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after 29

ダレンはチラリと時計を確認した。

もう夕方を過ぎて久しい時間帯、彼の頭にあったのは新妻のリリーのことだった。

身籠っている彼女の元に早く帰りたい。

そう言ってしまいたいのは山々なのだが、今この場には議会に顔がきく貴族達が集っているので、あまり失礼なことを言う訳にはいかない。

彼らとの交流が、回り回って、円滑な議会の運営に結び付くことを、ダレンは理解していた。

だからこそ、帰りたいという自身の素直な感情に蓋をし、ダレンは貴族達との話し合いを続けた。




窓の外が暗くなった頃、ようやく話し合っていた議題に、ある程度の落とし所を見出したところで、今日はお開きにしようという流れになった。

ダレンは心底感謝し、挨拶をしてから、その場を足早に去った。

が、それも室内を出て、数歩のところで呼び止められてしまった。

ダレンにとって、これは珍しいことではなかった。

ダレンの人柄や身分故に、個人的に話したいと考える人は多かったからだ。

だから、いつものように微笑を浮かべながら振り返った。

おや?と内心で思ったのは、意外な人物に呼び止められたことを悟ったからだ。

黒い外套に黒いハットを目深に被ったその人は、全ての臣民公爵位の中でも最古参の貴族の一人であるマルトレイ公爵その人だった。

その彼から、陰気そうに挨拶の口上を述べられたダレンは、内心で珍しいこともあるものだと思った。

実は、ダレンと公爵には浅からぬ縁があった。

今でこそ、ダレンの父親が筆頭公爵の座に就いてはいるものの、元々はマルトレイ公爵こそがその立場にあるはずの人間だったのだ。

マルトレイ家は、三代目当主が大逆罪で処刑されたことで、約一世紀に渡ってその立場が失われていた時期がある。

それを現当主である彼の曽祖父が復権を果たし、以降今日まで連綿として爵位が続いている。

とは言うものの、マルトレイ家は華やかな表舞台から身を引いて久しかった。


ーー特に、現当主は三代目の事件を、今もなお酷く恥じていて、貴族社会からは自ら距離を置いていると専らの噂だったが……。


その彼がこうして、わざわざダレンに声をかけている。

よほどの理由があるのだろうと、ダレンは思わず身構えた。


「そう警戒しないでください。私はただ、貴方に忠告にきただけです。ゴードン男爵について、大事になる前に対処するべきだと」


ゴードンと聞いて、真っ先にダレンの頭に浮かんだのは、女王の母親であるラント公妃の家令を務めている人間のことだった。

彼については、元舞台俳優だったことぐらいしか情報がない。

ダレンは思案気に、公爵を見つめた。


「貴方が公妃の家令について興味がおありだとは思いませんでした。政治からは距離を置くことにしたのではなかったのですか?」

「ええ。勿論、私はまつりごとに口を出すつもりはありませんよ。ただ、男爵については昔から良い噂を聞きません。前シドニー公爵の奥方が俳優と駆け落ちした件はご存知でしょう?」

「まさか、その駆け落ち相手がゴードン男爵だったと?」

「ええ。まだ気付いている者は少ないでしょうが、彼はいささか口が過ぎる。自分が”王国の悲劇“の初演で舞台に立ったことがある俳優だと、貴族の集まりで言いふらす可能性は大きい。それでなくとも、彼の振る舞いは家令という立場からは大きく逸脱している。どうやら公妃の寝室にも立ち入っているようですし……。ああ、そんな顔をしないでください。この件を知っているのは使用人達だけで、既に口止めはしてあります。ただ、人の口に戸は立てられぬと申します通り、あまり長くは持たないかと。当然、公妃の名に傷が付けば、女王の縁談に影響が出ることは明白です」


ダレンは表情こそ変えなかったが、内心で驚きを隠せなかった。

水面化で、女王とコバーク公の次男であるアルベルト公子との縁談話が進行中であることは、事実であった。

とはいえ、縁談の件を知るのは首相をはじめ、ほんの一握りの人間達だけである。

それを表舞台から姿を消して久しい公爵が知っているということ、そして公妃の使用人事情を調べ尽くし口止めするその手腕、それらが意味することは……。


ーー諜報機関が存在していることは知っていたが、彼がまさかその諜報員だったとはな。


マルトレイ家が失墜したのは、政治的な思惑が絡み合った結果だったとはいえ、そこから復権を果たすには相当の信頼を王家から得られなければならない。

子々孫々、諜報機関に身を置き、国に忠節を尽くすというのは、何よりの信用回復行為だろうと思われた。

ダレンはもう一度、公爵を具に見つめた。

黒い外套に身を包んだ彼は相変わらず、陰気な雰囲気を醸し出していたが、その聡明な言動から、如才なく立ち回れる人物であることは明白だった。

そう、時と場合においては、ダレンを凌ぐ程に。

とはいえ、当の公爵はというと、ダレンのその視線から逃げるように、黒いハットを目深に被り直し「とにかく忠告はしましたよ」と言って、踵を返した。

が、そのまま立ち去ろうかとしたところで、なぜか公爵は足を止めた。


「……そういえば、貴殿は最近ご結婚なさったとか。遅ればせながら、お祝いの気持ちを伝えさせてください。ご結婚、本当におめでとうございます」

「ご丁寧に、ありがとうございます」

「新婚生活はいかがですか?幸せですか?」

「はい」


他人の日常になど興味がないものとばかり思っていた公爵から、こんなありふれた問いかけをされるとは意外だなと感じながら、それでも、ダレンは「私は世界一の幸せ者です」と素直に答えた。


