第十四話
「で?どうしてお前がここにいる?」
十人中十人が見惚れるほど美しく艶やかに笑うエルオーネ。
「ごほっ…ぐ、ぐびが、じま”で―――」
「あー、はいはい。ほら、とっとと本題に入れ」
少年から離れ、エルオーネは森の開けた場所までカルローンを引き摺ってきた。
文字通りカルローンの首に左手をかけて引き摺ってきたのだ。
青銀と青が対峙する。
「こほっ―――先ほども言っただろう。風の精霊王の末姫についてだ。
しかし、すでに手遅れのようだが、な…いったい誰が名を与えた?
いや問いを直そう。何故名を与えたのだ?魔王が!上位悪魔がいるあの場所で!!」
「不可抗力だ!俺とて止める暇がなかった!!あの場所には確かに上位悪魔がいた。
魔王、いや、元魔王がいた。でも仕方ないだろう…夜の一族があの伝説の一族が認めたんだ!」
「―――…はぁ!!?」
水の精霊であるカルローンが目を見開く。驚きのあまり開いた口が塞がらない。
精霊にとって、否。精霊だけではない万物において、名とは己の存在を確固たるモノにする力がある。
そして名は力を与える重要な役割があると同時に、その力を制御する役割もあるのだ。
故に、名は重んじられている。精霊は人間のように同胞を縛り付けることはしない。
名は愛情を籠めて与えられるものと彼らは知っているから。
しかし人間は違う。魔術に精通している者ならば、また精霊を糧とする魔族ならば…
力を宿す精霊王の御子にわざと名を与え、その名をもって生涯を縛り付ける事ができるのだ。
カルローンはづきづきと痛み出した米神に手をあてた。
「風の精霊王は嘆くだろう…下手をしたら水の精霊王とも事を構える事になるぞ。
『有翼人との混血児が一計を案じたのではないか?』とな。
まさか末姫の父親が自分の子を探していないとは考えなかった訳ではあるまい」
「ああ。あの子は末姫のご両親が見つかるまでと、ちゃんと分かっている」
「というか夜の一族か…何故に古の昔に姿を消した伝説がここに?
しかも魔王や悪魔がいるのだろう?華人だと知らぬわけではあるまい。
喰い殺されても可笑しくないだろうに、どうしてお前は平然としていられるのだエルオーネ?!」
「そのことについて誤解というか、公然の了解というか…ともかく!
あの村では人に交じって生きることが絶対条件なんだ!それが破られない限り安全だ!!」
「安全?―――精霊の天敵とも言える者達がいるのに安全だと?!」
「いいか、よく聞けカルローン。有翼人と精霊の混血児である俺がだぞ。
ものすっっっっごく珍しい俺が今の今まで無事だった理由は…
何不自由なく不安もなく過ごしてこられたのは、あの村がポリメシアだからだ!
あの村に住む、ある少年が、俺達を受け入れているからだ。人間ではない俺達を、な」
「…先ほどの小僧が、そうなのか?」
「そうだ。あの子がいるから元魔王や蠢欲の悪魔はおとなしくしている。
最強と謳われた伝説の夜の一族すら笑って指差しているんだぞ。
というかだ、最強の一族すら普通に(俺達が)足蹴にしているのが現状だしな…」
エルオーネがそう締めくくると、カルローンは顔を歪ませて固まっていた。
それもそうだろう。
精霊の天敵がすぐ傍にいるにも拘わらず、その恐れている天敵を足蹴にしている等、到底信じられない。
しかし希少である有翼人、そしてその有翼人と精霊の混血児。
更に言い募れば、すでに成人しているエルオーネが無事に生きているのが何よりの証拠となっている。
精霊は基本的に同胞や同属にはおおらかでいる。
しかし混血児となると意見が分かれるのだ。そしてその大半が、排他的となる。
例えそれが、皇位精霊の子であっても…
「水の皇位精霊と有翼人の混血である俺は稀有だろう?
