第二話 デートしよう
「むう。お偉方の意向とはいえ、あのクソ野郎を逃がしたのは俺様史上最大の汚点だ。もっと、こう、やれることあったはずなのに!!」
婚約発表パーティーから三日が経ったある日、相変わらず席が五個ほど離れた位置に座るシュダさまが紅茶を一気に飲み干して、そう愚痴っておいででした。
シュダさまは気に食わないと言いたげにコツコツと指で机を叩きながら、
「一度破棄した婚約をまた結ぼうとするのがそもそも舐めているにもほどがあるというのに、その理由が好きになった女を王妃教育で殺さないためだと? なんで王妃となるための教育に死のリスクが付き纏うんだよっ。礼儀作法だなんだを覚えさせるためだけにどれだけ過酷な環境に放り込んでいるんだっ!!」
「シュダさま、落ち着いてください」
「落ち着いてって……俺様は詳しいことは知らないが、あの様子だとクソ野郎と婚約していた時にも色々あったはずだ。王妃教育に殺すだなんだ物騒なものが飛び交っていたんだし、おそらくその時に男が怖くなるくらいの『何か』があったんだろう? 俺様以上にリンティーナが怒るべきなんじゃないのか!?」
「そうですね。どこまでも天才で、凡人の苦しみなんて理解しようともせず、あの地獄にわたくしを引きずり込もうとした殿下に思うところがなかったわけではありませんが」
穏やかにわたくしは話せていました。
怒りや憎しみ、負の感情が全くないわけではありませんが、それ以上に──
「わたくしにはシュダさまがいますもの」
「な、ん……?」
おそらくシュダさまの行いは完全に正しいものではなかったでしょう。仮にも第一王子を殴るなど大事とならないほうがおかしい案件です。お偉方の思惑とやらが関わっているからか、今のところシュダさまやバードフォーチュン伯爵家に何かしらの罰が与えられる気配はない、といいますか、シュダさまが殿下を殴ったという事実が明るみに出てすらいないのは奇跡に近いのですから。
それでも。
理屈では、貴族としては、あまりよろしくないとしても──わたくし個人はシュダさまのその背中に救われたのでございます。
胸がぽかぽかして、足元がふわふわして、思わず笑ってしまいそうなこの心地は……ああ、そうですね。殿下のようにならないよう、自身を戒める必要がありそうです。
反面教師を間近で見てきたのですから、せめて参考にくらいはしませんとね。
「シュダさま。わたくしと婚約してくださり、ありがとうございます」
「い、いきなりなんだ? 大体それは俺様の台詞だぞっ。何せお前は俺様にはもったいないくらい可愛いからなっ!!」
「…………、」
も、もうっ。すぐそうやって隠すことなく本音を曝け出すのはやめてもらいたいですっ。嫌ではありませんけど、なんだか無性に叫びたくなりますから。
「そ、それはともかく。シュダさま、いかに先に手を出したのが殿下とはいえ、王族を殴るような真似は控えていただければと。今回はお咎めなしで済みましたが、場合によっては──」
「わかっている。だけどな、忌々しい話だが、あのクソ野郎が登場するまで……いいや、登場しても何のアクションもなかった時点で俺様の好きにするのもまたお偉方の思惑なのは予想できていたからな。だから、なんだ。あそこは好きにやるのが正解だったんだよ」
「え……? それは、どのような意図があって???」
「ふははっ」
胸を張って、自信満々に。
シュダさまはこう言いました。
「俺様が知るわけなかろう!!!!」
「…………、」
出会って一ヶ月記念まで残り三日、今日もシュダさまはシュダさまでした。
ーーー☆ーーー
「デートしよう!!」
唐突にして特大の衝撃に、しかし公爵令嬢として、そして元とはいえ王妃候補としての教育で培った全てを駆使して何とか表情を変えることだけは防ぐことができました。
いえ、ぴくぴくと口元が震えてはいますが。油断すると、その、みっともない表情をしそうです。
「そうだ、そうだぞっ。せっかく婚約が正式に結ばれたというのに、今までと変わらずお茶をするだけではもったいないというものっ。もっと婚約者らしいことをしようではないか!!」
「デート、デートですか……」
か、顔がぴくびくします。令嬢らしからぬ表情をしちゃいそうですっ。我慢、我慢ですよわたくしっ。十五年もの努力を今こそ発揮するんです!
