第十五話、一緒に逃げないか?①
どんどん伸びてゆく更新間隔ぇ……
薄暗い店内、青白く染まり始めた空が、窓の外に広がっている。店内にいるのは私と店主のみ。いつもは多少いるウェイトレスさえ居らず、ゴルドくんだけがこちらを目を細めて伺っている。私の目の前には湯気を立て、温かいことを主張するスープ。その湯気に含まれる香りが私の鼻孔をくすぐり私にそれが美味しい存在であることをこれでもかと認識させてくる。あるいは湯気だけでも美味しい、というべきか。
中に入っているのは刻まれた野菜と肉。赤、緑、黄色と彩り豊かなスープという名の湖が広がっている。肉は……見た目だけだと何の肉かは判別つかないな。だが美味しそうなのは確かだ。私はそれをスプーンで掬い、ふーっと息で冷ましてから口の中へと入れる。そう、吸血鬼であっても火傷はするのだ。『再生』はできるが魔法使って治すよりは最初から火傷しない方向がいいのは言うまでもないことだろう。
口の中に入れて広がるのは柔らかな塩味、後からゆっくりと野菜のコクが上ってくる。叫んでしまうほどの強烈な旨味ではなく、ゆったりと心が落ち着くような静の旨味。ふとした拍子に噛んだ肉からもまたじわりと美味しさが溢れ出る。肉の種類は――――なんだろうな、これ。美味しい、すごく美味しいんだが、何の肉かが分からない。いやこれは私の舌が馬鹿だとかそういう訳ではなく、おそらくまたしてもこの世界由来の肉なんだろう、モンスターとか。とはいえ今聞き直すのも色々と微妙だし、仕方ない、ここは美味しい謎肉としてスルーしておこう。ところで美味しい謎肉って言うと前世由来の別のものが頭に浮かぶのは私だけだろうか?
それにしても暖かいスープ――汁物はどうしてこうも心地よいのだろうか。本音を言えばごくごくと音を立てて一気に飲み干したいほどだ。だが、私は――親のすねかじりがメインであったとしても――社会人。悲しいかな、そういう振舞いはできないのである。それにせっかくのこの美貌をそうした振舞いで汚してしまうのは実にもったいないことだ。
一杯一杯、静かにそして優雅にスプーンでスープを救い取り口へと運ぶ。静寂に包まれた店内で丁寧な所作でスープを飲む私はきっと、それはそれは絵になっていることだろう。その様子を外から見ることができないのは非常に残念だ。現代だったら誰かに言ってスマートフォンで写真を撮ってもらって送ってもらえるんだがなぁ。
「すまないな、忙しい時間だろうに。」
「いえ……」
こちらへ軽く会釈するゴルドくん。こんな時でもきちんと美味しいものを出してくれるそのプロとしての力量は称賛(と嫉妬)に値する。とはいえ、私も何もただ料理に舌鼓を打ちに来たわけではない。もちろん料理に惹かれなかったわけではないが、あくまでサブである。今回私がこの店にやってきた理由は―――
「今、この店には私とゴルドくん以外はいないのかな?」
「は、はい。人が少ない時間帯ですし、何よりその……」
「ああ、そうだな。緊急事態だからな。」
再度スープを口へと運ぶ。再び口内に広がる優しさを感じながら私は本題のため、口を開く。トラブルにはならないと信じたいが、最悪対応できるように覚悟をしておいた方がいいかもしれない。……それならまずスープを飲み干すべきか?このスープが万が一にも飲み切れない可能性があるのは大いなる損失だ。いや、しかし今優先すべきは時間の方か。はぁ、最近こういう覚悟を決めなければならない事態が多いように感じる。私は決断や責任は誰かに押し付けて利益の上澄みだけ欲しいというのに、儘ならないものだ。
「それで西か、東か?」
「―――は?」
「おいおい、そこまで驚くことか?この緊急事態だ。当然の質問だろう?」
眼を丸くしてこちらを見つめるゴルドくん。じりりと一歩後ろに下がる彼の左足。額を冷や汗が流れ、拳がぎゅっと握りしめられる。まあそりゃそうだろう。吸血鬼側から逃げるつもりだな、と聞かれたのだ。実際に逃げるつもりであったのなら緊張するに決まっている。こうしてマウントを取れたことで私の心に一時の安らぎと高揚感が広がる。だがこれに流されては今はいけないだろう。というかここで戦闘になったら色々と不味いからな。安心させるように笑顔を作り彼へと言葉を向ける。
「ああ、別に責めようとかそういう意図はないさ。家族が大事なのだろう?戦いに巻き込まれたくないと思うのは当然のことだ。」
