ときめきは後回し 4、苦い過去
私はおかわり2杯分を作り、机に運ぶ。
「私の奢り。これ飲んだらお開きよ」
お盆を戻さず、私は拓己の向かいに座る。
「拓己は今どうしてるの?」
拓己はチョコレートの包紙を指先で遊んでいる。
「バツイチ9年目。子無し。
春から営業部長として支社配属」
「結婚してたんだ」と思わず目を見開く。
私達が別れたのは、私を配偶者にさせない為だったのに。
「28歳になる時にお見合いで。
嫁候補を連れてこない俺を、親がおかしいと判断して、勝手に見合い相手を探してきたんだ。
俺はかすみの存在を両親に知らせていない。
曖昧な態度を取れば、親か見合い相手側が、俺のことを調べるかもしれない。
だから茶番に付き合うことにしたんだ。
それに、とりあえず結婚しておくのも悪くないと考えた」
「でも、少なくとも妻になる人には隠しきれないでしょう?
その女性にもかすみのことは秘密にしたの?」
拓己は遊んでいた包み紙からチョコレートを取り出し口に入れる。
苦笑いしながら、彼は話を続けた。
■■■■■
何人か両家の親同伴で会ったよ。
その中で、俺と同じく親の為に渋々現れた女がいた。
IT系企業勤務で俺よりも2つ年上だった。
俺より年上の時点で、親は断るはずだ。
でも、申し込んできた先方の親が、俺の父親の先輩だったから受け入れたらしい。
向こうからのワガママで断られるシナリオにすべく、俺の両親は非常に愛想良く振る舞いつつ、俺をけなした。
「拓己君、それじゃあ駄目だよぉ。出世、出来ないぞ」
俺達は、向こうの父親が気持ち良く説教する場を提供した。
最後に俺と彼女を残して、両家親は退出した。
シナリオ通り、俺は店の近くにある喫茶店でお茶をすることを提案した。
でも、彼女はもっと離れた店に入ろうと言ってきた。
「あの店はウチの親が張ってる。話が筒抜けになるわ」
営業時間になったばかりの暗いバーに俺達は入った。
彼女はテキーラを頼んだ。
「この子、お酒は強くないから三口だけ頂きますわね」
と、食事の場で彼女の母親は言っていたのに。
「あんたも好きなもの頼んだら?」
俺は酒を飲む気分じゃなかったから炭酸水を頼んだ。
「言っとくけど、私は結婚に興味ないの。
親がうるさいから付き合ってあげたの。
持ってきた写真の中で一番良い男だったしね」
桜色のワンピースの裾を気にせず、ガバっと脚を組んで、肘をついて飲む。
これが彼女の本当の姿だったのだ。
「俺も結婚も子どもも興味無いよ。
親に付き合ってるだけ。
そちらがお断りしてくれたら、お互い平和に終わる」
俺を見る彼女の目が変わった。
「あら? 過保護のお坊ちゃんかと思ってたけど。
案外気が合いそうね?」
話していく内に、俺達には共通点が多いことが見えてきた。
俺達は自分の身内の家父長制の強さに辟易していた。
「あんたと結婚したら、親からもうるさく言われなくなるし、家庭内別居で快適に暮らせそうだわ」
「俺も入籍はしときたいんだよね」
「じゃあ、入籍だけしとく?
夫婦公認浮気もアリにしようよ。
あ、私は今完全フリーだけど」
「俺も今はフリー。でも子どもが一人いる」
「え?! マジ?」
「その子に会いたい気持ちは全く無いけど、一応養育費は払ってる。
母親側のご厚意で、相場より低くしてもらえてる。
新しい戸籍を作ったら、その子のことは俺の戸籍から表示されなくなる。
親に隠す為にも入籍はしたいんだよ」
俺は彼女の様子を伺う。
一呼吸置いて「内密に」というつもりだった。
「へー! いいじゃん! 入籍しようよ!
私さ、子どもは欲しいのよ。
だから、子どもを作ったあんたなら安心だわ!」
「へ?」
「てか、親に言えば良いのに。
卒倒させて懲らしめちゃえば?」
「馬鹿なことを言うなよ。
遺産相続権がある娘がいるなんて分かったら、引きずり出されて、こき使われるだけだ。
娘は母親の家族達と一緒に暮らしている。
それは絶対、邪魔させちゃいけない」
「まぁ、そうよね。
でも良いんじゃない? 入籍。
子どもが出来たら離婚しようよ。
その時の養育費は、相場通りもらうけど」
俺も悪くないなと思ってしまった。
■■■■■
拓己はグビグビっと水割りを飲み干した。
すかさず私は席を離れ、水を出す。
「ありがとう」
「で、その女性と結婚したわけね。
名前何ていうの? 嫌なら仮名で良いわよ」
「何で仮名を知りたいんだよ」
「だって、続きが気になるけど『彼女』じゃ分かりにくいもん」
拓己は「じゃあユカで」と笑いながら言った。
「では、そのユカさんと結婚してどうなったの?
