ふわふわロールパンの話。
一話完結で特にストーリーの連続性はありません。
さらっと読める程度の長さの話にしています。
「ハ~ァ……。あのハゲオヤジめっ……!」
今日あった出来事が頭の中に浮かんでしまい、私は家路をトボトボと歩きながらため息を吐いていた。
大学を卒業するとまあまあの企業へと就職し、OLとなってせっせと働く毎日……。
平凡ながらも普通のなんてことはない日常を送れていることに幸せを感じてはいたが、自分の選んだ仕事がまさかこんなにもと思えるほどにストレスの溜まる仕事場だとはとため息ばかりであった。
「仕事自体は楽しいんだけどさっ。如何せんあのハゲオヤジがなぁ……。脂ぎった目つきで、一応は訴えられない様にと考えての事なのか、色々と誤魔化しつつもギリギリのラインを攻めてくるセクハラ………あぁ、嫌だ嫌だっ……!」
うっかりと思い出してしまったセクハラ上司の所業に、背筋がゾワリと震えた。
「まぁ、明日は休日だしっ! 趣味のパン作りでもしてストレス解消でもするかなぁ~。」
元々何かを作るのが好きだった私が社会人になってからハマったのがパン作りである。
初めはただ何となくやってみた程度であったのだが……、パンを捏ねるという行為がストレス解消にぴったりだったのもあって、あっという間にド嵌りしてしまったのだ。
机の上にセクハラ上司の顔を思い浮かべながらビタンビタンとパン生地を叩いていると気分がスッとするし、焼き立てのパンの香りは気持ちが安らいでリラックスするし、おまけに美味しい。
「日々のストレス解消にもなるパン作りが、私の休日の唯一の楽しみなんだから!」
夕闇の迫る中、もうだいぶ静かになってきて人の少なくなった近所の商店街の中を通っていく。
「……あれっ? こんなの出来てたんだぁ!」
いつも変わらぬ景色だと思っていた馴染の商店街の中で、ふと目を横にやるとオシャレな木製の扉を誂えた見慣れぬ一軒のお店を見つけた。
「アンティークショップ? へ~ぇ。まだ開いているし、ちょっと入ってみちゃおっと。」
入口に掲げられた可愛らしい服を着て懐中時計を持ったウサギのマークの看板に心動かされ、オシャレな物が大好きな私は店内へと入ってみた。
その中はアンティークショップや骨董品店などの古いものを売っている店にありがちな何とも言えない匂いが漂い、気分をワクワクと上向かせていく。
「アハッ! 何これ~。……おぉ~! 可愛い~。」
何に使うのか分からない形をした銀製の器や、面白い模様がついたブックエンド等、店内は昔大事に使われたであろう温もりを遺した様々な雑貨や小型家具が置かれ、怪しげな雰囲気に溢れていた。
こんな時間だし、恐らくは閉店間際であろう店内は貸し切り状態で私一人……、少々騒いでしまったがそんな私を見ても店員と思われる若い女の人はこちらに気付くと微笑まし気にニコリと笑ってみせた。
「……ん?」
ちょっと恥ずかしくなってしまった私が立ち去ろうと振り返ると、順路からは隠される様に少し奥まった場所へ、まるで私を呼んでいるかの様に本が一冊こちらに向かって立てかけられてあった。
手に取るとズッシリとした古めかしい装丁をしており、英語で『妖精の枕』と金で縁取られたタイトルが記されていた。
何だろうかと中身をペラペラと捲ってみると、色々なパンのレシピがそこには載っていた。
「へ~ぇ。普通のレシピ本と違って何だか日記みたいに書いてあって面白いなぁ……。それにレシピの横には実物の写真じゃなくて、出来上がったパンの絵が描いてある~。しかもそのパンを枕にして妖精が寝てる絵だし……。フフッ……!」
不思議な感じのするそのレシピ本に惹かれ、この本がどうしても欲しくなった私は、いいお値段のその本を清水の舞台から飛び降りる勢いで買って帰ることにした。
「ありがとうございました~。」
この本を手に取ってから今日あった嫌な出来事なんて忘れ、私の家路への足取りも軽くなった。