特に彼に関しては奥さんが妊娠中だからな。戦いなどごめんだろう。逃げるのは当然だ。それに逃げるのは彼だけではないだろうし。とはいえ多少後ろめたい気持ちもあったのだろう。こうも簡単に態度で魅せてくれるとは、鎌をかけた甲斐があった、というべきか。……もう少し後なら逆に逃げれなくなってたんだろうがな、母子の安全的に。
「どうして……」
「まっ、気づくさ。ゴルドくんだけじゃない。山羊族の何人か、ですらないな。結構な人数だろう、逃げようと動いているのは。そうなればどうしようとある程度は分かるものさ。」
まあそれでも確証は得られないから、さっきの鎌かけをしたんだが、それを言う必要はない。如何にも全て分かっていた風に笑いかける。分かっている風を装う、如何にもやっている風に見せる、これは実に役に立つスキルだ。まだ修得していない者は修得することをお勧めしよう。
「で、西か?それとも東か?東だったら少し頼みたいことがあるんだが……」
「た、頼みたいこと……?」
「ああ、と言っても頼まないのに言ってもしょうがないだろう。で、どっちなんだ?」
「……………………そ、それは。」
「うん?何を躊躇う必要がある?私はもう君たちが戦いの前に街を去ろうとしていることには気づいているのだし、何かしようとしている訳でもないんだがなぁ。それとも私はそんなに信用できないかな?これでも君とはそれなりに良い付き合いをしてきたと思うんだが。」
「い、いえ、すいません。動揺してしまって。ひ、東へ行くつもりです……。」
何とも言えない困惑と恐怖と愛想笑いが入り混じったような表情で私の問いに答えるゴルドくん。その様子から考えるに、彼が飛び切り演技が上手いということでなければ言ったことは真実だろう。よかった。そうであればと思っていたが、どっちになるかは未知数だったからな。とはいえいくら受け入れられるからと言っても西は少しリスキーに感じたのかもしれない。基本的に伝手があるとすれば東の方だろうし、西へ行けば裏切り者と言われることになるだろうからな。それに自分たちと直接ではないとはいえ戦っている相手をそこまで信用できるかという問題もあるだろうし。少し胸をなでおろしつつ、それならと私は彼へと頼みを行う。
「そうか、東か。それである程度まとまって移動する、というのは間違ってないよな?」
「え、えぇ、そうですが……」
「ああ、そう怖がる必要はない。頼みというのもすごく簡単なことだ。
―――――私も一緒について行かせてはくれないか?」
私の言に対して目を丸くし、困惑するゴルドくん。今日はよく彼の困惑顔を目にする日だ。私と彼との付き合いもそう短い訳ではないというか、話した回数だけならお父様と同じ程度であろう彼だが、しかし私に対する理解度もお父様と同じ程度とはいかなかったようだ。とはいえこれが普通なのだろう。私は自分のことを分かりやすい人間――種族的意味ではなく――だと自負しているが、しかしだからこそと、いくらか誤魔化しも行っているからな。気づかなくても不思議ではないだろう。
「そう驚くことか?こちらの現状を考えれば敗色濃厚なんだ、逃げること自体は不思議なことじゃないだろう。それに逃げることについても同じく逃げようとしているゴルド君が言えることではないだろう?」
「そ、それはそうですが……」
「ああ、勘定の問題かな?西、人間側ならともかく東側なら吸血鬼の地位は悪くない。私一人いるだけでも多少なりとも侮られる可能性が減るだろう、それは逃げて新天地へ向かうにあたって大きな価値があると思うが?それにこう見えても私は優秀でな、一緒にいれば色々と役に立つとも思うぞ?」
まああちらが私個人に期待するのは主に吸血鬼としての武力だろうが、それを直接言うと矢面に立たされるからな。それとな~く、伝える程度にしておく。それに現代で言えばこれは引っ越しより夜逃げに近い。小回りが利きづらくなるとはいえ妊婦を抱えている以上仕方のないことなのだから、それなら人数が増えた方が心強いだろう。
それにそんなつもりはないとはいえ、私が君たちが逃げようとしていると触れ回ったり、あるいは逃げようとするのを邪魔したらどうなるか、なんて想像に難くないだろう。なるべく早く逃げなければいけないというのに余計なトラブルなど以ての外。そこでなんとかやっていけるだけのスペックがあるなら逃げたりはしな―――あー……まあ私なら何とかなる可能性もあるか。絶対辛いと思うけど。まあでも力があるからって立派に生きないといけないなんてことはないんだし、仕方ない仕方ない。ともかく私を連れてってくれないならどうなっても責任は取れないんだけど……ついて行ってもいいよな、ゴルドくん?