拓己は今離婚して、子どももいないんでしょう?」
彼は再び苦笑いしてから話し始めた。
■■■■■
ユカとの縁談はトントンと進んだ。
親が納得する形で、という共通認識があったから、結納も結婚式も披露宴もスムーズに済んだ。
全然楽しくなかったけどな。
新居に越して、本籍地も互いの親と違う県にした。
お互い、これで解放された気分になったよ。
柵から抜け出した同志という気持ちだったけど、それなりに情が芽生えて、夫婦としての生活も始められることが出来た。
案外、子どももすぐに出来て、離婚せず家族になるのかも、と俺は考えた。
でも、子どもはなかなか授かれなかった。
両家親は「早く孫が見たい」と結納の時から言っていた。
俺達も「そのつもりです」と返していた。
それが、不味かった。
結婚後、正月・盆に会う度に「子どもはまだか」と言われる。
濁してはいたけど、2年経っても授からないので、いよいよ親達が厳しく追及してきた。
「どちらが悪いのか?!」てね。
俺の親はユカを、ユカの親は俺を、しつこく責めてきた。
ユカも子どもを望んでいたから、一緒に産婦人科に行って相談してみたんだ。
すると、ユカの身体は妊娠が難しいことが分かり、不妊治療も視野に入れることを言われた。
ユカは仕事をセーブして、不妊治療したいと言った。
俺も了承した。
両家には言わずに内密で進めていた。
あいつらは会う度に「不妊治療なんて、みっともないことしないでね」と平気でほざいていたからな。
けれど最悪なことが起こった。
俺の親は勝手に俺達の家の鍵を複製していて、中に入って不妊治療している資料を見つけやがったんだ。
自分達の行いを棚上げして、あいつらは激怒した。
そしてユカの両親を強引に呼び出した。
酷い場面だった。
俺が制止しても、あいつらはユカを罵倒し続けた。
ユカの年齢、学歴、仕事、容姿、これまでの発言態度。
何の根拠もない、偏見に満ちた言葉を彼女に浴びせた。
あれだけ強気な彼女が、とても小さく黙っていた。
不妊の原因が自分である事実を、彼女は重く受け止めていたのだ。
隣で聞いていたユカの両親に、俺は謝ろうとした。
でも……。
俺の両親の罵倒の後、ユカの両親は泣きながらその場で土下座して謝ったんだ。
「不出来の娘を嫁に渡してしまい、大変申し訳ございません」と。
そしてユカの親は、ユカを無理矢理床に伏せさせて俺達に土下座させた。
ユカは震える声で「申し訳ごさいません……」と言った。
俺も、ユカも、心が粉々に壊れた。
特にユカが深刻だった。
その後は一転して、両家から「離婚しろ」と催促が来た。
俺はもう親の声も何も聞くつもりはなかった。
ユカが立ち直ることに全力を尽くした。
ユカは精神的不安定になり、クリニックとカウンセリングを受け始めた。
幸いユカは、療養休暇が取れた。
俺も会社に相談して、有給を使って彼女の看護をした。
俺達は話し合った。
俺達がこのまま不妊治療を続けて子どもを授かっても、醜い思考の親達の毒に苦しめられる日々が続く。
だから子どもを作るのは止めようと。
ユカは、子どもが欲しいという気持ちが変わらなかった。
諦めるのは、不妊治療を続けた後にしたい、と。
そこで俺は、彼女に次の相手が見つかったら離婚しようと提案した。
彼女の不妊治療に協力してくれて、子どもが出来なくても、共に夫婦として歩んでくれる人を。
それまでは、夫婦として俺がユカの面倒を見る約束をした。
その後は、ユカの凄さだったと思う。
徐々に仕事に復帰し、彼女は以前よりも増して活動的になった。
元々アクティブで休日も社会人サークルで、出かけるタイプだったからな。
ユカに新しい恋人が出来るのも早かった。
俺の方も仕事に専念することが出来て助かった。
数日彼女が帰ってこない日は、気楽に過ごすことが出来た。
ユカは俺に恋人を紹介してくれた。
俺とユカはその男に事情を全て話した。
彼は了承してくれた。
離婚後、二人は入籍。
その3年後、遂に男の子が産まれた。
連絡を受けた時、俺は号泣してしまったよ。