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ときめきは後回し 1、不惑女の悩み

長岡更紗様主催の『第三回ワケアリ不惑女の新恋企画』参加作品です。

完結済連載小説『防犯シャツが強過ぎて誰も近付かなくなったけど、何故か長身イケメンが私に頻繁に接触を図るようになりました。』の番外編ですが、本作単体で読めるようにしております。

全12話です。

「ママが家を出て行っちゃったの」


 私は小皿2枚にポテトサラダを盛り付けながら、カウンター向こうの馴染み客に言った。


 リュウさんとケンさんの時が一瞬止まった。

 だがすぐに、ゲホンと咳込んだ。

 リュウさんはグラスをコースターに置き、ケンさんはグイっと飲み干した。


「何かあったの? 聞いちゃっていいこと?」

 ケンさんは声を潜める。

 「最近ママ、見ないね」と尋ねた返しがこれだからだ。


「大丈夫、大丈夫。ごめんね。

 いきなり一人旅に出ちゃったの。行き先も告げずによ。

 やっと昨日メールと画像が届いたわ。

 ママは今、熱海で温泉三昧みたいよ」


 仕上げにもみのりを乗せて、私は二人の前にポテトサラダをコトンと置いた。


 リュウさんとケンさんの表情が和らぐ。


「そういうことか、びっくりした。

 あゆ子ママは働き者だったから、たまには良いかもね」


「でも、リュウさん。

 女将は心配してるんじゃないかい?」

 ケンさんは私の方を見る。


「びっくりしたけど、羨ましいと思ったわ。

 まだ新しいことを始めるエネルギーがあるんだもの」


 私はさり気なくケンさんにドリンクお代わりを尋ねる。

 ケンさんは呼吸のように「同じやつ」と返した。


「かすみが進学で一人暮らしを始めたのが大きいみたい。

 私が引っ越し手伝いから帰ってきたら、ママが『私も家を出る経験をしてみたい』て言い出して。

 次の日には『旅に出ます』ってメモを置いて、いなくなってたわ」


 私は笑いながら言った。

 その様子を見て二人は安心したようだ。


■■■■■


 ここは小料理屋木下。

 経営者である私、木下あゆみは、ここでは女将と呼ばれている。

 着物姿で接客をするようになったら、自然と客がそう呼ぶようになったのだ。


 この店は、単身向け賃貸マンションの1階にある。

 地方支社勤めのサラリーマンのホームタウンで店を始めて8年になる。


 かつてはここで、父は食堂を営んでいた。

 引退する時、父は土地も建物を売った。

 やがて立派でカッコいいマンションが出来た。

 マンションのオーナーが父の親友だったから、ご厚意で私は格安で借りられている。


「女将、お会計」

 一番奥のカウンター席にいた若いスーツ姿の男性が立ち上がる。


「はい、1,000円ね」


 若い男性はスマホを差し出す。

 私は専用機器を前に出す。チャランと音が鳴る。


「ごちそうさまでした」

 男性はお辞儀をして店を出た。


 様子を見ていたリュウさんケンさんは、顔をしかめる。


「1杯くらい引っ掛けりゃ良いのに。

 ここは定食屋じゃねぇぞ」


「今時の若い子は、お酒とお喋り以外に沢山楽しむことがあるの」

 私は客側廊下に出て、食器を下げ、カウンターを拭く。


「動画とかスマホゲームとかだろ?

 ウチの孫もずっとそればっかしてるよ」


 二人はぶちぶち文句を言い始めた。

 カウンター後ろのテーブル席には、子連れ家族がいる。

 狭い店内に二人の愚痴が目立ちそうだ。


「孫といえばリュウさん!

 ムエタイパンツとTシャツありがとうね!

