表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

個人的お気に入り

夜の病院の廊下には金槌おじいさんが歩き回っている

掲載日:2022/07/26

 入院生活はつまらない。


 ずっと本を読んでいると、外に出て思いっきり身体を動かしたくて仕方なくなる。

 でも私が手術したのは心臓だ。

 激しい運動や、心臓がドキドキするようなことは先生から禁じられている。


 友達はたまに見舞いに来てくれるけど、私はみんなの話を聞いて羨ましくなるだけ。


 でも退院したところで、みんなと同じように楽しいところへ行ってはしゃぐことは、もうできないだろう。


 心筋梗塞なんて、年取ってから、おじいちゃんがかかる病気だとおもってた。

 24歳の女性には無縁の言葉だと思っていた。

 私の心臓にはとんでもなく細いところがあるらしい。そこにカテーテルという人工の器具を入れられた。


 私は今、サイボーグになった気分だ。

 とっても弱いサイボーグだ。



 病室でのスマホでの通話は禁止されてるけど、写真は見られる。

 去年、みんなで海へ行った時の写真を見て楽しむ。

 永友くんの笑顔が眩しい。

 海ではしゃぐことはもうできないのだとして、

 彼にドキドキしてしまうのもいけないのだろうか。

 もう、私は恋に胸をときめかせることもできないのだろうか。



 食事の時間だけが待ち遠しい。

 看護師さんが持って来てくれる病院食が、ようやく()()()から普通の食事になった。

 味は薄いけど、色々あって楽しい。

 煮魚、サラダ、小芋の煮っころがし、デザートにプリン。

 ごはんにはかわいい野菜ふりかけもついてる。


 これからはこんなふうに、ごはんだけが楽しみの人生になるのだろうか。

 しかも血液がサラサラになるようなものしか食べられず、大好きな鶏の唐揚げは禁止されて。

 あとは仕事をして、お風呂に入って、寝るだけ。

 恋ができないのなら、お洒落に時間をかけたって意味がない。



 激しい運動は禁じられているけど、軽い運動はするように言われている。

 スリッパを履くと、白く涼しい廊下を散歩した。

 レースのカーテンを通って窓から初夏の陽射しが差し込んでくる。

 外は、暑いんだろうな。



 自動販売機コーナーのところに座って、梶谷さんが私を待っていた。

 梶谷さんは昨日知り合ったばかりのおばあちゃんだが、前に私が住んでいたところが梶谷さんの故郷だったらしく、その話ですっかり仲良くなった。


想絵蘭そえらちゃん……」

 梶谷さんの表情が、何かを怖がっているようだった。

「待ってたよ。聞いておくれ」


「どうしたの、梶谷さん」

 私は心配になって、少し小走りで近づいた。

「なんかあった?」


 梶谷さんは脳の病気で入院している。

 症状が悪化したのかと心配したが、どうやらそうではなかった。


「昨日ね、消灯後に、ここから月を見たくなってさ、病室を出て散歩してたんだよ」

 梶谷さんは泣きそうな顔で話した。

「……これ言ってもみんな、あたしの頭がおかしくなったとか思って笑うんだ。そえらちゃんは真面目に聞いてくれるよね?」


 私は無言でうなずき、話の続きを促した。


「見たんだよ……。おばけ」


「おばけ?」


「ああ……。廊下を歩いてたらさ、前からひょろっとした体つきのおじいさんが、ニコニコしながら歩いてきたんだよ。つぎはぎだらけの、古い着物を着ててさ。異様な人だなと思ったから挨拶しなかったんだ」


「昔の人みたいな感じだったってこと?」


「大昔のね。江戸時代ぐらいの人って感じだったよ。それがずっとニコニコ笑ってるんだ。で、なんかずるずる廊下を引きずるような音がするなと思ってね、よく見たら、そのおじいさんが引きずって歩いてたんだよ」


