黒狼:全てを失った男の復讐
・ 不幸な男
「おーい、準備終わったかー?」
爽やかな春の陽気と心地良い風を感じられる中、一人の男性が玄関ドアの開いている一軒家に向かって声を掛けた。
「待って、今行くよ!」
家の中から聞こえる声は女性の声。声音から若さが窺え、歳を推測するのであればまだ十代前半の若者らしい声と言えるだろうか。
男性は腕に装着していた腕時計に目を向ける。現在の時刻は昼をちょうど回った頃だ。
「まったく……」
女性の準備が遅れているせいか、男性はため息を零しながら背後にあった魔導車に寄りかかりながら空を見上げた。
ぼーっと見上げる男性の目に映るのは快晴の空。今日は雲も無く、出かけるにはもってこいの日と言えるだろう。
「ごめん! お兄ちゃん!」
「遅いぞ、リナ」
謝りながら家から飛び出して来たのは若くて可愛らしい女性。女性の口から「お兄ちゃん」という単語が出たように、この男女は兄妹である。
「上着選びに手間取って」
妹のリナは遅れた事に悪びれもせず「えへへ」と笑う。彼女は兄が服選び程度で怒らない事を知っているのだろう。
しかし、遅れた甲斐もあったというものか。彼女の身に着ける服のセンスは大変よろしい。
彼等が住むガーランド国で流行している最新ファッションのトレンドを入れつつ、かといってファッション誌に掲載されている例をコピーしているわけでもない。非常に優れた塩梅の服選びをしていた。
「今日は墓参りに行くだけだぞ? そんなにオシャレしなくてもいいんじゃないか?」
「何言ってるのよ。外に出れば人の目があるでしょ!」
人の視線に敏感、時代の流行に敏感なのは彼女が思春期真っただ中な年頃のせいだろう。家から数キロ離れた墓地にある両親の墓へ向かうだけであっても、この年頃の女性は常に戦闘態勢だ。
逆に言えば男性の方が気にしなさすぎ。現に妹は白いシャツに茶の作業ズボンといったラフな格好の兄に向かって「本当にそれで行くの?」と目を細めた。
「さっさと行こう。花屋に寄らなきゃいけないしな」
しかし、兄はそんな妹の視線を躱すようにいそいそと魔導車へ乗り込んだ。
「うん」
妹も助手席に座り、兄はズボンのポケットから魔導車のキーを取り出して差し込んだ。キーを回し、エンジンをスタートさせると閑静な住宅街から首都の中央区に向かって走り出す。
道行く途中に見える景色は何とも平和なものだ。整えられた街並み、近くの公園に向かう親子、手紙の配達をする少年。
彼等が暮らすガーランド国は『平和な国』である。世界にいくつもの国が存在するが、この国は特別平和な国だ。
他国では国民の権利を主張する抗議活動が行われていたり、領土争い等で戦争をおっぱじめている国もあるが、ガーランド国はそういったものとは無縁の国であった。
政治も安定しているし、国の主要産業もしっかりしているので貧困に喘ぐ国民もいない。新聞には国内で起きた殺人事件や交通事故、政治家の小さな不祥事などが掲載される事もあるが世界中にある国と比べれば些細な事。
彼等の家があるレクトラ州も大規模な農産業と食料加工業を基本とした産業が栄えており、都市の中心地には商業店や観光向けの施設などが多く存在している。
レクトラ州の首都であるレクトラシティを一言で表すならば「田舎と大都会の中間」といったところか。大きな事件も起きないし、自家用の魔導車や公共交通機関を使用すれば郊外に住んでいても不便さは感じない。
両親を失った兄妹が暮らすにはぴったりな土地と言えるだろう。特に兄である男性が家を空けがちで妹が一人暮らし状態になる事が多い家族にとっては特に。
「お兄ちゃん、今度はいつまでいられるの?」
「そうだな……。招集が掛からなければ一ヵ月は家にいられるよ」
男性は職業柄、家を長く空ける。その間は学園に通う妹だけが家に残されてしまっていた。まだ未成年の妹が家に一人というのは心配だが、兄も妹の為に金を稼がなければならない。
両親を事故で失った二人にとってはしょうがない事だが、幸いにして近所に住む人達は祖父祖母時代から付き合いのある人達ばかり。リナちゃんの事はちゃんと見ておいてあげる、と言ってくれるような優しい人達に囲まれていた。
「それより、マギーおばさんに聞いたぞ? お前、この前――」
「ちょっと! 違うよ!」
平和な国に住み、優しい人達に囲まれて。休みが取れた兄が帰宅すれば、近所から仕入れた情報を元に多少の小言と言い合いが発生するものの、それでもこの兄妹は仲良く平和な時を過ごしていた。
都市の中央区に向かう車内には笑い声が溢れ、なんとも理想的で平和な時間。中央区にある花屋に到着すると男性は魔導車を路肩に止め、二人は揃って花屋へ向かう。
両親の墓に添えるために予約しておいた花を購入し、二人は再び魔導車へと戻った。
あとは墓地に行って、両親の墓参りをしてから家に戻るだけ。家に戻る前にどこかのレストランで昼食を摂っても良いだろう。なんたって今日は休みの一日目だ。
「それでね、カーラがね」
「うん」
普段から家を空けているお詫びに、妹には美味い物を御馳走して機嫌を取るのもいい。どうしようかな、と妹の話を半分聞きながら頭の片隅で思いながら男性は魔導車のキーを差し込んで捻った。
――人生最悪の瞬間を迎えるとも知らず。
「お兄ちゃん、聞いて――」
男性がキーを捻った瞬間、耳に届いていた妹の声が爆発音によって遮られた。爆発音が鳴ったのは男性の真横、妹が座っていた助手席の真下だった。
しかし、魔導車が爆発という大惨事の当事者である男性にとっては「爆発した」という事実すらも把握できなかっただろう。
魔導車が爆発した事で男性の体は運転席のドアと共に外へ吹き飛んだ。数メートルほど吹き飛び、彼の体は何度も地面をバウンドしながらようやく止まる。
爆発物となった魔導車は轟音を鳴らしながら炎に包まれ、周囲にいた一般人達からは悲鳴が上がた。外に吹き飛んだ男性も無事では済まず、左腕と両足が曲がってはいけない方向に曲がっていて、頭からは大量の血が流れていた。
「リ……ナ……」
何が起こったかすらも理解できない男性は朦朧とする中、黒焦げになりながら燃える魔導車に腕を伸ばした。
自身の体がどうなっているかよりも妹の安否が気になるのだろう。
「リ……」
だが、彼自身の体は限界を迎える。人類に備わる生命維持の本能故か、彼の意識はそこで途切れてしまった。
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・全てを失った男
被害にあった男性が次に目にしたのは白い天井だった。
白い塗料で綺麗に染め上げたシミひとつ無い真っ白な天井。ぼんやりとする思考が続く中、最初に思った事は「眩しい」だろう。綺麗な白い天井と天井に取り付けられたランプの光が男性の目を刺激する。
その刺激が彼の思考を覚醒させるに一役買ったのか、男性の思考は徐々にクリアになっていった。
「ここは……」
小さく言葉を口にしながら周囲を見渡す。彼がいる場所は個室のようだが窓がない。代わりに彼が横になっているベッドの周囲にはカーテンレールが設置されていて、自身の胸からは何本もの管がベッド脇に置かれた謎の箱に繋がっていた。
ピッピッと甲高い音を鳴らす謎の箱は魔導具の一種だろうと男性は察する。近年では魔導具技術が発達して医療にも取り入られるようになってきたからだ。
つまり、ここは病院の個室。そう結論付けた男性は小さく息を吐いて頭を枕に沈めた。
―― 一体何が。
男性が記憶を探るように目を瞑ると、同時に病室のドアが開く。入って来たのは薬品の入った瓶を持った女性の看護師だった。彼が頭を再び上げて、入室してきた看護師と目が合うと看護師は驚いたような表情をして身を固めた。
一瞬だけ静寂が場を支配する事となったが、看護師の女性はすぐに職務を思い出したのだろう。
「起きたのね」
患者を安心させるような優しい微笑み。髪を耳に掛けた看護師は近くにあった医療台に瓶を置きながら男性に近付くと彼の額に手を乗せた。
熱が無いか確認しているのか、ひんやりと冷たい女性の体温が男性に「生きている」という実感を与える。彼女は男性の左目部分を覆う包帯を少しだけ直すと「すぐに先生を呼びますね」と言って再び病室を出て行った。
それから数分もしないうちに初老の男性が先ほどの看護師と共に登場。初老の男性は白衣を着ていることから、彼が医師であり「先生」なのだろう。
医師は男の右目瞼を開いて瞳孔を確認したり、胸に生えた管の状態などを確認していく。全ての確認事項を終えたのか、初老の医師は「何とかなったか」と小さく零した。
「君、社長に連絡を」
「はい」
医師は看護師にそう告げてから再び男性に顔を戻す。
「喉は渇いているかな?」
医師は決め打ちするようにそう問うた。そう問われると男性は確かに喉の渇きを感じる。男性が頷くと「すぐに用意しよう」と要望に応えてくれた。
「ここは……?」
ただ、男性が質問をすると医師は首を振る。
「私からは何も言えない。ただ、もうすぐ事情を知る方が来るだろう。その方に聞きなさい」
本当に何も語れないのか、医師は首を振ったきり何も答えなかった。水を持って来させようと言ってすぐに病室から出て行ってしまう。
医師が出て行ってから5分も経たず、たっぷりと水の入った水差しと空のコップが届けられる。
ベッドに横たわる男性は体を起こして水を飲もうと試みるが、体が言う事を聞かない。男性はそこで初めて自分の腕すらも満足に持ち上げることができないのだと気付いた。
男性がと水差しを持ってきてくれた看護師に対して「俺の体はどうなっているんだ?」と問うものの、看護師は男性の質問を無視……というよりも、水の入ったコップを口元に近付けることで受け流した。
喉の渇きを癒したところでもう一度同じ質問をするが、やはり看護師は無言のまま。そのまま病室を出て行ってしまい、再び一人になってしまった。
それから何分、もしくは何時間経っただろうか。窓が無く外の景色が見えず、病室の中に時計も無い故に時間の感覚がよく分からない。白い天井を見つめていると、病室のドアが開いた。
病室に入って来たのは黒いスーツとグレーのネクタイを身に着け、黒い髪が特徴的な若い男性。
黒髪の男性は先ほどの初老医師と共にやって来て、ベッドにいる男性を一目見ると医師に向かって「続きを処置できそうか?」と問う。それに対し初老医師は「大丈夫でしょう」と返した。
一体何の話だ、と男性が口にしようとした矢先、黒髪の男性はベッドに歩み寄る。
「こんにちは。初めまして。私はレッドマテリアル社の社長、ランディ・アルマークだ」
「レッドマテリアル……?」
どこかで聞いた名だ、と男性は思ったのかランディが告げた社名を繰り返した。男性の声を聞いたランディは小さく微笑み、再び口を開く。
「君は色々と疑問を感じているのだろう? ここはどこなのか。何故ベッドで寝ているのか。理由は思い出せるかね?」
そう言われ、男性は頭の中にある過去の記憶を探った。探って最初に思い出したのは燃え盛る炎と黒焦げになった何か。そして、愛する最後の家族である妹の笑顔がフラッシュバックした。
「あ、ああ――」
自身か、それとも意図的にか、封をされていた記憶が蘇っていく。
魔導車が爆発し、自分は外に吹き飛ばされ、同乗していた妹はどうなってしまったのか。とても重要な事だったのにどうして今まで思い出せなかったのか。
男性の脳がそれを認知した瞬間、男性の感情は焦りが支配する。
「妹! 俺の妹はッ! リナはどこだァァァッ!!!」
焦りが怒りに変わり、男性は叫びながら身を起こそうとした。しかし、彼の体はピクリとも動かない。それでも無理矢理起きようとする意志に反応してか、僅かに動かせる首と上半身がベッドの上で跳ねた。
「リナッ! リナァァッ!!」
大切な妹。たった一人の家族。彼女の安否を確認したい。彼女を失いたくない。
すぐ近くにいるランディを睨みつけながら、依然として体を起こそうとするが――
「いけません! 刺激してはダメですよ! こうなる事を予想していたから記憶を封印したんです!」
注射器を持った医師が男性の体を片手で押さえつけ、暴れる男性の胸に容赦なく注射器を刺して中身を注入した。
注射器の中身が男性の体内に侵入していくと同時に男性を支配していた感情が落ち着いていく。恐らく注入されたのは鎮静剤か何かなのだろう。
「すまないね。何分、初めてなもので。だが、彼は全てを知るべきだ」
初老医師に注意されたランディは悪びれもせずに肩を竦めると再び男性に顔を向ける。
「落ち着いたかね? 順を追って事情を説明するから、もう暴れないでくれよ?」
ランディはそう言って、未だ荒い息と唸り声を出す男性に事情説明を始める。
「まず最初に。ここはガーランド国内にあるレッドマテリアル社所有の医療施設だ。君は今から二週間前に起きた事件の被害者。君が所有する魔導車が爆発を起こし、被害者である君は瀕死の状態に陥った」
告げられて、男性の脳内にあった爆発時の記憶とその前後の記憶が鮮明に蘇っていく。
「君は外に吹き飛ばされたが、それは不幸中の幸いだったと言うべきか。一時はレクトラシティの病院に運び込まれたが――」
「妹は!?」
順を追って話すランディを無視し、男性は一番気になる事を早く教えろと言わんばかりに。だが、その問いの答えは彼にとってどんな事よりも辛い答えとなった。
「……亡くなったよ」
ランディも男性の気持ちが分かるのか、重々しく首を振りながら事実を告げる。答えを知った男性は絶望するかのように「嘘だと言ってくれ」と何度も繰り返すが、ランディは瞼を閉じたまま首を振り続けた。
