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8/12

ときめきは後回し 8、電話①

 翌日。

 ウトウトした私は危うく電車を乗り過ごすところだった。

 店の前には既に拓己が立っていた。


 柔らかい生地のネイビージャケット。

 インナーは濃いグレーのティーシャツ。

 濃紺のストレートデニムに白のスニーカーを履いていた。

 髪はセットしておらず、前髪が少し垂れている。


 仕事終わりのスーツ姿ではない、休日の服装だ。

 明るい時間に見る彼は新鮮で、私は少し照れる。


「ごめん。待った?」


「いや、今降りたところ」


 まるでデートの待ち合わせだなと思いながら、私は拓己と裏口から店に入る。


 カウンター側の照明だけをつけて、私と拓己は並んで座る。


「流石に出勤は和服じゃないんだ。

 いつもそんな感じなの?」

 拓己が言った。


「裏に休憩室兼更衣室があるからね。

 そこで着替えているのよ。

 仕事前後にお客様にバッタリ会うこともあるから、一応ちゃんとした格好をしてるつもりよ」


 私の今日の服装。

 ベージュのダブルジャケットに、白のシフォントップス。

 ベビーピンクの裾が揺れる膝下スカートとピンクベージュの3センチヒールを履いている。

 着物の時は髪をまとめるけど、今はおろしたままだ。

 隣に座られると、パーマと白髪染めで傷んだ毛先が目立っているような気がして落ち着かない。

 せめて束ねてくれば良かった。


「契約書はあった?」


 拓己の問いに私は首を横に振る。

 思い当たる場所を探したが見つからなかった。


「かすみから、不動産屋の電話番号と担当者の名刺画像をチャットで送ってもらったわ。

 弁護士事務所のホームページも。

 でも、弁護士への連絡は月曜日以降にしてだって」


「不動産屋と弁護士の情報、俺にも送ってくれる?

 これ、俺のチャットアカウント」


 これで拓己と連絡を取り合える、と私は思ってしまった。


「ファイブ不動産。五島建設のグループ子会社か。

 経営者、ライオンファミリーだったかも」


 拓己はスマホをタタタと親指で叩く。


「うん、そうだ。良くない繋がりがありそうだな。

 とりあえずまずは電話してみなよ。

 スピーカーオンにして」


 私はファイブ不動産の電話番号をタップした。


■■■■■


 スマホから流れる呼出音が、少し暗い店内に広がる。


『はい、ファイブ不動産です』


 ドクンッと心臓が上下に動く。


「あ、あの、もしもし!」ヤバ、声が上ずってる。


『はい、もしもし? ファイブ不動産です』


 電話の向こうは女性の声だ。30代位かな。

 こちらの返答を少し不思議がっている。

 落ち着け、私。


「あの、先月そちらでアパートの契約をした者なんですが、契約書がまだ届いてないみたいなんです」


『左様でございますか。どちらの物件でございますか?』


「メゾン・ラビット203号室です。

 契約者は木下かすみです」


『今、お電話口のお客様はご本人様ですか?』


「いいえ、契約者の母親です」


『契約書は契約者ご本人様宛にお送りしております。

 一度契約者様にご確認をお願い出来ますか?』


「もう、確認してます。

 娘のところにも届いていないんです。

 娘が先日そちらへ問い合わせたら、未成年だから保護者宛に送ったと言われたらしいです。

 どちらが正しいんですか?」


『あー、少々お待ちください』


 ファンタジー映画BGMがピアノ調で流れる。


『お待たせしております。

 担当者が外出中の為、こちらから折り返しご連絡させて頂きます』


「え……あ……」


 私は弾みで「分かりました」と言いかけた時、拓己が手書きのメモを見せた。


【いつ戻るか。聞く。】


「担当者さん、何時に戻る予定ですか?

 その頃またかけ直します」


『申し訳ごさいません。

 戻り予定時刻は分かりかねます』


【担当者の名前を聞け】


 え、なんで? かすみにもう聞いてるのに?


「あの、担当者さんはどなたですか?」


『もう少々お待ちください』


 再び保留音。今度は短い。


『申し訳ございません。

 すぐに分かりかねますので、担当者を確認した上で、その担当者から連絡いたします。

 恐れ入りますが、少々お待ち下さい』


 何にも分からないの? 私はイライラしてきた。


 拓己の次のメモは【分かったと言って終われ】だった。


「分かりました。よろしくお願いします」


『はい、ありがとうございます。失礼いたします』


 ツーツー音が部屋に響く。

 私はスピーカーをオフにした。


■■■■■


 私はため息をつく。やっぱり私じゃ駄目なんだ。

 契約書も取り寄せられないどころか、拓己に誘導してもらっても、何も分からないまま終わってしまった。


 きっと拓己は情けない母親だと思ってるんだろうな。

 昨日の卑屈な感情が蘇る。


 私は拓己の方を見る。

 彼はノートに書きながら、黙っている。

 キリッとした横顔も、今は怖く感じてきた。


「ごめんね、拓己。何も教えてもらえなかった……」


「いや、大成功だよ。

 向こうは真摯に対応していないということが分かった」


「え?」


 拓己は走り書きのページを見せる。


 私とファイブ不動産の会話を記録していたようだ。

 雑だけどとても落ち着いた雰囲気の、読みやすい字だ。


「電話に出た女性は、

『担当者の戻り時刻は分かりません』

 と言った後に、

『担当者は誰か分からない』

 と言った。


 おかしいだろ?

 担当者が誰か分からないのに、何で戻り予定時刻が分からないって言えるんだ?」


「あ……」私はようやく理解する。


「それからもう1つ。

 担当者から連絡させると言っておきながら、電話に出た人間は、あゆみの名前も電話番号も尋ねてこなかった。

 向こうの電話機は、番号が表示されるのかもしれないが、状況が分かってない中、相手の確認をしないのは杜撰だ」


「電話に出た人がミスしてるってこと?」


 私の問いに拓己は眉間に皺を寄せた。


「単なる事務の電話ミスとも考えられるが、連絡しない言い訳にする為かもしれない。

 電話に出た者が控え忘れたから、電話しなかったって言えるだろう?

 何度か保留にしてるってことは、近くの誰かに聞いて答えているんだ。

 電話の向こうの雑音の様子だと、事務所に一人しかいないって感じでもなさそうだった」


 凄い。そこまで読み取っていたなんて。

 私は拓己の顔とメモをまじまじと見つめる。


「もう一度電話しよう。担当者の名前、何だっけ?」


「えーっと、名刺の画像は……」

 私は再びかすみとのチャット画面を見る。


「明るくて感じの良い人だったのになぁ。

 若い女性で、私も緊張せずに案内してもらえたのに」


「騙そうとする人は、騙そうとする雰囲気を出さないよ」


 拓己は冷たく言った。

 私は少しムッとなったが、堪えた。


「一応ホームページに、スタッフ1名の顔と名前がある。

 女性だが、その担当者じゃない」


 拓己はベラベラボソボソ話し続けた。


「今度は『岡村さん、お願いします』から始めるんだ。

 向こうが理由とか質問してきたら『先程連絡した者です。担当者が誰か分かったので電話しました』と伝えるんだ。更に聞いてきたら、もう一度説明をする」


「ちょ、ちょっと待って!」


 私はノートに何を言うかメモを取る。

 私の字、拓己のに比べたら子供っぽいし汚いなぁ。

 拓己は私が書くのに合わせて、もう一度台詞を言ってくれた。


「スピーカーにして、様子見て俺が変わるから」


 私は再びファイブ不動産の電話番号をタップした。

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