素直で容易 2
千香良は揺り動かされてバランスを取るのが精一杯。
何が何だか分からない。
ただ心臓の音が聞こえるだけだ。
村岡が苦笑を浮かべながら母に何やら話している。
けれども男が遮り千香良からは見えていない。
友達に中には他人からのスキンシップを嫌がる娘もいるが、千香良は問題無い。
千香良は男兄妹の有無が関係しているのだろう。
それに拒絶したりすると、かえって自意識過剰のようで恥ずかしい。
「龍太、離してやれ。嫌がっているだろ」
「悪い……これセクハラか?」
龍太と呼ばれた男は千香良の肩から腕を外すと少し距離をとった。
ポロシャツにワークパンツは村岡と同じ恰好だが随分と違って見える。
千香良は固めたままで首を横に振る。
依然、動悸は収まらない。
先程まで、ピーコートを着ていても寒かった。
けれども今は火照っている。
男の匂いに当てられたのだ。
17歳の千香良は勿論、男を知らない。
これが十分に男を知っている女だったら今頃、下腹部が疼いて困っただろう。
(ビックリしたからドキドキしちゃった……)
落ち着かない千香良は瞬きを繰り返している。
そんな千香良に龍太は満面の笑顔だ。
すると口元から頬にかけての笑い皺。
強面が柔和に代わり愛嬌すらみせる。
「千香良」
母の呼ぶ声だ。
「ほんと、驚かした。俺は村岡龍太。ここの5代目で26歳。よろしく頼むな」
龍太はそれだけ言うと駐車場に駆けていってしまう。
そして千香良は漸く事務所に入ることが出来た。
すると壁の下部分にスヌーピーとピーナッツの仲間達。
淡い色調が何とも、ほのぼのとしていて、癒やされる。
鏝絵だ。
「お母さんも見とれちゃった。凄いね」
立ち止まる千香良に後ろから母が話し掛けてきた。
「龍太が落書きしやがって……お恥ずかしい」
千香良は感心するも唇を尖らした。
カッコイイ上に得意な事がある。
生意気だ。
年上の男性に対しての心境としては千香良の方が何様だろう……
出かける時は乗り気のしない千香良だった。
けれども今では、すっかり、その気だ。
そして鏝絵の他にも、畳1畳分ぐらいのボードが3枚、千香良の目を引く。
2×6のマス目に仕切られている。
塗り壁の仕上げパターンと色見本だ。
千香良は吸い寄せられるように近寄っていく。
「鏝波仕上げ、櫛引仕上げ、刷毛引き仕上げ、扇仕上げ……あっ、これ店の壁と同じみたい……スポンジ、テコラッタ、マーブル……」
千香良は小声で表示を読んでいく。
どれも不思議だ。
「取り敢えず座って、話をしましょう」
事務員がお茶を運んできた。
そして、村岡は千香良達に椅子を勧める。
千香良は母に促されて腰掛けるが落ち着かない。
応接セットは丸テーブルにと安っぽく見える。
けれども椅子の座り心地が頗る快適なのだ。
ファニチャーは見かけがチープな高級品が存在する。
よく見るとファッション雑誌に載っていた椅子と同じだ。
千香良は高級品と確信すると何だか嬉しい。
子供なのだ。
そして視線の先の壁には額に入れられた賞状。
【全国左官技能競技大会 優勝 村岡竜之介】
村岡が母に差し出した名刺に同じ名前が書いてあった。
千香良は不躾な程に、まじまじと村岡を凝視する。
「千香良」
千香良は母の声にハッとする。
「あっ、ごめんなさい……叔父さん凄い人?」
思っていたことが口を付く。
村岡は微笑むだけで何も言わない。
千香良も微笑みを返した。
「暫くはラーメン屋さんのアルバイトと掛け持ちでいいから、どんな感じか来てみたら」
千香良は頷いた。