表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
自己紹介  作者: ケット
6/8

古代続き

近代以前の多様な技術や社会構造の説明。


**染料

 物の表面の色を変えることができる、強い色だけを持つもの。これも人間にとってとても重要だ。

 文字以前から、体の色を変えて魔術儀式において動物や神を模倣するのに用いられたし、さらにそれ以前から、体に泥や草をかぶって別の動物に見えないように隠れることもあったろう。衣類にしろ武器にしろ身につけるものを飾るのも重要な魔術であり、装飾でもある。

 革や布の色を操作するのもとても重要な技術だ。特にそれが巧みであれば、貨幣経済において圧倒的な強みにもなる。

 紙などの素材ができれば、絵や文字を書くのに高性能の、様々な色の染料が必要になる。簡単に液状にできて細い線でも描けること、保存できること、書いた後微生物によって簡単に分解せず長期保存できることなど。

 食物に味をつける調味料の中にも、色が強く食べられる染料であるものがあり、実際いくつかは衣服を染めることも十分できる。またそのような色の強い植物にはしばしば、きわめて有用な薬草であるものもある。

 木材・石材・金属加工の上でも、それに最後に色を塗ることも多くある。特に木材の場合、適切に表面に色、または無色でも適切に表面を覆うと、それがない木材よりも微生物によって分解されにくく、野外でも長期間使える。生物油に混じっている空気に触れて固まる成分、石油の成分の一つ、石炭や木炭を空気を遮断して加熱した時に出る粘性の高い複雑な化合物、ある果物の未熟な果実を加工したもの、木材を燃やしたときの煙の成分などが有用だ。

 鉱物は、非常に薄く加工した金や銀も結構重要だ。他にも水銀化合物などが用いられる。特に強い青は宝石にもなる、ごく限られた地域でしか産出しない鉱物が用いられたため、きわめて高価だった。

 実用的にも、表面を別の金属で薄く覆う技術は、後代の鉄のように安価で頑丈だが酸化で壊れ見た目が悪くなる金属を、金のように高価で脆弱だが酸化しにくい金属で覆うことによって酸化を食い止め、使用できる時間を伸ばすこともできる。面白いことに酸化は電子の移動という面もあるから、より酸化しやすい金属と密着させてもいい。さらに鉛の上に薄く金を張って金の塊だ、と人を騙すこともできる。

 染料は一般に、鉱物を用いたものが長期間変質せず、建築物の表面などに用いられて長期使用される。生物由来の染料は比較的短期間で微生物にやられ、布を染めるのに用いられることが多い。ただし適切に発酵や金属化合物を用いたものはかなり長期間もつ。一般に染料の色を落とすのは空気中の酸素やそのつながりが変わった分子、酸素と窒素や硫黄の化合物などの酸、分子を切断するだけのエネルギーを持つ短い波長の日光など、水、微生物などだ。人間は逆に色を落とす……同時に微生物も殺せる……ために酸素・塩素・短い波長の光などを活用する。

 また、後述するが近代医学においても染色・表面処理は重要な要素だ。


**天文・暦・数学

 文明の規模が大きくなるにつれて、一般に天文学や数学もある程度までは進歩する。

 大規模な建築・農耕・遠距離移動などにそれらが絶対に必要だからだ。

 大規模な建築をするには巨大な長方形や円などを正確に作る必要がある。そのためにはそれらの数学を高い水準で理解しなければならない。大量の物資を扱うにもより高度な数学が必要になる。


 先にくり返しておこうか、地球は太陽の近くをほぼ円に近い軌道で回り、地球自体も回転している。地球の近くで月が円に近い軌道で回転している。地球の自転軸は地球が太陽を回る面と、垂直に近いがやや傾いている。それで地球のほとんどでは、1、明るくなって暗くなってまた明るくなって……、2、月が変形してまた円形に光ってまた……、3、太陽が高くまで上がるようになって暖かくなり、太陽が一番高いときも低くなって寒くなり……同時に夜見える星の配置が、たとえば太陽が一度出て沈む周期を正確に測って、太陽が一番高い時刻からその周期の半分になった「時刻」に見ると太陽が高くなり低くなる周期と同じ周期で動いていく、の三つの周期を人は認識できる。1の周期を基準にすれば2の月は約28、3は約365になる。月が約12回変形したら太陽や星座は元に戻ると言えるが、少しだけ違う。365にしても長い年月では狂いが出る。また地球の自転軸自体が揺れる周期現象、さらに極端に言えば太陽が銀河を回る周期もあるが、それは人間の寿命をはるかに超える長時間になるので普通は無視される。

 月の周期は海や大きい湖での水位の変動に大きく関わるから、船を使う人にとっては切実な問題だ。たとえ何日も曇りが続いていて月が見えなくても今、月の形はどうであるはずなのかは知らなければならない。

 特に中緯度の農耕には、一年単位で雨が降る時期・気温の変動などがほぼ同じことが重要な要因だ。雨が降る直前に地面に手を加えて水をためこめるようにしなければならないし、正しい時期に種を蒔かなければ植物は温度・水とも多すぎても少なすぎても死ぬので収穫が得られない。特に大きい川の増水に、水の供給などを依存する昔の大文明の農業では死活問題だ。

 今日が正しい日……たとえば、一年で一番太陽が高くなる日から何日目なのかを知るにはどうすればいい?

 ここで天文が重要になる。それも地上からは夜、上に光の点のように見える、本当はきわめて離れた独自の恒星である星々だ。その星は不規則に分布し、見た目の相互の位置関係は、人間の寿命程度の短期間ではほとんど変わらない。個々の恒星は高速でそれぞれ移動はしているが、あまりに遠距離なので地球からはそうは見えない。

 その見た目の相互の位置関係はパターンであり、人間はパターンを認識するのが得意だ。ある文明では目立つ星の間に線を引き、極度に単純化して線で表現した動物と同一視したりした。

 そう、「イヌの星集団の眼にあたる一番輝く星が、太陽が出るのとほぼ同時に西地平線に沈む時期に種を蒔けばいい」というふうに、一年の中で時間を明確に定めることができるようになった。

 交通でも、砂漠や海のように目印がないところで、「自分は今どこにいるのか」「目的地はどの方向か(自分はどの方向を向いていてどう修整すればいいのか)」を知るには天文がとても役に立つ。

 さらに惑星の動きをはじめより多くの知識が蓄積され、「今日は一年の中でどの日なのか」が明確にできるようになり、それに応じて様々な儀式も行われるようになった。

 だがその知識は色々な使い方をされる、今から見れば非科学的なやりかたにも。魔術の一つとして、星の情報を解析することで人や群れなどの未来、大洪水など都合が悪い気象の変動などを知ることができる、というのも人類に広く見られる考えだ。世界は色々なことを教えてくれる、人間が注意して読めば何でも分かる、という。

 まあ確かに、「四角形をなす明るい星が日暮れに山にかかる時に毎年洪水が起き、その直後に種をまけばいい収穫が得られる」と、経験と天の星に関係があるんだから、「前に大戦争に勝った時には動き回る赤い星が三角形をなす星の中央に入った」のも同じように関係がある、と思うのもわからなくはないんだが。それで夜空に、どこか遠くで星が爆発して新しい光が見えたり、数百年に一度しか見えるようにならない長い楕円を描く星が見えたりすると大騒ぎする。

 また、太陽が地平線に隠れ見えなくなって暗くなるのは人間にとっては恐怖だ。特にそのまま太陽が二度と出なかったら大変だ、という恐怖もある。時に太陽が月に隠されたり、月が地球の影に隠されたりすることもあり、それも人間には大きな恐怖を感じさせる。それはだからそれを防ぐために様々な儀式を行うことも多い。他にもある季節の雨その他、天文気象の領域も大きい儀式をすれば制御できると人間は考える。またその異常は儀式の失敗や、誰かがやった罪のせいだとも考える。

 ある地域ではそのために定期的に膨大な人間を生贄として殺したほどだ。

 人間は世界をいくつか……まず善悪・光闇の二つ、それから十以内の数に分類するが、それが大文明になって精緻化したとき、地球が属する太陽と月を含む、地球から目立つ惑星と対応させることが多い。だがそれは人間が普通に目で見える数が、たまたま人間にとって都合のいいぐらいの数だったからだ……もし内側の軌道に二十個も惑星があったり、地球に衛星が十個もあったりしたらどうなったろう。

 それがもっとも重要な魔術であることもあり、天文学について自由に研究することは大抵は認められない。知識が独占され、新しい研究が禁じられればそれ以上進歩することもない。元々人間は変化を嫌うから、それ以上それらを進歩させようとはしなくなる。たった一つの例外的文明を除いて。


 数学も、土地の所有や人口などを数えることで重要になる。中でも直角三角形と円の性質は、建築や農業、あらゆる道具や機械の製造にとても重要な役割を果たす。


 人が数を数えるには、まず一つ一つ順に集中しながら手の指を曲げて対応させていく方法がある。人間の手の指は普通片手につき五本だから、十まで直感的に数えられる。ただし実は指を曲げることをデジタルに見れば、最大で二の十乗、1024まで数えられるが、人間の指は特に親指の反対側の神経と脳の関係が緊密でないため、複雑すぎる動きはしにくい。

 また、文字以前でも、小石を集めてそれと収穫した果実の数と対応させることもでき、同様に地面を棒で傷つけてその傷の数と数えるものを対応させることもできたし、木などに傷をつけても、棒を並べてもいい。多くの文明で共通に、3までの数を表す文字は並んだ棒の形だ。

 数を文字で記すことも社会を大きく変えただろう。それがなければ巨大群れは維持できないはずだ、人口や収穫量を書類にすることもできないんだから。計算を道具や文字を用いて補助するのもとても有用なことで、道具としても数を表現する木片や棒にいくつか穴を空けた固まりを通したのを並べたものが作られたし、紐に結び目を作って数を記録するところもある。

 どんどん大きくなる数ごとに別々の数を示す語・記号を作ってもいいが、使う数が大きくなるときりがなくなって覚えるべき新しい語・記号がどんどん増える。単純に+1の繰り返しでも原理的には可能だが、そうすると大きい数を表記するのに必要なスペースが大きくなって人間の認識能力を超える。実際には数は無限なんだから、無限種類の語・記号を考えるのは無理だ。

 そこで人間が使っているのが指数を用いた表記法だ。適当な、それほど大きくない数を決めてそこまで記号を定めておき、それより大きい数は「その決まった数」で割って余りを出し、さらに大きい数は「その決まった数」に自分自身をかけた数・それを三回繰り返した数……と増やしていって、それに気づいたのははるか後だが級数の形で表記する。

 人間の手の指の数である10を用いることが今は主流だが、約数が多くて使いやすく月と太陽の周期にかかわる12、60なども多く用いられた。数学的に考えると8や16も適している。

 ちなみに、0の概念を用いて数を表記するようになったのはかなり遅い。

 そうそう、実はユーラシア東で非常に惜しいことがある。その文明の魔術で、光と影の二元論を用いていろいろ占う体系があるんだが、それを表現する文字として横線と、途中で切れた横線の二つを基本単位とし、それを三つ並べた八種類、六つ並べた64種類を中心にするものがある。理想的なデジタル記号だ!ゼロの概念とあわせてそれを利用することを思いつくような数学の天才で高い権力の持ち主がいたら、どれほど素晴らしい数の表記法になっていたことか。ついでに文字も統合できるだろう、8,10,12のどれかに決めた数と、アルファベット同様に人間の発音単位、それに文章をわかりやすくする記号全部含めても64で足りるだろう。ま、人間の脳には適してないかもしれないがね。


 直角三角形は一つの角だけで相似が確定するし、円との関係も深い。たとえば手が届かないほど高いものの高さを測るのに、小さな直角三角形と、測りたいものの一番高いところと地面と自分の目の関係が同じ角度にできれば、その直角三角形を拡大すれば高さがわかる。

 また、一つの目印と二つの場所があれば、二つの場所の間の距離と、二つの場所を結ぶ直線と目印がなす角を確定すればそれだけでその三角形が厳密に定まる。二つの角があれば地図上に相似な三角形を描くこともできる。その測る場所や目印が多数あれば、それだけで到達できない場所の目印を含む厳密な地図を作ることができる。

 角度から高さを割り出すときに、角度とその角度をもつ直角三角形の、直角を挟む二辺の比が対応されることがわかる。様々な角度に応じたその比が高精度で定まっていると、特に天文測定や地図製作や建築では非常に便利だ。

 また、道具にしても建築にしても円が非常に重要になるので、円の周囲と直径の比もきわめて重要な数字になる。その数をどれだけ精密に求めているか、というのも文明を評価する基準になりそうだが、残念ながら中南米にあった帝国はその数はものすごく精密だったが軍事的には簡単に少人数の別文明に滅ぼされたりした。


**情報伝達

 情報を伝えることは人間にとってきわめて重要だ。文明の規模が大きくなればなるほどその重要性は増す。

 巨大群れが何より恐れるのは伝染病・敵の侵略・反乱・洪水などだが、どれも情報を得るのが早ければ早いほどいい。できれば起きる以前に情報を得ていればほとんど被害はない。起きても早く対処できればそれだけ被害は少ない。

 大規模群れの規模になると、声をいくら張り上げても聞こえないほどの、それどころか歩いて何十日もかかるほどの距離が問題になることが多くなる。

 それを短縮するには、まず早く走れる人間や馬に乗った人に情報を記憶させ、走らせる手がある。それも、道を整備し、一定距離ごとに元気な馬を飼っておいて、そこに着いた時に疲れた馬から元気な馬に乗り換えて走らせれば実に速い。船も気候のいいときの帆船は速い。

 もちろん文字で情報を伝えることも重要で、その伝える人が多少悪人でも情報が他人に漏れないよう、文字で書いた情報を読もうとしたら壊れ、複製できないように情報を受け取る側も知っている複雑な形を蝋などにつけた容器の中に入れたまま運ばせる手もある。

 さらに早い方法が、一つは光を用いる方法で、煙をわざと多く出してそれを遠くから見えるようにしたもの。光を用いる方法の発展として、棒を高く立てて彩った布をつける旗がある。後にはその旗の工夫できわめて複雑な情報のやり取りができるようになった。

 天気のいい日中なら日光を鏡で反射させれば相当な遠距離まで光速で通信できる。それを中継すればかなり速い。

 また、ある鳥が、どんなに遠くに運んでも放せば巣に戻る性質を利用して、あらかじめ遠くに運んであったその鳥を、情報を得たらその足に飛ぶのを妨げないほど小さな紙を密封してつけて放す、というのも電気以前は最速だった。

 最大温度・刃物の性能などと並び、最大情報伝達速度も実は文明を評価する重要な基準だ。


 速度を考えなくても、紙に書いた情報を運ぶという情報伝達法はいろいろな意味で重要だ。単に遠くに出かけた人が家族に自分の無事を報告したり、商売のチャンスがあるけれど資金が足りないから送ってくれと頼んだりできればとてつもなく有利だ。

 貨幣も同様に運搬できるし、後には信用を利用することで紙一枚を送れば貨幣を送るのと同じようにするシステムができた。


*大規模文明

 上述の様々な技術、特に農耕や牧畜による食料生産ができるようになると、大量の保存食が得られるため狭い土地に膨大な人数が高密度で生活できるようになる。また食料生産をしないで生きる人がたくさんできる。