しばし、その問答が続く。だが、ランディも根気よく付き合った。ようやく男性が現実の一部を受け入れ始めると、ランディは医師に退室するよう告げた。
二人きりになった病室でランディはベッドの脇にあった椅子に腰を下ろす。
「話の続きをしよう。君の魔導車が爆発したのは事実だ。しかし、それは単なる魔導車の不具合や事故なんかじゃない」
「え……?」
「君は殺されかけたのだよ。理由は君の職業と従事した作戦に関係している」
男性の職業は軍人だ。所属はガーランド国陸軍特殊作戦部隊。ガーランド国軍の中でもエリート部隊と呼ばれる凄腕集団の一人。
ガーランド国は平和な国と先に説明したが、それは彼のような軍人達が平和な国の裏側で国防に尽くし、国が大きな被害を受けぬよう尽力してきたからだ。
所謂、正義の味方。国民を守る正義の盾と言うべき存在だ。
しかし、そんな正義の組織に所属していた男性が何故殺されそうになったのか。
「君は一ヵ月前、ガーランド国北部に潜伏するテロ組織を拘束するべく、対テロ対策作戦に参加していただろう? その時、君はテロ組織の代わりに何を見つけた?」
男性が直近で参加していた作戦の概要は、ガーランド国でテロを行おうとする組織の構成員を拘束する事であった。テロ組織の構成員は北部にある廃鉱山の中に潜んでいるという情報だったが、テロ組織構成員の姿は無く作戦は『誤報』という結果に終わった。
だが、男性を含むガーランド国陸軍特殊部隊のメンバーは廃鉱山の奥で別の物を見つけたのだ。
恐らく、問いかけたランディは既に答えを知っているのだろう。男性は当時の記憶を掘り起こしながら答えを述べる。
「マナストーン……」
「そう。それを見つけたのが原因だ」
マナストーンとは世界に満ちる魔法の素が自然的に圧縮されて塊になった物だ。どうやって圧縮されるかは未だ不明であるが、空気と共に漂うマナが自然圧縮されて宝石のような綺麗な塊になった物を指す。
現在の技術体系ではマナ自体を100%抽出・加工する事は不可能だ。
空気中に漂うマナを空気と共に封じ、特殊な素材と混ぜ合わせてエーテルという液状物質に変換。それをエネルギーとして人の生活には欠かせなくなった魔導具を動かしている。
マナとは世界に満ちている物故にどこにでもある存在だが、これをエーテル化させるには多大な作業量、巨大な設備とコストを要する。加えて、マナだけを抽出する事ができないのでエネルギー効率面でも不十分な物であった。
だが、自然圧縮されたマナストーンを用いれば現在のエーテル化技術に関する問題を一気に解決できる。なんたって、マナストーンは『純度100%なマナの塊』なのだ。
これを砕いてエーテル化加工するだけで、いくつもの工程をすっ飛ばしながら完成されたエーテルが製造できる。
しかも、現状のエーテルと同じ物を製造しようとするならば、ほんの欠片程度を使うだけで生産可能となるのだ。
1つあるだけで巨額の富を生む。それこそ、ガーランド国のような中堅国家であれば10年分以上の国家予算を生むだろう。上手く利用できれば、それ以上の価値を秘める財宝のような物だ。
ただ、このマナストーンは大変希少で世界的に見ても発見数は未だ一桁にしか満たない。発見した場合は国際研究機構と呼ばれる世界的権威を持つ学者達が集まる研究機関に譲らねばならないという国際条約が存在する。
マナストーンを見つけた男性達特殊部隊のメンバーは軍に報告。世界的な発見に対し、当時指揮を執っていた司令官から箝口令が敷かれていたが……。
「ガーランド国上層部が独占しようと?」
「いいや。一部の人間がマナストーンをブラックマーケットに流そうとしている……という情報だよ」
男性の予想に首を振るランディ。どうやら国としては腐っていないらしい。
「この国は農業を基本とした一次産業中心の国家だ。現在の上層部はそれを崩そうとは思わないだろう。なんたって人が生きていくには必須になる食料を各国に輸出しているのだからね」
ガーランド国は世界的に見ると小国にカテゴライズされるが、農地に適した大地と海が近いこともあって農業と漁業が大きな武器となっている。
現在の上層部は穏健派が占めており、領土戦争も経済戦争も望んでいない。食糧輸出業でそこそこの国家利益を得られるならば十分、危ない橋は渡りたくないといった答えを示すだろう。
しかし、ランディの話を聞く限り、それを良しとしない者達がいるのも事実のようだ。
「君と同じ部隊に所属している者達は、君と同じような事件に巻き込まれているよ」
ランディは鞄から数枚の写真を取り出して男性に一枚ずつ見せていった。
写真に写るのはどれも事故現場を映したものばかり。住居の火災現場や魔導車同士の交通事故現場、他にも船が転覆している最中を映したものもあった。
これら事故現場のような写真の被害者は男性と同じ部隊のメンバーなのだろう。
「そんな……。じゃあ、俺も……」
「そうだ。犯人はマナストーンを見つけたメンバーを次々に殺している。口封じだ」
その口封じとやらに男性の妹も巻き込まれてしまった。殺したい相手の身内すらも構わず殺す。そんな外道は一体誰なんだと、男性は怒りの表情を浮かべる。
「犯人はガーランド国陸軍将校、アガム・オレイオンだ」
その名を聞いて男性は怒りよりも驚きが勝る。アガム・オレイオンは自身の上司だったからだ。そして、マナストーン発見のきっかけとなった対テロ組織構成員の拘束作戦を指揮していた司令官でもある。
男性の表情を見たランディは「フッ」と笑いながら口角を少しだけ吊り上げる。
「常に部下の安否を最優先にする部下想いの上司。そんな風に言われていたんだろう? だが、中身は金欲に塗れた豚だ。ガーランド国軍の給料に満足いかなかったらしい」
実際、危険と隣り合わせである軍人であってもガーランド国軍の給料は低い。将校になっても給料の悪さは変わらぬようで、他国の軍人とも交流のあるアガムは他国の財布事情と比較してしまったのだろうか。
「随分と前からアガムは悪事を働いているよ。4年前には――」
ランディの口から飛び出すのは男性も知る事件の詳細だ。その事件の裏側でアガムがどんな悪事を働いていたのかを聞かされ、当時抱いていた疑問の数々が解消されていく。
語られた悪事の裏側でアガムは多額の金を受け取っていたようだ。
「さて、アガムの本性を聞かせたところで……。一つ提案がある」
ランディはそう言って、男性の顔を真剣に見つめた。
「妹の復讐をしたくはないかね?」
申し出に男性はランディの顔を睨みつけるように見つめながら頷いた。
「そうか。良かったよ。君を助けた甲斐があったというものだ」
答えを聞いたランディは笑顔を浮かべながら椅子から立ち上がる。
「私達が君の復讐に手を貸そう。といっても、それを想定して動いていたのだがね」
一体、どういう意味だと男性が問うとランディは「それは次の機会に」と答えを濁した。
「今日はゆっくりしたまえ。明日、君を迎えに来よう。その時に話の続きをしようじゃないか」
社長ともなれば色々予定が詰まっているのかもしれない。ランディは腕時計で時間を確認すると、やや早足で病室のドアへ向かって行った。
彼はドアノブに手を掛けたところで、再び男性に振り返る。
「ああ、そうだ。君は既に死人になっている。犯人に悟られない為にも君は事故で死亡した事にしておいたんだ。だから、本名はもう名乗らない方が良い」
それでは、また明日に。そう言ってランディは病室から去っていった。
こうして妹を失った男性は、己の名すらも失った。男性の名を知る者はランディ以外に誰もいない。ただ、彼も男性の名を今後一切口にする事はないだろう。
何もかもを失くした男は復讐者として生まれ変わるのだから。
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・ 歴史と錬金術師
翌日、ランディは約束通り男性を迎えに来た。
ただ、ベッドで横たわる男性は未だ立ち上がる事すらできない。
「君の怪我は相当酷いものだった。辛うじて無事だったのは右腕と頭部くらいだろうか。まぁ、無事といっても比較的と前置きが付くがね」
ランディの話によると、レクトラシティ病院に運び込まれた当初は「死亡確実」と救急担当の医師が諦めるほどの怪我だったようだ。
上半身と下半身の皮膚ほとんどに火傷を負って、吹き飛んだ衝撃で臓器破裂と左腕と両足は使い物にならない状態。辛うじて頭部の損傷は少なかったが、それでも顔面の左側には大きな傷と左目が破裂といった具合である。
聞く限りでは本当に「よく生きてたな」と言わざるを得ない。
ただ、救命処置を終えてもその状態は続いた。利き腕だった右腕はなんとか無事だったが、左腕は切断せざるを得なかった。加えて、臓器損傷による後遺症で体は麻痺して動かない状態だ。
立つ事も出来ない状態に加えて左目が見えないとなっては、まともな日常生活は送れないだろう。現に男性はベッドで寝たきりの状態だ。
こんな状態で復讐を果たそうなど、犯人であるアガムが聞けば鼻で笑いそうなものだが。
「一体どうするんだ?」
「我が社の技術を使うのさ」
ランディは笑みを浮かべると初老の医師に向かって頷いた。命令を受けた初老の医師は男性看護師数名に、ベッドの上にいる男性と男性の胸から伸びる管と繋がる機材を一緒に移動させるよう告げる。
男性が寝るベッドは看護師達に押され、病室を出て廊下を進み始めた。ランディも共に歩き、一緒になってエレベーターに乗り込む。
初老の医師が押したボタンは地下4階。どうやら下の階に連れて行くようだ。
「うちの会社がどういった会社か、知っているかね?」
エレベーターの中でランディが男性に問う。
「東大陸にある大手の魔導具開発企業だろう?」
「ああ、そうだ。我が社は東大陸においてトップシェアを誇る魔導具開発・生産の大企業。おかげさまで売上は10年連続絶好調だ」
この世界には大きく分けて東と西に巨大な大陸がある。北には島国がいくつかある程度、南にも大きな大陸があるが南大陸には凶悪な魔獣が生息していて、大陸の半分以上が未だ未開の地である。よって、現在の世界経済や国際社会の主役となっているのが東大陸と西大陸にある国々だ。
その主役国家の1つ、東大陸で一番の領土を誇る大国・グランウェル国に存在する大企業がレッド・マテリアル社。
社長であるランディが言うように、レッド・マテリアル社は現在の人類が生活をする上では欠かせない道具となった魔導具を開発・生産する企業である。
レッド・マテリアル社の歴史――この企業を起こしたアルマーク家の歴史は長い。
アルマーク家誕生の歴史を紐解くと、嘗て世界が王政や貴族制が主流だった時代まで遡る。アルマーク家はグランウェル国が王国と名乗っていた頃から存在し、王国で初めて魔導具という道具が開発された当初から開発に携わっているのだ。
「我がアルマーク一族は王国時代から錬金術師を生業としていてね。王国時代の爵位は男爵と位の低い家だった。歴史書や絵本に登場するような華々しい貴族の暮らしとは無縁だったようだよ」
所謂、貧乏貴族。貴族の中の最底辺さ、とランディは鼻で笑う。
「元々、錬金術師は王国で国民に医療を施す薬師だった。しかし、時が進むと大陸では戦争が始まる。すると、一人の錬金術師が魔法の杖という魔導具を作り出した」
魔導具と聞くと白髪に白ヒゲを生やした老魔法使いが自ら使う道具を作り出した、といったイメージが沸くかもしれない。だが、この世界において最初に魔導具を作ったのは『錬金術師』であった。
過去、錬金術師はあらゆる魔法素材を扱う薬師だった。自然界にある薬草とマナの影響を受ける素材を使って薬を調合しながら、人に対する医療行為を行う職業。現在の医師と薬剤師を合わせた存在だ。
しかし、どうして薬師であった錬金術師が魔導具の走りである魔法の杖を作るようになったのか。理由としては魔法使いという存在を特別視しすぎた歴史、加えて大陸で勃発した領土戦争にある。
「貴族社会だった頃、魔法使いという存在は高貴な存在だった。所謂、青い血を持つ家だけが魔法使いを名乗れたのだよ」
高貴で優雅で特別な人。それが貴族。社会構造の下層に位置する庶民とは違い、青い血が流れる特別な人間と比喩するほどの傲慢さを持つ人間。この世界の人間は誰もが魔力を体内に秘め、誰もが魔法を使えるが、魔法使いと名乗って良いのは貴族家出身の人間だけだった。
魔法の研究を行う組合も貴族だけで構成され、いくら庶民の中に優れた魔法知識や魔法操作技術を持つ者がいても『魔法使い』とは認められない。
つまり、貴族社会においてのステータス。そういった意味が強かった。
「しかし、大陸で領土戦争が起きると事態は一変する。敵国が魔法使いという存在を使って王国騎士団に大打撃を与えた」
グランウェル王国での『魔法使い』は貴族が語るただのステータスだった。しかし、他国では立派な兵科だったのだ。
貴族の傲慢と国防の足しにもならぬ名誉の代名詞となっていたグランウェルの魔法使いは戦場で使い物にならなかった。当時の魔法に対する研究不足もそうだが、庶民の中にいる優れた魔法使い候補を取り立てなかったのが原因で、戦争に投入するには人数が圧倒的に不足していた。
領土を徐々に削り取られながらも必死に抵抗するグランウェル王国。そんな中で誕生したのが、役立たずの魔法使いを使い物になるまで押し上げる『魔導具――魔法の杖』という名の補助兵器だ。
「最前線となっていた領地の領主が苦肉の策として考案し、開発したのが体内魔力増幅器である魔法の杖。要は人の体内にある魔力を使う際に、排出される魔力を増幅させて凄い魔法をぶっ放そうって寸法さ」
それだけ聞くと随分と無茶な話だ。実際、開発された当初の杖は人体に秘めていた魔力を根こそぎ搾り取って魔法を発動。発動した術者はマナ欠乏症で即死……という事例もあったらしい。
