【3】赤羊
前触れもなくそれは訪れた。迷宮内の岩肌を磨くエルに通信魔法が干渉するや否や、あいつの声が鼓膜に突き刺さる。
「ようようよう、我が同期よ。約束通り、俺様と、その甥が、こんな寂れた迷宮に足を運んでやったぞ。歓迎はどうした」
エルは重いため息を漏らし、転移魔法で管理人室へ。古びた地図には《Floor master》《Sword》《Minotauros》の三つの点。
もう一度ため息を漏らし、耳たぶに指を添える。
「ようこそ、寂れた迷宮へ。牛頭人身も一緒とは聞いてなかったな」
「安心しろ、ただの散歩だよ。可愛い甥だ、しっかり饗せよ、我が同期」
「ああ、善処するさ」
通信干渉を迷宮内で寛ぐ従業員に切り換える。
「仕事だ。入口より管理人、剣士、牛頭人身の三名が接近中」
「牛頭人身って”ゴールドライセンス”じゃない。私達にどうしろって言うのよ」
「どうもしなくていい。いつも通りギャギャッと現れて、ギャギャッとやられてくれ。これは接待だ。相手に気分良く帰って貰う事、これに徹してくれ」
「嫌な仕事ね、管理人」
「すまない」と零れた声は、岩肌に届く前に消えた。
その頃、ガルフェロは迷宮を進みながら、迷宮の構成、岩肌の質や香り、温度、湿度等を観察していた。
「この香りは《角兎の死骸》だな。安物の香りだ。恐怖心にまるで響かない」
「ねえ、叔父さん、魔物はまだ?」
「もうすぐさ、きっとな」
予想通り、ゴブリンAが姿を現す。緑色の筋肉質な体躯、前屈みの姿勢、刃毀れした短剣。
黄色い瞳を転がし「ギャギャッ」と牙を剥く。
「遭遇点に工夫がない。まあ、こんな単調な構造じゃ已む無しか」
そういう間に甥は剣を構え、ゴブリンAを見据える。構えは一流。その一太刀は…───。
「ギャギャッ」
────…やはり一流。
一振りでゴブリンAを倒す甥。更にゴブリンB、Cとの連戦も難無く終え、一行はキャンプを展開した。
火を焚き、飯を作り、酒を飲む。甥は興奮覚め止まぬ口振りで、身振り手振りが大袈裟な所は血筋を感じる。
「平坦な地面、丁度良い空洞。嗅覚が冴えた冒険者なら、ここが人工的な空間である事に勘付くだろう。それじゃあ台無しだ」
観察洞察が続く。長い休息を終え、ほろ酔いのガルフェロ一行は迷宮を進む。
残すは、宝箱を守るスライムのみ。「プギュッ」と一行に姿を現した途端、ガルフェロの表情筋が崩壊した。
白目を剥き、鼻の穴を膨らませ、唾を飛ばし、腹を抱えて転げ笑う。涙なのか鼻水なのか涎なのか、液体と言う液体が散弾する。
「じょ、冗談だろ、おい。ひい、ひっ、ぷは、ははは、スライムが最後の魔物ってよ」
気にせず「プギュッ」と上下左右に潰れて見せるスライム。攻撃態勢を取らず、斬られるのを待つのみ。
甥が剣を構え、腰を落とす。
「────…ははは、はあ。しかし哀れだぜ、お前ら従業員もよ。無能な主のもと、安い給料で斬られて死んでの繰り返し」
「…プギュッ」
「まあ、ノーマルライセンスの従業員四匹、無能同士でお似合いの迷宮かもしれないな」
「………」
右足で地面を蹴り、スライムに斬り掛かる甥。だが、刃はその軟体を捉えない。最小限の動作で回避したスライムが、そのまま、甥目掛けて突進した。
甥の咄嗟の回避行動も間に合わず、顔面に軟体が減り込む。更にその反動を利用し、ガルフェロ目掛けて二段階の攻撃を仕掛けるスライム。
「おい」
しかし、ガルフェロは直立不動のまま、その軟体を鷲掴みにした。瞳孔の開いた瞳が睨む。
尻餅を突いた甥は、鼻から一筋の血を垂らす。
「それは冗談のつもりか?答えろ」
「プギュッ」
「───…そうかい」
乱暴にスライムを放ると、顎をくいっと持ち上げるガルフェロ。それが合図となり、牛頭人身が一歩、前に出る。
逆三角形の筋肉の塊。毛で覆われた体皮、猛々しい角、強靭な顎に爪。歯の隙間から白い息を漏らし、牛頭人身はスライムを見据える。
その刹那、一瞬にして牛頭人身は距離を詰め、まるで雷撃が如く拳を叩きつけた。
鋼に劣らぬ拳骨がスライムを直撃すると、その軟体は容易く四方八方に分散する。
牛頭人身の猛攻が続く。分散した体が一箇所に集まる所を、殴り、蹴り、踏み、叩く。
「お前ら魔物は無限に生死を繰り返すように見えるが、一つだけ、それを”無”に還す方法がある。それは同じ魔物による捕食。つまりだ。牛頭人身…───食え」
一箇所にスライムが集うのを待ち、それを摘む牛頭人身。舌舐めずりをし、大きな口を開ける。
その瞬間、桁違いの衝撃が迷宮を襲う。爆風が駆け、砂埃が続き、内壁が粉塵と化す衝撃。
見ると、牛頭人身の首から先が内壁に減り込んでいるではないか。
「な…あ…あ…っ」
「大丈夫か」
「…すみません、管理人」
そこに居たのはエル・ディアブロム。両側頭部から黒い靄が丸角を形成し、高熱で赤みを帯びた体躯は、まるで魔物である。
エルはガルフェロを見据え、口を僅かに開く。
「うちの従業員に何してんだ、ガルフェロ」
「出たな赤羊。この”悪魔”め。お前こそ、うちの従業員に手を出したな。これは重罪だぞ…!!」
「そうだな。どうせ罪を被るなら、憂さ晴らしにお前も殺しておくか」
「じょ、冗談だろっ」
「試してみるか」
「ひ、ひい、やめてっ」
すっかり腰を抜かし、這う様に距離を取るガルフェロ。エルは目を瞑る。靄と熱は消え、いつもの管理人がそこには居た。
「…もう帰ってくれ」
「はい、帰ります、帰りますっ」
去り際「覚えておけ」と捨て台詞を吐き、一行は#迷宮__ダンジョン__#を後にする。