第二十四話
しっとりとした茶色のお部屋。
ソファもテーブルも茶色や落ち着いた赤い色の物ばかり。
貴族の人のお部屋ってもっとごてごてしてると思ったのに、そうじゃなかったみたい。
こぽこぽこぽ。
カップにお茶を注ぐ音が部屋に響く。
ほわぁん。
湯気が出てほんわりと部屋に広がっていく。
風と、部屋から見えるお庭の池に住んでる魚が時々飛び跳ねる音だけ。
ささ…。
しつじのおじさんが僕の目の前に座ってる人と僕に、お茶の入ったカップを置いてく。
なんとなくゼロムと似てると思ったの。
ゼロムもしつじのおじさんみたいに、音を立てずに物を置いたり、いつの間にか現れたり…
「どうぞ、ぼっちゃま」
「あ、えっと。ありがとうございます」
ほんと…何でこんな事になっちゃったんだろう?
僕はオーマと一緒に領主さまのところに来て、ただ魔術師の素質がどうとかで
終わったらのんびり町を観光してから帰るはずだったのに…
初めてポリメシアから外に出てわくわくしてたのに、今はわくわくよりもそわそわしてる。
目の前に置かれたカップを両手で持ってじっとお茶をのぞいてみた。
…
オーマ、早く帰ってこないかなぁ。
はぁ。
「気に入りませんか?」
「ぅ、ぇ?」
「難しそうな表情をしていたものですから、口に合わないのかと…他の物をお願いします」
「かしこまりましたツハイン様」
「だ、大丈夫だよ!僕このお茶、好きだと思う!!」
赤みの強い金色の髪をエルオーネみたいに緩く背中でくくってる男の人。
多分ゼロムよりも年上だと思うな…
ツハインさまって呼ばれた人に、僕は急いで返事をする。
だってお茶でも捨てちゃうのはもったいないから。
だからいっきにカップに入ってたお茶を飲んだんだ。
「ぅ?」
ちょっと熱くて、喉がひりひりしちゃったけど…うん。コレあんまりおいしくないや。
ゼロムが入れてくれるお茶の方がいいな。エルオーネが作ってくれる方が全然おいしいし。
「驚いたな…セトの言っていた事が本当だったとは―――」
「セト?」
「彼です。わたしの専属執事なんですよ」
「え、このしつじのおじさん…セトおじさん?」
「ふふ。まさか本当に猛毒草が平気とは…どのような生活をしているので?
あのケルト=エンゼリカ殿も訪れたのでしょう、其れ程までにポリメシアとは聖域なのですか?」
「?」
「難しい言葉は使っていないと思いますが…何か分からなかった言葉がありましたか?」
「えっと…言葉って言うよりも、ケルトさんってみんなが知ってる人なの?
あとセーイキってどういう意味なのかなぁって。
僕たちはシャシャイの世話したり、ミルクをとなりの村に持っていったり
あとね。年に一度だけお祭りしたりするんだ。だからヘンなこととかはしてないけど…」
「あなたは何も知らないというのですか?
『フィヨーダの落日』などと揶揄しておきながら、何も知らないと、そう言うおつもりか」
し、知らないモノは知らないんだもん!
って言えたらいいんだけど、なんかそんなことを言ったら怒られそうだなぁ…
だって、青と黄色が混じったような色の目がスーって細くなったんだよ。
「あの、」
「ところで、先ほどの少女はいったい何者ですか。
シェリルルシエが随分と警戒していましたが、彼女は魔術師なのですか?」
「…オーマは僕と同じ男の子だよ。シェリスとオーマは同じなんだと思うなぁ。
前に会ったって言ってたし、ちっちゃい頃に遊んだことがあるんじゃないかな」
「同じ―――同属ですか…少女と見紛う姿でしたね。
そして魔力量すらも自在に操れる…少なくとも人間に擬態出来るだけの化け物ですか」
「?」
「失礼―――少々用事が出来たので、わたしはこれで退室させていただきます。
セト。シェリルルシエが戻るまで彼に付いていてください。けして父上の傍に近づけぬように」
「承知いたしましたツハイン様」
そう言って、ツハインさまはお部屋を出てった。
やっぱり、なんだか怒ってた…?
