after 11
グラスを傾けると、氷がカランと鳴った。
それを三回繰り返し、口に運ぶ。
いつものハリーの癖だ。
そうすると、お酒の風味をより感じるのだ。
ハリーは対面に座る、友人のダレンを見やりながら、お酒を一気に飲み干した。
喉に絡みつくような感覚がたまらない。
対して、ダレンはといえば、ほとんどグラスには手をつけていなかった。
最近、飲酒を控えているのだと聞いた時は、一体何を今更気にしているのかと思ったが、ハリーもダレンも年齢的にもう若いとは言えない。
つまり、ダレンは健康を気にしているのだ。
娘であるジニーが結婚したことで、今後産まれてくるであろう孫のことを想ったのだろう。
まだ、ジニー達にめでたい話は出ていないようだが、それでもダレンにとっては初孫にあたる。
少しでも長く健康な状態で、孫の成長を見守りたい、そうダレンは考えたのだろう。
しかし、社交界シーズンの到来と共に、ハリーはそれ以外の理由に思い当たってしまった。
理由が理由なだけに、どう切り出すべきか悩んだものの、いつまでもウジウジ考えるタイプではない。
ハリーは思い切って「ダレン」と呼びかけた。
「お前、最近、よく社交の場に顔を出すようになったよな。昔はあんなに嫌がってたのに」
「別に嫌がってた訳じゃない。もともと賑やかな場所は好きだし、人と話すのも楽しい」
「そうだよな、お前は学生の頃から人付き合いが苦にならないタイプだった。にも関わらず、お前はずっと社交の場を避けていた。それは、周囲に再婚を勧められるのが嫌だったからだろう?」
昔からダレンは社交界の花形だったが、それを鼻にかけ、遊びに耽るようなことはしなかった。
二十三歳で婚約者と結婚し、幸せな家庭を築いた。
彼らは最も理想的で模範的な夫婦だった。
が、それも長くは続かなかった。
ダレンが妻を亡くしたのは、ジニーが産まれて数年後のことだった。
出産後も体調が戻らず、次第に弱っていく妻にダレンはよく尽くした。
男女問わずダレンが慕われているのは、容姿や家柄だけではなく、その誠実さゆえなのだ。
だから、妻を亡くしたダレンに、多くの者は同情し、また慰めたいと考えた。
彼らが再婚を勧めたのは、もちろん善意からだった。
そのことをダレンはよく理解していたので、決して無碍にはしなかったけれど、それでも再婚には踏み切らなかった。
亡くなった妻を深く愛していたからだ。
でも、それは同時に妻の死を引きずっていたということにもなる。
ダレンは周囲が、特にジニーが心配しないように、ずっと平静を装っていたけれど、ハリーにはすぐにわかった。
ダレンがまだ妻の死から立ち直ることが出来ていないということを。
それを知っていたからこそ、ハリーは社交の場にあまり顔を出したがらないダレンを長年、見守ってきた。
が、ここに来て、ダレン自ら頻繁に社交の場に赴くようになった。
その意味を、ハリーはすぐに察した。
「再婚するのか?」
率直に尋ねると、ダレンはグラスから顔を上げて、ハリーを見つめた。
ややあって、素直に頷いたダレンのその榛色の瞳は、昔も今も変わらず誠実だった。
「悪い、黙っていて。隠すつもりはなかったんだが、事情が少し複雑なんだ」
「……未亡人はやめとけよ」
あえて名前は出さなかった。
とはいえ、ダレンにはわかっただろう。
ハリーが誰のことを言っているのか。
ハリーはため息が出そうになるのを、グッと堪えた。
正直、気が重い。
せっかく一歩を踏み出そうとしている友人の出鼻をくじかなければならないのだから。
でも、これは友人だからするのだ。
ダレンが大切だからこそ、忠告しなければならない。
ハリーは腹を決めた。
「今までの彼女に対する世間の評判は、不当なものだと思う。彼女の身に起こったことは彼女自身のせいではないし、彼女の品位を貶めるものでもないからだ。そもそも、お前が選んだ女性なんだ。きっと素晴らしい人なんだろう。お前が言えば、周囲も普通に祝福するとも思う。それでも……それでも俺は反対だ。わかってくれ、俺はお前に幸せになってもらいたいんだ」
別に、リリー・ウォリンジャー個人に恨みや偏見はない。
むしろ、夫に先立たれた上に、恐ろしい事件に巻き込まれた彼女には同情している。
とはいえ、彼女と結婚した男性はもれなく全員亡くなっているのだ。
その原因となった犯人はもういないけれど、同じようにとち狂った第二の犯人が現れないとも限らない。
ハリーが思うに、リリーは魔性の魅力を持った女性である。
ダレンは言わずもがな、過去のリリーの夫となった者達は全員、社交界の花形と呼ばれ、家風も申し分ない人間だった。
そんな彼らと結婚まで関係を持ち込んだのだから、評判云々は関係なく、実際リリーは魅惑的な女性なのだ。
彼女自身が意図していなくとも、それは抗えない事実だった。
ーー新たに、彼女に妄執を抱く人物が現れた場合、次に狙われるのはダレンの可能性だってあるんだ。
ダレンとリリーの幸せに釘を刺すようなことを言ってしまって、本当に申し訳ないと思う。
でも、誰かが指摘しなければならない。
それは家族のような近しい人より、自分のような立場の人間の方がまだマシだろう。
初めてダレンと出会った時、ハリーは一生涯の友を得たと思った。
立場や年齢に関係なく、友情を育み、共に肩を並べて歩んでいきたい、ダレンにはそう思わせてくれる何かがあったのだ。
しかし、彼との友情はもしかすると今日ここで終わってしまうかもしれない。
長年、培ってきた関係が壊れ、大切な友を一人失う。
そのことを強く意識して、ハリーの表情は曇った。
時間の経過が妙に長く感じられる。
そんな気まずい中、ダレンはゆっくりと口を開いた。
「ありがとう」
ハリーがそのことばの意味を咀嚼するのに時間を要したのは、至って仕方がないことだと思う。
ダレンは落ち着いていた。
無礼な友人を前にしているとは到底思えない程に穏やかだった。
「……なんで礼なんて言うんだよ」
「純粋に嬉しかったんだよ。ハリーは、私のことを心配してくれたんだろう?だから、敢えて嫌われ役を勝って出てくれた。その気持ちが、ありがたいと思ったんだ」
「じゃあ、考え直してくれるのか?」
「それはできない、彼女を愛しているんだ」
ダレンはキッパリと断言した。
穏やかな表情だったけれど、いつになく彼の意思は固い。
いつも他人の意見に耳を傾け、柔軟に対応するダレンらしくなかった。
これが恋に落ちた人間の盲目さというものなのだろうか。
「お前は奥さんを亡くしてからずっと傷付いていた。彼女がそこに付け入ったとは思わないのか?」
ダレンはハリーのその問いには答えなかった。
代わりに「今度、リリーを紹介するよ」とハリーに打診してきた。
「とても、とても素敵な女性なんだ。きっとハリーも気にいるよ」
そう言って微笑んだダレンの目を、ハリーはまともに見ることができなかった。
もし、ダレンが期待するように事が運ばなかった場合、つまり、ハリーがリリーを気に入らなかった場合だが、そうなった時、ハリーは間違いなく一番の親友を失うだろう。
こうして、ダレンと我が家でお酒を酌み交わすこともなくなる。
そのことに虚しさを感じながら、ハリーはもう一杯、お酒を注いで、口に流し込んだ。
今はただ酒を煽っていたかった。




