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職人は木綿生地を作業台の上に広げて、木版を目見当でポンポンと叩いた。木版には染料がつけられていて、これによって文様がつけられる。ちなみに木版には空気穴があり、染料の気泡が抜けるようになっている。この木版は消耗品であり、壊れやすいので、専門の職人が必要になるだろう。
打楽器を鳴らすように、トントンと一定のリズムを刻んでいる。基本的には2人1組で作業して、追いかけるように模様をつけていく、下絵を描かない独特の揺らぎが何ともいえない美しさを作っている。
「ちなみにですが、木綿は藍以外では染まりづらいので、タンニンで下地染めします。この組み合わせが更紗の秘儀ですね」
「染料と媒染の組み合わせで、複雑な色合いにしているんですね」
錬金術師のオーリが職人の言葉を逃さないように色々メモしていた。
西洋は更紗の技術に足元も及ばなかったと大袈裟に言われるくらいだった。科学的な染色技術は、錬金術師にとって垂涎の的だった。
「最初は木版でも良いかも知れないけど、銅版とかもいいかもね」
ヨーロッパ更紗の特長である銅版を入れ知恵しておいた。
「……なるほど。頑丈ですし、木とは違う美しさがあるかもしれませんね」
「ところで、木版を複雑彫れる技術はあるの?」
「残念ながらありません。そこの技術の差は大きいですね」
「なら、デザインはこちらよりにしたほうが良いかもね。あちらほど複雑な版を作らなくても良いから」
「……そうですね。ですが、出来たら輸入品には似せたいのです」
その気持ちはあるけど、輸入品のデザインを真似るには技術がいるので、まずは慣れ親しんだ図柄を選ぶほうがいい気がする。まあ、入れ知恵はしたし、後はやりやすい方をやってもらおう。
「多少は時間がかかると思うけど、早目に仕事ができるように声掛けをしていくわね」
「ありがとうございます」
結構話はすんなりいった。
だけど、根回しは時間がかかりそうだった。染色ギルドに話をして、次に服飾ギルドにも話をする。問題は更紗が既存の利益を奪ってしまう懸念だ。お互いが得するように話を進めないと、また暴力沙汰に発展してしまうかも知れなかった。
「有意義な時間でした」
「それは良かったわ」
錬金術師は科学者の前身――色の作り方に心がいっぱいになったようだ。
荷物を片付けて帰る前に、オーリは私と2人っきりになって話を始めた。オーリの部屋には珈琲豆がひかれた匂いに充満していた。
「輪廻転生の話ですが、1つ話を思いつきました」
「待っていました。聞かせて」
オーリは珈琲を入れてくれて、私は落ち着いて話を聞くことが出来た。
「過去は常に1本道です。それを原則にして考えると、前世から今世へも1本道のように見えます。ですが、前世と今世で、ある譲れない点がある――これがミレディさんが言った『好きだった人』です。
おそらくは人それぞれに譲れない点が他にもあると思います。その点が、前世の点と重なり、二重になってしまったんです」
「二重……」
「水道橋が許容容量の2倍になれば、ほとんどの橋は水が溢れてしまいます。そういう意味での2重ですね。水が溢れると言うことは異常事態です――そのため意識を失った。といった所でしょう」
「なるほど……」
「これも予想ですが、今後も何度か譲れない点が出て来て、何度か気絶してしまうと思われます。1回ならまだ良いですが、2回、3回と重ねるうちに――これは予想なんですが」
本当に言い辛そうな顔をしていた。
「言って良いわよ」
「おそらく、前世の記憶が消えるのではないでしょうか」
「えっ?」
「勘ですが、前世の記憶は今世には関係ありません。つまり、脳は何度も気絶するような要因が記憶にあるなら、それを消してしまうような気がしますね。子供の時に前世の記憶があるのに、大人になると消えてしまう事例があります。おそらく、前世の記憶があったままだと、記憶が混濁して訳が分からなくなり、脳が記憶を整理して前世の記憶を捨てたのでしょうね。まあ、仮説ですけど」
「記憶が消える……」
「記憶喪失と言ってもいいかもしれませんね。もしかしたら、人格――性格も変わるかもしれませんね。記憶は人格に大きな影響を与えますから」
ナニソレ、超怖いんですけど。
「まあ、あくまでも仮説です。これからも頭痛で倒れるようなことがあったら気をつけてくださいね――と伝えてくださいね」
オーリは私の事だって気づいているようだ。
「人格が変わるかも……」
いまさら元々のミレディに戻るのだろうか……。
秋空を見ながら、呆けているとアルスが寄ってきた。
「どうしましたか、お嬢様」
「なんでもないよ」
私、凄いショックを受けている。
全体的に浮遊している不思議な感覚だった。
マリモくらいの浮遊感がある。
「あきらかに何でも無さそうでは……」
「大丈夫よ」
「そうですか」
「ねえ、アルス……聞いていい?」
「はい、なんでしょうか」
前世の話をするにしても、オーリと違って聞きづらかった。
感覚の問題だけど、オーリは気付いてもゆったりと受け止めてくれるけど、他の人たちだと慌てふためきそうだったからだ。
聞こうと思ったけど、次の言葉がでてこなかった。
「あの……」
「アルスって昔何をしていたの?」
だいぶ前に話題になったアルスの過去だった。
雌猫たちも知らないアルスの過去を知りたかった。
「同じような仕事ですが」
「腕は良かったの?」
「いえ、それほどでもありませんでしたよ。戦争で奴隷にされてから、自由だった時代が懐かしくて、こちらに来てからは自分なりに頑張ったつもりですけど」
元々力はあったけど、状況が実力を発揮させていなかったのかな。
「恋人とかいたの?」
「いませんよ。幸い」
戦争が起きたからね。
恋人がいたら辛い目にあっていたかもしれない。
「好きな人は」
「いませんでしたよ」
「なにそれ、初恋もしてないの?」
「初恋はお嬢様ですから」
ん?
言った後に恥ずかしくなったのか、アルスは何も言わずに去ってしまった。
「聞き間違いではないみたいね」
黄昏を見ながら、夜の帳がおりるまでボーっとしていた。




