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カレイドスコープ  作者: NaGISA
第一章 センチメンタルサマー
6/30

1-3 プレゼントは一生有効

 梓が帰宅したのは太陽もすっかり沈んでしまい、空が暗く染まり始めた頃だった。

「ただいま」

 誰もいない家に向かってそう呟くと、玄関の電灯のスイッチを入れる。家の奥は、真っ暗だった。

 靴を脱ぎ、まずは居間を目指した。

 それにしても、和美に引っ張りまわされた一日だった。買い物ではあっちこっちに引き回された挙句、もちろん荷物持ちをさせられ、夜の食事代を持ったのも梓である。まあ、年下の女の子に勘定を払わせる訳には当然いかなかったのだが。

 しかしそれでも、和美のお陰で多いに気分転換になったのは事実だったし、実際楽しい一日だった。無為な夏休みを過ごしていた梓にとっては、この夏一番だったかも知れない。

「あとで和美ちゃんに連絡しないとな」

 梓は、テレビのリモコンを手に取った。電源ボタンを押すと、チャンネルを次々と変える。

 どの局も、代わり映えのないバラエティ番組を流していた。

 五分ほどは、何とはなしに画面を眺めていたが、やがて退屈そうにテレビを消した。

 時計は、午後七時を少し回ったところだった。携帯電話を胸ポケットから取り出す。

「めぐの奴、まだ帰ってないのかな」

 めぐみが帰って来たら、電話がかかってくるはずだ。ここのところ最近は、いつもそうだった。

「ま、そのうち帰ってくるだろ」

 そう言って携帯電話を元に戻そうとした瞬間、携帯電話ではなく、居間の電話が鳴った。梓は思わず、携帯電話を開きそうになったが、すぐに気づいて電話機の元へ向かう。

「携帯にかけてこないとは、さては父さんか?」

 独り言を言いながら受話器を取った。

「もしもし、俺だ」

 案の定だった。梓はあえて惚けてみせた。

「どちら様?」

「だから俺だ」

「オレオレ詐欺は間に合ってるよ」

「あのなあ……」

 電話口から洋二の呆れたような声が聞こえて来た。

「冗談だよ。で、何?北海道は楽しんでる?」

「まあな。お前の方こそどうだ。ちゃんと食べるもの食べてるか?」

「ああ、めぐのとこに行けばサービスしてもらえるから、大丈夫」

「なら良いが……お前もたまには料理くらい作れよ」

「前向きに努力する」

 政治家のように答えた。

「まああと数日、くたばらないように頑張ってくれ」

「父さんも、飛行機が墜落しないように気をつけろよ」

「口の減らない奴だな……お土産査定に響くぞ?」

 お土産査定で最低レベルになってしまうと、やはり北海道新聞一週間分がお土産になってしまうのだろうか?

