幼くて疑わない 4
練習用は180×90。
村岡の動画も、このサイズを塗っている。
目の前の壁は高さ200以上、横には?
比べものにならない。
それでも千香良は龍太を初めに職人達の仕事を見てきている。
要領は分っているつもりだ。
「取り敢えず手の届くところから塗っていけ」
本来なら上から順番に塗るが、千香良は馬に乗っての作業はしたことがない。
躊躇する千香良に龍太が指南をしてくれる。
「はい」
声を出しての返事はお約束だ。
千香良は鏝板を持った左手の手首を内側に返して、右手の鏝でモルタルを掬った。
上向いた鏝に、こんもりとモルタルが乗っている。
上手くいった。
鏝板から材料を掬い取る作業は思いの外難しい。
そして、そのまま間髪入れずに壁を相手に下から上へと鏝を動かしていく。
(いけている……)
満足げな千香良は壁に塗り込まれたモルタルを1度、2度と平と、また鏝板からモルタルを掬っていく。
龍太が頃合いを見計らい鏝板にモルタルを乗せてくる。
いつも千香良がしている手元仕事だ。
けれども……
休ませてくれない。
緊張で掌が汗ばんできて手袋の中がへばり付く。
「よし、上出来だ」
やっと龍太の手が止まる。
千香良は龍太の言葉に安堵すると大きく息を吐き出した。
笑顔になる余裕すらない。
そして道具を持ったまま、肩を前後に2、3度回す。
もう既にゴリゴリと音がする。
「じゃあ、取り敢えず、先に上の方をやっつけていくから、千香良は、また手元をしてくれ。それから休憩して、残りを手分けして終わらせる段取りでいこう」
龍太は千香良を構うことなく馬に乗る。
「はい」
その後、千香良は無我夢中で壁を塗り続けた。
帰りのKバスで寝てしまうのが千香良のお決まりになりつつある。
本来なら先輩職人の運転で寝るなど言語道断なのだが龍太は何も言わない。
多分、他の職人も許すだろう。
そのくらい千香良は頑張っている。
千香良は暇さえあれば村岡の動画を見ていた。
夢に出てくる程だ。
千香良はもっと上手くなりたいと思う。
「着いたぞ」
「はい」
千香良は瞼を瞬いてから首を左右に曲げた。
すると「ゴキッ」といい音が鳴る。
「おっさんか……」
千香良は龍太からヘッドロックを掛けられる。
龍太は時折、幼稚な行動を起こす。
それに、わざとか無意識なのか千香良を女扱いしない。
千香良は兄で慣れているので、ふて腐れるだけだが立派なセクハラだ。
他の連中が千香良に、ちょっかい、でも掛けようものなら怒鳴り散らすだろうに……
自分は特別らしい。
千香良も龍太のスキンシップは嫌ではない。
そこに性的な意味合いが無からだろう。
それでいて千香良が台車や馬から降りるとなると手を貸したりもする。
絞り出したハンドクリームを分け与えるのも龍太の日課だ。
千香良と龍太の関係は不可思議だ。
受動的な千香良は自分からは何も出来ない。
相手の思い次第で関係が決まる。
要するに龍太次第だ。
それでも、確実に特別な関係が築かれてくだろう。
千香良は相当、疲れていたらしい。
昨晩は、ちょっとベッドに横になったら朝までグッスリ。
原田は春休みで実家に帰っている。
昨晩、ラインが来ていた。
原田の実家は酒屋を商っている。
千香良が本人にから聞いた。
しかし『蘭々』の娘情報では、それよりも所有する不動産が半端ないらしい。
結構なボンボンみたいだ。
確かに身につけているものはブランド品が多い。
それでも自立心が強いのか生活費は自分で賄っているようで、会話の端々で伝えてくる。
千香良は運転席の父を見る。
通勤さえも未だ親がかりだ。
(龍太さんはどうだろう……)
千香良は気が付いていない。
いつも龍太と原田を比べている。
「千香良、今日は忘れないように自動車学校のスケジュールを相談しなさい」
「うん」
千香良は運転免許が取れた時点で正社員になる予定だ。
当分は忙しく恋だの愛だの言っていられない。




