洋食屋スローフェレッセ
素敵な時間てのはいいですね。
~洋食屋スローフェレッセ~
人通りの少なくなった商店街を2人は連れ立って歩いて行く。
商店街の中程までくると一軒の洋食屋スローフェレッセと書かれた看板が見えた。
建物は商店街の中にありながら、西洋風の白いタイル壁に店内を見渡せる大窓、年季の入った机と椅子が数卓ほど置かれたカフェテラスにはワインを片手に若い女の子達が話に花を咲かせて賑やかだった。
「ここです、中見てきますから少しここで待っていてください」
「あ、了解しました」
入口とテラスに挟まれた待合椅子に腰掛けさせて木製の重厚な扉を開けて中に入った。
「いらっしゃ・・・って夏帆か」
「よぉぅ・・・」
「どしたの?元気ないわね?」
高校からの同級生、そして、この店の女主人である日下部順子がレジ台の前にちょうど立っていた。襟に白いラインの入った黒ワンピースに磨かれた黒革靴を履き、顔はこれまた日本人形を思わせるほど色白で整っており同い年の私より数段上の綺麗だ。当然、男性客ファンも多い。
「いや、えっと、席空いている?」
「いつものカウンターなら常に空いているけど?」
定位置のカウンター奥の椅子には「なつの予約席」と札がかけられており、その周りに数人の顔見知り(常連)が座っていた。
そのおじさん達がこちらへと誘うように手招きをしてくる。軽く手を振って違うのと返事を解すと不思議そうな顔をした。
「テーブル席があるかな?」
「テーブル席?」
「二人掛けの席をお願いしたいのだけど・・・」
「奥の窓際なら空いているわよ・・・、なつ、そのジャケットに関係ある人?」
「え!?」
レジの反対側に置かれている姿見に写った自分を見て驚いた。あのまま気にも留めずに彼のジャケットを羽織ったままだ。
「すぐに用意するわね」
魔女のような笑みを浮かべ、順子がレジから出て右手を店内に向けた。常連客も何かを察したのだろうニヤニヤしながらこちらを見ている。完全に店選びを間違えた。居酒屋にでも行った方が良かったかもしれない。
「彼氏さん、早く呼びなさいよ、外は寒くて冷えるわよ?|
「彼氏じゃないよ」
首を振った。
「彼氏じゃないのなら、誰の上着を羽織っているのさ。あんたみたいにガタイのいい女に上着を貸すだなんて物好き、なかなかいないでしょ?」
「そういわれると・・・」
そこまで言わなくても良いと思う。
「勢いのあるアンタが吃るくらいだもの、そうでなくても何かあった男でしょ?諦めて呼びなさいよ」
「諦めてって・・・彼にも本当にここでいいか確認してくるわ」
踵を返すと後ろから驚くほど冷たい返事が返ってきた。
「ここじゃなきゃ、許さない」
慌てて振り向くと笑っていない目をした順子が微笑んでいた。
「わかったわ・・・。呼んできます」
夏帆は扉を開けて外へと出た。冷えた空気がさらに冷たく感じるのは気のせいではないだろう。
「貴船さん、席空いているそうです」
「お、それはよかった・・・って大丈夫ですか?」
スマホを操作していた彼がこちらに微笑んできたが、私の顔色と表情を察したのだろう。
「だ、大丈夫です」
「もしかして無理言って席を開けてもらいました?別のお店でも大丈夫ですよ?」
「いえ、そうではないの・・・ここ、同級生がやっていて」
「あ・・・もしかして下手に勘繰られちゃいました?」
ジャケットを指さして彼が笑う。
「う・・うん」
「それは迷惑を掛けました・・・。すみません」
笑みが消えて申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、店を選んだのは私ですし・・・」
「えっと、諦めて入ったほうがいい感じですかね?」
「うん…お願いできますか?」
「分かりました。誤解は解きますから安心してください」
「えっと・・うん」
スマホを鞄にしまった彼が自分と私のカバンを持って立ち上がった。
「あ、今、開けますね」
扉を大きく開けて先に貴船に入ってもらう・・・と、ふいに店内の雑音が消えてBGMだけになった。
「いらっしゃ・・・」
順子のはなやかな声も途中で止まった。
「・・・えっと・・・」
店内の女性客のほとんどが彼に視線を向けており、あの順子に至っては頬を染めてぼんやりと彼を見ている。