 と、お土産の話題が出たところで梓はめぐみとの約束を思い出した。

「父さん、めぐにもお土産買って来て欲しいんだけど」

「ああ、言われなくてももちろんそのつもりだぞ。で、どんなのが良いんだ?」

「めぐは『白い恋人』がいいって言ってたけど」

「……ベタと言うか分かり易いと言うか、お土産の選び甲斐のないリクエストだな、それは」

 受話器から洋二の苦笑が聞こえてきた。

「ま、頼むよ」

「ああ分かった。早智子にも代わるか?」

 洋二の言葉に、梓は少し考えてから、

「いや、いいよ。電話代ももったいないし、特に話す事もないしね」

「そうか。じゃそろそろ切るぞ」

「ああ、母さんにも宜しく」

 そこで電話は切れた。梓は受話器を戻すとソファに腰掛けた。

 片手で握ったままになっていた携帯電話をテーブルの上に置くと、ごろんとソファに横になった。

「めぐが帰ったら電話かかってくるだろ。今日はちょっと疲れた……」

 そう言うと目を閉じた。

 疲れ切った梓はあっと言う間に眠りに落ち、規則的な呼吸音が聞こえてきた。



 それは、ちょうど十年前の秋の事だった。

 当時小学生だった梓は、やはりいつもめぐみと一緒だった。

 しかし、小学生くらいの年頃というのは、特に男子は、同級生たちのからかいなどに十分な防御力を持っているとは言えない。梓も例外ではなかった。

 そして、生まれた時から家が向かい同士のめぐみがいつもそばについて来る梓は、格好の標的となった。

 ある日の放課後。

 3年生の教室は、どこに遊びに行くだの、宿題の相談だので蜂の巣を突ついたような大騒ぎだった。梓がランドセルを背負うと、級友が声をかけてきた。

「梓、放課後いつもの公園でサッカーやんだけど、付き合うか?」

 走るのが速い梓は、サッカーは大の得意だった。すぐに頷く。

「いいね。付き合うよ」

「よし、じゃあ急いで帰ろうぜ」

 梓を含む数人の子供達が、連れ立って教室の扉へと移動し、入り口の扉を開けた。

 と、そこに1人の小さな女の子が立っていた。

 背中の真ん中までもありそうな、綺麗な長い黒髪。前ではまつげの上でまっすぐに切り揃えられている。そして背中をすっぽり隠してしまいそうな赤いランドセル。

 1年生のめぐみは、梓の授業が終るまでずっとここで待っていたのだ。

「あーちゃん、終ったの?」

「あ、ああ」

 梓は戸惑いの混じった声で答えた。

 今年から小学校に入っためぐみは、毎日毎日必ず授業が終ると、梓の教室の前で待っていた。まあ、めぐみだけが午前中だけで終ってしまう日などは、さすがに先に帰っていたが、それでもほとんど毎日と行っても良かった。

