歴史の動き
西欧文明という異常な文明の突出、そこから始まる地球の一体化と、人間社会・技術の大きな変化。
*世界史
歴史とは人間が過去をとらえるやりかただ。ここで語っている普通の歴史はある大きい何かをした個人の人名と、王朝名と、それぞれのことがあった年の羅列だ。
だが私はそれはやらない。地球人以外を想定しているから。
それ以上に興味があるのは、「人類が生まれた時点の地球を宇宙ごと百万個コピーし、それぞれ干渉せず歴史を始めさせたら、どれぐらい同じ結果になるか」だ。
大体同じか、全部全然違うか。
もしこれを聞いている人がとことんとんでもない技術の持ち主なら、ぜひやってみて欲しい。まあそうしてくれれば地球型生命が存続する率も上がって、私の中の自己増殖性分子の利益にもなるだろう。
もちろん人類が生まれるずっと前から実験してくれても楽しそうだが、なんとなくだが人類のような脳が極端に肥大化し、作業とコミュニケーションの技術が高い大型動物が出る確率は高くない気がする。星は宇宙にものすごい数あるのに、人類はいまだに別の星で進化した人類のような種族からの電波連絡を受けていないこと、これまで何度も陸上大型動物が発達し、数億年間にわたり盛衰したのに、人類型知的生命は今回が初めてであることが根拠だ。
世界史そのものは、長い目で見れば世界のあちこちで文明が生じ、森を食い尽くして潰れては新しい森に文明の中心が移動する、その繰り返しでしかない。
森を切り開いてその土壌・淡水資源を農耕に使い、樹木を燃料や建材に使うと直後は大きな農業生産が得られるため、人口が増える。しばらくは増えた人口を周囲の征服とより広い土地の整備に使うことができ、食物も充分あるので治安も保たれてどんどん文明は規模を拡大する。だがそのうち限界が来て、農地も上記のように生産を続けられなくなり、食が不足すると治安も保たれなくなり、文明自体が崩れる。
世界全体は非常に乱暴に言えば地中海周辺からユーラシア西側・ユーラシア南側の大半島・ユーラシア東側・その他に分けることができる。
その他といっても上述の南北アメリカ・オーストラリア・東南アジア諸島・アフリカの砂漠地帯以南ときわめて広大な地域だが、そこの歴史はあまりに破壊されていてほとんどわかることがないし、現代の文明につながっていない。
ユーラシア南側の大半島は水は豊富だが西は砂漠、南は海、北は大山脈、東は森に囲まれた陸の孤島に近い。生活面では穢れ意識が極めて強く全体に肉食を嫌い、身分制度が極めて厳しいのが特色だ。神秘性の強い多神教で哲学的な思弁も非常に深い。ゼロを発見したのもこの地域だ。
ユーラシアの東側も大草原と山脈、森、寒さ自体などによって他とほぼ切り離されていた。西側の草原から常に騎馬民族が襲撃してくるのが一番の特徴だ。また、本来の森はかなり早い時期にすべて切り尽くしたが、気候帯などの影響で完全には砂漠化せず、栄枯盛衰を繰り返す文明となった。宗教的にはかなり世俗化し、科学的にも優れた発明が多いが、不思議とある時期から科学の発達が止まった。いや、ヨーロッパ半島の爆発が大きすぎて、多少発達してもそれが目立たないんだろう……第一、後述する日本でも素晴らしい数学が発達したが、それは技術や富の増加に関する諸法制とつながらなかったから別に意味はなかったりする。そんなもんだろう。
地中海周辺は、まず北アフリカの沿岸以外が世界最大の砂漠地帯だ。その西部に、はるか南から大砂漠を越えて縦断する巨大な川があり、それが最高の農耕地帯を作った。最初にできた大文明の一つだ。
反時計回りにユーラシアにいたっても乾燥気味の気候だが、いくつも大河が流れ高山にはオークの森もあり、大平原地域は麦類・牛や羊など多数の作物や家畜の原産地でもあり、そこにも最初の大文明が生まれた。それが次々に木の切りすぎと塩害で砂漠化していき、地中海北側にあった一都市から地中海周辺を大きく支配する巨大な帝国が生じ、それがかなりの長期間存続した。
地中海周辺が人類の知識に加えたのはまず上述の多数の作物や家畜。そして地中海東北部に、文学や論理に優れた人をたくさん輩出した地域があり、知が高く尊重された……残念ながら科学とは切り離された知だが。また地中海南西部の、アフリカとユーラシアがつながるあたりにはユダヤ教とその子宗教であるキリスト教・イスラム教という非常に影響力のある一神教が生じた。
その大帝国が、木の切りすぎや東方からの騎馬民族の侵略などいろいろあって崩壊してから、むしろ栄えたのはその東南方面のイスラム地域だ。
ちなみに一時期、ユーラシア大陸のほとんどを騎馬民族が征服したことがある。それ以降世界全体の往来がかなりやりやすくなったことは事実だろう。
本来イスラムに比べ遅れていた、北方ヨーロッパ半島のキリスト教徒だが、ある時期なぜかいくつかのとんでもないことをやってのけた。これは他のいかなる文明も成功していない……上述の、百万個人類ができた時点の地球をコピーして最初からやってみてどうなるかで、一番興味があるのはこの点だ。多分これは百万回繰り返しても再現できないんじゃないだろうか……実際、世界に大きい文明は十いくつもあったが、他に“それ”に成功した文明はひとつとしてない。
理由があるとしたら、ヨーロッパは山脈や川で分断されていて一つの巨大群れが広い地域全体を支配する形にならないこと、また雨が多いため大規模な潅漑がなくても農業が可能だったこと、法システムなど色々言われる。ただし、ヨーロッパの人の多くは「自分たちの人種が優れているからだ」「(キリスト教の)神が自分たち選民に世界を支配しろと」と、物語的な解釈をしてしまうがね。
まずヨーロッパからあちこちに遠距離航海し、アメリカ大陸に到達した。ちなみに以前も到達していてそのときは長期的には群れを維持できなかったようだが、それはどうでもいい。それを言うならユーラシア東側の文明だって大船団を仕立て、インド洋を横断してアフリカまで行ったこともある。航海が重要なのではなく、新しい地域を征服してそこでの群れと本土との連絡を維持し、より遠くに行きたいという意思を巨大な群れ全体として持続させたことが重要だ。
それだけでなくアフリカ南端を越え、アメリカ大陸を越えてオーストラリア大陸に至った。世界全体を船で制覇したと言ってもいい。そのことによって莫大な鉱物資源と新しく切り倒せる膨大な森林、そしてジャガイモ・トウモロコシ・タバコなど多数のまったく新しい作物を入手できた。
その激しい征服には、その直前に宗教が産児調節全般を禁じ、その技術を持つものを大量に魔女として処刑したことによる大規模な人口増も重要な要因だ。
そして、それとほぼ同時期にヨーロッパ人の一部はキリスト教を変え、それとおそらく関係があるだろうが科学そのもの、知識そのものを宗教のタブーに束縛されずに進めることを容認した。さらに科学を技術に応用し、大規模な工業文明を作り出してその力をさらに征服に注いだ。彼らはキリスト教そのものも相対的に捉えるようになり、少なくとも同じ地球に別の宗教を持つ人が生きていることを、北方ヨーロッパ人の知識階層は容認することが多くなった。
さらに貴族や王という宗教に結びついた階級による支配を否定し、人はすべて平等で自由、そしてその人々が議論と投票で大きい群れの行き先を決める、という政治システムを作り出した。面白いことに、それだけ圧倒的な力で世界のほとんどを征服したというのに、ヨーロッパ半島に元々あった国々の構成自体はそんなに変わっていないんだ。驚くほど小さい国がそのまま残り、そして海を越えた大陸の広い地域を支配していた、なんてことさえよくある。
さらに征服と科学によって得た莫大な富を、新しい技術や大陸の土地に投資し、より多くの富を効率的に作り出す経済制度もできた。そのためには政権によって簡単に財産を没収されないこと、自分で武器を使わなくても借金が確実に帰ってくること、何か新しい技術を発明した時に別の人に真似されて発明のための投資が回収できなくなることを防ぐ制度ができたこと、航海のリスクを管理するシステムが発達したことなど、きわめて多くの法・社会制度・社会の雰囲気の上での変革もある。というか改革され、先鋭的に理論化されたキリスト教が、富を否定しなくなった……上述のように一般に宗教は富を否定するから、これがまたとんでもない話だ。
それら、近代の本質は「試行錯誤を容認する」だろう。それを支えるのが自由。他のあらゆる人間世界は、言葉や社会構造を「次代に伝える」ためのものであり、試行錯誤は容認されない、存在しない。現状が完全に正しいという物語を前提にしているからだ。
だがそのシステムだけは違う。宗教や言葉、考えることの自由を認めることで、あらゆることについて疑い、試行錯誤することを許した。
そして投票によって政治担当者を変更できる民主主義とそれを支える批判の自由は、流血なしに政治の試行錯誤を可能にした。
言葉と考えることなどを自由にし、理論を実験で検証する科学は、試行錯誤によって知識を積み上げ拡大し、それは凄まじい技術の進化にもなった。
経済においても、何を作って売るかを自由とする市場経済は、本質的に財産の保護というかある意味自由を基底とした貨幣システムの進化と科学技術の進歩もあり、莫大な富を生み出した。
社会制度においても、あらゆる人を教育し、機会を与えることによって人材の試行錯誤を可能にし、結果有能な人々が社会を進めることにもなった。
もちろん、ある文明が別の、科学技術水準がはるかに劣る大陸を征服したんだ……結果は大虐殺と奴隷化、もっと恐ろしいことにヨーロッパ側が持つ多数の伝染病や強力な家畜により、征服された世界の先住民も生物種もほとんど死に絶えた。さらに先住民が死に絶えたら、アフリカ大陸から奴隷を大量に集めてアメリカ大陸まで運んで働かせた。もっとおぞましいことにあらゆる文化は消し去られた。違う文化だろうと文化そのものや生物種自体を尊重する、なんて余裕が出るのはもっと先の、現実の世界にはあまり関係をもたない知的階層だけだ、残念ながら。聞いている人が宇宙人なら……地球人であることが恥ずかしくて恥ずかしくて顔向けできない。
遠洋航海と征服・宗教改革・科学の解放と技術への応用・投資や科学技術研究による富の増加を保護するシステム・市民革命……これらによって人類の文明はまったく別の何かになってしまった。
それから後述する共産主義関係で人類全体が大きく二つ、実は貧しい人々を考えに入れて三つの群れになり、それで共産主義のほうの群れがぶっ壊れて、それからはいろいろな立場、群れの規模についての考えが入り乱れている。さらに人類が増えすぎてそろそろ地球に住める限界だとか、使える資源を使い切りそうだとか化石燃料資源の燃やしすぎで気候が変わりそうだとか、地球全体で木の切りすぎで農業崩壊が起きそうだとか、強力すぎる兵器で自分たちを滅ぼすんじゃとかややこしい問題にも直面してる。まあ基本的には多くの群れが争い、憎み合い殺し合いながら、食べて繁殖しながら森を切り倒し、土壌を失って自滅している、ともいえるか。
*日本史
地球を詳しく描いた。別に地球など宇宙にたくさんある星の一つに過ぎないのだが、それが私が生まれたところだからだ。それと同様、地球のごく小さな諸島の人類の群れについても記述するとしよう、私はそこで産まれたのだというだけの理由だ。別の地域に生まれた人は自分の群れについてここで詳しく書けばよかろう。他の全ての地域についても書くべきだろうか?
私が産まれた日本という島の集まりは、上述のようにユーラシア大陸の東端にある。地球の表面の巨大な広い塊がぶつかり合って、最大の大洋の底が複数ぶつかり合いながらユーラシアの底に沈みこんでいる、そこにある。ゆえに火山や地震がとても多く山が多い。
そして大陸の東端なので、南からの海流と海からの風を受け雨も多いし周囲の海の魚も多い。また多くの火山は常に燐や硫黄や鉄を大地に供給するため植物の活動がとても盛んで、木を切り尽くしてもまた生えるまでの時間が短い。
石油やウランの資源こそ乏しいが、鉄鉱石や石炭はかなりあり、もう掘り尽くされたが地球でも最大級の金及び銀の鉱山もあった。
その諸島は海で大陸から切り離されている。かつて、地球の多くを氷河が覆っていた寒い時期は地続きだったが。その大陸との距離が絶妙で、征服は無理だが、通商が絶え伝染病の往き来がないためわずかな征服者にやられるほどじゃない。誰が調整したんだろうな、というぐらい絶妙だ……同じく大きさの割に世界史の中で重要な、ユーラシア西端北方の島は、もうほんの少し大陸に近かったせいで大陸の軍勢に何度も征服されており、別文明を主張できるほどの文化的な違いもない。
南北にとても長い列島で、北はアメリカとユーラシアの境近くまで拡がっているが、ある部分で事実上切り離されており、日本の領土の一番北にある大きい島はついこの間までほとんど日本・ユーラシア大陸双方の本土の文明とは交渉がなかった。
日本は長らく文字を持たぬままだったが、ユーラシア東側……中国の航海技術の発達で中国から文字や社会制度がかなり入った。しかし全面的に取り入れたり征服されたりするには遠すぎ、事実上情報以外はほとんど交流がないままだった。特に重要なのが、その文明が「水をためた浅い水面で稲を育てる」ことを事実上神聖視するほど尊重することだ。雨の多い気候もそれに合っていた。
ある時期から鉄による高レベルの農業が発達し、ヨーロッパの拡大とほぼ同じ時期に大陸を征服しようとしたこともあったがそれは失敗した。その後、雨が多いためかなり人口が多いにもかかわらず森林を維持し、かなり閉じた生活を続けていたが、また欧米近代文明と接触し、その近代文明に順応して独立を守った。
欧米近代文明とぶつかって独立を守れた巨大群れなど、地球全体で一つだけと言っていい。それほど近代文明になるのは困難なことだ。
その後、キリスト教・人種など強い差別意識を持つ欧米と対抗しつつ近代化を進め、また中国方面から大陸を征服しようともしたが、最終的に大きい戦争で敗北した。その後は教育水準の高さと水の豊富さに支えられ、世界でも最高級の工業力を持つようになったが、目的を見失って軍事・政治関係などで混乱している。
大きい特色のひとつに、宗教の影響が特殊だということもある。キリスト教を受容せず、島全体が一つの、それも非常に緩やかな宗教と政治の複合体の支配下に置かれ、同時に表面的には仏教による儀式をすることもある。儀式そのものではキリスト教の儀式や祭りの一部もやる。ただし心の奥の部分では、非常に古い形の魔術的な、言葉になっていない穢れ意識を宗教の代わりにしている。
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*近代工業文明
ヨーロッパの近代文明には、いくつもの技術の発達がある。その技術の元になるのが様々な、試行錯誤を容認し情報の蓄積と技術と富に結びつけることを妨げない社会のシステムだ。
ある程度ではあっても、社会の目的の変更ともいえる。多くの文明社会の目的は、特に軍事的な拡大が停まってからは群れの維持と宗教自体に限定される。だが近代工業文明は、何よりも新しい技術を開発し、情報と富を得ることを際限なく追求する。
まずそのための、さまざまな技術について解説していくか。
**紙・印刷
文字を書く素材としては、昔はヨーロッパ東端では布・薄く長い直方体に整えた木などに、アフリカとユーラシアが接するあたりの最古の文明では粘土板を傷つけ、またアフリカ北東部の大河による文明では水辺に育つ特殊な草の繊維を集めて平らな板を作って用いていた。
ユーラシア西部では後に皮革も用いられる。
だが、ユーラシア東端で大きな変革があった。様々な繊維が集まってできている木材をこまかく砕き、水に一度拡散させて水を濾過するように抜いて乾燥させることで、薄く丈夫で表面が複雑な板を手に入れることができた。重要だ。
それもヨーロッパで大量生産技術を用い、さらにある種の石を細かくして塗ったりすることで、発明されたユーラシア東端とも質的に違うものとなった。
文字で情報を保存したものを作るには、内容が同じであっても、目で見て手で絵と同じように文字を書いて写すしかなかった。それには人間一人の長時間の衣食住・光のための燃料をはじめ膨大な費用が必要で、ゆえにきわめて高価だった。また数が少なく、遠距離に移動されることも少ないから、比較的狭い範囲の文明が混乱したり、文明内ですべて焼き捨てろという命令が出たりしたら世界からその本が一冊もなくなることも多かった。
だが、本についても鋳物と同じように型を用いて、「同じものを大量に造る」こともできる。
方法の一つとして、たとえば表面に溝を掘った石を粘土板に押しつければ、粘土にはその溝の部分が盛り上がる形で、溝の形を再現できる。その石は繰り返し使えるし、粘土を焼けば水にも強く長期保存できる。
さらに溝を掘った石や土器や木の板に染料をつけ、それを布や紙に押しつけても、逆に溝でない部分についた染料が紙などにつく。逆に染料をつけてから表面をぬぐって強く紙を押しつければ、溝の部分だけがぬぐわれなかったために染料が残り、紙につく。
それを用いて、たとえば自分の名前の文字や自分の家と魔術的に関係する図案などを紙に写し、それによって「この文書は自分が書いた・ちゃんと読んだ」などのメッセージを追加できる。ある程度以上複雑な文字や図案の逆が掘られたものは簡単に再現できないし、その偽造は重罪となる。
さらにその規模を大きくすれば、書物の紙一枚全体の情報を板に掘り出し、それで紙に写していけば書物を大量生産できる。
さらに、言葉=文章は実質無限だが、文字は有限だから、文字一つ一つを掘った塊をたくさん作っておき、文章に応じて並べてたくさんの紙に写し、終わったらまた文字一つ一つにばらして別の文章に応じて並べ直すことができれば、何種類もの文書紙を、それも一つの文章の文書紙もそれぞれたくさん、手書きよりずっと簡単に間違いなく作ることができる。
その技術がずっと昔一度見いだされたらしく、遺跡から出ている。だがそれは、紙などの技術がなかったため社会的に意味を持たなかった。だが、ヨーロッパのかなり経ってからの文明は、それを社会全体で活用することができた。
ヨーロッパの文字体系自体が、音に対応する少ない種類の文字で作られていたことも大きい。文字の種類が多いユーラシア東では、文字をばらして組み直す意味はそれほどない。
凸凹板を紙に押しつけるのに、植物の実から油やブドウ酒になる汁を絞るのに用いる、回転を圧力に変える機械を応用できたこと、そのための高精度な金属加工・幾何学についての知識があったことも重要な要素だ。
さらにその文字をいちいち彫らず、耐熱素材で一つ型を作っておいて、それに低い温度で溶ける金属を流せばその文字が彫られた塊もまた簡単に大量に作れる。その技術もきわめて重要だ。
それでまずキリスト教の中心書物を大量に作り、安く多くの人に配ることができた。しかもそれを日常使われる地方語に分化していた言葉に訳し、多くの人がキリスト教をより理解したことは、キリスト教の構造ひいてはその地域の文明を大きく変えるきっかけにもなった。
また科学知識を積み重ね、多くの人が共有するのにも実に役立つ。情報の動きの質を大きく変えた。
**羅針盤
地球は巨大な磁石であり、その磁極は自転軸から見て少しずつ動き時々反転もするが、最近はほぼ自転軸と地表が交差するところと一致している。
だから磁気を帯びた鉄などの塊に方向性を持たせ、自由に動くようにしてやると、自転軸と地表が交差するがどの方向にあるかがわかる。
海で空が見えなくても方向がわかる、これは航海上の利点ははかりしれない。
この技術も最初にできたのはユーラシア東端だが、活用したのはヨーロッパ人だ。ふしぎなことに。
これがなかったら……地球に磁力がなかったり、弱かったり、自転軸と極端にずれていたりしたら、ヨーロッパ人は船で地球の至るところに行くことができただろうか。まあ地球に磁力がなかったら、太陽からの高速の素粒子で生物が海の外で生活するのが無理だったかもしれないが。
**熱機関
近代の根源をなす技術の一つ。燃焼で出る熱をものを動かす力に変換するシステムだ。エネルギーは相互に変換可能だが、熱力学第二法則によって秩序の低いエネルギーである熱は秩序の高いエネルギーである力には簡単には変わらない。熱だけからは決して力は得られず、必要なのは熱の差……高い温度の熱源と、それより低い温度の熱源、しかもその差が大きいことだ。そして必ず無駄な熱が出る。