 他の方法……オークの木の実、ヤシの類の幹や実、特に海の生物生産が豊かな地域の海の魚・貝・海藻など……からも大量の保存食を安定して得ることはできるが、麦や米による農耕、大草原での羊などによる牧畜ほど高密度の大人数を食わせることはできなかったようだ。また大規模に地形を変えて淡水を操る必要がないから、巨大な群れを作らず、巨大群れの圧倒的な暴力に滅ぼされたのかもしれない。潜在的には大量の保存食を得る方法は昆虫など他にもありそうだが、人間がやることの幅は不思議なほど狭い。

 大人数が高密度になると、戦闘での強さが圧倒的に高まる。多数で少数を攻撃すると、多数側はほとんど死傷者を出さずに少数の側を全滅させることが普通になる。だから狩猟採集生活をしていたり、森の木や魚に依存している小規模な群れは滅ぼされていくのだろう。

 そして我々が知る限り五千年ほど前から世界のあちこちに、大人数が集まって大規模な治水工事による農業を行い、大規模な建築をする巨大群れがいくつもできた。

 巨大群れを見るのには、人間自体は文字や指導者の名前を重視する、物語志向が強いから。だがエネルギー、輸送、森林伐採、水や食糧の獲得、人口や平均寿命、気候、情報伝達などを見たほうが、その文明と呼ばれる人類の巨大な群れを一般的に見ることができる。


 ユーラシアの草原では、家畜の群れと共に草を食べ尽くしたら移動する、定住しないかなり大きい群れも多く生活していた。その群れも時に戦闘のための巨大な群れを作ることがある。

 同じ時間でも地球のあちこち、農業をおこなう巨大群れと接しにくい深い森がある地域……特にアフリカ大陸の砂漠以南、ユーラシア半島の南東端からオーストラリアに至る巨大群島、南アメリカ大陸北部の大森林などにはかなり遅くまで農業による巨大群れは発達しなかった。

 また北アメリカやオーストラリアなど乾燥地帯が多く東西に比較的狭い大陸では多種類のよい作物や家畜を得るには狭いため遺伝子資源が乏しい。大型動物の多くを移住して間もない人類が絶滅させていたため家畜も得られなかったため狩猟採集生活が続いていた。


**文明の評価基準

 一時期、ある文明が圧倒的な力で世界を席捲したときはその文明が最高に、神だの善悪だのひっくるめて「高い」とみなされ、他の文明はそれと同じ数直線で低いとされた。逆に近年、そのような考え方に対する抵抗として、どの文明も平等だという考えが出てきた。

 でも実際には、「戦ったらどっちが勝つか」という単純な共通項がある。あとそれとも関係するが平均寿命、養える人口なども重要だ。最近は人権や政治体制を基準にすることもあるが、それが重要かどうか……

 はっきりわかる基準をいくつか挙げておく。

●最高温度(加工できる金属の種類・土器の質など多様)

●木を切る能力(燃料・建築・造船材料・森を農地にすることの水準。最上の刃物材=最高温度、輸送力に依存する)

●情報伝達

●輸送(輸送量・速度は軍事力・維持できる人口などに関わる重大な要員。治水とも運河港湾を通じて関係する。さらに到達できる範囲を問えば、近代以降の文明も評価できる)

●円周率(数学の水準であり、建築や天文の技術水準と関わる……ただし例外として、中南米帝国はそれらは高かったが最高温度・家畜種・保有する伝染病の種類・別文明と接する経験などが劣っていたため簡単に滅ぼされた)

●人口・平均寿命(食糧生産や医学水準、総エネルギー生産量とも関係する。基本的には、二つの軍が戦えば人数が多いほうが勝つ。ただし武器に圧倒的な差がある場合は別で、中南米帝国、徳川日本などが例外となる)

●保有する家畜種・伝染病の種類(歴史的にはこれが決定打になった)


*文明の基本法則

 地球は有限、人間の欲望は無限。これが誰が何と言っても事実でしかないこの世界の根本的な法則だ。

 人の多くは餓死すること、家畜同然に人に支配されることが当たり前だったことも忘れてはならない。

 だから人間の群れがどんな挙動をするか、長い目で見ることができる。

 人間の群れが望むことは人口を増やし、さらに一人一人がたくさんの物資……食料やエネルギーや淡水を使うことだ。

 だがそれを手に入れるための食料やエネルギーや淡水、それらを得るための資源には限りがある。

 具体的には、狩猟で食料を手に入れるには大型獣を殺すのが楽だし、それは群れの中でも勇気などの証拠となり地位を上げるのに役立つので好まれる。だが大型獣を狩りで殺し尽くしたらもう大型獣はいない。大型獣は子供の数が少なく、子供が生まれてから育ってまた繁殖するのにより長い年月がかかるから、それより速いペースで殺せば減ってついには滅びるだけだ。

 農耕の場合より複雑だ。森林である地域は木を切り倒して更地にし、草原出身の作物に合うように変えなければならない。

 また低く大量の水にいつも濡れている地域は、上述の蚊がたくさん発生するため伝染病が多く、人畜の生活には適さない。だがその水をうまく排除できれば最上の農地になる。

 農耕牧畜以後は、本質的には「利用可能な淡水」がどれだけあるかが一番の問題になる。

 森林を開墾し、また湿地を干拓して農地にするのは、これまで人間のために利用されていなかった、その土地が持っている淡水を利用できるようにしたのに他ならない。

 ただし、土地があって淡水が無限にあっても、それだけでは永遠に無限に農作物がとれるわけではない。本当は防げるのだが、人間は塩害を起こしてしまうし、斜面を下手に耕して土を流してしまうし、農地の燐・窒素化合物・カリウム・硫黄・その他必須元素をうまく補充せず使い切ってしまう。防ぐ方法はあるんだが、人間の知性には限度がある……欲望が強く、迷信に縛られ、借金を返すこと、多すぎる子供を食わせること、奴隷に耕させてカネを得ることなど短期間の利益の必要だけで動いてしまい、正しいやり方ができない。土地は無限にあるから五年で草一本生えない岩場になっても次に移ればいい、というのが好きなんだ、人類というバカは骨の髄から。

 科学的にどうすればいいか分かっている今でさえ、世界の農業の大半は不適切なやり方だ。


 そして森林の木材は建築・金属の精錬・燃料・船の建造・祭儀などのためにも大量に消費される。だが木が育つには人間の寿命から見ても人間の生活から見ても長い時間がかかるため、一年草が多い作物とは違って木を切り倒してすぐに種を植え、育つのを待つことを人は普通はしない。

 結局は森林を切った後、その土地は農地となり、塩害と土壌流出で農地が放棄されて遊牧に使われ、遊牧で最後に羊と山羊が草の根まで食べ尽くして永遠に草一本生えぬ砂漠となる、というのが人類の歴史の基本パターンだ。

 アフリカ大陸を出て農耕牧畜を覚えるまでの人類は、ほとんどの大型動物を絶滅させる災厄だった……だが農耕牧畜を覚えてからの人類は、どんな豊饒な森林も千年かそこらで砂漠に変えてしまう、生命そのものの敵だと言ってもいいぐらいだ。

 どんな貪欲な昆虫や微生物よりひどい。非常に長い目で見れば、カビが板状のパンを食べ尽くしながら少しずつ移動していくことにさえ似て見える。


 もう一つの、人類の歴史のある時期のユーラシア大陸で重要なパターンに、農耕民と遊牧民の対立構造がある。アメリカ大陸では大規模な遊牧民は家畜となる大型動物の不足などのためできなかったが、ユーラシア大陸中央部の巨大な草原地帯では、家畜と共にある地域の草を食い尽くしたら移動する生活をする人々が多くいた。

 その人たちは馬を使うこと、群れを組織する技術が高いことなどで極めて高い戦闘能力を持ち、また自分たちの群れ以外を人と見なさず奪い殺すことが多かったため農耕民に恐れられた。また移動する能力の高さなどから農耕民との交換や物資の交易も広く行ってきた。

 遊牧民の攻撃から農耕民が必死で自らを護り、時に環境破壊や気候変動の影響もあって護りきれず滅ぼされるのが歴史の中で多く見られるパターンだ。

 ここで注意しなければならないのは、歴史の多くは農耕民によって書かれてきたことだ。遊牧民には彼らなりの歴史がある。たとえば多くの歴史書を残し、歴史をたどりやすいユーラシア大陸両端の歴史を、逆に遊牧民の側から見ると巨大で偉大な遊牧民帝国の興亡があり、その周辺でわずかにごそごそしている農民の群れ、という程度の話になる。


 後に燃料が石炭となり、そして石油となったことで人類は桁外れに莫大なエネルギーを手に入れた。

 それだけでなく、多くの知識が集まり、より強大な権力と武力を生み出すことができるようになった。


 ちなみに余剰人口、特に若い世代が大量に余り、しかも開墾できる森が不足していると社会はよほどまとめる力が強くない限り不安定になる。その若い世代の力をそらすには外に開墾できる森を求め、そこにすでに住んでいる人を皆殺しにして森を開墾するのが基本だ。そのためには別の群れを宗教を利用して敵とし、戦って群れをまとめる力を強めると共に余剰な若い人とを大量に死なせることも有効だ。新しい領土を得られなくても、ただ敵を憎んで戦うだけでも巨大群れをまとめることができる。場合によっては巨大群れの中の特定の部分群れを宗教的な敵と見なし、それと戦う……虐殺してそのポストを奪うこともある。

 人口の管理も、それこそ人類になる前からあらゆる動物にとって重要なことだな。人口は過剰でも文明崩壊を起こすし、少なすぎても戦いで負けて滅ぼされる。土地の生産限度に合う数でなければならない。

 人間集団自体の心理的な問題も重要とされる。特に人間の学者は、なぜ文明が滅んだかという問いに対して道徳的な解答を好むふしがある。

 巨大群れの政治を乱すもの自体を問えば、農地の疲弊・森林の喪失・水利の破壊、軍事的な新勢力、富の集中と富による政治の腐敗、情報の硬直などがよく言われる。


 その巨大群れには、それまでの小規模な狩猟採集生活をする群れとは人間集団としての動きが色々根本的に違う。それこそ別の生物のようにも感じられる……ちょうど、ある種の移動力の高い草食昆虫が、面積当たりの数が少ない状態ではあまり移動せず暮らしているだけなのが、面積当たりの数がある限度を超えると姿形も変わり、巨大な群れになってすべてを食い尽くしながら移動することのようだ。

 それもできるだけ説明しよう。


**巨大群れにおける人間集団


*統治

 複合群れにはいくつもの面がある。まず極端な土地の高低・広い川・海・砂漠・深くて切りきれない森・利用できる淡水が少なく不便な地などで隔てられた地域で一つの群れを成す。それは食糧生産を基盤にした比較的普通の群れだ。それに情報による群れも重大で、地域の壁を破って広い地域を後述する宗教が支配することも多い。また人間の遺伝される外見・言語などもある意味群れを区分する。

 地域による群れがそれ自体巨大群れ同様、最上位者が一つの力のある家族に親から子に継がれている場合、その最上位者を殺すよりも巨大群れの中核になる群れに住まわせ、巨大群れ自体の最上位者に優遇して仕えさせることで群れを統合するシステムも多く見られる。

 魔術的なものも重要で、後述する宗教群れの一員を派遣して宗教的に管理することも多い。

 巨大な群れが、特に都市と離れた地域の多数の群れを統治するには、まず決められたとおり人数に応じて保存食や貨幣を払わせ、戦うためや土木作業のため、時には支配する群れの快楽・繁殖のため美女さえ出させることもある。人質……相手の愛する人を支配下に置き、「お前が逆らったらこいつを殺す」と脅すことも重要になる。

 水系による管理も時に重要になる。大規模灌漑網の支配は、下流の群れの生殺与奪にもかかわり、地域ごとの争いの元になるのでその争いを止めたり煽ったりすることが重要な支配になる。

 原則的に巨大群れ内部では、部分群れ同士の争いを制限するが、逆に部分群れどうし争わせることで巨大群れを保つ手法も有効だ。


*階級

 全人類の遺伝子はほぼ一様だが、人類の能力には相当な個体差がある。

 だがここで問題にしたいのは巨大群れ内の比較的小さな群れ、親子のつながりを中心に受け継がれる地位だ。個体差自体の評価は難しく、戦争で役に立つ、または文字以降は多くのことを知りうまく言葉にする、見た目が美しいことなどによる。食物の処理によって評価された人もいる。

 ある仕事をする資格はそれ自体、土地の所有などと同じく所有され個体に附属する財産となり、巨大群れでは群れ内群れの財産となる。それは個体・その個体が属する群れの名誉とも直結している。それがなければ、特に都市部では日々の食を得られず生存すること自体がきわめて困難になる。逆を言えば、許可なく仕事をする、それ自体が他者を殺し巨大群れの秩序を脅かすのと同等の重大な犯罪行為だ。

 小さい群れにはいろいろあり、中にはある仕事を代々やってきた群れ内の、繁殖関係が近い部分群れもあったろう。ただし、それが他と完全に違う群れになるには群れ自体が小さすぎ、群れが分裂して争ったら群れが機能しなくなるからそれは少なかったろう。また順位が高かった人の子がかならずしも高い順位をそのまま得られるとは限らない。群れが持っている財産自体も少なく、それを共有する圧力も大きかったはずだ。

 だが、群れが農耕によって巨大になり、それが他の群れを暴力で叩き伏せてしかも皆殺しにせず家畜同様の奴隷にすることで複数の群れが上下関係を持って共存する様式になっていった。

 さらに文字、金属や高度な木材や石材や土器の加工、土木や農耕に必要な高度な知識……魔術とすべて深く結びつく……を専門に行う群れ内群れもでき、彼らは自分では食料を生産せずに他の人々を支配し、他人が得た食料を食べて暮らすようになった。

 特に戦闘能力が高い、金属の武器を持ち人を殺す訓練をした集団も重要だ。


 人間は自分と親子兄弟などでつながる縁者、幼い頃からともに暮らした人を多くは愛し、自分が死んだら自分の持つ物・情報・社会的地位・群れ内部でそれをしていいと認められていることを子供に継がせる。その「巨大群れ内部でのある仕事をする資格の独占」は、特に都市においては生存するため、より快の大きい生活をするために必要だ。

 それ以降現在に至るまで、同じ人類でも桁外れの富の差があり、また一方的で親から子に引き継がれる強い社会的地位の差がある。その中で、人がしなければならないさまざまな仕事にも、高低というか善悪というか貴賤というか、要するに一つの数直線で表現される階層ができている。基本的に肉体を使い、動物の死体や人間の排泄物などを扱う仕事が低く、文字や魔術に関わる仕事と軍事が高い。文字が「高い」文化と軍事が「高い」文化がある。

 特に大きい群れになると、穀物・家畜に依存する食糧生産、大規模な定住という生活様式もあり、多くの情報と地位を受け継いだ群れ内群れは他の人間を事実上家畜扱いできるほど権力・富・魔術的地位の差を作ってしまった。

 また、多くて百人の小さい群れでは人命は貴重だったろうが、万単位の多くの群れでは多少の人命は家畜同様に気軽に犠牲にできる存在となる。人にとっては本来自分の群れの一員でない者はいくら殺してもどんなに不快にさせてもいい存在だし。

 巨大群れ内群れには低いほうも際限がない。巨大群れの周辺や、内部で属していた群れから追放された者、逃げた奴隷などが次々にどの群れにも属していない存在になる。巨大群れ以前にはそんな人はほとんど飢え死にしたり肉食動物や別の人間の群れに食われたりし、生きるのがうまい人はほかの群れの縄張りでない場で狩猟採集生活で生きることができたが、巨大群れの領域内部では大型肉食動物はほとんど絶滅し、食人が禁じられることが多く、あらゆる場がどれかの群れの縄張りなので狩猟採集生活も後述の犯罪となる。だが、さまざまな、細分され特に穢れが大きい仕事があるため、彼らも生きられることが多かった。

