1-2 メリー・ウィドウで昼食を
カフェ「メリー・ウィドウ」のドアを押し開けると、ドアにつけられたカウベルが、からんからんという音で梓を歓迎する。そして、
「いらっしゃい、梓くん」
恰幅も良ければ愛想も良いめぐみの父、マスターである天野誠の大きな声が店内に響いた。
「こんちは。両親が旅行でいないんで、しばらくは毎日お世話になります」
「そうか。梓くんなら大歓迎だよ。ゆっくりして行ってくれ」
梓は誠に軽く会釈して答えた。すると、窓際の席から聞き覚えのある声が梓を呼んだ。
「荘野さん、こっちこっち」
和美が梓を手招きする。梓は、和美の座っている席の方へ歩を向けた。
「やあ和美ちゃん。和美ちゃんも来てたんだ」
「はい。宜しければ一緒にお昼、どうですか?」
和美はそう言って梓を誘った。
特に断る理由もない梓は軽く頷き、和美と一緒に食事をする事にした。
「じゃ、お言葉に甘えてご一緒させていただこうかな」
そう言うと、和美は笑顔で、
「そう来なくっちゃ。一人より二人で食べる方が楽しいですからね。さ、私の向かいにどうぞ」
「ありがとう」
梓は、和美に招かれるままに、和美の真向かいの席に腰を下ろした。
間もなく、めぐみの母、天野しのぶが、注文を取りに来た。
「梓くんも和美ちゃんも、いつもありがとう。ご注文はお決まり?」
和美はメニュー表を見ながら、
「荘野さんは何にしますか?」
「俺はチキンのハーブソテーにライスつけて」
大して考えもせずに、この店で一番良く食べるメニューを注文した。
「じゃ、私はカルボナーラにサラダ付けてください」
和美の注文もすぐに決まったようだ。しのぶは、2人の注文をメモする。
「チキンハーブソテーライスセットとカルボナーラサラダセットね。少々お待ちください」
そう言って、カウンターへ引っ込んでいった。
料理が出来るまでの間、和美と梓は雑談に興じた。メインとなる話題は、どうしてもめぐみの事になってしまう。
「私、めぐみは絶対男の人に声かけられてもOKとかしないって確信してたから誘ったんですけど……びっくりでした」
「俺もびっくり、というか腰抜かした」
梓は冷水を口に含んだ。あまり喉の渇きが癒された気はしなかった。
「やっぱ、荘野さん以外の男の人には免疫が無さすぎたのかなあ……めぐみ可愛いから、やたらちやほやされて舞い上がっちゃったのかも」
「ま、そんなとこだろうね」
梓には何ともコメントのしようがなかったので、無難に相槌を打っておいた。
「私なんかその場面生で見てたんですから。絶句ですよ」
「そりゃ絶句するよな……」
梓は何とも形容しがたい表情を浮かべた。
「荘野さんに、遊園地から携帯で連絡とかなかったんですか? 告白されちゃったけどどうしよう、とか」
「いや、なかったなそう言えば」
それ以上続ける言葉がなかった梓は、間をごまかすかのように、冷水を一気に飲んでしまった。
その時、都合よくしのぶの声が響いてくる。
「お待たせ。こっちがチキンソテーライスセット、こっちがカルボナーラサラダセット」
しのぶは二人分の料理をテーブルに並べ、空になった梓のグラスに冷水を補充した。
「ドリンクは何がいい? もちろん、いつも通りサービスよ」
ここでは、梓と和美の2人は来る度にドリンクが無料サービスだった。心苦しいと思って料金を払うと言うと、しのぶは決まって「めぐみが明るく過ごせてるのは2人のお陰。本当ならお料理も無料にしたいくらいよ」と答えるのだ。
今度は和美が先に注文を答える。
「私はアイスティーをお願いします。荘野さんは?」
「俺はコーヒーをホットで」
「はい、アイスティーとコーヒーね。和美ちゃんはミルクたっぷり、梓くんはブラックだったわね。食後に持って来るから」
お決まりだけに、2人の好みもしっかりしのぶは把握していた。しのぶはカウンターに引き上げて行った。
すぐに梓と和美の会話が再開する。
「それにしても意外でした」
和美はぽつりと呟いた。梓が、
「何が」
ときくと、和美は言った。