ヨーロッパは燃焼の熱を力として使いこなすことができるようになった。部分的には、たとえば昔の地中海文明で、中に水を入れて加熱し、気体がある方向だけに出るようにした器が自分で回転するのを見て楽しんだり、また下記の火薬がユーラシア東で発明されたりもしたが、群れ全体で、人や家畜・風や水にかわる力として大規模に使うようにはならなかった。
それ以前に水車・風車・家畜の動力を、穀物を粉にしたり金属を精錬する風を得たりするのに用いる方法が発達していた、その技術の積み重ねもある。ただしその技術は世界中にあったのだが、熱機関とつなげたのは近代ヨーロッパだけだ。
最初に実用化されたのは、石炭が燃焼する熱で水を加熱する。その容器は密封されており、しかも一部が密封を解かないまま動く。また動いたら気体になった水が外に出て冷やされて水に戻るしくみもある。
その動く部分は水が気体になるときの高い圧力を受けて動かされ、その「押す」力を色々に使う。特に軸を回転させる力に変換する装置ができたことも大きい……それには高い精度・硬度の金属加工、金属が擦れ合って表面が壊れるのを防ぐために、その擦れ合う部分に流す油など支える技術も必要だった。
主な用途は鉱山の内部で湧く水を排除するための動力だ。それも畜力より強く安価で、風力や水力と違って常に得られる力として開発された。それで石炭を大量に掘り出し、その石炭の一部で蒸気機関を動かして石炭をよりたくさん掘り出す、それが全体としてプラスの大きな循環になり、そのおかげで木の切りすぎで燃料が不足することを辛うじて免れた。
その蒸気機関は下記の蒸気機関車・蒸気船にもなった。
さらに発達した熱機関が蒸気タービンと内燃機関だ。
蒸気タービンは蒸気機関の延長で、加熱されて気化した水の高圧を直接回転に変える。これは巨大な設備が必要だが、とても熱を力に変える効率が高い。また燃料を選ばず、石炭でも石油でも地下のメタンなどでも、また詳しくは後述する原子核分裂でも、さらに実用化されさえすれば核融合でも動く。ある程度以上巨大な船と、主に後述の発電に用いられる。
内燃機関は、密封され一部だけが動く小さい筒の中で、液体の可燃物を一気に燃やし、その熱を膨張する気体の圧力に変えて……気体が加熱されるということは、その分子の平均的な速度が速くなるということであり、それが壁にぶつかって押す力も強くなる……動く部分を押す。一般にその短い往復を回転に変える機構がある。最も効率が高いのは、まず燃料を含む空気を高圧で押しつぶし、その熱で発火するエンジンだ。ただしそれはどうしても燃料の微粒子などを含み空気を汚すし少し大きいサイズのほうが効率がいいので、電気火花で発火するのもよく用いられる。
後述の自動車から船に適しており、石油を原料にした燃料と相性がいい。
燃料の運搬は、技術水準が低ければ固体、高まれば液体や気体がよくなる。固体なら隙間だらけの容器でも運べるが、たとえ傾斜があっても器から器に自重だけでは移ってくれないため、砂利を掘るように人が鍬を振るわなければならない。液体だと密封できる管や液体を持ち上げる装置さえ扱えれば、重力だけで大量に動かすことができるし密度も高い。気体だと一般に密度が低すぎ、液体以上に精密な密封が必要になるが、膨大な量を長距離輸送するのはむしろ楽だし、漏れても周囲の土地を汚染することがない。
注意して欲しいのが、熱機関は原理だけでできるものではなく、低熱源と高熱源、そしてサイズが重要になることだ。地球の、大体は水が液体である大気の温度は炭素や水素の分子が燃焼する温度よりかなり低く、だからその温度自体がよい低熱源になる。また鉄がその燃焼の温度と圧力によく耐えることも重要だ……もし蒸気機関の設計図を、鉄を知らなかった中南米先住民文明に渡しても使いこなせなかったろう。固体の水銀を使っているわれわれから見て低温の世界の知的生物にとっても無意味だ。
蒸気機関は人間よりかなり大きいサイズでなければうまく動かないし、圧力で発火する内燃機関を指先より小さいサイズで効率よく動かすことも大変だ。原子核分裂・水蒸気タービンを人間の身長より小さいサイズにすることも無理だ。それどころか熱機関の冷やし方とかで最適なのは、四輪の自動車と二輪の個人用自動車で違ったりする。それぞれ適したサイズがあり、それと地球で人類が使える素材に合わせて今の生活システムがある。
木の燃焼同様、人間のサイズはそっちでも大きい要素だったわけだ。
そしてもちろん、恒星やブラックホールなどの超高熱源と宇宙の背景放射という最低熱源を効率よく使う熱機関は、今の人間の技術スケールと素材ではまだまだ作ることも使うこともできない。
本質的に熱機関を評価するのは、熱がどれだけ動力に変わるかで、それは低熱源と高熱源の差によって決まる割合を超えることはできない。またより通俗的な評価としては、その機関と燃料を合わせた重量とその出せる力の比と、充分な出力の持続時間も重要になる。
それらは運搬だけでなく機械を動かす動力となり、重要な文明の評価基準である「刃物の能力」を爆発的に増大させた。圧倒的に多くの木を切り倒し、地面を掘ることができるようになった。
**輸送技術
ヨーロッパが内燃機関を使いこなすよりかなり前から、輸送に関して大きな変化が起きていた。
アメリカ大陸などあちこちへの超遠距離航海を好んでするようになったことで、帆船に関する技術が大きく発達した。それには良質の鉄によって大木を切り倒し加工できるようになったこと、石油からできるきわめて粘性の高い液・木の樹液・木綿の帆・麻のロープなど様々な素材を大量に集められるようになったこと、資金を集めて使う社会技術ができたことなども重要だ。
中でも、今では目立たないが多分決定的だったのが港・運河網の整備だ。実は日本でも、近代化の前段階として港や運河の大規模な整備が国単位で行われている。
かなり後ではあるが、アフリカとユーラシアがつながる部分とアメリカ大陸中央の狭い部分に、大洋と大洋をつなげる大規模運河ができたことで世界の交通が根本的に変わったことも特筆すべきことだ。何しろ地球の大陸配置だと、氷でふさがれた北を通っては当時の気候では通行できないしアフリカ大陸・アメリカ大陸の南端はいつも嵐で危険が大きいしものすごい遠回りになるからな。
これはむしろ昔の地中海周辺の巨大群れのほうが熱心だったが、その時期各国がある程度ではあるけれど地面に帯状に石を敷きつめ、馬に引かせる車が走りやすい道を作ったこと、そのおかげで馬に引かせ、木の車輪に鉄を巻いた車が発達していたことも重要だろう。
蒸気機関が船に乗せられたのはかなり遅いが、それは決定的に輸送を速くした。さらに後述する冷蔵庫によって、アメリカ・オーストラリア大陸から肉をヨーロッパに運ぶことさえできた。
後に船体の素材が、より丈夫で巨大な部品を作りやすい鉄鋼になることで、より巨大で軽い船を大量に造り、少人数で動かすことができるようになった。現在の文明はその鉄でできて熱機関で動く巨大な船に支えられている。
さらに重要なのが鉄道。鉄でできた、平行線状の棒材に、それにぴったり合った鉄の車輪の車を走らせる技術だ。もちろんそれは人力でも畜力でも動くし、鉱山などである程度発達していた技術だった。普通の道を、その頃主流だった木に鉄を巻いた車輪で移動するよりはるかに速く、力の損失が少ない。
一般に、まず道そのものを拳の半分ほどの石を大量に積んで少し周囲より高くして水に沈まないように安定させ、その上に横に大きい木材を並べ、その上に鉄平行棒を固定する。
その上に、鉄の車輪で蒸気機関で動く巨大な車を走らせる。従来の車よりはるかに多い、船に近い大量の物資を、船以上の高速で陸上を走らせることができる。
その道の整備、特に急な山などを横穴で貫通し、また橋を架ける技術が鉱山や運河の技術から応用されたことも重要だ。
大量の良質の鉄を生産できること、また鉄や木材を道に放りだしておいても盗まれる心配がないだけの治安、そして鉄道建設に必要な膨大な労働力を集められること、精密な測量などの背景技術も必要。
この鉄道は帆船や従来の土の上を走る車と違い、風が止もうが雨が降ろうが天気に関係なく同じ時間に届くことを可能にした。これは近代文明における時間の厳密な管理とも深く関係する。
そして石油の時代になって、二つのより好まれる輸送技術が発達した……一つは馬車を改良し、一人から数人が乗れる車に内燃機関を積んだ自動車、そしてもう一つが空を飛ぶ飛行機だ。
自動車が可能なのは、燃料込みの内燃機関の重量・体積が人間のサイズに丁度よかったからだろう。あいにくと原子核分裂・蒸気タービンは大きすぎるし、後述する電池とモーターはどうにも弱い。西洋文明自体が、貴族や富裕層の移動手段として馬に引かせる車を好んだことも自動車の発達に関わるのだろう……日本が近代化したら別の乗り物が主流だったかもしれない。
自動車は鉄道に比べ燃費が悪いが、ちょうど経済システムの変化で富裕になった個人が所有でき、一人一人が好きなところに行ける。移動そのものが人間にとっては大きい娯楽であり、人間の欲望にとても高く適合している。後の高度情報化社会における、きわめて速いペースでの個別輸送にも最適だ。
無論そのためには、ものすごく高度な大量生産技術が発達することが必要だった。高精度の部品加工・高品質大量の鉄鋼……車の振動を抑えるためのバネや車軸の鋼と車体に使われる鉄だけで全身板金鎧と最良質の剣が数十人分はできる……とその精密加工、新金属合金加工、そしてその車輪が必要とする大量のゴム!中空の、鋼で補強された環状で内部に空気が入ったゴムがなければ鋼のバネがあっても乗れたものじゃない。
さらに細かい石を石油からできた素材でつないだ、きわめて平坦で頑丈だが巨人の目で見れば柔らかく水にも強い道路が恐ろしいほどの長さ・面積で作られていることも自動車文明には必須だ。
ついでに、その優れた道路と軽く丈夫な素材、ゴム車輪などは、人が自分の力である程度高速で移動できる個体用の車も作った。それも都市内では結構便利だが、移動手段の主流にはなってない。鉄道とうまく組み合わせ、蓄電池とモーターと帆をつけるなどして荷物容量を少し増やして薄く軽い屋根をつければ都市化された文明には結構合ってると思うけどね、燃料を消費しないし。問題は最もよい道路でなければ動かせないから、技術水準の低い地域に適さないことか。
さらについでにだが、この自動車の技術・内燃機関は移動だけでなく、別の目的にも使える……人間には出せないほど強い力で地面を掘り、大量の太い木を切り倒すことができる、ということだ。木を切るのは手で持てるサイズの内燃機関で動く鋸なんだが。それによる地球の変化も小さくない。後述の機械化農業とも深く関わるし、兵器としても大きい。
飛行機こそ、人類にとって長年の夢だった。鳥を模倣して手に板を結びつけ、高いところから飛ぼうとして死んだ人は古来どれだけいたことだろう。人類の体の筋肉は、どれほど鍛えようと鳥の巨大な筋肉には到底及ばない……飛ぶには腕で抱えることもできないほど大量の筋肉でなければならない。体の骨などの構造自体が飛ぶことには適していない。というか人類の大きさで飛べる動物自体が少ない。
布や紙、木など軽く丈夫な素材でとても広い翼を作り、それにつかまって高いところから飛び出せばある程度は飛べる。だが危険だしそれほど意味はなく、普及した技術にはならなかった。高いところから遠距離を見る利益を考えると、地面から糸で制御する翼状の遊具を大きくして人を乗せなかったのは不思議だが……多分サイズの問題で、大きいと不都合が多いんだろう。
最初に人が空を飛べたのは、丈夫な袋に火で加熱されて密度が低くなった空気を入れ、それが周囲の空気との密度差から浮力を得て浮かぶものだった。
それから、飛行機という木と布、後に金属や新素材の翼を内燃機関で飛ばす機械ができた。前にも帆や鳥の所で少し説明した、流体中に不均等な板を相対的に動かすと、上向きの力がかかることを用いる。本質的には自動車と同じだが、地面に触れていないので空気を押すために最初は回転して空気を後ろに押す羽を回転内燃機関で動かして加速する。
後には内部に蒸気タービンに似た羽を持ってその内部で燃料と混ぜた空気に圧力を加えて燃やし、熱を高速で後ろに吹きだす気体の流れにして、力学の第一法則……力は常に二つの物体の押し合うまたは引き合う力、というか一つの物はそのままだと動かないから二つに分裂して互いに強い力をかけて反対側に移動すると両方の速度と質量の積はちょうど反対になる、というわけで高速の空気の粒を後ろに飛ばすと、押した側も逆に動く。まあ試しに、この宇宙と同じ物理法則のとことん摩擦の低いところで重いものを続けざまに速く投げてみるといい、逆方向に滑っていくから。まあそんなやり方でより速く飛ぶのも手に入った。
これは船でも自動車でも不可能な、桁外れの速度での移動を可能にし、世界をとても小さくした。その超高速の大量移動も今の人類にとっては結構重要だ。でも自動車と違い、飛行機を個人で持っているのはごく少数の超金持ちだけだ。船もその点は同じだな。
また重力もかなり強いし空気の抵抗もあるから、空を飛んで移動するのは車で整備された地面を移動したり、水上を船で浮いていくのに比べて桁外れに多くのエネルギーを使うし、必要な機械も複雑だ。主な移動手段になっていないのはそれもある。
かなり最近だが、船・鉄道・自動車・飛行機を組み合わせた大規模物流で、決められた大きさの鉄の箱や荷物を置く台が重要になる。そのおかげで、恐ろしく効率的に桁外れの量の物資を輸送し、何をどこに運ぶか管理することができる。それは軍事技術としても、もしかしたら銃や飛行機に匹敵する重要なものだ。
上述の、熱された燃焼気体を一方向に吹き出す熱機関は、とうとう宇宙にすら人を進出させた。宇宙には酸素分子を含む大気がないので、酸素も一緒に持っていかなければならない。燃料あたりのエネルギー量の多い原子核分裂は大きな設備が必要で飛ぶのに適さず、核融合を使いこなせる素材が人類の手元にないのは実に残念なことだ。
はっきり言って宇宙に大量に物……特に人間とその生命維持機材という大重量を運ぶには、その燃焼熱機関は全然適していない。知られている限り一番いいと思われる方法はある種の鉄道だ。まず何であれ充分な地球から見た速度で正しい方向に動けば、それは地球の引力に引かれて落ちながらそのまま地球を一周すればずっと落ちない……それは太陽の周りを地球が、地球の周りを月が回るのと同じことだ……状態になる。しかもそれで地表と位置を変えない、つまり地球を一周する周期と地球の自転周期が一致する高さ・速度がある。その軌道に、ごく細く非常に長い……地球の直径の何倍もの長さだ……棒を地球を回るように飛ばす。棒の一端を地球に向け、長さが地表に達するようにすればいい。そうすれば鉄道と同じくそれを伝って宇宙に出て、さらに地球と反対側に質量のバランスをとるために伸ばしたもう一端は地球から見て重力より回転によって等速直線運動からずれることによる加速力のほうが強いから、そこから地球の自転をほんの少し貰って高速で別の星にも飛べる。ただし今のところ、地球でそれを作るのに必要な強度を持つ素材を大量生産するのは不可能だ。麻でも絹でも、鋼鉄でさえ弱い。ほんの少し、ごく短い長さなら炭素原子をうまく並べた物質で地球におけるその強度を持つ物質はあるが、まだそれをそれだけの長さで大量生産する技術はない。
といっても、燃焼を使う原始的な機関でも、人間が宇宙に出るには適していないが地球からすこし離れたところで地球の周りを回る機械をたくさん飛ばし、それを通じて後述の通信を行うことはできている。現在の高度情報化社会において、海底ケーブルに並ぶ重要な基礎だ。また科学調査にも活用されているし、月に密封服を着た人間を送って月面上を歩くことや、ちょっとした観測機械を太陽系の外まで飛ばすこともできた。それが今のところ、人類が行った一番大きな達成じゃないかな。
人類にはより高いところ、より遠いところ、だれも行ったことがないところに行きたい、という強い欲があるんだが、それは今は出にくいな。地球上にだれも行ったことがないところ、誰も登ったことのない山などもうないに等しいし、かといって宇宙は簡単に行ける所じゃない。今は人類全体がすっかり、つい最近あれほど航海や探検に命を賭けたことも忘れて貨幣と情報の世界にうずくまってるよなあ……
あと残念ながら、地表での日光だけでは自動車・飛行機とも動かない……もっと小さいサイズならできたかもしれないが。どうしても別のところから、高密度のエネルギー源を持ち込むしかない。
**近代製鉄・新素材
上記の蒸気機関車などを作るには、不純物が少なく炭素濃度が一定の鋼を大量に造る必要がある。その技術も大きく進歩した。
耐熱素材についても知識が蓄積され、より高い温度、大量の鉄鉱石と不純物を除いた石炭を用い、それに不純物を溶けやすくするために生物由来の炭酸とカルシウムの石を加えて鉄を作る技術ができた。中でも大きいのが、非常に高い円筒状に耐熱素材で作った、酸化鉄から石炭由来の炭素に酸素を奪わせる設備と、溶けた低品質の鉄に直接空気、後には純酸素を吹きこんで不純物を酸素と化合させて一気に取り除く設備だ。
それらとできた鉄を巨大な力で精密に加工する工場を組み合わせ、さらにそれを鉄道・港湾や運河の近くに置くことによって、莫大な量の原料を入手して短時間で良質の鋼材にし、さらに鉄製品として送りだすことができるようになった。
その人類史上かつてないほど莫大な鉄は上記の鉄道・鉄船にも用いられたが、もっと大きいのが建築への応用だった。昔生きていた海の微生物の、炭酸とカルシウムの化合物を主とした固い部分が大量に海底に積もり、そのまま硬い石になった……それは大量にある。それや何種類かのケイ素化合物石や粘土を加熱して粉にし、水や小さい石と混ぜると、小さい石を強い繊維状の石で結び合わせて頑丈な塊にする。ちなみにそれは、押しつぶす力にはこれ以上ないほど強いが、引っ張る力には弱い……それを補うために鉄棒を入れることが思いつかれた。炭酸カルシウムを焼いて石と石をつなぐ技術は多くの文明にあるが、それに粘土を加えて水中でも固まるようにし、また鉄を入れて強度を補うのはヨーロッパならではだ。
それと、これまた大量生産されるようになったガラスを組み合わせた高層建築が、後にヨーロッパ近代文明の最大の特徴となる。ただしうまく作らないと熱の管理が妙なことになるという重大な欠点もあるが。
その素材の石炭、後に石油を用いた大量生産は土木建築も大規模にし、運河・港・橋・道路・鉄道・ダム・堤防なども非常に大規模なものがたくさん作られ、それがまた人類全体の運搬・生産能力を拡大していった。
それだけでなく、ヨーロッパの人々は多くの元素についても理解した。以前から魔術として、鉛を金に変え、不老不死の薬を得るための錬金術はあらゆる文明が熱心に研究し、また宗教によって厳しく弾圧されてきたが、その研究は多くの知識をもたらした。だがその知識自体は中国にもイスラム教徒の領域にもたくさんあったはずだが、それが花開いたのはなぜかヨーロッパだった。
その技術が最初に生み出したものに、複雑な形の密封環境……高度なガラス加工技術による……で加熱して液体を気体にし、物質によって違う特定の温度で液体に戻ることで取り出す技術がある。それはまず酒の中からエタノールだけを分離することができ、より強く酔う酒を造ることができた。ほかにもその技術は元素を分離したりといろいろに用いられる。
いくつかの金属元素を鋼に加えることで、錆びにくい鋼さえ作りだすことができた。まさに夢のまた夢だった。
そしてアルミニウムやチタン。酸素との結合がきわめて強く炭素や水素では離せないため簡単には利用できないが、後述の電気を用いて強引に酸素と引き離し、素材にすることができた。特にいくつかの金属と決まった割合で混ぜると、きわめて軽くて強い素材となった。それがなかったら飛行機や宇宙機が大規模に実用化されるのは難しかったろう。自動車などにとっても重要だ。
他にも新しい素材はあり、ある意味上述のゴム自体が、近代ヨーロッパが見いだした新素材だ。原産地ではそれを使いこなすほど文明が発達していなかった。
布に塗って防水布にすることから始まり、何より上述の車の車輪。他にも実に多くの用途がある。
その大量生産に、後述するプランテーションが用いられているから近代的な価値観の人間からみれば悲劇的なんだが……
