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カレイドスコープ  作者: NaGISA
序章 夏の始まり
3/30

0-3 青天の霹靂

 日曜日。空には雲1つない快晴。絶好の行楽日和となった。

「絶好の遊園地日和だな。まあ、絶好の海水浴日和である、とも言えるけど」

 居間で、梓は窓の外を眺めながら呟いた。

 新聞を読んでいた梓の父親、洋二(ようじ)が、

「で、その遊園地日和であり海水浴日和であり動物園日和であり映画館日和でありゲームセンター日和でもある日曜に、お前は何を独り寂しく居間で(たたず)んでるんだ?」

 新聞から全く目を離さず、そう言った。

「何だよゲームセンター日和って……」

 梓は呆れたように言った。

「本当はめぐと今年の初泳ぎに行く予定だったんだけどね」

「けど振られた、と」

「あのなあ……」

「梓、女の子は本命だけでなく、ちゃんと対抗も用意しとけよ。昔の言葉で言えば『2号さん』だ。梓の2号さん、『あずさ2号』。なんちゃって」

 梓は洋二のオヤジギャグに、がっくりと首を垂れた。洋二のペースに巻き込まれないように、立ちあがる。

 梓は、テーブルの上から洋二の車の鍵を取り上げた。

「父さん、車借りるよ」

 洋二の車は、早智子の軽自動車と違って2500ccの乗用車だった。やはり乗り心地から何から全てが違う。

「それは構わんが、どこか出かけるのか?」

「適当にドライブにね」

「そうか。気をつけて行って来いよ」

「ああ」

 梓は相変らず新聞を読んだままの洋二に答えると、居間のドアに手をかけた。

 洋二がその時思い出したように言った。

「そうそう。初心者マークは忘れずにな」

 梓は思わずずっこけた。

「分かってるよ。行って来ます」

 車の鍵に付けられたキーホルダーを指に引っ掛けて回しながら、梓は居間を出ると駐車場へ向かった。

 外に出ると、厳しい陽射しが降り注いでくる。

「今日も暑くなりそうだな……」

 そう言うと、洋二の車に近づきリモコンドアロックで鍵を開けた。ハザードランプが点滅し、ドアロックの解除を知らせる。

 ドアを開け、運転席に乗り込んだ。

 さすがに軽自動車とはかなり違う。梓はささやかな優越感に浸った。

 エンジンキーをイグニッションに挿し込み、回す。エンジンが上品な咆哮をあげた。

 腕時計に目をやった。

「めぐは、今ごろジェットコースターで悲鳴でもあげてる頃かな」

 別にジェットコースターでなくても良いのだが、梓の想像した絵は、ジェットコースターで絶叫しているめぐみだった。

 梓がめぐみと遊園地へ行くと、決まって「まずジェットコースターに乗ろうよ_」と自分から言っておいて、必ず傍から見ていて恥ずかしいくらいの絶叫ぶりを見せるのだ。今日も同じパターンに違いない。

 今めぐみの事を思い出しても仕方がない。梓はゆっくりとアクセルを踏み込む。

 洋二の車は、静かに加速した。

「さて、どこに行くか……」

 目的のないドライブも悪くない。梓はハンドルを大きく切ると、車を路地へと出した。

 アクセルを少し大きく踏む。車は、滑るように加速していった。



 適当な場所で食事をして、海を見たり峠道を走ったり、1日かけて洋二の車のガソリンタンクを空にして、梓が帰って来たのは暗くなってからだった。

 梓は家の前でブレーキを踏むと、ギアをリバースに入れた。コンソールパネルから警告音が鳴り、車がバックする状態である事を知らせた。注意深くハンドルを切って、バックで駐車場へ車を入れる。

