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「分かっていたことですけど、腰にきますね」
お姫様抱っこのことだ。
それは私の体重が重いということか?
「えー、良い気分なのに」
「……オンブでいいですか」
背負われて、後ろから抱きついた。
「……胸が気になりますね」
「それは分かっていたことでは」
「……こんなに大きいとは」
「平然とセクハラ発言しないでください」
――まったく。
その後も雑談を重ねていると、いつの間にか頭痛が治まった。
私はしばらくすると走れるようになり、暗いなかヴィクターを追いかけた。
吐息が凍りつき、雪のように白くなり、汽車のようだ。
外套を貫く寒さが、世界から私たちの存在を拒否されているように思えた。
「アルスたちは大丈夫かな」
「大丈夫です。アラミスは私たちを狙ってきますから」
その言葉は冷たく響いた。
私たちとは違い猫たちはNPCだ――と言いきっている。
私は走りながら少しだけ泣いてしまった。
満天の星空は、轍に霜柱をつくり、踏むと軽快な音をたてた。ヴィクターは屈んで、私を肩車して、家の屋根へのぼらせた。私が振り向くとヴィクターは手を借りずに、少しだけ走り、家の壁を蹴って、屋根の上にのぼった。衝撃で氷柱が何本も落ちて、地面に砕け散った。
屋根を慎重に歩いていき、街の動脈である水道橋にのぼった。
街は寝静まり、人の気配はほとんどなかった。夏祭りの時にのぼった水道橋からの景色は物悲しいものだった。
「水道橋の水源、ひたすら北へ行けば、脱出の扉があります」
「そんな所に出口があったんだ」
「探すのに本当に苦労しましたよ。ゲーム内の見えない壁の隙間を探すような作業でした」
北の空に北極星がある。
長い年月変わらずに北を指し続ける星は光っていた。
私たちは敗北したように、北辰へ向けてトボトボと歩いた。
「気付きましたか? この世界の星はあちらと連動していないんですよ。おそらく製作者が星の知識が無かったか。もしくはそこまでつくるのが面倒だったんですね」
「でも、北極星があるよ」
「北極星ぐらい誰でも知っていますよ」
「まあ、そうか」
よく見ると、北斗七星もあるけど、配置はデタラメだった。
「そういえば、出口を見つけて戻ってきたんだよね」
「そうですよ」
ヴィクターはあちらへ戻ることができたのに、一緒に行く相手を捜すために戻ってきた。本人はそれに気付いていないけど、それだけで信用に値した。
突如、ぐにょ、と変な音が後ろから聞こえた。
「おねぇぇちゃあぁん!」
アラミスは自分の体に関心がないようで、全身が傷だらけになっていた。
「逃げるなんて、酷いじゃないですか」
「しつこい男は嫌われるぞ」
ヴィクターは水道橋の蓋に手をかけて、持ち上げて、アラミスへ向けて投げた。さすがに重さには耐えられないのか、アラミスは仰向けに倒れた。
「やめろよ。痛いだろ」
「嘘をつくな」
ヴィクターは私の手を取り、北へ向けて走り出した。
アラミスは疲れ知らずに追いかけてきて、私もヴィクターも息切れしてきた。ゲームの世界でも肉体の呪縛から逃れられないようだ。これだけ走ったら動けなくなる――その感覚を超越できなかった。徐々に距離を詰められている。
「まってくれぇ……」
「ごめん……もう、動けない」
とうとう、私は力尽きてしまった。
水道橋からの景色は田舎に変わっていた。星明りは雲に隠れて景色を照らさず、虫の鳴き声だけがやかましかった。
「分かりました。どうにかしましょう」
「ごめんなさい。体力がなくて」
「気にしない、気にしない」
ヴィクターは踵を返して、アラミスと対面した。
「やっと止まったか」
ヴィクターは話すのも億劫そうで、アラミスにすぐに殴りかかった。死も痛みも無い相手は怯まないので、やりづらそうで、何度も何度も仕返しに殴られていた。
「死も無い、子どもも作れない、何のために……俺は存在しているんだ」
「知るか」
ヴィクターは馬乗りになり殴った。
「一緒に……」
「うわっ!」
ヴィクターは立ち上がり、必死に退きながら、アラミスの頭を蹴った。
「くそっ、なにをしやがった」
ヴィクターの手には触手が巻きついたように肉に覆われていた。何度も手を橋に打ち付けて、やっとそれはパラパラと落ちた。
「一緒になろう……」
アラミスの体が半分溶けて、かろうじて人間の形をした大きなナメクジになった。
「一緒になれば、俺も命を……」
「……私たちと混じる気?」
融合と言った方がいいのかな。
「うげっ、それはゴメンこうむる」
もしも融合されたらどうなるのだろうか?
