第十四話 サキュバス、その性質
ザッザザ。
サキュバスとの出会いは鮮血と死渦巻く儀式場であった。悪魔を邪悪とする組織がサキュバスを監禁、拷問しているところをシュダ=バードフォーチュンが助け出したのが始まりだった。
『大丈夫か?』
『……、うん』
ザザザッ!
ザザジジザザザザッ!!
悪魔であるというだけで、人よりも絶大な力を秘めているというだけで、サキュバスは長い間孤独に封じられてきた。
本当の彼女は。
誰も傷つけたくない優しい女の子なのに。
『えっへへ』
『どうかしたか、サキュバス?』
『んー。シュダちゃんと一緒で楽しいなーって』
ザザ、ザザザザザッ!!
赤黒い肉塊が転がる。
サキュバスという悪魔を脅威と感じる人間は多く、襲いかかることごとくをサキュバスは殺した。
殺さなければ殺されていたのはサキュバスのほうであり、しかし殺せば殺すだけ溝は広がっていく。
『あ、あれ。シュダちゃん、なんでそんなに怖い顔しているの?』
種族が違えば、価値観もまた変わる。
共存するための道は長く険しい。
ザザザザザザッ!
ザザザッザザザッザザザッ!!
シュダ=バードフォーチュンは暴力を選んでしまった。もしかしたら、会話で解決する道もあったかもしれないのに。
サキュバスとは何年も一緒に過ごしてきた。だからこそ、シュダ自身の手で決着をつけないといけないと思った。
『わたし、シュダちゃんのこと信じていたのに』
人間と悪魔、その違い。
亀裂は徐々に、だが確かに大きく広がり、やがて決別へと繋がったかもしれない。それでも、自分だけはサキュバスの味方になれたはずなのに。
本当は優しい女の子だと知っていたはずだ。暴力ではなく会話を選び、どうにか場を収めることだってできたはずだ。
あの時、シュダ=バードフォーチュンは暴力を選んだ。向き合うことから逃げて、安易な解決方法を選んだ。
今度こそ、後悔しない道を選べ。
サキュバスのことが好きなら……ザザザッ、好きだと示して……ザザザザザザッ!!
ザザザザザザザザザザザザッ!!
ザザザザザザッ『お前だけは俺様が──』ザザザザザザザザザザザザッ!!
「シュダちゃん、お話しするんじゃなかったのかにゃー?」
頭に靄がかかったように空転している。
サキュバスの声だけが、響く。
「さきゅ、……ばす」
「ほらほら、お話はー? 今度こそ、ちゃあんと、言ってくれるよねー???」
そう、そうだ。サキュバスとは長い付き合いだ。何年もの時を重ねて、本当は彼女が優しい女の子であることを知った。
それでも種族の違いから亀裂が走り、やがて決別するしかなかった。
そのことに、後悔したはずだ。
もう安易な暴力には頼らないと、今度こそ敵対ではなく友好を繋ぐと、それがシュダ=バードフォーチュンの望みのはずだ。
『無邪気なる極大の暴威。これだけの被害を撒き散らしておきながら、その危険度を正しく認識されないなんてのを平然と押し通す最悪の怪物だ』
……誰かがそんなことを言った気がする。その記憶は、しかし甘くドロドロとした何かに溶けて沈んでいく。
『記録』より抜粋。
109年、青ノ月、十四位相。
対象:ボストロラ侯爵家当主。
罪状:悪魔信仰を掲げる犯罪組織への資金援助。
処分地:ディープディーン森林深部。
109年、青ノ月、十六位相。
対象:アビスレス教団。
罪状:7777もの民間人の魂を『消費』、及びその犠牲によって『禁域ノ宝玉』に封じられしサキュバスの復活を目論む。
処分地:ローズ高原地下。
備考:対象は完全に処分したが、サキュバスの復活は食い止められず。
110年、赤ノ月、十六位相。
対象:サキュバス。
罪状:世界征服のための虐殺行為(←この項目は二重線で塗り潰されている)。
処分地:『禁域ノ宝玉』。
『記録』によるとサキュバスが復活したのが109年、青ノ月。再度封印されたのが110年、赤ノ月。サキュバス復活から一年も経たない間に再度封印されたはずなのだが……やはり『記録』の内容もまた頭にあるはずなのに甘く塗り潰されていく。
「しゅーだ、ちゃんっ。ほらほら早くう☆」
ずるり、と。
机に乗り、四つん這いで距離を詰めるサキュバス。その姿が、霞む。ぼんやりとしたその像。目の前に存在するはずなのに、その気配が正確には掴めない。
サキュバスとは何年も何年も一緒で、シュダの弱さが暴力を選んだがために離れ離れとなり、こうして今やり直す機会に恵まれている。
ならば、掴むべきだ。
ザザ……ッ! それが正しく、絶対で、ザザザッ!! ずっとずっと望んでいたことのはずだ。
ぼんやりと、霞む。
何か大切なことを忘れているとも思うが、甘美な心地に沈んで落ちてどうでもよくなる。
だって、サキュバスがいるから。
それだけで、それこそが、好きの……好きである、ザザザッ、ザザザザザザッ!!