何より重大な新素材が、石炭や石油から作られる、炭素や水素を中心とした生物が作る物に似た非常に大きく複雑な分子だ。まず染料がいくつか発見され、それから繊維、そして自在に加工できる木材・石材・金属に並ぶ素材へと発達していった。それらは軽く強靱で地球の微生物に食われることがなく、金属やガラスの鋳物に似た技術がより低い温度で使えてどんな形にも加工でき、染色もしやすい。ゴムなどと似た性質を持つ素材も作れるし、染料や薬品も作れる。
逆にそれを捨てたらえらいことになるんだが、それを考える人はいなかった。どこがホモ・サピエンス=ラテン語で「考える人」だ、「後先考えない」とラテン語で言った方が正確だ。
高度情報化社会になると、素材もますます進歩している。軽量強靱、非常に強い磁石などさまざまな目的に合う合金を作るため、地表にはごくわずかしかない特殊な金属元素も大量に利用されるようになる。よりよい素材を作るのも、まずあらゆる元素やその組み合わせに関する詳しい知識、そしてそれを現実化する最高温度・純度・粉末の細かさなどの高さだ。
将来新しい素材として期待されているのが、炭素原子を決まった形に組み合わせた素材だ。現在でも繊維を炭化させたものは軽量強靱な素材として用いられているし、後述する電球も最初は植物繊維を炭化させたものを用いた。
**機械・加工技術
近代文明の重要な要素に、さまざまな素材で作った物を組み合わせた複雑な道具がある。
その単純なものは上述の滑車・車などだが、それがさらに複雑になると、人間がある程度できることをより強い力でやったり、人間にはできないことができたりする。
様々なきわめて均質で強度の高い素材を、きわめて高い精度で加工し、組み合わせることが必要になる。
機械の機能は人間の体の一部や家畜の能力を模倣・拡大したようでもあるが、生物とは大きな違いがいくつかある。
まず生きた細胞ではなく、生命のない素材を加工した部品でできているため、一部が故障したらその部分を交換しなければ機能しなくなる。どこが壊れてもある程度別の部分が補い、また壊れた部分を修復する機能がある生物とは対照的だ。
多くの部品でできており、一般に部品点数が多いほど故障しやすい。
車や滑車、歯車の性質を見ればわかるように、機械の圧倒的に多くは直線・円で構成され、力は主に回転力と往復力として働く。
直線往復運動と、直線軸を中心とした回転運動の相互変換が上述の自動車をはじめあらゆる機械の核心にある。
それにはまずワインや植物油の圧搾に使われた、螺旋と歯車や歯車をばらして伸ばしたようなのを組み合わせる、特に力の増強に優れたものがある。その応用として、回る車輪と布や鎖などの長い輪になった帯が力を伝えあうのもある。
人間の肘関節のように二本の棒の端と端を角度は自由に変わるが端がくっついていることは変わらないように車と同じ構造で固定し、その一本の端を回転軸に固定したものも直線往復を回転に変換する。言いかえれば車円盤の端に別の車円盤を車軸構造で固定し、両方の円盤からも棒部分以外を削り落としたとも言える。
らせんと翼を応用して気体や液体に流れや圧力をかけるものもある。液体を重力に逆らって移動させることは本来機械の重要な目的だ。
加工・計測精度の向上は、近代の機械技術で作られた製品を以前とは根本的に違うものとした。同じ名前がついた製品はそのどの部品も極めて小さな誤差の許容範囲で合同であり、素材の性質も同じであり、全てが交換可能である。
いくつかの、同じ名前の複雑な部品でできた連発銃を全て分解して部品ごとに分け、どれがどれの部品だったかわからないように混ぜ合わせて、ランダムに必要な部品を一つ一つ集めて組み合わせたら元の銃と同じく作動した、という話は当時は大きな衝撃となった。今はそれが当たり前のことだが。
その技術の向上ときたら……道に転がっていた、最低限の食事の百分の一にも満たない貨幣価値しかない、賭博に用いられる鉄球が、それと同じ水準の物は千年前に地表の半分、数百万人を支配した支配者が命令しても作れなかっただろう、というほどだ。ましてある種の潤滑に用いられる鉄球の精度はそんなもんじゃないだろう……
特に重要な機械技術は水を上に持ち上げるポンプ、布を人間よりはるかに早く正確に織る機械、そして内燃機関など各種輸送機械、縄と同質のもので加工中製品を移動させながら加工する工場設備、そして回転を利用した加工器具だ。
水を重力に逆らって動かすのはそれこそ動物の心臓や植物さえやっていることだが、その発達は特に鉱山や灌漑農業では死活的に重要だ。従来は井戸のように器をつけた縄で水を持ち上げたり、小さな器を多数つけた装置で持ち上げたりしていたが、まずネジを使ってやや短い距離だがとびとびではなく連続的に水をくみ上げる装置ができた。また、密封された管の中で部品を動かし、大気圧を利用して水を持ち上げる技術もできた。これは高い精度の金属部品を精密に組み合わせなければ無理だ。それは同時に、ただ空気を排出することで人為的に真空状態を作り出し、大気圧の発見につながるという大きな科学進歩も生み出した科学史上もとても価値の大きい発明だ。
布を織る作業・縫う作業を機械の、単純な動きを素早く正確に繰り返せる能力を用いて大幅に加速したことが、近代の膨大な生産力の原点だった。そしてその、大金を出して機械を買い、布の作業を早くして人数を減らすという構造は近代の産業全体の基本型ともなった。
ほかは詳しくは後述する。
その素材加工自体ある程度一般化できる。
分ける
生きていたり、また地面の一部として存在していたりする物を、同じ性質を持つ素材を集めたものにする。それには単純に混じっている物から目当ての物質だけを分けたり、また原子どうしのつながりを切り離したりする技術がある。
歯で肉を死体からかみちぎることもそれだ。その発展で人間は技術を用い、いろいろなものを切り離す。
また熱も重要で、特に気体になる温度が違うことを利用したり、液体にして密度の差で分離したりする。
重力で、たとえば土が混じった水から土だけが下に落ちて溜まるのを利用し、たとえば化学変化を起こさせて、液体に溶けているものを固体にしてそのまま重力で下に溜まるようにさせることもある。さらにその働きを早くさせようと、重力を強めるのと同じことになる、容器を回転させる方法もかなり重要だ。
後述する電気を用いる方法もある。
また、大規模な土壌から生物を用いて特定の元素を分離する方法も今研究されている。
原子どうしのつながりはかなり切り離しにくいが、たとえば水に溶かす、さまざまなものと反応する酸などを加えるなどいろいろある。
つなげる・固定
これも物理的に、個体相互の位置関係を固定し、相互の運動の自由度を減らすことと、原子どうしつなげて別の分子を作ることがある。
金属などをつなげる技術をいくつか紹介しよう。
二枚の金属板を重ねて穴を開け、その穴に柔らかい金属棒を通して両端を変形させて通れなくするリベット。
それと同じようにらせん状の溝を加工した棒を入れ、その両側からその棒と同じ太さでその溝に合うように内部を加工した別の部品をつけ、回転によって棒の軸方向に動かして力を加えると、軸方向に動かそうとすると摩擦によって動かなくなるため固定できるねじ。
金属の一部を液体になるまで加熱し、その液体どうしを混ぜてから冷え固めさせて一体化する溶接。
また特定の分子……古くは革を水で加熱して出た生物の分子などから、液体から固体に変わり、それがほぼくっついた物の表面と表面の隙間を埋めていたら簡単には外せなくなる接着剤。
また形の加工自体でも、ねじを始め運動の自由度を下げることで固定することがある。
さらには、衣類などで鉤状の繊維と輪になった繊維を多数表面に並べてくっつけるベルクロや、布の縁に金属の小さな突起がたくさんついていてそれとそれを合わせて別の部品を動かすとつながるジッパーなどさえある。
一時的またはずっと、空間上での素材の位置を固定し、また回転しないようにする、またはある軸にそった回転しかしないように……要するに運動の自由度を制限する技術も重要になる。それも上記の、らせんを用いて強い圧力を出す方法が用いられる。単純に人が手の指や口でものをはさむ機能をそのまま道具にして強化したものも多い。
変形させる
従来は手の力や打撃などで行っていた変形も、水力や風力を用いることでより強い力を出すことができるようになった。ゆっくりと強い圧力を出すらせんを用いて回転運動を往復運動に、また逆に縄を引くなどして出す往復運動を回転運動に変えることで出され、まず植物、特にオリーブの実から油を絞り出す技術として発達し、それが印刷などにも応用された。
また、これも印刷にも関係するが、二つの円筒を軸に平行な一本の接線で密着させたまま双方を反対に回転させることで、薄い平面形に絞り出す技術も重要だ。その前段階としては、これは古代から細長い金属棒を加工するのに用いられる、硬い素材に穴を開けてそこに加熱して柔らかくした少し太い金属棒を強い力で通す技術がある。
より短い時間の大きな力での加工も、手で振るわれるハンマーから集団の力を紐や滑車を用いて集める技術に、さらに水力や風力を用いて巨大な質量を瞬間的に使う技術となった。特に打つ側・受ける側双方を複雑かつ精密に加工し、必要な結果の厚み分の隙間だけ空けた凹凸となるようにすると、金属板を一発で複雑な形に加工することもできる。
計測
実際のもののいろいろな面を数値化することが近代的な科学技術の根幹だ。
そして、数値化するにはまず「単位」が必要になる。その単位を統一することは、昔からも大規模な巨大群れがやっていたが、後述する大革命で人体と関係なく、地球という客観的なものから単位を作るのが「科学的」「理性的」で「善」とされ、大規模な測量事業の後に単位が制定された。今の世界の相当部分はその単位で動いている。ただし当時の技術で考えられ、地球や水を基準にした単位だから、完全に合理的とは言えない……いまの科学者だったらプランク定数と光速の比などを基準にするだろうけど、それも十年後暗黒物質の正体がわかったら見当違いだった、ってことになりかねないし、今更新しい単位を作るのはものすごいカネがかかるのでやってない。
ついでに、世界で一番強い巨大群れは、それ以外のほぼ世界全体が使ってる新しい単位を意地でも使わない。だからよそで作られた部品を輸出入すると、誤差でバカな事故が起きることもある。
計測の精度の向上も著しく、これまでうまく計測できなかった時間の計測技術も発達した。それは太陽が一番高くなった正確な時間を基準時計と比べることで航海中の経度の確定にもつながり、遠洋航海を支えた。精密な時計は後述するように近代生活の根幹ともなった。
測量技術と精密な地図製作技術も、運河を初めとする大規模な建築には必須だった。
科学史にとってもいくつかの単位の精密な計測、地球の自転が光速に加わっていない……普通の人間の生活では、速く走る馬から放つ矢は地面に止まって放つ矢より地面に止まった的にとって速いので深く刺さることと矛盾する……ことから相対論を導いたことなど計測技術は重大だし、また技術においても計測技術は計り知れない重大さを持つ。
特に回転するものは、軸がわずかでも歪むとすぐに震動してエネルギーを無駄にし、自他を破壊するんだ。小さく高速で回転するものや巨大な力を受けて回転するもの、どちらも桁外れに高い精度がなければまともに動きはしない。歯車もころをもちいた潤滑も精度が高くなければ複雑な機械はできない。
自分の文明水準を紹介する一番いい方法の一つが、その世界で作られた最高精度の硬い球と平面を持ってきて比べ合うことかもしれないな。今の私の故郷のその水準はかなり高いよ。
力を増やす
これらは手の仕事だが、力を増やすときは昔は滑車、そして上記のねじ構造もよく用いられる。また内燃機関や電動機を動力とすることで、圧倒的な力を得ることもできる。
力の伝達・分業流れ作業
重要な機械装置、いや工場施設全体のシステムとして、上述した金属の縄や液体を通す溝および管を用いる、さまざまなシステムがある。
まず上記の金属製の縄、特に輪をつなげたものや、革……後にはゴム……の、幅のある帯……薄く、やや幅もあり、その幅より長さのある直方体……を曲げてねじらず輪にしたもので遠距離にも回転力を伝えることができる。特に輪をつなげたものを適切な形に加工して運動の自由度を潰すと、突起のついた円盤と相性がよく長距離まで力を伝えることにも適する。
回転力を伝えるには突起のついた円盤をかみ合わせる方法、一本の頑丈な棒をねじる方向に使う方法などもあり、それらは主に一つの機械の内部で力を伝えるのに用いられる。
それ自体重要な技術だが、工場全体のシステムとしてはその金属の縄や、革やそれに近い素材を加工した帯を非常に長くし、それで完成前の製品を移動させつつ作業するシステムがある。一本の線に表現できる作業線に沿って物を移動させながら加工し、新しいものを追加して完成品とし、輸送路に乗せるまで一貫している。以前は物を加工するのは、主に一人の人間が一つの場所に居を据え、あちこちから材料などを取ってきては付け加えて作り上げたものだ。だがその長い帯の上に乗って移動していく作業中製品に、次々と一人一人別々の作業に習熟した作業員が、自分の担当する合同な部品の山から適当な部品を取って正しい位置につけていけば最後に完成品ができる、というシステムは従来とは桁外れの単位時間・人数での生産量をもたらした。
ポンプ・密閉管など液体の制御技術はあちこちで必要とされる液状素材を安定して供給するにも重要だが、油や空気を用いた力の伝達にも用いられる。
また金属工業・化学工業では、従来の上下水道技術の延長で、全体が密封されて流す液体や気体と反応しない円筒の表面部分にそって液体や気体、時には気流に乗った粉末状の固体も流しながら作業していくシステムができていった。石炭や鉄鉱石など塊状の素材を大量に運ぶのには上記の帯や鎖の類も用いられ、それも作業を大幅に速くしていった。
潤滑
機械は金属どうしを、時には強い力をかけて接触させながら高速で動かす。そうすると金属どうしの摩擦は熱や表面を破壊する効果になり、あっというまに機械を壊してしまう。また鋼鉄が多い部品の表面は短時間で酸素と化合し、それも故障につながる。それを防ぐために、機械のどの部品の表面も常に液で濡れている状態にすることが求められる。それには各種の油が使われる。液体が狭い隙間で高い圧力をかけられると、瞬間的にある種の固体になり、それが金属を触れあわせることなくより弱い摩擦で動かすことができるんだ。
後には石油を加工した油が用いられたが、生物由来の油も多く用いられた。特殊な場では水も用いられる。
逆に強い摩擦は加工にも用いられるし、動いている車を止めるのにも使う。
ある種の潤滑として、車のところで少し説明した球などを用いた方法も非常に重要だ。
非常に重要な機械として、上述のろくろの延長になるものをあげておく。回転する台の、中心軸をはっきりさせながら加工するものをしっかりと固定し、台ごと回転させる。それに横から、硬度が高く角度の大きい刃をあてがうと、金属でさえ自在に形作ることができる。古くから木材加工に使われてはいたが、それが近代機械加工の根本といえる。
**武器
ヨーロッパが進めた技術は、それはもう武器も軍事もものすごく発達させた。
特に大きいのが銃砲。本当は移動技術や組織作りなどのほうが大きいんだが。
といっても、羅針盤や紙同様、これまた最初に作ったのはユーラシア東だ。
銃砲は一種の熱機関だ。要するに軸方向に穴を開けた円筒の、穴の一方をふさいだものを用意する。そのふさがれた壁のほうに酸素供給がなくても酸素原子もくっついていて、高熱や衝撃を受けると急に燃えて大量の気体になるものを入れる。それを開いている穴の方向から、密度が高い塊を入れてそれでふさぐ。それでその燃える物に点火すると、その燃焼で出るものすごい熱によって、それが大量の気体、狭い体積に押し込まれた高圧の気体になる。その圧力は、あらゆる方向に均等にかかるが、円筒とその後ろ端がふさがれていて、塊だけが強い力が加わればかろうじて動ける。だから塊は強い力で加速されて、その円筒の軸方向に飛び出す。
それでできる速度は、人間のスケールにしてはきわめて速く、大気中で音が伝わる速度の数倍にはなる。そのような速度だと、指先程度の小さな金属の塊が、革鎧と服で守られた人間の体を貫き、そのときに強い圧力で体内を広い範囲で破壊することさえできる。その塊を人が投げても痛いだけだが。ちなみにその塊の素材には鉛が最適だ、密度が高く柔らかく安価で強い力がかかると滑りさえする。
同時に炎も出るため光と大きな音が出る。また基本的には「一つのものが二つに分かれて互いに力をおよぼし、双方が加速する」だから筒のほうも加速される。その力をどうにかするシステムも重要だ。
そうそう、その燃える物は、一番最初に作られたのは窒素と酸素が作る酸とカリウムなどが結びついたもの・木炭・硫黄の粉だ。実を言えばそれって最良の肥料なんだ、苦笑することに。元々酸素が入っているから、閉じ込められて空気と接しなくても燃えることができる。それは火を使う必要もなく、強い衝撃などでも点火でき、逆に危険でもある。
だから実を言うと、筒の後ろは溶接などで外せないようにふさいではならない。ねじなどで簡単に外せるようにするんだ。
木炭は森の木を半ば埋めて燃やせば得られるし、硫黄は火山周辺で得られる。窒素と酸素の酸とカリウムなどのものは、人間や家畜の尿に含まれる窒素を含む分子を用いて生活してついでに窒素と酸素の酸を作る微生物が土の中にいるので、尿を捨てる場の近くの土を加工したりして得ることもできる。海鳥の糞が積もったりして鉱山レベルで得られるところもある。
後にはもっと様々な、同様に使えるものが作られた。
それが基本で、いくつかの改良があった。それにはもちろん、その筒を作るための金属精錬・加工の技術が背景にある。
まず大きさ。大きいのを車に積んでいくか、または小さいのを人が持って運ぶか。
そしてその筒を、飛ばす塊と燃える物が入っている部分だけと、それを入れる長い筒に分けて、短い時間で続けて使えるように。長い筒の内部にねじ溝を刻み、飛ばす塊を回転させることでより遠くに飛ばせるように。飛ばす塊の内部にさらに下記の爆発物などを入れる。他にも実にいろいろある。
実を言えば、それは威力自体はかなり後まで弓矢より低かった。でも、その大きな音が、特に銃と初めて接する人々には圧倒的な恐怖を感じさせ、それを持つヨーロッパ人を神だと思わせて容易に服従させる効果があり、ヨーロッパ人が船で地球各地に進出した時代にきわめて有効だった。また機械技術で続けて使えるようになると、それは多数の槍と弓矢しか持たない非ヨーロッパ人の軍を簡単に皆殺しにできるようにもなった。
砲と呼ばれる大型のものは、それまで無敵だった石垣城壁を簡単に破壊でき、かなり戦法と世界の勢力図を書き換えた。
また、燃えて高圧の気体になる現象は銃以外にも用いられる。その周囲を密封し、敵のところに飛ばすか何かして敵のところに着いたら爆発するようにすると、密封している周囲の固い素材が圧力に耐えられず破壊され、それは複雑で多くの鋭利な刃を含む破片となって高速で周囲に飛び、人間を殺傷する。さらにその圧力によるきわめて強い風は建物を倒し、その残る熱は物を燃やすこともできる。
ちなみにその、燃えて高圧の気体になる現象は土木・鉱業にも重要だ。頑丈な岩を破壊する、しばしば唯一の手段になる。ちなみにそちらに有効なものは、燃えるのが伝わる速度が音速を超え、普通に火をつけただけでは燃えるだけとかややこしい区別がある。
さらに、その大量の熱が高圧の気体になり、それが物を破壊するものが新しい技術で進化したのが核兵器だ。
鉄より多くの陽子と中性子からなる密度が高い物質の原子核は、分かれてより少ない陽子でできたものになりたがる。そのときには大量のエネルギーを持つ光や加速された中性子など様々な素粒子をついでに出すことがある。
その中で、分裂と同時に高速の中性子を出してその中性子が別の、放っておけば崩壊する確率が低い同じ素材の原子核にぶつかってそれを崩壊させ、をずっと繰り返させれば、一気に大量のその素材の原子核が崩壊し、原子どうしの結合による燃焼などとは桁外れの熱を出す。
また、水素などごく少ない陽子と中性子からなる物質を、きわめて高い温度と圧力においても太陽の中心と同じことになってこれまた桁外れの熱を出す。