 ちなみに悲惨な状態にいることそれ自体何かの罰であるとされる。だから病気になった人間が、罪の報いだと逆に罰されることさえある。貧困者もそのように「罰されている罪人」として扱われることが多い。

 同時に人間には平等を求める心情があり、それと現実の階級がはっきりした巨大群れの様相は大きく異なる。また群れとしての人間は本来あらゆる群れの最上位、または他のすべての群れを滅ぼして唯一の群れでありたいのだが、その望みとも現実が矛盾している。


 単純に言えば、なぜ自分が……一番高い地位からとことん低い地位まで……その地位に産まれ、その仕事をしなければならないのかを人は理解したがるが、それは不可能だ。すべての人間は交配可能だから合理的な説明は無理。たまたま先祖がその地位を手に入れ、たまたま自分がその先祖の子として生まれるのがほとんどで、別の形で群れに加わるとしてもそれもほとんどは偶然だ。

 だが人間は偶然を嫌い、物語を求めてしまう。矛盾を覆って現実世界で人が生きられるようにするのはやはり物語であり、儀式だ。後述する宗教の役割が非常に重要になるし、他にも人類が進化してきた長い時間にはなかった高密度大人数を群れとして維持するための様々な技術が発達していった。

 なぜその支配が正統なのかを物語で示し、また支配する側は自分の支配力すなわち権威を様々な言葉・体の動き・装飾・生活様式の違い・戦場での勇敢さなどあらゆる方法で示し続けることになる。


 巨大群れが多数の群れ内群れでできている構造は、人が知を増やし技術を改善することを妨害することが多い。情報は重大な財産であるため、人は情報を群れの外に出さないようにする。また人は保守的であり、群れの中では考えなどを統一したがるため、子供には自分たちとまったく同じ情報を得て同じ考えを持つことを強要する。

 また大量の情報を得るには文字の読み書きが必要だが、それができるのは高い階級に生まれ生来富裕な人間だけだ。だがそういう階級は生来、生活のほとんどを奴隷にやらせるため手を使って何かを作り、多くのものの性質を学ぶことがないし、生産技術を軽蔑する傾向が強い。文字による高い知識と手による技術が結びつき、多くの人と情報を交換し、試行錯誤を行うことができれば技術は改良されるが、そのようなことはめったに起こらないんだ。

 文字・情報伝達に必要な資材自体が絶対的に不足し高価だということもある。


 後述する近代化に付随して、階級を一つの利害を同じくする群れととらえ、上の群れが下の群れから人間が家畜から搾取するように搾取しているのがこの世の真実だ、という思想が広まった。


**法・刑罰

 群れの規模が小さかった頃は、最上位者の感情的な暴力や魔術と一体化した感情、群れ自体の心の動きなどだけで十分なにをしてよく何をして悪いかは確定できた。

 だが多数の群れが集まり、農耕でものすごい人口になると、一人の人間の動物的な力だけでは巨大群れ全体をコントロールすることは不可能になった。群れ内での複数の群れどうしの争いも抑えなければならず、それはこれまでの単一少数の群れを扱うのと同じやり方では不可能だ。また群れ間の、互いの皆殺しに至らない交易も多くなり、「他者」の概念もできた。

 そのためにできたのが、言葉によって「何をして悪い」を明確にする、ということだ。逆に群れの支配者は、自分の感情、特にどの群れ内群れに所属しているかを無視して、言葉だけを基準に罰を扱わなければならなくなった。これは人間が公平を重視する心のありかたを持っていることも関わるんだろうか。

 ただし、一足飛びに法だけで社会ができたのではない。まず家族や小さな群れの内部での犯罪は原則としてはその内部で処理されることになっていた。


 そして群れと群れの間は、特に巨大群れがしっかり固まる前は報復の原則が支配した。群れ動物として進化してきた段階からある、自分の愛する者・自分の属する群れの一員を殺し傷つけ、また持っている物を奪った敵群れの人を攻撃し、殺す……その心理構造でない群れは一方的に殺されて滅び遺伝子を残せなかったろう。多くの群れが、すぐに互いを皆殺しにするのではなくより大きい群れの一部になってからも、自分の群れの一員が他の群れの人間に殺されたときには相手の群れを攻撃するのが最初に行われた。そして自分の群れ以外の人間を殺すことは、自分の群れの中では罪にならない、これも当然だった。だが、それを好き放題に許していたら、特に有力な群れどうしが激しく戦い、双方が多くの別の群れに協力を求めた時に巨大群れが崩れるので、それを抑止するために別の群れの個体に対する殺人は巨大群れを支配する群れが、言葉で定められたとおりに罰を与え、それによって双方の群れの復讐の義務を止めた。

 法が禁じることをした「犯罪者」を巨大群れが特定し、攻撃して行動できなくし、その上でその人が犯罪を犯したことを確定し、そして処罰することが、巨大群れから地方の比較的小さい群れに至るまで、群れの非常に重要な機能となった。それは魔術・宗教的な意味もあるようで、それがきちんと行われなければ群れが崩壊し、ひいては気象・農耕も破綻すると誰もが、言葉にならない前提として信じるようになったようだ。それが小さい孤立した群れがアフリカをさまよっていた頃からかはわからない。

 基本的には、犯罪を犯したと確定した、それどころか疑われた時点で個体は心情的に群れから切り離され、人でない邪悪な存在、公の敵とされる。ただし、巨大群れの法と、本人が属する群れの法が異なっていて、巨大群れの法では犯罪でも本人の群れでは合法であることも多くあり、その場合その群れでの名誉は失われない。

 ちなみに昔は刑罰の多くは個体にとどまらず、家族全体に及んだ。元々群れどうしが敵対したら、生き残りが復讐してくるのを防ぐためにも皆殺しが一番いいから、というのもあるだろう。また見せしめの論理……人間を群れに従わせるには恐怖によるのが最もよいとされるからでもある。個体を殺すより家族や群れを皆殺しにして遺伝子そのものを失わせるほうが恐怖は大きいし、やる側の特に浄化欲が満たされる。

 刑罰もいろいろと発達する。特に見物する人に恐怖を与えるため、人を死なせないように苦しませる技術の進歩はめざましいものがある。

 刑罰自体は激しい苦痛の後の死、楽な死、単純な苦痛や手足の切断・去勢など元の体に戻れない傷、刺青による罪人であることの明示、単純な苦痛、巨大群れの領域から・都市からなどの追放、遠い島など不便な地域への追放、狭く勝手に出られない巣に閉じ込める、土地を含む財産の没収、都市における仕事の剥奪、名誉を奪う、そのために罪を明記して皆の前で移動できなくして本人を見物させる、家畜化して貨幣との交換対象にし肉体労働を強いる、宗教的な呪い、宗教的な生贄など多様にわたる。また、小さい群れや個体どうしの個人的な争いや犯罪は、決闘などで決着されることもある。

 犯罪自体も複合群れが絡むため複雑になり、しかもできるだけ言語で規定される必要が出てくる。主な犯罪は誰であれ人を殺すこと。例外的に、家長が家庭内で奴隷を含む下位者を殺すことはほぼ容認される。また人を肉体的に傷つけることもそれに準じる。人を言葉などで名誉を下げることも犯罪とされるが、それは当人どうしの決闘に委ねられることが多い。雄が雌に暴力を振るって合意なく交接行為をおこなうことは、特に別の群れに属する雌の場合はその群れの財産を傷つけられると同じでしかも魔術的・名誉の面でも重大な意味を持つ。不条理ではあるが被害を受けた雌が道徳的に攻撃され、処刑されることも多い。

 他人の財産を奪うことも禁じられる。複雑なのが、貨幣を言葉でやり取りするようになると、たとえば質の悪いものを騙して売りつけたりすることができるようになる。

 巨大群れの治安・魔術的秩序自体を乱すのはより重大になる。地域や時代にもよるが、単に人を殺したり物を盗んだりする程度は無視され、巨大群れの秩序に関する罪のみが関心の対象になることさえある。まず群れの上位者に対する攻撃。家族の中での子が親を、女が男を殺すことなどは魔術的にも重大な意味を持つとされる。特に巨大群れを支配する群れは宗教的にも特別とされ、それに対する攻撃は神に対する攻撃という魔術的な意味も付与される……その結果大洪水が起きてもおかしくないほど重大なこととされてしまう。

 言葉、思考で支配的な宗教を否定することも同様に秩序を乱す罪となる。

 逆らうのを防止するため、巨大群れの中で群れ内群れを作ることが原則として禁じられることもある。人が集まること、集まって食事すること、会話することもかなり普遍的に犯罪とされる。

 貨幣を個人が勝手に作ること、これはかなり後の時代になるが、武装自体が罪とされるようにもなる。

 都市の場合、建物に火をつけることはきわめて大きな被害をもたらす。また治水関係のものを破壊することも同様であり、ともに重罪とされる。

 後述する、支配群れと無関係に魔術を行うこと自体も魔術的秩序を乱す重罪とされる。


 これは小さい群れの頃からあったことだが、例えば誰かが殺されたり、群れが共有していた家畜が殺されて食われたりした場合、「誰がやったか」がけっこう重要になる。当人以外誰も見ていないところでやることもできるからだ。

 その場合には誰がやったか突きとめるのに魔術と、同時に論理的な推理が行われる。

 小さい群れなら大抵それほど困難ではなかったが、大きい複合群れでは問題がある。皆が納得できるように結論を出さなければ不満になるからだ。そのために文明ごとに様々な、最初は魔術的に、それから徐々に合理的に誰が犯人なのかを確定する方法ができていった。

 ただし実際には、魔術によって犯人を定めようとしたり、また疑われた者に激しい苦痛を与えてやったことを認めさせる方法も多くとられた。それは後代徐々に野蛮・悪とされるようになるが。犯人以外誰も知らない情報……死体を隠した場所など……を自白させれば、それは犯人だと確定できる。だがなぜか人類は、自白すれば犯人だと思うようだ。誰であろうと適切な苦痛と疲労と睡眠不足で自尊心など精神自体を砕き、やってもいないことをやったと自白させることは容易だから無効なんだが。

 ついでに言えば、誰がやったかを確定するためには人の証言も重要になる。原則としてヨーロッパでは宣誓が重視され、宣誓しての証言は事実とみなされる。でも人間、それほど記憶力はよくなく、個体それぞれの物語に沿った記憶、見たり聴いたりした像を後から作ってしまう生き物なんだから元々あてになる代物じゃない。

 あと群れ全体が、「高い地位がある人の語りは真実」「群れ全体が共有する物語は真実」ということをきわめて強く信じているため、元々高い地位である罪を裁く人がこいつが犯人だ、といえばたいてい皆がそう信じてしまい、実際のことは無視されてそれが真実とされてしまう。

 見逃されている犯罪、やってもいないのにやったとされることは常に多い……だが、人はそれについては考えてはならないことになっている。価値観に疑問を持つことはそれ自体が悪とされるものだ。共同体の物語を一貫させることが常に最優先される。


 犯罪の中でも社会的に重要になるのが、巨大群れの事実上外にいる二種類の成員だ。都市内の排除されている人々は後述するが、もう一つ、事実上巨大群れと独立した小さな群れもある。それらは人を攻撃して殺し、奴隷にしたり殺して持ち物を奪ったりする。山や森など視界が広くない複雑な地形にもいるし、海の、特に多数の島がある沿岸にもよくいる。

 その力が強く、遠距離移動のリスクが高くなると情報交換・物資の移動などが円滑にできないし、巨大群れのために多くの犠牲を払っているのは巨大群れが自分たちを守ってくれるからだ、という暗黙の約束に対する信用もなくなるため、巨大群れが崩壊することにもつながる。


**所有

 動物でも、自分の体以外の物に愛情を持ち、それと距離を離されることを不快とし、もし離れてもすぐそれに触れることができると快である、ということはある。食べ物もあると快だが、食べ物は食べればなくなる。飼われている犬が飼主の匂いがしみているものを、群れそのものと同様に守ろうとすることもある。

 また、多くの動物にある「なわばり」は当然人類にも強くある。ある地域を群れが占有し、また群れ内部でも家族、個体がそれぞれ他者をできるだけ拒む地域を作り、その内部のものを利用できるのは自分だけとして、侵入して内部のものを利用しようとした者を攻撃する。移動して生活していても、移動する都度自分の領域を確保するし、また遊牧生活をしていても非常に広い地域を実質自分の群れとして周期的に訪れることも多い。巣については特にそれが強い。

 移動していても愛着を持つものにはまず衣服・寝る時に使う保温具。匂いもついているし、感触になれていて安心感がある。武器は特別で、その他の道具も生存に直結し深い愛着を持つ。

 人間は物や土地に対する愛情を魔術的に表現できる。物には自分のシンボルを刻んだり描いたりして装飾にすれば、他人が盗んだときにすぐそれは自分のものだと証明できる。土地に関しては魔術的な儀式で自分とのつながりを強化することができる。所有にも魔術は密接に関わっており、「~を所有する」ことと「~を魔術的に自分の一部とする」「~を魔術的に擬人化し、自分を長とした群れの下位個体とする」は同じことだ。また土地に、他者の侵入を禁じる魔術を行うことで魔術的な敵から身を守る方法も多用され、それは後に所有権の主張として多く行われた。

 牧畜の場合自分・自分の群れの家畜を他と区別するために体の一部に決まった単純な形に、石や金属を焼いて傷つけて印をつけたり群れ特有の装飾をしたりする。農地の場合には、はっきりと地面にある色々な木・大きい石・川や池など水を利用し、幾何学的な範囲を決めてその内部を耕作し、収穫するのは自分・自分の群れだけだ、と宣言する。

 ついでに人間の場合、一人では食べきれない莫大な量のもの、数字や文字で記されただけのもの、現実には存在しない架空のものも所有できるようになったからややこしくなってしまった。それらを無限に所有したいと思ってしまうんだ、食物は食べきれなければ腹が苦しくなり、腐るだけだが、情報を所有することはいくらでもできる。

 上述した仕事も重要な財産といっていいだろう。それは同時に人間関係、信頼、名誉もまた財産であるということだ。


**農地私有

 農地と水を誰が所有しているか、というのはどの地域でも、どの文明段階でも重要な問題であり、社会構造全体を左右する。

 後述する貨幣の性質、特に借金によって、少数の有力な家系群れに土地が集中し、周囲の人間はそれに従属するというか奴隷として所有される立場になっていくことが一般的だ。その所有された人間は、多少武装さえさせれば戦闘群れにもなるため、ある程度以上大きくなれば支配群れと戦って倒すこともできるようになる。

 それを防ぐために支配群れは広い土地の所有を禁じたり、立場の弱い多数の人々に土地を分け与えようとしたりするが、時間が経つと一般に広い土地を所有する家系に力が集中する。

 ごく一部の雨が多い地域以外は、灌漑水がなければ土地は農作物を生まないので、水を管理する人間に力が集中する。逆に治水のために常に多数の人間を動員しなければならない。

 誰かのものでない土地も重要だ。特に海そのものを所有するのは難しいし、魔術的な理由で所有が禁じられる地域、支配群れが狩猟のために森や草原を残しておく地域も多くある。地域群れが共有してそこで誰が狩猟採集をしたり燃料にする木や緑肥を集めてもいいとするシステムもある。後に近代化において、それが崩壊することが非常に重要だったりする。