しかし、魔法の杖が齎す効果は凄まじく、押されつつあったグランウェル王国が後に快進撃を続ける起爆剤となるのだが……。
使い物にならなかった魔法使いは命と引き換えになる力を手に入れたものの、肝心の魔法使いとされる貴族共は死を恐れて使う気にはならない。
だが、使わなければ国が滅ぶ。
そこで、貴族の代わりに投入された魔法使いが『庶民魔法使い』である。死を恐れた貴族達は魔法使いとしての適性を持つ庶民に魔法の杖を持たせ、彼等を戦争に投入したのだ。
結果、戦争は魔法の杖を持つグランウェル王国が勝利。
こうして魔法の杖はグランウェル王国国王に「有用」と判断され、同時に魔法使い増員として庶民に魔法の杖を持たせる事が通常となる。
「でも、庶民に魔法の杖を与えた事で後に王政撤廃に繋がるのだがね」
これまで王族と貴族が世をコントロールしていたが、魔法の杖という力を得た庶民は長年続いた不満を爆発させて、数の少ない高貴なる者達を打倒する。
「皮肉なもんさ。戦争に勝って生き長らえたのに、国民の革命によって権威を失ったのだからね。まぁ、そのおかげでうちは錬金術師として成功したのだけど……。おっと、話が逸れた。とにかく、アルマーク家は昔から魔導具を作っているのさ」
「つまり、魔法の杖を作ったのはアルマーク家で王政撤廃後も魔導具の開発を続けていたと」
「正解。魔法の杖という魔導具の走りを作り出したのが我が家の祖先だ。戦争で勝利した後も研究と開発を進め様々な魔導具を作り出した。そのおかげで後の革命において庶民から敵視されなかったし、時代が流れて社会制度が変わろうともアルマーク家は魔導具を作り続けてきたというワケだね」
王政撤廃、貴族制度廃止と社会の在り方が変わっていくと同時にアルマーク家を筆頭に魔導具の開発は進められていく中で、魔導具の開発も庶民と呼ばれていた人達が携わっていく。
王政撤廃後に訪れた民主主義思想の台頭、時代の流れが進むにつれて人は『魔法使い』の代名詞であった『体内魔力総量』という人体機能の格差すらも排除しようとした。
その末に誕生したのが人体に秘めた魔力を使用せず、代わりとなる人工魔法エネルギー『エーテル』だ。これによって個人差のある魔力を使う事無く、均一化された魔法出力を実現させた。
エーテルの登場に伴って『魔法の杖』理論も世から消える。現在ではエーテルを銃弾化させる技術を搭載し、それをぶっ放して人を殺しているという具合である。
まぁ、魔導車など他の魔導具にもエーテルは使用されているので、武器にのみ使用されているわけじゃないのだが。
歴史の小話が長くなってしまったが、早い話はアルマーク家が魔導具開発における老舗中の老舗ということ。むしろ、現在の魔導具と密接である生活様式誕生のきっかけとなったのがアルマーク家である。
「君の病室にあった医療魔導具もうちで開発している物さ。まだ世には出していない最新式だよ。それが無ければ君はとっくに死んでる」
ただ、ランディの話ではアルマーク家は魔導具開発と並行して医療に対する研究も進めてきたようだ。瀕死だった男性が未だ生きて会話出来ているのは一緒に運ばれている機材のおかげ。これが止まると男性の心臓も一緒に止まると告げられる。
そんな話を聞かせるな、と顔を青くする男性。しかし、ランディはアルマーク家は数多くの病院を建てて経営もしているのだぞ、とちょっとした自慢をにこやかに聞かせてくるではないか。
話を聞いた男性の脈が高まる中、ようやくエレベーターは目的の階に到着した。
天井に埋め込まれた魔導ランプで照らされる廊下を進み、行き着いたのは手術室のような場所だった。
「要は、動かない君の体を魔導具で動かす。いや、魔導具と融合させると言った方が正しいかな?」
「ど、どういう事だ?」
少し不穏な話になってきたと感じたのか、男性の声が少し震えた。しかし、ランディは「心配いらない」と言いながら首を振る。
「我が社の技術を信じたまえ。500年以上の研究成果があるんだ。何も心配いらないよ」
ランディが男性の顔を覗き込みながらそう言うと、真上にあった手術用の光源が灯った。4つの白い光に眩しさを感じたのか、男性が少し顔を逸らすと看護師が彼の口にカップ型のマスクを押し当てた。
マスクからは謎の薬品が霧状で噴射され、それを鼻から吸った男性は急激な睡魔に襲われる。
「次に目を覚ましたら名前を決めよう」
男性の意識が途切れる前、最後に聞いたのはランディの言葉と「キュイイイン」と鳴る甲高いドリルが回転する音だった。
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・サプライズ
眠りに落ちた男性が再び目を覚ますと、最後に見た手術室のような場所から移動させられていた。
背中に冷たさを感じ、周囲を見渡すと薄暗い部屋の中にいることが分かる。加えて、下着一枚の状態で男性が寝かされていたのは大理石のテーブルのような台の上だった。
「やぁ、起きたね」
声がして、男性が顔を向ける。そこにはランディがコーヒーカップを片手に歩み寄って来る姿。着ている服装が眠る前と同じ物から推測するに、そう時間は経っていないようだ。
「処置は無事に終わったよ」
そう言われて自身の体を見ると胸から伸びていた管が無い。それに腰の両脇には小さな金属が埋め込まれており、それと同じ物が両足の膝にも埋め込まれている。
ただ、これは些細な変化だ。最も変化しているのは左腕だろう。男性の左腕は肘から先が金属製の腕に変わっている。
「これは……」
見た目はまるでガントレットのようなゴツイ金属製の腕だが、男性が左腕を動かそうとすると元の左腕と同じように自由に動くのだ。しかも、重さを全然感じない。
「施した処置について説明しよう。君の左腕と下半身は動かない状態だった。それに左目と臓器もいくつか。そこで、我が社が開発した人体互換魔導具を埋め込んだというわけだ」
切断せざるを得なかった左腕は魔導具の義手に。下半身不随で動かなくなった下半身は原因である脊髄を中心に魔導具を融合させ、ズタズタだった臓器も摘出して臓器機能を補う魔導具に入れ替えた。破裂していた左目も義眼型の魔導具に置き換わっており、左右で瞳の色が違う。
要は魔導具と融合した事で体の自由を得たという事だ。ランディはそれらを懇切丁寧に男性へ聞かせると、男性は露骨に嫌な顔を浮かべる。
「どうして処置前に教えてくれなかったんだ。失敗したら死んでたんじゃないか?」
「そう言われると思ったから説明しなかったのだよ」
男性の恨み言にニッコリ笑顔で返すランディ。成功したし良いじゃないか、と言うのが憎たらしい。
「もう歩けるはずだ。立ってみたまえ」
ランディに言われ、男性は寝かされていた台から地面に足を付けた。寝たきりになる前と同じ感覚で立ち上がると、違和感を感じる事無く立ち上がる事が出来た。
むしろ、本当に下半身不随だったのか? と疑問に感じるほどスムーズである。
「食事もできるし、コーヒーを飲む事もできる。日常生活は普通に過ごせるよ。どうだね? 一杯飲むかね? うちの専属バリスタが焙煎した特別仕様だ。本来は社員しか飲めないんだよ?」
ランディは近くにあったテーブルに近付くと、新しいカップにコーヒーを注いで男性に手渡した。男性が一口飲むと確かに美味い。さすがは大企業、社員が飲むコーヒーまで一級品らしい。
「ただ、欠点があってね。ああ、コーヒーの話じゃない。君の体についてだ」
ランディはテーブルの上に置いてあった金属製のスーツケースを開けると、一本の無針注射器を取り出して男性に見せる。
「これには通常よりも濃縮されたエーテルが入っている。君はこれを注入しなければ動けなくなってしまうんだ」
注射器を持った彼は男性の腰、右側にある金属を指し示した。そこに注射器を押し付けて中身を注入しなければ、男性と融合した魔導具は機能停止する。そうすれば君も動けなくなってしまうぞ、と。
「注入目安は一日一本だ」
随分と面倒な制約を課せられたものである。しかし、動けないよりはマシか。男性は素直に頷きを返した。
ただ、まだランディのサプライズは続くらしい。
「魔導具と融合して体の自由を取り戻したとはいえ、君は人間だ。しかも、魔導具の補助が無ければ満足に動けない。巨悪と戦うには脆過ぎる。そこで!」
ランディはテーブルの上からリモコンのような物を持ち出してボタンを押した。すると、部屋の奥にあった壁がぐるりと回転していく。
「巨悪と戦う為の装備を用意した」
回転した壁から登場したのは黒色の鎧。鎧といっても、旧社会時代に存在していた騎士が装着するような古めかしいタイプの物じゃない。この場合は、鎧と言うよりも金属で作られた戦闘スーツと言うべきだろうか。
現代の最先端技術で作られた戦闘用魔導外骨格と呼ばれる、まだ世に出てない最新式の戦闘用装備だと彼は言う。
「主装甲は鋼だが、ミスリルでコーティングして対エーテル弾用の防御対策を施してある。同時に内部には魔導具によるパワーアシストが搭載されているので、生身の人間では到達できない身体能力を発揮できるのだ」
魔法使いが杖を使って放つ魔法に代わって、現在主流となっている武器の魔導銃――エーテルの弾を撃ち出す銃――から放たれる弾に対する耐性。
同時に使用者の身体能力を向上させるアシスト機能も持っている。素早く走る事も出来るし、近年になって都市部で建設が続くビルとビルの間を飛ぶことも出来るだろう。高い場所から落ちても怪我など負わない。
それに人よりも重い物を持てるし、パンチ一撃でコンクリートの壁に穴を開けることすらできる。
早い話、これを装着すれば人間の域を越えた殺人マシーンになれるというわけだ。
ただ、この魔導外骨格を誰でも装着できるわけじゃない。男性のように外骨格の機能とリンクする魔導具が体内になければ使用できないとランディは付け加えた。
「さぁ、早速身に着けてみたまえ」
彼が再びリモコンを押すと壁と一体化していたハンガーから外骨格が下げられた。壁から外れた外骨格は前屈みになって、胴パーツの背面がガシャガシャと音を立てて開いていく。
男性は外骨格に近寄ると、まずは胴パーツを持ち上げる。主装甲が鋼という事もあって凄まじく重い。
「ああ。オススメは腕からだ」
ランディに言われた通り、男性は胴パーツを諦めて腕に装着するガントレットを探した。ガントレットは右手用しかなく、既に魔導具化されている左腕で持ち上げて腕に通すと――プシュッと空気が抜ける音を立てながらキツくロックが掛かった。
どうやら簡単に外れないようにする機構のようだ。男性の右腕には左腕と同じようにガントレットで肘の上まで覆われた。
「胴パーツを持ち上げてみたまえ」
ニヤニヤと笑うランディに訝しみながらも言われた通りに胴パーツを掴んだ。すると、先ほどとは違って重量を感じさせない。
一体どういう事かと驚いていると、ランディは「機能が同調して腕力のパワーアシストが起動したおかげだ」と言う。これが人の域を越えた怪力というやつだろう。
男性は背面が完全に開いた胴パーツを持ち上げると自身の胸に押し当てる。すると、パーツ自体が勝手に起動して開いていた背中が閉じた。同時に肩と上腕部分に収納されていた装甲が伸び、ガントレットと合わさって一体化する。
下半身も同じだ。最初は半ズボンのような形状だったが、それを履いてからブーツを履くと収納されていた装甲がブーツと一体化した。
頭以外を魔導外骨格で覆われた男性の姿は、黒いバトルスーツを着た戦士だろうか。鋼の装甲を持ちながらも甲冑と違ってずんぐりしておらず、全体としては少し角ばった印象を受ける。それでいて、男性の体型にフィットするような細身のシルエットとなっていた。
「ううーん。良いデザインだ」
デザインを考案したのはランディなのだろうか。彼はうっとりとするような目線で男性が身に着けた魔導外骨格を見つめる。
「さぁ、最後にヘルメットを」
仕上げは頭を守るヘルメットである。
男性は床に転がっていたヘルメットを持ち上げて外見をまじまじと見た。
「まるで狼だな」
フォルム全体は角ばっているものの、デザインの元を辿れば狼の頭部だろうか。その証拠に尖がった耳のような部位が備わっている。狼の目にあたるカメラアイ部分は特殊な魔法薬品を塗布したガラス材で作られているようで、薄暗い室内でも淡く光るオレンジ色をした鋭い目が恐ろしさを感じさせる。
「正式名称は未定だが、仮の名称はタイプ:ウルフと名付けている」
戦闘用魔導外骨格タイプ:ウルフが仮名称。製品化するかは未定である、と彼は付け加えた。むしろ、男性的には「本当に今の世界技術でこんな物を作れるのか?」と疑問に思うほど見た事も聞いた事もない代物だ。
「そうだな……。ウルフ……。そうだ、君の事を今日からウルフと呼ぼう。どうだ? カッコイイだろう?」
魔導外骨格の仮名称を口にしたせいか、男性に新しい名を授けた。全てを失った彼が最初に得たのは、この魔導外骨格とウルフという新しい名前という事になるだろう。
といっても、男性が何か言う前にランディの中では決定事項となってしまったようだが。
「まぁ、とにかくこれが君の主な武器だ」
「主な?」
ランディの言い方に引っ掛かりを覚えた『ウルフ』は疑問を口にしながら聞き返す。すると、ランディはニンマリと笑いながら再びリモコンのボタンを押した。
ボタンを押すと、魔導外骨格が隠されていた壁の両サイドにあった壁もぐるりと回転。
回転した左右の壁には近接武器である剣やナイフ、ハンマーから斧など全ての種類が。それに加えて現在主流である魔導銃と呼ばれる魔導火器、この世で生産された全てのラインナップが揃っていた。
