緊張して充実 2
『蘭々』のアルバイトは今月で辞める。
店主も承知だ。
ただ、娘が随分残念がって、わざわざ千香良にラインIDを聞きにきた。
IDを聞かれたことは嬉し。
けれども正直、意外だ。
『蘭々』の娘は専業主婦で人手が足りない時に助人として店に入る存在だ。
それなので、一緒に仕事をしたのは数回。
話も然程した覚えがない。
「女の左官職人か……憧れるわ。一人前になるまで見守るわ」
千香良は凄いプレッシャーを掛けられてしまう。
家では『天職』なんて言ったが、実際は悔し紛れの出任せに過ぎない。
家人も、それを承知かリアクションもなかった。
それなのに他人からは期待を掛けられる。
どちらの目が確かだろうか?
そして、もう1人。
原田も、わざわざ千香良にIDを聞きに来た。
そういえば会うのも久しぶりだ。
色々と有り過ぎて存在自体、忘れていた。
千香良は ‘忙しい’ を初めて経験している。
ラインのチェックも寝る前だけだ。
龍太を初め職人達は既読スルーが当たり前。
グループラインの一件も静止状態で置いてある。
習慣とは不思議な物で千香良は3日で気にならなくなった。
「折角、知り合ったんだから、たまには遊ぼうな」
原田は気さくに言うが千香良に意味深に聞こえる。
男子に誘われたのは初めてだ。
けれども、だからといって期待は禁物。
「OK」
千香良も軽く答える。
しかしながら胸に広がる甘酸っぱい気持ちが押えられない。
「じゃあ、今晩ライン入れる」
原田の言葉に千香良はただ頷いた。
千香良が村岡左官で出来る仕事は少ない。
Pコンの穴詰めと、モルタルを捏ねること。
そして捏ねたモルタルを職人の鏝板に乗せる手元仕事。
千香良は龍太が打ちっぱなしのコンクリートにモルタルを塗っていく姿を凝視する。
これも修業の一貫なのだ。
龍太は本当に明るくて、優しくて、カッコイイ。
理想のタイプだ。
けれども強い憧れを抱いたり、恋に落ちたりはしない。
千香良は自分が不思議でしょうがない。
それは恋をするには遠い存在。
トキメクことすら、おこがましい、と潜在意識で抑止しているからだろう。
所謂、防衛反応だ。
「どうだ、上手いか」
視線に振り向いた龍太が笑顔を向ける。
「はい」
千香良は声を出しての返事を欠かさない。
声を出して受け答えをすると元気が出る。
千香良は若い。
見る見ると代わっていく。
吸収が早いのだ。
そして一日が終わり帰りのKバス。
千香良はくたびれて、ウトウトと船を漕ぐ。
運転しながら龍太は一笑。
実はこの所、千香良は夜更かしが過ぎている。
原田とのラインだ。
それどころか大学生の原田は日中でもラインを送ってくる。
午前中の小休憩、昼休憩、そして午後にも……
千香良はスマホが気になって仕方がなかった。
かといって原田が好きなわけでもない。
千香良はただ……
大学生の男友達がいる状態に浮ついているようだった。