 ケンさんも革靴ありがとう。


 ちゃんとかすみの新居に置いてきたし、干してる写真もあるわよ!」


 私はスマホ画面を見せる。

 ベランダと玄関に、厳ついムエタイパンツと革靴だけが置かれている。

 わざとらしさ満載だが、二人は嬉しそうだ。


「かすみちゃんも大学生かぁ。早いもんだな。

 カウンター隅っこでご飯食べながら勉強してたな。

 高校生になったら、女将の手伝いしてさ。

 立派だよ、本当に」


「女将もこの店やりながら、女手1つでよく頑張ったよ。

 女将こそ、昔は食堂のテーブルで宿題やって飯食ってたお嬢ちゃんだったのに。

 気付いたら、着物の似合う色っぽい美女になっちまった」


「フフン、ありがと」私は大げさに前髪を流す。


「でも、女手は1つじゃなかったわ。

 子育ては女親族総出でやったもの」


「そういや、女将って今いくつなの?」

 リュウさんが空のグラスを差し出しながら尋ねた。


「聞きたい? 40歳よ」


「不惑かぁ!」ケンさんが言った。


「フワク?」私は聞き返す。


「惑わない。悩みがないって意味だよ。

 40歳になると、迷いが無くなるんだってな」


「20歳はなんとかとか、論語だっけ?」


「そうそう、40にして惑わずとかな。

 他は何だっけ?」


 リュウさんとケンさんは、あーだこーだ話し始めた。


「けど、女将は昔から迷わずやってるって感じだよな!」


 私はフフフと笑った。


 確かにあまり悩まずに生きてきたかも。

 理由は不安になっても、家族・親族が色々な形で背中を支えてくれたからだろうなと思っている。

 リュウさんケンさんも、マンションオーナーも、裏で調理してるおぐさんも、父の縁者だ。

 皆には本当に感謝している。


「贅沢な悩みだけど」

 私の声に二人は顔を向ける。

「悩みでも良いから、新しい経験してみたいと思ってるわ。

 かすみやママを見てると……」


 二人の表情が微妙だったので、私は笑ってごまかした。


■■■■■


「女将、チヂミあがったよ。

 こっちのタレは辛くないやつにしてるから」


 仕切りの向こうにいる厨房担当のおぐさんこと小倉さんが料理台にトンと皿を置いた。


 湯気の立つチヂミは、小さく切り分けられている。

 テーブルの家族客の子どもは小学生以下2名。

 おぐさんの気配りは凄いなぁと思う。


「チヂミ、おまたせしました。

 タレのこっちは辛くないものにしてますので」


 男の子が早速箸を伸ばしている。

 母親が礼を述べてくれた。


 カラカラカラ


「いらっしゃいませ〜」


 引き戸の開く音に、反射的に私は言う。

 テーブルの空いた皿を盆に載せながら、チラリと客を見る。


 店に入る様子で、新規かリピーターか馴染み客か大体分かる。

 今回は新規客だ。


「何名様ですか?」盆を持ったまま私は尋ねる。


「一人です」


「奥のカウンター席どうぞ」


 取り急ぎ、お盆をカウンター裏の台に置き、私はおしぼりとお冷やの用意をする。


 新規客の男はマスクをつけていた。

 セットした髪型やスーツの着方が、肩書きありそうな雰囲気を出している。

 支社に管理職として転勤ってところかしら。


「お飲み物、何にします?」

 私はおしぼりとお冷をカウンター越しに置きながら尋ねる。

 男はメニュー表に視線を向けたまま

「もう少し考えます」と返した。


「またお声掛けくださいね」


 歳は40代だろう。

 こういう店に慣れていない訳もないだろうに、妙にソワソワと緊張している様子だ。

 下手に構わない方が良いだろうと、私はスッと離れ、伝票の確認等をした。


「女将さん、お会計」

 テーブル席の家族客の父親が手を挙げる。


「はーい」私は速やかにテーブル席へ向かう。


 背後でガタッと音がした。

 マスク客がトイレに入っていった。


 トイレが近くて落ち着かなかったのかしら?

 戻ってきたらそっと注文を聞いてみよう。


 クレジットカード決済を済ませ、父親にレシートを渡す。


「ごちそうさまでした〜」


「ありがとうございます。またお越しください」


 家族客が出てすぐ、ケンさんが小声で私を呼んだ。


「何、どうしたの?」


「いや前置きした方が良いと思って……」


「は?」


「俺達の勘違いかもしれないけど。

 男がトイレに行く前に、水を飲んだんだ。

 その時マスクを外したんだが、その顔が……」


 リュウさんが口をモゴモゴさせる。

 トイレをチラチラ見ている。


「かすみちゃんにそっくりだったんだ」


「えっ?」


 私はリュウさん達が何を言っているのか。

 すぐ理解できなかった。

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