 そして小学校くらいの年頃では、そう言った行動はクラスメートにとっては美味しい『餌』となる。

「おー、梓。また奥さんのお出迎えか?」

「あーちゃん、ただいまラブラブ中!」

 囃し立て、口笛が飛ぶ。

 まだそこまで耐性が強くなかった梓は、

「うるさい!」

 耳を赤く染め、そう叫ぶだけが精一杯だった。

 めぐみはそんな状況にはお構いなしに梓に近づくと、いつものように右手を差し出してきた。

「あーちゃん、一緒に帰ろ」

 級友たちのからかいの声が一段と大きくなった。

 それを乗り越えて、幼いめぐみの優しさを受け取るだけの度量は、この頃の梓には残念ながらまだ存在しなかった。

「ねえあーちゃんってば」

「うるさい!」

 差し出されためぐみの手を、荒々しく弾き飛ばす。めぐみは、何が起こったのか解らないと言った表情だった。

「あーちゃん……?」

「うるさいって言ってるだろ。一人で帰れよ」

「……」

 めぐみは悲しそうに俯いた。級友たちの悪意のないからかいは、なおも続く。

「おー、梓、夫婦喧嘩か?」

「駄目だろー奥さんを泣かせちゃー」

 梓はいらいらした。なぜいらいらするのかも分からなかった。

 そして、俯いているめぐみを置いて、つかつかと廊下を歩き始めた。めぐみを無視して級友たちに声をかける。

「おい行くぞ。急がないと公園のグランド使えなくなっちゃうだろ」

「よーし、じゃ急いで帰るか」

「今日は俺、フォワードな」

 級友たちは梓の後を追って廊下を駆けて行った。後には一人めぐみだけが残された。

 翌朝。めぐみはいつものように、梓の家にやって来た。早智子がめぐみを出迎える。

「あら、おはようめぐみちゃん。今日も来てくれたの?」

「おはようございますおば様」

 めぐみの丁寧なしゃべり方は、十年前から全く変わっていなかった。

「梓はまだ寝てると思うから、起こしてきてやってちょうだいな」

「はい」

 めぐみは、小学一年生にはいささか高すぎる感のある階段を一段一段上ると、梓の部屋の前に立った。

 ノックも何もせずに、いきなりドアを開けてベッドに近づく。そして扉を勢いよく開けて、いつものように床の上の梓に声をかけた。

「あーちゃん、おはよう。朝だよ。学校行こうよ」

 梓は、無言で体を起こした。

「あーちゃん、おはよう」

 めぐみの笑顔は、昨日までと何ら変わらない。

「ああ」

 しかし梓は不機嫌そうに頷いただけだった。

「ねえ、早く学校行こうよ。めぐと一緒に行ってくれるでしょ?」

 昨日の放課後は、きっと傷つき失意の思いで帰宅したに違いないめぐみは、それでも梓を信じて気丈に言った。

「ね?」

 めぐみは梓の顔を覗きこんできた。

 この年頃は、一度他人の前で意地を張ってしまうと、例え他人の目があろうがなかろうが、後には引けないものだ。梓がその典型だった。

 梓はめぐみの手をはねのけ、ベッドから出た。

「あーちゃん……?」

「もう道も覚えたし、一人で行けるだろ?俺だっていつまでもめぐと一緒に行くって訳にはいかないんだよ。めぐがいたら友達とも一緒に帰れないし」

 10年後の梓が聞いたら自分で自分を殴り倒しそうな台詞を、梓は言った。

 めぐみは鼻をすすり上げた。

「そっか……じゃ、また明日来るからね」

 そう言って、踵を返すと、最後まで笑顔のまま梓の部屋を出た。

 それからの梓の言動は、依怙地を極めた。めぐみが遊びに行こうと誘っても断り、めぐみの宿題を手伝ってやる事もなくなり、もちろん登下校にめぐみを伴う事もなくなった。

 めぐみはしかし、それでも毎日朝には梓の部屋までやって来て、夕方には梓の教室の前で待っていた。そしてそれがなお一層梓に意地を張らせる原因となっていた。

 そうして1週間が過ぎた。

 その日は、珍しくめぐみが三年生の教室の前で待っていなかった。珍しくと言うより、初めての事だった。

 当然、梓のクラスメート達も騒ぎ立てる。

「おいおい荘野、いつもいるあの女の子、今日はいないじゃん」

「おー、こりゃいよいよ本格的に逃げられたかあ?」

「梓、破局!原因は金銭トラブルか!」

 好き勝手言われたが、梓は級友の言葉には耳を貸さずに教室を飛び出した。

 梓は、めぐみの行きそうな所をあれこれ考えていた。

「ったく、どこ行ってるんだよあいつ……」

 あれだけめぐみを突き放す態度を取っておきながら、梓はやはりめぐみを心配していた。

「学校の近くでって事になると……商店街かな」

 商店街なら、おもちゃ屋や駄菓子屋など、めぐみの興味を引く店の存在には事欠かない。梓は商店街を目指して駆け出した。

 まだ夕方というには早い午後三時。あと二時間もすれば人でごった返すのだろうが、この時間は人もまばらだった。梓は、めぐみの姿を求めてきょろきょろと視線をさまよわせる。

