幕間〜家族会議 2〜
「で?何でおチビちゃんはあんなに泣き腫らした目だったわけ?」
優雅に脚を組み紅茶を一口啜るオーマが、床に正座している―――もっと確に言うと
エルオーネの作った強力な痺れ薬を飲まされ、ゼロムに正座させられたリセが、オーマの前に差し出された。
因みにエルオーネとゼロムの二人はオーマから離れた場所に座っている。
これは自分に被害が及ばないよう考慮したためだ。
今のリセの現状は、普段ゼロムが居るべきところなのだが、今回は事情が違ってくる。
「そ、それは…ちょこーっと改良したツラッティがちびの目の前に…」
「ねぇリセ―――君って馬鹿?」
「(ビクッ)!」
甘ったるい声でオーマはリセに問う。
男にしてはぷっくりと柔く膨らんでいる唇がニィと弧を形作り、普段のダークブラウンの眸は赤みを増していた。
笑ってるのに、笑っていない―――
エルオーネ、ゼロム、リセの心境が一つになった。
本来の力関係で言えば、最強と語られる不死の一族のゼロムが一番強いはずなのだが、性格上それはない。
故に魔王の一人であるリセが頂点に立ち、高位悪魔のオーマは口出しなど出来ないはずだ。
そのはずだったのだが、しかし、それは今適応されない。
この村、ひいては彼らが溺愛している少年の傍に居る為に一つのルールが設けられている。
溺愛している少年は多種族から好かれる。そしてかなり高い確率で何かしら拾ってくるからだ。
嘗て魔王といわれた存在の一つが。
今でも神都とで恐れられている悪魔が。
稀有な種族であり立場の混血の有翼人が。
そして伝説と語られ、その姿を消した最強の一族が。
「少年を傷つない」という絶対のルールを決めていたのだ。
しかし今回はそのルールが破られた。
ヘタレでヒエラルキーが一番下に有るゼロムではなく、そのゼロムを普段いびっているリセが、だ。
「す、すまぬ」
「はっ。謝ってすめば何でもうまくいくと思ってるワケ。ねぇ、焦獄の火蛇さま?」
「そ、そう言う訳じゃ…」
「じゃぁ何?土下座?しろよさっさと。死ねよマジで。嬲らせろよ今」
「な、な、ななな!?」
「オーマ、気持ちは判るがもうその辺に。リセだってちっさい勇者さんを傷付ける気はないんだから」
「何?ボクのやり方に文句あるの?いいよねぇエルオーネは。
おチビちゃんと一緒にいれてさ。あのクソ魔術師とお話しなかったものねぇ」
「(なんであんなにヤサグレてんだ?)」
「(あー…あの魔術師がオーマの神経を逆撫でしてなぁ)」
「(逆撫で…普段のオーマからはとてもじゃないが、考えられないぞ)」
「(神都に席を置いている魔術師―――正確には導師らしい)」
「(導師…?神都の資金集め役が何故?というか、その後はどうなったんだ?)」
「(オーマが精神的に追い詰め弄った挙句、どこぞかに捨てに行った。それきり知らん)」
「(ゼロム。ここら辺で死体をあげるなといつも言ってるじゃないか!)」
「(儂とてちゃんと言ったわ!オーマも理性は残ってたし、別の場所で始末つけたようだ)」
「(始末つけたのに、何でオーマはリセに八つ当たりしているんだ?)」
「(―――若いからなぁ。感情が制御できてないんだろう)」
「(ゼロム。お前っていったい幾つなんだ?)」
ゼロムは視線を遠くへとやる。エルオーネの疑問イは答え無かった。
ゼロムの顔は、完全に憔悴しきっていたのだ。
それもそのはずだ、オーマと魔術師のやり取りを間近で見ていたのだから。
魔術師イースと会話していたオーマは、会話が進むに連れて笑顔が引き攣っていき
神都の教えを説かれた時は、口元が痙攣しだしていた。
そして魔術師が、このポリメシアを私欲の為に灰にしようと提案した時、その場の空気が凍った。
無論ゼロムとて魔術師の話に腹を立て、つまみ出そうと動こうとしたのだが、オーマの方が早かった。
『いい加減、自分の立場弁えて。君さ、中身暴かれてるのにも気付いてないの?』
相手の喉を片手だけで握り潰し、暴れだす前にそのまま宙吊りにした。
そして冷え切った眼で相手を射抜く。冷笑を添えて。
『若さゆえの過ちなんて言葉では片付けられない事態に陥ってるね?
ウラド市から流してもらっている魔薬が此処最近滞っているんだって?薬中の信者って笑える。
でもそれってさ、表向き神都ではご法度でしょ?君、神官だよね。簡単にバラしていいの?
導師でもある君が他国に催促しに来て、たらい回しにされた挙句に収穫なしだったんだぁ。
それで怒った君が使い魔を放ってウラド市で暴れて、でもやり過ぎて手に負えなくなって?