**貨幣

 小さい群れで暮らしていたときには、物は家族なら原則愛情と(自分が飢えたら同じく無償でくれる、という)信頼だけで物を与えあっていた。

 交換もあったろうが、いい悪いとかの感覚が変わらない均一な言葉や感じ方をする群れだから、群れがやっていけないほどの不都合はなかった。

 群れどうしの交換も小規模で、互いにだましあったり、やはりだましたら次の取り引きがないと学んだりして適当な交換基準を作ったりして、両方の記憶だけでもどうにかなっていた。

 ちなみになんであれ、ある物が多くあるところから、少ししかないが求められているところに運べば、それだけでどんどん富むことができる。

 だが多数の群れが巨大群れを作ると、とてもそれだけではやっていられない。愛情は全くなく、信頼もない。人間はどの群れも他者は騙しても殺して奪ってもいい獲物だと思っている。たとえば家畜と金属の価値の関係が群れによって違ったら大損することもあり得る。交換しやすいのは生きた家畜(奴隷を含む)、農産物、武器などだろうが、それらは一般に重くかさばり傷むことがある。

 いつからか、巨大群れの中で、いくつかの条件を満たす素材をあらゆる物々交換の基準として用いることが多くなった。さらに巨大群れの一番上位の力でその素材でできた単位交換財を決めて、それ以外での交換を禁じることもされた。あれとこれではなく、あれと貨幣・これと貨幣の交換比がそれぞれあり、それを推移させてあれとこれを交換するわけだ。

 その素材の条件としては、入手できる量が少ない・ある程度固い・細かく分割して表面を整形できる・腐ったりせず人類の暮らす環境で安定している・偽造不能などがある。塩化ナトリウム、金属の金・銀・銅、一部の非常に硬度が高く透明な鉱物、特殊な貝類などが多く用いられる。金属を薄い円筒状に加工した物が一番多いな、その表面に簡単に神や同じことだが支配者の顔、図形などを加工できた。

 もちろんそれらは魔術でも非常に高い意味を持っている。貨幣の魔術的な側面も非常に強いことは忘れてはならない。群れ内部の信頼感情と魔術には密接なつながりがあり、それが貨幣の価値を形作っているんだ。群れが崩壊状態になれば、貨幣など価値はなくなり、食料に価値が出る。


 その貨幣は数、情報にもなる。経済が数値化されたわけだ。そうなると巨大群れの、物の所有を数で紙に記し、管理することができるようにもなる。

 後には紙に書かれた数字だけ、巨大群れの統治に対する信頼そのものを貨幣として扱うことができるようになった。また紙に数字と言葉を記したものを持っていって、それを長距離移動した先で貨幣と交換できるようにもなった。

 借りる……こちらから交換に与える物がないけれど、あとで返すと誓約して物や奉仕行動を受けとることも、貨幣の発達によってより大きく発達した。ここで問題なのは、借りたまま返さないことをどうやって抑止するかだ。それをやった人間に二度と貸さない、また貸さないよう情報を多くの人に伝えるのもある。魔術的な誓約もある。なんらかの、そう簡単には貨幣にできないが最終的には価値があるものを預かるのもあり、逆にあらゆるものを貨幣にする能力……いろいろな地域のいろいろな人の居場所を知り交換ができるだけの信頼関係や接するのに必要な魔術に関する知識を持っていることは重要な力だ。暴力で違約した者の財産を奪い、場合によっては相手を奴隷にすることもある。巨大群れがさらに発達すると、巨大群れに集中した暴力で貸した側に代わって借りた側から借りを払うよう強要するのを法に書き加えるシステムにもなった。問題になるのは本当に借りたことの証明で、それには別の証人の前で借りたことを誓約するか、後には文字で残すこともできた。

 後には、大量の貨幣を借り集めてそれによって大規模な農地開発・鉱山開発・船建造・戦争・機械の購入などをして、一人の財力ではできないことを行うシステムができた。詳しくは後述するある文明が発達した鍵はそのシステムだ。

 それによって、多くの貨幣を持つ人はより多くの貨幣を得ることができ、持たない者はずっと貧しいまま、という人間社会の基本法則ができた。特にそれによって農村は、時間が経つと社会として機能しなくなる。農耕には不作・豊作が不安定に起きるし病気もあるが、不作時や病人が出たら比較的小さい多くの農家が借金で生きのび、その代わりに土地を手放し、自分を奴隷にする約束をしてしまう。その結果土地は少数の豊かな家に集中し、その地域の人々の多くはその奴隷となる。そうなると緊密な、独立性の高い群れになってしまい、それが支配群れから独立したがって内乱になることも多い。

 さらに大きすぎる豊かな家と多数の奴隷という巨大農家は、土壌が失われたりすることに関心を持たず、農業自体の持続可能性も低い。まあ分割相続や難民流入で一人当たりの農地が小さくなりすぎても休耕などの余裕がなくなり持続できなくなるが。


 さらに貨幣が数字になると、巨大群れが成員からどれだけのものを奪えるかも、言葉で法として定められるようになる。暴力を持つ巨大群れは、本来誰からでもすべてを奪うことができる。けれども誰がどれだけ誰から奪うかがはっきりしていないと、その不安定さに耐えられない成員が巨大群れに従わなくなる危険がある、だから定めた方がいい、ということだろうか。

 貨幣によって税をとることができるようになるのはかなり後のことで、交換しやすい穀物、家畜……人間の奴隷も含む、それも一生の場合も期間を決めた一時の場合もある……、布などいろいろな形だった。巨大群れの本質は、多くの群れから多くの人々を引き離して集め、それによって大規模な治水・建築・暴力などを行うことだしね。


 実際には、貨幣ができてからも物々交換はとても長いこと混在していた。今でも群れ内の、家族などの群れの中はほとんど物々交換か愛情による与えでことが済む。

 また誰もが必要としており、どこででも交換に使える素材が、巨大群れによって貨幣化はされないものの広く交換に用いられることも長いこと多かった。塩、布(特に絹)、高級毛皮、家畜、穀物、主要金属などはどこでも何とでも交換できる。

 また巨大群れでは、普段対立している群れ内群れも争ってはならない場が、むしろ宗教的なタブーとしてできることが多い。それは移動しやすく開けた場が多く、そこでは色々な物の交換が比較的安全に行われる。


 それ以前に、大規模群れ自体が群れ間・長距離の輸送・交換がなければ絶対に維持できない。何よりも誰もが必要で産出が限られる塩化ナトリウム、塩の膨大な需要を満たす必要がある。また食料・木材・石材・金属などもだ。

 元々、一方の海辺では豊富に塩と魚がとれるが良質の石器が出ない、一方の山では良質の石器が出るが塩とタンパク質がない、となると塩漬けにした魚と石器を交換すればいい……と、多いものを運び出し、少ないものを運び入れるのは広い地域が全体としてより豊かになるし、それを運ぶ者はどんどん豊かになる。

 大規模に交換が行われる場、そして貨幣があると、安いところで買い、運び、高いところで売って利益が得られるので、それがより自動的に行われる。逆に地域全体で食料が乏しくなり、恐怖が蔓延して安全でなくなるとそれが衰退する。


**様々な富

 特に文明化された人間は色々な物を欲しがる。その人が欲しがる物を人に配れば、それだけである程度の権力さえ得られる。支配者の行動として、ただ多くのものを人々に配ったりすることもあり、それは多くの人に好かれるためのきわめて有用な行動だ。

 また宗教自体が……宗教より先かも知れないが……富むものはその富を貧しい人に無条件で施すことを道徳的に高いとする。それもかなり重要なことだ。


 ある程度以上社会が発達するとさまざまなものが欲望の対象となる。何よりも「少ない」ことが条件だ。欲しがられることも重要だが、特に社会が豊かになるとただ希少であるだけで求められるようになることもある。

 水や空気は人間にとって必須だが、どこにでもたくさんあるので誰も苦労して得ようとはしない。だが砂漠をさまよっていれば、金銀よりも一口の水のほうがはるかに貴重になる。技術が低い頃は鉄は金銀より高価な富だったが、技術の発達につれて富としての性質が変わった。

 というかどれだけあって、どれだけ欲望されているかから物の価値が決まる、というのが人間が富などを考える基礎だ。

 貨幣になる金銀など貴金属、また透明で傷つきにくい一部の鉱石が「少ない」富だ。それらは小さい体積で容易に携帯でき、たとえば身一つで逃れるとしても服の隅や体の内部にさえ隠すことができる。

 人間が生きること自体に必要なもの、食料特に保存食や布、革も重要な富だ。

 特に塩化ナトリウム、保存できるようにした貴重な調味料や茶や肉、油や酒、高い技術で作られた絹布、良質の毛ごと加工した皮はほぼどこでも貨幣同様に扱われる。動植物由来の薬・染料・香料・調味料(しばしば同じものがそのいくつかを兼ねる)にも貴重品は多い。

 人間の奴隷や家畜も高い価値があり、しばしば略奪される。

 本質的には情報である、ある地域で作られて高額で運ばれてくるが、潜在的には受けるほうの地域でも種さえあれば育てることができる作物・家畜の品種の、繁殖可能な種などの価値はきわめて高い。ただし、情報の価値自体が尊重されるのはかなり後のことだ。

 情報も価値があるが、そのことは特に生活水準が低い者や戦闘ばかりしている遊牧民には理解しにくく、しばしば大規模に破壊される。人間には情報を破壊する衝動があるのではないかと思えるほどだ。

 情報の最大の特徴は、事実上無限に複製できることだ。もちろん熱力学第二法則上、情報は少なくなろうとするため、情報の複製にはエネルギーが必要だが。より長時間保存できるように記録するには、石を彫ったり土器を焼いたり、後には高精度の半導体を作ったりなど大きなエネルギーが必要になる。

 エネルギーも本来は大きい富だが、エネルギー自体を運搬するのが難しい。特に水力などは本質的に全く運搬できない。大規模な炭鉱や油田も、その産物を移動させるのには大量輸送が必要になる。

 そのように考えると、富の重要性としては希少であること、運搬しやすいこと、変化しないことが結構大きいようだな。


 地域全体の性質も富とみなすことができる。多くの木がある地域を所有すれば切り倒す技術がなくてもかなりの量の食料が得られる。切り倒す技術があれば木材や燃料を得ることができ、根を除くこともできればしばらくは木の根が育んでいた土が豊富な農業生産をもたらしてくれる。

 特に価値の大きい地は港に適する地域などだ。それもまた希少性の問題となる。


**仕事・利権

 あることを「していい」という許可は人間の大集団にとってとても重要だ。それは所有と非常に近いもので、たとえば人類の最も古い状態からでも、地下水がわいてくる地点や海から遠く塩化ナトリウムの塊でできた岩などは誰もが利用したい、利用した時に大きく生存可能性を高める場だ。逆にそこを縄張りとして独占し、そこに接近し利用するものを攻撃するようにし、利用するためにはさまざまな代価を求めるようにすればただその地域を守るだけで何でも得られることになる。無論それは圧倒的な暴力で奪われるリスクもあるが。

「していい」許可は群れの内部でも重要であり、特にそれは魔術的な地位と関係する。装飾的なものとも関係し、地位=装飾の許可=ある魔術の許可、ともいえる。それは情報の独占であり、特に重要な独占される情報は医や天文に関するものだ。

 巨大群れの中では、繁殖関係がある個体が集まった特定の群れに土地所有と同じように仕事の許可を与えることが多い。それは当然特定の魔術を許可する、という意味も持つ。またある仕事をするのに必要な知識を、特定の群れが独占・所有する、ということでもある。

 それがあれば多くの貨幣を得ることができる。逆にその知識が多数の人に共有されたり、許可を得ずにその仕事をする人が多かったりすると儲からなくなる、と人は思ってしまうので、それを犯罪として取り締まらせる。

 農耕を基盤とした巨大群れで結構重要なことが、狩猟の許可制だ。特定の地域で、そこで誰が飼うでもなく暮らしている動物を狩って食うことは多く重大な犯罪とされるが、多くのその地域周辺の貧困層にとっては生きるのに必要なことであり、多く犯される犯罪だ。


**家父長制

 巨大群れは暴力専門の群れの力が強くなったこともあるのか、雄の権力がきわめて強くなる。魔術的な面を雌に任せて雄が暴力を担当することもあるが、大抵最終的には雄が最上位者になる。

 また、個々の群れ、個々の家族の中でも、雄が最上位者として暴力的に下の人間を従えるようになっていくのが普通だ。後述する巨大群れの言語化された道徳・宗教でも、多くは雌は雄に従属し、個体の財産を持たず、自由に移動したり交配相手を選んだりせず、暴力に参加せず、文字などを学ばず、命令されたことに無条件に服従するように……実質家畜とされる。もちろん子は常に親の支配下にあり、地位や財産は法によってより明確な形で子供の物となる。

 根本的には、人類は出産に大きなリスクがあるため、雌は出産前後長期間暴力を使うことができなくなるし、また出産時の母胎死亡率も高いため、高いコストをかけて教育して優れた技術を学ばせても死によって無駄になる率が高い。

 もう一つ、雌の数を制御することが群れの増減に直結することもあろう。雄はいつでも多数の雌と交接して多数の子供を産ませることができるが、雌の出産数はそれほど増やせないし、雌が出産可能になるまでには長い時間と膨大な食糧が必要になる。

 その家族制度もいろいろあるらしいね、つがいになった男女がそのまま親に従属して同じ巣で暮らすかどうか、財産が一人の男子だけに全部与えられるのかそれとも平等に分けられるか……特に土地を家族で所有する場合に平等分配をやると、どんどん一つの家族当たりの土地が小さくなって破綻する……、一人に全部与える場合、それは最初の子か、最後の子か、それとも選んだ子か。近親婚や群れの外の人間との交配・家族形成の容認など。


**官僚制・支配制度

 巨大な群れを制御するには、小さい群れのように直接口から音で出す言葉、踊り、人の表情を見てこちらも表情など言葉にならないメッセージを伝えること、直接的な暴力などでは無理だ。人数が多く、しかも多数の別々の前提を持つ群れの集まりでもあるからだ。

 そのため、主に文字で書かれた書物を利用する。世界をまず文字で描写し、その文字を扱って新しい命令を生みだして実行させるわけだ。その文字を扱える、生まれてすぐから膨大な時間を文字の学習に費やし……普通ならその時間に別の仕事をしてかなりの量食料を生産することができるが、それを失ってまで……文字の読み書きという特別な技術を学んだ、群れどうしでも上の方に属する群れができる。

 その群れは誰が誰の上位になるかがはっきりし、上位に対する絶対的な服従が求められ、すべての命令や情報が文書で伝えられる。また暴力を行う群れに命令を下す力を持ち、暴力も用いてあらゆる群れ内群れから貨幣・穀物や布や鉱物など物資・兵士や水利や建築のための人などを奪い、巨大群れ全体のために使うことができる。

 その多くは巨大群れの中でも上のほうが世襲するが、特にユーラシア東端では、言葉の上では誰もが高い読み書き能力を示せば地位を得られる、というシステムがあった。

 その、官僚による統治はどうしても、統治される無数の群れ内群れにとっては苛酷に感じられる。なぜそれが必要なのかは、官僚機構が情報を独占しているため理解できないし、官僚機構は支配される群れの考え方・価値観・魔術体系とは別の論理に従うからだ。圧倒的に強い暴力・肉体的な力を示す者の統治ならまだ納得しやすいんだが。

 そして、その統治は腐敗しやすい。腐敗という言葉自体、言葉の類推の見事さだな……食物が微生物にやられて色や匂いや味や感触が変わって不快を催すようになり、食べると毒にさえなることを人間社会にあてはめている。官僚機構の成員も、家族や親族など群れ内群れの一員であり、だから本来巨大群れのためでなければならない利益を自分自身や自分が属する小さい群れのために使ってしまう。さらに官僚機構という群れの中での、さまざまな感情から刑罰や軍事力さえ使って憎む相手を殺すことも多い。