「おーいめぐ、どこだー!」

 叫んでみる。が、数人の通行人が何事かと振り向いただけで、とりたてて何の反応もなかった。

「もう家に帰ってるのかな……」

 梓はそう思いかけた。

 しかし、今まで特別な理由なしにめぐみが梓の教室の前で待っていなかった事は一度もない。しかも、今日はめぐみは梓のクラスとほぼ授業が終る時間は同じはずだった。

 あるいは……。

「めぐに嫌われちゃったのかな……」

 自分のやってきた事を今更ながら思い起こし、梓は俯いた。

「めぐに酷い事しちゃったな……」

 梓は、自分の心が激しく痛むのを感じていた。めぐみもこんなに心を痛めていたのだろうか。それを思うと、一層梓は重苦しい気持ちになった。

 その時、商店街に見覚えのある長い黒髪を見つけた。梓ははっとして顔を上げる。

 めぐみが、1軒の店から出て来たのだ。手には何やら包みを抱えていた。

「めぐ……」

 梓は思わずめぐみの名を呼ぼうとしたが、思いとどまった。何より、あれだけめぐみを傷つけておいて後ろめたい気持ちもあった。

 梓はそのままめぐみの後をつける事にした。

 めぐみは商店街を足早に抜け、公園へと向かっていた。この公園の裏にある雑木林は、小学校や商店街から梓やめぐみの自宅へのショートカットとなっている。

 通学路には指定されていないため、もちろん厳しい事を言えば通ってはいけないのだが、梓もめぐみもよく利用しているコースだった。

 めぐみはランドセル姿で包みを抱えたまま、公園へと入っていった。小さな池もある、ちょっとした規模の公園だった。

 梓は、めぐみからおよそ数十メートル離れたところで、その様子をじっと見ていた。だがめぐみは一心不乱に歩き続けるだけで、特に変わった様子はない。

 と、その時、めぐみの向こうから3人の少年達が歩いてきた。大きなランドセルを背負ってちょこちょこと歩くめぐみの様子を、ニヤニヤとうかがっている。

 そして、めぐみが彼らの横を通り過ぎる際、少年の1人がめぐみの足に自分の足をかけた。

「あっ!」

 めぐみはあっと言う間にバランスを崩して転倒した。持っていた包みが投げ出される。

 少年の1人が、これもニヤニヤしながらその包みを取った。

 めぐみは擦りむいて痛む足をこらえて体を起こす。そして包みを取った少年に懸命に訴えた。

「それは駄目なの。返して!」

 だが、めぐみが必死に訴えれば訴えるほど、少年達は面白がるばかりだった。

「ほらよ、パスだ」

 別の少年に包みを投げる。

「おっと、こっちだぜ」

 めぐみが走ると、少年達はからかうように次から次へと包みを放り投げた。

 たまらず、梓が飛び出して行くのと、少年の1人が包みを池の方に投げるのは、ほぼ同時だった。

 包みが池に沈んで行くのを見ためぐみの瞳から、大粒の涙がこぼれた。少年たちは、にやにやではなくげらげらと頭の悪そうな哄笑をあげていた。

「おいめぐ!」

「あー……ちゃん?」

 めぐみは溢れる涙を拭おうともせずに、梓に抱きついた。

「ごめんね、ごめんねあーちゃん」

「めぐが何を謝ってるんだよ。めぐはちっとも悪くないだろ」

 梓はめぐみの頭を何度も撫でてやった。めぐみは嗚咽をこらえながら言葉を続けた。

「めぐね、あーちゃんに嫌われちゃったって思って、それでめぐが何か悪かったんだって。だから、貯金を下ろしてあーちゃんが前から欲しいって言ってたゲームソフトを、明日の誕生日にあげようと思ったの。そしたらまたあーちゃんと仲直りできて、学校行ったり遊べたりできるようになるかな、って」

