終幕
「原因は失恋です」
私はゲームの世界に閉じ込められた原因を言った。
失恋が原因なんて恥ずかしいけど、本当のことだった。
お姉ちゃんと七尾君が付き合っているのは知っていた。
それでも、結婚すると言われた時、本当にショックだった。
分かっていたことだったのに。
立っている場所が崩れて、足も震えて、魂が体から抜けた。
私の初恋は終わって、世界は一変したように見えた。
世界で1番好きなお姉ちゃんが、私の初恋の人を奪おうとしていた。
逆も言える。初恋の人がお姉ちゃんを奪おうとしている。
2人とも私を置いて、2人だけの世界に行こうとしていた。
流れた涙は発熱した心を冷やすことはできなかった。
その精神状態で実験を行ったのがいけなかった。
VRの実験をしている時に、衝動的にそれを思い出してしまった。
自作の乙女ゲー『薔薇革命』の中だから、余計に想いは加速してしまった。
幼い頃の淡い恋物語を見て、私はオカシクなってしまった。
そして、心のなかで叫んでしまった。
「全部忘れたい!」
恋も、愛も、全て無になってほしい――。
私の記憶は消えて、その後はほとんど覚えていない。
覚えているのは、最後の日々だけだ。
私が戻ってから数ヶ月が経った。
リハビリも終わり自転車にも乗れるようになった。
記憶も段々と思い出していったけど、ところどころ剥がれ落ちていた。
そんなある日、私たちは出かけた。
私とお姉ちゃん、2人で。
海辺の景色には驚いた。
数年間の眠りは世界の景色を一変させていた。
「前より、海面が上昇したね」
国道だった場所は海面上昇により水没している。
注意喚起の看板もなかったので、誰も気にしないうちに上昇したのだろう。
以前よりも、時がゆるくなっている。
「地図を持っている?」
お姉ちゃんはそういいながら、携帯端末をいじって地図を調べた。
小路だと思ったところが回り道と分かった。
小路は舗装されておらず、砂利の道だった。
でこぼこ道を歩いていくと、羽虫が飛んだ。
羽虫は草むらと海辺を往復していた。
手の甲を虫に刺された。
こんな事でも数年ぶりだと、懐かしく感じた。
カユイカユイと思い始める頃に、アスファルトの道に出た。
海風が潮の匂いを運び、生温かく湿っている。
「昔の実家は海の中か」
「私は覚えていないなぁ」
昔の実家が海の中に沈んでいる。
家の庭には猫の――トトの墓があるそうだ。
しばらく風に遊ばれていると、お姉ちゃんが話し始めた。
「恋人はできた?」
「まだ」
「そうか……ごめんね」
「謝られてもね」
私の初恋にお姉ちゃんは気付いてなかった。
七尾君は気付いているかも知れないけど、表情には出していなかった。
だけど、私が起こした事件は有名だったので、その原因をニュースにのせられてしまった。
世界中が、私の初恋と失恋を知っている。
ゲンナリする。
サイアクである。
「あのさ、まだ誰にも言っていないんだけど。……妊娠したんだ」
ふーん、ん? えっ? うそぉ?
「本当に! おめでとう、お姉ちゃん!」
私は思わず抱きついていた。
「戻ってきた後の、愛が激しかったからね」
ニコッ、と笑っている。
……そうですか。
自慢ですか!
あー、そうですか!
「愛されるのも大変よね……」
チラッ、と見られた。
あああぁ! そうですか!
へー、良かったですね!
キーッ!
