浅くて拙い 2
千香良は見ず知らずの男に意見された不条理に唇を尖らせる。
面白くない。
それでも開店一番のお客様に文句は言える訳もなく、
男の後を追いかけるように小走りで店内に戻った。
すると男は迷うことなくカウンターに座る。
そして、店主と和やかに話を始め出した。
どうやら常連客らしい。
千香良は水とおしぼりを用意すると男の座るカウンターにコトリと置く。
「ありがとう」
すると、男は目尻に皺を寄せて微笑んで見せる。
先程とは別人。
余計な一言など口にしなかったような振る舞いだ。
30歳前後だろうか……
改めて見ると男は精悍で知的な雰囲気を醸し出している。
(色男だ……)
千香良は心の中で呟いた。
しかし街中華で三つ揃えのスーツは馴染まない。
千香良からは、おじさんに見える。
「大将、いつもの……」
男はおしぼりで手を拭きながら店主に告げる。
「おうよ!千香ちゃん餃子とビール……赤星、大瓶な」
店主も知った顔に、ご機嫌だ。
『蘭々』で店主の事を大将と呼ぶのは移転前の店から通う客に限り、20年来の付き合いがある証らしい。
「それと、後から坦々麺ね」
男が千香良に追加を頼む。
「あっ、はい……いらっしゃいませ」
しかし、言われた千香良はそれどころではなく、慌ただしい。
男の入店を皮切りに引っ切り無しに客が入ってきている。
AM11時半には大学生のアルバイトがやってくる予定だ。
けれども、それまでの30分は、てんてこ舞いになりそうだ。
それでも千香良は、先に賄いを頂いて正解だったと、ぼんやりと思うだけで、動じない。
鈍くさい故のマイペースが取り柄だ。
千香良は一つ一つの作業を丁寧に熟していくが、時折カウンターから視線を感じては振り向いていた。
すると、男が笑う。
男の餃子はカウンター越しに提供された様子。
それを摘まみにビールを飲んでいる。
千香良はその度に小首を傾けて、遣り過ごす。
そして、小一時間。
ようやく客が途切れた。
千香良もカウウターの隅で小休止だ。
すると、いつの間にかホールに加わって大学生が坦々麺を運んで来た。
芳ばしいゴマと香辛料の香りが鼻を掠める。
大学生は色男の前に坦々麺と置くと、紙製エプロンを手渡した。
千香良は無意識的に見てしまう。
紙製のエプロンを所望する男性客では珍しい。
「相葉さん?僕は原田、よろしく」
千香良からからの視線を感じたらしい。
大学生が挨拶してくれた。
(噂の秀才君だ…)
千香良は大学生とも初対面。
兄の後輩に当たると聞いている。
国立大の経済学部在籍だ。
中肉中背でケミカル素材の眼鏡。
見るからに優等生然としているが秀才特有の鼻につく感じはしない。
千香良は穏やかで優しそうな原田に安心する。
「はい相葉千香良です。よろしくお願いします」
千香良は丁寧に頭を下げた。
「原田君、弟分が、出来、良かった、じゃん」
カウンターで坦々麺を啜る男が、もごもご、と口を挟んだ。
スタイリッシュな外見は見かけ倒しか……
行儀が悪い。
男の子と勘違いされるのは間々あることだ。
それでも千香良の形の良い眉が情けなく下がる。
「高城さん……○○○○○……」
男の名は高城というらしい。
原田は口の動きだけで(お・ん・な・の・こ……)と伝えようと試みている。
しかし、坦々麺を啜る高城は一瞥すると訝しげに眉間に皺を寄せるばかり。
「私、女性なんですけど……」
高城は箸の動きを止めた。
何か考えている。
……そして何事もなかったように、また坦々麺を啜りだす。
原田が千香良の頭にポンと手と置いた。
スキンシップは自然で、千香良も嫌悪を感じない。
原田の人柄が窺える。
気にするなと言ってくれているようだ。
ショックを感じないと言えば嘘だ。
しかし慣れているので引き摺らない。
千香良は拳を握ると、原田にガッツポーズをして見せる。
それよりも高城の反応が面白くて笑みが零れた。
「いらっしゃいませ!」
千香良から景気の良い声が発せられる。
ランチタイムはもう少し。
千香良は暫くの間は、このままでも良いと思った。