それを、上の「燃えて高圧の気体になる」と同じように扱うと、それこそとんでもない威力になる。強力すぎて実戦では二回しか使われてないが、それぞれ一発で数十万人の住む都市を完全に破壊し、十万人以上の死者を出した。さらにたちが悪いのは、それは密度が高い方の元素を用いたものだったし反応させる技術も非常に低いものなので、その燃え残りなどがばらまかれた。それ自体が普通の原子どうしの結合でも毒だし、またその原子が自然に核崩壊して出す非常に波長が短い光や高速の素粒子も人体を作る分子のつながりを変えたりするから多くのやっかいな病気を引き起こしたりもした。それがあるから残念ながら、それで運河を掘ったりはできない。
というか今は、何十億人もいる人間一人あたり、人間の何百倍もの大きさの頑丈な岩を粉々にできるだけのエネルギーでそれが作られている。なんというか、それが大量に作られてから五十年間、人類が滅びずにすんでいることが不思議でならない。今このとき、地球の主要都市全部が破壊され尽くしても全く不思議じゃない。バカとでも何とでも言ってくれ。
船・車・飛行機など移動技術や建築土木技術の改良も、即座に軍事技術に転用された。実際にはそちらのほうがずっと軍事力としては大きい。特に大量の食料や武器を生産し、高速で輸送することは圧倒的な軍事力になる。
あと主力にはなっていないが、人間にとって有害な物質や、伝染病の病原微生物を作ってそれをばらまくのも兵器として使える。本当は家畜や作物に対してそういう害があるのも同じような効果があるんだろうが。
***徴兵
「巨大群れが大規模に戦うために大人数を集める」システム自体が大きく変わり、それは社会構造にはかりしれない影響をもたらした。
歴史から見ると、その巨大群れの性質によってもいろいろと変わる。多数の比較的大きい群れがゆるやかにつながっている形や、単独の家系に全員が厳しく統制されている巨大群れなどもあり、地域や時期、生活様式によってとても多様だ。
普通はどの群れも、まず自分の群れが攻撃されたら反撃することが中心だが、自分を含む大きい群れやその外さまざまな理由で、命令されたら戦力や労働力を提供することに決まっている相手がある。
また巨大群れが崩壊している時期などは、とにかく食わせてくれる、強い、神の子だといっている、逆らったら皆殺しにされるなどで力がある存在に従って戦力・労働力としての若い雄や、時には性欲を満たしたり衣類を織ったりするための若い雌、家畜などを提供することも多くある。
さらに金銭を得て生活するための仕事として戦闘を行う群れも多くある。
戦闘に従事する、特に馬に乗る、剣の所持などがそれ自体特別な許可が必要とされる上級の身分と同じことである、という地域もいくつもある。その身分は政治的な役割も果たし、後には戦闘を指揮する身分となった。
だが「革命」前後から、巨大群れの性質が大きく変わった。それまでの巨大群れの範囲よりもかなり大きい地域全体が自分たちを国家と呼んである種の擬人化操作を行い、文化などを共有する同じようなヨーロッパおよびアメリカである地域を国家として互いに承認し、その地域内のいくつもの群れを否定して一つの群れだと主張し、全員がその群れを守るため、そして後述する自由・平等という価値……事実上の新しい宗教……のために戦え、と叫んで全員で戦うことが制度化された。価値に対する愛、そして国家に対する愛を全員に強要し、そのために戦うというのがその後の世界で中心的なことになった。ヨーロッパの地勢上、どうしても統一大帝国が出なかったことから、いくつも宗教さえ違うが共通点がある国々が互いの存在と独立を認め合うしかなくなった。そしてその国家は、後に世界中のあらゆる群れが目標とするようになった。まあ世界を征服しほかの群れ全部皆殺しにすることの次善だが。
それまでの、全員について知ることができ、繁殖関係もわかっているような比較的小さい群れが自衛するためとか、宗教的な理由でかなり広い地域全体の、特に生まれた地で農業をやっていても豊かに暮らせそうにない人々が駆り立てられてとかとはかなり違う。
きわめて広い範囲から多くの人を集め、戦い方を訓練して戦わせる方法は、銃器や船の発達やよい指導者が出たこともあり戦争でも圧倒的な強さを誇った。それ以来その戦い方が多くの欧米諸国に広がり、また他の地域の人が西洋文明を真似ようとするときもまず真似をした。
具体的には、国家に属する全員の名前・性別・生年月日・婚姻親子関係を一つの書類に記入……それ自体は以前のキリスト教における教会による管理があり、東の島国でも近代化前から同様のことをしている……し、雄が十八から二十の決められた年齢になったら、抽選で一部または全員を暮らしている家庭・地域・仕事・学校から決められた地域に集まって戦闘群れに参加することを法的に強要する。
そこでかなりの長期間共同生活をし、上位者への絶対服従、近代的な時間に従う生活、生活習慣、近代的な銃の扱い方など戦争の方法を学ぶことになる。それはすぐわかる合理的なものだけではなく、要するに服従を徹底させるために、非常に細かな体の使い方について細かい規則で決められ、それに従わなければならない。一例をいえば通常の礼儀作法とは異なる敬意の表現がある。
そこでは食料・水・衣類・住居などが国家自体によって用意されることが多いのも特色といえる。それ以前は、戦争に行くときには自分の食物は自分で持参し、持参した貨幣で買い、なくなったら敵から奪うのが当然だった。それで必要な費用が跳ね上がるし、また社会全体が貧困なら近代的軍隊が唯一食える場であることも多くなる。
服従・時間・生活習慣・特殊な作法は近代の人間の根幹を成し、工場・学校・刑務所とも大きな共通性を持つ。それらのもとは多分宗教群れの、生涯独身で多くの平信徒を導くことをせず世間からはなれて自分たちだけで暮らす特異な集団だろう。
当然そこではさまざまな地域から集まる人々が円滑に情報交換できなければならないため、言語の統一がなされることも重要だ。普通は比較的狭い地域でのみ話が通じればよく、逆にすぐ言葉が変化して、川一つ越えた向こうの村とはもうろくに口から音で話す言葉が通じない、ということもあったが、そのような地域固有の言葉が禁じられて国家全体で言葉が統一された。統一されたのは言葉だけではなく衣服、入浴や排泄の習慣、そして食べるものにまで及ぶ。その統一は情報量を減らすことにもつながる。戸別村別に作られていた発酵品の禁止・廃絶、祭りなど魔術的伝承の途絶もあるし、森林伐採や過剰な狩猟・漁業による生物種の大量絶滅もある。
それこそ「立ち、歩き、座る」やりかたさえある意味特殊な訓練で統一され、たとえば日本ではそれが小さいころから全国民に強制されたために、それまでの武器操作法や踊りが骨盤の使い方のレベルで習得困難になったり、過去を再現する劇が不完全になったりしている。
それは学校教育の仕上げでもあり、そこで近代的な戦闘技術において必須になる集団での建設や機械の操作を学ぶことは、要求される期間が終了し、解放された後の仕事にも役に立つことが多かった。
またとてつもない大人数に、人数分の食物を毎日供給し、しかもその中で微生物にやられる、製造上毒が混じる、輸送上泥や海水が入るなどで食べられなくなっているものが極めて少ない割合でなければならない、という無茶な要求をこなすためには食料や衣類、武器の生産・加工・輸送など全てについて大きな変化が求められるのも当然のことだ。
非常に多人数が統一された行動を取ることは、銃器という武器の性質とも大きく関係する。銃器に限らず遠距離に物を高速で飛ばす武器は集団で同時に用いられたり、前進と援護に分かれて相互支援したりすると別次元の威力を発揮するが、大人数が銃器を用いる戦術は特にそれが顕著に出る。
徴兵と民主主義には密接な関係があり、戦争に協力した人間集団が自分も政治に参加したい、という声は近代以降無視できないことが多く見られる。
後には技術の進歩により、比較的短期間の訓練と最低限の読み書き程度の基礎教育で扱える兵器・戦法が役立たずになり、長期間の高い教育が必要になるにつれて、徴兵による大人数戦よりも、自ら戦闘群れに入りたいと志願した人々を集めることが多くなった。
**農業革命
ヨーロッパが近代化した頃に、農業でもかなり大きな革新があった。家畜に引かせる非常に重い鉄の農具で、これまで利用できなかった土地を利用できるようになった。また製鉄は転炉・高炉以前も発達しており、より広い範囲の森を切り倒すことができるようになっていた。緑肥の利用も知られるようになり、また寒い時期も家畜を維持できる上述の発酵飼料の技術も発達した。
それには宗教群れの独身集団が知識の蓄積をある程度していたことも大きい。
その農業技術の進歩による大きな人口増も、その革命には大きな影響を与えていると思う。
そしてヨーロッパが次々と別の大陸を征服し、先住民を皆殺しにしたり奴隷にしたりして、とてつもなく広い土地を手に入れた。
特にその低緯度地方は、歴史の様々な流れによって、非常に広い地域で限られた、直接の食料ではなく近代的な産業や生活を支える作物を作ることに用いられた。それも非常に特異な、ヨーロッパ本国とは異なり奴隷制を基盤にし、奴隷制が廃止された後も強い上下関係と大面積の土地所有・市場関係者によるきわめて貧富の差が大きく知識の蓄積が少ない社会・農業構造が大陸レベルで地域を支配している。
サトウキビ・アブラヤシ・茶・コーヒー・カカオ・タバコ・ゴム・木綿・香辛料・バナナなどをその生産に適した、しばしば大陸レベルで原産でない地域に持って行き、きわめて広い地域でほぼそれだけを作る。それらが主要穀物でないことに注意するように……そこで生活する人は、その地域で作られたものを食べているわけではない。それらはヨーロッパで貨幣と交換され、工業原料として、また工業に関わって生活する都市生活者によって新しい生活に利用されることになる。その農地や農具、収穫はすべてヨーロッパ人の上層階級が手に入れ、働いている下層労働者はほとんど何も得られない構造になっている。働いている人はその貨幣で穀物を輸入したり、またはその農地のごくわずかな一部で食料栽培を許されたりしてなんとか食べることができるが、世界全体の大きな市場でその作物の価値が下がったりすると食えなくなる。時にはそれが膨大な餓死者や故郷から離れて放浪する人々を生み、また大陸レベルで破産沙汰になることもあり、戦乱にもなる。
とはいえ、それを悪とみなすのも近年の価値観の一つによる評価で、もしそれがなければ彼らは楽園だったか、といえばそれも疑問だが。特に大規模な交易用農場をやる価値もなく政治的に交易を拒否し、近代医学による人口増だけという地域の貧困は恐ろしいまでだ。逆を言えば、わずかなプランテーション以外にはそれらの地域は根本的に使い物にならないのでは?搾取なのか置いてきぼりなのか……人間は、極度に貧しい人と豊かな人がいれば、豊かな人は貧しい人から奪っていると思いたがるが、多くは豊かな人が勝手に情報を活かして豊かになり、貧しい人は別にいままで通りの生き方をしていただけ、ということもよくある。要するに二つ島があって、一方が豊かで一方が貧しいときは、一つの島からもう一つの島に富が略奪されたのか、それとも二つの島にはそれほど関係がなく一方だけが豊かになったのか、よく見るとわからなくなる。
それはヨーロッパでの生活も大きく変えている。サトウキビによる砂糖、アブラヤシによる食用油や工業油や石鹸が、それまでは非常に高価なものだったのがヨーロッパでは貧困層も手に入れられる安価な物となった。千年前の王侯貴族でも驚くような贅沢を貧困層ができるようになってしまったわけだ。
農業に近代科学技術が応用されたとき、またものすごい生産量の増大が起きた。
まず試行錯誤のシステムが組織化され、またこれはかなり後だが遺伝や遺伝子について理解されただけでも大きい。また、時代精神の変化で、それまでは魔術的な穢れとして焼き払い殺し尽くしていた「珍しい生物」をヨーロッパの貴族が珍重するようになり、それを収集し、また科学的に研究されることも増えた。後にはよく研究され、目的に応じて改良された品種がユーラシア南東部でとてつもない食糧増産に結びついた。
より大きいのが作業の機械化と肥料・農薬革命だ。
作業の機械化、内燃機関の巨大な力を井戸から水をくみ上げる、木を切って耕すなどに使えることも大きい。大きい初期投資は必要だが、うまくやればとんでもない少人数でものすごい大面積の、それまで農耕ができなかった地域での農業が可能になる。
肥料・農薬革命がまた大きい。人間が生物について理解したことで、それまで経験則でしかなかった「肥料」についても理解するようになった。
肥料として植物が必要とする元素は多様だが、特に大量に必要で効果が大きいのは窒素化合物・リン・カリウムだ。
リンとカリウムもよい鉱山が見つかり、それを機械力で大規模に掘削し、巨大鉄船と鉄道で安価に運べるようになった。
だがそれ以上に大きいのが、大気中にいくらでもある窒素を、植物が利用できる窒素化合物にする技術だ。自然界ではそれは、大気の動きによる強い電流や、土の中の多くは豆などと共生している微生物や海の微生物によるほかはない。それを、高品質の鋼と内燃機関の力で可能になった高い温度と圧力によって大気から窒素化合物を事実上いくらでも作ることができるようになった。それによる増産は桁外れだ。
豆などを緑肥として利用することが計画的に行われるようになったのも、前段階としては重要だ。
まあ、そのやりすぎで流れ出す川や海が栄養過剰になる……単にその窒素化合物が流れこむ川に、所々広く浅い部分を作ってやって、特にそれが海に流れこむ部分周辺に浅くて広い海域を作ってやればいいんだが。とことん工夫すれば港湾機能を損なわずにそうすることもできるはずだが、そこまでやるほど人間の巨大群れは賢くない。
ちなみに窒素化合物は、上述の火薬・爆薬の主原料でもある。それが実質無限に作れるようになったのは戦争の規模を拡大するのにもとても強い影響があった。
また家畜生産も、特に比較的最近は高い効率を求める経済システムに対応するため、巨大な工場に近い設備で、きわめて土地面積当たり多数の家畜を、カロリーが大きい穀物や豆など人間用の食物で、産まれてから肉にするまできわめて短期間で済ませるシステムになっている。そのシステムでは伝染病を防ぐため、医学の進歩によって得られたあらゆる薬剤を大量に投入する。また冷暖房も必要になり、もちろんそれらは膨大な化石燃料エネルギーを必要とする。家畜化の度合いが低いミツバチさえも、世界の膨大な農業生産を支えるためにも大規模に自動車で輸送され、大量の砂糖水や穀物を処理した栄養を投入されるなど不自然な生を余儀なくされている。まあ残酷で言えば過去が楽園だったわけじゃないが、ある種の価値観を持つ人間の目にはとても残酷に見える。
ついでに、今最も豊かな層では、膨大なエネルギーと大量の、可視光線には透明だが室温に熱された土などが出す波長の光は反射する素材、長距離輸送や冷蔵などを用いて、「一年中あらゆる種類の新鮮な食物が食べられる」というめちゃくちゃな状態にもしている。
人間は様々な分子を人工的に大量に作り出す技術も覚え、その中には特定の昆虫や植物を殺すが人間には無害な物も多くある。それを大量に農地にまけば、手で苦労して雑草を取ったりしなくても、従来より多くの作物が得られる。
ただし、単一の物質には、繁殖までの期間が短い小型生物や雑草は容易に複製の間違いによって死なない変異した子ができる、要するに進化で対応できる。そうなると、農薬の投入をある意味魔術的に解釈するようなバカどもはどんどん薬の量を増やしてしまう。生物が長い時間の進化で作った毒は多数の毒をまとめたものだから効果は低いが進化で適応するのが難しいんだが。
また、そのような薬がやることは単純で、上述の土壌微生物も皆殺しにしたり、作物を食べる生物を好んで食べるより大型の動物も殺したりしてしまい、生物の活動が低い質の悪い土になる。さらにやっかいなのは、それらの中には生物によって分解されにくく脂肪に溶ける分子や水銀などの元素もあり、そういうのは……要するに動物は自分の体重を増やすのに、体重増よりはるかに多くの生物を食べ、その大半を体を温めたりするのに使ってしまうから、毒だけがより濃くなる。しかも多くの微生物を食べる昆虫がいて、その昆虫をたくさん食べる蜘蛛、その蜘蛛をたくさん食べる鳥や魚……となると、最初に毒を吸収した微生物はものすごい量になり、その全部が大型動物に濃縮されるから致命的なことになる。それを食べた人間にさえも。
そしてあまりに広い範囲に一本の木もなく、一年の半分以上は草も土壌微生物もいない状態で放置される巨大な畑は風や水のせいで表面の、貴重な土が急速に失われる。
ついでに、内燃機関の巨大な力と精密に加工された新素材を用いて、地下の深いところから大量の水をくみ出す技術もできた。これも、特に本来砂漠・草原である北アメリカ中央部の巨大な平原を空前の大収量農業地帯としたなど世界全体で莫大な農業生産の増大をもたらしている。といってもその地下水は、人類の寿命の何万倍もの時間で蓄積され、多分二度と同じ場所にはたまらない、一度使ったらおしまいの再生不能資源だ。同じく再生不能に近い土壌もとんでもないペースで失われてる。それを使い切ったらどうするんだか。
今このときも世界のかなり広い面積で農地を無駄にしてる。アフリカの南などではマメ科緑肥すら知らなかったり人畜の糞尿を無駄にしたりしている。ユーラシア南方では土から塩を抜いてなかったりする。北アメリカやユーラシアの東や北西のほうは、今は収量が多いが化学肥料をやり過ぎていたり、都市や道路に農地が浪費されてたりする。北アフリカの大河ではバカなことにダムを造ってせっかく五千年農業を支えた洪水による土供給システムを台無しにしている。南アメリカなど赤道に近い地域では元々雨が多すぎるため土が薄いところで、森そのままや水田ではなく畑作をやって悲惨なことになってる。それらをちょっと正しくしてやるだけでも農業生産は二倍にはなるだろう。
人類は、アリと違って農業牧畜はへたくそだ。昔から失敗ばかりしていて、試行錯誤を知ったはずの現代人さえいまだにうまくやれてない。貨幣ばかりの経済でしかも新しく奪った大陸を耕させてる連中は、千年後も安定して収穫できることより二年間大量に収穫できれば五年もしたら永遠に何もとれなくなるほうが儲かる、なんて馬鹿無茶をやりやがる。古代文明同様塩害で死にかけてる土地だって地球の陸地の何割になるか。それに深いところの地下水がなくなったら……というか本質的に、「世界は無限だ」という前提の経済なんだ。確かに一人の人間、小さな群れの視野で見れば世界は無限に広く見えるけど、現在の数十億の人類全体から見れば地球はそろそろ人数過剰な宇宙船でしかない。
といってもここで人間は誰か悪人がいる、と誤解しやすい。悪人が世界を破壊している、という物語が好きだから。でも悪人などいない、ただ皆が一生懸命に儲けようとしているだけのことだ。
さらに極悪非道なのが、現在地球全体で作られている作物の多様性の乏しさ、さらにその多くは超多収量の一代雑種だってことだ。遺伝子的に離れてはいるが交配可能な生物に子を作らせると、多くはかなり優れた性質を持つようになる。だがその反面、繁殖能力がなかったり、自家受粉させて繁殖させた子は非常に弱かったりする。世界中の農民は、いくつかの超強力利益群れが作った種を毎年買うしかない、売った残りを少しとっておいて翌年蒔いても芽が出ないんだ! これはもう全人類の生殺与奪がごくわずかな人間に握られていると言っていい。その利益群れの気まぐれ一つで、一大陸のほぼ全員何十億人を餓死させることさえ簡単にできてしまう。よくもまあ平気で安眠してるよ。
一般論として広い農地に強力な機械と化学肥料を用いると最も大量に、量あたり少ない貨幣で食物を生産できる。そのためには最低でも鉄道網とそれに連絡する良港が必須だ。
逆に広い農地を持ってはいるが、群れの構造として高い地位にある地主の家と、それに代々従属する多数の先住民という構造が残っている地域では、一般に高い技術を用いない。また無数の、ごく狭い土地を自分で所有する農家によって構成される農業地帯は、単位広さあたりの収量は高くなるが全体としての価格は広い地域に機械を用いる農業にはかなわない。