 免許を取ってまだ数ヶ月の梓は、お世辞にもまだ車庫入れが上手いとは言い難かった。

 何度か切り返した後、ようやく車が綺麗に収まった。

「ふう」

 一息ついてからサイドブレーキを引き、エンジンを切ると、ドアを開けて外へ出た。

「めぐはもう帰って来てるかな……」

 目の前の道を挟んで向かい側の、めぐみの家を見上げた。めぐみの部屋の明かりは、点いていなかった。

「ナイトパレードでも見て帰ってくるのかな」

 梓はさほど気にもとめずに、家のドアに手をかけた。

「ただいま」

 家に入ってそう言うと、居間の方から早智子の声が聞こえてきた。

「おかえりなさい、梓。晩御飯の準備できてるわよ。いらっしゃい」

 そう言えば、かなりお腹が空いていた。梓はその足ですぐ居間へと入った。

 居間では、既に食事の準備が整おうとしていた。早智子が忙しそうにシステムキッチンの前で動き回り、洋二がそれを手伝っている。

 梓は早智子に呼びかけた。

「母さん、今日は何?」

「今日は、お魚屋さんでいい鯵が売ってたから、和食にしてみたの。鯵の塩焼きよ」

「いいね。鯵は好きだよ」

 梓は魚が好きだった。

 そりゃあ、牛肉は旨い。豚肉も鶏肉もいいだろう。しかし日本人ならやはり魚だ。何より体に良いのだ。ああ、魚介類に栄光あれ。

 洋二は、そんな梓を見て、視線を動かさずに一言。

「梓、魚介類の栄光も結構だが、たまにはお前も料理を手伝ったらどうだ。男子厨房に入らずんば虎児を得ず、と言うじゃないか」

 洋二のオヤジギャグは、とても寒かった。

「いいんだよ。料理はめぐに任せてるから」

「そうか。じゃあ今度めぐみちゃんに、梓を甘やかさないように言っとこう」

「頼むからやめてくれ……」

 梓と洋二のやり取りを見て、早智子は笑った。

「ほら2人とも。用意が整いましたよ」

 食卓の上では、すっかり夕食の準備が完了していた。梓は結局何もしなかった。

 梓は携帯電話を確認した。運転中は携帯電話はマナーモードにして助手席に置いておいたが、確認の余裕など当然なかったのだ。

 めぐみから何か連絡があるかと思ったが、メールも着信もなかった。

 まあ、どうせ後で土産話を聞かせるべく電話してくるだろう。今は目の前の鯵を胃袋に納める方が先決だ。梓はそう思い、携帯電話を胸ポケットにしまい、箸を手に取った。



 その夜。

 昼間ずっと車を運転した疲れからか、いつもよりかなり早めに寝床についた梓を、携帯電話の呼び出し音がたたき起こした。

「誰だよ一体…」

 寝ぼけ眼で充電器に挿してあった携帯電話を取り、発信元を確認する。液晶画面に示されていたのは、和美の名前だった。

「もしもし、八重洲です」

「やあ、和美ちゃん」

「もしかして、お休み中でした?」

 電話越しにでも眠さが伝わるような声だったのだろうか、和美がそうきいてきた。

「いや、起きてたよ」

 梓は、和美に余計な気を遣わせまいと、そう言った。

「そうなんですか?だったらいいんですけど……」

 和美はあまり信じていない様子だった。

「で、どうしたの?」

 梓がそうきくと、予想外の反応が返ってきた。

「……あれっ?」

 梓は面食らった。用事を聞いたのはこちらなのだ。「どうしたの?」に「あれっ?」はないだろう。それとも聞こえなかったのだろうか?