「これは……。凄いな」
旧社会時代の騎士が使っていたような古めかしい直剣から、最新式の魔導銃まで全て揃っているのは圧巻だ。ランディはこの中から「好きな物を好きなだけ使え」と気前よく言い放つ。
「ただ、先ほど言ったように一番の武器は君が装着している魔導外骨格になるだろう。これらの旧式は補助的な意味合いでしかない」
ランディは壁に揃った武器達を指差しながら旧式と呼んだ。あくまでも最強の武器となるのは外骨格であると。
「どういう事だ? 直接ぶん殴れと?」
「ふふ。復讐を成す前にちょっと試運転をしてから行った方がいいだろう。絶対に気に入ってくれるはずだよ、ウルフ」
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・前座
ウルフが魔導外骨格を与えられてから5日後の夜。レクトラシティの中心地である中央区に聳え立つビルの屋上に狼の頭部を持った人物が立っていた。
彼は魔導外骨格の上に羽織った黒いコートを風にたなびかせながらオレンジ色に輝くガラスの目でネオンが煌めく街を見下ろす。
「目標地点に到達した」
ヘルメットを被っているせいか、ウルフの声は少し籠っていた。しかし、問題は無い。
『そこから800メートル先にある倉庫エリアが見えるかい? そこにマナストーンが隠されている』
ヘルメットの中に響く声はランディのものだった。離れた場所から会話を可能にするマナ波形通信と呼ばれる技術がヘルメットに内蔵されており、それを利用してウルフはランディと通話を可能にしているようだ。
「了解した」
次なる目的地を聞いたウルフはビルの屋上で助走をつけた後にジャンプ。着地したのは50メートルほど離れた向かいにあるビルの屋上だ。
この跳躍力だけでも人間離れしているのは簡単に理解できるだろう。可能にしているのは魔導外骨格による身体能力向上機能、そしてその機能の凄まじさがよく分かる。確かにランディが言った通り、最先端技術を駆使した魔導具と言えよう。
ただ、こんな凄まじい機能を有した魔導具を開発するレッド・マテリアル社の技術力にも恐怖を覚えるが。
ウルフは闇夜に紛れながらビルの屋上を次々に飛び跳ねて目的地を目指した。最終的には目的地から少し離れた魔導具工場から生える長い煙突の上に着地し、オレンジ色の目で倉庫街を見下ろす。
『情報によると74番倉庫だ』
「見つけた」
カメラアイにある視覚ズーム機能を使いながら倉庫の外壁に書かれた番号を探り、すぐにランディの言った番号を見つける。
『気を付けたまえ。アガムは大いなる剣と呼ばれる傭兵団を雇っているようだ。戦争犯罪を繰り返す悪党集団らしいが――』
「問題無い」
ランディがマナストーンを守る為に雇われた傭兵団の情報をウルフへ伝えるが、ウルフは最後まで話を聞かずに煙突から倉庫街に向かってジャンプした。
どうにもウルフは本命前の前座を手早く済ませたいらしい。軽々しく「問題無い」と言える根拠は、これまで5日間行った魔導外骨格の試運転があったからだろう。既にウルフは魔導外骨格の持つ機能を使いこなせる自信があった。
高い位置からジャンプしたウルフは倉庫街を囲むフェンスを飛び越え、倉庫街にある巨大倉庫の屋根に着地する。飛び降りた高さも20メートル以上あったが、着地に対して足がイカれた様子もない。
屋根の上から再び『74』と書かれた数字の位置を確認すると、そのまま倉庫の屋根をジャンプしながら向かって行く。目的地である74番倉庫の対面にある72番倉庫の屋根に着地すると、彼は屋根の上から地上を見た。
そこには魔導銃と呼ばれる武器を持った傭兵達の姿が。彼等は倉庫を囲むように警備しているが、見たところ随分と暇そうにしていた。
肩紐で繋がった銃をぶら下げながらタバコを吸っていたり、仲間と共に談笑していたり。雇われたものの、マナストーンを奪いに来る輩が来ないせいで気が抜けてしまった様子。
「…………」
だが、今夜は違う。彼等の頭上には狼がいるのだから。
屋根の上でしゃがみ込んだウルフはオレンジ色の目で傭兵達の動きと所持している武器を観察する。
敵の装備は魔導銃のみで、胴には対魔導銃弾用の防弾チョッキを付けて。現代の兵士においてはスタンダードな装備だ。ただ、持っている魔導銃は軍に採用されるような最新式であった。
しかし、問題無いと判断したのだろう。彼はすぐに立ち上がると倉庫の正面を警備していた2人の傭兵に向かって屋根から飛び降りた。
「ふわぁ~……ああッ!?」
夜なせいか、それとも暇すぎるせいか。大あくびをしていた傭兵は、突然目の前に落ちてきた黒い影に驚きの声を上げる。相方であったもう一方の傭兵も黒い影に気付くが、こちらは驚きのあまり口を開けたまま固まってしまっている。
ただ、これだけフヌケていても彼等はプロである。
「きさま――」
目の前に落ちて来た黒い影が幻覚ではなく、人であると気付くとすぐに銃口を向けようとするが――それよりも先に、ウルフの右手が傭兵の顎にめり込んだ。
ウルフがお見舞いした右アッパーは傭兵の顎と首の骨を同時に粉砕した。傭兵の首がカクンと傾くと、全身の力が抜けたように地面へ倒れた。
隣で見ていた者は一撃で死んだ仲間の姿に絶句する。地面に倒れて行く仲間を目で追って、視線を戻すとオレンジ色に輝く狼の目が自分を捉えているではないか。
「ヒッ――」
慌てて魔導銃のトリガーを引こうとするが遅すぎた。ウルフの右腕からは収納されていた黒い二本の爪が飛び出し、軽く飛ぶように近づいて爪を傭兵の喉に突き刺す。
更には相手がトリガーを引かないよう、左手で相手の手首を掴んで骨を握り潰す。ヒューヒューとか細い呼吸音を繰り返す傭兵の喉に爪を強く押し込んだ。
「…………」
殺しに対し、ウルフは何も零さない。死体をその場に投げ捨てると、今度は倉庫と倉庫の間にある小道に向かって歩き出す。
そちら側には倉庫の中へ繋がる裏口のような小さなドアがあって、そのドアを守る傭兵が2人。彼等は正面扉を警備する仲間が死亡した事に気付いておらず、仕事に対する愚痴を零しながら紙タバコを吸っていた。
小道の入り口に立ったウルフは右腕を傭兵達の頭部に向けて伸ばす。すると、ウルフの右腕にエーテルの光が収束して細い槍の先端を模したエーテルの塊が生成された。
バシュンと空気を切り裂くような音を発しながら放たれた槍は傭兵の頭部を二枚抜き。あっという間に首無し死体のできあがりだ。
『内蔵武装はどうだい?』
「試運転通り機能している」
内蔵通信機越しに聞こえるランディの問いにウルフは短く答えた。というのも、右腕に内蔵された魔導兵器を放った音が鳴り響いたせいか、さすがに倉庫内にいた傭兵達が異変に気付いたようだ。
倉庫の中から傭兵達の声が聞こえるが、ウルフは歩いて裏口へ向かうとドアを蹴破った。
「侵入者だッ!」
倉庫の中はがらんとしており、中央付近に大きな木箱がいくつか置かれていた。それを守るように10人以上の傭兵が中にいて、裏口を蹴飛ばして進入してきたウルフに向かって一斉に銃口を向ける。
外で殺した傭兵達と違って、今回は奇襲でもなければ相手との距離も離れている。傭兵達も相手は一人であるし、数の有利もあって既に心構えは出来ているだろう。
「ぶちかませええ!」
傭兵達は一斉にトリガーを引くと銃口からは青白いエーテルの銃弾が飛び出した。ウルフに到達するまでの時間は1秒にも満たない。瞬きする瞬間には攻撃を受けてしまうような発射速度だ。
だが、ウルフは一切その場から動かなかった。逃げようともしなかったし、避けようという動作すらも見せない。ただ、その場に立っているだけ。
傭兵達はウルフが反応しきれなかったと思ったろう。着弾確実と確信すると彼等の口元にはニヤケが浮かぶ。
だが、傭兵達の予想は裏切られる。ウルフは避けなかったんじゃない。避ける必要性が無かっただけだ。
青白い弾は確かに魔導外骨格の装甲に当たった。しかし、細い白煙が上るだけで目立つような傷さえできず、装甲を貫通することは出来なかった。精々、魔導外骨格の上に羽織っていたコートに魔導弾サイズの穴が開いたくらいだろうか。
「き、効いてねえ!?」
慌てる傭兵達は魔導銃を乱射するも、いくら当てても弾は魔導外骨格の装甲を貫通する事は無く。
「…………」
銃弾の雨を浴びながら、ウルフは腰にあったナイフホルダーに右手を伸ばす。抜いたのは黒い刀身をしたマチェットに似たブレードであった。それを逆手に持って傭兵達へと走り出す。
その走り出す速度も人間とは思えぬ速度だった。傭兵達との間にあった数メートルの距離を一瞬で縮め、最も近い距離にいた傭兵の首をブレードで切り裂き抜く。
単なる近接戦闘武器であるブレードとは思えぬ切れ味に、切り裂かれた傭兵の頭部が胴体とオサラバして宙を舞った。
「なッ!? おい! どうにかしてこの化け物を――」
驚きの声を上げる傭兵だったが次に狙われたのは彼自身だった。ウルフは獲物に顔を向けると再び地面を蹴るように飛び掛かる。
振り抜かれたブレードは肩口から体を引き裂き始め、脇腹を抜けて骨ごと人体を一刀。二つに分かれた胴体が崩れ落ち、地面は真っ赤な血で染まる。
「化け物があああッ!」
ウルフの背後を取った傭兵が狂乱するように叫ぶ。チラリと振り返ったウルフは左腰にあったホルスターに左手を伸ばし、黒くて四角い銃身を持った魔導銃を抜く。
そのまま振り返る事もせず、自身の右わき腹に左手を回しながら背後に向かって魔導拳銃を撃った。放たれた弾は従来の魔導拳銃とは思えぬほどの威力で、撃ち抜かれた傭兵は腹に大きな穴を開けて崩れ落ちる。
「な、なんだ……。何なんだよ、お前は……!」
あっという間に3人の仲間が死んだ現実に傭兵達は耐え切れず恐怖に染まった声を漏らす。
「ガーランド国の軍人殺害の実行犯はお前達だろう?」
ウルフは鋭い狼の目を向けながら傭兵達に問う。アガムに雇われた傭兵達は奴の手足となって悪事を働いたに違いない。これはウルフの推測に過ぎなかったが……彼にとっては答えなどどうでも良かったのだろう。
「奴の計画に関わった者は全て殺す」
復讐の狼にとって、アガムの計画に関わる人物は全てが敵である。直接だろうが、間接的だろうが、妹を殺した者達は全て殺すつもりなのだろう。
一歩ずつ、ゆっくりと傭兵達に近付くウルフ。恐怖に心を支配され、既に戦意喪失した傭兵達は逃げるように後退るが――
「あの世で後悔するんだな」
ウルフは一言だけ告げて、足に力を込めた。再び人間離れした身体能力で傭兵達を追い詰め、一人ずつ確実に仕留めていく。
まともに抵抗できなかった傭兵達とそれを狩る狼。最早、倉庫の中で行われた行為は虐殺に近い。
最後の一人がウルフに殺害され、倉庫の中に響いていた悲鳴が止むと――中は血の池地獄が出来上がっていて、立っているのは返り血を浴びた黒き狼だけだった。
『終わったかね?』
「ああ」
ランディの通信に返答したウルフはブレードの刀身に付着した血を振り払った。ホルスターに武器を仕舞うと、彼は背後を振り返って倉庫内にあった木箱に歩み寄る。
木箱の箱を開けて中を確認していくが、中には魔導具を作る為の部品と思われる加工された金属板等が詰まっているだけ。最後の一箱を開けても、中にはマナストーンは見つからなかった。
「マナストーンが無い」
『なんだって?』
「代わりに入っていたのは魔導具の部品らしき物だ」
ウルフは木箱の中にあった部品を取り出し、形状等を確認するが専門分野外で何に使う物なのかは理解できない。
「丸い台座のような部品がある。台座の中央に……針、か? これは?」
取り出した部品の中でも一番大きくて特徴のある物を選び、その形状をランディに伝えると――
『おいおい……。まさか、それは……』
通信機越しに聞こえるランディの声は、いつも通りどこか軽い口調ではあるものの緊張感が含まれる。ランディがウルフにいくつか質問をして、それを「イエス」「ノー」で答えていくとランディの声は遂に止んでしまった。
「どうした?」
彼らしくないリアクションにウルフは声を掛けると、数秒黙っていたランディのため息が聞こえてきた。
『よく聞いてくれ。それはエーテル・ボムの部品だ』
エーテル・ボムとはエーテルを特殊な設備を用いて圧縮し続け、高濃度圧縮にまで至らせた後にそれを爆発させる爆弾である。過去の戦争で使われた事例を挙げると、一発で都市を丸ごと消滅させるほどの威力を持つ。
強力過ぎる兵器な上に、使用した土地には高濃度エーテルが充満して人体に害を及ぼす『デッドゾーン』を作り出す事から、現在では国際条約で禁止されている魔導兵器だ。
『アガムはマナストーンから抽出したエーテルでエーテル・ボムを量産する気なのかもしれない』
ランディの推測を聞いたウルフもさすがに魔導外骨格の中で冷や汗を流す。
マナストーンはマナの塊だ。先に語った通り、通常製造されたエーテルよりもマナ純度が高い。完成されたエーテルを用いてエーテル・ボムを作ったら……効果は従来の物よりも数倍高い破壊力を持つだろう。
ランディの推測が正しかったら。もしくは、製造されたエーテル・ボムがブラックマーケットにでも流れてしまえば、世界のどこかでエーテル・ボムが使われてしまうかもしれない。
特に戦争中の国で暮らす人々は大惨事に見舞われるだろう。
『部品を回収して一度戻ってくれないか』
「了解した」
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・アガムという男
ガーランド国陸軍将校アガム・オレイオン。
歳は50を越えており、茶色の短髪には白髪が混じる。頬には昔戦場で受けた傷が残っていて、鋭い目付きと相まって歴戦の軍人といった風格を持つ。