カウンター席の連中は鳩が豆鉄砲を・・といった表情だ。
「順子、席に案内・・・」
そう言いながら彼を見て私も驚いてしまった。
こういったことに疎い私はそんなこと気にしたこともなかった。公園の時もそこまでしっかりと見てなかったが、店内の明かりで細面で魅力的な顔立ちがしっかりと映えており、目の下のクマがなんとも言えないミステリアスな雰囲気をさらに醸し出していた。
美男子の部類に入るほどだ。
「素敵な人ね、夏帆」
睨みの入った視線が飛んできた。
「そうじゃないの」
「いいのよ、気にしないでね。えっと席へご案内しますね」
「あ、お願いします」
和やかな笑みを彼に向けて順子が席まで案内をしたので、私もその後ろをついていくのだが、他の女性客の視線が彼と私を見るたびに順子と同じような視線をしてくるのには参ってしまった。
「こちらへどうぞ」
順子が椅子を引いて彼を誘導する。
「夏帆さん、先にどうぞ」
それを軽く受け流して彼は私を先に座らせようとした。
「え・・あ、でも」
「先に座ってください」
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて・・・」
彼の前に出て椅子へと向かうと順子が阿修羅の形相で睨んできた。
「えっと・・先に貴船さんが・・・」
振り向いてそう言い終わらないうちに彼は対面席に腰を掛けている。
「夏帆さん、どうぞ、お座りください」
冷たい順子の言葉に彼の上着を渡して有無を言わずに私は座った。
「あとで詳しく聞くから・・・」
座る直前に頭の上に小声が降ってきた。
「メニューをお持ちしますね」
「お願いします」
彼が軽く頭を下げた。
「いえいえ、あ、夏帆、定番はやめなさいよ」
「しないわよ」
定番とは予約席でいつも頼む、生ビール大ジョッキにサイコロステーキとスティックサラダのセットのことだ。あれはあれでおいしいのだけど。
「定番?」
「あ、気にしないでください。案内してくれたのが同級生でよく食べに来ているんです」
「じゃぁ、嵐山さんに聞きながらメニューを選んだほうが良さそうですね」
「どれもおいしいわよ。でも、そうね、私のおすすめは定番だけどハンバーグかな」
「あ、いいですね」
「確かにおすすめだけど、気に入ったもの選んでくださいね」
メニューを差し出した順子が割って入る。
「ハンバーグは祖父の代からの昔ながらのだから、若い子の口に合うかわからないけど」
そう言いながらメニューを開いてハンバーグの写真を見せている。
「ハンバーグの定食のライスでお願いします」
「あら、ありがとう」
「押し売りよね・・・」
夏帆が呆れたように声を漏らした。
「まぁね、でも、味は私が保証するわ」
「4席前の方が食べていましたよね、それがとっても美味しそうでしたから、よろしくお願いします」
お手拭きで手をふきながら彼は順子に笑みを向けた。
「は・・はい」
その笑みに魅せられるように順子の声が上擦る。
「あたしも同じものをお願い、あと、貴船さん、お酒は飲めますか?」
「ええ、そこまで強くはないですが・・・・」
「ワインはどうです?」
「ええ、飲めますよ」
「順子、グラスで適当に見繕ってくれる?」
「はいはい。あなたはいつもビールばかりだものね」
今度は呆れた声で順子が返事をした。
「そんなに飲まれるんですか?」
「蟒蛇の様に飲むわよ」
貴船の心配そうな顔が夏帆を見た。
「だ、大丈夫よ、今日はそんなに飲まないからね」
「お、お願いします」
「では、ハンバーグ定食を2つとワインをグラスで2つ用意しますね。」
そう言って紙伝票に書き控えた順子が軽く頭を下げて去っていった。
「今日は本当にごめんなさいね」
改めて貴船に頭を下げて詫びる。
「本当に気にしないでください」
「そう言って貰えると本当に嬉しいのだけど、でも、それってそんな体験を良くするってことなのかな?」
「そうですね、たまには、という感じで全くないわけではないですよ」
「そうなのね・・・、私は丸川商事って会社に勤めているのだけど、貴船さんはどんな仕事をしているの?」
「大きい企業に勤めてるんですね。私は・・・しがない公務員ですよ」