 梓はもう一度、「何か用があるからかけてきたんじゃなかったの?」と尋ねてみた。

「あ、えーと、はい、その、無事帰って来たんでそのご報告をと思いまして……」

「はは、そっか。律儀だね」

 しゃべり方もそうだが、和美のこの律儀なところは、初めて会った時から変わっていない。

「で、どうだった? 楽しかった?」

「もちろんです。ナイトパレード見たから遅くなっちゃいました」

「やっぱり。そうだと思ったよ」

「めぐみなんか、絶叫マシンで叫びまくりでしたよ」

「容易にそのシーンが想像できるな……」

 梓は苦笑した。

 しばらくは雑談が続いたが、和美が不意に言った。

「あの、めぐみから電話ありました?」

「いや、なかったけど?」

「あれえ……」

 どうにも微妙な和美の調子に、梓は違和感を覚えた。和美は少し間を置いてから言った。

「そうなんですか…。それならいいんですけど」

 梓は首を捻った。

「どうしたの?」

「いえ、どうもしないです」

 和美の声は、既にいつもの調子に戻っていた。梓は、気にするのをやめた。

「それじゃ、遅いから切りますね」

「ああ、またね」

「はい。お休みなさい」

「うん、お休み」

 電話が切れた。

 梓は携帯電話を再び充電器に放り込む。電話の内容が気にならなくもないが、眠気には勝てない。深く気にも止めずに、1つあくびをするとベッドに横になった。

「ねむ……」

 梓はあっと言う間に2度目の眠りに落ちていった。



 翌日。梓は冷房の効いた居間で食卓の椅子にかけ、早智子とのんびりとテレビを見ていた。

 ブラウン管に映っている内容は、とりたてて梓の興味を惹くようなものではない。よくあるワイドショーだった。と言って、この時間は他に見るものがある訳でも、する事がある訳でもない。

 画面に、最近人気の若手俳優が映る。途端に早智子の表情が輝いた。

「あ、私この子結構好きなのよね」

「そうだったんだ。母さんも結構ミーハーだね」

 早智子はにこにこと笑っている。テレビをあまり見ない梓に対し、普通の主婦らしく芸能人のニュースのチェックは、普段から怠りなしのようだ。

「そりゃあ、女性はいくつになってもカッコいい男の子が好きなものよ」

「父さんはどうなるのさ」

「洋二さんは、別」

 梓はぷっと吹き出しながら言った。

「はいはいご馳走様。しかし、母さんってああいうタイプが好みだったのか。ちょっと意外」

「そう? そういう梓は、どんなタイプの女の子が好みなの?」

「俺? そうだな……」

 梓は少し考え込んだ。早智子は悩む梓に、質問をぶつけてきた。

「じゃあ母さんが質問するから。背は高い方が好き?」

「いや、低い方がいいな」

 早智子は間髪入れず、次の質問をしてくる。

「それじゃ、髪は短い方が好き?」

「いや、長い方がいいな」

 梓も、深く考えずに答えた。早智子は少し微笑んでから、もう一つだけ訊いてきた。

「それじゃ、髪は黒髪と茶髪とどっちが好き?」

「黒髪が好きかな」

 梓の答えを聞いて早智子は、質問内容を振り返るように、指折り数えながら呟く。

「ふむふむ、背が低くて、髪が長くて、黒髪の子……」

 早智子は、得心したかのように頷いた。

「それって、まんまめぐみちゃんね」

 早智子が笑ってそう言うと、梓は咳き込んだ。

「例えばの話だよ、例えば」

 梓の反応は、早智子の予想通りらしかった。早智子はまた笑う。

「そうね、例えばね、例えば」

 早智子は、視線をテレビに戻した。早智子お気に入りの若手俳優は、もう画面には映っていなかった。

 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

 梓は立ちあがろうとしたが、早智子がそれを制して先に立ち上がる。

「私が行ってくるから」

「あ、うん」

 早智子は居間を出た。間もなく、扉の向こうから声が聞こえてきた。

「あらあらめぐみちゃん。外は暑かったでしょう?上がって麦茶でも飲んでお行きなさいな」

「はい、お邪魔します」

 声は聞き慣れためぐみのものだった。すぐに居間の扉が開き、めぐみが飛び込んでくる。

「あーちゃん、やっほ」

「おう。外は暑かったろ。ゆっくりして行けよ」

 梓は軽く手を上げて答えた。

「今麦茶を出すから、ちょっと待っててね」

 早智子は冷蔵庫から麦茶を取り出す。グラスに注ぐとめぐみに手渡した。

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 めぐみはグラスを受け取ると口に付け、一気にぐいっと飲み干した。見ていた梓が冷やかすように言う。