正式な階級は陸軍大佐であり、事を起こす前までは特殊作戦チームの統括司令とガーランド国軍部の幹部を兼任していた。
だが、今では立派な犯罪者になったと言えるだろう。
「状況は?」
彼はガーランド国首都から数百キロ離れた地、未だインフラ整備も整っていない田舎街にある別荘にて信頼できる部下と話し合っていた。
「ハッ。首都郊外にある倉庫街にて敵勢力の襲撃が起きました。警備を行っていたセイバーのメンバーは全員死亡。トゥルーランド商会から購入した部品は持ち去られたようです」
アガムは上等な木材で作られた椅子に座りながらグラスに入った酒を呷る。敵の襲撃を受けたというのに、表情からは焦りの色は見えない。
彼に現状報告をしていた部下――ガーランド国陸軍少佐であるスタンリーもアガム同様に表情の変化は無かった。彼は赤いベレー帽を脇に挟み、直立不動でアガムへ報告を続ける。
「計画通り入手ルートを分散させていたおかげで、現状でも5発分は生産できそうです」
「想定内だな」
酒を一気に飲み干したアガムが言う通り、彼の考えた計画には敵勢力による妨害は想定済み。何年も掛けて準備してきた今回の計画には余程の自信があるのだろう。
「しかし、本当にガーランド国軍は動きませんね。真っ先に動いたのが他国に所属する者達とは……。皮肉なもんです」
「ふん。この国の軍部や政治家など外国の顔色を窺って生きている連中ばかりだ。現状に満足するあまり、自発的に動かなければ栄光は手にできない事を忘れたのだろう」
アガムはグラスに酒を注ぎ直しながらそう言った。彼は自らをこの国一番の「愛国者」と評価するだろう。
食料供給という安定した経済状況、対テロ作戦を重視して防衛専守に舵を取る軍部。これでは世界のトップを走る大国にいつまでも追いつけない。いつまでも良いように使われるだけの国のまま。
「首都だけの見栄えだけが良くなっていく一方で、地方は未だインフラすらも満足に整っていない。生産した食糧を安い価格で買い叩かれ、新しい産業を作ろうとすれば邪魔される。そんな現状に満足など出来るものか」
ガーランド国の軍人達が危険を伴う任務に従事していようとも給料が安いのは他国からの干渉があるからだ。
大国からすれば多くの実りある土地を持ったこの国は十分に伸びしろがある。食料生産に加えて別の産業も成功させれば一気に大国の仲間入りを出来るだろう。しかし、そうなってしまえば現在の国際的パワーバランスが崩れてしまう。
下から迫って来る脅威を蹴落とそうと大国はガーランド国のような中堅国家達に干渉と圧力を加えて牽制を続けている。
「だというのにッ! あの無能共は他国の言いなりだッ!」
ただ、その干渉と圧力を無視すれば大国は一斉にガーランド国へ仕掛けて来るだろう。内政干渉で制御できないと分かれば戦争を仕掛けてくるに違いない。これを期にガーランド国を属国にして食糧生産地として手を伸ばして来る可能性もある。
それを見越してガーランド国の上層部は現状維持に努めているのだが、アガムからしてみれば「足掻く気すらもない」と見えるのだろう。
しかし、この未来予想にアガムも一時は全てを諦め、他の政治家達同様に国の未来を受け入れようとしていたのも事実。そんな彼の元に神からのギフトが届く。それが廃鉱山で見つかったマナストーンだ。
アガムはこのマナストーン発見を機に計画を練った。その結果、大国が取るであろう選択に対抗するカードとして考えられたのが「エーテル・ボム」だ。都市を丸ごと吹き飛ばす禁断の兵器で、この国を守ろうとしている。
いや、蹂躙される前にこちらから蹂躙してやろうという考えなのだろう。要は宣戦布告と同時に行う先制攻撃で相手に大打撃を与え、大国の余裕を削いでやろうという事だ。
勿論、彼の未来予想図通りに事が進めばガーランド国は戦争となる。だが、先制攻撃を与えてやれば中堅国家であるガーランド国でも勝機はあると考えたのだろう。
国民が戦争を望まない事など考えもせず、一方的な理想を押し付けた方法。これが彼なりに考えた究極の愛国心。自分が道を示してやればフヌけた自国の政治家達も目を覚ますだろう、と諦めていた考えを再び奮い立たせて今回の計画を練った次第である。
「研究所の警備は特に厳重にしておけ」
再び酒を一気に呷ったアガムはグラスの底をテーブルに叩きつけながらも、落ち着きを取り戻した声音でスタンリーに命令を告げる。
「ハッ。承知しております」
ここから数十キロ離れた山の中にある研究所。そこは既に閉鎖された研究所であったが、数年前からアガムが復旧させてきた。彼が今いる田舎街を拠点にしているのも研究所から一番近い街だからだ。
「スタンリー、お前には感謝している。研究所を守ってくれ。我々の悲願を達成させるために」
アガムは真剣な顔でスタンリーにそう告げた。これが彼の得意とする文句だ。感謝と信頼の念を口にして、何人騙してきたのだろうか。これが本音であればマナストーンを発見した部隊を丸ごと暗殺しようなどと考えないだろう。
「はい。この命に代えても」
ただ、受け取った側は騙されて――いや、洗脳に似たメンタルコントロールを受けている事に気付かない。スタンリーのような職務に忠実で情に厚い人物を選出して手駒にしていることすらも。
その証拠にスタンリーが別荘を出て行ってからアガムの口元が吊り上がる。大国に大打撃を与え、無能な政治家共を排除し、その後は……。
「私が国を変えてやる」
彼の野望は軍事国家としての再建。そして、その舵を執るのは自分。輝かしい野望の果てに、世界すらもひれ伏せる。そんな栄光を夢想しているに違いない。
-----
・運び屋ジョニー
倉庫襲撃から翌日。再び夜の闇に紛れてウルフは行動を開始した。
レクトラシティにあるレッド・マテリアル社の医療施設からガーランド国東部にある田舎街へ向かう事となる。首都からは随分離れた場所に向かうとあっては移動手段が必要だ。
ウルフとしてはランディが移動手段として魔導車か魔導バイクでも用意してくれるのだと思っていたのだが……。
「…………」
ランディは確かに移動手段を用意してくれた。それも運転手付きで。
ただ、ウルフが乗車する軍用車――SUVのような大きなタイヤを持つ装甲付き輸送車両――の車内には東大陸で有名である陽気なカントリー音楽が流れていた。しかも、運転席に座る男は金髪モヒカン頭に黒のサングラス。それにスカイブルー色をした華柄シャツを着る男。
「YO! アンタ、これから派手におっぱじめるんだろう? どんな気分だ?」
加えて出発当初から何度もしつこく質問してくる。ウルフが短く答えて、話しかけるなといった雰囲気を出していても気にする様子もなく。
「そのカッチョイイ装備もレッド・マテリアル社の魔導具なんだろう? いいよなァ! ひと昔前に流行った『黒毛のウルフマン』みてえでたまんねぇよ! ところで気になるんだがよ、一人ぶっ殺したら幾ら貰える契約なんだ?」
契約次第じゃ、俺も『運び屋』から『殺し屋』に転職しようかと思っててよ! そんな事を言いながら、運転手である『運び屋・ジョニー』はバックミラー越しに後部座席に座るウルフを見る。
「……契約はしていない」
「おいおい、マジか!? これから人様のモツを床にぶちまけて人肉展覧会を開こうってのに報酬の約束してねえってのか!?」
ランディと個人的な目的で結ばれているウルフは金銭報酬を得る気はない。ただ、復讐が出来ればそれで良い。
しかし、その事を知らぬジョニーは両目をひん剥いて驚いた。
「まさか、人殺しが趣味なイカれ野郎なんじゃねえだろうな? それとも傭兵として名を揚げる為の奉仕活動か?」
前者は勿論違うが、後者も違う。ウルフが反応せずにいると、ジョニーはニッと笑いながら再びバックミラー越しにウルフを見た。
「はっはーん。なるほど。アンタ、傭兵として名を揚げてネームドになるつもりか? だから、そんな特徴的な鎧を着込んでいるんだろう?」
ジョニーが言うネームドとは傭兵界隈の中での『有名人』を指す。所謂、二つ名で呼ばれるような強者のことだ。
例えば、ひと昔前に存在していた『聖剣』という二つ名を持つ傭兵は、正義の味方と自分を評する傭兵だった。剣型の魔導具を武器に侵略戦争を仕掛けられた弱小国に味方する凄腕の傭兵だった。
例えば、闇の住人・カリーニ。そう呼ばれていた傭兵は依頼であれば対象が善人であっても躊躇い無く殺害する暗殺者だった。
現在の世界において『傭兵』という存在は光にも闇にも存在する。聖剣のように民衆や国家から称えられる善人的な傭兵もいれば、闇の住人・カリーニのように国際指名手配されるような悪人だって存在する。
こういった有名・特徴的な傭兵には傭兵界隈の中で自然と二つ名が付く。彼等のような存在を界隈では『ネームド』と呼ぶのだ。
「……違う」
「ハッ! 当てられたからって照れんなよ! 傭兵なら誰でもネームドに憧れるもんさ! なんたってクライアントの金払いが良くなる! 俺の知り合いもネームドになった瞬間、依頼料が10倍に跳ね上がったとよ! 10倍だぜ!? 10倍! そいつは1万ルクセント札で自分のケツを拭きながら “俺もようやく有名人……" なーんて感動してやがった! HAHAHA!!」
「…………」
いい加減、会話を終わらせたい。そんな雰囲気を漂わせるウルフだが、ジョニーの軽快なトークは目的地付近まで続く事になる。
ただ、ジョニーは目的地まで最短ルートでウルフを運んだ。しかも、アガムの雇ったセイバーが敷く警戒網を華麗に掻い潜りながら、敵が占拠する地域に潜入したのに一度も会敵する事すら無く。
まるで敵の警戒網を事前に把握しているような、彼の口と同じ軽快さ。一度も魔導車を停める事無く、隙間をスルスルと通り抜けるように『荷物を運ぶ』腕は見事としか言いようがない。
「どうして敵の警戒網が分かるんだ?」
目的地付近に到着した時、ウルフはジョニーにそう問うた。
「長年の勘さ。兄弟」
ジョニーはバックミラー越しにウルフを見ながらニッと笑う。
成功の秘訣は決して口にしない。口にしてしまえば、自分の強みを他人にマネされてしまうからだ。特にジョニーのような運び屋であれば猶更だろう。
「ところで、兄弟。こんな辺鄙な廃工場前で良いのか?」
「ああ、構わない」
クライアントであるランディから言われていたのは敵が占拠する研究所から数百メートル離れた場所にある元食料加工工場だった。
数十年前はこの地域を支える主力工場だったようだが、新工場が街の中に建設されたせいで閉鎖されたらしい。閉鎖されてから数十年経っているせいか、建物自体はちょっと小突いてやれば崩れそうなほど老朽化している。
「YO! 帰りもアンタを乗せて帰るよう言われてんだ! 帰る時は信号弾を打ち上げな!」
「ああ。了解だ」
ウルフは後部座席にあった信号弾入りの魔導拳銃をコートの内ポケットに入れつつ、ジョニーに礼を言いながら降車して空を見上げる。
彼の目線の先には長い煙突があった。ウルフはその場から正門の上にジャンプ。そのまま工場内にある建物の屋根へと飛んで、勢いそのままに煙突の側面へ向かって3度目のジャンプ。
両腕から飛び出した爪を煙突の外壁に突き刺し、ブーツの底に生えるアイゼンを喰い込ませた。そのままウルフは爪とアイゼンを使いながら50メートルはあろう高さの煙突を器用に登って行く。
地上に残されたジョニーは愛車の窓から身を乗り出し、掛けていたサングラスを外しながらウルフの姿に釘付けとなっていた。
「……ワオ。最近の狼男は煙突まで登るのかよ」
車内に身を戻したジョニーは「狼型の獣人にだってマネできねえぜ」と言いながら肩を竦めた。
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・研究所
トン、と軽い音を立てて研究所の屋上に着地したウルフは屋上から下を見渡した。研究所周辺には傭兵達が警備を行っており、夜襲を行われないよう至るところに灯りをともしている。
特に研究所へと続く一本道には強固な金属製のゲートが新たに建設され、ゲート前には武装が施された魔導車と共に傭兵達が警備を行っている。唯一の入り口であるゲート、地上を照らす多くの光源、どれも敵が部隊単位で攻めて来るのを想定してだろう。
確かに研究所敷地内にいる100人を超える傭兵達を殲滅するには同数かそれ以上の戦力が必要となる。ただ、ウルフが単独でやって来て、更には空を飛ぶように屋根伝いに侵入して来るのは想定外といったところか。
『研究所内にいるアイザック・ホプキンスという研究者を探したまえ。彼はアガムに誘拐された身だ。話せば協力してくれるだろう』
ランディとの距離が離れすぎているせいか、通信にはノイズが含まれていた。肝心の内容は聞き取れたので問題は無かったが。
とにかく、今回のミッションはアガムが製造するエーテル・ボムの奪取、もしくは破壊である。地上にいる傭兵達を観察し終えたウルフは屋上にあったドアから研究所内に侵入する。
研究所内は真っ暗だった。屋上へ続く階段を降った直後の廊下――ウルフが現在いるのは最上階である4階だが、4階にある廊下や小部屋には明かりが無い。廊下にある非常階段を示す緑色の光だけが灯っていて、警備すらも行われていないようだ。
その事を通信機越しにランディへ伝えると『恐らくは地下じゃないかね?』と返答がきた。
彼曰く、エーテルの圧縮化には専用の大型設備が必要で運転させると騒音が凄まじいらしい。相当な爆音なので運転音を密閉できるよう地下に設備を作るのが一般的だそうだ。
話を聞いたウルフは下の階へ続く階段をゆっくりと下って行った。3階、2階……と階段を降りていき、2階へ続く踊り場に到着すると廊下には光があった。
