ニルスの草原
血飛沫に塗れた空気を、二筋の剣戟が切り分ける。演舞かと見紛うほどの精緻さで、けれども殺意と重みを載せて、止めどなく絶え間なく、幾度も幾度も空を裂く。
愛を囁くように剣戟を交わし合う二人は白帝と蒼皇。
白帝の名を戴くは、尽きせぬ才覚で魔導と武芸を極めた白の青年。白龍剣と銘打たれた白家の至宝を手にし、限定的な時間干渉を原理にあらゆる盾を打ち砕く。
対するは龍の血脈の色濃い蒼の少女。皇の武具には未だ認められずも、その身に宿された莫大な精霊は、いかなる矛でも破れぬ護りを可能にする。蒼龍の固有概念《停止》のゆえである。
果たしてこれが二人の人間の戦いであろうか。
振り下ろされた白帝の一撃は英雄たちの目にさえ映らぬ。しかし斬撃は地を三度吹き飛ばすにとどまった。蒼皇が自らの双手を蒼光に包み、これをいなしていた。
全身を蒼に包んだ少女は何ものにも傷つけられぬ。しかし少女の一撃も空と帝兵を薙ぎ払うにとどまった。白の青年は瞬く間に千を考え、これを見きっていた。
青年は膂力も十分に秀でていたが、ひと撫でで鉄を紙きれのように引き裂く少女の暴力は、指先でさえ死を宿らせる。空間に溢れかえる死の未来を、思考加速と体に染みついた技量で避け続けながら、《停止》の力でおおわれた絶対防御の肉体に切り込んでいく。思考加速がなければ命脈はとうに途絶えている。
人の力は当然、龍の力とて無尽蔵ではない。そして、互いの力が残っている限り拮抗すると言う点において、この剣戟の実相はもはや一瞬の攻防ではない。力尽きれば死という凄絶な消耗戦である。
この死闘がイフラーヴァと言われる大陸の中央西部、ニルスの草原の昼を彩っていた。隊商が用いる街道を横目に激突した両軍の雄が命を削りあっている様は、その場にいない兵士たちの体さえ震わせた。
彼らは武者震いか怖気かすら分からぬままに、遮二無二眼前の敵へと切りかかり合った。大渦に飲み込まれているかのように、自分の体が自分のものではないようであった。いまなにかが動こうとしている。何かがはっきりと決まろうとしている。この確信が体を衝き動かし、このなにかに一矢でも報いようと幾万の剣が振るわれた。
いつ終わるともなく、ただ自らじりじりと死に臨んでゆく。そこに垣間見えた狂気の淵へとすべてが落ち込んでいった。
果たして白の青年は誰よりも平和を願った皇子であった。汲めども尽きぬ才能の泉を宿した少年は、縁に恵まれ慢心を抱かず愛に満たされて生きてきた。狂気も空虚もなく、彼はいまなお正気である。
そんな白がなぜ蒼皇を斬らんとするのか。策謀か、しがらみか、復讐か。あるいは皇が悪人であるからか。いずれも異なる。彼はわかっていた。眼前の少女は尽きぬ力をもってこの大陸に君臨するであろう。けっして折れず、公平な治世を行うであろう。その道に間違いはなかろうと。
だが彼は戦うしかなく、とはいえ道化でおわる心算もなかった。煎じ詰めれば話はただそれだけのことである。ずっと隠し通してきた虹眼を明かしたのは、戦乱が避けられぬと知ったからだった。
戦いの発端だけは、聖皇と呼ばれたはじまりの皇に遡る。
皇がどこから来た人物かは誰も知らぬ。ただ、はじまりの皇として、聖皇はこのイフラーヴァをまとめあげた。龍を娶ったと言われた聖皇は、そのせいか長く生きた。聖皇は七の龍と七人の子を残し、死後は七色の皇家が大陸を治めた。
聖皇は自らの死後、七つの皇家が必ずただ一人の皇を戴くよう決めた。皇の証しは虹色の目。龍の血がつよく出た御子として、皇となることが定められた。
これが狂ったのは先皇の死後である。皇が逝ったにもかかわらず一人として虹眼を宿すものがいなかった。虹の眼を見つけられないままに、子が老人になるほどの冬が過ぎ、皇家は新たな道を模索しはじめるにいたった。
その折である。幸か不幸か、一人の少女が紫家に見出された。出自のわからぬ少女は龍の力を色濃く宿し、力の励起に伴って眼は蒼に輝いた。
紫家の当主は説いた。少女は蒼家にゆかりのものである。彼女が宿す力はかつてのどの皇にも勝るものであり、それゆえ虹眼が蒼に輝く。彼女は蒼皇を名乗り戴かれるべきであると。
真実は誰にも分らぬ。少女自身にとってさえわからなかった。貧しい農夫であった少女の親は、自分たちとは異なる蒼の髪を気味悪がって、ついには口減らしに売ってしまった。果たしてあの農夫が蒼家の血を引いていたのか、改めて問われてみても正解はわからない。
とはいえ少女は心優しく、自らが戴かれることで治世が収まるのならと身を投げ出した。緑家の当主に試され、紅家の争乱に関わるなかで信頼できる友も増えた。だからこそ身を捧げる決意ができた。
しかし少女の並みはずれた献身は、それでもなお虹眼ではないという一点で簒奪だとみなされた。蒼い目をした簒奪者は紫家の策謀である。それどころか半魔の混血である、とさえ。
白の青年の父もまた、少女へと反旗を翻した。白家は蒼皇を認めず、挙兵したのである。青年は自らの眼を隠し通していた心算だったが、青年の父は息子が虹眼であると確信していた。父が簒奪者を許せなかったのはそれゆえである。そして、青年が表舞台に出なかったことを後悔したのは、父の死後であった。
青年が戦う理由は多くあったが、決断したのは青年であり、なにか他のものが青年を動かしたということはなかった。同じく少女も自らの運命を決断していた。なればこそ、この死闘は紛うことのない意志と意志のぶつかり合いなのだった。
と、そのときであった。
少女の大振りな一撃が地を割った。崩落である。少女の顔も驚きに満ちた。この草原の地下に空洞があったことを知っていたのは、ただ一人、少女と対峙していた白の青年だけである。才気に溢れた主君たる青年だけは、治水の奇妙さからこの地の底を見通していた。少女の一撃を大地へと誘導したのは、この瞬間を作り出すためであった。
もとより龍の力を使いこなす二人である。地下に落ちたところで死にはせず、たとえ地底に大河があろうと生還する。だが、一瞬の虚は隠せない。
空洞に落ちまいと反射的に飛び上がった少女めがけて、青年は空を駆けあがる。空脚と浮身と呼ばれる二流派の秘奥を同時に用いながら、中空の小石を足場に蹴りあがった。眼下で兵たちが空洞に落ちてゆくのを横目に、青年は渾身の一刀を放つ。
少女は青年に気付き、焦りながらもその一撃を全力で防御した――はずであった。
しかしこのとき、事態は二人の予想を超えた。
二人は眩いばかりの光に包まれ、この戦場はひとたびの幕引きとなる。
読んで頂いてありがとうございます。
色々模索中。
次回の投稿がいつになるやらですが、もしよかったら気長におつきあいください。