丸川商事はこの県では大規模に入る企業だ。内情はブラックだがそれを大きい会社と知っているということは県内在住なのだろうか。
「市役所の職員さんには見えないから・・・警察とかそっちかな?」
丸川商事は県内の自治体と契約していることが多いのだが、こんな素敵な男性が市役所などにいれば風のうわさに聞くだろうし、社内の女子会仲間からも情報が入ってくるはずだった。
「サクラの連中とは違いますよ、まぁ、しがない国家公務員です」
「サクラ?」
「あ、ああ、まぁ、警察関係ではないです」
警察をサクラと呼ぶ言い回しに、確か何処かでと夏帆の中で引っかかる。
「でも、やっぱり商社は大変なのですね、あそこまで追い込まれてしまうのだから・・・」
「そんなに辛くないと思っていたのだけど・・・今回は疲れちゃって・・・」
「それは大変でしたよね、苦労は理解できないけど、疲れていることは見ていて良く分かりましたよ」
柔らく優しい声が本当に理解してくれているように響く。
「う・・・うん、今までこんなことなかったのに、疲れていても、飲んで、ドラマ見て、過ごしていれば問題なかったのに・・・」
少し目元が潤んできて、視界が少しぼやけてきた。こんなに私は涙もろかっただろうか。
「考えすぎないのが一番です、美味しいもの食べて、ゆっくり眠る事ですよ、ね。」
微笑んだ貴船がじっと夏帆を見た。
その微笑みは無条件で安心を与えてくれると思えるほど素敵なものだ、思わず少し視界がぼやけながらも笑みが溢れてしまう。
「うん、ありがとう」
「こちらこそ、今は1人じゃないですからね」
何故だかそう言われるとますます安心感が増してきた。
出会って間もないのにここまで入り込んでくる人はやっぱり初めてだった。
「わかってやっている?」
「なにがですか?」
「なんでもない」
そう言って窓の外に視線を向けると赤色灯を回転させた軽自動車のパトカーが通り過ぎていく。
「巡回かな・・・」
貴船も同じように窓の外に視線を向けた。パトカーは速度を落として丁寧に付近を見回っているようだ。
「うん、例の連続殺人の警戒だと思うけど・・・」
「まだ、犯人は捕まっていないんですよね」
この寝名榎市で2か月前から発生している連続殺人事件がある。
正しくは「寝名榎市一家惨殺連続殺人事件」という。
5件の事件で下は10カ月の乳児から88歳の老人までの5家族35人が犠牲となっている。県警も寝名榎市警察署に捜査本部を置いて徹底的に捜査をしているが未だに犯人のめぼしすらついていない。
マスコミに至ってはネットニュースよりも書きたい放題、言いたい放題だったが、親族が寝名榎市に住んでいたコメンテーターがテレビでぼろくそに言ったところ、その家族を見せしめと称して殺されてしまっている。ちなみに10カ月の乳児はこの家族の子供だ。
「お待たせしました・・・・。二人とも外を見てどうしたの」
背の低いワイングラスを机に置いた順子が不思議そうに外へ目を向けて、そして不安そうな目でそれを見た。
「巡回は真剣にしてくれているのだけど・・・、肝心の犯人が捕まらないと怖いわよね」
「地元の事件ならなおさら怖いですよね」
「うん、来ているお客さんもみんな心配しているわ、それに不審者もウロウロしているらしいから・・・」
「そうなの?」
二人は順子の方を見た。
「ええ、最近噂になっているわよ?夏帆は知っていると思っていたけど・・・」
「知らないわよ、そうじゃなかったら昨日も遅くまで飲んで帰らないわよ・・・」
そういえば昨日はめずらしく順子が泊っていけば?と声を掛けてくれていたのを思い出した。帰宅したら連絡を入れるようにとも言われて玄関先でグダグダになりながらレインを入れたのを思い出す。
「不審者ってどんな噂なのですか?」
貴船が不安そうに聞く。
「詳しくは知らないけど、ここ1週間くらい前から彷徨っている女性が目撃されているらしいのよ」
「ふらふら彷徨う女ね」
「それだけなら、夏帆みたいな酔っ払いの可能性もあるのでしょうけど、そいつを見つけて声をかけた人が切り裂かれて、商店街入り口の交番に駆け込んだって話よ。数軒先の肉屋の奥さんが、隣の路地で現場検証をしていたって言ってたわ」
「そんなことが・・・」