壁に沿うように移動しながら灯りのある廊下を覗き込む。すると、廊下を歩く丸腰の傭兵が一人いた。彼はタンクトップにズボンといったラフな格好で酒瓶を片手にフラフラと個室へ消えていく。
どうやら2階は傭兵達が生活を行うフロアのようだ。
「…………」
ウルフはその場で片膝をつきながらじっと黙り込む。
ここまでは問題無い。だが、問題はランディの言っていた研究者がいるであろう地下の入り口がどこにあるかだ。出来る事ならば静かに目標へ近づいて、敵に気付かれないままエーテル・ボムを無力化したい。
さて、どうするか。じっと考えるウルフの耳にドアが開く音が聞こえてきた。廊下を覗き込むと顔を真っ赤にして酔っ払った傭兵がフラフラと廊下を歩きながらウルフのいる方へ向かって来るではないか。
「あ~……チックショウめ……。すっからかんだぜ……」
どうやら酔っ払った傭兵は小部屋の中で開催されていた賭けの大会にエントリーしていたようだ。金を毟り取られたのか、小言を繰り返しながら向かって来る。
どこに向かう気だ、とウルフが廊下の先を探るとトイレのマークが印された看板が天井からぶら下がっているのが見える。
ウルフはスッと立ち上がり、酔っ払った傭兵が来るのをジッと待つ。コツコツ、と傭兵が鳴らす靴底の音が大きくなっていくのを聞きながらタイミングを計り――
「あ? ムグゥー!!」
通り過ぎようとした瞬間、片手で口を塞ぎつつ腕を絡めて拘束。拘束された傭兵は暴れながら叫ぶが、口を塞がれているせいもあって叫び声は仲間達に届かなかった。耳元でウルフに「黙れ」と言われながら腕を捻り上げられると、観念したのか大人しくなる。
「地下の入り口はどこにある? 言わなければ殺す」
ウルフはそう言いながら口を塞ぐ右手に収納されたナイフの刃を伸ばして傭兵に見せつけた。驚いたせいか、それとも脅されたせいか、傭兵の股間に染みが出来ていく。トイレに行く手間は省かれたらしい。
「ち、地下への階段は西棟の奥だ」
「警備の数は?」
「い、入り口に何人か……」
怯えを含ませた声で告げる傭兵の答えを聞き、ウルフは「そうか」と短く返した。
傭兵は拘束する力が緩んだことにホッと胸を撫でおろすが、次の瞬間には頭を両手で押さえつけられる。まさか、と顔色が変わった瞬間にはもう遅かった。
ウルフは傭兵の頭を無理矢理回転させて首の骨を折る。魔導外骨格のパワーアシストのおかげもあって、木の枝を折るよりも簡単に人の骨を折る事ができた。首の骨を折られた傭兵はダラリと力が抜け、ウルフが頭を話すと地面に崩れ落ちる。
死体となった傭兵の手を掴み、そのまま3階まで引き摺って死体を隠すとウルフは再び階段を降って1階へ。死んだ傭兵の言っていた西棟を目指し、警備の目を掻い潜りながら進んでいく。
西棟に到着し、そのまま奥まで進むと地下へと続く階段の前には分厚い金属の扉があった。扉には回転式のハンドルが付いていて、地下への入り口を密閉するような構造となっている。
ただ、問題は入り口を守る傭兵達だ。先ほどとは違って酔っ払ってもいない。魔導銃を下げた正常な4人の傭兵が扉を守っている。
殺害した後に死体を隠せるような場所は無い。例え隠せたとしても、重要な場所を守る人員が4人も消えたとなればいずれは異変に誰かが気付くだろう。
時間の問題だ。
ウルフはそう言わんばかりに扉へ続く廊下に姿を晒す。黒いアーマーに狼を模したようなヘルメット、それに黒いコートを羽織った『正体不明の何者か』が廊下に現れれば、敵は嫌でも気付く。
「おい! お前、何モンだッ!」
真っ先に気付いた傭兵が魔導銃を構えて銃口をウルフへ向けた。対するウルフは廊下の中央に立ったまま、静かに腰からブレードを抜く。
ブレードを逆手に持ち、そのまま一直線に猛ダッシュ。踏み込みの瞬間に廊下の床が弾けるような勢いで、驚く傭兵に向かって瞬時に肉薄した。
「ギ――」
肉薄すると同時に一人目の傭兵の首を刈った。断末魔を叫ぶ暇すらも無く、傭兵の頭部が宙を舞う。そのまま隣にいた傭兵の顔面に肘鉄を喰らわせて鼻の骨を粉砕。傭兵の鼻から血が噴き出したのと同時に3人目の懐に飛び込む。
飛び込んだ瞬間、右足を軸にして体を半回転させた。コマのように回転しながら3人目の喉を切り裂き、ウルフの背後に位置していた4人目の傭兵に向かってブレードを投擲。
投擲されたブレードは4人目の傭兵の右目に突き刺さる。右目から突き刺さったブレードの刃が脳すらも破壊したのか、4人目の傭兵はゆっくりと背中から倒れていった。
「ぐうう……ギャ!?」
最後に鼻を粉砕されて悶絶していた傭兵の顔面に全力パンチ。頭蓋骨を粉砕する感触を装甲越しに感じながら、パワーアシストで強化された拳が相手の頭部にめり込んだ。
血塗れになった右手を相手の頭部から引き抜き、突き刺さったブレードも回収する。4人殺害までに掛かった時間はおよそ30秒も満たない。相手には一発も撃たせずに殺害するという華麗な芸当を見せた。
ただ、殺ってしまえば時間が無い。ウルフは右手とブレードに付着した血を拭う時間すらも惜しいと、すぐに扉のハンドルを回して重厚な扉を開ける。
重厚な扉を開けた先には地下に続く階段があった。階段は薄暗く、壁に取り付けられた赤いランプが回っていて、赤色の光だけが唯一の光源だった。
ウルフは急ぐように階段を駆け下り、階段の終点まで向かう。向かった先には巨大なフロアがあって、中にはランディの言っていたエーテル圧縮作業に使う様々な魔導設備が備わっていた。
ただ、運転音は鳴っていない。まだ設備は稼働していないのだろうか。
「ランディ。地下に到着したが、設備は稼働していなさそうだ」
『それは……った……研究……連れ出し……』
地下施設に侵入したウルフが通信するもノイズが大きくてランディの声はほとんど聞こえない。地下にいるせいで阻害されているのか、それともこのフロアにある設備のせいかは不明だが、とにかくここからはウルフが独断で判断を下す事になりそうだ。
「そこにいるのは誰だ!?」
通信機のノイズを聞いていると、フロアから人の声が聞こえてきた。声の方へ顔を向けると、そこには白衣を着た中年男性が立ってウルフを見つめている。
「アイザック・ホプキンスか?」
「あ、ああ、そうだが……。アガムの使いか? まだ設備のメンテナンスが済んでいないと言ったろう?」
どうやらウルフをアガムの仲間だと思い込み、作業の催促をしに来たと思っているらしい。
「違う。俺はエーテル・ボムを無力化しにきた」
「無力化……? ああ! まさか、ガーランド国軍の軍人か!? 助かった! 私は無理矢理奴等にやらされて――」
アイザックは勤め先である研究所から帰宅途中に拉致されたらしく、この場にいる経緯を矢継ぎ早に説明し始めた。今度はウルフをガーランド国軍の者だと思い込んでいるようだが、ウルフはこれを利用することにした。
「説明は後だ。時間が無い。エーテル・ボムを無力化したいのだが、どうすれば良い?」
「あ、ああ。そうだな。……エーテル・ボムはまだ製造されていない。製造の準備をしているところだ」
アイザックは正面にあった巨大な筒型の箱を指差した。
「エーテル圧縮炉が旧式なのが幸いしてね。私はあれの調整を行っている段階だったのだ」
悪魔の兵器を製造せずに済んだ、とアイザックはため息を漏らす。どうやら製造に使う設備が旧式だったせいで、未だ1発も作られてはいないらしい。
「マナストーンはあるか?」
「マナストーン? マナストーン本体は無いよ。砕いた破片の一部は運び込まれてきたがね。一体、あんな希少な物をどこで手に入れたのやら」
保管場所に案内しよう。アイザックがそう言った瞬間、フロアには魔導銃の銃声が響いた。
「え? あ……」
銃声が鳴り、発射された弾はアイザックの腹部を撃ち抜いた。アイザックの服に赤い血のシミが広がっていき、彼が床に崩れ落ちる。すると、背後には一人の男性が立っていた。
「やはり時間稼ぎをしていたか」
濃い緑色の戦闘服に赤いベレー帽。ベレー帽から零れる金髪と切れ長の目。アイザックを撃った者の正体はガーランド国陸軍少佐スタンリー・ネイソン。
ウルフは彼を知っている。ガーランド国軍時代に何度か作戦を共にした。ただ、深く話し合うような仲でもない。顔を知っている、程度だろうか。
「貴様も大佐の邪魔をしに来たのだな」
スタンリーは魔導拳銃をウルフに向けながら、彼の黒い全身を見て眉間に皺を寄せた。見た事も無い装備を身に着けるウルフを警戒しているのだろう。
「あの方の崇高なお考えを邪魔させるわけにはいかない」
「…………」
崇高な考え、と聞かされた瞬間、ウルフは拳を強く握った。同じ組織に属する部下を殺し、更にはその身内までも巻き込むような外道。その外道の考えが『崇高』などと笑えない。笑えないどころか、更に憎しみが増すばかり。
「貴様は包囲されている。逃げ場は無いぞ。所属はどこだ? どこの組織がお前を雇った?」
「…………」
スタンリーの言う通り、地上から続々と傭兵達が雪崩れ込んで来た。傭兵達はウルフから距離を取りながら囲み始め、一部の者はフロアの上部にあった設備観察用通路に昇って上からウルフへ銃口を向ける。
並みの人間ならば突破できないような包囲網。一斉射されれば簡単にハチの巣となるだろう。だが、ウルフは命乞いなどしない。スタンリーの疑問にも答えてやらない。
ウルフは右側にいた傭兵へ顔を向けながら、左手で右腕を撫でた。撫でた右腕を見つめていた傭兵に向けて――
「くたばれ」
一言だけ言葉を発すると同時に右腕にはエーテルの光が収束して、槍の先端を模したエーテルの塊が撃ち出された。エーテルの塊は傭兵の腹部を貫通し、腹部に大穴が開く。
腹に穴を開けた傭兵は白煙を漂わせながら地面に倒れる。
「撃てええええ!!」
ウルフの一撃が戦闘の合図となった。スタンリーの叫びと同時に傭兵達の一斉射が始まる。吐き出されたエーテルの弾はウルフに殺到するも、魔導外骨格の装甲に弾かれて致命傷とはならない。
致命傷にはならないが、いくら耐性を持つ魔導外骨格といえど浴び続ければどうなるかは分からない。といっても、ウルフがジッと弾を受け続けるわけないのだが。
ウルフは右手にブレード、左手にはホルスターから魔導拳銃を抜いて応戦を始める。まずは手近の者を排除しようと、先ほど殺した傭兵の方へ走り出した。
4人一塊で行動していた傭兵達の中に突っ込んでブレードを振るう。一振りすれば肉が切り裂かれ、体を翻しながら拳銃を撃てば相手のミソが床に飛び散る。
人間離れした圧倒的な機動力と防御力。ただの傭兵にウルフを止められる術などない。まさにこの場において最強の位置に君臨しているのはウルフただ一人。
一人、また一人と傭兵が肉塊へと変わっていった。次々に仲間を殺される傭兵達は魔導銃を撃ち続けるも、ウルフの機動力に狙いをつける動作がついていかなかった。
「ギャッ!?」
フッと視界から消えたと思えば既に真横に接近され、喉か心臓をブレードで一突き。仲間がやられている隙に魔導銃を撃つも、今しがた殺された仲間の死体を盾にされて防がれる。
そしてまたウルフに狙われた傭兵が一人殺されていくのだ。
「クソッ! クソッ! 化け物がッ!」
フロアの上側から魔導銃を乱射する傭兵が恐怖のあまりに吼え散らかした。その声が大きすぎたのか、それとも上から飛んで来るエーテル弾がいい加減鬱陶しくなったのか、ウルフは顔を見上げて叫んだ傭兵の顔に視線を向ける。
ウルフはその場でジャンプして、上にあった通路まで飛び上がった。通路には落下防止用の鉄壁が腰の高さまであるのだが、その壁に腕から伸びた爪を喰い込ませながら一気に登りきる。
通路に足を着けると前方と背後には傭兵の姿が。自ら挟み撃ちされるような登り方をしてしまったが……当然、問題は無い。
「うわああああッ! 来るなッ! 来るなああああ!!」
連射されるエーテル弾を装甲で受け止めながらウルフは前方にいた傭兵に向かって走り出す。ブレードで喉を貫き、殺した傭兵を肉盾にしながら他の傭兵達を魔導拳銃で仕留めていく。
だが、ここでウルフの撃つ魔導拳銃がカチンと音を鳴らして発砲できなくなった。魔導銃のエーテル切れだ。
ウルフは拳銃と肉盾にしていた傭兵の死体を投げ捨てると、ブレードを下段に構えながら傭兵へと走る。走り出した瞬間、傭兵の背後には巨大な釜があるのが見えた。
釜はフタが開いていて、液状化したエーテルがグツグツと煮だっているのが見える。そもそも、この上部通路はエーテル炉の様子を見るための観察用通路なのだろう。
ウルフは傭兵に接近すると持っていた魔導銃を奪い、腹に蹴りをお見舞いした。
「う、うわあああ!?」
腹を蹴られた傭兵は背後にあったエーテル炉へと落下していく。煮だったエーテルの中に落下した傭兵は断末魔を上げながら、溶けるように釜の中へ沈んで行った。
「何をしているッ! さっさとヤツを殺せッ!」
下からスタンリーの怒号が聞こえ、ウルフが視線を向けるとスタンリーは二人掛かりで長い筒を持つ傭兵達の傍にいた。
スタンリーはともかく、フルプレートメイルのような防具を身に着けた大柄な傭兵二人が持ち上げている兵器が問題だ。長い筒状の魔導兵器の名は魔導ランチャーと呼ばれる対魔導装甲兵器用の武器である。
スタンダードな魔導銃が放つエーテル弾よりも強力な弾を撃ち出すランチャーだ。携行兵器基準に搭載されたセーフティのギリギリまで圧縮したエーテルを撃ち出すそれは分厚い装甲を備えた軍用車に大穴を開けるほどの威力を持つ。
射手と補助を行う二人がフルプレートメイルのような形をした特殊防具を着込んでいる事から、使用者すらも対エーテル防御を施して銃身の半ばから後ろ側に位置していないと、圧縮エーテル弾が放つ余波で自傷ダメージを負ってしまう。
