第十一話 王者の帰還
五年前。
黒髪を肩で切り揃えた鮮やかな黒目の男の子が鮮血と死で埋め尽くされた室内に佇んでいた。
バードフォーチュン伯爵家、その一人。
ありふれた伯爵家が長男は十歳という幼さであった。だというのに、今まさに平民の女を誘拐して消費しようとしていた高位貴族を一人残らず殺し尽くしたというのだ。
腕力では敵うわけもなく、いかに武闘を極めたといえども限度はある。何らかの罠に嵌めたわけでもないとなれば、その凄惨にして圧倒的な結末を導いた力は一つしかない。
魔法。
超常の席巻がここにある。
パチンと彼が指を鳴らすだけで辺り一面を染め上げていた赤黒い血と肉と臓の全てが消失する。この場で人が死んだという『痕跡』が消えたのだ。
希少魔法が一つ、転移。
殺人の『痕跡』を抹消することで下手人を特定することを不可能とする、貴族にとってこれ以上ないほどに扱いやすい力である。
「…………、」
命じられるままに殺しを撒き散らす。お偉方の思惑とは別に、その先には必ず誰かの幸せが繋がるようにと計算されているのだから。
誰かの幸せを奪う連中は警告を無視して悲劇を撒き散らしてでも自己の欲望のために行動しようとしていた。だから、殺す。連中が誰かの幸せを奪うことを阻止するのは正しいこと……なのだろう。
だけど、それでは。
命じられるままに殺しを撒き散らし、実の親にすら暴力装置としか見られていない自分はいつになったら幸せになれるのだろうか?
ーーー☆ーーー
例えば、家柄と資金はあっても国家上層部に上りつめることはできなかったミラーフォトン公爵家当主は同家長女が第一王子との婚約を破棄される前から宰相と手を組み、『悲劇の象徴』として使い潰すことで大義名分を得て、最終的には現王家を悪と打倒、国家上層部に上りつめることができなかったというコンプレックスを王となることで拭い去ろうとしている。
例えば、近衛騎士団団長は王妃教育をはじめとした国家の暗部に率先して関わることで自己の地位を確立、単なる子爵家ながら多大なる影響力を獲得していた。その影響力が失われないよう、今後は扱いやすい第一王女に取り入ろうとしている。
例えば、宰相は現王家の潜在的な敵である者たちを『記録』にあるよう手駒を使って処分したり、現王家や多くの高位貴族が関わっている公表不可能な悪事に加担することでありふれた伯爵家でありながら宰相へと上りつめた。そこまで深く組み込むことで現王家に対する発言権を高めながら、その裏でミラーフォトン公爵家当主をはじめとした野心家の貴族連中を『悲劇の象徴』を軸とした現王家打倒計画でまとめ上げている。だが、その実己が関わってきた過去の記憶を他者に伝達する『記憶魔法』でもって現王家の公表不可能な悪事を収集、『悲劇の象徴』と合わせて使用することで民衆の意思を反乱という形に流し、貴族制度そのものを粉砕しようと目論んでいる。
例えば、例えば、例えば。
国家上層部が集まる会議の内にも外にも思惑は複雑に絡み合っている。それでもある期間まではまだ制御の範疇にあった。
サキュバスの襲来による国王や第二、第三王子殺害までは。
予定調和、大人たちのレールに乗っかっていたはずの『大きな流れ』はそこで途切れた。
不測の事態にさえも対応せんとお偉方は思惑を張り巡らせているが、果たしてどこまで対応できているのか。
「あは」
サキュバスは笑う。
頬杖をつき、蕩けるように口元を歪めて。
「本当、規格外だねぇ」
行方知れずの第一王子から非常対応として継承権を簒奪し、傀儡と扱いやすい第一王女を担ぎ上げる。各々の思惑はあれど、とりあえず事態を収束させて思惑通り進めやすくできるよう場を整える『まで』はお偉方たちは笑顔で結託しているが、本当にそんな悠長にしているのが正解なのか。
想定の外は笑う。
笑って、笑って、笑い続ける。
ーーー☆ーーー
王城クリスタルラピアに襲撃を仕掛けたのはサキュバスである。
宰相の発言を信じるか信じないか、なんてものはどちらでも構わない。現に王城クリスタルラピアに襲撃は仕掛けられ、国王や第二、第三王子は殺害されたのだ。
それだけの力を持つ敵性が存在する。
それが此度の襲撃で満足するならまだしも、そうでないとすれば対策を講じる必要がある。
つまり。
つまり。