農地の所有は繁殖関係群れにとってきわめて重要なので、その制度を変えるのは難しい。また、特に近代化など動乱期には、小規模な農家は凶作の時に高利の借金を負い、それによって土地を失って都市貧民となり、カネを貸す側が広域農家になることも多い。ただしそれに、共産主義が土地分配を求める声があるので歴史の流れに応じてややこしいことになる。
さらに水に恵まれた農地は都市にも適しているため、都市の拡大につれて農地が都市になってしまう流れもある。
さらに後述する冷蔵庫などを用いた、食物の保存技術の発展も著しい。水が固体になる温度以下ならほとんどの微生物は活動できない。また軍事のために開発された、完全に水を通さないほど密封を保ったままガラス瓶や鉄の箱、炭化水素を組み合わせた水を通さない薄い材質に極薄の金属をはさんだものに食物を入れたまま加熱する方法、さまざまな乾燥などがある。
そうそう、近代的な素材や熱機関を備えた鉄船は漁業生産も桁外れに増やしてる。それで一番早く地球自体の限界が出てきているな。
特に悪質なのが海の底を引きずる網で、それは人間が好んで食べる海の大型動物全ての子供を全滅させる。
また高価な大型魚を、より安い小型魚を大量に食わせて狭い場所で牧畜のように養殖する技術もあるが、それも大量の薬や食べ残しで海を汚染しているし、食糧になる小型魚がとれなければどうしようもない。
さらに魚が卵を産むのに必要な浅い水面を港などのために掘り下げ生物が住めなくしている。
この調子でいけば、もうすぐ世界全体で漁業は崩壊するのは間違いない。
あと巨大な海で暮らす哺乳類も人類は絶滅させかけて、最近はそれに妙にこだわってる。多分宗教的な理由だろうけど。
**電気技術・エネルギー
これもちゃんとは解説していなかったか、クーロン力はやったけど電圧電流については……一つの電子、電場の性質は前に説明した通りだが、多数の原子が集まると、その多くの電子の一部が一つ一つの原子に固定されたままではなく、動き回ることが多いものがある。それが液体の流れのようになることがあるんだ。そう言えば人間は、水の流れに関する言葉で電流を説明しているが、それも正しいのかどうかわからないな、別の世界になら別のたとえ言葉があるかもしれない。
電気の流れは、電圧とよばれる電磁気力による状態の差があり、そこに自由電子が多い電気を通す物体があれば生まれる。電圧を生みだすにはいろいろな方法がある。代表的なものの一つは化学反応の延長、もうひとつは電磁誘導。それぞれ説明すると、たとえば複数の違う元素の金属を色々溶かした水に同時に浸すと、その中で電子が一方の金属の原子に移動したがることがある。その状態のまま、水とは別に金属どうしを自由電子の多い金属などでつなぐと、そこを自由電子が移動し、結果としてその金属どうしの液中での反応が早くなることがあるんだ。最終的には両方の金属が何かで覆われたり溶けてしまったりするまで続くんだが、それまで自由電子が動かされることで金属をつないでいる金属が熱を発したりいろいろする。それは非常に秩序のレベルが高いエネルギーで、工夫次第で熱・光・運動・化学反応など色々な形で使える。また同様の現象を起こす方法に、電磁誘導を使うものがある。電場と磁場の変化が互いの変化を起こすことは説明したが、磁場の中でさっき言ったような自由電子が多い金属……導体を動かすと、その自由電子の動きは「電場が動く」ことと同じになる。だから磁場と電場を変化させ、自由電子に一定の方向の力が加わることになる。最終的にその金属が別の所でつながっていれば、流れても元の所に平行移動みたいに帰ってくるからそれをやった前後で電子を不自然に失った原子が出るとかはない。その電子を流す力は上の、二つの金属とその間の色々な物の溶液と似たような働きをするんだ。その電気の流れは、ものすごい速度で導体内を伝わるが、導体が全体としてどんなに長くても閉じた輪になっていなければ通らない。だから電圧をかけたまま、導体の一部を切り離したりつなげたりすれば、別のどこにでもオンオフのデジタル情報を高速で伝えることができる。
電圧の変化を伝える物質を長い線状に加工し、二本並べて互いにぶつからないよう電気を通さないもので覆う。一方の端で、二本の線の電位が違うようにすると、もう一方の端ではいろいろなことができる。最も適した金属は銀だが希少なため銅が用いられる。電気を用いる技術文明は鉄と同じく、高純度の銅を膨大に消費することも忘れてはならない。将来的には、超低温で一部の金属やいろいろ混ぜたものの電気抵抗がゼロになる現象があるため、それを利用したいのだが、その超低温と現在我々が生活している体温前後の環境があまりに違うため難しい。体温前後でもそうなる物質があればいちばんいいんだが……
電子の動きは水の圧力と流れによく似たエネルギーの伝達経路となり、そのエネルギーは非常に秩序のレベルが高いため、発熱・光・磁力・力・化学変化など多くのことをすることができる。また電圧波の伝播は光速ほどではないが非常に速く、情報伝達手段としてもとても有用だ。
線を用いず電波を用いた電力のやりとりは今のところ研究中。宇宙で太陽光から得たエネルギーを地表に送るのに絶対必要な技術なんだが、原理的にはできるが現実にできるかは不明だ。
発熱には、単に電気を通しにくい素材や、電気を通しやすい素材でも極端に細い線にすれば熱が出る。他にも空中放電とか渦電流とか特殊な波長の電磁波で水分子を振動させるとかいろいろある。逆に言えば、普通の電線も実はかなり熱を出し、電圧を消耗している。体温以下から、酸素と他の原子の化合では到底出ない超高温まで自在に出せる。
電気を用いて光を出す方法は一様ではない。発熱と同じように、細く非常に高い温度でも溶けない物質を、化学反応を起こさない気体の中で電気を用いて高熱にすると、加熱された素材の原子自体が光を放つ。むろん室温でも光は出しているが、人間はそれを見ていないだけのことだ。最初は植物を加熱した炭素を用いたが、後にタングステンが用いられるようになった。
他にも空気中で端を近づけると、電気が空気の原子を壊して通ってしまうこともあり、そのときも膨大な熱と光が出る。さらにそれを空気中でなく、非常に空気の圧力が小さい密封ガラス容器でやると、比較的低い電圧でも光を出せる。さらに水銀やナトリウムなどを用いればより効率的にもできる。また、後述する半導体技術を応用した発光技術もある。もちろんどれも無駄な熱がたくさん出る、それこそ熱力学第二法則だ。
上述した磁力は電場が変化すれば、つまり電気が導線中を流れる量を変動させれば起こすことができる。電気を用いた磁石も結構使われる。非常に強力な磁石は、電気を使うのも使わないのも技術水準の底上げにものすごく重要だ。今の水準から桁外れに強力な磁石ができたとしたら、それは核融合の実用化すら可能にするかもしれないんだ。
そして変動する電流は、一度磁場の変化にしてまた電場の変化にすることによって、電圧などをほぼ自由に変動させることもできるし、また電力による磁力を利用して、大量の銅と鉄を用いるが軸を回転させる装置がある。これはきわめて広い範囲で、多くの機械の動力に使われる。
その力を用いた、とても面白い装置が冷蔵庫だ。熱力学第二法則からいっても、加熱するのは簡単だが冷やすのは難しい。その技術ができるまでは、ものを冷やす方法は制限されていた。まず地下水が体温よりかなり低い一定の温度であることを利用して地下水を用いるか風を起こして水を蒸発させるか。水が固体になる温度を得るには、それも温度が年間・日間大きく変動して水が固体になる地域で、固体の水を寒い時期に取り出して地下に入れ、さらに周囲を穀物の藁や殻など断熱材で覆い、暑い季節にも少し融け残っているのを用いるか、高い山などからその方法で運ぶかしかなく、当然とてつもなく高価なものだった。だが熱力学の研究が進み気圧を制御するポンプや密封された管の技術も進むことで、機械的な力を用い、熱のほとんどを大気を少し暖めることに使うことで、部分的に周囲の気温より低い状態を作り出すことが可能になった。もちろん熱量保存則によって熱を逃がす大気を含めれば温度は変わらないし、熱力学第二法則で発電所も含めれば全体は無秩序になっている。この技術は贅沢な層の生活を快適にするだけでなく、肉・魚・果物・薬などを腐りにくい温度で保存することでさまざまな食物の長期保存・大陸間輸送を可能にし、それは世界各地での農業牧畜漁業の桁外れの成長・きわめて多い人数の人間の栄養状態の大きな改善に結びついた。
電気によって起こせる化学変化も実に多い。原子は電子と原子核という反対の電荷を持つ素粒子でできていて、原子の結合の多くで電気の力が用いられている。だから電気によってそれを引き離したり強引に結びつけたりもできる。アルミニウムやチタンは電気を用いなければ事実上酸素から引き離すことができない。逆に電気や磁気を調べることによる分析も非常に有用だ。
単純な情報伝達は、上記の電位差~導線~使用部~導線~元の電位差の回路が一部でも切れたら使用部が電気を使えなくなることを利用すればいい。つまり導線の途中に、意図的につないだりはずしたりできる部分を作っておき、使用部は「電気がつながっている」「はずれている」を検出するものにすれば、少なくとも0と1というか2進数情報なら長距離まで高速で送れる。後に説明する情報革命でも、海底ケーブル網の重要性は結構大きい。初期は時間で、長い・短い・空白の三つで表現される信号が使われていた。
もちろんそれは、機械としての制御にも用いられる。電気文明には、電気を通すものだけでなく、電気を通さないものも非常に重要だ。もしものすごく電気を通さない素材があれば、それも文明にとって価値の高い素材になる。というか人類が電気文明を作ることができたのも、空気が電気をかなり通さないからだ。
また電波を用いる情報伝達もある。というか光を用いた情報伝達自体がそうだ。だが電気を使うことができるようになると、人間の目には見えない実に様々な波長の電波を使うことができるようになった。ちなみに、これは地球の大気の構造が、なんというかそのためにあつらえたようになっていたことも幸いした……非常に高い部分だと上に積み重なって地球の重力に引かれている空気分子が少ないし宇宙からいろいろな高エネルギーの光などがあるので、分子がばらばらになったりいろいろしているが、その中にある波長の電波をうまくはねかえして、大陸間レベルの長距離でも電波で情報を送れるようになった。
詳しくは後述するが、電線・電波で音声を伝達できるというのが最初の大きな応用だった。
その電力を得るには、実をいえば上述の電気を軸の回転力にする装置を電源から切り離し、出ている導線を電気を使う装置につないで、軸を強引に回してやればいい。回転力の利用は、それこそ風車や水車の時代から人間にとってはお手の物だ。現実にダムを用いた水車による発電はもっとも下記の評価基準では評価が高く、電気文明の初期は多くの地域で水力発電が主になる。
これからの世界では、燃料を用いないでいい風車による発電を主にすべきだともいわれている。
蒸気機関車や蒸気船と同様、火というか熱さえあれば蒸気タービンで電気を得られる。
もちろん木を使っていたら足りないから石炭、そして後に石油や地中から出るメタンなどを燃やすようになった。人類全体ではこれが圧倒的に重要だ。
火の替わりに陽子や中性子が多く不安定な原子核を持つ元素が核分裂をして出す熱を利用する原子力発電も実用化されている、といっても核分裂をする物質は生物にとって危険だから問題が多いが。核融合はまだ実用化されておらず、絶対に不可能だという人もいる。
太陽光発電は下記の、半導体技術を用いて日光から電気へのエネルギー転換を用いる技術だ。
本質的には植物が光合成で日光のエネルギーを用いて水や二酸化炭素の原子を組み替えているのに似ている。というか植物を燃やしてエネルギーにするのもある意味太陽光発電だな。
それらの発電手段の評価として、あるエネルギーを発電するために、どれだけのエネルギーが燃料・施設建設資材などで使われるかと、そのまま永続できるかがある。人間にとっては評価は総合的にカネにまず換算されるが、それにはその群れの政治力が関わるためはっきり言っていいかげんだ。水力発電が圧倒的に優れているが、地形の制約がある。
その発電所から、少なくとも都市部のいたるところに電線で電気が通じ、今の地球で最も豊かな生活をしている人々の巣などの壁にある穴からたくさんのエネルギーを取り出すことができる、というのが今の我々の生活のいちばん面白いところだ。
電気の力を、発電所から離れた小さい機材で用いる技術も発達している。もちろん内燃機関と軸回転発電機でもいいが、それを人間の指ぐらいの大きさにするのはちょっと無理だ。
だが電流が発見されるきっかけになった技術、金属原子の電気的な性質が元素ごとに違うことを利用した電位差は、非常に小さくしても二つの金属を電気を少し通す液体っぽいもので隔てるだけで起こせるから、相当小さくできる。
使い捨てのものもあるし、逆に電気を流してやってまた電気を出す能を回復させられるものもある。
これから電気自動車ができるかどうかは、その回復できる電気を出す装置の性能に大きく依存している。逆に言えば、我々の宇宙に存在し、人類が地表で簡単に手に入れられる物質ではそんなに強力なものができなかったから、今走っている車のほとんどは電気自動車じゃなくて内燃機関自動車なんだ。その制約はどこまで本質的なんだろうな。
前に言った、電気抵抗がゼロになる現象や、ごく薄い真空や全く電気を通さないものを電気を通すものではさんだ装置も発達すれば大量の電気エネルギーを持ち運べるともいわれているけど。
**半導体・情報革命
他の条件によって、電気を通したり通さなかったりする物質がある。それは非常に小さい回路をつないだりはずしたりする器具にできるし、他にもいろいろなことができる。超高純度のシリコンやゲルマニウムなどに適切に不純物を混ぜることによって、必要な性質にできる。
それを作るのには超高純度の単元素物質精製技術、高精度加工技術……印刷技術さえ応用される……など技術全体の底が高いこと、それらのものや非常に小さい領域での電気の動きを理解するために、極微の世界を支配する量子力学が理解されていることなどが必要になる。
ちなみにそれは応用として、光を電力に転換する太陽光発電や、逆に電気から少ない熱で効率よく光を出すこともできる。他にも冷却とかもっといろいろできるはずだ。
そのスイッチはそのまま0と1の二進法になり、さらにそれを数学的な論理にあてはめることによって、計算をはじめとした情報の処理……人間がしている思考にも近いことをさせることが可能となった。
超高速の計算自体近代社会にとって非常に重要だ。具体的にはまず大きな銃の弾丸がどう飛ぶか……それこそ海を越えて別の大陸に着弾するものまでいくし、建築物や船の強度、天体の厳密な動き、新しい素材や薬物の分子レベルの設計、核分裂爆弾に必要な複雑な爆薬の精密な配置などあらゆる科学で決定的に重要になる。
その二進法による計算そのものは、原理的には歯車と紐や水流でもできるが、人間が扱える素材で実用になるのは電気を用いる方法だけだった。歯車などでやろうとすると単純な計算にもとてつもなく巨大で、あまりに多数の壊れやすい部品のどれ一つが壊れても使い物にならず、膨大な熱を逃がす手段がないので実用にならなくなる。
もちろんそれを可能にする、数学自体の発展……ある手順を繰り返せばそれだけで正解が得られる、0と1だけで描けてさらに最も短いシステムができていったことも必要だった。
その最初の応用は、ごく弱い電力でしかない電波による信号を、信号の情報を保ったままより強い電力にすることだった。
まず電話について解説しようか。音は大気圧の変化であり、つまりどの時点でどれぐらいの圧力かという一次元の情報にできる。それから磁石を利用して電圧を作ればその電圧の変動は圧力の変動に対応している。その電圧をそのまま電線を通して送り、電線の向こう側ではその電圧を電気的な力や電気を用いる磁力にし、その力で板を押せば、その板から出る振動は元の音と一致している。
それは電線だけでなく電波をはさんでも本質的には変わらないし、近年は光の波長、さらに短い波長でより高密度の情報を伝え、また保存する技術が発達している。
さらに圧力と時間の関係を直接伝えるのではなく、短い時間で時間を分割、その分割された一つの時間での平均的な圧力を送ればごく少ない、0と1の二進法で管理できる情報にできる。それは人間の能力では連続した変化と区別できない。
その情報を変えないまま強くしてやる必要はある。それを可能にするのが別に電圧をかけられると電気を通しやすくなるものだ。
ただし、0と1の二進法を処理して計算を行うシステムに電気と高純度シリコンが必須というわけではない。はっきりとわけられる二つの状態と、その状態から別の部分に情報を伝達するものさえあればいい。糸と木でも、水と管でも作れるし、現に生物の神経細胞や単細胞生物の一部はそれをやっている。電気抵抗がゼロになる現象を用いれば高純度シリコンより優れたものが作れるともいわれているし、他にも量子力学上の現象、DNA自体を用いたものなどいろいろ提唱されてはいる。
**マスメディア(情報を大人数に伝える技術)
情報自体は、ヨーロッパ文明において電気技術が発達する以前から印刷・製紙や筆記用具の発展という形で大きく発展していた。各国で自分が普段使う言葉を書くようになり、また数を書く方法がよりわかりやすくなった。
多数の人間に対して同一の情報を伝えるシステム自体は昔からあった。
●群れの中で踊る……動きがはっきり見える範囲、一瞬で消える。
●群れの真ん中で大声で物語る……人間の声が届く範囲、せいぜい数百人にしか届かず一瞬で消える。
●巨大な像や建物を造る……膨大な人数がきわめて長期間見ることができる。費用がかかり比較的単純な象徴的な情報のみ。
●文字で書く……手で持てる大きさだと、一度に数人しか見ることはできない。長期間使える。識字者にしか伝わらない。
●文字を建築の装飾にする……情報量がかなり多く、膨大な人数が長期間見ることができる。膨大な費用がかかり変更が困難。識字者にしか伝わらないが、図像を併用することである程度非識字者にも伝えられる。
●文字で書いた文書を各地の文字を読める人に送り、文字を読める人が声に出して読む……かなり広い面積・多くの人に伝わるが、文書の手書き複製・輸送・各地に命令に従う識字者を生活させるコストなどがかかる。地方の伝達者が情報をゆがめるリスクもある。
それが印刷技術と安価な紙によって、膨大な人数に同じ内容の、それも大量の言語情報を伝えることができるようになった。またそれは、より多くの子どもに文字の読み書きを教えるのにも有用であり、それがより豊かな世界となり、その豊かさがより多くの読み書きできる子どもにつながるという好循環も起こした。
その条件自体はユーラシア東側でもある程度整っていたんだが……
その印刷は、長期間読まれる本だけでなく、毎日・毎週などより短い周期で新しい情報を届けるのにも用いられるようになった。
それが社会に与えた影響は計り知れない。きわめて多くの人間が同じ、しかも最新の情報を得ることができる。
人が主に知りたい情報はまず戦争、犯罪、そして貴族や俳優など多くの人に美貌や地位の高さで注目されている人の恋愛や性的犯罪についての覗き見だ。物語を文章表現したものなどもかなり好まれる。
下で述べる視聴覚情報を含め、情報を多数の人に伝達する方法ができたことで、非常に多くの人からなる社会が一体感を持つようになったり、また一つの情報が瞬時に全体に広がり、群れの多数の価値観が変わってある目的のために行動したりすることが多くなった。
さまざまな製品を作る人々や多くの芸術家たち、そしてさまざまな宗教群れや自覚せず宗教をやっている人たち、さらに国そのものなどが「自分の発信する情報を多くの人に見て欲しい」と情報関係の資源……情報技術が発達すれば、「見る人の時間」という最後の希少資源を争っているというのが近代の本質でもあるか。
***広告
そしてマスメディアの重要な側面として、利益を得るために行われる広告がある。
特に都市部では、たとえば同じ葡萄酒でも、たくさんの人が作って売っている。どうすれば多くの人に買ってもらえて多くのカネが得られるだろうか?