ただ、先ほども語った通り威力は凄まじく、自傷しない為の対策さえしていれば優れた兵器と言えるだろう。
しかし、そんな物を室内でぶっ放せば建物だって無事では済まない。むしろ、研究所の設備があるような場所で撃てば大事な設備が壊れる可能性が高い。
早く撃てと叫ぶスタンリーを見る限り、この研究所を捨てる選択をしたのだろう。研究所よりも、ここでウルフを始末する方が重要だと思ったのかもしれない。
「撃てええええッ!」
大柄の男一人が膝立ちになりながらランチャーを肩に担ぎ、もう一人の男がランチャー後部にある照準器を覗きながらスタンリーの合図と共にトリガーを引いた。
ランチャーの大きな銃口内にエーテルの光が収束していき、吐き出されたエーテルの塊が高速でウルフに迫る。
「チッ」
さすがのウルフもこれには舌打ちを漏らす。
人間離れした機動力で直撃は免れたものの、十分な距離は稼げなかった。掠ってもいないのに弾から放たれるエーテルの残滓が左腕の装甲を溶かしたのだ。
ミスリルによって耐性コーティングされた装甲をジュワリと融解させ、内部機構が露出してしまう。溶けた左腕からはバチバチと緑色の火花が飛び散り、魔導具化されていたウルフの左腕が機能不全に陥った。
しかし、被害はそれだけでは済まない。
避けた事でランチャーの弾は壁に衝突。衝突と同時に大爆発を起こし、爆発の余波でウルフは吹き飛ばされてしまう。上部通路にいたウルフは下に落ち、ゴロゴロと床を転がる。
転がる彼の背中には左腕と同じく装甲の融解が始まっていて、魔導外骨格の機能停止は免れたものの、それでも大ダメージは受けてしまった。
「ぐッ!」
だが、無様に床へ這いつくばっている場合じゃない。
エーテル弾は地下フロアの壁と天井に大穴を開けた。壁と天井が崩壊した事で地上まで穴が開き、上にあった土やコンクリートなどが地下に流れ込む。
雪山で起きた雪崩のように崩れ落ちてくる事態に飲み込まれないよう、ウルフは背中に痛みを感じながらも足を動かしてその場から逃れた。
研究所がダメージを受けたせいで地下フロア内には『ビービー』と鳴る警告音と赤いランプがいくつも光を放ち始め、地下施設がいつ崩壊するかも不安要素の一つとして急浮上する。
「…………」
態勢を整えたウルフはヘルメットの中で顔を顰めながらも自分と敵の状況を見比べる。
現状、ウルフのヘルメット内にあるディスプレイには『魔導外骨格に深刻なダメージ』と警告の文字が赤く点滅していた。
警告される通り、ウルフの左腕は全く動かない。同時に背中には火傷のような痛みが広がって、融解した装甲の一部がウルフの生身を焼いたのだろうと推測できる。
対し、敵は――
「次弾装填!」
「援護しろ!」
再びランチャーを撃つためのリロード作業に入っていた。残りの傭兵達は魔導銃でウルフが近づかないよう牽制射撃を続ける。
「…………」
ウルフは右手に持つブレードを強く握りしめた。またランチャーを撃たれてはたまらない。ここで勝負を決めるべきだ、と。
「――――!」
ウルフはランチャーを守る傭兵達に駆け出した。しかし、魔導外骨格がダメージを受けているせいもあって、走るスピードは明らかに落ちている。
だが、前面の装甲は無事だ。エーテル弾を弾きながら接近してブレードを振るう。一人ずつ確実に仕留めていき、ランチャーまでの人壁をこじ開けていく。
「装填完了!」
「撃てッ! 撃つんだよォォォッ!!」
ウルフが到達するまであと少し。焦るスタンリーは仲間を犠牲にしてでもランチャーを撃てと命じた。命じられた傭兵は一瞬だけ躊躇するも、ここで撃たなければウルフに殺される。自分の命と仲間の命を天秤に掛けて、震える指でトリガーを引いた。
ヒュウウン、と銃口内でエーテルが収束していく音が鳴り響く。あと数秒でランチャーは再び弾を発射するだろう。
しかし、射手が抱いた一瞬の戸惑いがウルフに時間を与えた。彼は弾が完全に放たれる前に人の壁を抜け出す事に成功する。
壁を抜けたウルフはランチャーの射線から逃れる事無く一直線に走る。収束が終わる瞬間に到達したウルフは、勢いそのままにランチャーの銃口を天井に向かって蹴り上げた。
蹴り上げた瞬間、ランチャーからは再びエーテル弾が放たれる。放たれた弾は天井に向かって飛んでいったが、銃口間近にいたウルフの胸部装甲が一部融解し、魔導外骨格内にある彼の生身が露出してしまう。
直撃を受けた天井には大穴が開いてしまったが、幸いにも一発目のような雪崩は起きなかった。
「ぐうううッ!」
燃えるような痛みを胸に感じながらも、歯を食いしばって痛みに耐えるウルフは一歩踏み出しながら右腕を振るう。
振るった右腕に持つブレードの刃がランチャーを支える傭兵の首元に吸い込まれる。一刀で首を断ち、そのまま二歩、三歩と踏み込んで今度は射手の首元に向かってブレードを振るう。
間近でそれを見ていたスタンリーの目にはスローモーションのように見えたかもしれない。傭兵の首が二つ宙を舞う中、目の前には傷だらけになった黒い狼が迫って来るのだ。
「この――!」
スタンリーは持っていた魔導拳銃を構え、ウルフに向かって撃つ。だが、放たれたエーテル弾はウルフのヘルメットに当たるも弾かれてしまった。
となると、結果は……もうお分かりだろう。
「ぐはッ……」
スタンリーに接近したウルフはブレードを彼の腹部に突き刺した。至近距離で二人の視線が合わさると、ウルフはスタンリーに問いかけた。
「アガムはどこにいる?」
「が、がはッ! だ、だれが、言うか……!」
死に際に抵抗するスタンリー。だが、ウルフは何としても吐かせようと腹部に突き刺したブレードをぐるりと回転させて、彼の臓器を破壊する。
「ぎ、ぐは……」
「どこだ! どこにいる! 答えろッ!!」
スタンリーの口から大量の血が吐き出され、彼の体は小刻みに痙攣し始めた。だが、訪れる死に対抗するスタンリーはウルフの顔を見ながら最後の瞬間まで口を堅く閉じ続けた。
「クソ……」
ウルフはブレード引き抜き、雑にスタンリーの死体を床に捨てる。最後までアガムに忠誠を尽くした彼から居所を吐かせる事は出来ず。ウルフは身を翻すと、胸の傷を抑えながら地上に向かって行った。
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・追跡
研究所地下から地上へ戻ったウルフは研究所の正面ゲートを開放した。
近くにあった箱の上に腰掛けて、体の痛みに耐えながらボロボロになったコートのポケットから信号弾入りの魔導拳銃を取り出す。それを空に向けて撃とうと構えたが、彼の耳に魔導車に搭載されているエーテル・エンジンの駆動音が届く。
駆動音に集中すると、音はどんどんと近づいて来る。どうやら研究所に向かって来ているようだ。
研究所内で派手に戦いすぎた。もしかしたら増援がやって来たのかもしれない。
ウルフはすぐに身構えながら近づいて来る駆動音に集中し続けるが――やって来たのは見覚えのある軍用車だった。
「ヘイ! ウルフマン! 乗れよ!」
ウルフの目の前で停車した軍用車の運転手はジョニーだった。ここまでウルフを乗せてきた運び人だ。彼は窓から上半身を出すとウルフに向かって「早くしろ!」と催促を繰り返した。
「どうした? まだ信号弾は撃っていないが?」
後部座席に乗り込んだウルフはジョニーに問う。
「あんたのボスが出した使いから連絡があった! あんたが研究所をぶっ潰したから迎えに行けってな!」
経緯を説明するジョニーの声音には、軽口を叩いていた行きと違って真剣さがあった。アクセルを踏みながらハンドルを回転させる動作も素早く、どうにも急いでいるように見える。
ただ迎えに来ただけであればこうはならないだろう。
「んで、あんたらが追ってる悪党の位置が判明! 悪党が逃げ出したから、あんたを乗せて追いかけろとよ! まったく無茶言うぜ! まぁ、依頼料は倍にするって言われちゃ受けないわけにもいかねえよな! HAHAHA!!」
魔導車を切り返し、来た道に向かってアクセルをベタ踏み。ジョニーは下り坂の多い山道をアクセル全開で駆け抜けて行く。
ガタンガタンと車体が何度も浮くが、ジョニーは決して道からタイヤを踏み外す事は無かった。転落防止の柵すら設置されていない急カーブも華麗なドライビングテクニックで難無くクリアして、トップスピードを維持し続けた。
「あんたらが追ってる悪党は国境を越えてジルダニアに入る気だとよ! あの国は戦争中で無法地帯だからな! 逃げ込む先としちゃもってこいだ!」
ジルダニア国はガーランド国と陸続きの隣国だ。現在、他国と戦争中でジルダニア側の国境警備はザルである。戦争の状況としては国境警備に人を割くくらいなら前線に人員を投入したい、それくらい切羽詰まった状態。
となれば、ガーランド国側の警備を強引に突破してジルダニア側へ進入してしまえば良い。
国境警備を行うガーランド国軍は戦時中国家の領土内へ迂闊に入れないし、戦争中の国に軍が無許可で侵入してバレたら大問題になる。
ガーランド国軍がアガムの悪事に気付いてアガムを追おうにも、問い合わせ先であるジルダニアは戦争中でそれどころじゃない。アガムがジルダニアへ入ってしまえば正攻法で追うのはほぼ不可能だ。
加えて、世界的企業であるレッド・マテリアル社もジルダニアへ足を踏み入れたと公になれば「国を支援する気か?」と火に油を注ぐような事態になる。
ガーランド国内でアガムを仕留めなければウルフの復讐は先送りになる可能性が高い。ランディはそれを察知してジョニーに急ぐよう命じたのだろう。
「理由は分かったが、使いとは誰だ?」
「ああ? あんたと同じような恰好しているヤツだったぜ。声からして女っぽかったが」
知らないのか? とジョニーはバックミラー越しにウルフの顔を見た。
言われたウルフも自分と同じような存在がもう一人いるなど聞いていない。ランディの部下なのか、それとも違うのか。今言える事はそのもう一人の人物が『ウルフを監視していた』という事だろう。
だが、そんな事実が判明してもウルフにとっては関係無しといったところか。彼としては復讐を遂げられれば何でもよい。
ジョニーが運転する軍用車は山道を脱して国道に出た。そのままジルダニアとの国境方面へと爆走を続け――
「あれだ! 見えた!」
フロントガラスの先に4台の魔導車が見えた。先にいる魔導車はジョニーが運転する軍用車と似たタイプで、砂色のカラーリングが施されていた。
荷台には魔導機関銃が設置されており、傭兵団が用意した戦闘用魔導車なのだろうと一目でわかる。
「よっしゃ! 近づいてやるから全員ぶっ飛ばせ! じゃねえと俺が金貰えねえ!」
アクセルベタ踏みで追いかけるジョニーはハンドルを握り直しながら叫ぶ。
「武器が無い。片手も使えない状態だ」
だが、ウルフの状態は満身創痍。対装甲車用の装備は持っていないし、あるのは愛用のブレードと右手に備わった内蔵魔導兵器くらいだ。ただ、これらで装甲車4台を相手するには心許ない。
しかし、ウルフの言葉を聞いたジョニーはバックミラー越しに「ニッ」と笑う。
「安心しなよ、兄弟。俺はサービス満点の男だぜ!」
そう言いながらジョニーは運転席側にあったボタンを押した。
すると、トランクとの仕切になっていた後部座席の背もたれがバタンと倒れた。
「トランクにある一番大きなケースを開けな! ご機嫌なモンが入ってるぜ!」
銀色のやつだ! と叫んだジョニーの言葉を頼りにウルフはトランクにあった銀色のケースを引っ張り上げた。
ケースを開けると対装甲車用に作られた魔導重火器が。エーテル式の爆発物を撃ち出す物で、弾となる爆発物を回転式チャンバーに収めたタイプ。簡単に言えばエーテルを燃料として作られた爆発弾を飛ばすグレネードランチャーである。
本体の他には密封ケースに収納された予備弾も用意されていて、ジョニーの言う通りサービス満点と言えるような準備具合。いや、運び屋であっても戦う場合があると想定して用意していたのかもしれない。
「それなら片手でも撃てんだろ! 野郎共のケツに火を点けてやんな!」
やっちまえ! と叫びながらジョニーは運転席真上にあったロックボタンを押した。すると、ルーフの一部が開いて外に身を出せるようになる。
ウルフはそこから上半身を晒し、ジョニーを前に行かせないようブロックする敵車両に向かって発砲。ポンと軽快な音を鳴らしながら撃ち出されたエーテル・グレネードが車両の上を通過してボンネットの上に落ちた。
ボンネットの上にコツンと当たった瞬間にグレネードは大爆発を起こす。当然、爆発の直撃を受けた車両はボンネット側にあったエーテル・エンジンを吹き飛ばして大破。車体全体が炎に包まれながら前方宙返りのように空を舞った。
勿論、乗っていたセイバーの傭兵達も一緒に。車体と一緒にあの世行きだ。今頃は地獄までの道のりを魔導車で向かっている頃だろう。
「FOOOO!! あんた、良い腕してるぜ! 見たか!? 乗ってた傭兵が丸焼きのチキンみたいになってやがった!」
ウルフの腕前を賞賛しながら、傭兵の死に様に大笑いするジョニー。彼は行く手を阻んでいた邪魔者がいなくなると、最後尾の車両を追い越してアガム一行と並走を始めた。
しかし、相手もやられっぱなしじゃない。荷台にあった魔導機関銃の銃座に傭兵が座り、並走を続けるジョニーの魔導車に向けて射撃を開始し始めた。
「ヘイヘーイ! そんな豆粒の連打じゃ、うちのティファニーを傷付けられねえぜ~?」
なんと魔導機関銃から発射されるエーテル弾の直撃を受けてもジョニーの愛車『ティファニー』は傷一つ付かない!
