ときめきは後回し 9、電話②
『はい、ファイブ不動産です』
声の感じはさっきと同じ女性のようだ。
「あの、岡村さんお願いします」
『岡村ですね。
お客様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?』
「先程電話した木下という者です。
担当者が岡村さんだと分かったのでかけ直しました」
『岡村は只今外出中です』
拓己がサッとメモを見せる。
「な、何時頃お戻り予定ですか?」
『少々お待ち下さい……』
保留音が流れる。
拓己はカンペのように色々ノートに書いていた。
『申し訳ございません。
岡村は本日お休みです。
明日岡村から連絡させて頂きます』
また振り出しに戻る……。
拓己が予め書いた台詞の1つをペンで指す。
「契約書が無くて困っています。
誰か、他に分かる方に替わってください」
『申し訳ございませんが、担当者でないと分かりかねます』
「じゃあ責任者に替わってください。
岡村さんの上司と話をさせてください」
『少々お待ち下さい……』
保留音が流れる。
私は拓己を見る。
「私の声、変な感じになってない?」
「大丈夫。冷静に話しているよ」拓己が微笑んでくれる。
『はい、どうも。
お宅のところに契約書が無いんですってね』
若くないだろう男性の声が出てきた。
喋り始めから、荒さを感じる。
「はい。私にも、娘のところにも届いてなくて」
『困るんだよね!
ちゃんと契約書は管理してもらわないと!
こっちは送ったんだから、そっちで探してもらわないと』
キツめの口調と音量だ。私が悪いの?!
「はい、え……?」
私は言い返せず、拓己を見る。
拓己はジッと私のスマホを見ている。
『こっちは忙しいからね。
奥さん、もっとちゃんと探してよ。
親の責任でしょ? じゃあもう切るからね』
き、切る……?
私が返答に困っていると、拓己が私のスマホを取り上げた。
「すみません。電話替わりました。
会話聞きました。ちょっとよろしいですか?」
■■■■■
彼の声はいつもより低めだ。
『は、はい。そちらはどなた様ですか?』
「契約者の身内です。
契約書を既に送っているなら、いつどういう形で送ったか教えてください」
『はぁ、いつ、ですか。
すみません、私が送った訳ではないので分からないです』
「では、送った人に確認させてください。
電話は保留のままで。
多少時間かかっても良いので調べてください」
『ちょっとお待ちくださいね……』
保留音に切り替わる。
拓己は舌打ちした。
「俺が出た途端、態度を変えやがって。クズだな」
「ごめんなさい」
「君は悪くない。
君やかすみに舐めた態度を取る向こうが悪い」
拓己の目は鋭くなっていたが、それは決して私に向けられているものではないと感じた。
『すみませんねー。
担当者が休みなんで分からないみたいなんですよー』
「どうしてですか?」
この切り返しに私は驚いた。
向こうの同じ反応をしているようだ。
『どうしてって、担当者が休みだからですよ。
仕事休みの日に連絡するのは勘弁してやってくださいよ』
「いや、契約書ですよ。
送っていたら、何かしら記録を残しているでしょう?
その記録も担当者しか分からないなんて有り得ないですよ。
それはお店として管理出来ていると言い難いです。
今回に限らず、普段契約書はどのように借主へ渡しているんですか?」
『いやまぁそりゃあ色々ですよ。
送っだり手渡ししたり。
お客様も近くだったり遠方だったりしますから。
すみません、ちょっとお客様の予約が入ってまして。
明日担当者から連絡させますんで』
「あなたが無理なら、別の方に替わってください。
送っているなら、発送履歴を調べられますよね?
別にあなた以外の人でも」
『あー、はいはい。ちょっとお待ち下さいねー』
向こうの態度は明らかにやる気を無くしている。
拓己が声を荒らげないからか、扱いが雑になっているような気がする。
『先月送ってるみたいですよ』
「どこに発送をお願いしたんですか?
こちらから連絡して確認してみます」
『多分、キラキレ宅配便ですかね』
「宅配便?! 契約書を宅配便で送ったんですか?!
信書ですよ?!」
拓己の声が急に強くなる。
向こうの様子も変わる。
『あ、いえ。そうですよね。郵便ですよ。郵便』
「郵便はいつ出したんですか? 書留ですか?
まさか、普通郵便じゃないですよね?」
『いやぁどうですかね? 担当者に聞いてみないと』
「いや、分かるでしょ?
さっき先月送ったって言いましたよね?
いつ送ったか分かったなら、郵送方法も分かるのでは?」
『ウチは発送状況を一覧にまとめてまして。
それを見てお伝えしたんですよ』
「その一覧のエビデンスは何で管理なさっているんですか?
通常なら、書留の控えや、切手の使用履歴ですよね?
そこは確認されましたか?
そこが担当者以外確認出来ないって、有りえますか?」
エビデンス?
私にはもう拓己が何を言ってるのか分からない。
『ちょっとすみません。
一旦切らせてもらっていいですか?
確認すぐに出来ない状況なんで』
「分かりました。
では、あなたのお名前と次いつ電話が可能か教えてください」
『ああ、すみません。次ボクはノーリターンなんですよ』
「では、代理で対応してくれる方のお名前を教えください」
拓己は引く様子を一切見せない。
『……いい加減にしろよ! 大体アンタ誰だよ?!
関係ない奴に客の情報言えるかよ!』
私は喉が詰まる心地がした。
そう言われたら、返しようがない。
「私は関係者です。
契約者木下かすみの父親ですから」
スマホに降り注ぐ声。
その落ち着いた声はまるで、かすみに向けて放っているようだった。
「我々もこの後、郵便局に問い合わせします。
それでも見つからない場合は貸主に契約書コピーをもらうお願いをします。
こちらから連絡しても良いですよね?」
『いや、勝手なことをしないでくださいよ。
オーナーにも迷惑かかるんで』
「では、見つからない場合は、そちらが持っている契約書コピーを頂けますか?
仕方ないのでコピーでも構いませんから。
まさか。
先月契約したばかりの契約書の控えは、御社に無いなんて、ある訳ないですよね?
それも難しいなら、やはり我々から貸主に相談します。
そちらにお手間は取らせません」
『いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。
こちらでもう一度確認しますから』
「いつまで待てばいいですか?」
『あ、そーっすねー……』
「夕方17:00までに必ず一度電話ください。
無ければこちらも動かざるをえません」
『分かりましたよ。電話するようにしますんで。
それじゃあ失礼しますよ……』
「待ってください!!」
大きな声に私はビクンと身体を動かす。
「失礼いたしました。
こちらの名前と電話番号を伝えておりませんでした。
メモを取ってください。
お忙しい御社にご迷惑おかけする訳にもいきませんので、あなたのお名前を教えてください。
良いですよね?」
拓己はこちらの連絡先を伝え、相手に復唱までさせた。
最後にようやく『島田』という名前を聞くことが出来た。わざわざ「山と鳥じゃない方ですね? 田んぼ田ですね」と漢字まで確認していた。
長い長い通話を終え、拓己はフーッと息を吐いた。
こちらに向けた表情はどこか誇らしげで少年のようで。
私は胸の奥がくすぐったくなった。