 重要なのは賄賂、ある公的な仕事をしている人に貨幣など利益を与え、その見返りとして公的な仕事の方向を変えてほしいと頼むことだ。本来は公的な仕事は巨大群れ全体の利益を目的にしなければならないのに、貨幣を出した人の利益を優先されると巨大群れにとって損になり、それは一般に重大な犯罪とされる。だがそれをなくすことは不可能だ、人には欲があるのだから。


 ただし、官僚制度は重要だが、それだけで支配が行われるのは難しい。むしろ特定の最上位家族群れの家長が支配し、官僚はその支配を助けるだけという形が巨大群れの運営では普通だ。

 その最上位群れは神でもあることが多い。

 といっても、その「誰が支配するか」というのは、特に巨大群れとなると実に難しくなる。正しい人が正しく支配しなければ群れ自体が崩壊する、というのが人間の魔術的な考えだからだ。実際に人の群れがどうするかの決定は難しく、その決定がなされなければ官僚機構は動かない。正しい決定をするのは本質的に官僚のすることではない。

 その正しさとは神であることであり、また誰よりも筋力が強いことであり、また知恵もあり何でも知っていることでもある。といっても、現実にそんな人間はいないから、ある家の相続者であることが、そのまま神であり、誰よりも強く、誰よりも賢い、と様々な魔術的儀式を用いて皆に思わせようとする。

 例外的に、地中海の北西部の、昔氷河に削られてとても凹凸が激しく島が多いため一つの巨大群れが支配するのが難しい地域の一つで、武装でき、奴隷でない雄の市民が集まり、意見が一致するまで言葉で話して方針を決めるか、または一番多くの人が推薦する人が群れの最上位者になりしかもその地位はその人の子に譲られず一定期間で交替する、という制度があったことがある。

 またその後地中海周辺を広く支配した巨大群れも、原則的には一つの最上位家族が地位を受けつぐのではなく、武装できる奴隷でない成員全員による統治が原則だった。ただし群れが巨大になりすぎたときに無理が出て特定の人とその相続者が最上位者になる制度にしたが、結局安定した家が統治することなく短期間で軍事的実力のある人が一生統治し、優れた養子に継がせ、しばらくしてまた混乱したら実力のある人が……となった。

 そのような巨大な群れを統治する制度はいろいろあり、厄介なのは人間が、それを記述する人間が属する社会・時代の道徳からそれぞれの社会を裁いてしまっていることだ。

 多数の群れが集まった巨大群れを安定させる技術として知られているのが、群れの序列を作って下を憎悪させて「分断して統治する」技術、社会全体の敵を作って攻撃することで群れをまとめること、法律や宗教や巨大建築、そして反抗的な群れは皆殺しにするか強制的に移住させることだ。

 群れ同士の争いで奴隷を得ることも重要で、奴隷をどのように得てどのように扱っているかも注目すべきだ。


**宗教

 従来の、祖先を同じくする群れごとの神話・呪術体系・呪物などからなる単純な魔術体系から、多くの群れが集まった巨大群れに合うように「神を信じる」情報集合も大きく変化した。

 まず巨大群れを統治するため、最上位者の家族の正統性を示すことが神話の主要な目的となった。その祖先を神の子とし、それが神話的な冒険の末にその地域を手に入れる物語が多く、同時にその祖先の神に対する儀式を伝え、実行するわけだ。

 ただしある時代に、巨大群れの規模がより大きくなり、より複雑に複合した群れを統治できるように変質していく。その変化が特定の時代に集中しているのも、歴史における興味深い現象だ。

 そして魔術より言語、それも紙に書かれる基本的に固定された言葉が重視されるようになる。

 また宗教専門の群れ内群れができ、それが巨大群れの中で大きな影響力を持つ。大抵は巨大群れの最上位者と、宗教における最上位者は一致するが、それも後に分離されることがある。

 地表は地理的に分断されており、巨大群れもいくつもあるし巨大群れが分裂することも多いため、宗教もきわめて多様だ。

 比較的小さい群れが巨大群れに統合されるとき、暴力性が強いときは小さい群れの宗教は破壊される。言葉を受けつぐ人を殺し、言葉が書かれた文字を燃やして文字の使用を禁じ、その他衣服や踊りなど文化を禁じ、神であるとされる偶像その他魔術的道具を破壊する。それは地球全体の情報を大きく減らす行為だから個人的には嫌いなんだが、それが大好きなのが人類という動物なんだからどうにもならない。

 ただし力関係が一方的でないときなど、統合される小さい群れの宗教をある程度巨大群れの宗教に包含することもある。多くの神話には複数の神話が統合された痕がみられる。

 多くの地域では、まず多数の非常に巨大な天文や地理の現象、抽象的現象が擬人化され、神とされる。

 太陽・月・星、空、海、大地自体、その地域の火山や巨大な山や川や湖沼。また火・水・風・森・主要金属など抽象化された人間と縁の深いこと。戦い・群れの統合・家庭・生殖・宇宙自体の誕生(創造)・善悪などより抽象的な感情や人間にまつわること。

 それらが擬人化された神々が、多くの人が生殖関係で結ばれて集まる群れを模したように集まった神話がある地域が多いな。それと天文現象を結びつけることも多い。


 宗教の基本的な構造として、地域の小さい群れから中央の巨大で高密度な都市まで段階構造をなす組織を作る。その組織はどうしても官僚制との共通点が多い。

 文字が発達すると、神話などを集めた文書集を制式化することも多い。

 また多くの宗教は、生殖行為を罪悪とする傾向がある。本来は生殖行為が魔術的に力があるとされてタブーとされたことがどこかで歪んだと考えられるし、家父長制が強まり、男性集団の暴力性がそれを要求したのかもしれない。というわけで宗教に強く関わる群れ内群れは結婚・生殖をしないことも多い。その場合は子が生まれないので生殖によって相続され持続する群れを作れず、周囲から家という群れ内群れから出て宗教の群れ内群れに加わる者を募集・訓練することになる。その文字言語で表現される、きわめて厳しいルールと上位者に対する絶対服従で生活する集団は後により高度な社会が作られるとききわめて重要な役割を果たした。

 小さい群れでも大きい群れでも、その群れの中心に宗教のための高級な建物を作り、偶像を許容する宗教ならそこに神の形……大抵は擬人化され、持ち物や衣類で区別できる……を木・土・金属などで作った像、布など耐久性のある素材に描いたり、小さな色石・色土器を平面に貼り合わせた絵図などを高いところに置く。ちょうど支配者が高いところから群れ全体を見おろすのと同じ構図を造る。

 そしてその建物に群れの成員全員を集め、宗教的に地位がある人が贅沢な服装をして群れの代理としてその像に魔術的に神の魂を入れて(そう思いこませて)ものごとを頼んだり、動物を殺して捧げたりいろいろな儀式を行う。また文書を読み、歌を歌いなどして情報、何が善で何が悪かを群れ全体に浸透させる。

 魔術を禁止することも多い。小さい群れが受けついできた儀式を禁じるためでもあるし、魔術という重要な技術を群れを支配する上位の群れ内群れで独占するためでもある。後には魔術の禁止自体が価値観となり、むしろそれが善悪の源泉にさえなっている。といっても魔術的な考え自体はよほど注意して自覚しない限りどうしても残るんだが。

 天文学を中心とした科学知識も宗教に統合され、逆に宗教的真実が絶対的に「正しい」とされ別の暦を使うことなどは禁じられる。暦の作成も宗教群れの重要な業務だ。


 特に歴史が記されるようになってから造られた宗教では、特定の人が創始者とされて言葉が正式文書になることが多いが、それはきわめて過激な、群れ構造を否定したり財産の私有を否定したりするとか、生まれ関係なしに最も人格が高い者が統治すべきだとか現実の人間社会の構造を否定する価値観を含む。その宗教が巨大群れで支配的になるにつれてそっちは無視されることが多いが、巨大群れに反抗するためにそちらの価値観を持ちだす反抗者が時々出てくる。

 まあ言葉はどうにでも解釈でき、解釈者が権力を持つ、巨大群れの宗教となるには巨大群れを維持する方向で解釈される、それだけのことだ。

 多くの宗教に共通する善悪の価値観がある。ただしその価値観はある程度、狩猟採集生活をする小規模な群れ、人類の祖先から受け継がれたとも考えられる。ただしそれはかなり混乱し、矛盾も多い。

 まず穢れない。法律で犯罪とされていることをやらない。言葉で嘘をつかない。自分の利益より他人の利益を優先すること。常に祈ること。自尊心を否定し、自分は神より低い存在だと常に思う。上位者に服従する。そして性的なルールを守り、できれば交接行為をしたり心で思ったりしない。神の敵とは戦う。物・人間関係・地位・名誉などの欲を持たない。そういうことを重視し、それこそ巨大群れ全体の目的が宗教に支配されることさえしばしばある。

 その倫理基準はしばしば無理で、少なくとも統計的には無視できない数の人が守りきれない。また矛盾も多く守ること自体が不可能になる。たとえば人を殺すなという命令と神の敵は皆殺しにしろという命令は矛盾する。また砂漠の生活習慣から作られたタブーを高緯度の氷原で守れと言われても無理だ。でも固まって変わることができず、そのまま気候の変化で滅んでしまう群れも多いのが現実だな。

 特に性的なルールの違反は、性についての欲は生物である人間にとって最も根源的だからどこにでもあり、だからこそ強く群れ全体で攻撃する。群れ全体で違反者を攻撃すること自体が快でもあるし。

 それもあるのか、この世界は悪いところであり、神がそれを助けていいところにしてくれる、という考え方が多く見られる。


***ユダヤ教

 ユーラシアとアフリカがつながる、古くから大規模農耕文明が栄えた地域の地中海側に生じた宗教。その母体となった群れはそれほど強大ではなく、しかもアフリカとユーラシアをつなぐ狭い部分だから、別の巨大群れにしばしば攻撃されて破れている。

 しかしそこの群れはきわめて強い宗教で統合され、別の群れに吸収されることにきわめて強く抵抗する。やや具体的には世界のすべてが一人の神に作られ、その神は偶像を作ったり魔術を行ったりすることを許さないこと、群れ全員がその神が特別視する一人の神話的祖先の子孫であること、幼児期の男性器に繁殖機能を損なわない傷をつける、穢れを避ける、豚・ラクダ・犬・魚以外の海産物・肉を乳で料理したもの・血液などを食べないなど独特のタブー・規範体系などがある。逆に他の神やそれを信じる人々をあまり尊重せず、特に服従を宗教的儀式で表現することを要求されれば殺されても拒み、儀式や神話の統合によって複合群れに溶け込むことも容認しない。その結束の強さで巨大群れの中に広く散らばり、子供を大切にして多くの情報を吸収させ、自分の群れ仲間を見分けてはそれと強い信頼関係を結ぶことによって貨幣の扱いに長ける。

 修正を禁じられた、歴史書などを統合した文字を連ねた文書にタブーや法が明記されている。

 その神を群れの最上位者として忠実に従えば群れは繁栄するが、その神を忘れて命令に服従せず別の神を用いたりすると激しい罰を下される、というのがその神話の基本パターンだ。

 大陸がつながる、特定の都市と周辺地域に極度に執着する。

 別の巨大群れに支配されることが多いが、それは神に逆らった罰だと合理化し、だから神を信じてタブーなどを守ればその巨大群れを打ち破って勝利する王が登場すると信じ、それを待ち望む。


 後述のキリスト教・イスラム教の母体であり、三宗教に共通する重要な要素も多くある。

 まず神が人間を神自身に似せて作った、と信じていること。それにより人命・人体を神聖視し、神話の一部とは矛盾しているが人を生贄にすること・人を解体して中身を調べること・人を食べることなどを強い悪とする。

 厳しい家父長制と性道徳があり、また出産直後の子供を殺すことを始め妊娠・出産をコントロールすることを原則として認めないため、人口を抑制できない。

 神話の根本に「最初に神が創った全人類の祖先が神に対して罪を犯し、その罪が全人類に伝わっている」があり、罪悪感が重要なテーマになっている。劣等感を利用した支配というわけだ。

 あと、三つとも大陸をつなぐ狭いところに近い、特定の都市を極端に重視するので、それで争いが絶えない。


***ゾロアスター教

 ユーラシアとアフリカがつながるあたりから、海沿いにやや南東にいった地域の大帝国で信仰された宗教。

 世界を善と悪の神の争いと理解するのが特徴で、火を崇める。死後の天国と地獄、未来のある一時点で世界が滅びてすべての死者が善悪に裁かれるなどの考え方の元祖とも言われる。

 キリスト教・イスラム教に強い影響を与えているが、逆にイスラム教に事実上滅ぼされた。


***キリスト教

 本来はユダヤ教の分派。ユダヤ教の群れの、巨大群れに勝利したいという実力身の程知らずの妄想から望まれた英雄王かと思われて多くの人を惹きつけた個体が巨大群れに危険視され、殺された。そして、その考えを受けついだ従う人たちが彼が生き返ったと宣伝し、より多くの人を取りこみ、ユダヤ教の群れとも対立する群れ内群れを作って、最終的には当の巨大群れと統合された宗教になった。

 二冊の書物……一冊はユダヤ教とほぼ共通する文書集、もう一冊は上の創始者とその追随者の言葉を集めたとされる(無論完成したのは後世で、多くは編集されている)を併せた文書が真実だとし、その解釈をきわめて重視する。その解釈でこれまで何百万人殺されているかわからないほどだ。

 その後巨大群れが東西に分裂したのとともに分裂し、それから西側が後述する諸革命の一つとして書物を文字どおり真に受けようとする群れに分岐し、三つがずっと争っている。

 他の二つの群れは、高い地位で基本的に結婚しない、宗教だけの群れに皆が従う社会システムと支配群れの共存も兼ねたものとなる。また宗教のために死ぬことを善とする。

 群れによっては多神教に近い要因もあり、多くの宗教史上重要な人物などを崇拝する。高い道徳性があり、特に支配群れに殺されても信仰を捨てなかったとか、また宗教が広まっていない地域に宗教を広めたりした人などだ。また神が人と連絡するためによこした、神に近い霊的な存在がいるという神話があってそれを崇拝する。また創始者の母親を非常に強く崇拝する。

 ユーラシア北西部を広く支配し、その文明と共にアメリカ大陸などにも広まる。

 特色はユダヤ教の複雑なタブーを大幅に簡素化し、文字情報を重視することで多様な出自・生活習慣を持つ巨大群れの誰もが信じられるようになったこと。教義自体も、「自分の(群れ内の小さい)群れの成員と協力し、他は攻撃せよ」という従来の普通の善悪から「どの群れかを問わず人すべてと協力せよ」に変わり、より巨大群れ向きとなっている。創始者の言葉には個体や群れの人に対する暴力すべて、所有すること、人間に身分があること自体を否定するような過激さもある。ただし、それは矛盾に満ちている文書の読み方の問題で、別の読み方をすれば「儀式に参加し権威に盲従せよ、さもなくば死後地獄で苦しむぞ」だけともなり、現実にはその解釈法以外禁じられて社会を維持するのに貢献することが圧倒的に多い。

 ユダヤ教にもある「魔術禁止」のメッセージがきわめて強い。ただしそれは、科学的・技術的な思考も含めた考えることの禁止にも解釈される。また子供の生まれる数を制限すること……そのために知識を応用したり生まれてすぐの子を殺すこと……を禁じているため、人口爆発が起きやすい。