予め言っておくが、傭兵達が使っている魔導機関銃がショボいというわけじゃない。しっかりと兵器メーカーが製造した純正品で品質保証もされている。効果にご満足頂けない場合、2週間以内であれば返品も可能なヤツである。
だが、ティファニーの肌はそれよりももっと優れている特別製らしい。ジョニーは窓越しに笑いながら、銃座に座る傭兵に向かって中指を立てた。
「ウルフマン! 終わらせちまいな!」
ジョニーの叫びに応じて、ウルフは並走する3台のうち、先頭車両に向かってグレネードランチャーを放つ。
先頭車両が爆発を起こすと真後ろを走っていた一台がハンドル操作を誤って横転、最後尾にいた車両は爆発した先頭車両の残骸と横転した車両を避けるも、ウルフの攻撃を受けて爆発した。
3台とも無力化すると、ウルフの「停めてくれ」という要請に応じてジョニーは急ブレーキを掛けながら停車する。
「すまないが、銃はあるか?」
「ああ、これを使いな」
ウルフがジョニーに問うと、ジョニーはダッシュボードの中にあった旧式の魔導拳銃を取り出した。グレネードランチャーと同じく回転式チャンバー方式の拳銃だ。もしかしたらジョニーはリボルバー愛好家なのかもしれない。
とにかく、ウルフはリボルバーを受け取ると外に出た。
まずは爆発した先頭車両に近付き、中を覗き込むが死体は燃えていてアガムかどうかは判別できない。
次に横転した車両に近付こうと足を向けると、横転した車両の後部座席ドアが開いた。中から血塗れになった腕が伸び、縁を掴んでいる様子から中にいる者が外に出ようとしているようだ。
ウルフはそれに近付き、横転していた車両の上に飛び乗った。伸びていた血塗れの腕の持ち主が誰なのか確認すると――
「き、さま、は……!」
腕の持ち主はアガムだった。彼は頭に怪我を負ったのか、血を流して荒い息を繰り返す。下半身が挟まれてしまっているようで簡単には脱出できない状態にあった。
逃げ場を失ったアガムはウルフを見上げ、対するウルフは憎き相手の顔を見下ろしながらジョニーから借りたリボルバーをアガムへ向ける。
「どうして仲間だった者達を殺した?」
「仲間……?」
「どうして隊のメンバーを殺したんだ? どうして関係のない家族も巻き込んで殺したんだ!!」
ウルフの脳裏には元気に笑う妹の姿が浮かんでいたに違いない。愛すべき家族、たった一人の家族であった妹はこの男に殺された。
「どうして、だと……? そんな、もの……。計画のためならば、小さな犠牲に過ぎない……! この国を変える為の小さな犠牲だ!」
アガムがウルフに言い返すと、それを聞いていたウルフは小さな声で「妹は……」と零した。その呟きを拾ったアガムがハッと何かに気付いたような表情を浮かべる。
「そう、か、貴様は――」
アガムは「妹」というワードでウルフの正体に気付いたのだろう。
「その男は死んだ」
だが、アガムがウルフの「名前」を言う前に向けられていたリボルバーからエーテルの弾が発射された。発射された弾はアガムの額に当たり、頭部を撃ち抜かれたアガムの上半身から力が抜けて倒れた。
「…………」
死体となったアガムを見つめるウルフ。確かに彼が言った通り、妹を失った男は既に死んでいるのだ。
もうこの世にはいない。いるのは黒い魔導外骨格を纏った『ウルフ』だけ。
ウルフは横転した車体から飛び降りると背を向けてジョニーの待つ方へと歩いて行く。ジョニーの魔導車に乗り込むと、無言でリボルバーを返却した。
「もういいのか?」
「ああ」
一部始終を見ていたジョニーは何かを察したのか、これまでの軽口は鳴りを潜めてしまう。その場から立ち去る魔導車の中には静寂が満ちていた。
帰り道の道中、ジョニーはチラチラとバックミラー越しにウルフの顔を窺う。何か言いたいように口をパクパクとするが、やはり言えないといった様子。
ガタンガタンと揺れる魔導車の音とエンジン音だけが鳴り響き、車内には重苦しい雰囲気が漂っていたが……。
走り出してから15分程度経って、ようやくジョニーは決心したようにウルフへ声を掛ける。
「なぁ、トイレ寄っていいか? もう漏れそうだ」
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・最後の疑問
ジョニーの運転によってレッド・マテリアル社の医療施設に戻ったウルフは、彼が最初に目覚めた地下施設へと向かった。
「やぁ、おかえり。復讐を果たした後の気分はどうだね?」
薄暗い部屋の中でランディはウルフの帰還を笑顔で迎えた。彼は小さなテーブルに歩み寄るとワイングラス2つにワインを注ぎながら問う。
「晴々しくはないな」
「そうか」
ランディは両手にワイングラスを持ちながらウルフの答えに返した。持っていたグラスの片方をウルフへと差し出して「乾杯といこうじゃないか」と言うが、対するウルフはワイングラスを受け取らない。
「その前に聞きたい事がある」
「なんだね?」
「どうして俺の復讐に手を貸した?」
ウルフの問いは彼が目覚めた時から疑問に思っていた事だ。
どうして自分の復讐に協力してくれたのか。ウルフとランディは全く面識がなかった。特別助けてもらえるような繋がりなんてありはしない。
「お前は慈善活動をするようなタイプには見えない」
ウルフがストレートにランディへの印象を口にする。彼が言った通り、ランディは『企業の人間』だ。それも何万人と従業員を抱える企業のトップである。そんな人物が利益無しに事を起こすだろうか。
「なんと失礼な。まぁ、君の推測は正しいがね」
ふふん、と鼻を鳴らしながら笑うランディ。彼はグラスをテーブルに置くと、代わりにリモコンを手にしてボタンを押した。
ウルフが見につけている外骨格が初めて登場した時と同じように部屋の壁がぐるりと回転。すると、姿を現したのは虹色に輝く巨大な宝石だった。
「マナストーンか」
「ああ。私の目的はこれだ」
虹色に輝く巨大な宝石。これこそが全ての元凶。
ウルフが妹を失くしたのも、彼が名前を捨てることになったのも、全てを失ったウルフにランディが手を差し伸べたのも。全てはマナストーンという存在に繋がる。
「前に言った通り、マナストーンとは希少な物だ。物の価値を正しく知らぬ悪党が持つには惜しい。それに、私は国際研究機構に出資もしているのでね」
「……これを研究者達の手に渡す為に?」
「ああ。だが、国際研究機構に属する研究者達じゃない。私のラボで働く研究者達のためだよ」
結局、ランディもマナストーンという希少な存在を欲していただけ。悪党が破壊に使うためではなく、企業の利益を生むためか。どちらにせよ、ランディが世界の平和を願う聖人君子ではないというのは確かだ。
「君を助けたのはアガムやその一味を引っかきまわしてくれると思ったからだ。復讐という感情は驚くほど人の行動力を増幅させる。成し遂げた君のようにね」
「…………」
ふふ、と小さく笑うランディ。全てを知っているかのような言い方だが、実際そうであったウルフは反論できない。
「俺が連中と戦っている間にお前はマナストーンを追っていたんだな」
「ああ、そうとも。別働部隊というやつさ」
ジョニーが会った『ランディの使い』という存在がそうなのだろう。大企業のトップともなればいくつも手札があるのは頷ける。
「利用した事、怒っているかい?」
ランディはワイングラスの中にあるビンテージワインを口にしながらウルフへ問う。
この世界に生きる人々の中には「利用される」という行為に嫌悪する人間もいるだろう。だが、ウルフは首を振った。
「いいや……。感謝している」
利用されていたとしても、ウルフは復讐を遂げた。愛すべき家族を失って、その怒りと憎しみを犯人であるアガムにぶつけることができたのだから。
「そうか。まぁ、そう言うと思っていたよ」
ふふん、と鼻を鳴らしたランディはワイングラスにワインを再び注ぐ。両手にワイングラスを持って、再びウルフへ近寄った。
「これからどうするか考えはあるのかね?」
ランディの問いにウルフは沈黙する。これからどう生きるのか、どう生きていけばいいのか考えているのだろう。
元の名前は失った。戸籍も死亡扱いになっていて存在しない。復讐を終えた彼は、この世界において『幽霊』と同義の存在だ。
ウルフは黙ったままランディの顔を見ると、ランディはニコリと笑う。
「迷っているようだね。では、そんな君に私から新しいオファーをしよう。傭兵となって我が社と契約を結ばないかね?」
「契約?」
「ああ。君の才能を失うのは惜しい。魔導外骨格を使いこなせる人間は限られているのでね。我が社と契約を結び、私の元で傭兵として働かないかね? 報酬は期待してくれていいよ。なんたって、私は大金持ちだからねぇ!」
あっはっはっは! と声を上げて笑い出すランディ。
こんなヤツの下で働くのは果たして正しい選択なのだろうか。ただ、何もかもを失っている現状では最善の選択なのかもしれない。
「いいだろう。オファーを受けよう」
ウルフは頷くとヘルメットを外して素顔を晒す。大きな傷が入った素顔と感情が消え失せたような表情は確かに傭兵として相応しい顔と言えるだろう。
「ふふん。そう言ってくれると思っていたよ」
ランディはそう言いながら片方のグラスをウルフへ差し出す。二人はグラスを持って――
「これからよろしく頼むよ、ウルフ」
「ああ」
二人はグラスをぶつけ合い、中にあったワインを一気に飲み干した。
読んで下さりありがとうございます。
物語を短く纏める練習(1万字程度の予定)で書き始めたのに何故…。
同時にSF要素っぽいのを入れた話は今どうかなーと実験的に書きました。
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