「何を?」


「大きな、大きな、金槌をさ。ずるずるって」


「金槌!?」


「それに気づいて、あたしが逃げ出そうとしたら、そのおじいさんが物凄い速さでやってきてね、その金槌を振り上げたんだ」


「ひっ!?」


「で、あたし、脳天をそれで叩かれちゃった」


「まじで!?」


「それで意識失ったんだけど、気づいたら朝で。あたし、自分のベッドですやすや寝てて」


「夢じゃん!」


「夢じゃないよ!」


「いや夢でしょ、それ」

 私は笑い出してしまった。

「あんまりドキドキするような話しないでよ〜、知ってるでしょ? 私の病気」


「あ、ごめん……」

 梶谷さんは気がついてペコペコ謝ってくれた。

「あんまり心臓がドキドキするようなことしちゃいけないんだったね」






 その夜、私は気がかりな夢を見て、目を覚ました。

 夢の内容は瞬時に忘れてしまったが、何かが気になっていた。

 時計を見ると深夜2時ちょうど。

 廊下をずるずると何かを引きずりながら、誰かが歩いているような音がする。

 金槌おじいさんだろうか。


 いつもの私なら間違いなく、布団に潜り込んで動かなかったところだろう。

 刺激に飢えていたのだろうか。

 私はスリッパを履くと、病室の扉を開けた。

 梶谷さんがそれで死んだのならともかく、前の日に見た時よりも元気そうだったのが、私にそんなことをさせたのかもしれない。


 ずるずるという音はどこからか聞こえているのに、誰の姿も見えなかった。

 左へ歩き出すと、音が遠くなった気がした。

 振り返り、右へ歩き出すと、少し音が大きくなる。こっちだ。


 病院の匂いが嫌いだ。

 わざと人を不気味がらせるかのような、冷たく青白い匂いがする。気分が滅入る。

 おじいさんを見れば、それがちょっとは面白くなるかもしれない。

 そう思っていたのが、間違いだった。


 角を曲がると、それがいた。


 青い縞の入った着流し姿の、長く埃っぽい黒髪が蜘蛛の巣のように絡まった、背の高い男だった。

 手に巨大ななたのようなものを持ち、それを床にひきずって歩き回っているのだった。


『おじいさん違うやん!』


 そう思ったが、声を出すことはできず、私は腰から後ろへ下がる。

 男の顔が、ぐりんとこっちへ向いた。

 目は鬼のように裂け、口も歌舞伎役者のように裂けていた。

 鉈を引きずりながら、だんだんと加速しながら、私のほうへ駆けてきた。

 自分の心臓を気遣う余裕なんてなかった。ばたつく足で方向転換すると、私は小さく悲鳴をひとつだけ上げ、慌てて逃げ出した。


 パタパタとスリッパの足音を大きく立てても誰も起きてはこなかった。

 まるで私と鉈男だけ、異空間にいるようだった。

「誰か! 誰か!」

 ようやく叫び声を出すことができたが、誰も助けにきてはくれない。

 私の心臓は激しく鼓動を打ち、胸に刺すような痛みが現れはじめた。

 やがて鉈男の足音と、ゴリゴリ鳴る鉈の音とが私のすぐ後ろまで迫った時、私の前から別のものが現れた。

 ニコニコと笑いながら、バカでかい金槌を床に引きずりながら、襤褸の着物を身に纏ったおじいさんが、私をめがけてまっすぐ走って来ていた。


 ああ死んだ……。

 私は思わされた。


 そうなると意外に冷静になるものだった。

 走馬灯もしっかり見れた。


 ま、どうせ生きてたってもう、楽しいことはないんだし……。

 でも死ぬのは結構嫌なものだった。

 せめてグチャグチャにして殺すとかはやめてほしい。

 楽に、眠るように、綺麗に殺してくれるのならいいけど、グチャグチャにされそうなことが嫌だった。


「とう!」と言うように、おじいさんが床を蹴り、飛んで来た。

 後ろからは鉈男が鉈を振り上げている気配がした。

 どっちにやられてもグチャグチャ確定だ。

 そう思っていると、おじいさんが私の横を通り過ぎた。


 ぱっこーん!


 振り返ると、おじいさんの金槌が、鉈男の顔面にクリーンヒットしていた。


 弾け飛ぶ鉈男。床にもんどりうって倒れるかと思われた。でも、倒れる直前に、その姿が消えた。まるで闇と同化するように。


 私はそれをドキドキしながら見ながら、震える足を必死で動かした。

 自分の病室じゃなくても、どこでもいいから逃げ込もうとした。


 くるりとおじいさんが私を振り返る。

 その顔にはニコニコの笑顔が貼りついている。

 再び走ってきた。


 ぱっこーん!


 おじいさんの巨大な金槌が、私の胸を直撃した。

 痛みを感じる間もなく、私はそれで意識を失った。





 翌日、梶谷さんは退院して行った。

 脳の腫瘍が嘘のように消えてなくなったというのだ。


 退院前に自動販売機コーナーで話をした。


「そえらちゃんも見たのかい?」


「うん。私もおじいさんに殴られた」


「やっぱりほんとうだっただろう?」


「ほんとうだった。夢とか言ってごめん」


「でも、そえらちゃんも叩かれたんだったら、心臓、治ってるかもしれないよ?」


「うん。梶谷さん、おじいさんに脳天叩かれて、脳の腫瘍が消えたんだもんね」


「そえらちゃんも消えてるよ、きっと」


「そうだったらいいな」



 消えていた。

 私のこの先の人生をつまらなく変えるはずだった心臓の細すぎる血管が、広がったと、後に先生は言った。


 こうなったら毎日でも海へ行こう。

 今まで言い出せなかった永友くんへの想いを告白しよう。

 第二の青春みたいなのを謳歌するんだ!

 でも唐揚げの食べ過ぎで血液がドロドロになっちゃわないようには気をつけて。





 あのおじいさんが何者だったのかはわからない。

 江戸時代の名医の幽霊とかなんだろうか。

 とにかくあの病院の廊下を夜中に何かをずるずると引きずりながら歩く音を耳にしたら、入院患者さんはおじいさんに会いに出てみることをお勧めする。

 別の幽霊じゃないか、しっかり確認することだけは忘れずに。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] いいものと悪いものが徘徊しているんですね。 顔の表情で見分けがつくけど、金槌で叩かれる勇気はなかなかもてないですね。 (*^^*)
[気になる点] あと、処置済みなのに健常まで広がると、逆に問題がでそうなので、処置待ちで入院してる状態のほうがリアリティあると思います。処置済みなのにやたら食事の制限をかけることもないと思うので、その…
[気になる点] 入れるのはカテーテルではなく、ステントでは?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