◆ ◆ ◆
「セトおじさん。くらいもちってなぁに?」
連れてきた時と変わらず、辺境の田舎村の子供は憶す事なく私に問いかけてくる。
自分がどのような状況に置かれているのか理解していないのか?
否―――。理解を示していてこうなのか。痛む頭を振りつつ、少年と視線を合わせる。
私は態度を改めた。
エベノス領領主であるウルト=エヴァーゼン様が認めた。認めざるおえなかった。
例えそれが、手白香からの脅迫紛いの言葉を受けたモノだったとしても。
そして我が主が認めた―――ツハイン様専用の客室へ招いた少年だ。
「…位持ちとはそのままの意味です。精霊にも階級があるように彼ら悪魔にも階級があります。
ぼっちゃまがオーマと呼ばれていた少女…少年も、中位以上の位を持っていることでしょう。
そうでなければ、ああも完璧に人間と見紛う姿に擬態出来るとは思えません。私も見抜けませんでしたし」
「皇位精霊みたいな?」
「は…ああ、ええ。」
何故、皇位精霊が引き合いに出される?!
知識が殆ど無いというのに、たまに突拍子もない事を言い出す少年だ。
いやあの悪魔が少年に対し知識を与えているのかもしれない。
苛烈なる悪魔の異名を持ちつつも、同じ悪魔からは異端と呼ばれ、人間の傍に存在ろうとする。
悪魔的な思考を持たず、人間的な行動を起こす異端者。
人間に寛容な悪魔。人間側に着いた悪魔。人は彼の悪魔を手白香と呼んだ。
憶測で我が主であるツハイン様にご報告申し上げるのは遺憾だが、手白香が警戒した存在だ。
攻撃される可能性も考慮して対策を立てるべきなのかもしれない。
「僕とオーマはお家帰れる?ひどい事されるの?」
「はい、必ず。危害を加えるなど、我が主は望んでおりません」
そう、わざわざ敵――しかも悪魔だ!―――を増やそうなどとだれが思うか。
しかし悪魔か…いや、待てよ…この少年はあの悪魔と契約しているのか?
もしそうならば、しかしどうやって聞き出す?―――いや、案外あっさりと契約の印を見せるかも知れんが…
「ツハインさまはひどい事しないんだったら、領主さまはの方は?」
「は?」
「セトおじさんの『わが主』がツハインさまなんでしょ?
じゃあ領主さまのほうは僕とオーマをお家に返してくれないの?」
それは…
確かに、あのウルト=エヴァーゼンがこんな極上の実験体を逃がすとは思えない。
しかしそれ以上に手白香の機嫌を損ねることはしないだろう。
以前、ツハイン様に危害を加えたウルト様の第二夫人サルヴィア様を、目の前で解体されてからは特に気を使っている。
もっともウルト様がケルト=エンゼリカの友人と認められているから今の今まで無事だったのだが…
「ケルト=エンゼリカ様の下に帰られるのですよね?そうならば邪魔はされないかと…」
「んん?―――じゃぁ平気なの、かな…?」
首を傾げつつ、新たに入れたお茶のカップに口を付ける。
平凡な顔立ち、どこにでもいそうな雰囲気の少年。
実際、お茶をとる動作に気品など感じられない。しかし不思議な事に、不快を感じさせる動作でもない。
「あ、」
少年が驚いた声を上げる。その視線をたどると、窓際に固定されていた。
そして、そこから悪魔二匹が姿を現したのだ。
「や、おチビちゃん。遅くなってごめんね。シェリーってば我儘ばかり言ってくるからさぁ」
「ぼくはわがままなど言ってはいない。きみが言ったことはりっぱな詐欺だ。
いけないことはいけないのだと知るべきだ。人間の世界に交じるのならなおのことそうすべきだ」
「あー、ヤダヤダ。だからキミは異端者って言われるんだよ。
―――さて、おチビちゃん。そろそろ帰ろうか。ボクたちは王都へは行かないんだし」
「もうシェリスとのお話いいの?あ、後ね。
ツハインさまは帰っていいって言うかもしれないけど、領主さまはどうか判らないって」
「平気だよ」
「もんだいない。エヴァーゼンが欲しいのは魔力保有者であって、魔術師候補ではないから。