現実へ戻ったとしても、私は私で無くなっているかもしれない。
記憶が無くなるよりも恐ろしいことだった。
しかし――アラミスの姿は憐れだった。感情がそのまま形になっているようで恐ろしかった。
「お前も――消されたいのか」
突如、絶対零度の声が響いた。
虫たちも死んだように静かになった。
アラミスの奥からゆっくりと歩くが、おそろしいほど早い――何かが来た。コマ送りにしたように、どんどん近づいてきた。
数瞬後、アラミスの首を掴む、サヤがいた。
「お前も消されたいのか?」
数年に1度しか咲かない花のようにサヤは美しかった。
だが細腕は万力のように、無痛だったアラミスさえも苦しめていた。
「いっ……ぎっ」
「消されたいのか? お前たちも」
サヤは私とヴィクターも睨んできた。
「やはり来たか」
ヴィクターは強張った笑い顔になっていた。
『お前も消されたいのか?』――『も』が引っかかった。
サヤは前に誰かを消している……。
そんなことが出来るのだろうか。
主人公と言えど、そんな力があるのだろうか。
いや、あると考えよう。
瞬間移動したように現れて、化物のような膂力を見せている。
そう考えても、何の不思議も無い。
そうすると、1人思い浮かぶ男がいた。
この世界にはいるはずなのに、いない男がいた。
それは青薔薇の攻略対象者だ。
彼はサヤと最初に出会う夏祭りの時にいなかった。
彼が消されたのでは……。
だけど、それ以前に出会えるだろうか。
会うきっかけは無い。
貴族と平民が出会うきっかけなんて……。
背筋が凍りつき、考えたくない考えが浮かんだ。
……そうか。
この世界は何度か繰り返しているんだ。
ゲームは何度も繰り返すことができる。
それは自然とループ構造に似てくる。
青薔薇の彼は何かをして消滅された。
この世界は、彼のいない世界。
「私の邪魔になるなら、消えるべきだ」
「た、助けて……」
先ほどまで不死無痛に苦しんでいたアラミスは悲鳴をあげていた。首を締め付ける手に恐ろしいほどの力がはいっている。アラミスは死が間近に迫り、痛々しいほどに取り乱していた。
「やめろ、サヤ」
ヴィクターがいつのまにかサヤに近づいていて、頬を叩いた。
親が子どもに叱るように優しく叩き、アラミスの腕を取って引っ張り返した。
サヤは唖然として、頬をさすった。
「おい、馬鹿弟……生きる怖さを思い知ったか?」
アラミスは頭を縦に振った。
「この世界で生きて、意味を探せ」
ヴィクターはアラミスの腕を取って、水道橋の下へ落とした。
ずいぶんと雑ね……ゴミのポイ捨てレベルよ。
サヤが追いかけようとしたが、ヴィクターがサヤの名前を呼ぶと振り向いた。
「サヤ……戻ろう。君も転生者だろ?」
「嫌だ……」
「どうして?」
「嫌だ、嫌だ!」
両耳を塞いで、サヤは絶叫していた。
「戻ろう」
「いやぁぁっ!」
「……駄目か」
「……助けてっ……」
サヤはそう言って、また叫んだ。
叫びが空気を波打ち、颯と押し出されたような強風が起きた。風が熄む頃には、サヤの姿は無かった。
「いま、助けてって……」
サヤが助けを求めていた。
「……先を急ごう」
「そんな、助けなくていいの?」
「この世界がゲームの世界なら戻ることも出来るはずだ。助けに来るにしても、一度戻った方がいい」
ヴィクターは肩を落としながら、北へと向った。
私はその背を追いかけた。




