古代技術
精神についてのまとめ、狩猟採集から農耕牧畜、特に主要な作物や家畜、集団生活にいたる技術の変遷。
**人類の好み
さて、まとめとして「人類という動物が何を好むか」まとめておこう。まだまだいろいろ忘れていると思うが。
人間の中での強いミームということもできるか。
○呼吸・水・食物・適温
○食物:塩・脂肪・ブドウ糖など単純な糖・精製した穀物(特に米飯とパン)・水で加熱した肉、火で直接加熱した脂肪の多い肉、タンパク質の味がする加熱した水、多様な植物で複雑に味付けられた食物、酒など各種嗜好品
○地表淡水がたくさんある地域、ただし湿地ではない
○危険を冒しそれを見てもらうこと
○魔術的儀式自体、生贄、歌舞
○ゴシップ・殺人・恐怖の情報
ゴシップ=社会的に認められた性的パートナーがいる人がそれを裏切って別の人と交接した、実は性的・魔術的な欠陥を抱えているなど。ほかにも「地位が高い人が、本当は皆に侮辱されている、されるような状態にある」「人を道徳的に低くする」ことを人は好む。
○過剰な物資と娯楽
○放火・破壊・掠奪・虐殺・拷問
○魔女裁判・焚書坑儒
○大規模な自然破壊
○巨大な獲物を得ること
○巨大な建造物を造ること
○禁止すること、道徳を強化すること、欲や知識を規制すること、単純な道徳がすべての答えであること
○単純な勧善懲悪
○禁じられた恋愛
○禁欲、道徳的に高い群れ
○運命が決められていて変えられないと思うこと
○変身、人に混じっている魔物とそれを打倒し宝を奪い返す勇者
○陰謀論、少数の貴族(悪魔、その変形である宇宙人も含む)による絶対的な支配
○人体実験をしている人里離れた研究所、食人生活をしている孤絶した人の群れなど
○より上位の存在に飼われること、上位の存在になって人を飼う側に回ること
○この世界は悪であり、ある日世界が滅びて素晴らしい世界がやってくる(黙示録)
変形として
●ある日突然、全人類が一斉に改心して世界が天国になる
●魔王を倒せば世界は楽園に戻る
●失われた楽園、文明・科学技術自体に対する嫌悪
***人間の基本的な考え方
人間はいくつかの命題を、無条件に正しいとすることで自分及び群れの物語の根拠とする。ちょうど数学で、いくつかの命題を公理系として、それを前提に数学体系を作るのと同じだ。
といっても、そんな構造で数学を作っているのも我々だけで、別の世界の知性は別のやり方をしているのかもしれない。
○世界は単純な善悪に二分でき、人間も善悪に分けられる
○因果応報、良い行動や心の褒美には良い運と結果、悪い行動や心の報いは悪い運と結果
○祈れば、思えば、言葉にして発すれば、適切な儀式をすれば確率操作を含めなんでもできる
○穢れは感染し、穢れた者は悪
○霊の存在、人間は死んでも魂は不滅
○個体の欲は悪。服従せよ
これが重要な前提だな。
全ては物語なので何にでも理由があり、それは自分や他人の罪や穢れ、圧倒的な存在の愛や怒りが根本的な原因だ。
人間皆が道徳的に完全でなければならない、完全であれば栄え、完全でなければ滅ぶ。(道徳的な善悪と禍福に因果関係がある、道徳的な善悪と手段としての適正・不適正との無意識的な混同)
個体も道徳的に善であれば運命として幸せになり、不善をなせば不幸になる。また道徳的に完全な個体でなければ災いをもたらすので群れの一員である資格はない。道徳的な完全は全能、成功につながる。
自分の群れは敵をのぞき道徳的に完全であり、皆は信頼できる(または自由に操れる愚か者ばかりだ)。
犯罪を容認すれば群れが滅びる。逆にそれを防ぐため、刑罰の恐怖で抑止し、また成員を道徳的に高めなければならない……逆にそれによって犯罪をなくせる。
さらに高い道徳的な完全さをもつ個体は強大な超能力も同時に持っており、群れの最上位者はそのような個体であるべきだ。
万物に霊があり、正しく交渉すれば支配使役できる。
どれぐらい普遍的なのかは知らないが、重要な前提に自由意志というものがある。
まず、人が何かを行い、その結果なにかが起きた、とする。「原因がなければ結果なし」という観念だ。
起きたことが群れにとって不利益だったり、宗教的な考えが整備されたら神から来る道徳に逆らうことで群れを魔術的に穢した……同じ事だが……場合、それに対して群れは何かをしなければならない。
要するに人間の内面を善と悪の、二人の小人間が脳内で争っているように考える。
そして「自由意志の持ち主」と仮定される擬人化された存在はどちらも縛られていないとする。
それで善が勝った場合はその人は「自由意志で善を選んだ」善人であり、悪が勝って悪しき行動をしたら「自由意志で悪を選んだのだから罰するべきだ」となる。どこで「だから」になるのかいまいちわからないが、人類という妙な生き物はそういうものだとしか言いようがない。
後述する西欧文明では「理性」というのが価値とされるようになるが、それは「理性的な行動=法に従う行動」という絶対的な仮定を置いての話だ。
快と不快によって人を支配する技術と、生贄によって群れを浄化し悪から群れを守る魔術のややこしい複合体が、罪と罰とか自由意志とかややこしいことになったんだろうな。
*人類の拡散、大絶滅
人類はつい五万年前までアフリカで暮らしていた。そのある時期、非常に規模の大きい噴火が別のところで起き、そのために大きく気候が変わって、人類は絶滅ぎりぎりの少人数においつめられた。そのため人類全体の遺伝子的な多様性は極度に少ない。
