【1】管理人さんの苦悩
岩肌に囲まれた一室で、男は苦悩していた。鍵の壊れた宝箱に座り、酒樽を机替わりに一枚の古紙を広げている男。
端々に切れ込みや果実酒の染みを残す古紙は、どうやらどこかの地図の様だ。
凸凹な外線、細い道や楕円形の空間、墨で描かれた地図に点在する、動く点。
その点には矢印が伸び《Goblin》や《Slime》と言う表記がされている。又、《Sword》《Magician》《Fighter》の三点が同行動を取るのが分かる。
男は耳たぶに指を添え、無詠唱の通信魔法を展開する。
「こちら管理人、迷宮入口より、剣士、魔法使い、格闘家、三名の冒険者が接近中。ゴブリンAは直ちに戦闘準備をせよ」
「何度言わせるんですか。僕の名前はキーラ・ブルシュタインですよ」
「何度言わせるんですかはこっちの台詞だわ。業務中は個人特定を避ける為に暗号名の使用が義務化されてるの、知ってるでしょうが」
「両親が付けてくれた大事な名前なのに」とぶつくさ言うゴブリンAだったが、冒険者が現れると「ギャギャッ」と途端にモンスターを演じる姿は役者である。
程なくして冒険者に敗れるゴブリンA。
「ゴブリンAが敗れた。続けてゴブリンB、C、頼むぞ」
「安心して、君は僕が守ってみせるから。ゴブリン・ベロニカ」
「素敵。どこまでも一緒よ。ゴブリン・クリス」
ゴブリンB、Cは交際関係にあるようだ。
「BもCも業務に集中するように。どれだけ暗号名に不満があるんだ」
熱々と抱擁を交わし目配せ《ウインク》をする二人だが、冒険者が現れると「ギャギャッ」と途端にモンスターを演じる姿に役者魂を感じる。
程なくして冒険者に敗れるゴブリンBとC。
「ゴブリンBとCが敗れた。残るはスライム、君一人だ。宝箱を守れるか」
「そんな事、わざわざ聞く事じゃないでしょう。あなたは僕に”守れ”と、ただ命令するだけでいい。任せて下さい」
「スライム…、お前…」
程なくして冒険者に敗れるスライム。
「…誰よりも弱いじゃないか」
迷宮を攻略した冒険者達。目を輝かせ、褒美の宝箱を開けると、中身は「ゴブリンが編んだ手袋」。
冒険者達は宝箱に唾を吐き捨て、迷宮を去った。
男がいる岩肌の一室に、従業員達が集まる。一列に並ぶ従業員。男は紙束を脇に抱え、咳払いを一つ。
「はい、本日もお疲れ様でした。さっそくですが業務成績の公表と、給与の配布をします」
「待ってました」と拍手が岩肌に反響する。
「キーラ・ブルシュタインさん。暗号名、ゴブリンA。与ダメージ21、撃退数0、被ダメージ数138、被死数6。日頃最前線での業務お疲れ様」
そう言うと、紙が巾着袋に姿を換える。底には十数枚の硬貨。給与。完全歩合である。
続けてゴブリンBとCの業績公表、給与配布を終え、残るはスライムとなる。
「ピノ・ローブレイブさん。暗号名スライム。与ダメージ0、撃退数0、被ダメージ数248、被死数6」
例の如く、紙は巾着袋へと姿を換える。重量のない、ただの巾着袋に。
スライムは自嘲気味に口角を曲げると、何も言わず列へと戻る。
「───…はい、じゃあ、また明日」
勤務を終えた従業員達は散り散りに迷宮を後にする。
”最底辺の迷宮”と言われる事に慣れた訳じゃない。悔しい思いもある。だが現状を打破する程の、知恵も金もない。
男はエル・ディアブロムと刻まれた銀の名札を外すと、頭を抱えた。
「あの、管理人」
「勤務外では暗号名はやめてくれ」
「はい、エルさん。あの、冒険者達が残したキャンプ跡、片付けておきますね」
その軟体に箒や屑籠を乗せたスライム。
エルは無作為に跳ねた黒髪を更にくしゃくしゃにすると、申し訳なさそうに口角を曲げた。
「悪いな。さくっと終わらせて、一杯どうだ」
「ええ、お付き合いさせて頂きます」
迷宮の管理人の苦悩は続く。