 また神と悪魔が戦っているという考え方もあり、人間の間に魔術を使う人間のふりをしている悪魔がいるとどこかで考えていて、それを狩り出して殺そうと、実際には人間の群れの奇妙な挙動としてたくさんの無実の人を殺すことがよくある。

 偶像禁止は分派にもよるがそれほど厳重ではない。

 信仰の利得として人間の持つ罪悪感と死の恐怖からの解放を訴える。

 終末と天国と地獄などの考えはゾロアスター教とも共通する。


***イスラム教

 砂漠で生活する、商業や遊牧で暮らしていた部族がユダヤ教やキリスト教の影響を受けて創った、かなり新しい宗教。新しいため創始者の生涯がはっきり分かっている。創始者とその直後しばらくの指導者が軍事的にもきわめて優れており、短期間でユーラシア南部・アフリカ北部ほぼ全域にまたがる巨大な帝国を築き上げ、今もその地域全体に圧倒的に多くの信者を持つ。

 厳重な一神教で偶像崇拝厳禁、また平等を重んじ「宗教関連の儀式などで生活し、高い地位を保つ」群れ内群れの存在を原則として禁じている。いくつかの宗教の歴史で重要な土地を訪れることを義務とし、財産の一部を貧しい人に与えたりある期間は日中の飲食を禁じたりすることで平等と信者全体が一つの群れだという一体性を強調する。それが軍事に活用されるとやたら強い。

 創始者の言葉をまとめた一連の文章を神聖視するのもユダヤ・キリスト教と共通する。それが生活・犯罪に対する対処・政治など全体を含めた法であるとも強く主張している。宗教と政治制度・法律が完全なセットになっており、不可分といっていい。

 うまいのが、創始者は神から直接情報を伝える人だとしつつ、その人が最後だと宣言することによって、後の人が神からの伝言だとして新宗派を作ることができなくなるようにしたことだ。といっても主要なものだけで二つ、さらに魔術要素を入れるかどうかなどで多くの群れに分かれて争ってるのは他の宗教と変わらないが。

 母体部族から受けついだ煩瑣なタブーと、一人でどこでもでき頻繁にやらねばならない儀式など多くの義務があり、その様々な儀式をそのまま全員が実行する。個体にとって非常に負担が大きく「人類という動物の飼育法」としては悪くない。飲酒や賭博を原則禁じているのも面白い点だ。

 特定都市の極端な神聖視も共通するが、そこだけでなくその創始者にとって重要な、近くにある二つの都市も重視する。

 終末と天国と地獄などの考えはゾロアスター教とも共通する。


***ヒンズー教

 ユーラシア半島南部中央の巨大な半島の地域宗教。外に布教できる普遍性はほとんどない。

 歴史以前からある古い多神教で、人間を生殖関係で生まれつき決まる多数の群れに分ける。これはその半島の習俗でもあるが、動物を殺すことを基本的に嫌がり、穢れ意識がきわめて強い。

 どんな生命も死んだら魂は体と離れて別の生物として生まれると信じている。

 その考え方は、巨大群れがきわめて不平等であることと、人間が平等を求める感情の矛盾のいい解決策だ。今権力を親から受けつぎ贅沢に暮らしをしている人と、生まれつき貧しい人がいれば、前者は前の人生で善行をした褒美であり、後者は前の人生での悪行の報いである、とできる。そうなれば後者は前者や社会自体(の擬人)を攻撃するのではなく、善行を積めば次の人生では金持ちに生まれることができると信じられるわけだ。また現実の世界では善いことをしても社会的にいい結果になるわけではないが、そのことも来世で報われると信じればいいわけだ。


***仏教

 上と同じ半島から出、ヒンズー教の影響も強い。発生した地域ではほぼ滅び、むしろユーラシア東部に広まった普遍性の高い宗教だ。

 宗教といっても、その文書自体から解釈される本来の姿と、現実に信仰される形がかなりかけ離れている。

 本来の姿では、上記の「死んだらすぐ別の体で別の生物として生まれる」生命観を前提に、何として生まれても生きることは苦しいだけ、でも自分を殺せばすぐ別の生物に生まれかわって苦しむだけだから、完全に消えるために欲を捨てて正しく生活すればいい、というものの考え方だ。

 現実の信仰では、その創始者や思想家たちを神格化し、またヒンズー教の神々の名前をちょっと変えたりした神々の偶像をあがめて願いをかなえてもらったり死後楽に暮らしたりいいところに生まれ変わったりしたい、だ。


***儒教・道教

 ユーラシア東の巨大群れの考え方。そこの人々は宗教的に少し変わっている。

 他の地域のように、その地域の先祖から受けつがれた宗教が巨大群れの統治と一体化して発展することがなぜか少ない。


 その地域全体を治める巨大群れができて以来、公式な価値観としては祖先崇拝、人相互に相手に敵意はないと言葉・服装・細かな動きなどで常に表現し合うことを重視し、自然や感情を人格化した神も唯一神も中心としない、考え方というべき儒教を中心とする。

 昔の祖先崇拝などのやり方を正しいとし、それに従って統治すべきだと主張した創始者の言葉を集めた文書などを重視する。魔術性が非常に低く、死後どうなるかにほぼ無関心で統治と祖先崇拝が正しいかにとことんこだわる。死後の儀式に大量の木材を浪費して地域の森林量を大きく減らしたとさえ言われる。


 もう一つ、これは本来地域の魔術により近い道教も重要だ。不老不死の薬を造ることが目的となり、また穢れや悪霊の攻撃を避けたり占ったりする機能を果たす。


 魔術的機能・統治機構に正統性を与える機能は仏教も担っており、その三つと統治機構の伝統それ自体が複雑にからまっているのがその地域の特徴だ。


***アメリカ大陸先住民

 本来かなり多くの人口・広い地域を支配した文明で重要であるはずだが、敗北し徹底的に破壊されたため現在の人間の目からは重要性を持たない。精密な天文崇拝、多数の人間を生贄にする、大規模な建造物を作るのが特徴。生贄の理由としては、有用な大型草食家畜が少ないため、上流階級のタンパク質の補給に人肉が必要だったからとも言われる。

 北アメリカは大帝国を作らなかった。


**各地の人間の文化

 地域によって気候・動植物の分布は異なる。またそこの人の群れがどんな神話・魔術体系……タブーを引き継いでいるか、どんな技術を発達させたかも多様だ。

 というか言語自体が群れによって違う。

 本質的にはその文化は、「自分がどの群れに属するかの主張」だ。逆に言語、動作……立ち方坐り方その他、衣服、食べるものや食事の仕方、歌や踊りなどがその群れと違えば、群れの成員ではないと断ずることができる。


 衣服・家具・何を食べるかなども地域によって違う。

 靴を履いたまま地面に台を据えてそれに腰を、もう少し高くなった台に食物を載せ、小型化された刃物で肉と、小麦を固めて焼いたパンを切って食べる地域がある。ちなみに昔はパンの上に肉料理を載せて手づかみで食っていた……今でも指を洗う水を入れた器と手を拭く布が、誰も意味を覚えていないまま残っているし、古い本にあるパンくずについての言葉が多くの人には理解できなかったりする。

 地面に寝転がったまま食べていた地域もある。

 食器を洗って再利用するのを嫌い、大きい葉に載せて地面に置かれた食物を手で食べる地域もある。

 乾いた草を固め、その上を草を編んで覆った薄い直方体のブロックを地面から少しだけ離して固定し、その上に靴を脱して胴体後ろ下端ではなく脚を折りたたんで体を休めてごく低く小さい台に乗せた、粒のままの米を水を通じて加熱したものや豆に塩を加えて発酵させた保存食を熱い水で溶かしたものを小さい器に入れ、器を手で持ち支え指で二本の細く小さい棒を自在に操って食べる地域もある。

 衣類・音楽などの多様性ときたら……

 それこそ雌の脚を砕くようにねじ曲げて固め、ろくに移動できなくしてしまったり、雌の生殖器の大半を切除したり縫合したりするところすらある。首に金属の環をはめて引きのばすところもある。祭で自分で自分を鞭で叩くのもある。それらを文化と言えるのか、それらを裁ける普遍的な価値観があるのかは後で議論するけどそっちで考えてくれ。


 単純に考えても地表は多くの地域に分断され、それぞれの地域は少なく見ても最も豊かで力のある階層・都市生活をする安定した層・都市の貧困層・農を行う富裕層・農業地域の貧困層・農業をしていない層それぞれ別の文化を持っている。多様性がありすぎて一口で言うのはとても無理だ。

 文化を表現するにしても、その美・装飾の面を強調するか、それとも魔術的な分析をするかなどどんな目で見るかでかなり異なる。

 本当はあらゆる地域・あらゆる時代の、最低でも貧富・男女四通りの生涯や一日をどう過ごすか、どんな物資を使うか徹底的に描きたいところだが、正直力不足だ。きりがない。


*都市

 農耕による巨大群れができると、特に地理的に恵まれた場にその中心地ができ、そこに人口密度が異常に高い場ができ、都市と呼ばれる。

 元々農耕自体大きな人口密度につながるが、その中心地はその地だけでは成員を食わせることができず、外から食料を持ち込まなければならない、というとんでもない異常さがある。

 その条件として、大量の良質な水が得られること、最良の農業地域の中か近いこと、交通に優れていること(大河や海など大規模な水のそばなど)、大森林が川の上流にあること、できれば軍事的に守りやすいことなどがある。

 他にも中心にはならないものの、鉱山など大量の資源が高密度に集中している地域にも都市ができることがある。

 その地域には自分で食料を生産しない多くの人が集まる。富も集まるため別の群れに攻撃されやすく、強力な防御を敷く。基本的には都市全体の周囲を頑丈な土や石の高い壁、水をためた周囲より低い地形などで囲む。特に高い建築を造り、交通の目印・攻撃の監視・魔術及び権威の強調に併用することもある。上記の、争いが禁じられた交換の場でもある。

 その都市は宗教の中心の大きい建物があり、巨大群れの最上位者が住む場であり、軍事の中心であり、ものを作る機能の多くを担い、交換の中心であり、何よりも情報を集中させる。

 そこには多数の人が集まり、比較的小さい家を多数、密接させて作って住む。建築技術によっては家の上に家を重ねることさえできる。そうすると同じ面積でも二倍三倍の人が住めるわけだ。地下の岩盤の力で地面が揺れたら悲惨なことになるが。

 広い土地に分散して生産される農業牧畜と違い、それを原料とする皮革を含め多くの「ものを作る」には多くの人間が高密度で関わるほうがやりやすい。というよりある程度以上高い温度を維持するには多人数がごく狭い場で集中して取り組まないと無理だ。人の密度が高いと多くの人がほぼ同時に情報を交換できることもあり、ものを作る量・最大温度が爆発的に増える。

 治水など大規模土木作業・暦作成などに必要な膨大な情報を管理できるのも、高密度の都市だけだ。

 また、軍事的にも高密度の戦闘群れには他の何物も対抗できない。その高密度の戦闘群れに必要な、後述する膨大な物資・情報の管理にも都市は重要になる。


 また巨大複合群れができ、そこに都市ができると、上述のように小さい群れから離れて生きる人々ができる。それは群れから離れたい人間が、人のいない原野に歩み出すより都市に出るという選択肢を与えられることも意味する。都市にはさまざまな贅沢品も貨幣さえあれば手に入るため、特に若者は都市に出て贅沢な生活をしたいと思うことが多い。


 都市には多くの問題がある。高密度に人が住むことは、人類そのものにとってかなり不快なことだ。まず伝染病のリスクが滅茶苦茶に上がる。いくつかの伝染病は都市ができてから進化したと思われるほどだ。

 高密度の、それも人類が進化してきた地域とは違う生活様式で、多様な群れと共存して暮らすのは精神に強い負担になり、心を病むことが普通になる。

 また、数種類だけの穀物・保存食にした肉類や乳製品が中心の、非常に品目数が少ない食事も体には悪い。元々人類の先祖は森や野で手に入るきわめて多種多様な動植物を食べており、人体が必要とする微量化合物・元素のどれも不足することはなかった。が、特にそれほど貨幣を得られない群れ内群れはかろうじて単純な穀物や保存食で暮らすしかなく、微量化合物や元素の不足による体の不調にも苦しむことになる。さらに問題は、人間は種の、栄養を貯蔵するデンプンを主とした白い部分を美味と感じ、細胞分裂・分化して植物としての体を作る部分を嫌う。また家畜を殺して皮をはいで処理し、食べやすい肉だけを骨から切り取るのは不快な匂いと伝染病感染のリスクが常にある作業なので、少なくとも富裕な人々の生活からは離れた地で行うことになる。そうなると、食べるまでの時間が長くなるので、新鮮ならば味がよく栄養も豊富だが、殺してから時間がたつと味が悪く悪臭もする内臓を食べることがなくなり、筋肉部の保存食が中心となる。それは人体が必要とする微量金属・化合物を体に入れられないことでもあり、ますます体調が悪くなることになる。都市の近くの農場では都市が必要とする膨大な、運搬に耐える保存食だけでなく、都市で贅沢な暮らしをしている層に供給する酒・野菜・果実・花など贅沢品も重要になる。小さい群れで自分たちで家畜を殺して食べている人たちとは違い、家畜を殺すことと自分たちの生活が切り離されることは栄養面だけでなく、精神的にも人間に多くの影響を与えてしまう……後には、肉を食べ皮を着ていながらそれは殺した家畜の死体だと知らない人さえ出る。

 さらに言えば、少ない種類の農産物に頼る生活は非常にリスクが大きい。手に入る様々な食物を食べていた森の中ではありえない、気候のちょっとした変化や遺伝子的に均一な作物・家畜に一気に広まる伝染病によって多くの人が餓死することになる。

 洪水などの自然災害で都市が破壊されると、それによる無駄な資源・労力は計り知れない。巨大群れ自体が権威を失い、崩壊することにもなりかねない。

 食料・燃料・塩など物資を各家に運ぶ、そのために周囲から物資を運び入れ、それを貨幣で買って各戸に持ち帰る、という自給自足の農村とはまったく違う生活様式がある。

 また都市は気軽に移動できないため、糞尿をはじめとする廃棄物の処理も困難だ。少人数なら流れている水をそのまま飲み、糞尿を流れに流したり土に埋めたりすればいいが、大都市になると高密度で大量の汚物が水に流入し、水中の生物による処理が追いつかなくなり、水の色や味や匂いが不快で生命にも危険になる。そのためには、計画的に都市内部に清潔な水を配り、汚れた水や土を都市から出すシステムが必要になり、無論その維持管理に膨大な資源と人手を費やすことにもなる。逆に糞尿に含まれる窒素・リンなど肥料分が農地に戻らないことで、農地はただ収奪されて急速に疲弊することになる。

 死者の処理も同様にややこしい問題になる。特に宗教性が強い群れの場合、その最上位者やその家族の死は群れ全体を巻きこむ魔術的儀式になり、巨大建築レベルの墓を作ることになることさえある。もちろん膨大な人間の、日々出る死体を処理するのも大変になり、それぞれに適切な儀礼を行うために膨大な木材・燃料を消費し、広い土地が農地にすることも禁じられて無駄になる。それどころか金属や家畜・奴隷をともに埋めてしまうこともある。


 そんな都市で生活していると、どうしても多様な群れと出会うことになる。そうなると、好奇心が強く変化を好む人格のほうが生きやすい。特に自由を望み、ただ服従して毎日退屈な農業仕事をすることを嫌うかなり多くの個体が都市で生活したがる。