「怒っている?」
「全然」
「怒っているでしょ」
「私の心は平穏です」
海の彼方でけぶる雨が、私の心を表しているように見えた。
私たちはコンクリートの箱を重ねたような施設に到着した。
受付を終えて、研究室へと向った。
私たちは帰還者として、VRの研究を手伝っている。
私が習っていた教授は事件に対して色々と尽力をしたけど、重大な事故を起こしたとして、研究の一線から退かされている。
なので、この研究室は知らない人がいっぱいだ。
私たちは数年間眠っていたこともあり、収入が無かったので、研究の手伝いは実りのあるものだった。
研究の手伝いは数時間で済み、私たちは自動販売機の珈琲を飲んで休憩した。
ふと、視界に飛び込んできた。
……まずいな。
中庭で歩行訓練をしているアンドロイドがいた。
銀色の髪をした、美しい少年が何度も転びながら歩いていた。
私をこの世界へ戻した――アルスだった。
お姉ちゃんが廊下の長椅子に腰掛けて、研究者の服を眺めていた。
「ずいぶんと良い仕立てだね」
……鋭い。
アルスがこの世界に来てから、練習がてらに作った服だ。
最初は苦戦していたけど、指の感覚は早めに回復したようだ。
「そうだ。お姉ちゃん、あのロミオとジュリエットだけど」
気をそらそう。
「あの? ああ、ゲームの中の」
「あれ、エンディング違うじゃん」
お姉ちゃんが書いた脚本は、ジュリエットが胸に短刀を刺すときに、ロミオが刃を掴んで止める――という物だった。
そして、2人は幸せになる――ご都合主義も良いとこだった。
「良いじゃない。私は幸せが好きなの」
「そういうものですか……」
「この子にも、幸せになって欲しい」
お姉ちゃんは眼を閉じて、長い睫毛を綺麗に揃え、優しくお腹を撫でた。私はその表情に見蕩れてしまい、言葉を繋がなかったのがいけなかった。
お姉ちゃんが瞼を開いたときに、中庭の少年を見つけてしまったようだ。
「アルス……なんで?」
バレタか。
というか、良くあれでアルスと気付くね。
アルスの姿は人間の少年だけど、アンドロイドだ。
普通だったら気付かないはずだ。
絆というヤツだろうか。
お姉ちゃんは立ち上がった。
「あっ……」
「黙っていたでしょ」
そうです。
実はアルスからお姉ちゃんにはまだ言わないでと言われていた。
歩くこともままならない姿を見せたくないらしい。
男心は分からないものね。
まあ、ばれちゃったけど。
お姉ちゃんはアルスのところへ歩いていった。
あの世界でお姉ちゃんはアルスを作り出した。
彼は知能が高く、感情表現も豊かだった。
偶然できた高性能AIは、研究のためにゲームから抽出されて、アンドロイドの脳として搭載された。
彼はこの世界に生を受けた。
転生と言ってもいいだろう。
お姉ちゃんを想う気持ちが、この世界に来ることを許したのかもしれない。
アルスがこの世界に来たいと羨望していた。
私はその眼差しを見て羨ましくなり、この世界に戻ってきた。
……愛する人と同じ風景が見たかった。
アルスも、私も。
それは誰にも言っていない、私の恋心だった。
それだけで、私は戻ってきた。
あの世界に違和感があったとか、嫌いになったとかではない。
私はあの世界が好きだ。
嫌いには絶対にならない。
あの世界を全肯定できる。
私は、失恋してあの世界へ行き、恋をして戻ってきた。
ただ、それだけの話。
お姉ちゃんはアルスの手を取り、立ち上がらせた。
「お嬢様」
「私が分かるの?」
「当たり前じゃないですか」
ミレディとお姉ちゃんの姿は全然似てなかった。
外国人と日本人の違いもあるけど、声音も違うはずだ。
それなのに分かった。
悲しい恋の力だった。
「人工毛なのでモフモフしないんですよ」
「そんなこと、どうでもいいじゃない」
「……ありがとうございます」
「なんで、私に黙っていたの?」
「それは――」
お姉ちゃんとアルスは会話を続けながら、互いに手を取り、歩く練習を始めた。
それは、ぎこちなく踊っているように見える。
でも、美しかった。
その踊りは、私の眼に永遠に焼きついている。
残念ながら、アルスの初恋は成就しない。
私の初恋も成就しなかったように。
すでに私たちは負けていた。
それは良くある失恋だった。
でも、これだけは言える。
また、大好きな人が現れると。
私がアルスを好きになったように、アルスにもまた1番好きな人が現れる。
それが私になるかは分からないけど、必ず会えることを確信している。
私はアルスが幸せになるように願い、珈琲を1口飲んだ。
それは、とても苦く、味わい深いものだった。
これにて、終わりです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。