もっとおいしい物を作れば、飲んだ人が別の人にうまかったと伝え、そのいい評判が広がればたくさんの人が買うだろう。
宗教・軍事・政治群れに認められれば……うまく最上位者に飲ませて気に入ってもらったり、または群れを動かす人に賄賂を渡してその群れではその人が造った酒しか飲まない、としてもいい。
暴力的な群れを組織して同業者を潰すのもありだが、それは国家内部の暴力を嫌う国家自体によって犯罪とされるリスクがある。
もう一つ、印象の強い絵・言葉・音楽・装飾などで、通りがかりの人に印象づける方法もある。人に注目されるというのは群れ内での支配・魔術でも重要だが、多くの同業者の中から何を買うかについても決定的な力がある。
大量生産による厖大な生産物を売りさばくには、あちこちにある店に輸送する技術と、多くの人に訴える広告の技術が必須といえる。
その広告の中でも、マスメディアを、まして視聴覚情報を用いる物はすさまじいまでの力があり、莫大なカネを動かす。
マスメディアの中での多くの文化は、その広告を財源としているものが多いほどだ。
***視聴覚情報技術
見たものは、昔から絵にして情報を送ることはできていた。
音はある意味どうしようもなかった。
比較的最近は印刷技術の進歩によって、かなり安価に絵そのものを印刷して売ることができるようになった。
文字と絵をうまく組み合わせたメディアも重要だ。昔は文字が読める人などごくわずかだったから、特に宗教群れが人々に教えを伝えるのにも絵が用いられていた。
近代的な印刷以前にも、たとえば木の板に刃物で溝などを掘って絵を描いたり、金属の表面に塗料を塗って針を筆代わりに描線部分だけ塗料を削ってそこだけ錆びさせたりし、それを印刷するように用いて同じ絵をたくさん作ることができた。
電気技術が発達すると、音や絵も0と1で表現される情報にして記録・加工・遠距離通信ができるようになった。
先行して発達した技術が、光・音双方における情報記録技術だ。
まず光については、分子が光にあたると変化する性質を利用し、さまざまな素材を試して銀の化合物のごく小さい粒を薄く薄板に塗り、それに光を当てることで当たった時の陰影差を保存し、また見ることができるようにする、さらに同じ光情報を持つ薄板をたくさん複製したり、さらにはそれを色点の密度で近似して印刷したりする技術ができた。
また、それをごく短い時間ごと多数同じ方向から来る光を記録し、それをすばやく次々に見せると……動くものは少しずつ変化する静止画の並びになる……人間の認識能力ではそれを実際に物が動いているのを見ている状態と区別がつかない。それを利用して、多くのいろいろな時間や場所にいる人に、たとえばある場所で人が斬りあっていたりするのを「そのまま見せる」ことができるようにもなった。
より多くの人にその像や動く像を見せるには、決められた色の光だけを吸収し残りはそのまま通してしまうような素材にその像を写し、それを通した強い光を布などの白い面に当てれば大きいのが簡単に得られる。
また、音を保存する技術も前後して見つかった。音は振動であり、圧力の変化だから、その圧力を検知してそれを、ある直線を通る溝の深さにし、その溝を鋳型にしてより丈夫な素材に移して固定すれば保存・複製できる。その複製の一つに、尖った棒で溝の深さを計らせそれを機械的な圧力にすれば再生できる。さらに上記の、電気的な増幅技術を用いれば大音量でも再生できる。その溝を直線ではなく、円盤状の板にらせん状に配置してやれば、携帯しやすい円盤として保存することもできる。
その技術が集まったのが映画だ……昔の劇と同じような場を作って暗くし、人が演じる舞台のかわりに布などで壁を作り、それに上記の光で動く絵を出してやる。最初は音はなかったが、後には電気的に増幅された上の音の複製を同時に流し、完全に人の動きと言葉と、更に音楽まであわせて演じさせることができた。
これらの技術は当然、それまでの娯楽であった劇や音楽のように、見る人の近く、同じ時間帯にいる人による演技演奏設備を必須とさせなくなったことも当然だ。それによって、それまで街の飲食店や金持ちの食卓にも演奏家が必要とされていたのが変化し、同じ音楽があらゆるところで聴けるようになったわけで、それがどんな影響を社会に与えたか想像もできない。逆に新しく、それに関する技術者や俳優などの仕事を作ったのも当然のことだ。
さらに、光があたることを電気の有無にする素材ができたこと、伝記情報処理技術の発展により、光と音の情報を容易に電子情報として保存・複製・電送することができるようになった。
書類を、色のついた汚れさえも一枚の絵として、電気力で紙にくっついて加熱によって定着する粉末状塗料によって同じ絵を瞬時に大量生産できるし、その途中の電線を電話線に乗せることで遠くに絵を送ることもできるようになった。
紙の中の決められた座標に小さな色を載せるかどうか、さらにその大きさか密度も制御できるとしたら、それだけで濃淡による絵をそのまま送ることができる。また人間の目は本来連続的な色情報を三つの色の混合とすることもできるので、原理的には三色の点を別々に印刷できれば色のついた絵を情報化・印刷することもできる。実際には明晰な像を得るには光がない状態である黒と特殊な赤も必要とされるが。
映画の映写も、従来の印画紙に光を当てる方法だけでなく比較的小型化することに成功した。最初に普及したのが、真空管の中で高速に加速した電子を発射し、それが特殊な物質を塗ったガラス面に当たった時に反対側に特定の色の光を発する事を利用し、その電子を電磁場で曲げながら下で言うように面を走査する方法だ。その後はデジタルにより適した、より薄く軽い技術を求める競争が起きている。
さらにその電気の有無を情報として考えることにより、劣化しないデジタル情報として扱うこともできている。そのデジタル情報は本質的に無限に複製しても劣化しないし、容易に修正が可能だ。
ただし二次元で連続的な光の波長からなる情報である画像を情報とするには、限られた範囲で光を受け、その受けた範囲を非常に細かく格子状に分割し、その格子を最上段を右から順に、それが終ったらその下の段……と走査して情報とし、その一つ一つについて上記の三つの色の検出器をつけるほかない。その格子の数、そして動くように見える映像の場合には記録する時間と一枚記録してから次までの極短い時間で出る膨大な数、ととにかく膨大な情報量になる。
それは演劇同様に芸術と娯楽の両面がある情報商品となる。
娯楽としては人間が絵や音声、文章による物語だけでも性欲や攻撃欲をある程度満たすことができ、それを描いた情報そのものを求めるようになり、それが高額で多くの人に売れるようにもなった。もちろんそれは文章や単純な絵の時代からもあり、それは売春と同等視され性を嫌う宗教道徳により禁じられることが多い。
また視聴覚情報を情報として読み取るシステムは、まだ発展途上だがさまざまな応用がある。聴覚だけでも、たとえば機械が動いている音を別の機械に聞かせて読み取らせ、平常運転時にはしない音がしたら修理の必要を人間に告げることが可能だ。
**観測・測定機器
ものを見る技術の進歩、目の拡張も重要だ。
それにまず用いられたのがレンズ。特殊な曲面でできた、光を通す材質でできた板。具体的に主に用いられたのはガラスだ。
物質には光を通すものも通さないものもあり、跳ね返したり色を変えたり色々する。水も空気も質のいいガラスも人間が見る光を通すが、水と空気、空気とガラスなどの境界で、光が進む角度が変わる。ガラスを適切な曲面にすれば、光を集中させられる。
ガラスの加工技術の向上で、その特殊な形を作ることもできるようになった。といっても本来なら、少量の水が何かの表面についたときとか、偶然流水の中で削られた硬く光を通す石などがそれができるようになっただろうし、人間が見る光を通す柔らかかったり水で溶けたりする石は結構あるから、ある程度は知られていたのだろうが……なぜもっと昔から利用されていなかったのかは知らない。
単独でも薄いのを目とちょうどいい距離に固定すれば、うまく物を見ることができなくなる症状の一部ならまたよく見えるようにできる。
さらに二つうまく組み合わせれば、目が極端によくなったように、または遠くに自分が行ったように、非常に離れ普通にはぼんやりとしか見えない場所をすぐ近くにあるように見ることができる。
また別の組み合わせ方では、人間の目ではぼやけてしまって細かく見ることができない非常に小さいものを見ることができる。
どちらも非常に多くの発見をもたらした……残念ながら人間の愚かしさにより、それを「今まで知らなかったことを知る」「利益を得るため」に用いたのはかなり遅くなってからだが。
遠くのものを見ることで、軍事的な有用性はもちろんだが、天文学が飛躍的に進歩した。大きなガス惑星の衛星を見ることもできるようになるなど、物理学が決定的に進歩する最大の要因となった。
小さいものは、目で見えない微生物を見ることができるようになり、それは近代医学の進歩に大きな役割を果たした。
他にもより小さい加工精度を確認したり、岩石の結晶構造を見たりすることもできるようになった。
また光そのものを、波長ごとに分けて見ることもできるようになった。元素の種類によって放つ電磁波の波長が違うから、遠い恒星の成分を分析したり、また高熱で溶けている金属の温度を厳密に測定したりもできるようになった。さらに人間が見ることができる限度を越えた、非常に短い波長の電磁波は、物を透かして見たりすることもできるようになった。
より小さいものを、またはより遠くを見たい、という近代文明の情熱は非常に強く、それはそのままあらゆる機器の精度・素材の純度など科学技術水準の向上に結びついている。
より小さいものを見たい、というのはそのまま、波長が短いほど一つの波が持つエネルギーが大きいという性質があるため、とにかくよりエネルギーが大きい超短波長電磁波、さらに宇宙線にあるような光速に限りなく近くまで電磁気力で加速された電子や陽子をぶつけあう実験にまで至っている。
**住居
住居の革新としては、都市部において上下水道・エネルギー・情報が普及した地域が多いことがあげられる。
後述する近代医学によって上下水道が伝染病の発生を食い止める効果が大きいことが判明したため、近代国家の多くはかなりの力を入れた。
またまず石炭を酸素を供給せずに加熱して得られる可燃性の常温で気体になる炭化水素を照明に用い、さらに上述の電気を用いるようになった。
調理・暖房用のエネルギーも従来のように薪ではなく、まず石炭を用いるようになり、その石炭を鉄製の効率のいい器具で燃やすようになり、それから石炭から得られるものや石油に付随して直接得られる可燃性の常温で気体になる炭化水素を、最終的には地中を通る管を通したり、または頑丈な鉄の容器に高圧で封じたりして供給するようになった。
電気を電線で供給すると同様に、導線に電気を通じさせて音声情報を各地につなげることができるようになった。また安価な紙・政治的な安定と良好な治安・輸送交通網の発達・情報処理技術の発達などは、従来はきわめて不安定でまれであった紙に文字を書いた情報の個人間の交換が、公的事業として国家の隅々の誰から誰へでも届くようにもなった。
地下にも、棒で支えられた空中にも、ゴムで覆われた銅線や水管などさまざまなものが張り巡らされ、また道も高度に舗装されることが多くなっている。
建築レベルでの住居そのものとしては、上述の鉄と人造岩とガラスによる建築が住居にも使われるようになったこと、またアルミニウムとガラスとゴムや合成素材を用いた、外光が大量に透過して軽く開閉でき、完全に住居を密封できる技術ができた。欠点も多いが、特に寒冷地では暖房を大幅に節約できる技術といえよう。
素材の革新は他にもさまざまな影響を与えているが、本来の可能性に比べて革新は小さい印象を受ける。やはり人工の高度な素材は高価になることや、人間の保守性は特に住居についてははなはだしいからだろうか。
また、近代以降の国家は不思議なことに、巨大建築にあまり関心を持たない。昔の文明以上に大きい建築をすることはあるが、どれも宗教でない使用目的が明確にあるものばかりで、支配者の墓などで巨大な建築を作ることは基本的にない。信教の自由という建前があるからか、それとも情報技術が違うからか……正直わからない。
***照明
近代的な生活習慣で非常に重要になるのが上述した時間を計測する装置と、光を出す機械だ。
人工的な光を豊富に使えなくては、太陽が見えなくなれば寝る習慣を捨てて機械を無駄なくずっと使い続けることはできない。
昔から人類は火を光源として使ってきた。というか事実上それしかなかった。液体の油は持ち歩きにくく危険で、ミツバチの巣や室温で溶けない動物の脂肪を用いるものは高価だった。
それがまず、海の大型哺乳類を効率的に狩猟する技術が発達し、その厖大な脂肪が用いられるようになって光のある生活が一気に身近になった。人間の一般則は、一度覚えた贅沢は簡単には捨てられないしどんどんエスカレートするというものだ……海の大型獣が減少してから、石炭を加熱して出る気体や石油、上述の電気を用いる方法で、安全かつ安価に豊かな地域の都市部全体を明るくすることが普通になった。
特に電気による照明は、巣や都市自体をほとんど汚染しない。まあ熱力学第二法則に例外はない、見えないところでより大きな無秩序は放出しているが。
都市部では人工的な光で道を常に照らすことで、闇に紛れた犯罪の多くが予防できるようになり、より安全に生活できるようにもなった。生活の安全は社会の信頼を生み、その信頼はそのまま貨幣や債券などを通じて経済システムを下支えする。
**近代医学
もっとも影響力が大きいのは医学の革新だ。端的に言えば、それまでは十人子供を産んで一人か二人生き残れば幸運だったのが、近代医学が用いられれば事実上全員が大人になるようになった。生まれた子供で生殖年齢までに死ぬ率、出産前後に雌が死ぬ率が低下した。それは家畜についても同様であることを特筆しておこう。
まず、人の死体を直接刃で切り刻み内部を見て、実験さえすることが多くなった。他の文明ではそれは魔術的・宗教的理由で厳禁されることだ。
もちろん古代文明のミイラ作りなど人体についての知識を持つ人もいたが、その知識は魔術と結び付けられて閉ざされた群れの中だけの秘密とされたが、近代文明の特徴は情報の共有・公開にある。
キリスト教も、教義から判るように神の似姿であり将来復活する死体を神聖視し、解剖して調べることは禁じていた。だが宗教改革のどさくさなどで、科学的に人間を研究することが容認されるようになってしまった。ただしキリスト教道徳の影響はまだ強くあり、人間で実験することには強い制限がある。
また、賭博や船などからか人間が統計確率について理解し、それを病気にあてはめたことも大きい。たとえば伝染病で大量の死者が出たとき、死んだ人がどこに住んでいたかを地図上に示し、多くの人が死んだ地域を調べてたとえば特定の井戸の利用者に死者が多ければその井戸を閉鎖する、という対策ができた。
さらにある薬が新しく知られたとき、一人の病人がそれを飲んで生きるか死ぬかを見るだけでなく、百人千人の病人に飲ませて何人が死ぬかで評価する視点ができた。さらに百人を五十人ずつに分けて年齢などいろいろな条件を均等にして一方には薬だといって薬効がない穀物粉など、もう一方に薬かもしれないものを飲ませる、そして薬を与える人が無意識のメッセージを出さないよう薬を与える人にもどちらが薬候補かを知らせない、という薬を検討評価する客観的な方法ができた。
以下のあらゆる技術はその方法によって実際に効果があるかどうか、科学的に検討されている。科学の本質にある誤りを修正する機能が医学に入ったことの効果ははかりしれない。
それによって病気になる原因を事前に除き統計的に病気自体を減らす、なんという病気か確定する、病気の人に働きかけて病気を治すなどが科学的に行われるようになり、効果がとてつもなく高いものとなった。
上述の、レンズによる微生物の発見も大きい。それは従来の、生命はなにもないところから湧き出てくるという考えを否定し、原因がなければ結果はないという考え方を産んだ。それは医学的には非常に効果のある考えだ。
まず病気を症状などから多くの種類に分け、その病気ごとに患者から同じ特徴を持つ微生物を取り出して、その種類の微生物だけを飼育し、さらにその培養した微生物を実験動物に入れることで病気を引き起こせる、という微生物と病気の因果関係を明白にし、また微生物を飼育する技術も発達した。そのことで病気の名前を素早く確定し、その病原体だけに効く薬を使うことで、誤った治療でかえって悪くなることが少なくなった。
また微生物を加熱やエタノールなどで殺し、体や衣類を洗うことで、特に負傷と出産の死亡率が桁外れに低下した。
さらに微生物や人間の細胞自体について分子レベルで理解することも、新しい薬や治療法を生み出すことにとても役立っている。
まあその、病気と微生物の関係というのは上述した、あらゆる病気を病名に分け、さらにその病名を分類してくくったり階層を決めたりして人間の群れ・家族関係に似たのに並べて、それぞれに特有の治療法がある、という人間の信念というか前提をかなり強く補強してくれた。どの病気にも名前があり、それぞれに病原体があり、それを殺す薬がある、と。まあ確かに近代医学はそれで他の文明より多くの人を救ったのは事実だ。
人間の生理そのものについての理解は、それまではどうしようもない病気だった必須元素・分子の欠乏症の治療を可能にした。タンパク質の要素・必要な元素・少しだけ必要な分子が食生活に欠けているための病気は必要なものを薬として与えることで短期間に、きわめて高い率で健康体に戻った。これはそれまでの、魔術に依存し効く率が低い医学とは根本的に異なる顕著な効果であり、それゆえに多くの人の魔術を信じる部分は科学的医学を強力な魔術として信仰してしまうという皮肉な結果にもつながった。
他にも血液を分析したり高いエネルギーを持ち身体を透過する電磁波などを利用したりして、病気を診断する方法も桁外れに進歩している。
人間は痛みを不快とする。はなはだしければ痛みだけで死ぬことがあるほどに。痛みそのものは必要だが、人が痛みを訴えるため不可能だった治療も多かった。人間の神経などに害を与える毒物を適切に用いることで、人間を一時深く眠ったような状態にし、そのあいだに体を刃で傷つけて治療してからまた目を覚まして生き続けることができるようになり、また微生物を殺す技術によって皮膚に守られていない傷口から微生物が体を食い尽くして死に至ることも防げる確率が高くなった。
それまでも傷を負って腐った手足を切断したり、頭部を打って内部の出血で脳が圧迫されるのを頭に穴を開けて血を出したりする技術はあるにはあったが、その特殊な眠りと微生物の排除はそれらも安全にできるようにしたし、他にも出産がうまく行かないときに母親の腹を切開して子供を取り出す、内臓にひどい病がある時に内臓の悪い部分を切るなど、従来は不可能に近かったこともできるようになった。
死ぬ確率の軽減により大きい影響を与えたのが、免疫を利用する方法だ。人間に限らず動物の体は、多くの微生物などに一度やられて死ななければ二度と感染することはない。細胞が一度自分を攻撃した微生物の特徴を分子レベルで覚え、対策をたてることができるからだ。
その能力を利用し、悪質な伝染病を死なないように症状を弱めて皆に人為的に感染させれば、その皆が二度とその伝染病にやられなくなる。これの効果は凄まじく、天然痘などはいまや感染者が一人もいないほどだ。
