after 2
ダレンの母エリザベスの登場により、リリーとダレンは、腰を上げた。
が、エリザベスは手振りでそれを制した。
「いいのよ、座ってちょうだい」
鷹揚に言って、エリザベスは優雅にソファーに腰かけた。
リリー達も倣って座り直す。
「ダレン、あなたから呼び出すなんて珍しいこともあるものね。何か大切なお話があるのかしら。ああ、ちょっと待って。アルが来たみたい」
そのタイミングで、ダレンの父アルフレッド・アルバーンが入ってきた。
途端、リリーには空気が若干変わったように感じられた。
アルフレッドの高貴な佇まいがそうさせているのかもしれない。
「アル、座ってちょうだい。ダレンからお話があるみたいよ」
アルフレッドはただ頷いて、エリザベスの近くの椅子に腰掛けた。
アルフレッドは体格がいい。
高齢とはいえ、姿勢が良いからか、余計大きく見えた。
どっしりと構えていて、自信に溢れている。
上品なエリザベスと並ぶと、なるほど、公爵家に相応しい、威厳に満ちた二人だった。
ダレンがチラリと視線を向ける。
本題に入ることを悟り、リリーは小さく頷いた。
「今日は大事な話があって参りました。わたしは、こちらにいるレディー・リリーと結婚します」
ダレンはサラリと言ってのけた。
彼からすれば、アルフレッド達は自身の親だ。
身構える必要はない。
とはいえ、あまりに物おじしない切り出し方に、リリーは一瞬、呆気に取られた。
が、皆の視線を感じて、慌ててアルフレッド達に頭を下げた。
「お久しぶりです、公爵、公爵夫人。リリー・ウォリンジャーです」
アルフレッドはただ頷いただけだったが、エリザベスは柔らかい笑みを浮かべて言った。
「ジニーの結婚式以来ね、リリー。何だか、今日は随分と他人行儀だけれど、そんなに改まる必要はないわ。あなたのお母様とはお友達だったのだから、お互い、知らない仲ではないでしょう?」
社交界の華として、昔から有名だったエリザベスは、大変顔が広く、リリーの母親であるアリシアとも親交があった。
当然、リリーも小さい頃から顔馴染みである。
「特に、ジニーと仲良くしてもらうようになってからは、あなたはまるで家族のような存在だった。とはいえ……いくらあなたでも、ダレンとの結婚となると話は別だわ」
エリザベスは、よく通る声で言った。
別に声を大きくした訳でもないのに、皆が注目する。
自然と視線を集める何かが、彼女にはあった。
「リリー、あなたは自身の評判を知っているわね?真実でないこともあるし、噂はあなただけの責任ではないけれど、それが世間のあなたに対する評価であることに間違いはないわ。火のないところに煙は立たないというし、あなたのことは大好きだけれど、公爵家に嫁ぐのに相応しいかどうかと問われると、わたくしは素直に首を縦には触れないのよ」
「母上?」
ダレンは怪訝そうに、エリザベスを見つめた。
エリザベスはそれを視線だけで制し、話を続けた。
「リリー、これはあなたの為でもあるから言っているのよ?矢面に立たされるのは、あなた自身なのだからね。ダレンと結婚すれば、快く思わない人は必ずあなたを非難する。女性であるあなたが非難されるの。それはわかるわね?」
リリーは頷いた。
男性なら、ある程度許容されることも、女性ではそうはいかない。
いつだって、女性の方が圧倒的に責められる立場だった。
それが、今のこの社会通念であることを、リリーはよく理解していた。
「ダレンはいいわ。あなたのことを愛しているから、例えどんなことがあっても、あなたと添い遂げられれば幸せでしょう。でも、リリー、あなたはどう?次期公爵夫人の重責を担う覚悟はある?値踏みされ、非難のことばを向けられても、耐えられるだけの強さが、あなたにはあるかしら?リリー、よく考えて答えてちょうだい。周囲に認められるかどうかもわからない、そんな先行き不安な中であっても、あなたはダレンと結婚したいと思う?」