「ええ、やせ型の小柄な女だったそうよ、それとすごく綺麗だったらしいわね」
「でも噂話の類でしょ?」
「噂話なのだけど、出元が意外と信用なるのよ、肉屋の奥さんは話を集めるのは好きだけど、誇張することはしない人だから、ある程度は信頼が置けるわ」
「誇張しない人なら話にもある程度は信頼が置けますね、それ以外にも何か言われていました?」
貴船が納得してさらに問う。
「そうね、あとは警察の人が愉快犯じゃないかって言っていたそうよ。連続殺人鬼とは切り口が違うらしいって」
「なるほど・・・そんなことまで・・・」
一人で納得した貴船に二人は不思議そうな表情をした。
「まぁ、そんな暗い話はおしまい、さぁ、もうすぐ料理もできるから先に飲んで待っていて」
そういってワインの入ったグラスを右掌で示した。
「あ、ありがとう」
「ありがとうざいます」
ワイングラスには桜色のロゼワインが注がれていた。テーブルごとに釣り下がっている電球の明かりがその色をさらに引き立てている。
「ごめんなさいね、普通なら赤ワインとかもいいのだけど、あの事件のこともあってね。できるだけ血の色を避けるようにしているのよ」
「気の回しすぎじゃないの?」
「ううん、夏帆、実際に赤ワインは売れ行きが悪いわ」
「そうなんだ」
「そんなもんよ、でも、料理に合うようなものをチョイスしたから、騙されたと思って飲んでみてね」
軽く会釈して順子が去っていった。
「では、まずは乾杯ね」
「ええ」
二人は軽くグラスを合わせると、心地よい音が軽く響く。
夏帆は少しの間、ワインを見るふりをして貴船を覗き見た。
ワインの飲み方でもこだわりがあるかもしれない、合わせるのもマナーだし、ビール党の彼女にあまりワインは馴染みがなかったのもある。
「綺麗な色だなぁ」
素直な感想を漏らした貴船はゆっくりとグラスに口をつけて飲む。
「おいしいですね、これなら料理にも合いそうですよね」
「それなら良かった」
笑顔で返事をして夏帆も一口飲む、ビール党の彼女にも飲みやすい味心地だ。多分、夏帆が気を利かせてくれたのだろう。
「本当だ、飲みやすいわね」
「でしょう、これなら普段ビールの方でも大丈夫ですよ」
「う・・・」
「私も同じです、普段はビールばかりですからね」
「そうなの?」
「ええ、まぁ、薄給ですから発泡酒ばかりですけど・・・」
「私も宅飲みでは同じよ、オンライン飲み会ように高い物も取り揃えてはいるけどね」
「あ、同じですね、ビール党は銘柄が見えてしまうから、ちょっと見栄も張らないといけないところが辛いですよね」
「そうなのよね、まぁ、気にしなくてもいいのだけど・・」
オンライン飲み会でも苦労はあるのだ。めんどうくさいがこればかりは仕方ない。
「それに最初の一杯くらいは良い物で始めたいですしね」
「うん、そうなのよね」
「で、何回も続いていくと結構な出費になるのよ」
「ああ、分かります、分かります、1か月を見直すとアレ?ってなりますよね」
「なるなる、それが困るのよね、そういえば家は近くなの?」
「ああ、ここから市電で二駅ほど過ぎた辺りです」
「南栄駅のあたり?」
寝名榎市役所のあるあたりを南栄町という。あの辺は旧家が立ち並ぶあたりで最近では再開発も行われて高級住宅街にもなっている。
「いいとこの子なんだ」
ぼそっと言ってシマッタと思う。
「そうでもないですよ、あのあたりは古いだけですから」
「でも、言い方が悪かったわ、ごめんなさいね」
「いえいえ、慣れていますから、それに普段は東京に住んでいます」
「あ、そうなの?」
「ええ、出張のついでに実家で過ごしていたのです」
「出張のたびに経費申請とか、めんどうくさいわよね」
たまに出張があるが、経理部に申請書を出すと大体文句が返ってきて辟易する。
「あはは、うちなんて実家の場所ばれていましたから、実家に帰れと言われましたよ」
「どこも厳しいんだ」
「ええ、本当に・・・」
二人してため息をついたところで料理を順子が台車に乗せて運んできた。
「お待たせ、お待ちかねのハンバーグよ」
しっかりと焼けた鉄板の上で焼ける音を響かせ、香ばしい匂いを漂わせながら、立派なハンバーグがお目見えした。
序章はここまで。