**幾何学的一般則

 人間は移動し、様々なものを得、また人口を増やすが、そのときに二乗三乗則に似た一乗二乗則というべきものが重要になるようだ。

 正方形の、一辺の長さを二倍にすると面積は四倍になり、周囲の長さは二倍になる。面積は二乗、周囲の長さは一乗で増えるわけだ。


 人間にせよどんな動物にせよ、ただ直線で移動しながら収穫する動きだとその帯状の、時間から見て一次元で増える面積から食物を得ることができる。ただし人間は太陽が地上から見えて明るい間しか活動できないため、一定時間移動したら巣に戻らなければならない。

 だがある面積内部を全部調べながら移動する……植物の実などを集める……と、その道全部の長さは面積に比例することになる。そうなると面積と同じく二乗が支配することになる。

 小さい面積に徹底的に手をかける農耕は、際限なく労働時間を増やすことで収穫が増える。

 似ていることとして、血管を用いる多細胞生物は、体の体積と血管の総延長がある単純な分数の指数に支配される。

 戦闘や建築における巨大で高密度の群れを制御する、その上から下への情報伝達・下から上への支配と命令や、巨大な建築物における通路、糞尿を出す場、水の流れなども似たような法則性がある。


 人間が、たとえば巨大な森の中で群れを、中心を変えずに同心円状に広がりながら拡大し、それで森の木材を消費していくとすると、群れが小さいときには面積……人はある面積を専有するから、面積と人口が比例するとみなしていいだろう……あたりの、住む場からあまり移動せずに群れの周辺部でとれる木材は比較的多い。だが群れが拡大し、面積が急激に増えても、周囲の長さはそれほど急には増えない。面積は二乗、周囲は一乗なんだ。

 だから木材の入手に遠距離まで移動しなければならなくなる。

 それを解決するには群れを分割して一つの群れの人口を減らし、互いに干渉しないほど離れて再出発することだ。

 だがそうすると、多くの群れが集まっている群れに勝てなくなる。

 ただし、川があるとそれは大きく変わる。その長さを利用し、その川に比較的近い森全体の木材を、たいていの木材は浮くからめざましい高速、少ない労働力で集めることができる。

 特に分岐が多い川は、その広大な面積全体の木材を高速で運搬し集めることができる。

 廃棄物……糞尿についても同様だ。

 糞尿を群れ領域の外に捨てるとすると、群れが小さいなら群れの人数に比べ「周辺」の長さがあり、その長さとある程度の幅がなす、一人当たり大きい面積の土が確保され、その土壌微生物が有効に糞尿を分解し無害にする。

 しかし群れの規模が大きくなると……一辺が倍の正方形都市を考えてみればいい、四枚の正方形を組み合わせたと同じで周辺は二倍、面積は四倍になる。「周辺」の土のある面積当たりの人数が多くなり、土の土壌微生物には分解しきれなくなって伝染病になるし、燃料や建築の材木を得るのにもより長距離の移動が必要になる。

 ただしそれもまた、川があれば水が急速に糞尿を運び去り、木材をいかだで運べるので問題は解決する。まあさらに限度を超えて増えたらもっとひどいことになるが。

 農業生産物を都市に運びこむことでも同じことが言える。

 問題を輸送に限れば、理想的な居住様式は水辺にそって、一次元だけの広がりで住むことだ。だが敵に襲われることを考えるとそれは最悪だ……無数の小船で薄い防禦を破り、全部攻撃することができる。一部を攻撃され、他の場に住む者が守ろうとしても、その情報伝達・移動に時間がかかる。

 地形を無視して防衛だけを考えれば最善なのは、円形の壁だ。面積に対して周囲が最も短いのが円であり、だから壁に使われる資材は最小限ですむ。またどこを攻められても攻められた場所に最短距離で移動し兵力を集中できる。だが逆に面積当たりの周囲が短くなるのは、木材を手に入れるだけでも不利になる。

 情報面でも、ごく短距離でしかできない体の微妙な動きを含めた音声、ある程度の距離高速で届いてすぐ消える音、遠距離から見えて長期間残る後述する文字や建築彫刻、移動速度に束縛される文字など、いろいろな伝達速度がある。そのために群れは、後に電子を用いた超高速遠距離伝達技術ができるまでは地域と一体化するものだ。

 現実にはその、両立しない要求を現実の地形に合わせていろいろと工夫している。


 軍事でもそのような幾何学的な要因は重要だ。たとえば円形に集まれば連絡は容易でどこから攻められてもすぐ応援できる。横一線に広がって敵を囲めば確実に勝てるが、逆に薄くなるため強い一団に一方を破られると弱い。飛び道具も考えに入れるともっと複雑になる。


 ちなみに、さまざまな時間の見方がある。

 人間には地球の自転、人間から見れば太陽の運行による一日、地球の公転……人間から見れば温度の変化……による一年、そして人間の最大限の寿命という時間が意識される。

短い時間を正確に測る術は長いことなく、せいぜい心拍が限度だ。

 だが、それよりはるかに短い時間であっても、人間の体を作る分子などが組み合わせを変えるには充分だ。

 逆に大陸が地下の膨大な熱で移動すること、地球の自転軸が動くこと、恒星が動くことなどは人間の寿命よりはるかに長い時間がかかり、人間には認識するのも難しい。

 いや、木が育ち、また気候が変化して森だったところが砂漠になり、また砂漠が森になるのも人間には合わない時間の動きになる。


 また生命が存在すると、時間に対して指数関数という恐ろしいものができてしまう。

 生命の中心、DNAは自分を複製する。つまり二倍に増える。それが一日一回でも、千日後にはどんな数になるか考えてみるといい。

 人間だってすぐに指数関数で増えてしまうんだ。

 その人口を増やす圧力には何ものも抗することはできない……しかも、宗教的な道徳はそれに、科学的に避妊薬を探すことではなく禁欲という不可能な手段でしか対抗する道を許してくれない。さらに人間の体の複雑な分子構造と胎児をあらゆる毒から守る進化は、そこらにある植物や昆虫の簡単な組み合わせから容易に有効な妊娠防止薬を得ることも残念ながら許さなかった。

 原理的には多様な実をつける木を栽培し、虫も食べて充分なタンパク質を得、そして科学的に避妊薬や安全な堕胎手術を探ったり授乳期間を延ばしたりして人口を抑制し、木を切ったら植えるようにして木が育つまでの時間に人口を合わせることで木材も持続的に得て、そうやって持続的に生活することは可能にも思える。

 だが、人間の繁殖欲と人口圧、肉体を作る分子、精神構造、宗教、習慣は、決してそれを許すことはなかった。たとえそのようにして暮らす群れがあっても、過剰な人口と暴力的な宗教に縛られた群れに皆殺しにされるだけだ。

 結果は……そう、常に過剰な人口、長い労働で、身分が低い多数者はタンパク質のバランスの悪い不健康な穀物とわずかな油の食事、身分が高い少数者は肉中心な贅沢な食事……切り倒され砂漠化する森林と文明崩壊の繰り返し……それが人間だ、としか言いようがない。


**軍事

 人間の群れでの人間に対する暴力は、巨大群れの成立でまったく様相を一変させた。狩猟採集では考えられない人数の戦える年齢の雄が一つに集まり、全員が金属で武装し、家畜も用い、高度な情報技術を駆使して攻撃する。

 結局戦闘は人数が多く、より射程の長い武器を持ち、移動が速い方が勝つのが一般則だから、狩猟採集民では到底対抗できない。

 ただし面白いことに、ユーラシアの歴史では一般に、農耕でできた巨大群れより草原で牧畜を行う群れのほうが戦闘では強い。馬を駆使することができ、大集団での情報伝達などにも秀でているし、普段の生活自体が「大集団で同じ方向に移動する」など戦闘と直結しているなど色々な理由が考えられる。

 この規模になると、戦いにはこれまでわからなかった様々な要素がはっきりと出てくる。

 普通と違い、雌や子供や老人と隔離された、大量の行動できる年齢の雄だけが集まった大人数高密度の群れを統御し、戦うまで「生存条件」となる物資などを与える方法。

 戦いをよしとする文化、雄を集めて戦闘に従事させること。ここでやっかいなのが、宗教の基本道徳に「殺すな」があり、それが戦争自体と矛盾していることだ。本当は「自分の群れの人間は殺すな、それ以外は人間でないので殺せ」といってしまえばいいが、そういえないのが宗教のやっかいなところだ。

 情報・移動・輸送・射程距離・土木などの要素。

 自分がどこにいて、敵がどこにいるかを知らなければ戦いにならない。特に敵がいると思っていなかったときに攻撃されれば少々の戦力差はひっくり返る。また、特に敵を二次元上で周囲を全てふさぎ、逃げられなくすると、戦う群れとして信じていること、相互を逃げず戦う方向に向けている心理が崩壊し、囲まれているほうが倍以上多くてもあっさり全滅することがよくある。

 実際には戦いそのもので死ぬ人数よりも、移動中に水や食糧の不足、何より伝染病で死ぬ人数のほうが多い。軍事行動は常に、大量の食料・武器などの運搬であり、生産である。特にその移動速度と情報伝達が速ければ、はるかに多い敵を破ることもたやすい。

 その大人数を統御する魔術をはじめとする様々な支配の技術も重要になる。官僚と同じシステムになるが、その場合は逆に一人一人が数字と化し、また生まれたときから体を洗い服を着替えるのも奴隷にやらせている上層階級出身者が軍の指導者だと一人一人の兵が食い、水を飲み、糞尿を出し、女を求めることをきれいに忘れるため人々に激しい苦痛の末の勝利につながらない死を命じて敗北につながることも多くある。特にやっかいなのが、自分が人を支配していることを実感する快を得るために無意味なことをし、さらにそれが軍のため勝利のため神のためだと自分や周囲までごまかすことだ。

 農耕牧畜による巨大群れどうしの戦争となると、ますます戦争の規模は大きくなる。都市そのものが大規模な防御手段でもある。逆に負けたら何十万人も簡単に殺されたり餓死したりすることもある。

 また、軍事では敵からさまざまな資材・家畜や奴隷としての人間を奪うことも、多くの群れにとって経済的にとても重要になる。特に遊牧民にとっては、最も手っ取り早く物を手に入れる手段だ。ちなみに自軍の戦う人、特に地位の低い者に勝手も自分からは貨幣を払わず、略奪許可を報酬とすることも多い。


 農業の限界によって飢餓が広まり、巨大群れの力が衰えたときには、個々の群れ内群れが生存しようと様々な動きをする。離れた地域で力を持つ群れが自立しようとすることも多く、その場合は支配群れと地方群れ、また地方群れどうしなど多くの戦いになる。

 軍事的な面だけでなく、農の面も同時にある。巨大群れが衰える時にはたくさんの人が新しく住める農地を求めて移動することが多く、それは大抵耕してはならない急斜面などを、しかも多人数で一人当たり狭い土地で分割し、土地を休める余裕なく今日食べるために無理な耕し方・放牧をして土そのものを失わせ、巨大群れというか広域の地域全体の農地を全面的に崩壊させることがまあよくあるパターンだ。

 それは増えすぎた人口を大幅に減らす役割も、個々の人はまったく意識しないが結果としては果たす。ただし文明によってその働きは違い、たとえばユーラシア東沿岸では戦いで人口を減らして土を回復させ、新しい支配者が生まれるまで争うのを繰り返すが、アメリカ中央部の文明や南太平洋の孤島では無駄な戦争や大規模な儀式・建築を繰り返して文明全体が衰えるに至った。

 戦争や建築自体に儀式・集団をまとめる力があり、またそれをやっていればすべてよくなると宗教・魔術の言葉ができてしまっていて、それに頼ってしまう……農業生産・水と各種元素・木と人数の関係を理解でき、制御できる人など私の時代にもいやしない。


 また軍事行動を行うのは人であり、どのような武器を用い、どのような服装をし、何を食べるかも群れごとの文化に依存しているし、またそれは地域の気候や鉱物資源の分布などに束縛される。

 といっても、同じ部分はある。人体構造や根源的な心理は変わらない。誰であろうと首を切り落とされれば死ぬし、水なしで三十日過ごせば死ぬし、糞尿は出すし、生身で空を飛べる人はいない。同様に人は不利な情報は聞きたくないし、自分を神だと思っているし、若い雄が群れになれば人を殺し、雌を暴力で支配して交接し、建物に火を放ち、物を奪うことを好む。

 基本的には戦争とは、個体と個体、群れと群れの暴力と同じだ。人間と人間が接し、狩猟にも用いられる道具で相手の体を破壊し死に至らしめ、また相手の巣を攻撃して破壊し、衣類や食物や貨幣、そして家畜や奴隷としての雌や子供を含めた財産を奪い、また魔術的には悪神を殺すことだし、実際には自分の群れが得られる富を増やすことだ。

 攻撃には近距離で槍や斧、ある程度離れた距離で投石・槍投げ・弓矢などが用いられるが、狩猟とまったく同じではない。相手もまた同様の武装をしているからだ。そうなると、相手の攻撃を防ぎつつ戦えれば有利だから厚革・木材・金属・土木などで自分を守ることをする。建造物としての壁、体から離した板を手で支える楯、そして衣類をより頑丈にした甲冑などがある。無論それらは魔術的・装飾的な意味もある。

 狩猟時代には存在しない、より強力な技術としては、巨大な天秤を用いて重量物を飛ばす武器と、頑丈な石垣が指摘できる。大型の船も重要だろう。

 面白いのが、人間どうしの戦いになると不合理に見える武器が発達することだ。金属の、非常に長い刃に短い握りをつけた武器で、槍のように刺すことも斧のように切ることもできるが、どちらの機能もそれぞれに及ばず、貴重な金属を過剰に使い高価で、しかも壊れやすいものだ。贅沢を好む人間の心情からだろうか。実用的には、多くの人間が入り乱れる場では敵に握る部分を奪われるリスクが小さいので役立つが、その目的に適した以上の長さになってしまう。むしろ都市生活での装飾、また個人的な闘争に用いられる事が多い。

 金属に次いで、戦いに馬を用いる技術が大きな革新となった。馬の速度と質量を用いれば移動も速いし、戦闘でも圧倒的な強さになる。

 最初は馬に車を引かせ、それだけでも大帝国ができるほどだった。ふしぎなことだが、座る場や、そこから紐で足を固定する技術の発達にはものすごい年月がかかった。考えてみればそれと、いくつかの遊牧民型の巨大な帝国の興亡とも関係があるな。

 水や船も軍事には重要で、川などは人も馬も簡単には移動できないので強力な防護になるし、船があれば大軍やその物資を短期間で輸送できる。船から上陸して攻撃する敵から陸を守ること、また船どうしの戦いも重要だ。後述する銃器がある程度以上発達するまでは、船をぶつけて人が乗り移り、人員を殺傷して船を奪うか放火して沈めるのが一般的だった。

 防御としては土木建築も非常に重要で、頑丈な建物や堤防と同様の盛り土などは、十分な飛び道具に守られたときにはしばしば難攻不落の防衛戦となる。それを迂回する機動力か、粉砕する兵器がなければならず、それを探求する攻撃側の努力も限りがない。


 そもそも人間に戦争をさせるのがなぜできるのかわからない。人類が戦争用にできているからだろうか。

 考えても見ろ「死んでこい。さもなければ死刑だ」という命令がどんなに無意味か。だが、古今何億という人々がその命令に黙って従い、死んでいったんだ。

 戦争を、それを言うなら人間そのものだが、支配しているのは論理と正気ではない。戦争という場ではそれが顕著に出る。

 基本的には人類の雄は、群れの中で危険を冒し敵を攻撃することをとても好む。軍の、自分を含む一部であっても緊密な群れになっていれば、その群れに対する忠誠、その群れの仲間との強い感情的好意、臆病な行為で名誉を失うことに対する恐れから、死んだり傷を負ったりするリスクが高くても戦いつづける。攻撃的でしかも危険や苦痛を避けないことは、若い雄の群れでは常に高い価値を持ち、地位の向上に結びつく。