と。
わたくしが溢れそうになるものを我慢していると、シュダさまがどこか不安そうに視線を向けて、
「嫌、だったか?」
「……ッ!? どうして、でしょう?」
「いや、だって、なんだかテンション低いからさ。あーなんだ。嫌だったら別にいいんだ、うん」
まるで捨てられた子犬みたいに目を伏せるシュダさま。その姿を見た瞬間、わたくしは思わず身を乗り出して、叫んでいました。
「嫌なわけありませんっ」
「そう、か?」
「はいっ!!」
貴族らしい駆け引きなんてありません。本音を包んで遠回しに告げるような真似なんてどこにも存在しません。
……貴族としては『弱く』なったのかもしれませんが、それ以上に一秒でも早く誤解を解きたかったのだから仕方ありません。
シュダさまとのデートが嫌だなんて。
そんなのあり得ないんですから。
「そっか。そうかそうかっ。ふははっ。だよな、俺様とのデートなんだ。嫌なわけないよな、あーっはっはっはあ!!」
コロコロと、移ろいます。
良かったと、ほっと安堵する心地を隠そうともしないその姿にわたくしは気がつかない内に笑みを浮かべていました。
ああ。
わたくし、本当、シュダさまのことが……。
「よしっ。ではデートは定番の街を散策する感じでいこうかっ。最後には夜景が見えるレストランで華麗に決めるから今から楽しみにしているといいぞ、ふははっ!!」
「街を、ですか。ですが、シュダさま。街には異性の方もいらっしゃると思いますが」
わたくしがそう言えば、シュダさまは熱心に虚空に向かって何かを開け閉めするかのような動きを止め、ギヂギヂと軋んだ人形のようにゆっくりとこちらを振り向きます。
「街を貸し切りにするとか?」
「流石に我が公爵家でもそこまでの横暴は無理かと。それに、もしもそんなことができたとして、人がいなくなった街でデートしても虚しくなるだけでしょうし」
「く、くそうっ! 夜景が見えるレストランでなければいけないのにい!!」
……? どうしてシュダさまはそうも夜景が見えるレストランに固執しているのでしょうか???
まあ、街を貸し切りにするのは難しくとも、夜景が見えるレストランを貸し切りにするくらいならばできそうですが──
「仕方ない。レストランは妥協する。リンティーナ、海に行くぞ!!」
「海、ですか?」
「ああっ。定番だからなっ!!」
恋愛なんて縁遠いものであったからでしょうが、どうしてレストランや海が定番なのかはわかりませんでしたが、これだけは断言できます。
シュダさまと一緒なら、どこだって楽しいに決まっています。
……わたくし、笑ってしまうくらい深みに嵌っていますね。
ーーー☆ーーー
『日記』より抜粋。
『記録』を『日記』に変えて今日でもう五年だ。五年も経てば日記の内容も彩りが出るというもので、なんと俺様の婚約が決まったというのだ。……五年目に合わせたのではと思うほどに凄いのが舞い込んできたな。
しかも相手はあのリンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢。ミラーフォトン公爵家が長女といえば社交界にほとんど近づかない俺様でも聞いたことのある有名人だ。第一王子の婚約者に選ばれるくらいには優秀なんだから当たり前だろうが。
いくら第一王子との婚約が破棄となったとはいえ、俺様がリンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢と婚約することになるとは……。どうせ親父含めて、お偉方が思惑張り巡らせているんだろうな。
しかし、リンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢には悪いことをしたな。一度他の男との婚約が破棄になったとか俺様には宰相の息子という価値があるとか色々加味しても、リンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢ほどの女であれば長男のくせにバードフォーチュン伯爵家を継ぐことはない俺様よりも条件の良い男なんていくらでも捕まえられたはずだ。
それがサキュバスに呪われて女に近づくのも一苦労な俺様と婚約だなんてな。これ、下手すれば会う前から嫌われているなんてこともあり得るかも?
とはいえ、だ。
お偉方の思惑が絡んでいるどうしようもなく政略的なものとはいえ婚約は成立した。これからの人生を共に歩むことになるのは確定したんだ。
リンティーナ=ミラーフォトン公爵令嬢にも思うところはあるだろう。何せ王妃となる予定が当主になれもしない伯爵家長男の嫁と送られるのだから。それでも、どうせ夫婦となるなら仲良くなりたいし、幸せになってほしい。そのために俺様にできることがあるなら精一杯頑張ろうと思う。
恋愛的に好かれるなんて高望みはしない。せめて嫌われないようにしないと、一つ屋根の下ギスギスして過ごすことになりかねないからな。
そのためにも、まずは、もちろん髪をかき上げる練習からだな! 物語の中で女性に好かれるのは大体髪をかき上げている奴だし、華麗に髪をかき上げれば好印象間違いなし!!