ポリメシアに来るまでは随分と命懸だったぜ?まさか同属に売られるとは思わなかったし。
ヒーシャやロウファがいなかったら俺は今頃どっかの金持ちの屋敷で女とされて飼われてたろうな。
ここに来た時は―――いや、ちっさい勇者さんに会ってからは、俺は日々平穏に過ごしているよ」
「もう、怯える事がない、そういうのだな…」
「さぁ…な。帝位精霊と厭味ったらしく吐き捨てられなくなった。
俺の背にある翼を、誰も商品とは見なさなかった。青銀の髪を見ても怯まなかった。
薬草の知識があると言っても、利用価値があると村人は誰も考えついていないようだ。
人の姿ではあるが、人外とわかるのに、彼らはただ俺が普通に生活する事を頷いた…
全て、何もかもあの小さな少年が、俺をただ一人の俺と認めてくれたから、だから―――」
帝位精霊―――皇位精霊と他種族との混血児を表す位だ。
ほとんど生まれてくることはなく、それ以上に生き残る確率は少ない。
精霊からは差別的な意味を持つ象徴であり、他種族から見れば利用価値のある商品と認識される。
エルオーネのように成人しなにも傷が残っていないなど、まさに奇跡だった。
「末姫のことも大丈夫だと言うのか?」
まだ疑うようにカルローンはエルオーネを睨む。
「ああ。寧ろ下手にちょっかいを掛けても、逆に返り討ちにあって大変なことになるぞ。
俺は水の精霊王の怒りを買いたい訳ではないし、親父を困らせたい訳でもないからな」
エルオーネはそう言って、カルローンに背を向けた。
ずいぶんと長話をしてしまったらしい。
肌寒かった朝の空気が、太陽の光を受けて暖かくなってきていた。
数歩だけ歩みを進めたエルオーネだったが、ふと、カルローンに向き直った。
「言い忘れていたが、井戸の水は元に戻しておけよ。
あと末姫の事が心配なら、ちゃんと村の真正面から入ってこい。
でなきゃ俺は命の保障はしないぜ。ついこの間も精霊が悪さをして消されたからな」
今度こそ振り返らずに村に戻っていくエルオーネ。
そのエルオーネの背中を見送るカカルローンは、深くため息をついた。
◆ ◆ ◆
朝食の時間も過ぎ、村の中央近くにある大きな噴水の周りには子供たちが集まりだしている。
そんな光景を横目に、エルオーネはポリメシアの村で一番大きな家の扉を開いた。
「あれ…エルオーネ誰かと話してたんでしょ。いいの?そのヒトほったらかして」
「オーマ、帰ってたのか。いや、アイツは俺に用があったわけじゃない」
「だからだよ。君以外の誰かに用があったって言うなら尚更だね。
言っておくけど、外にリセが出て行ったから…おチビちゃんを探しに」
入ってすぐの、大きなリビングでくつろいでいたオーマが首を傾げながらエルオーネに言った。
エルオーネは中を見回し、青銀の細い眉を顰める。
何故―――自分よりも早くに戻っているはずの少年がいないのか。
どこかに寄り道をしているとも思えない。しかし、ならば何故、少年は戻らないのか。
ふと知己である水守の顔が浮かんだが、少年に危害を加える事をするはずがない。
己はそう言い聞かせたではないか。ではいったい誰が…?
エルオーネは手を口元にやり考え込む。
「―――まだ、帰ってきてないのか」
「うん。おばあちゃんも心配してた。ご飯の時には戻るって言ったのにまだ帰ってこない。
念のためにゼロムを起こして外の様子を見に行かせたよ。ミルギスはおばあちゃんと一緒。
因みにボクはお留守番。井戸の水が枯れたんだってね。君の同属の仕業?
ボクらは容赦なんてしないよ。特に、おチビちゃんに手を出した馬鹿なヤツらにはね…知ってるでしょ?」
「ああ―――ロウファとセインがあの子に付いている。何かに巻き込まれる事はないはずだ」
「有翼人の守護獣である天狼族…そう言えば『魔巌の鎖』ってさ
捕縛系の魔方陣で、守護獣である彼らにとって一番の苦痛なんだよね?
しかもこの間、近くの村に商人達が滞在してたんだって…その時におじいちゃんも様子見にいたらしいよ」
「何が言いたいんだ…」
「どこぞの元魔王が騎獣連れてきてたよね。
しかもおじいちゃん達は、何の疑問もなく彼らを使ってるんだから…人目を惹くと思わない?」
「それがなんの―――」
「エルオーネってさ、おチビちゃんに拾われた時、盗賊に襲われてたよね」
オーマの言葉に、エルオーネは顔を顰め、記憶を引きずりだした。
確かに、このポリメシアの村にたどり着いた時、盗賊団の数名に襲われていた。
エルオーネは盗賊団から逃げ出したのだ、誰もいない、誰にも見つからに場所を目指して。
しかし見つかってしまった。もうだめかと思ったその時、エルオーネは少年と出会ったのだ。
小さな少年だった。けれどエルオーネを助け出した、小さな勇者でもあった。
盗賊数名は少年が駆け付けたことによって、自分の目の前から消えていったのだ。
間違えるはずがない。確かにこの目で見ていたのだ。
小さな勇者は、やはりただの何の変哲もない少年だったけれど、
少年の家族であるオーマやリセが、きっと少年を守るために力をふるったのだろうとエルオーネは結論付けていた。
「っ!しかし、目の前で消えた!お前たちだって知って―――」
「あの時ね、ボクやリセは一切手を出していないよ」
「な、に…じゃぁ、誰が?」
オーマやリセの二人がどういった存在か、またどういった思いを抱えているのかを知っていた。
だからこそ、少年の目の前で人が消えていっても後々納得することができたのだ。
それなのに―――
「だから、リセとゼロムを走らせたんじゃない」