翌朝、早速このレシピ本を使って私はパンを作ろうと試みることにした。
「材料はだいたいあるし~、何作ろうかな~ぁ。」
そんなには厚くないこの本は、アンティークの本というだけあって載っているレシピは皆、昔の欧米の人らが日常的に食卓にあげている様な雰囲気をした、見た目が決して派手ではないシンプルな物ばかりであった。
「所々おかしなレシピも混じっているけど、今日は……コレにしようかな。」
そんな中でパッと目に留まって選んだ今日の一品はロールパン。
「フフフッ! 『柔らか枕が大好きな森の妖精たちのお気に入り、楽しい夢の見れるふわふわロールパン』って……。名前は可愛いけど、お店で売ってたら定員に注文するのが恥ずかしいレベルのやつだな。でも、森の妖精かぁ……。そういえば最近はあんまり余裕なくて近所にしか出かけられてないな~。」
なんてことを一人呟きながら大きなポケットの付いたエプロンをし、レシピを確認しながら棚から出してきたホーロー製の密閉容器から小麦粉を木製のミニスコップでデジタル秤の上に乗せたボウルの中に入れ、必要量の重さを量ったりして手際よくパンを作る準備を始めた。
「こ、れ、で、いいかな~。……よしっ! 準備オッケー!」
小麦粉にイーストに砂糖・塩、室温に戻した卵にバター、それにスキムミルクにお水を入れて……と、本から読み上げるレシピを歌にして、ロールパン作りを私は楽しく始めた。
「この、捏ねる作業が私は好き。小さい頃、粘土細工をしたのを、思い出すんだよね~。」
捏ねて、捏ねて、捏ねて……、なめらかな生地になったら丸くまとめて一休み。
「今日の気候だと窓際に置いておけばできるかな~。一次発酵させている間にミルクティーでも飲もうっと。」
マグカップにティーバッグを入れると沸かしたてのお湯を注ぎ、冷蔵庫から出した牛乳をたっぷりと加えると椅子に座り、疲れを体外へと出す様にフゥっと息を吐いた。
そして作ったミルクティーを飲みながらレシピ本を読み、チラチラとボウルを観察しているとあっという間に二倍の大きさへと生地は膨らんだ。
ツンツンと突くと風船の様に丸く膨らんだ生地は何とも気持ちの良い感触をしており、ずーっと触っていたくなったがその願望を振り払い、次の工程へと進んだ。
指をズボッと挿しこむと生地からはフシュ~っと余計なガスが抜け、それが早くパンにしておくれと私に訴えかけているみたいに感じた。
「まだまだよ~。」
一次発酵の終わった生地を6等分に切って分け、それぞれを小さく丸めると更に生地を少し休ませてから麺棒で細長く潰し、しずく型になった生地をクルクルと巻いてロールパンの形へと成形する。
「うんっ! 上出来! 我ながらキレイにできたもんだ。」
キレイにな形へと成形できたことに自画自賛をしながら予めクッキングシートを敷いておいた天板の上へと乗せ、重ならない様に感覚を開けて合計6つの生地を並べた。
「さて次は二次発酵っと……。」
成形のおわった生地が並べられた天板にふんわりとラップをかけると、再び暖かな日光が降り注ぐ出窓の所へと置いた。
今日使った調理道具を洗い、台所の片づけを済ませていると生地はふわりと二倍近くにまで膨らみ、「もういいよ。」と私に話しかけてくる様であった。
私は天板にかけていたラップを外すと生地に溶いた卵液を塗り、予熱の終わったオーブンの中へとガシャリと突っ込む。
「さ~て、後は焼くだけ……。美味しくな~れ。」
オーブンの扉を閉めてしまえば後は祈るだけとおまじないをして最後にスタートボタンを押した。
「焼きあがったらちょっと遅めの朝ごはんにするかな~。やっぱり焼き立てが一番美味しいものね~。焼き立てロールパンには昨日の残りのミルクシチューにチーズっと……。」
パン生地に火が入って焼きあがってくるとオーブンからはいい匂いが漂い始め、ソワソワしながら冷蔵庫から残り物のミルクシチューの入った鍋とチーズを取り出し、食卓の上へと焼き上がりに合わせて準備をしていた。
