健気で圧巻
『3代目福雲』はテーブルでの会計システム。
龍太は1万円札でお釣りをもらっていた。
女将は会計時にも龍太にアタック。
共通の知人を出汁に話を振ったりしていた。
けれども龍太は生返事をするだけ。
会話は成立しない。
意地の悪い女だと思うが、千香良は気の毒に思う。
「あの娘は自分に興味の無い人間も存在することを学んだほうがいい……客商売は門外漢だけど建築現場でも設主が個人だと生活に立ち入らないように注意するけどな……」
そして帰りの車で龍太が女将の態度に言及。
龍太としては珍しい。
千香良は肯定も否定もせずに聞いていた。
「千香良のお袋さんはどうだ?『赤煉瓦』も常連が多いだろう……」
確かに千香良の母もお客のプライベートには触れない。
乙葵もそうだと思う。
「お母さんは店とかは関係なくても他人の事情を詮索したり、噂話に加わったりするのを嫌がるタイプかな……子供の頃から学校で盛り上がっている噂話をすと怒られた」
千香良も今なら分かる。
父は華やかな競輪選手を辞めて田舎町の洋食屋に養子に入った。
想像は難くない。
嫌な噂も立っただろう。
「良い教育だな。店の従業員にもしているだろうな」
「どうかな……パートさんの中には噂好きな人もいるよ。でも乙葵さんはプロだから見猿、聞か猿、言わ猿……って感じ。一緒にホールの仕事をしたときも、踏み込んで話し掛けてくるのはお客さんの方で、乙葵さんはそれを上手くかわしていた。」
最近『赤煉瓦』では乙葵を目当てとする客も多いらしい。
初めの頃は兄の嫁候補かと噂され……
そして今は純粋なファン。
誰もが乙葵に魅了される。
千香良も乙葵には憧れを抱く。
亜紀のように表立ったパワフルさはないが、揺るぎない自己の強さを感じる。
「それこそ噂の別嬪さんか……見てみたいな」
(駄目!)
千香良は心の叫びが口から出るのを咄嗟に両の掌で押さえ込む。
運転中は前方注意。
龍太は気が付いていない。
「でも、本当に千香良だけは他の女共とは違うな。一緒にいても身構えなくていい。俺も男だからさ……そこ、そこの美人で胸なんかデカいと、遂、フラ、フラって誘いに乗ってしまいそうなる」
千香良は龍太のプライベートを少し垣間見た。
恋人よりも強い絆。
師弟の関係。
選択は間違っていなかった。
千香良は誰よりも龍太の近くにいる。
そして誰にも近寄って欲しくない。
三上が弓を運転免許試験場近くのファミリーレストランで見掛けたときも少しだけ心がざわついた憶えがある。
けれども思春期の女子は自己顕示欲が強い。
誰に対しても抱く感情だ。
けれども龍太に対しては独占欲が強い。
千香良は乙葵だけは龍太に会わせたくないと思った。