 ただし、包囲されたりして「自分の群れは最強だから絶対勝つ」という物語的な確信が崩れると、群れの中でその感情的な判断が高速で伝わり、群れ全体が崩壊することも多い。それで大軍が、一見優勢なのにあっさり負けることもある。


 軍事では優れた者が最上位者になって群れをまとめ、正しい判断をすれば勝つ、が人間の絶対的な前提だ。実際、数での劣勢を何度も跳ね返した優れた最上位者は歴史上多くいる。誰がふさわしいかの評価が難しい。優れた最上位者の子供であること、文字に優れること、体が大きく力が強く一対一の殴り合いで最強であること、どれもそれだけで優れた最上位者になるとは限らない。

 大抵は、巨大群れ独自の人間関係からあまり優れていない個体が選ばれてしまう。

 そして特に激しく混乱した状況では、自信・自尊心が過剰で周囲に「自分に従え」というメッセージを出すのがうまい個体が勝利しては物語を作ってしまい、その感情が群れの中で伝わり合って最上位者にふさわしい、とされてしまうものだ。だが自尊心が過剰な個体が最上位者だと、その最上位者に不利な現実を伝えたら、その最上位者は伝えた者が最上位者を攻撃していると解釈してしまって伝えた者を殺すため、正しい情報を得られず最終的に敗北に向かうことが多くなる。

 統計的に正しく評価されることはまずなく、物語が優先されるのも人間らしい。


**諸娯楽

 都市ができるようになると、その膨大な余剰物資が上記の「贅沢」をそれまでとは違った形にさせる。

 主に魔術を由来とするが、基本的に人間の「快」を強く引きだす行為が価値あるものとされる。


 集団でエタノール飲料を飲むのは、狩猟採集時代でも時に儀式としてやることはある。だが都市ではその意味が大きく変わり、快を得るもっとも重要な手段の一つとなる。

 他にもアヘンを中心に幻覚などの精神の変容を伴う薬物が多く用いられているが、それらは一般に禁じられるため社会構造や経済に大きく関わるほどではない。後の世界では、ある意味宗教的な意味を持つものになってしまったが。

 また、精神の変容が少ない嗜好品も、茶・コーヒー・ココア・煙草など上述のように多数あり、それも経済的に重要だ。


 賭博とは、「確率的には予測できるが個々の試行では予測できないことに、金銭を対応させる」ことだ。結果が予測できない、そして結果を分別できる試行は占いとも共通する。

 一番単純なのが、貨幣として用いられ、表裏双方に違う模様のある金属板を放り上げることだ。その表裏を狙い通り出すのに必要な力の調整は、特に地面にぶつかって勝手に倒れるのを待てばあまりに微妙なので、それができる人間は事実上いない。ほぼ表裏各二分の一の確率だけだ。

 よく用いられるのが、正六面体の固い素材のそれぞれの面に数字を彫りこんだものだ。同様に多数の、表面に字を書いたごく薄い板をひとそろいとし、一方の面は区別がつかずもう一つに数字を書いたものも、それを集めて順番がわからないようにしてから適当に抜いたりすれば一定の確率と数字の対応関係を得られる。区別がつかないほうの面を相手に見せれば勝負もできる。

 他にも多数の突き出た部分を持つ傾いた板に硬い球を転がし落とし、その下の方に球を受ける部分をいくつももうけても、球が何かにぶつかる動き自体は容易に予測できるけれどそれが何度も繰り返されると「初期条件に鋭敏に依存」することになり、確率的には予測できるが個々の試行の結果は予測できなくなる。

 他にも様々な賭博がある。後述する戦闘の見物・様々な勝負の決まる運動や知恵比べの結果も賭博にできる。

 その確率的なこと自体が占いと関係して人間の好奇心を刺激するし、人間には魔術的傾向、「自分は特別な存在だから神は自分の味方をしてくれる」「強く心を使えば超能力を使うことができ、確率や自然現象も自分の群れの下位者にして望み通り操れる」という心の奥の確信があるので自分は勝つと思ってしまう。だから実際には確率は基本的に誰にも、どの試行も平等であり、また商売として行われる賭博では多くの数繰り返して結果が確率通りに分布すれば……「多くの数繰り返される試行」は別の調整がない限りほぼ確率通りの結果になる確率が圧倒的に高くなる……常に場を提供している側にカネが行くようになっていることを無視してしまう。

 また人間は危険を好み、勝利を好む。だから賭けが成功したときの喜びが非常に大きく、それは以前の損を忘れさせるよう記憶すらねじ曲げ、より楽観的な未来予測をさせることになる。

 人間に長期的に統計確率的な予想を立て、合理的に振る舞うことが基本的にできないことの好例だ。


 人間は未来を予測することを好み、さまざまな細かな情報から未来を読みとれると考えている。それはある意味正しい、狩りをしていてわずかな木の傷から獲物の存在を知り、雲の動きから翌日の天気を予測し、人の皮膚や眼のわずかな変化から攻撃準備や伝染病を見いだし、水面のわずかな揺らぎから大きな魚を見つけることは生存率に直結する重要な能力だ。

 だが、特に都市の人間は、それを魔術的に扱ってしまう。賭博と共通する確率しかわからないこと、空の星々、意味のない自然にできる形をイメージさせるものなどが、神が人間に読ませるための未来についての警告だと思ってしまう。

 上述のように人間は、とてもやりたいことはできると思ってしまう。その中でも未来を予測することはできたら大きな利得になる。その手段として儀式を用いるのも通例だ。その一種の儀式として、それら無意味な情報を解釈することが常にある。その情報は大規模な軍事行動や農業政策その他にさえ用いられるほど重視される。

 占いは疑われないようどうとでも解釈できる曖昧な言葉や誰にでも当てはまる言葉を用い、また実際には背景にやられた理性と思考で正しいと判断したこと、占う者の自尊心を満たす結論を予言として出してもらいたがる。

 ただし、未来の予言には上述の宗教に関わるものもあり、それは巨大群れに対する批判になり、群れは批判から打倒闘争に発展するのを恐れる習性があるから非常に危険なことだと判断する。

 占いの技術は、最高の武器の作り方同様に大きな力があると考えられており、実際「神は今の支配者を見放した。自分こそ新しい支配者だ。古い支配者は悪だから殺せば楽園になる」と占いに出せば多くの人が従って暴力戦闘になり、巨大群れが崩壊しかねない。

 巨大群れは支配者以外が占いを行うことを禁じる。ごく最近でさえ、最上位者を占うことを重罪とした巨大群れがあったものだ。


 都市は膨大な余剰食物があり、食物を得るのと関係のない人が多く生活することができる。特に弱い人、中でも生殖可能年齢の雌は、その交接行為自体及びそれで人を支配する快を商品として貨幣化し、不特定多数で自分の群れに属さない雄に結婚の儀式をともなわず売ることができる。ただし雌とは限らず、若い雄にも常に需要がある……生殖としては無意味だし、後代の宗教では禁じられることだが。

 これには魔術的な意味が強くあることもあり、古い文明にはしばしば神殿娼婦が見られる。また歌や踊り・賭博・占いなどと売春、そして魔術との本質的な結びつきも深い。

 これは性病の温床にもなり、巨大群れの・宗教的な善悪判断としては常に悪とされる。実際問題、特に後代には雄が雌を暴力支配するメカニズムがその背後にあるもんだし。


 都市では上記の歌・踊り・楽器を用いた音・物語を演じること・絵・言葉そのもの・占いや呪いなどの魔術・体を複雑に動かし物を投げたり動物に困難な乗り方をしたりすること・極端な奇形や珍しく大きい動物を見ることなども好まれる。

 本来それは群れを維持するための魔術的儀式だったのだが、快を得るための商品として価値を持ち、多くのその技術を高めた人がそれで貨幣を得て生活することさえできる。


 他に都市で人に快を与えることとして、人が暴力で争うのを見ることがある。ただしそれが見られない文明もある。

 人にとって暴力は恐怖だが、人に暴力を加えたり、また他人の暴力を見物したりするのは快でもある。それには誰が正しいのかを決める方法、争いを解決する方法としての機能、刑罰としての機能もあったが、都市では純粋に見る人の快と賭博のために暴力を見せることが多くある。

 人と人が、定められた武器もしくは武器なしで互いに暴力を振るう、人と動物が争う、動物と動物が争うもあるし、さらに純化して人が走る速さを競ったり、象徴的なもの……ゴムが発達してからは弾性が強い球状のものを奪い合ったりすることもある。

 戦闘の訓練として行われることもあるな。

 支配層は狩猟そのものを、生きるためではなく快や名誉のために行うこともある。魚を釣るのも好まれる。

 暴力でない特殊な勝負事としては、戦争を極端に抽象化したものや言葉を用いたさまざまな遊びもある。


 人間の非常に多い心の病として、あるものごとをやらないでいることができない、ということがある。人間は何かに快を与えてくれることに執着する心の働きが強く、財産・家族の生活の安定・群れにおける名誉・任されている仕事よりもその快を優先してしまうこともある。

 酒や様々な脳に働きかける毒、賭博、売春など多数ある。

 といっても、人は本質的に「その群れの一員であること」「その地位」に中毒している、と言ってもいい。


 それらは巨大群れに宗教的にも禁じられ、人間全体が合意した道徳的な悪ともされる。宗教の基本的な価値観として、「快を得ても求めてもならない」「魔術を行ってはならない」がある。ただし巨大群れ全体が、宗教道徳自体を書き換えて許可して上の娯楽をやることがある。巨大な利得があるからだ。

 巨大群れがそれらを禁じるのは本質的には無許可魔術でありタブーだからなのだが、そのことは特に後世になると忘れられて、なぜ悪いのか自体考えること自体が悪となり禁じられたり、社会にとって害があると科学研究をねじ曲げてでも決めつけられる。

 また依存性のあるあらゆる事は人を破壊して社会の役に立たなくしまう、だから本人のためにも社会のためにも禁じなければならない、ともやる。

 ただし、それを本当に完全に禁じることは事実上できない。人間が本性で好むことをなくすことはできないんだ。それは罰されるリスクがあるかわりに膨大な貨幣を手に入れることができるため、特に群れから追われた人々が集まった群れが行うことが多い。その、法に背く人々も都市文明の重要な構成要素になる。また巨大群れをまとめるため、そういう犯罪集団に対する恐怖を利用して人々を統合する事も多くなるため、禁止しても無駄だから許可するとはなかなかならない。というか人は道徳的に何かを禁止することが元々好きだとしか思えない。

 動物としての人類の本来の目的は、上記の狩猟採集生活で滅びず群れを保つことなんだが、そういう都市生活の人数が多くなり、また農耕で暮らす人が多くなったり分業で仕事の多様性が減ったりすると、多くの人が望むことは「働かずに高い地位でたくさんの酒とうまい食物を食い、娯楽を楽しむ」ことになってしまう。ただしそれができたとしても不満は常にあって、より多くの娯楽でごまかそうとすることになるんだが。人間は自分が本当は何のために作られ何を求めているのかも知らないんだ。


 他のある種の娯楽として、定住者が遠く離れた地域に移動することがある。群れごとの移住、追放されたした個体の移住も多いが、元の群れが機能を失わない少人数で、しかも最終的には戻ってもとの場・仕事での生活を続けることを前提にした移動だ。

 群れ自体が移動したいときなど、先に情報を集めるために失っても惜しくない人数を送っておくのも有効だし、少人数で持てるような希少性の高い富の交易としても意味が大きい。また情報がある地域の本の集まりなどにあるとき、若者が情報を得に行くこともある。

 宗教的な意味も大きく、宗教の物語において重要な地に行くことで宗教的な地位が高まることもあるし、宗教群れの若者が学ぶために、広い範囲から学びに来る人を集めている都市で学ぶこともある。

 ただし人は移動自体を、純粋に楽しむために行うことがある。目的地には両義性があり、娯楽や宗教情報が多い大都市に行くことも好まれる。

 逆に切り倒されていない木が多い場や農地化されていない広い平原、人口密度が低い水辺や砂漠すら好まれる。多くの人が住む都市生活のストレスから逃れるためか。また都市から離れた農業地域で、しばらくカネを払って働かずに暮らすこともかなり好まれる。


 自分の巣や自分自身の装飾も娯楽であり、快と社会的地位の誇示両方の面がある。


**大規模建築

 農業による文明は、きわめて大規模な巣を作る。上記の堤防なども規模は大きいが目立たないのに対し、大規模な建物は目立つ。

 特に巨大群れの中心都市および、その宗教的設備は際限なく巨大化することが多い。

 大規模な建築は長方形と円で構成される。長方形を三次元化した直方体は一つ一つのレンガの標準的な形であり、石材加工でも多用される。繰り返すことによって平らで薄い、地面に平行な床または垂直な壁を容易に築ける。円も設計しやすい形だし、また円やその高次元拡張は周囲に必要な素材が内部の拡張体積に比べて最少だ。また半球や、地面に直交する面に引いた半円は、その形自体が工夫次第で上からの重量を分散し、きわめて壊れにくい形にできる。円も長方形も人間にとってきわめて美しい形でもある。

 巨大建造物を造ることは魔術的な意味があるため巨大群れの重要な目的であり、巨大群れを維持するのにとても役立つこともある。だが時には、本来は治水に力を注いだり人口を減らしたりするべきなのに巨大建造物ばかり作って、結果巨大群れ自体が崩壊することもある。

 そのために巨大群れは、多くの人に出てきて働くよう強制する。


 また東ユーラシアでは、遊牧民からの攻撃を防ぐためか、地域全体の西側を覆う長大な壁を築いた。それは月からさえも見ることができるほどの規模だ。


**都市における建築

 都市の建築技術は当然、一人一人の住民の巣にも応用される。都市では土地面積自体が希少資源になるので、狭い面積でより高い体積を得るためには高い建築物を作るしかないが、それには高度な技術が必要とされる。

 それで面白いのが、都市では余計な生物を排除する傾向と、同時に生物と暮らしたがる傾向が同時に見られることだ。

 特に大きい面積を確保する有力な小さい群れは、巣にかなり広い面積を加え、そこは木や水の流れを残すことが多い。

 それは緊急時の食糧供給、普段新鮮な野菜を得るのにも用いられるが、富の誇示や美の主張のほうが主目的だ。


 また、都市においては人が直接住まない水道・道路も非常に重要な技術だ。

 水を必要とする人間、さらに大量の水が必要な、集中的なものの加工が行われる。ちょっとした井戸程度ではすぐ足りなくなるし、川筋に都市を築いても、大量に出る糞尿や物を作るとき、食器などを洗うときの膨大な排水であっというまに汚染され、下流の人間は汚れた水しか飲めなくなって伝染病の温床になる。

 そのままである都市も多いけれど、伝染病を抑えようという意欲がある時には、別に管や溝などで比較的近くにある、その近くにあまり人が住んでおらず糞尿などを流し込まれることが少ないところから水を運んでくる。水は川のような管や溝があり、それに漏れがなくて高低差があれば、重力で自らを運ぶことができる。同じ量を皮袋や樽で運ぼうとしたら大変だ。

 逆に、同じような管や溝で、汚染された水を人の住居から隔離しながら都市から遠くまで流しだすことも可能だ。本当は農地に返すのが一番いいんだが、それがきちんとやられることはめったにない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