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カレイドスコープ  作者: NaGISA
第二章 長い夜
9/30

2-3 憂鬱な余暇

 その夜、梓が自分の部屋で胃が痛くなるほど暇な時間を持て余していると、和美から電話がかかってきた。

「荘野さん……あの、昼間はすみませんでした。荘野さんが一番辛いはずなのに、取り乱してしまって……」

「気にしなくていいよ。しょうがないさ」

 そう言う和美も辛いはずだ。梓は、平静を装ってそう言った。

「めぐみ……まだ目を覚ましてないんですよね?」

「ああ。二、三日のうちに、早ければ明日には目を覚ますだろうって」

「じゃ、めぐみが目を覚ましたら、電話してもらえますか?」

 和美の声には、昼間に比べると、少しはいつもの気の強さが戻ってきていた。それでも、まるで勢いに欠ける声だった。

「ああ、わかった。必ず連絡するよ」

「宜しくお願いします。それじゃ……」

 電話は切れた。

 梓は、ベッドにどかっと腰を下ろした。テレビなど、つける気すら起こらなかった。

 和美でこうなのだから、当のめぐみがこの事実を知らされたら、一体どうなるだろうか。そんなシーンは想像したくもなかった。

 しかし、想像したくなくても、近い将来必ずその日はやってくる。考えるだけで、梓は陰鬱な気分になった。

 携帯電話の電源を切ってしまいたい衝動にも駆られたが、万一の場合を考えるとそういう訳には行かなかった。机の上に置き、いつ連絡があってもよいように備える。

 もっとも、電話機それ自体はいつでも連絡に備えているかも知れないが、梓自身の心はというと、突然の連絡には全く備えがなかった。むしろ連絡など来て欲しくなかった。

 ごろんとベッドに横になる。

 昼まで寝ていたせいか、全く眠くはなかったが瞳を閉じた。

 何も見えない方が、余計な事を考えずに済むような気がしたのだ。



 いつ眠ったかもはっきりしなかった。気がついたら外は明るかった。

 梓は体を起こし、目覚まし時計を見た。午前十時。

 正直時間の感覚もまともにない。疲れが取れた気もしなかった。

 丸一日が経っても、衝撃は全く薄れてはいなかった。それどころか、倍増していた。

 めぐみの下半身は麻痺し、一生歩けない。

 その事実を思い出すだけで、背筋に寒いものが走る。もしめぐみが目覚めたとしても、梓はめぐみの顔を、とてもではないがまともに見られそうになかった。

「……俺も父さん母さんと一緒に北海道に行ってれば良かったよ……」

 そう愚痴りたくもなる。

 梓は着替えると、夢遊病者のように階下へと下りていった。

 そして居間のソファに腰を下ろし、何をするでもなくただ時の流れに身を委ねた。掛け時計の秒針の音が、不気味なほど大きく響く。 

 これほど時間を無為に過ごすのは、この夏休みに入って初めてだった。

 いや、ことによると十九年近くの人生の中でも初めてかも知れない。

 テレビを見るでもなく、本を読むでもなく、ゲームをするでもなく、さりとて何か考え事に(ふけ)るでもない。正しく何もしないまま数時間の時が流れた。

 それでいて、居間の隅に置いてある電話にだけは、異常なまでに注意を払っていた。

 時刻は午後三時。

 梓は窒息してしまいそうだった。これ以上、何もせずに過ごすなどとても堪えられそうになかった。

 電話機に歩み寄り、留守番電話セットのボタンを押す。帰って来るまで、留守番電話のランプが点滅していない事を、梓は切に祈った。

 玄関に出た。携帯電話を自室に忘れていた事に気付いたが、そんなものはどうでも良かった。

 スニーカーに乱暴につま先を突っ込む。今はそう言う気分だった。

 扉を開けた。暑いのかそうでないのかすら、よく分からないような気がした。

 後ろ手に扉を閉め、鍵をかけてから、梓はとりあえず自転車置き場へと向かった。



 気付いたら、梓は神社にやって来ていた。

 昨日、和美と会った場所。そして、和美に告げたくもない残酷な真実を告げた場所。

 境内には誰もいない。昨日の和美とのやり取りがまざまざと蘇ってきた。

 嫌でも、めぐみが背負う事になった過酷な試練が思い出される。

「……」

 梓は、賽銭箱の前にやってきた。無性に神頼みがしたい気分だった。

 ポケットから財布を取り出し、百円玉を賽銭箱へ放り込んだ。百円玉は、お世辞にも小気味良いとは言いがたい、鈍い音を響かせて賽銭箱へ消えた。

 梓は、手を合わせて神に祈った。否、祈ろうとした。

 そこまで来て、はたと気付いた。

 一体、何を神に祈れと言うのか。

 「めぐみが早く目を覚ましますように」? 「めぐみがまた歩けるようになりますように」? 「一生車椅子で生活する事になるめぐみに幸せが来ますように」?