つまり。
「非常事態として王家の秘宝を持ち出す必要があると進言させていただく。女王メイリア様、よろしいな?」
「え、あ、はいっ!?」
メイリアが反射的に声をあげたのを返答と扱い、宰相は話を進めていく。扉が開いたかと思うと、平民の若い近衛騎士がねじくれた金の杖を女王メイリアへと差し出したのだ。
そう、宰相に従うように。
「どういうつもりで?」
「全ては敵性の排除、そのために」
「……、本当舐めていることで」
近衛騎士団団長が宰相を見据えるが、当の宰相は平然としたものだった。わざわざこれ見よがしに近衛騎士団に干渉できていることを示したのにも何かしらの思惑があるのだろう。
正確にはサキュバスの登場によって歪んだレールの軌道修正のため、なのだろうが。
「女王メイリア様、その杖についてはご存知で?」
「い、いえ。見たこともないの……」
「それは王家の秘宝が一つ、『魔従ノ杖』。その杖は王家の血筋が触れている間、半径五十メートルの外界に存在する魔力を吸収する。この通りに」
ボゥ、と宰相が掌に魔力の淡い光を展開すると共に、その光がねじくれた金の杖へと吸い込まれていく。
それを見て、近衛騎士団団長は小さく笑い、
「敵性はサキュバスである、という話では? それが真実であれば、悪魔及びその亜種が扱うは呪法。いかに『魔従ノ杖』が魔力を吸収して魔法を無力化できるとしても、呪力を源とする呪法には通用しないと思いますが?」
「もちろんわかっている。大事なのはもう一つの能力だ」
「それは?」
「『魔従ノ杖』は吸収した魔力を他者に分け与える、あるいは純粋なエネルギーとして放出する。そこに上限は存在しない。つまりサキュバスを撃滅できるまで大勢の人間から魔力を徴収すればいいということだ」
それは、その直後の出来事だった。
ゴッバン!!!! と会議室の扉が粉砕され、一つの影が踏み込んでくる。
第一王子ジランド=レリア=スクランフィールド。金髪に青の瞳の男は闇が蠢くような剣を片手にお偉方を見渡し、言い放つ。
「搾取されるだけの肉塊が何を勘違いしたのか私を排して国家の舵取りを担おうと企むとは。不遜なる行いには相当の罰があると知りなさい」
第一王子は会話なんて面倒な方法は選ばない。国王が死んだから自分が新たな王である。その必然を崩そうとするものは国家の敵に他ならない。
なぜなら真なる血と優れた才能を持つ者こそが王と君臨するべきなのだから。二つを兼ね備えたのは自分以外に存在しないのだから。
これは国家のための闘争。
王者に搾取されるだけの狩場にふさわしい頂点を簒奪しようとしている不届き者を殺処分するのは当然のことなのだ。
そして。
そして。
そして。
第一王子が魔力を放つが、その全ては『魔従ノ杖』へと吸い込まれる。目を見開く第一王子の顔面へと宰相の拳が叩き込まれた。
ーーー☆ーーー
シュダ=バードフォーチュンは食後のお茶を口に含みながら、思案する。
サキュバス、はどうせこちらからできることは限られている。お偉方の動きに合わせる形で動くしかないだろう。
だから考えるべきはサキュバスについてではない。それよりも、そう、それよりもだ。
リンティーナの元気がない。
サキュバスの話をしてから、ずっと。
(な、なんだ? 俺様何を間違った!?)
これは、そう、サキュバスに惚れられた云々を話した後からだったか。
もしも、自惚れでないのならば。
「なあ、リンティーナ。サキュバスが俺様に惚れているの、気にしているとか?」
「……っ」
ぴくり、とリンティーナの肩が僅かに動く。それだけでわかってしまうくらいには、これまでずっとリンティーナのことばかり見てきた。
「ごめんなさい。こんな、みっともないですよね」
「いや、俺様も配慮が足りなかった。サキュバスについては本当気にするな。あいつが俺様のことをどう思っていようとも、俺様があいつを好きになることはない。だって、俺様は、その……」
「シュダさま?」
想いは一つで。
しかしシュダは口をパクパクさせるだけで、ついにはパンッと顔に手をやり、くぐもった声を返す。
「とにかく俺様はサキュバスをどうとも思ってないから、気にするな」
「……、はい」
恋とは厄介なものである。
たった一つの想いさえも口に出すことができないほどなのだから。