他にも微生物が他の微生物を殺すために出すさまざまな物質を利用する手法も発見され、それも伝染病や傷などによる死を極めて強力に防ぐ効果がある。ただしそれは、多用しているとすぐに微生物が遺伝子の変異によって耐えられるものができてしまうためどうしてもきりがない戦いになる。
伝染病対策としては上記の農業に用いられる殺虫剤なども有効であり、その効果は最近の世界全体を巻き込む大規模戦争で勝った側の戦いで死んだ人間のほうが病気で死んだ人間よりも多いという、それまでの軍の常識から言えば驚天動地の大偉業を成し遂げてしまったほどだ。
傷の治療としては、微生物に汚染されないよう清潔にするだけでもかなり死亡率は下がる。加えて人間が血液についてある程度理解し、冷凍などで保存した血液やその成分、またはそれに近い液を外から注入することで血を失った人や口から食事ができない人もある程度は生存できるようになった。人間の血液に含まれる各種分子にはさまざまな情報があり、適合しない血液を混ぜると固まってしまうので注入された人は死んでしまう。それに注意しなければ血液を注入することはできない。
さらに微生物から得られる他の微生物を殺す薬が加わったため、傷で死ぬ率もきわめて低くなっている。
残念ながら人類以外の動物の血液を人間に注入したり、人工的に血液を作ったりすることはまだできないようだ。手足を再生させることもできていない。
傷や病気で機能しなくなった内蔵を交換する技術はまだ未熟だが、ある程度は発達している。それに関しては昔から木などを加工して切断された手足をある程度代替することはできていた。
病んだ内臓を切り取って健康な人間から移植することはきわめて困難だ。必要な血管や神経が多く、その処理も大変だし血を補い感染を防ぎ、切る際の苦痛を抑えるために眠らせる技術も必要となる。だが何よりも、人間の免疫はあまりに高度で、同じ受精卵が分裂した双子以外は親兄弟だろうとわずかなタンパク質情報の違いで違うと見分けてしまい、まるで病原微生物ででもあるように攻撃して食い殺してしまう。逆に免疫をなくす薬を与えたら、普通は死なないような病気で簡単に死んでしまうから、ちょうどいいぐらいで……。まあ難しくて幸いだった、奴隷制が当たり前の時代にそれが簡単な薬草でできていたら、と思うのは私が近代の時代精神で育ったからだが。
単一の生殖細胞が様々な臓器に分化するメカニズムを理解して再現したり、臓器を模倣した人工機械を作るのは困難だが、ある程度できていることもある。たとえば人工腎臓は無理だが、血液を一度外に出してきれいにして戻す技術は確立している。他にも心臓の動きを制御する電気心臓、一時的な心臓と肺、肛門などが人工化されているし、神経からの信号で動く切断された手足の代替機械、神経入力による視覚の代替などはいま著しく進歩している分野だ。
人体の能力を回復させる医療は、原理的にはその延長として人間の能力を拡張することにもつながる。本来人間は様々な能力の拡張を求めるから、動機はとても強い。ただしキリスト教をベースとした道徳意識がそれを抑制している。実際にはかなり古くから、上記のレンズを用いて目が悪くなっても見えるようにしたり、歯が抜けても削った堅い木などを入れて治したりした。臓器について分子レベルで理解し拡張することはまだまだできていないが、弊害もあるが筋肉を強めたりする薬はできつつある。これもまた未来の技術に属するだろう。
社会に対する影響が大きい医療技術として生殖の制御もある。まず薄いゴムで生殖器を覆う技術で、そのままほぼ支障なく交接行為の快感を得ながら妊娠・性病感染をかなり高い割合で防げる。また妊娠に関して、体内で情報交換のために出る分子を模倣した薬物によって、雌が特定の薬を飲むだけで妊娠をほぼ防ぐ方法もできた。
残念ながら今の時点でも精神医学はまだまだ未熟だ。人間の体や脳の分析・人間の心理を理解しようという学問・精神の医学がまともに統合されることすらろくになく、心についての学や精神医学は多くの群れに分かれて互いに共通前提もない状態だ。特にある時期、無意識の欲望を中心に人間の精神構造を説明し、それを吐露させることで精神病を治すという理論が世界中で流行し、今もその影響がとても強い。脳についての理解もあまりにも乏しく、悲惨な間違いが多い。
ただし近年は、多少は効く薬がいくつか見出されている。
精神医学の歴史には実に悲劇の連続だな。基本的に、有用性で人を評価し余裕がない群れでは精神を病む者は排除され殺される。ただし心の病と魔術には密接なつながりがあるから、小さい群れで狩猟採集生活をしていれば魔術的な役割を負わされることもあった。
しかし魔術が巨大群れの宗教に一元化されると、その役割が小さくなり殺されることが多くなり、心を病んでいること自体が穢れとみなされるようになった。科学的医学が発達してからも、その心の病・罪・穢れの混同の影響での迫害は絶えることがない。
遺伝子・細胞の分子・脳についての科学はまだ本格的には人間の医学に応用されていないが、これから非常に大きな影響をもたらす可能性は充分にある。
それらの医学の進歩によって、近代文明で最も重要なことである指数関数的な人口の増大がもたらされた。増えたのは人間だけでなく家畜もであることも忘れてはならない。
**宗教改革
近代ヨーロッパを他の文明と最も大きく分けるのが、宗教と政治を分離し、宗教とは別に科学が発達することを容認した宗教と政治の変革だ。まあユーラシア東でも宗教と政治は分離気味だったが。
その改革の最初は、様々な儀式や宗教群れの内部政治でできていたキリスト教を、創始者やその弟子たちの言葉とされるほんの言葉だけに依るものにしよう、という運動だった。宗教群れと社会が悪くなって世界が滅びるから浄化しなければ、というのは人間の普遍的な感情で、あらゆる時場所で見られる。
しかし不思議なのが、たとえばイスラム教で聖典通りにしろとか、中国で魔術に頼って征服に抵抗しようとかの運動組織は科学を抑圧するものだが、不思議とキリスト教でのその運動の結果、科学の発達が始まったんだ。
無論古い側のキリスト教も抵抗し、ヨーロッパを南北に分断して多くの国で激しい戦争になり厖大な死者を出し、最終的にはどちらも相手を滅ぼしきれず共存するようになった。
その一番大きな影響は、特にヨーロッパ北方で厖大な土地・農業および戦闘人口・生産設備などを持っていた宗教群れが攻撃され、その莫大な力の多くが暴力群れや富裕者に渡されたことだ。さらにその力の移行は後述する「革命」がとどめになる。
それと前後して、物の見方などが崩れて不安が広がったためか、あちこちの小さな群れで魔術を使う者を狩り出して死刑にする行動が起きた。ユダヤ教の聖典から魔術は禁止で死刑だが、あらゆるところに魔術を使う人間のふりをしている魔物がいるという恐怖に群れがとりつかれ、群れとの同調行動にわずかでもずれているとか、わずかでも他より豊かだったりして嫉妬されるとか、外見に少しでも変なところがあるとか、まあ何の理由もなくても群れのなかのコミュニケーションが暴走してとか、あらゆる形で罪のない人を魔だと訴え、訴えを聞いた政治側は訴えられた人を苦痛にあわせて自白させて焼き殺した。訴えられた時点で確実に有罪、有罪を認めるまで苦痛は続くんだからたまったものじゃない。まして訴えられた人の財産は全部訴えた人と政治側が分け合うんだから実利の面でも動機がある。となると、ひたすらやられる前にやれ、訴えられる前に訴えろ、となる。
まあヨーロッパに限らず人間社会はどうしてもそうなる。実体のない恐怖にとりつかれ、魔術を禁じ悪を禁じるという宗教道徳を過剰に強要して群れの一体性を確認して人を支配し、実は人を焼き殺すという最悪の魔術をやりまくるのが人間の最大の快感なんだから。
その結果社会から、古来の産児制限技術が失われて人口が増えたことも戦争や新大陸開拓など大きな影響を与えたし、古い儀式などの多くの情報が失われたことも近代精神に関わりがあるはずだ。魔女裁判が近代史にどんな影響を与えたかは私はまだまだ知らないと思う。
**革命
経済・宗教などの変化は、巨大な群れの政治体制自体も大きく変えるに至った。
それまでのヨーロッパでは、宗教群れが道徳や言葉に関する力を強く持つが軍事的な支配力は弱く、実際の支配力は馬を幼少時から訓練されて戦闘行為を行い、比較的狭い領土を支配して農業を行う上層階級にあった。ただしその上層階級は、比較的広い領域を支配する中心的な最上位者に従っていた。同時に各地に、軍事性が弱く貨幣と高度な技術での生産を行う都市もあり、それらが複雑な力関係を保っていた。ヨーロッパは山脈などが多く、また雨が多く大規模灌漑を必要としない地理のため、全体を統一する英雄は出なかったし、中央ユーラシアの遊牧民による攻撃も長いこと免れた。
その構造から宗教改革・海外領土の拡大・農業や工業の爆発的な進歩などと複雑に絡み、まず比較的広い地域を最上位者が支配する構造となり、次いで民衆が宗教とは別の言葉集合というか道徳というかで別の支配構造を求めた。
その理念は
全ての人間が平等な権利を持ち、犯罪を犯したと証明されない限り追放・財産没収・死刑などはされない。
誰もが自由に何でもできるしどこに住んでもいいし何を言ってもいい、ただしそれは誰もが同じように自由なのだから他者を攻撃することは許されない。
人は平等なのだから、ある家に生まれた子供という理由で群れの最上位者とすることは認めない。
群れの統治・上位である根拠を、従来の神→王→(領主)→人から、人々の合意とする。
宗教を殺す理由としない、または宗教を廃し科学と理性にする。
世界は小さい群れの集合で、各群れではその成員を上位者が所有し何をしてもいい、というそれまでの常識を否定し、誰もが攻撃・支配されず自立しているとする。またそれぞれの群れはそれが絶対的な価値の最上位にあり、他の群れは皆殺しにすべき悪である、という考え方を否定する。
統治体系自体は、地中海北東部にあり、昔地中海周辺を支配した巨大群れにもキリスト教にも多くの文章で影響を与えた群れでやったところがあった民主制と言われるものだ。市民……といっても奴隷を所有している家父長だけだが……が平等に武装して小さい群れを守って戦い、平時には誰が群れを率いるかを、神の命令でも神の子孫とされる単独の家系でもなく、「一番多くが一番優れていると思う人」にする、という制度だ。
ちなみにその頃の賢人は、そのシステムだと群れ全体が恐怖にとりつかれて些細なことで互いを攻撃し、その恐怖から逃れるために一人の支配欲が強い人間を絶対的な支配者にすることになる、あまりいい制度じゃないといったし、現にその民主制度の小国家は滅んだ。といってもその賢人が勧めた「群れから切り離されて高い教育を受けた比較的少数の優れた人」による統治も実現したことはない。というか教育が有効とは限らない、最上の教育を受けて教育を仕事とする群れの価値観では最上と評価されても指導者としては最悪ということも多いんだから無理だ。さらに後述するマスメディアが発達したら、カネを出して広告を作れる者が勝つ構造になってしまった。
というかこのシステム自体、「集団の一番多くが支持する意見が一番正しい」または「多くの人がこの人がいい指導者だと思う人はいい指導者になる」という二重の不確実な前提を基にしている。
まあ後の革命の時にはその批判を受けて、地域で一番優れた人を選んで集まりその多数決で法律を作る議会、平時には統治自体を行い戦時には群れ全体を率いる、一人の人が一生やったり子供だというだけで継がせたりしない最上位者、犯罪などで法を基準に判断する裁判所の三つを別々にし、互いをコントロールするシステムを作った。またそのどれもが理念などを書いた文章である特別な法を基準とするようにもした。
また、その民主主義という制度の本質の一つに、「支配者に反対することを罪・敵として攻撃しない」ことがある。普通は支配者の方針などに反対し成りかわりたいなどという人々は支配者にとって、そして巨大群れ全体にとって敵であり、最も重い罪人・敵としてあらゆる暴力で皆殺しにされる。だがそれをせず、反対意見を出し続けることを容認し、成員の多数が支持すればそちらに統治権を譲り、それで自分たちはまた法で保護されたまま反対する側に回る、ということができるのが民主主義の面白さだ。
だから民主主義の強みとして、生物の進化・科学・市場経済と同様、間違ったら修正できる、ということもできる。
ちなみに革命の理念そのものは立派に見えるが、結局人間の群れがやることだ。別の感覚としては、とにかく攻撃したい、「魔王を倒せば世界は楽園になる」という集団暴走の面もすごく大きい。となると、単純で明白な意味を持たないことがある言葉から不明瞭な規範を人工的に作り、その規範に合わない人間を反革命だと死刑にするのが当たり前になる。そうなると先に密告したものの勝ちになって誰もが安全ではなくなる。それまでの社会を維持させてきた、様々な言葉にしにくい家代々のつながりとか言葉にならない情報網とかも崩壊して誰に従っていればまあ安全かもわからなくなったし。それから昔の賢者の予言通り一人の英雄を独裁者にして、その英雄がヨーロッパの大半を征服したもののヨーロッパ北の島や大陸深くを攻めきれず自滅してから、かなり多くの人が「保守」という意味不明瞭な言葉に縛られる現象も生じた。本来は「革命に反対する」という意味だが、地域によってその言葉の意味が全然違うんだ。普通に考えたら王政でない保守って矛盾語だけど、とにかく様々な「保守」であることが無批判に道徳的だ、と多くの人が思ってしまう。逆に若い、特に教育水準は高いが世襲の地位を持たない若者は「革命」を至上価値とし続けることで世界自体への憎悪を垂れ流した。
まあ意味不明瞭な言葉を無批判に最上位道徳とし、それに従うことを群れの成員の条件とし、逆に「反{意味不明瞭な至上価値とされる言葉}だ」と人格的に非難し、その非難が群れ全体に感染して攻撃になる、というのも、宗教の頃から人間の群れがよくやることだ。
厄介なのが、そういう社会を変えようとしている人間の群れはすぐ過激化する。つまり選択肢があれば、より現実に社会をよくできる可能性が高いかどうかではなく、より暴力が激しい手段を選びたがる。一人一人は別に暴力を好んで意識するわけではないが、人は自分が臆病者とみなされるのが怖いし、群れ内で支配権を握るため、群れ内の誰よりも暴力的な態度をとろうとする。そうなると群れ全体がどこまでも暴力的になり、当然支配群れはそれを犯罪集団とみなして攻撃し、それで余計に「支配群れは悪だ、戦って倒せ」になる。実際に支配群れも革命を防ぐために暴力化をわざと起こさせて攻撃を正当化することもよくある。
もう一つの問題が、革命において富をどう動かすかの問題がある。平等という理念というか人間の好みと現実の貧富の差の矛盾があり、宗教改革を含めて革命の大きな動機は自分を貧困と感じ、富む者を殺してその富を得たい、という感情だからだ。それまでは宗教がその感情を抑えていたが、抑えがなくなったんだからたまったもんじゃない。その感情自体は後に共産主義でピークになる。革命の指導者の側は成功したらしたで、貧困層の平等を求める声をどうさばくかえらく苦労することになる。
あと革命後も残る不平等、不公正はそれだけじゃない……男女とか海外の領土とか奴隷とか肌の色とかいろいろあって、それも平等という言葉にこだわり社会の目的が理念の実現になると解決しろと叫ぶ人が出て、これまたややこしいことになる。
その「革命」と「保守」の争いがその後の近現代史の、表に見える政治面を強く縛ることになる。
あと、人間の保守性は「昔はよかった」という共通の考えになる。また巨大群れ以前の世界、少数の強い群れが無数の弱い群れを統治する巨大な群れでない世界、統治自体がない世界は楽園だと思いたがる。人間のどこかは、技術も政治も嫌いなんだ。でも統治をなくそうとして作った共同体が機能したことはない。
「革命」の最大の影響は、下記の「学校・工場・軍・刑務所」システムがヨーロッパ全体に広まり、近代の標準とされたことだろう。その強力で発明を保護する統治は進歩した医学・農業の技術を広く普及させ、ますます人口と生産力を向上させた。
結局のところ、革命では多くの、宗教や軍事でそれまで上位とされていた人が殺されたりして土地を中心とした財産を奪われ、社会的な身分制度が従来の土地と代々付随する人々とは違う、貨幣を中心としたものに大きく変動した。
その、富における平等を求める心理は高い教育を受けつつ地位が不安定な若者によって増幅される傾向がある。彼らの善・正義を求める衝動が、貧しく苦しむ人がいない、善い世界を作りたがるわけだ。
それをある人がまとめてひと連なりの本にした。それが宗教のように信奉され、解釈されて政治・経済・善悪を定める倫理などすべてを兼ねる至高の文書として神格化され、その制度にしなければならないと非常に多くの人が強く信じ、巨大群れに対する反乱や暴力も辞さずに活動した。
面倒なのが、それがユーラシア北部の非常に広い地域を支配する巨大群れでまず実現し、その国が世界の他の国と争う構造と、その共産主義が正しいか間違っているかがどうにもならないほど混じってしまったことだ。従来の宗教戦争の構造で考えれば一番分かりやすい。しかも共産主義の国はただ一つの例外を除いて一人の指導者を神とし、その支配者による聖典解釈を絶対視して後述する人権を軽視する政治制度を作ったから、人権と共産主義というどちらも言葉でしかないものどうしのどうしようもない争いになった。何しろ支配者が気に入らない人や考え方を「共産主義的でない」という罪で死刑にできるし、そうなると皆が我先に人を密告して自分だけその群れでの正義の側に立とうとするんだからたまらない。
だから逆に、その共産主義に反対する側は、共産主義的に感じられる考え方すら穢れとして受けつけない。それは理性ではなく魔術的な感情の領域だから議論ではどうしようもない。また反対する側にも、共産主義に対する恐怖を利用して民主的に一人の支配者を絶対的に神格化し、軍事のために社会を作り替えて好き勝手する似たような社会を造ったりした。
その争いが比較的最近の、百年近くに及んだ。その中の非常に大きい戦いから、ヨーロッパに支配されてきた世界の多くがヨーロッパに反抗して自立した後述する特異性のある大きい群れとなり、そのいくらかは非常に豊かになっている。
最終的には共産主義は技術が進歩せず貧しくなって崩壊し、どの国家や支配的言葉が世界を支配するかややこしいことになっている。
**国家
徴兵のところで少し解説したが、近代の世界は国家というシステムで動く。
近代文明が生じたヨーロッパ自体が、高い山脈や川など区切られていたため、昔あった巨大群れが崩壊した後は統一されることがなかったため、それがそのまま国家となった。
その後、ものの考えとしては世界全体を一つの群れとする考えは出たが、国家をなくすことはできていない。多くの国家が集まって、ちょうど多数の群れが集まって国家を作ったように人類全体を一つの群れにしよう、という組織があることはあるが、一度は大戦争で崩壊し、二度目も理想とはほど遠いほど実際の力を持たない。
実際問題、もし別の星で進化した地球人に似た生物が宇宙船で地球に降りたら、誰が地球人代表になるか……それを考えると頭を抱える。一番強い国のそのときの大統領?というかその時に一番強い国が、実権を持たない王と民主的に選ばれる指導者という制度だったら?世界最大の宗教の最上位者?国が集まって一応作られている組織の代表?世界一の金持ち?地球人全部の投票?誰だ?誰であっても従わない人が多いだろう。まあ別の星の知的生物が人類を相手にしない可能性だってあるけどね、特にたとえば地球全体の微生物が人間なんかには想像すらできない超知性を作ってたりしてたら。単に人類がやることから類推しただけだ。