「めぐみって、絶対荘野さんの事好きだって思ってたんですけど……」
梓は、食べたばかりのチキンソテーをいきなり飲み込んでしまった。
「ぐあ……喉に……」
和美が慌てて身を乗り出した。
「ちょ、ちょっと大丈夫ですか?」
「み、水を……」
水を一飲みすると、梓は落ち着いたようだ。呼吸を整える。
「ふう、ふう……。しかし和美ちゃん、なんつー事を……」
梓は苦笑いを浮かべてそう言うが、和美は、
「いいえぇ、めぐみと荘野さん見てたら、普通の人ならめぐみは荘野さんが好きなんだって思いますよ。私なんか四年も見てるからなおさらです」
「はは、ま、でもそうじゃなかった、と」
梓が自嘲気味に浮かべた微笑は、どことなく寂しげだった。
「だから、結果的にあんな事になって、私荘野さんにかなーり申し訳無い事しちゃったな、って……」
和美の言葉に、梓は今度はライスを詰まらせそうになったが、慌てて無理やり飲み込んだ。
「別に和美ちゃんが俺に申し訳無く思う必要はないよ」
と冷静に言った。和美は、
「まあ荘野さんがそう言うのなら、いいんですけど……」
意味ありげにそう言って、カルボナーラの最後の一口を口に入れた。
あまり深く突っ込まれたくなかったので、梓も無言でライスの最後の一口を平らげた。
そこへ、しのぶがベストタイミングでドリンクを運んできた。
「はい、アイスティーとホットコーヒー」
「あ、ありがとうございます」
「ご馳走になりまーす」
しのぶは笑顔を残すと、またカウンターに去った。
その時。店の奥から何やらどたどた駆け回る音が聞こえてきた。
「なんだ?」
梓が耳をすますと、声が聞こえてくる。
「お母さーん、あたしのお財布どこにいったか知らない?」
めぐみだった。
しのぶは、眉根を寄せ人差し指でその真ん中を押えてから言った。
「昨日洗濯する時にスカートのポケットに入ってたから、洗面台に置いてあります」
また、ばたばた走る音が聞こえてきた。そして、
「あったー!」
と派手に叫ぶ。店の方にまで声が響いているとは全く思っていないのだろう。梓と和美は顔を見合わせて思わず吹き出した。
「何やってんだかあいつは……」
「ふふ、めぐみらしいって言えばらしいですけど……」
やがて、店の奥からめぐみが顔を出した。店と家の通路になっている廊下から、靴を持って店の中に降り、靴につま先を突っ込む。そして、すたっと喫茶店に飛び降りた。
しのぶは呆れ顔だ。
「めぐみ……いつも言ってるでしょう?お店から出入りしちゃ駄目だって」
「ごめんなさーい」
あっけらかんとそう言うめぐみに、しのぶの言葉はまるで効いていない様子だった。
そして、梓と和美の姿を発見すると、着替えたばかりのよそ行きの格好で声をかけてきた。
「あ、あーちゃん、和美ちゃん。来てたんだ。いらっしゃい。ゆっくりしてってね」
「ああ。ゆっくり涼ませてもらうよ」
「今日は私と荘野さん、ツーショットでお楽しみ中よ」
答えた梓と和美に返した笑顔を見ても、めぐみは最上級に上機嫌だった。
めぐみは、梓が去年の誕生日に贈った水色のワンピースを着ていた。
「あれ、俺のリクエスト通りだな」
「うん。あーちゃんがこれが良いって言ったから。どう?」
めぐみのその言葉は、たった1つの返事しか求めていなかった。梓は、素直な感想を述べた。
「凄く似合ってるよ。ってそれ着る度に同じ事言ってるけどな」
めぐみはにっこり笑った。
「良かった。あーちゃんがそう言ってくれるなら安心だね」
その笑顔もは梓のために向けられているのではなかった。そして梓がめぐみのために贈った服も、今は梓のために選んだものではなかった。梓は、しかし1ヶ月の間に、そんな感覚にはかなり慣れていた。そして、
「しっかり彼氏に見せびらかして来い」
「うん!」
それでも、めぐみの笑顔は、梓にはまだ少し痛かった。
その時、店の外から車のエンジン音が聞こえてきた。車が止まったらしい。
途端に、めぐみの表情が輝く。梓は苦笑しながら和美に(囁/ささや)いた。
「来たらしい」