「誕生日……」

 すっかり忘れていたが、確かに明日は梓の誕生日だった。

 そしてここへ来て、初めて梓は自分の愚かさ加減を思い知らされた。

「ごめんねあーちゃん。せっかくプレゼント買ったのに、池に沈んじゃったあ」

 梓は泣き叫ぶめぐみに、優しく言った。

「謝るのは俺の方だよ。めぐにそんだけ辛い思いさせて……本当ごめんな」

 梓はめぐみを大きな木の切り株に座らせると、くるりと振り向いた。先ほどの少年三人が、まだへらへらと不愉快な笑みを浮かべていた。

「おい、お前ら」

「あん?」

 明らかに梓より年嵩(としかさ)と思われる少年が、顎をしゃくった。梓はぎりっと奥歯を鳴らした。

「よくもよくも……」

 梓は拳を力いっぱい握り締め、そして、

「よくもめぐを泣かせてくれたな!」

 叫ぶと、少年の頬に強烈な一撃を見舞った。

「ぐあっ!」

 不意撃ちを食らい、少年はひっくり返って地面に這いつくばった。

 梓は躊躇わず、別の少年にも襲いかかった。

「くそ、生意気なガキだ。やっちまえ!」

 梓はケンカは苦手な方ではなかった。身の軽さを生かして、3人を相手に序盤は互角に渡り合う。

 しかしさすがに一対三でしかも相手が年上となると分が悪かった。

 後頭部に一発食らい、梓は倒れ込んだ。

「いやあっ!」

 めぐみの悲鳴が響く。

 その後は、梓は一方的にやられるだけだった。

「やめて、お願いだからやめて!」

 倒れている梓の上にめぐみが覆い被さった。

 さすがに、小学校一年生の女の子に手を上げるわけには行かなかったのだろう。少年達の手が止まった。

 そして、梓を十分痛めつけた事に満足したのか、三人は黙って引き上げていった。

 梓は、しばらくしてから体を起こした。全身がずきずき痛むが、これも自業自得だ。

「いつつ……」

「あーちゃん……」

 めぐみの双眸から再び涙が溢れようとしていた。梓はそれを人差し指で拭ってやった。

「めぐ……ごめん。俺が悪かった」

「どうして?あーちゃんは悪くないよ?」

「いや、ちょっとクラスの連中にからかわれたからって、めぐを傷つけるような事ばっかりして……」

「じゃ、まためぐと一緒に学校行ってくれる? 一緒に遊んでくれる?」

「ああ、約束」

 それを聞いためぐみは、目に涙をためたままにっこりと微笑んだ。

「そうだ、あーちゃん。買ったプレゼントは沈んじゃったけど、もう1つあるんだよ」

「もう1つ?」

「うん、一日早いけどいいよね。はい!」

 めぐみが差し出したのは、一枚の紙切れだった。

「何だこれ?」

「これは、『めぐがいつまでもあーちゃんのそばにいてあげるフリーパス』だよ」

 梓は口元をほころばせた。

「そりゃありがたい品だな。で、有効期限はいつまでなんだ?」

 めぐみは、すっかり笑顔だった。

「はい、ずーっと、一生有効でーす!」

 それ以来、梓はどんなにからかわれ、冷やかされようとも、毎日必ずめぐみと登下校を共にし、めぐみがいじめられたら、相手が何人いようが年上だろうが、必ず相手に向かっていった。

 十年間、ずっと。



 ソファの上で寝ていたせいか、目を覚ました梓は体の節々に痛みを覚えた。

「なんか、懐かしい夢見ちゃったな……」

 今見たばかりの、昔の光景を思い出した。

 十年前にめぐみから受け取ったプレゼントは、今も梓の机の引き出しに大切にしまってある。梓は、自嘲気味に笑みを浮かべて、ぽつりと呟いた。

「期限……切れちゃったな……」

 立ち上がり、時計を見る。ほとんど9時だった。外は暗いから、夜の9時らしい。

「2時間くらい寝ていたのか……」

 携帯電話を取ると、着信を示すランプは灯っていなかった。

「やれやれ……めぐの奴まだ帰ってないのか?なーにやってんだか……」

 携帯電話を胸ポケットに戻した。テレビのリモコンを取り、スイッチを入れる。

 CMが流れていた。新聞を拾い、テレビ欄を確認する。

「大した番組やってないな……」

 そう言うと、テレビを切った。

「風呂にでも入るか」

 梓は居間を出ようと一歩を踏み出した。その瞬間、

 再び居間の電話が鳴った。

「まさかまた父さんか? な訳ないか……」

 自問自答してから、受話器を取った。

「はい、荘野です」

「梓くんかい。天野ですけど」

 天野は天野でも、めぐみの父、誠だった。しばしばメリー・ウィドウでは会っていたが、ひょっとすると彼と電話で話すのは初めてかも知れない。

「珍しいですねおじさんが電話なんて。どうしたんですか?」

 帰ってきた返事に、余裕はなかった。

「梓くん、今からすぐうちに来れるかい?」

「え? そりゃ行けますけど、何か?」

 次の一言で、梓の背中は凍りついた。

「めぐみが事故に遭って病院に運ばれたらしいんだ」

 梓は言葉を失った。ほんの数秒の事だったが、梓には無限に長く感じられる数秒だった。

「事故って……」

 ごくりと唾を飲み込んで、ようやくそれだけ言う。後が続かない。

「とにかく、すぐにうちに来てくれないか。車を出す準備はしとくから」

 誠の声が受話器から聞こえてくる。梓は、反射的に何やら答えると、電話を叩き切った。急いで居間を飛び出そうとしたが、扉の開け方を忘れてしまったかのように、手が言う事を聞かない。

「くそったれ……冗談じゃねえぞ」

 乱暴に扉を開け、床を蹴るようにして廊下へ出た。

 めぐみが事故。

 きっと大した事ないに決まっている。そう思い込む以外に、この嫌な鼓動の高鳴りを抑える術はなさそうだった。

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