は事務所で1人。
村岡は母屋で食べている。
千香良も誘われたが断った。
中断した考えを掘り起こす。
親方も千香良の気持ちを察したようで、強くは誘わない。
三上との交際は続けるつもりだ。
一緒にいて楽しい。
それに、お互いを理解し合っていると思う。
尊敬と信頼と愛情。
三拍子が揃って初めて恋人関係は成立する。
千香良が問題にするのは愛情。
最初から引っかかっていた。
友愛との区別が付かない。
そして最近思う。
三上も一緒なのではと……
千香良は油を纏ったプチトマトを口に運ぶと閃いた。
プチトマトが野菜でも果物でも美味しさには関係ない。
(そうか!友達カップル……問題無いじゃん)
思いの外頭が回る。
自分で自分を納得させてしまった。
千香良は意地でも三上との関係を肯定しなくてはならない。
高城のキスのせいだ。
キスが与える甘美な気持ちは、フィジカルな快楽とはまた違う。
溢れてくる思いがもたらす、メンタルな物。
高城は千香良のハートに漸く種を植えつけた。
深く、深く……
芽吹きは遅くて構わない。
美しく咲け。
そんな思いのキスだった。
けれども千香良にはまだ理解出来ない。
寧ろ高城はそれを望んだ。