その時、だった。
自分が座っているのか立っているのか、どこに存在していて何がしたいのか、全てが蕩けて弾けるそんな状況で、その『声』は確かに響き渡った。
──わたくしが足止めしますので、シュダさまはどうかお逃げください。
その『声』は。
そこに込められた想いは。
(……、……)
最初は微かな引っ掛かりだった。
次にジリジリとした熱があった。
それだけあれば、後は掴んで燃やして引っ張り出すだけでいい。
(……けるな)
逃げて、と。
自分が犠牲になるから、と。
王妃教育によって異性に触れられるだけで『発作』が出るくらいに苦しい思いをしてきたというのに、助けてって言ったって誰も責めないのに、それでも自分ではなくシュダのためにと行動しているのか。
あのボロボロの笑顔で、苦しい思いを我慢しているというのか。
(ふざ……な)
心の底から笑っていてほしい。
幸せになってもらいたい。
そして何より、そばにいてくれないと嫌だ。
シュダ=バードフォーチュンが真に好きになったのは、一体誰だ?
「ふざっけるな!!!!」
ばんっ!! と。
シュダ=バードフォーチュンは机を砕く勢いで叩き、感情の爆発を咆哮に変えて立ち上がる。
ぼんやりとした靄が、晴れる。
机の上から四つん這いで近づいてきていた女を真っ直ぐに見据える。
矛盾した記憶。
『魅力』が招いた捏造が霧散する。
残ったのは、真実だけ。
すなわち、
「誰がお前なんか好きになるものか、この人殺しが」
「…………、」
削ぎ落とすように、サキュバスの顔から笑みが消える。
ファリアル=シュガーポイント男爵令嬢というガワでも誤魔化し切れないほどに。
そして。
そして。
そして。
「あーあ、失敗しちゃったかー。後ちょっとで落とすことができたのになぁー」
ぐぢゅり、と。
悪意に蕩ける笑みが広がる。
「ねぇねぇ、どうして『魅力』を振り払えたのー?」
「簡単だ。『つくりもの』では敵わない、本物の好きを知ったからな」
「そっかそっか。その割には呪いを受けた日から今日までゆっくりじっくり蝕まれていたようだけど?」
「ああ、そうだな。だが、もう通用しない」
「……ふうん。で、だったら? わたしは亜種であろうとも悪魔。『魅力』が通用しなくとも、単純な暴力でも人類ごとき圧倒できるけど?」
「それがどうした」
シュダ=バードフォーチュンは静かに拳を握りしめる。真っ直ぐに、ある少女が好きになった少年は言い放つ。
「俺様は約束した。リンティーナにはめくるめくハッピーライフを過ごさせてやるんだ。その邪魔をするなら、悪魔だろうがなんだろうが! 片っ端からぶっ飛ばしてやる!!」
びぎ、ベギバギッ!! と。
何かが砕ける音と共にシュダ=バードフォーチュンらしさが顔を出していく。
ーーー☆ーーー
これまでの全てが靄に包まれ、捏造されたものなれば、真なる過去はこれまで示されたものとはかけ離れたものである。
とはいえ、だ。
サキュバスとシュダ=バードフォーチュンの出会い、それそのものはサキュバスにとってはそこまで重要ではない。
『これまで』なんてどうでもいい。
大事なのは『これから』なのだから。
ーーー☆ーーー
床につくかつかないかほどに伸ばした髪を一本に纏めたゼリア=バードフォーチュンが王城クリスタルラピア内部に飛び込む。
彼の得意とする魔法は身体強化。単純だが強力なその魔法があれば末端の近衛騎士くらいは凌駕できるだろうが、幹部クラスが相手だと勝つのは厳しいだろう。
そんなことはわかっていた。
足りない力は肉でも骨でも削って帳尻を合わせるだけだ。
だから。
だから。
だから。
「邪魔っっっ!!!!」
ゼリアの拳が近衛騎士を薙ぎ払う。数百に及ぶ騎士の群れへと真っ向からぶつかり合う。
その身が斬り裂かれるのも厭わず、真っ直ぐにだ。