after 13
時計の短針をじっと見つめながら、ピーターは疲れたように長椅子に全体重を預けていた。
人前では決してしない、だらしない格好である。
とはいえ、多忙を極めるピーターにとっては、ダラダラしたい時だってあるのだ。
誰の目もない今くらい、甘えたっていいだろう。
そう自身に言い聞かせ、ピーターは目を瞑った。
途端、書斎の扉を叩く音がし、うっすらと瞼を開ける。
タイミングが良いのか悪いのか判断に困るところではあるものの、それでもピーターはため息を噛み殺しながら「どうぞ」と呟いた。
「失礼いたします」
長く勤めてくれている執事が、丁寧な所作で入室してくるのを横目で眺める。
そんなピーターの姿を見とめた執事は、僅かに眉を上げた。
彼が言いたいことはすぐにわかったので、ピーターは仕方無さそうに、椅子に座り直した。
それを見守っていた執事の表情は、明らかに満足気なものへと変わる。
と同時に、来客があったことを伝えられ、ピーターは今度こそ居住まいを正した。
「お通ししてくれ」
「かしこまりました」
ややあって、執事の案内と共に、ダレンが姿を見せた。
ピーターは立ち上がり、喜んで義兄になる予定のこの人物を迎え入れた。
「子爵、ご足労いただきましてありがとうございます。さあ、お座りになってください」
「ああ、ありがとう。それにしても珍しいね。君から連絡をもらった時は驚いてしまったよ」
「申し訳ありません。お忙しい身であることは存じ上げているのですが」
「構わないよ。それに、私よりも君の方がよほど多忙だろうに。確か、もうすぐだったね、結婚式は。どうだい、準備の方は?」
「はい、姉も手伝ってくれているので順調に進んでおります」
「それは良かった」
「ありがとうございます。それで今日、お呼びしたのは、その姉のことなんです」
「リリーに何か?」
「いえ、心配なさるようなことは何も。ただ最近、とみに姉へ結婚話が舞い込むようになりまして。もちろん、全てお断りしておりますが、私は挙式後暫くは、領地を離れ親戚周りをしなくてはなりません。私がいる間であれば対応できますが、不在となりますと……」
「そうだね、わかった」
ダレンは話が早かった。
ピーターに最後まで言わせず「すぐに婚約の件を発表するよ」と約束してくれた。
「私としても、そうしたいとずっと思っていたんだ。むしろ、渡りに船だよ」
「でも、結婚の条件を出したのは公爵夫人だと伺っています。大丈夫でしょうか?」
ピーターが心配しているのはそこだ。
ダレンの母親であるエリザベスからは、今期の社交界シーズン中にリリーが名誉挽回に努め、周囲から認められれば、結婚を許可すると言われている。
リリーであれば周囲にダレンとの結婚を納得させることができると、ピーターは信じているが、現状、エリザベスがどう評価しているのかまではわからない。
そんな中、約束よりも早く婚約を発表すれば、彼女の機嫌を損ねて、結婚そのものが御破算になってしまうのではないか。
ピーターはそれを危惧していた。
「確か、社交界シーズンが終わるまでは、結婚の話は周囲に伏せるのではありませんでしたか?」
「ああ、その取り決めだったけれど、心配ないよ。君の方の事情だってあるんだ。母はわかってくれる。そもそも、この結婚を一番楽しみにしているのは母だからね」
「そうなんですか?失礼ですが、私はてっきり……」
「いや、君がそう思うのは当然だ。でも、安心して欲しい。母は私達がこういう関係になる前からずっとリリーと結婚して欲しいと考えていたようなんだ。そのくらい、リリーのことを気に入っているんだよ。立場上、厳しいことを言わなければならない場合もあるだけで、結婚には元々賛成なんだ。リリーの評判が回復しつつある今となっては、特に反対もしないだろう。リリーの頑張りのおかげだ。彼女は見事、母が出した条件をクリアしたんだ」
「そうだったんですね、それは良かった」
ピーターが安堵のため息を漏らすと、ダレンは申し訳なさそうに眉を下げた。
「君も忙しい立場だろうに、気苦労をかけてしまって申し訳ない」
「いえ、元々、私は心配性なんです。それに姉に対しては、もう何一つ心配することはないと思っています」
「あなたがいてくれるから」と言って、ピーターがダレンを見つめると、彼は思わずといった風に破顔した。
そうだ、ピーターはもう何も憂う必要などない。
ダレンに対しては、全幅の信頼を置いているピーターである。
彼ならまず間違いなく、リリーを幸せにしてくれるし、生涯をかけて守ってくれるだろう。
それは期待ではなく、真実だった。
だからこそ、ピーターは近い将来、義兄となるダレンに微笑みかけた。
この誠実で頼もしい人物を、兄と慕うことができることに、心底感謝しながら。