「わ、わかりました。その、私の方から他の者たちに伝えておきます。」
「おおっ、そうしてくれるか!ありがとう、いやぁ、助かるよ。受け入れてもらえなければ一人で逃げる羽目になっていたからな。」
えっ、フレリアちゃん?いや確定情報でもないのに話すわけにはいかないだろう。それにここで受け入れてくれたからと言って本当に受け入れてくれているとは限らないしな。態々戦いを仕掛けたりはしないだろうが、別の集合場所を指定しておくとか、囮にするくらいは普通にあり得るというか私なら選択肢に入れる。
私は笑顔でゴルドくんの手を取りぶんぶんと振る。勢いのまま苦笑いを浮かべているゴルドくんに集合場所を尋ねる。どうやら街の外、東側の森の中の川沿いで落ち合うようだ。少しばかり不安になる集合場所ではあるが、街の中で集まるのが色々難しいと判断してのことらしい。人数が集まると目立ってしまうからな。それで時間帯はこの後のお昼少し前、人間たちが攻めてくるであろうギリギリか。いやわざとギリギリにしているのか?各々が集合できる時間を考えて。私の場合は―――ギリギリなんとかなるか、睡眠とか休憩とかは入れられないが、致し方あるまい。
ということでその残り少ない時間を使ってスープに再び口をつける。えっ、なんでそこでスープなんだ?馬鹿を言うな、これから色々大変なことをしないといけないというのだから、その前に美味しいものを食べるくらいいいだろう。本心を言えばもう少しがっつり色々と食べておきたかったんだが、材料はほとんど逃走用の保存食の分と街に接収された分でなくなってしまっているようなのだ。
そういうわけでこの野菜スープは大変貴重な品である。なので私はスプーンでゆっくりと、それはそれはゆっくりとスープを飲むのだ。だがしかし飲んでいるうちに悲しいことに気付いてしまう。このスープを飲み干してしまえば私はもう動かなければならないということに。つまりこのスープの残りこそが私に与えられた猶予なのである。けれど私はこのスープに口を付けないという選択肢を取ることはできない、できないのだ。その美味しさの前に私の自制心はいともたやすく溶けてゆく。スプーンで掬い、口へと運び、飲む。スプーンで掬い、口へと運び、飲む。そして気が付けば私の眼の前にあったはずの美しき湖は干上がっていた。悲しい。美味しかったけど、悲しい。
「ありがとう、美味しかったよ。それじゃあまた後で、な。」
「はい、またの後程……」
スープを飲み干し、付いていた水で口の中をそそぎ、一呼吸を置いてから席を立つ。二人だけの店内にカツカツという足音が響く。私に向けられた、いやおそらくは私だけではなくこの後のことを考えているのであろう不安そうな眼差しにふっと笑みを浮かべて扉を開く。
カランコロンという小気味良い音。外を見れば青白い空。浮かび上がったばかりの太陽からの微笑みを持っていた黒い日傘で防ぐ。店を出て歩を進める私の周りに柔らかな風が吹いていた……。
スープって割と当たり外れ大きいですよね。