「良い呑みっぷりだな。将来が楽しみだ」

「あたし、飲んだくれなんかじゃないよーだ」

 めぐみはそう言って舌を突き出したが、顔は全く怒っていなかった。それどころか、上機嫌ですらあった。

「めぐ、機嫌良さそうだな。何かいい事でもあったのか?」

「そうそうそれそれ」

 めぐみはグラスを置くと手を一回叩いた。

「今日は、重大発表があってやって参りましたー!」

「重大発表?何だよ、聞いてやるから言ってみろ」

「どうしたのめぐみちゃん。あたしにも教えてくれるの?」

 梓の隣に、早智子も寄ってきた。めぐみは大きく頷いた。

「もちろん、おば様にも教えますよ。この夏のビッグニュースだもん」

 更にめぐみは、たっぷりと勿体をつける。

「聞いたらあーちゃん、絶対びっくりするよー。腰抜かすかもよ」

 めぐみは昔からいちいち大げさな表現をするところがあった。そして、めぐみが大きく構えて、腰を抜かすほどの事を言われた事は、未だかつてない。どうせ大した事ないとたかをくくって、梓は言った。

「いいから言ってみろってば」

 そうやって梓が急くと、めぐみは大げさに、自分でファンファーレまで口ずさんで、その言葉を口にした。

「じゃじゃーん! なんとこのあたしに、彼氏ができちゃいましたー!」

 生まれて初めて、めぐみに腰を抜かすほど驚く事を言われた。腰を抜かすどころではなかった。目が点になり、心臓の鼓動が一瞬止まった気すらした。

 めぐみは更に続けた。

「昨日遊園地で一緒に行った人から、いきなり告白されちゃってー。ちょっと悩んだけど、カッコいい人で結構タイプだったからOKしちゃいました!」

 一人嬉しそうに話すめぐみを前に、梓どころか、早智子までもが固まっていた。

 昨日の和美の電話、その違和感。なるほどこう言う事だったか、と。思考速度の低下した梓の頭に、その事実がじわじわと染み込んで来る。

「……? 2人ともどうしたの?」

 小首を傾げてきいてくるめぐみに、梓はたっぷり時間をかけてようやく口を開いた。

「へえ、そりゃ良かったじゃないか」

 ぱさぱさに乾いた声だった。自分の声とはとても思えなかった。

「あれえ? あーちゃん、びっくりしてないの?」

 めぐみは、あくまで無邪気だった。残酷なまでに。

「びっくりしてるよ、そりゃ」

 こういう感覚は、「びっくり」とは言わないような気がしたが、あえて梓はそう言った。表情を繕うのが一苦労だった。

「びっくりしすぎると、人は冷静になるんだ」

「ぷっ、そんなの初耳だよ」

 めぐみの笑顔はいつもと変わらない。ある意味幸いな事だ。

「そういう訳なんで、来週もあーちゃんとお出かけは出来ないかも……」

 めぐみは少し申し訳なさそうにそう切り出す。それは梓がいつ出てくるかと、予想していた台詞だった。

「そりゃそうだろうな。彼氏の方を優先してやれ」

「あ、でも時々はあーちゃんともお出かけしたいな」

 梓は立ちあがり、めぐみの頭を軽くぽん、と叩いた。

「俺に気を使う必要はないよ」

 そう言って、無意味に天井を見上げた。

——長い夏休みになるな……。

 恐らく、来週の日曜と言わず、今年の夏休みは終わりまで暇になる事だろう。

 梓は、夏休みを嫌いになりそうだった。

 しかし、精神的にも現実的にも、梓の夏休みはまだ長かった。

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