だいたい、ちびを選んでもかれが付いてくるならば、かえってマイナスなことにしかならない」
「へ?」
「ちょっとシェリルぅ。それどういう意味なワケぇ」
「そのままの意味だ。エヴァーゼンが欲しいのは実験体。でもうまくいってないようだったけれど。
はんたいに、ツハインが望むのは平民出の魔術師。ツハインもそうだから。じぶんとおなじ仲間を創りたがっていた」
「魔術師って魔力のある人がなれるんじゃないの?」
「せいしきな証がないと魔術師となのってはいけない。この国ではそうだった」
「この国では?え?じゃぁ他の国では違うの?」
「神都はお金を積めば大多数は魔術師とか導師とか神官になれるよ。
ま、今この場では関係ないかもしれないけど…そうそう。後着けて来たらサクっと殺っちゃうからね」
少年に対し、悪魔は軽い口ぶりで魔術師の事を話す。
よりにもよって引き合いに神都を出すとは…少年の知識はやはりあの悪魔からのもののようだ。
そして悪魔は私に対し警告を発した。
このまま見逃せ、でなければ死を覚悟しろ――――と
鳩尾を突かれたような感覚がした。
ああ、恐怖したのか。そんなことを考えてしまった。
悪魔を前に、手白香以外の悪魔を前に、私は随分と神経が図太くなったものだ。
ふと意識を飛ばしていれば、手白香は続けるように言った。
「それこそもんだいない。ツハインはそんなことをしない。
エヴァーゼンはするかもしれないけれど、かれがどれだけ痛手をおおうと、ぼくが動くことはない」
それはつまり、ウルト様を切り捨てるということか?!
ウルト=エヴァーゼンではなく、ツハイン様のみを優先するというこなのか!!
コレは、これは本当に―――なんと素晴らしい結果になった事か!!!
「シェリス?」
「気にしなくていいよおチビちゃん。シェリーは騙されて怒っているだけだから!
くすくす―――読心術をしなかったキミが悪いんだよシェリー。
ソレは悪い事だからしてはいけない、だからコレを使うのはやめようなんて考えなければ騙されなかったのにね」
「フィヨーダとしたさいごの約束だった。
約束はまもるものだ。どんな結果になっても、破ってはいけない…いけないんだ」
初めて見た。
手白香が、あくまでも人間のような行動をとり続けるとは…
手白香にとって約束とは何よりも掛け替えのないモノだとツハイン様はおっしゃっていたか。
其れゆえにアレはここに留まり、今もツハイン様だけでなくウルト=エヴァーゼンにも協力していた。
しかしそれが破られた。否―――あの悪魔が現実を突きつけたのだろう。
そしてこれが…今の現状につながっている、と…………………
「大好きな人との大事な約束だから守ってるんだね。シェリスはえらいね」
「…………………ちびになでられてもうれしくない。ぼくをなでていいのはケルトだけなのに」
「もぉ。絶対に僕の方が背がおっきいよ!ほら!ほらっ!!」
「ぼくのほうが、ながく生きている。ちびは、だからちびなんだ」
「だからって何?!絶対に僕の方がおっきい!」
「ちびだ。幼子だ。ひ弱だ。儚げだ」
「~~~~~っ!」
「ちょっと、生意気だよシェリー。軽く消し飛ぶ?それとも塵に還る?」
「どうしてきみが怒るんだ?」
「オーマ?」
手白香に対し殺意を向ける悪魔。
その殺意に気づかぬ少年、そして何故殺意を向けられるのかを理解していない手白香。
あの少年は悪魔を手玉に取っている…?…いや、何と言うか…ああ…
ひとまず、我が主の身は手白香がいる限り安全なままだ。
その後、悪魔と少年はエヴァーゼン邸を後にする。
何処からか呼び出した魔獣に乗り、風の精霊を味方につけ駆け去って行った。
何故、敵対関係にある魔獣と精霊を同時に使役しているのか?
聞きたいことは多々あれど、それでも知らなくていい事もあるのだろうな、などと私は思ってしまった。
◆ツハイン=リラ専属執事セト=ルビィナ◆