「誰よりも素敵な女性と出会い結婚できたことは、私にとって何よりの名誉であり僥倖でした。私は日々、その幸福を噛み締めながら過ごしています」

「……奥方も同じですか?」

「それは妻に聞いてみないとわかりませんね。ただ、彼女にも私と同じように幸せだと思ってもらえるように努力は惜しまないつもりです」

「そうですか」


そこで、公爵は少しだけ微笑んだようだった。

ダレンには背を向けているので、表情は見えなかったけれど、何かに安堵しているようにダレンには感じられた。

ダレンは思わず口を開いた。


「もしかして、妻と面識がありましたか?」

「いえ……」

「では、妻の両親ですか?それとも前夫の伯爵と?」


なぜか、公爵は答えなかった。

適当に相槌を打つか、首を横にでも振ればいいものを、彼は肯定も否定もしない。

ダレンには、それが公爵なりの誠実さの現れのように感じた。

その時だ。ダレンの中で、ある仮説が立ったのは。


「公爵は、妻が巻き込まれた事件の事を耳にしたことはありますか?」


唐突な問いかけに、公爵は明らかに怪訝そうだったが「多少は」と言って、答えてくれた。


「では、犯人のことはどうですか?」

「狂気的な犯人だったとだけ……」

「つまり、細かな出自については知らないと?」

「……何が仰りたいんですか?」

「いえね、実はあの犯人は私や妻の実家で雇われていた使用人だったんですよ。でも、なぜかその件が表沙汰になることはなかった。不思議だと思いませんか?」


ハンクが殺人犯として検挙された時、ダレンが使用人として彼を雇っていたこと、その前の雇用主がリリーの実家であったことが、世間的に明るみに出ることはなかった。

新聞記事に載らなかったのは、リリーの友人であるフレデリック・スペンサーのおかげかもしれない。

しかし、ハンクの雇用情報が一才、外部に漏れなかったことについては、明らかに作為的なものを感じずにはいられなかった。

裏で完璧に手を回すようなことは、個人では到底成し得ようがない。

ダレンでさえ、だ。


ーーそう、組織的な力が働かない限りは。


ダレンは今、目の前にいる黒一色に包まれた一人の男を見つめた。

彼の名前や立場といった表面的なことは知っていても、彼自身のことは何も理解していなかったことを悟ったのだ。

その公爵はというと「さて、何のことやら」と言った風に、肩をすくめるだけだったが、ダレンは構わず続けた。


「貴族にとって、使用人の不祥事は体面と評判を傷つけられ、家の管理能力を問われる大問題です。貴方は、私達が世間から批判されるのを防ぐ為に、ハンクの詳しい情報を意図的に隠してくれた。そう、今回あなたがゴードン男爵の件で手を回したように。貴方にはそうできるだけの組織的な権力がありますね?そして、サイラス・マクファーレンもまた、その組織に属していた。マクファーレン家の代々の当主が短命なのは、おそらくその任務の危険性ゆえだ。貴方は彼の上司で、ある程度、親しかった。だからこそ、彼の妻であるリリーが窮地に陥るのを防いだ。貴方なりに、彼の心残りを成就してあげたかったのではありませんか?」


昔一度だけ、酒に酔った父が漏らしたことがある。

サイラスの父親が亡くなった際の出来事だ。

新聞にはただ訃報の一報だけが記載されていたのに、父は「国の為とはいえ、幼い子を残して逝くのは辛かろう」と呟いたのだ。

その時は酒が入っていて、辻褄の合わないことを口走っただけだと思っていたが、今ならわかる。

父はサイラスの家系が諜報機関に所属する人間だと知っていたのではないか。

そして、父亡き後、サイラスは爵位だけでなく、諜報員としての役目もまた継いだのではないだろうか、と。

サイラス亡き後、公爵がサイラスの想いを汲み取って、残されたリリー達に配慮してくれたというのは、正直ダレンの直感であり、明確な証拠がある訳ではなかった。

しかし、そうでなければ辻褄が合わなかった。

公爵が情報に聡く、工作に長け、リリーのことを気にかける理由が。


公爵は何も答えなかったが、否定もしなかった。

それ自体が既に肯定の意だった。

ダレンは胸に手を当て、もう一度「ありがとうございます」と感謝の礼を尽くした。

公爵はやはり何も言わなかったけれど、どこか照れくさそうにしているように、ダレンには感じられたのだった。

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