 馬鹿馬鹿しい。何の戯れだ。梓は心の中で悪態をついた。

 めぐみにかほどの重責を負わせたのが神ならば、また神とは何と無責任かつ無慈悲であることか。

 梓は、何故無意識のうちに自分がここへやって来たか、その時理解した。

 賽銭をあげて神に祈りたかったからではない。神に——この際、神でも仏でも何でも良いのだが——金を払って文句を言いたかったのだ。

 梓は、苦虫を噛み潰したような表情で、さらに噛み潰した苦虫を吐き捨てるように祈った。

——神様が決めた事に今更文句は言わない。でも、反省してくれ。

 他人の事ではなく、神自身に対する事だ。叶わないはずがあるまい。

 その願いが聞き入れられるのならば、百円が一万円でも惜しくはなかった。

 仮に神がその願いを聞いても、もちろんめぐみの足が二度と動く事がない事に変わりはないのだが。



 梓が帰宅した時、留守番電話のランプは点滅しておらず、そして電話機は沈黙したまま夜になった。

 このまま沈黙を守ってくれれば平穏そのものなのだが、そんなものは逃げ以外の何物でもなかった。

 物音一つしない居間で、梓は、やはり無為な時間を過ごしていた。時計の針は七時を指そうとしていた。

 その時、電話が鳴った。

 梓の全身が、痙攣したかのようにびくっと震えた。瞬間、受話器を叩き壊して自分の部屋に逃げ帰りたい衝動に駆られたが、もちろんそんな訳には行かなかった。

 梓は、思うままにならない左手で受話器を取った。

「もしもし、荘野ですけど」

 神妙な声で梓が言うと、受話器からは機械的な声が聞こえて来た。

「お忙しいところ恐れ入ります。ただいま電話でアンケートを……」

 梓は、力任せに受話器を電話機に叩き付けた。電話機が壊れるほどの勢いだったが、壊れてくれるならば、それも望むところだ。

「こんな時に下らない電話かけてくるな、馬鹿ったれ……」

 梓は、行き場所のないイライラを抱えて、居間をぐるぐると歩き回った。

 壊して良いものなら、家中の全てのものを破壊し尽くしたい気分だった。

 何周回ったか。梓がいい加減居間をぐるぐると周回するのに飽きた頃、またも聞きたくもない電子音が鳴った。

 梓は腹立たしげに立ちあがった。

「誰だよ、ったく……」

 電話線を引き千切りたい衝動を抑え、歯を(軋/きし)らせて電話へ向かうと、受話器を取った。

「もしもし、荘野ですけど」

 吐き捨てるように言った。受話器の向こうの声の主は、梓の不機嫌そうな声にまるで怯んでいない様子だった。

「機嫌悪そうだな、梓」

「父さんか……」

 洋二の声だった。洋二には何の罪もないが、梓は電話を切りたくなった。

「聞いたぞ。めぐみちゃんが大変らしいな」

「……」

 曖昧に頷いた。当然、受話器の向こうには伝わるはずもない。

「天野に旅の土産話でも聞かせるつもりで電話をかけたんだが、様子がおかしかった。で、問い詰めた」

 簡潔に言った。続ける。

「そう言う訳だから、明日帰る」

「は?」

「昼頃になる」

「……父さんが帰ったからって、どうなるものでもないだろ?」

「じゃあ、梓がいればどうにかなるのか?」

「……」

「こう言うのは気持ちの問題だ。そしてこれが俺と早智子の気持ちだ」

 洋二は、彼なりに誠に、めぐみに、そして梓に気を遣っていた。

「まあ、気をつけて帰って来いよ」

 梓がぶっきらぼうに言うと、

「お前に言われるまでもない」

 洋二も、わざと素っ気無く答えた後、

「じゃあな、梓。思い詰め過ぎるなよ」

 そう言って、電話を切った。

 梓はスローモーション再生のような動きで受話器を置いた。

 冷蔵庫へ向かう。冷蔵室のドアを開くと、洋二が買っておいた缶ビールを取り、ソファへと戻ってきた。

 ソファにかけると、缶ビールのプルタブを引いた。小気味良い音も、今は嬉しくなかった。

 それを一気に喉に流し込む。

 喉が焼けるようだった。

「くあ……」

 くらくらする頭を右手で支えながら、缶をテーブルに置いた。

 梓は18歳だから当然酒を飲んではいけないのだが、こんな日は、さすがの梓も酒の力を借りたくなる。

 梓は再び缶を手に取ると、残りのビールを飲み干した。

 放り投げるようにして、それをテーブルに置く。全身の力を抜いて、ソファに体を投げ出した。

 酒が入り、混沌とした頭でも、考えるのはめぐみの事ばかりだった。

「めぐ……」

 梓の頭は、既に朦朧としていた。

 ほどなくして、梓は眠りに落ち、寝息を立て始めた。

 夢でも見ているのだろうか。

 だとしたら、その夢には、きっと元気に走り回るめぐみが登場しているに違いない。

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