それぞれの国家が、領域内の完全な支配権……税金、軍事力をもち他国の攻撃から自国を守る、自国内で政治体制や経済体制を決める、昔は従う宗教そのものを決める、他国との貿易を許可することも禁じることも、貿易自体に税をかけることもできる、自国民の犯罪は自国の法で裁くなどさまざまな統治に関することは国家が他の誰にも束縛されずに自由にやっていい、というのを主権と呼び、それが国家制度の基本原理になった。
しかし国家主権というのは本当に厄介だ。人類文明全体が危機に陥っても各国が国家主権を主張するから動かない。またある国の内部で、きわめて残酷な虐殺が行われても、他国は介入できない。ある価値観で国家そのものを裁くことができないし、また金銭面でも国家が「もう借金を返せない」という状態になったときの処理法が確立されていない。
もう一つ厄介なのが国家の平等性で、大陸全部を支配し十億人の人口があり地球全部を焼き尽くせる軍事力を持つ国と一万人もいないしまともな軍事力もない小さな島一つだけの国も、国家同士は平等だという観念があること、そして実際に大きい国と小さい国には圧倒的な力の差があるという事実が矛盾している。
もっと厄介なのが、その国家ができるときにヨーロッパとかはまだいいけど、アフリカなどではヨーロッパの国々が侵略した時に地図に直線を弾いて区切っただけの、地域の本来の群れ構造とは全く違う国境線でできた国が多く、しかもだから一度その線はなしにして地域の川や山で引きなおしましょう、ともできなくなってしまっているんだ。それでまた無駄な争いがある。
国家主権という考え方、情報があまりに強いため、近代のさまざまな理念が全く実現されないし、人類文明そのものの維持もできるかどうかわからないんだ。
全人類が一つの群れだという意識はなかなかないのが現実だ。人類自体の生存では協力し、別の物語では国家を優先し、別の物語では家族、でいいと思うけどな。
近代国家は革命がはじまりだから、政治体制は民主制度が増える傾向にある。正確には最強のいくつかの国が民主制度であり、またそうでないところは若者が、世界を文字に書かれてる通りの楽園にしたいから暴れる反応をやるのに民主化を主張したがる。
ただし、共産主義は最初に共産革命を起こした国の真似をして民主制度ではなく労働者階級からなる反対者のいない一つの群れとそれを率いる一人の指導者の体制になるし、他にも一人の支配者・戦闘群れ・宗教群れなどが支配力を独占することが多くある。
ちなみに民主制度になれば全てがよくなるとは限らない。地理的条件が悪いといくら民主制になってもひどく貧しい人が多かったり安全じゃなかったりするのは変わらなかったりする。民主主義と「共産側じゃない」が混同され、民主主義のはずなのに選挙も言論の自由もなく拷問虐殺あたりまえの国家も多くある。ま、共産側で民主主義と言ってるのに、という国もある。
**近代における経済
厖大な人口と農産物・新大陸からの金銀はじめ資材・工業生産物、物資・情報・人口の大規模な移動、群れの規模の急速な拡大など多くのことが起きると、富の動き方も変わる。
重要なのは、それまでの世界では少数の都市住民以外の大半は比較的小さく古くからある群れで、農業・漁業を行い、また人の手が入らない森林や草原での狩猟採集を補助的に用いて、生活のために必要なものの大半は自分たちで作って生活していた。貨幣の役割は小さいもので、物々交換が大きく巨大群れからの要求も人そのものや物資だった。それが、輸送手段の急激な発達により、世界のきわめて広い部分で貨幣でものを買い、国家に納めるようになった。
そして機械を用いる生産は、小さい群れが比較的単純な道具で作るものより圧倒的に量が多い。その「多い」は経済において別の意味もある……貨幣と同じだ。金銀や特殊な鉱物が貨幣として用いられるのは、それが少ししか得られないからだ。もし、多くの人が望むようにある日、金銀の小片が雨のように上から大量に落ちてきたら、金銀を用いる貨幣は価値を失う。同様に、たとえば布を機械によって数十人が、機械以前の技術で作るとしたら同じ時間なら何万人いてやっと作れる量を常に作り出すことができたら、布の価値は暴落する。きわめて多くのものについて同様の事態が起きた。
圧倒的な物の量、移動速度、情報伝達速度……それは世界を変える。変わらない、変化が非常に遅い場も、いい水路や港がないなど本質的に移動に不便な地を中心に地上には広く残るが。
カネで生活の豊かさ、そして階級までが定まり、都市での大規模な工業生産、そして情報自体を生み出しマスメディアで工業生産を売ることを補助することが最も大きなカネを生み出す職業となる。地方での農業は必要であってもカネを産まなくなるし、少なくとも金銭面で普通に競争したら、アメリカ大陸の巨大平原で、巨大な化石燃料機械を用い、大規模に地下水をくみ上げて大量の化学肥料を飛行機から散布する農業に、アメリカから海を越えて運ぶ船とその燃料を加えても対抗できない。
もちろん桁外れの富の持ち主も出たし、貧富差も巨大になった。さらにこれまでのように、大きすぎる富を持つと巨大群れ・宗教群れによって罪とされ没収されることもない。
ただし近現代史で富者による大規模な軍備の個人所有は見られない。法的に認められていないし、大規模な軍備に必要な富はあまりにも大きいからだろうか。またきわめて広い農地を個人所有する人はいても、その人が領主として独立を主張し本国と戦争することもない。歴史的には富裕者による軍備・土地の大規模所有は常に巨大群れを脅かしてきたのだが、それがないのだ。不思議なことに。それが必要ないだけの治安と安全が、近代的な国家というものの特長かもしれない。
そうそう、もう一つ面白いのが、最初に新大陸を征服して大量の、金属としての金や銀を手に入れた国は豊かにならなかった。あまりにも大量の富が、特に苦労せずに掘れば出てくるようになった国は長期的に豊かになれないことがよくある。
制度上も、富を情報として処理する技術が進む。紙一枚持っていけば旅先で莫大な金銀を受け取って交易を続けることができたり、この海を渡る船は十隻に一隻は沈むと情報を集め処理して、船主にはたらきかけて事前に少しずつカネを出させておいて沈んでも損しないように仲介したり……基本的には賭博と同じ、統計確率的な処理だ……、国家の政治自体の借金、その利子をそのまま財物として流通させたりいろいろある。
その船の大損を統計確率的に処理する手法も、それこそ個人の家が燃えるとか病気になるとか病気で死ぬまで貨幣を出すシステムになっている。
借金の取り立てについても、従来のように個々の群れの暴力によるものから、国家の政治の一つとなったりした。借金は経済の流れによっては群れ全体の階層構造を変える力があるから、どれだけ利子を取れるかには国家も注意している。
また、最低限の安全などを除いては、基本的に「何を作って売ってもいい」ことが多い。それまでの、どんな商売をするにしても多数の群れや宗教に制約されるシステムとは違い、基本的には売ってみて売れるかどうかだけが評価基準になる。それによって経済に試行錯誤、エラー修正機能が入り、そうなると桁外れに富が増える。
富について、以前から富や人口や情報が集まるとその富を生み出し、戦う能力の質が変わることは以前からもあった。
交易のない五十人の群れでは素焼き土器はなんとか作れるが金属は無理だ。金属を扱うには百人から千人以上の群れが維持され、交易によって広い範囲のものの行き来が常にあり、多くの情報を持つ人が十人ぐらいは自分で食料を狩りに行かなくても長期間食べ、大量の燃料用材木や水を無駄にしなければならなかった。
機械となるとそれはもっとはなはだしくなる。大規模な機械を作るためには膨大な最良質の原料・高い技術と情報を持つ技術者・加工エネルギー・機械製作が宗教的罪として禁じられることがないし数十年単位で別の群れの攻撃で略奪されない政治的安定などが必要になる。
必然的に機械は膨大な富の集合体、高価なものとなり、その高価なものを手に入れて使うためのエネルギーや原料を継続的に手に入れる必要が出る。
時にはその莫大な費用は巨大建築同様、国家それ自体しか出せないときもあった。今も先端的な科学研究や宇宙に行くことなどは国家の力、さらには複数の大国がカネを出し合わなければできないことすらある。
さらに短時間で急速に技術が進歩し、新しい情報が出る世界では、大金をかけて作った機械で大量に作った商品が全く売れない、ということがよくある。技術そのものが少なく、進歩が抑制されてしていいことが決まっていた時代とはその点が根本的に違う。
そのため機械を作ってカネを得ることは、船で海を渡って交易するのと同様に、大金が必要でしかも無駄になる可能性がある、非常にリスクのあることとなる。そのことは新しく機械を作ってやってみることを抑制せず、船が何人かで集まって金を出し合う制度で賭けの危険性が下がったように、多くの人が少しずつカネを出すシステムができた。しかも普通の借金と異なり、その機械が作った損がふくれあがっても、カネを出した人が出した以上のカネを請求されて生活の基盤まで失うことはなく、単に出したカネがなくなるだけにとどめられるシステムができた。
損をすることもあるが、特に多数の機械に少しずつカネを出しておけば船や鉱山同様当たったものは莫大な富を生み出すので、ある程度以上の金持ちはいろいろな仕事・機械にカネを出すことで、定期的にかなりの金額を得られるようにもなる。その「**機械を作るのにカネを出した」情報それ自体が商品として交易される市場さえできる。
それと、国自体にカネを貸すことでかなり多くの人が貨幣を長期間、年などに一定額などの形で得ることができるようになった。それまでは広い土地を持って、農業を奴隷たちにさせるのが一番安定した収入を得る手段だったが、それ以上に。
そのシステムはさらに発達し、比較的豊かな地域での一般労働者が老いて働けなくなったりしたときのため、かなりの金額をリスクがある他人の仕事の準備にカネを出したり国家に貸して、実際に多数の老人がそのカネで暮らしている。
そのシステムは、仕事と群れの関係を微妙に変えた面もある。従来は先祖を同じにし同じ神話で育った生殖によるつながり・地域によるつながり・宗教によるつながりなどと、仕事によるつながりは一体だった。船にしても鉱山にしても群れおよびその最上位者が所有するか、所有自体は巨大群れだけれど大体は先祖を同じにする群れがその仕事をし、情報を得る権利を独占するのが常だった。
それが、情報は特許で保護され、神話などとは関係なく転売された「この機械を作るのにカネを出したよ情報」を市場で貨幣を出して買っただけの人に利益を貨幣化して渡し続け、また多数のそんな人が決めた方針に仕事の方向を決められたり、従わなければ仕事から追われたりする事もあるようになった。
ちなみに違う見方も人間世界では蔓延している。そのように自分の手で働かず貨幣を得ている生産手段を持つ資本家と、それに使われる労働者、と人を階級で二分して世界を理解するやり方だ。従来の奴隷所有者と奴隷の関係の類推だろう。
***金融・財政
巨大な群れが常に多くの売買を行い、また国家間・国家同士さえもがさまざまなやりとりをしていると、特に借金自体・国家の借金・「**にいくらだしたという情報」自体が商品のように扱われるようになると、それこそ全体が別の何かのように動く。
厄介なのは人間が感情で動く群れ動物で、恐怖や自尊を中心とした感情が人の間に、次々と伝染病のように広がる性質があることだ。それも、「他人がどう考えているか」を考えなければならず非常に複雑な話になる。さらにマスメディアというおまけつきで。
それはさまざまな指標……「**にいくらだしたという情報」の平均価格やあらゆるものと貨幣の交換比、さらに別の国家同士の貨幣の交換比、国家の借金に関する数字で変動が見られ、その変動についての情報がまた、新しい仕事を始めるか・この借金をするかなどの一人一人の決断に影響を与える。
あまりに多数の人間がさまざまな情報を交換し、貨幣や自然環境、風や雨さえも交通や農業生産を通じて状態を変える。あまりに複雑すぎて本質的に人間の頭脳には制御することも予測することもできはしない……たった一つ「はじけないバブルはない」だけは確かなことだが。バブルってのは泡だ。液体が気体を包み、内部から気体の圧力がかかるが液体は表面であり続けようとし、際限なく薄くなる現象。石鹸を使うと出るし、他にも生命現象から銀河団構造までよく見られる。
まず、社会全体の感情的な雰囲気が何もかもうまく行くと信じて多くの人がリスクが高いことでも借金をしてやり、また借金をして贅沢をしたりする。それがあるとき、たくさんの人が借金を返せず、また貸した側も返してもらえず大損するようになり、そうなると皆が恐怖に取りつかれる。借金をして新しい仕事をしようとせず、とにかく貨幣をたくさん持っていたりしたがる状態になる。大抵はそうなると非常に多くの人が仕事を失い、余剰人口となる。そうなるとその人たちは最低限の生存以上にはカネを使わないから、ますます社会全体で物が売れなくなる、という悪循環になる。それは大戦争になることさえあるほど厄介だ。
逆に言ってしまうと、あらゆる「仕事」も余計だし、誰もが必要もないものを買って使って楽しんで、自分がその階級にふさわしい、自分は隣より金持ちだとアピールしてる。社会全体が「ダメだったらよこせ財産」総量よりずっと大きな借金をしてなんとかやってるってことだな。泡の上に建ってる家みたいなもんだ。でもその泡、貨幣だって信用が形になったもので、ある意味社会全体の魔術的な雰囲気だ。魔術経済だよ。
国家が借金を制御することで国家の経済全体を制御できるという見方もあるし、逆に国家が干渉せず皆に好きにやらせていれば勝手にうまくいくという見方もある。国家という一番の金持ちがたくさんカネを使うと、そのカネが社会に回って社会全体を富ませる、また国の信用は桁外れに大きいから人間の金持ちにはできないほど多額の借金をしても平気だ、というわけだ。私は人間はどうせバカなんだから、誰も餓死しないよう最低限だけやって後は自由でいいと思ってる。
借金で面白いのが、近代経済における土地という財だ。土地はなくなることがなく、農業に使えば長期間常に一定量人間には欠かせない財を生み出し続ける。また金銀や家畜や船と違い移動できない。だから借金に対して、最も確実に相手が借金を払えないときに取り上げることができるものとなる。
もう一つ借金で面白いのが、国と国や国際機関の間の大規模な借金だ。
大金を持つ国家は、大規模な運河を掘るなど個人の金持ちでも何人かの金持ちがカネを出し合っても到底無理なことや、火事を消したりゴミを掃除したりなど社会にとって必要だが儲からない仕事ができる唯一の金持ちでもある。
また戦争も国家というものの重要な目的だが、ここで前から議論されている重要な問題がある。軍事と経済の関係……軍事にカネをかけたら人々の生活水準は落ちるのかどうか、だ。どの国でも軍事のために取られる税金は大きいし、逆に軍事から給料をもらって生活している人も多い。また軍事のために膨大な科学研究などが認められるというのも重要だ。ただし、特に国自体が貧しいときは、軍事にカネをかけすぎるせいで社会全体が貧しいままだともよく言われる。
ただ、多くの貧しい国では軍が唯一、まともに食べられる場だ。いざとなれば武器で強盗すればいいし。
人間自体の動きも重大だ。たとえば近代以前の世界では、雌が出産で死ぬ確率・子供が育つ前に死ぬ確率はどちらも非常に高いものだったが、近代医学と膨大な食料はどちらの死ぬ確率も桁外れに下げ、恐ろしい長平均寿命と指数関数的な人口増大を可能にした。
それによって奴隷制の廃止という時代精神の変化さえ起こった……高額で奴隷を購入するより、いくらでも世界中から流れ込んでくる餓死寸前で属する群れ・耕す土地を持たない人々を使い捨てるほうがよほど安価になってしまったんだ。
莫大な余剰人口が近代化にもたらした影響ははかりしれないし、ここ最近起きている指数関数的な人口増大が歴史に与える影響も大きい。
特にそれまでの、生殖・地域・農業でつながった群れが崩壊した後は仕事を失うのは家族ごと餓死すること、自分がそれまでいた群れから追放されることを意味するから非常に恐怖心が大きい。さらにキリスト教の影響もあり、人間は働くのが善で働かない人間は悪だ、という考えが非常に広く蔓延している。
ただし、これは最近の豊かな国の話だが、共産主義を防ぐためか国家が貧しい人にカネを出して豊かにしてやることも多くなった。まあそれには医や義務教育も大きいので、軍事力を高めるためという目的もあるだろう。実際には、誰もが豊かだと社会全体がとても豊かになり、豊かな側の人々もより豊かになるのが普通だ。
ただし極端に寿命が伸びたため人口比で老人が多くなる。その老人は自分ではあまり富を生み出さず、医療や体が動かなくなってからは入浴や糞尿の処理も手伝いが必要なため膨大な費用がかかる。それを国が福祉で出すとなると必要な金額が際限なしに増えてしまう。
さらに豊かな国々では、長いこと特に貧しい側の人々の生活水準は低いままだったが、大量生産技術の極端な発達と、冷蔵庫など家事を楽にする機械の発達によって全体的な生活水準の向上がある。家事の機械化によりきわめて重要な階層だった家庭内労働者も見られなくなることも興味深い。
それはそれまでの農業から都市での工業への大規模な人間の移動も目立つ現象だ。農林水産業では、近代の大量のエネルギーを使う生活に必要な貨幣を手に入れることは難しい……機械を用いて、とてつもなく広大な土地を独占した農法を除いては。農民は減少し、超大規模農業でない限り貧しくなるか、国から膨大なカネを得てやっと暮らしている。
都市での工業には教育も重要で、多くの読み書きができる人は高い水準で機械を操作し、それによって一人当たり多くの精密な品を作ることができた。
ただし、技術の発達が限度を超えると、多くの人が熟練工・文字書きとして豊かな生活をすることは不可能になっていった。あまりに高いレベルの、情報制御システムを持つ機械は、桁外れに長期間高いレベルで文字や数を学んだ人が少数しか必要なくなり、なんとか読み書きができる程度の人の価値は急激に下がっている。
それによって、ある程度豊かな多数の労働者が中心の社会でなくなったらどうなるのかは予想できない。民主主義制度は均一な教育を受け豊かな人間ばかりであることが前提だからだ。
バブルとも深く関係するが、人間は常に生きるのに必要な量よりはるかに多くのものをほしがってきた。最低限死なず、子供を育てられるだけではどうしても足りない。群れの中の地位を保つためにも多くの浪費をして自らを飾らなければならないし、まして多くの群れが複合したら別の群れとの対抗上際限なく贅沢をしたがる。
その過剰な贅沢は、それまではしたくても実際には世界全体の物資が少ないので常に生きるので精一杯だったが、近代における極端な生産力の増加はその贅沢を爆発させた。しかも近代の生産設備自体が、「全人類の最低限の生活」のためではなく「際限のない生産と価値の増加」を目的としているため、誰もが借金をして大量に物資を消費しなければ近代経済自体が安定して存続できなくなる……だからたまにそれが行き詰るとバブル崩壊になる。
基本的に貨幣は魔術的な意味が深い「信用」を数値という情報にしたものでしかない。特に借金があると厄介で、もし誰もが「今すぐこの借金を返せ」と貸した人や国家を含む法人に要求したら、ほとんどは返せる貨幣など持っていないから貨幣の価値が消し飛び経済は崩壊する。誰でも「返せ」と言っていいのにみんながそうすることはない、という前提でやってるわけだ。