「はい」
リリーは迷わなかった。
エリザベス、アルフレッド、ダレンを順に見て、はっきりと言った。
「わたしは、彼と結婚したいと思っています。わたし自身の評判のことは、もちろん知っていますし、周囲に公爵家に相応しくないと非難されるだろうことも理解しています。それでも……」
そこで、リリーはダレンを見つめた。
視線が合うと、彼は愛しむように微笑んでくれた。
きっとリリーも同じように微笑んでいることだろう。
ダレンの顔を見るだけで、リリーは笑まずにはいられないのだから。
「わたしは、彼を愛しています。誰よりも深く愛しています。だから、必ず公爵家に相応しい人間になってみせます。皆さんに納得してもらえるように、頑張ります」
「口で言うのは簡単だわ。具体的にどうやって納得してもらうの?一度ついた悪いイメージは、そう簡単には払拭されないものよ」
「まずは、わたしのことを理解してもらうところから始めます」
今まで噂を放置していたことが、そもそもの原因なのだ。
リリーは自分の為にも、そしてリリーを大切に思ってくれる人達の為にも、誤解を解く努力をしなければならなかった。
それをずっと怠ってしまった。
そのことを、リリーはここ数年で酷く後悔していた。
ーーきちんと向き合えば、わかり合えることもあるわ。
人は変わることができる。
それをかつて教えてくれた人がいたから。
「わたしを快く思わない人もいるでしょう。でも、きちんと話し合えば、人は理解し合えるはずです。わたしは彼を愛しています。だから、誰よりも幸せにしてあげたい。でも、結婚を認めてもらえなければ、本当の意味で、わたし達は幸せにはなれないのだと思います」
一度ダレンのプロポーズを断った理由がこれだ。
リリーが相手では、周りに祝福してもらえない。
そのことがダレンを苦しめるだろうと。
リリーはダレンを愛していた。
だからこそ、自分のせいでダレンを傷つけたくないと思ったのだ。
「彼はわたしといることが幸せだと言ってくれました。わたしもそうです。だから、彼の傍にいる為なら何だってします。必ず、彼に相応しい人間になってみせます。だから、わたしに公爵夫人としての務めを立派に果たせる人間であることを証明させてください。彼を誰よりも愛しているのはわたしだと示させてください」
リリーは視線を逸らさなかった。
エリザベス達とて、敵ではない。
ダレンを大切に思うからこそ、リリーに忠告しているのだ。
それがわかるからこそ、リリーは諦める訳にはいかなかった。
ダレンの両親に認めてもらうことが、ダレンの幸せにも繋がるのだから。
「いいわ」
ややあって、エリザベスは言った。
口調に変化はなかったが、表情はどこか満足気だった。
「あなたがそこまで言うなら、リリー、あなたに条件を出します。そうねぇ、社交界シーズンが終わる頃、あなた達の婚姻予告を公示しましょう。それに対して、誰からも申し立ての異議が出なければ、二人の結婚を認める。それでいいかしら?」
教会結婚では、挙式の前に三週間に渡って毎日曜日、婚姻の予告を示す必要があった。
重婚や秘密婚を避ける為の慣わしだ。
その公示期間に、他者から異議が出なければ結婚が許可される。
つまり、それまでに婚姻に異議を唱えられないよう、周囲を納得させなさいと、エリザベスはリリーに突き付けているのだ。
アルフレッドは口を挟まない。
これは二人の総意なのだろうと思われた。
リリーはダレンを見やった。
何も言わなくても、リリーの気持ちはわかったのだろう。
ダレンはただ微笑んでくれた。
それに後押しされる形で、リリーはエリザベス達の方へ向き直って頷いた。
「わかりました。そのご提案、お受けいたします」
力強いリリーの瞳には、決して揺るがぬ決意の色が見てとれた。