そうこうしているとオーブンからは焼きあがったという終わりの音が鳴り、ウキウキしながらオーブンミトンを両手にはめた私はオーブンの扉を開けた。
「ふお~ぉ!! これっ、これっ!」
開けた瞬間ブワリと放たれた焼き立ての香ばしく甘いパンの香りは私の鼻腔をくすぐり、思いっきりその匂いを胸いっぱいに嗅ぎつくしたいと思う程に思わず目を閉じて大きく吸い込んだ。
「この匂いを嗅ぐと幸せだな~って、お………。」
閉じた目を開けながら喋っていると、目の前にはあるべき自分の家の台所の風景ではなく、大きな一本の樹木の中ほどに開いたウロからこちらへと顔を出している小さな人間の姿があった。
「あぁ! 待ってたの。待ってたの。前のは貰ってから長い月日が経っちゃって腐海の嵐に飲み込まれて青やら白やらに変色しちゃって既にボロボロ……。ずっと新しいのが欲しかったのよ。」
そう言って小さな人間は私に喋りかけてきた。
「ほら、私。フワフワとした柔らかい枕が好きじゃない? だから前のが壊れてなくなっちゃってからはフワフワきのこを代わりに枕にしてたんだけど、どうにもダメで………。すっかりと寝不足になっちゃってるのよね~。」
小さな人間はウロの縁に肘をついてフワ~ァと欠伸をしてみせた。
「えっと………。」
突然起こった出来事に目を白黒させてしまい、何かを聞こうと思ったが驚きのあまりに声が出てこずに私は言葉を詰まらせていた。
「お代は……はい! これ。」
私に何かを渡そうとウロから出てきたこの小さな人間は羽が生えており、パタパタと羽ばたかせて
から天板の上へと小さな木の実をコトリと置くと、パンを1つ両手に抱えて持ち上げた。
「うわ~ぁ! まだ温かい。よく眠れそうだわ~!」
焼き立てのパンの温かさに感嘆の声を漏らすと、羽の生えた小さな人間……、いや、この妖精は嬉しそうに身を弾ませ、抱えたパンをウロの中へと持って帰っていった。
「あっ! 後ね、この木の実はね、寒い時に食べれば体がポカポカと温かくなり、熱い時に食べればスーっと涼しくなることができるのよ。人間さんぐらい大きい体だときっと役に立つと思うの。」
妖精はパンをウロの中へとしまうとこちらに向き直り、ぺこりと丁寧にお辞儀をしてきた。
「ありがとう。またよろしくね。これでやっと熟睡できるわ……。」
そうして妖精は私に笑顔を向け、木のウロの中から手を振って別れの挨拶を告げた。
「えっ! ちょっ………。」
片手を伸ばして「待って」と訴えるが幻に触るが如く宙を掻き、ハッと気づくと見慣れた自分の家の台所の風景の中、元の場所へと帰ってきていた。
「あれは……なんだったんだろう?」
夢か幻か………、左手に持っていた天板の上に並んだパンはすっかりとぬるくなっていた。
私はどうしたらいいものかと頭が回らないでいたが、一先ず用意していた朝食を済まそうと天板から食卓に置いていた皿へと焼いたパンを移そうと天板へと目線を移動させた。
「あっ……!」
天板の上にはコロコロと先程貰った木の実が転がっていて、さっきあった出来事は本当のことだったのだとそれは私に実感させた。
「フフッ!」
なんだか楽しくなった私は笑いながら椅子へ座り、朝食を食べながら再度あのレシピ本を確認する様にじっくりと端から端まで読もうとした。
「あれっ?」
英語で書かれていたはずの本の中身はいつの間にやら日本語で書かれた物へと変化し、さっきまで分からなかったレシピ以外の枠外に小さく走り書きされたものまで読める様になっていた。
「魔法みたい……!!」
驚きつつもページを捲り、最後の方にあったあとがきの様な所を見ていると妙な言葉がつづられているのを発見した。
『このレシピ本で作られた物は、本当に必要としている者のもとへと導きます。あなたがこの本に選ばれると、あなたが読みやすい形へと中身は変わり、あなたはマスターへとなれるでしょう。この妖精の書は世界にいくつかあり、いずれもあなたに素敵な出会いをもたらし、幸せにするものです。』