「みたいですね」
「めぐの相手って、何才?」
「えーと、私の兄貴と同い年ですから、荘野さんより一つ上の大学二年生だそうです」
それを聞いた梓は、偏見丸出しで言った。
「きっとろくに講義にも出ず、バイトとサークルだけ出てるような奴なんだろうな」
それを聞いた和美は、
「荘野さん、偏見爆発してる……」
笑いながらそう言った。
「まあ、確かに凄く真面目というタイプには見えませんでしたけどね」
和美も、そう言葉を続け、特に梓の否定しなかったところを見ると、梓の意見に暗に同意しているのかも知れない。梓は、苦笑いを返した。
そして当のめぐみは髪形を少し整えると、両親に行ってきますの挨拶。
「じゃ、お父さんお母さん、行ってくるね。晩御飯は食べてくるから」
「ああ、気をつけてな」
「あんまり遅くなりそうなら連絡するのよ」
めぐみは頷いた。
「はーい。心配しないでね」
そして、次は梓と和美の方へ向き直った。
「和美ちゃん、じゃ行って来るね」
「はーい行ってらっしゃい。夜遊びはダメダメだからね」
和美が言うと、めぐみはくすくす笑った。
「和美ちゃんも早く良い人見つけないとね」
その一言は、和美には痛恨の一撃だったようだ。
「ぐ……めぐみ、あんた自分が幸せだからって……」
「あは、冗談よ冗談」
「あんたって子は……」
めぐみと和美らしいやりとりだった。そして次は梓の番だ。
「あーちゃん、行ってくるね」
「ああ」
それだけだった。
和美は店の入り口の扉を開けた。
カウベルが派手にめぐみを送り出す。そして外で車のエンジンの音が高くなったかと思うと、あっと言う間にその音は遠くなっていった。
和美が、首でその音を追いかけ、追い切れなくなってから梓の方へ首を戻した。
「行っちゃいましたね」
「そうだね」
そっけない返事だった。
明らかに元気がない梓を見て取ったか、不意に和美が大げさなポーズを作ると、言った。
「ねえ荘野さん。これから時間あります?」
「え? まあ、特に用事もないけど……」
「それは好都合!」
和美は、何だか無理やりテンションを上げているように見えた。
「それじゃ、私とこの後ちょっと付き合いませんか?」
「付き合いませんかって、どこに?」
「まずはお買い物。秋物のお洋服を見たいんです。それから映画。今ちょうどリバイバルで良いのが来てるんですよ。そしてその後はお夕食! ちょっと穴場っぽいけど、すっごく美味しくてお洒落なお店見つけたんです」
プランを得々と語る和美に、梓は一言。
「なんかデートみたいなんだけど」
そう言う梓に和美はずばっと言ってのけた。
「デートなんですよ」
梓は、和美の勢いに押されたが、さてどうしたものかと考えたが、これも特に断る理由もない。
それに、せっかくの休みだし、いつまでも部屋の中で腐っていても仕方ない。梓は和美に付き合う事に決め、頷いた。
「そうだね、行こうか」
梓のその言葉を聞いた和美は、オーバーな身振りで喜んだ。
「やったあ!」
「そんな大げさな……」
梓は、しかしそう悪い気はしなかった。
和美の声を聞き付けた誠も、カウンターから出て来た。
「お、梓くんと和美ちゃんもデートか? いやー、若い者はいいねえ」
調子に乗る誠をとがめるのは、しのぶの仕事だった。
「お父さん。あなたが羨ましがってどうするの?」
しのぶに冷たく言われて、誠は頭をかくしかなかった。
「でも、梓くんと和美ちゃんも楽しんでらっしゃいな。こんな天気のいい日に部屋にこもっているのももったいないものね」
改めてしのぶが言った。和美は右手を上げ『了解』のポーズ。
「和美ちゃんと梓くんって、結構お似合いかもな」
年中顔に笑顔を張り付けているような表情の誠が、そう言った。
和美は上機嫌だった。
「うわ、どうします、荘野さん? 私達お似合いだって」
そう言って、梓の腕を取る。いつもめぐみにされて慣れている事だったが、和美にされるとなんだか違和感があり、面映ゆかった。
しかし、今日は和美の心遣いを素直に受け取ろう。梓はそう心に決めた。