甘くてやるせない
親方の動きは迷いがない。
何度も頭の中でシュミュレーションしたと思われる。
仕上げられたエントランスの壁は櫛引のウェーブがアトランダムに重なり合って繊細、且つダイナミック。
千香良は未だに目に焼き付いて離れない。
千香良は仕事が終わり『プラスター工房ムラオカ』に引き上げてきいる。
しかし、中々、帰ろうとしない。
お気に入りの椅子に座りスマホを片手に三級左官技能試験の過去問題を解いている。
「早く帰れ」
龍太がデスクトップのキーボードを叩きながら言い放つ。
千香良がいると気が散って仕方が無いようだ。
龍太は今日、1人で現場に行っていた。
千香良も1度手伝いに入った住宅だ。
クロス張りの予定だってキッチンの壁をタイル張りに変更。
追加工事の見積もりを作成している。
「だって、まだ陽も高いし……ここに居た方が勉強は捗るもん」
千香良はスマホを片手に口答えをする。
けれども本当は家に帰ると三上からの連絡が気になってしかたがないからだ。
「彼氏が出来たんじゃないのか」
龍太は視線をデスクトップに向けたまま、千香良に話し掛けている。
「やっぱり知っていたんだ」
千香良もスマホを弄りながら返事を返す。
「亜紀さんはお喋りだからな」
「だけど、ピンとこない」
千香良は正直な気持ちを吐露する。
「『赤煉瓦』のイカスお姉さんの弟で医大生だって……」
「うん、何かラインとか来ないし……」
「そりゃ、当たり前だろ。男なんてそんなもんだ」
千香良のスマホを操作する手が止まる。
ストレートな言いようだ。
「何で?」
千香良の言葉は抗議に近い。
「何で、って……」
龍太はキーボードを叩く手を止めて椅子を回転させた。
やっと、千香良の方を向く。
「相手は医大生だろ、勉強があるだろし……千香良も仕事をしているし、用も無いのにラインなんか普通はしないだろ?」
千香良は龍太の言い分が正論故にやるせない。
「でも……」
龍太は凹む千香良に溜息をつく。
「俺は相手の男は真っ当だと思うけどな。千香良も相手も目標があるだろ、優先順位の1番が恋愛では駄目だろう。それに、そうじゃなくても暫くは様子見も兼ねて遠慮をするだろうからな……千香良から寝る前にスタンプでも送っとけ」
龍太は真剣に助言をくれた。
千香良も考える。
確かに千香良に取って優先順位の1番は仕事。
すると再び千香良の脳裏に親方の仕上げた櫛引のウェーブが甦る。
同時に龍太を相手に恋愛相談している自分が超絶、恥ずかしい。
「分かった……帰る」
「おう、安全運転で帰れ」
千香良は龍太の意見は尤もだと思う。
無理してラブラブする必要は無い。
それにしても龍太が恋愛を語るなんて驚いた。
以外と恋愛偏差値が高い。
千香良はまた1つ違う龍太を知った。




