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蒸し暑く、路からカゲロウがあがる。モヤが風景を揺らして、蜃気楼のような幻想がたちこめていた。日傘をさしアルスも影に入れながら、冒険者ギルドに来た。
アルスは仕事の要石だけど、猫たちの中で唯一の男だから、こういう時は頼りにしてしまう。といっても、まだまだ少年の域を出ていないので、心もとないけどね。
同性が集まれば心安くなるのは男も女も代わらない、冒険者たちが集まるほうからは下品な話題が聞こえる。だが仕事の依頼に応対してくれた人は印象が良かった。当然といえば当然だけど――。
護衛、長期間にわたる仕事は魅力あるようで、やりたい人は多いそうだ。時間をかければ良い人を紹介できると言われた。
「今日にでも護衛は欲しいんですが」
「それは、急ですね。なんとか用意したいですが、今日の夕方くらいまではかかりますよ」
冒険者たちはすでに仕事へ出かけてしまっているので、急に決めるのは難しいことなのだろう。それは仕方が無いことだ。それに貴族を守ると言うことで、冒険者ギルドのメンツがかかるので、下手な人を紹介したくないそうだ。
ということで、しばらくのあいだ待ちぼうけを食らうことになった。
熱くて喉が渇いていたので、冒険者ギルドの隣にあった喫茶店のバルコニーで吉報を待つことにした。ここは冒険者の利用が多いけど、酒を飲むようなことはせず、各々静かに話しをしている。落ち着いた雰囲気で心地よかった。
カウンターでは銀製の美しい湯沸器の円筒部に炭が入れられ、水を注がれ、蒸気があがり、水を沸騰させていた。しばらくしてから、蛇口をあけてティーポットにお湯を注ぎいれていた。
アルスはアイスティー、私は熱い紅茶を頼んでいた。茶菓子として出てきたのは、チョコレート味のマカロンだった。
「ふー、良い人が見つかるといいですね。お嬢様」
「そうね……これうまっ!」
なにこのマカロン、凄い美味しいんだけど。
「そんな、言いすぎですよ……うまっ!」
一瞬のうちにマカロンは胃の中へ入ってしまった。味覚の眠っていた部分を叩き起こされたような革命が起きた瞬間だった。
私たちは1個だと物足りなかったのでマカロン頼んで食いまくっていると、いつの間にか昼になっていた。
「待つのは辛いですね」
「うーん、早くしてもらいたいね」
雑談を重ねていると、この前ぶつかった冒険者が喫茶店に入って行った。耳が尖っていて魔族と分かるけど、店員に愛想が良く物腰が柔らかかった。剣を持っているけど、傷一つ無いので腕はかなり良いのだろう。第一印象も同じだったけど、悪い人には見えなかった。
「あの人はどうだろう」
アルスが魔族の剣士を見た。
「……この前、ぶつかったひとですね」アルスも覚えていたようだ。「魔族は珍しいですから、冒険者ギルドに聞けば評判が分かるかも知れませんね」
「聞いてきてー」
「……離れて大丈夫ですか?」
「目抜き通りよ。それにここは店の中だから下手なことはしてこないでしょ」厳密に言えば中じゃなくて、バルコニーだけど。
「……大丈夫かなぁ」
と言いながらも、アルスは冒険者ギルドへ走っていった。
私は青空を見ながら、あらたに注文したアイスティーを飲み、清涼感に包まれていた。
突然――。
「この前はすみませんでした」
魔族の剣士だった。まさか話しかけられるとは思っていなかったので、面食らってしまった。
「この前、ぶつかってしまったものです」
「あっ、はい。あの時は私もボーっとしていたので、こちらこそすみませんでした」
「私はヴィクター・バデノックです」
名前を聞いた途端に寒気がした。今までなんとも思っていなかったけど、苗字と名前の区別が私たちには無かった。なぜ、彼だけあるのだろうか。気になったけど、とりあえず挨拶を返した。
「私はミレディです。よろしく」
挨拶だけで終えようとして、彼は席を離れようとした。だけど、偶然は重なるのか、そのときサヤの声がして、彼は足を止めた。
「あっ、ミレディ様。お食事ですか」
サヤがシンと一緒に道を歩いていた。どうやら仲直りをしたようで、良好な関係を築いているようだ。
「あれ、お昼?」
今日は学校のある日だ。少ない時間ながら出てきたのだろう。
「そうです。ミレディ様もどうですか?」
「アルスを待っているから、また今度ね」
「残念ですー」
サヤとシンの姿が消える頃に、魔族の剣士が喋り始めた。
「恐ろしい女の子ですね」
魔族の剣士はけわしい顔で冷や汗をかいていた。
「どうして?」
「どう言っていいのか難しいですが。根源的な恐ろしさがありますね。性別を越境して相手を魅了する根源的な力があるように感じます。この世に在るべきではない、悪魔的な……これは失礼しました。お知り合いの方に対して」
「いいえ……大丈夫よ」
鋭い勘を持っている。実を言うと最近困っていた。サヤに対して雌猫も色めき、学校で顔見知りであるオーリは館ではサヤと顔を合わせようとしない、サヤの存在は着々と周りを巻き込んでいた。
ふと、気付いた。
シンとサヤが仲良くしているのに、嫉妬も何も感じなかった。
最近の私なら、どうにか彼女の笑顔を独り占めにしようと実行しないでも考えていたはずなのに、それが無かった。
今までと何が違うのか……。
目の前に彼がいる。
……重石が乗せられたような感覚があった。
ヴィクターは別れの挨拶を告げて、代わるようにアルスが戻ってきた。ヴィクターは優秀だけど、出自が理由で良い仕事に就けていないそうで、すぐにでも警護の仕事に就けるそうだ。
「お願いするわ」
「随分と早い判断ですね」
そうね……でも、間違っていないはずよ。
私は自分に言い聞かせた。




