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「そうだ……頭痛はあった?」

「頭痛ですか……ありませんが」

 頭痛で倒れたのはヴィクターも一緒にいたときの話だったのでスンナリ話をすることができた。

「好きな人ですか……頭痛が無いってことは、本物の俺って恋をしなかったのかな……非モテな俺」

 ヴィクターのテンションが下がっていた。

「俺も時々は思い出しますが、そういうことはありません。ただ、そういうことが起きるなら――やはり帰るしかありませんね。前世の記憶が消えてしまえば、俺たちに残るのは何でしょうね」


 私たちは話を終えて、劇場の外へ出た。

 ヴィクターが路地の奥を見つめて、少しだけ首を傾げた。

「どうしたの?」

「何かがいたような」

 こんな寒空の下に、誰かがいるのだろうか。

 そのせいか私たちは早歩きになった。

 鞄の中で大きな音がなり、日記の存在を思い出した。

 鞄に入れたままだった。

 書くだけ書いて、置いていかないなんてアホ過ぎる。

「館に戻らないと」

「戻るのですか。……まあ、大丈夫だと思いますけど、急ぎましょう。ただ、別れの挨拶はしない方がいいですよ。決意が鈍りますから」


 玄関の鍵をゆっくりと開けて、音を立てないように寝室へ向った。

 猫達はそれぞれの部屋で寝静まっているようだ。

 外出から帰ったときは、いつも起こさないようにしているので、音が聞こえても気にしていないだろう。

 ヴィクターを玄関で待たせて、部屋に入って、日記を置いた。

 アルス、三毛、トラ、その他の雌猫たち、オーリとサヤにも別れを告げていなかった。

 サヨナラを言いたかった。

 だけどヴィクターの言う通り、顔を見たら決意が鈍りそうだ。


 せめてアルスだけにでも別れを告げようと思い立ち上がると、木が粉々に砕かれたような音が響いた。

 玄関からだった。

 何かが来た。

 足音が響いて、近づいてくる。

「俺だよ」

 アラミス。

 愚弟と言った方がいいかもしれない。

 アラミスは炯々とした眼で睨んできた。

 ヴィクターはどうなったんだろう。

「姉上……聞きたいことがあるんだけど」

「なに……」

 このタイミングで来るなんて……。

 いや、待ち伏せされていたのか。

 ヴィクターが劇場の外で感じた気配はアラミスだったのかもしれない。

「姉上さ、そんなに本を読んでいなかったし、演劇にも興味が無かったよね。どうして、劇を書けたの?」

 アラミスは劇には来ていなかったけど、私が脚本したのを嗅ぎつけたようだ。そして、疑問に思ったのだろう。

 今までの姉とはあまりにも違いすぎることを。

「それは――」

「姉上――いや、アンタが1番怪しい……姉上の皮でもかぶっているのか?」

 ミレディにとって1番近しいのは弟だ。

 弟は姉の違和感に気付いてしまったようだ。

 アラミスの手には短刀があり、血がベッタリと濡れていた。

 部屋には外に面したガラスがあるけど、廊下への入口は1つしかない。

 逃げようにも逃げることができなかった。

「ヴィクターは」

「あいつか、眠ってもらったよ」

 冒険者を軽々と?

 そんな力は無かったはずだ。

「不思議か? なら、教えてやるよ。痛みがないということを」

 鞄をあけると鳴き声と共に、猫が顔を出した。アラミスと一緒にいた猫だ。アラミスが首根っこを掴みあげた。

 あるべきところに、あるものが無かった。

「この前、馬車の車輪にひかれて、胴体が真っ二つになった――だが生きている。どういうことだ?」

 それが疑問に気付いたきっかけか……。

「分からないよ……アラミス」

「なら、答えを言ってやろうか。この世界は本当の世界ではない――本当の世界なら、この猫は死ぬはずだ。驚いたことに、切断面には骨すらない。どうだ。真実に到達しただろ?」

 私が考えようとしなかったことに、アラミスは辿り着いた。攻略対象者なのでAIが強化されているのかも知れない。いや、まだ1つの可能性があった。

「あなたは前世の記憶があるの?」

 転生者か確かめたかったが、逆効果だった。

「前世? ……やはり、アンタは何かしらの答えを持っているな。教えてくれ。俺は生きているのか?」

「それは――」

「なあ……見てくれよ」

 眼前の映像に失神しそうだった。

 まさに――ロミオとジュリエットの最後を見ているようだった。

 アラミスは短刀を胸に刺して、真一文字に裂いた。

 血がドボドボと流れて、すぐに止まった。

「見てくれよ。死なないんだぜ。俺は生きてさえもいないのか。これじゃあ、痛みをあるやつに負けるはずが無いだろ?」

 廊下から猫たちが騒ぐ声がした。

 ずっと騒いでいたのかも知れないけど、やっと耳に届いた。

 でも――。

「駄目だ! 来るな!」

 猫たちをアラミスと会わせるわけにはいかなかった。

 猫たちまでこの世界が偽物の世界だと知ってしまったら、アラミスのようにおかしくなってしまうかも知れない。

 それだけは耐えられなかった。

 それだけは……嫌だ。

「死が無いなんて耐えられない」

 アラミスは短刀を抜いて、私に向ってきた。

「いや……」

「なあ……オネエちゃん……」

 その言葉に記憶がフラッシュバックして、頭痛が襲ってきた。

 こんな時に……。

 逃げ道はなかったけど、これでは抵抗もできない。

 1歩。

 また、1歩、近づいてきた。

 その時、狙ったようにガラスが割れた。

 部屋を剣が横切って、アラミスの鳩尾に突き刺さり、吹き飛ばされて壁に磔にされた。

 ヴィクターは割れたガラス窓を壊して入ってきて、綺麗な絨毯にガラスが散った。

「大丈夫ですか?」

「……玄関から入りなさいよ。一応、女の寝室よ」

「鍵をかけられたんですよ……元気そうでなによりです」

 ヴィクターの左目に鈍器で殴られたような痕があった。

 それは痛々しくて、アラミスの傷とは違っていた。

「眼、大丈夫?」

「もう片方がありますから」

 苦しそうに笑った。

「ひひひっ……死なないんだよ。そんなことでは」

 アラミスが笑っている。

 貫かれても平然としていた。

「それはさっき分かった。だから、相手にしない」

 ヴィクターは私をお姫様抱っこした。

「行きましょう。他にも何かが来るかも知れません」

「……うん」

 私たちは窓から外へ出た。

 春から過ごした館は様変わりして、ロココ調の美しい様式となっている。それは歴史の1ページではなくて、私の生活の1部だった。

 凍りつく夜空のもと、なみだが落ちて、氷の粒になり転がった。

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