じゃぁ面目丸つぶれだよねぇ。どうにか汚名返上するために、こんな辺境まできちゃったんだ!』
くすくすと笑うオーマは楽しげに秘密を暴いていく。
魔薬―――それは依存性の高い毒だ。快楽と過去への回帰が約束される。
とある毒草と魔獣の血を混ぜる事によって作られる。
ウラド市は辺境―――森の彼方の国が近くにあるためか、あまり重点的に警戒されない。
されないというよりも、どの国も不可思議で不気味な国には近づきたくないようだ。
大抵の国は魔薬の精製・売買を禁じている。しかし神都は違った。
信者を増やすため、魔薬を薄めた水を参拝者に聖水と称し売ることがしばしば。それも金持ちを中心に。
その時ゼロムは思った。
―――ああ、悪魔て性格悪いんだ。これじゃぁ故郷の小公爵と大差ねぇや。
『あはっ。怯えてる。不思議そうな顔してる―――ボクね、オーマって言うんだ。
この名前じゃぁ君はピンと来ないかぁ。そうだね、蠢欲の悪魔って言えば判る?』
イースは恐怖した。潰された喉の痛みが判らなくなる程、体が震え心が潰された。
神都―――アーズカルドの導師としてではなく、また一人の魔術師でもなく、ただ一人の人間として。
恐怖から逃げるように魔方陣を描こうとする魔術師に対し、オーマは少女が花開くように笑う。
そして、必死の思いで魔方陣を描いている魔術師の手に、オーマは少しずつ力を加えていった。
イースは悲鳴を上げる事も許されず、ミシミシと音を立てて潰されていく己の手を見せ付けられた。
肉が潰れる音、肉に圧迫され骨が潰される音。
ぼたっと落ちる血と肉片。ぎちぎちと緩やかにねじ切られていく魔術師の右腕。
恐怖しか感じられなかった状況から、視覚で捉えてしまった現実に激痛が走る。
魔術師の目の端には涙がたまる、オーマはそれを赤い舌で掬い上げた。
その行為が、さらに魔術師に恐怖を与え体を強張らせた。
『久々だなぁ。こんなに哀願されて、忌々しく思われたの。いいね。食べ甲斐があるよ』
オーマは笑みを深く、恐怖に屈した魔術師イースの心臓を貫いた。
ゼロムは今さっきまで、この部屋で人間一人を嬲っていたオーマを見て溜息を吐く。
楕円形のテーブルに顎を載せ、行儀の悪い格好のまま顔をエルオーネに向けた。
「(なぁ、エルオーネ。オーセルダ=マーティスって知っているか?)」
「(知っている。精霊の間でも評判が微妙な悪魔だ。…オーマがソレなのか?)」
「(うむ。微妙なのか?)」
「(微妙だ。精霊を喰う事もあれば、人間を堕落させる事も有る。
しかし専らの被害は人間だ―――神都の神官で精霊や魔族を虐げている者ばかりだから)」
「(成る程な。オーマの本名を知ったあの魔術師、目の前で自殺しようとしたんだ)」
「(賢明な判断だと思う。蠢欲の悪魔は残虐な思考の持ち主で有名だ)」
「…儂、よくぞ発狂せずに過ごしてこれたな」
「ちょっとそこ!ボクがリセを説教してるんだから、べちゃくちゃ喋らないで!」
「「はーい」」
「オーマ、我の話を聞いてくれても良いではないか!」
「はっ。おチビちゃんを泣かしてる時点で死刑って決まってんだよ」
「あそこまで驚くなんて!グレーンだって騎獣が欲しいと言ってたんだもん!
ちょっとツラッティを改造して、皆の交通手段にしようとしただけだもん!
別にちびを怖がらせようとか怪我させようとか、泣かせようとか思ってないもん!」
「キモっ!何もんもん言ってるの、キモイよリセ。」
「だて、だて、我だって皆の為に色々しようと頑張ってるんだもん!」
「ちょっと二人とも、このキモイのどうにかして!?」
「キモイ?!我はキモくないもん!」
「キモイよ!本当にこれが焦獄の火蛇と呼ばれた魔王なの?!」
「「本人が言ってるからそうなんだろう?」」
「ちょっ「うわーん!皆して、皆してっ!また我のこといじめるっ!!」
「「また?」」
「あ…そういえばリセの家出の原因って、他の魔王達にいびられたからだっけ…」
「家出?!魔王が家出?!ドンだけ人間くさい魔族の王様達なんだ?!」
「あ〜。判る判る。身に覚えのない事で催促されたり、知らぬ間に人身御供にされたり」
「ゼロムっ!お前もか、お前もそう言う経験があるのか!ひどいよな!辛よな!
彼奴ら自分達は好き勝手遊びくさってからに!我にだけ雑務を押し付けるんじゃ!」
「儂の事を散々殺しておったヤツが気安く共感するでない。キモイわ阿呆」
「!!!!!!」
「あ、固まった。ゼロムにキモイって言われて相当ショックだったみたいだね」
「本当だ。オーマが説教するよりも、ゼロムに侮辱された方が効果あるようだな」
「侮辱ではなく事実だろうに…つか、お前らの方が儂を侮辱しとるぞ!」
ゼロムに侮辱?されてから暫くの間、リセは抜け殻の様な状態だった。
溺愛している少年が潤んだ眸で見上げながら説得して、やっとリセが元に戻ったのは暫くしてからの事…