after 3
リリー達が退出した後、エリザベスは満足気に微笑み、ソファーに深々と腰掛けた。
「どうして、あんなことを提案したのか、訊かないのね」
隣でコーヒーに口をつけている夫に質問を投げかけると、アルフレッドはカップから顔を上げて、エリザベスを見やった。
その表情からは、訊かなくてもわかるという自信が垣間見れた。
「君の思うようにやればいい」
ただそれだけ言って、アルフレッドはまたコーヒーが入ったカップに視線を戻した。
夫がやけに集中しているのは、自慢の髭を濡らさずにコーヒーを飲むという、ただそれだけのことに尽力しているからだと、エリザベスは知っていた。
自然と笑い声が漏れたのは、その為だ。
「もう、別にいいじゃないの。コーヒーに浸かったって。あなたの立派なお髭には、何の痛痒もないでしょうに」
そういう問題ではないんだと抗議するように、器用に片眉を上げたアルフレッドだったが、エリザベスに見つめられると、仕方なさそうにカップを置いた。
「……わたしは」
「なあに」
「君が結婚を反対しているようには見えなかった。君は常々言っていただろう?ダレンの再婚相手には、リリーのような女性が相応しいと」
「そうね、言ったわ」
「その頃にはすでに、彼女の評判は悪かった」
エリザベスは鼻で笑った。
それは淑女らしからぬ行いだったけれど、構わずに続けた。
「あんな馬鹿みたいな噂、信じる人がいること自体、おかしいわ。わたくしも調べてみたけれど、どうも誰かが故意に悪い評判を流していたみたいなのよね。きっと、あのライリーという青年の仕業だったんでしょうけれど、それを信じる信じないは別として、面白おかしく広めた人達の方も充分どうかしているわ」
それが貴族社会という狭い枠組みの中では、日常茶飯事であるということを誰よりも熟知しているからこそ、エリザベスは辟易したように悪態をついた。
とはいえ、エリザベスもリリーもその中で生きていくしかない。
それは、変えられない現実であった。
だからこそ、エリザベスはリリーにあんな条件を出したのだ。
皆に認められること。
それはリリーが次期公爵夫人として生きていくには、避けて通れぬ道でもあった。
かつてエリザベスがそうであったように。
「でも、大丈夫。彼女なら、ちゃんと乗り越えられるわ。ダレンだって傍にいるんだし」
「……では、そう言ってあげれば良かっただろうに」
アルフレッドは髭を摩りながら、またカップに手を伸ばした。
どうしてもコーヒーが飲みたいらしい。
エリザベスはまた笑った。
「もう、本当に仕方のない人ね。わかったわ。お髭が汚れたら、このナプキンでわたくしが綺麗に拭いてあげる。だから、そう神妙な顔をしないでちょうだい。笑っちゃうでしょう」
「うむ」
やはり真剣に頷いてから、コーヒーを飲み始めるアルフレッドに、エリザベスは笑いながらナプキンで腕を叩いてみせた。
それに対して、アルフレッドは文句を言わなかった。
コーヒー党の夫は、噛み締めるようにコーヒーの味を堪能している。
その様が、更にエリザベスの笑いを誘った。
ひとしきり笑い、そうすると、不思議と罪悪感がなくなっていることに、エリザベスは気付いた。
アルフレッドはきちんと理解していたのだ。
エリザベスがダレン達の結婚をすんなり了承しなかったことに、内心では心苦しく感じていることを。
「ありがとう、アル」
エリザベスはアルフレッドの肩にもたれ掛かった。
アルフレッドは何も言わずカップを置いて、エリザベスの肩を引き寄せてくれた。
慣れ親しんだ夫のあたたかい体温を感じ、エリザベスはアルフレッドを見上げた。
アルフレッドの髭は若干、汚れていて。
そんな小さなことに、エリザベスは幸せを感じたのだった。