五万年ぐらい前のある時期、人類の一つの群れがアフリカ大陸を出てユーラシア大陸に移住した。
それからわずかな時間で、人類は地球の陸地のほとんどに移住した。人間は……いや、どんな動物でもだが、群れを分割し、拡がる性質がある。それがある意味暴走したんだ。
その頃は地球自体が非常に寒く、そのため地球の水分の中で氷河として陸上にあるものも多かったから海水面が低くて、それでユーラシア大陸北東端とアメリカ大陸北西端がつながっていたからでもある。
アフリカの熱帯で進化した人類が、水が凍り空から雨でなく雪が降るほど気温が低くなる時期の長い地域でも生き、拡がることができたのは衣類・住居・火などの技術があり、それを新しい地域の条件に応じて変更する創造性・情報伝達能力があったからに他ならない。裸では絶対無理だ。
その時期、たしかに地球全体でその大規模な噴火、氷河期から気温が上がったことなどかもあるが、本質的には人間のせいで世界各地で多くの大型動物が絶滅している。
そのことを考えると、人類が発生したアフリカで多種多様な大型動物が生き延びているのが不思議なぐらいだ。多分それは人類と長いことつきあっているアフリカの動物は人類を見たらうまく逃げるように進化しているだろうし、それにアフリカには厄介な病気がたくさんあるから人類もそう活発には動けない、ってことだろう。逆にそれまでの長い進化の時間、人間を見たことがなかった動物は人間を警戒せず接近し、あっという間に殺されつくしたんだろう。
だがアフリカから出た人類ときたら……それこそ、目についた大型動物はすべて皆殺しにしてきた。よほど逃げ足が速かったり、繁殖が短時間でできて隠れるのがうまかったりする動物以外は全滅した、としか言いようがない。
当時の人間は獲物も繁殖しなければならないとか限りがあるとか何も考えず、ひたすら大量に殺してきたらしい。まあいくつか、たとえば崖から落とされた膨大な大型動物の骨が見つかったりしただけだが。これ以上拡がりようがなくなって長い時間が経つと、さすがにまずいと思うのか過剰狩猟を嫌うタブーが宗教などに入るらしいが。いや、一人一人の思考はほとんどない。膨大な世代の中、それぞれはあまり考えずに目につく獲物を狩って食い、またタブーを守って暮らすようにもなるだけだ。
これまでの地球の歴史上の大量絶滅とは知られている限り違い、一つの大型動物種の暴走による大量絶滅だ。
また、これは研究途上だが、その時期に多くの大陸の森林がきわめて広い範囲で焼かれている痕跡がある。森林を焼き払って広い草原にすれば、大型動物は草原を好むため獲物が多く得られるし、後の農耕牧畜にも有利だ。
その人類の急速な拡大を支えたのがさまざまな技術だ。身の回りにあるあらゆるものを加工し、さらに加工してできた道具を使ってもっと優れたものをつくり、さらに多人数で力をあわせ……
そして、詳しくは後述するが食料を得る方法にも大きな革新があった。
まず、人類が地球全体に拡散するころ……五万年ほど前に、大型動物の狩猟が可能になり、それまでほとんど植物を食べていたのが動物を食べるようになった。
そして詳しい説明は次になるが、一万年ほど前にもっと大きな食料の革新があった……自分の管理下で、他の植物や動物が繁殖しやすいようにし、また繁殖を妨げるほど殺しすぎない、むしろ繁殖を助けることで本来いつ食料を得られるかわからない生活が、毎日食べ物があるのが当たり前になった。
同じ人間以外の動物に食われることがまずなくなった。
それできわめて規模の大きい群れが地球のあちこちにできた。ただし、小規模の群れで狩猟採集生活をしている人たちもたくさんいたし、大人数高密度でいろいろな建築を行う人間集団は、今の我々にもその活動の跡を掘り出すことができるが、そうでない生き方をしていた人々は今の我々には存在自体わかりにくい、ということもある。
*技術(高度な狩猟)
さてと、そういう新しい技術について解説していこうか。
**狩猟技術・いくつかの道具
狩猟とは要するに動物を殺して、その死体を手に入れることだ。
それには自分からあちこち移動して、手が届く範囲にある動物を殺せばいい。
でもただいい加減に歩くより、多くの動物は水や食物など自分が必要なものがあるところにいるし規則的な移動もするから、いるところを襲うほうがいい。
また獲物にしたい動物が好む餌を置いておくと、そこには獲物が向こうから来てくれる。こちらから捜すより楽だ。
さらにそこに罠を仕掛けておくというのもいい。
罠というのは、たとえば穴を掘っておいて、重力で動物がその中に落ちることがある。底に獲物が好む餌を入れておくとか、または穴の表面だけ木の枝で覆って、獲物の体重でふたが壊れて落ちるようにするとかいろいろある。人間は手が二本あるから穴から出るのが得意だけど、特に速く走るのが得意な動物には穴から出るのが苦手な動物もいる。そうなればその獲物はもう移動できず、いつでも殺せる。
前述の紐類を使ってもいい罠ができる。
他にも重量物を用いた四の字罠などいろいろあるが要するに、特別な対応をせずそこを通過した動物は移動できなくなる(または死ぬ)ように地形にいろいろと置いておいたシステムが罠だ。
動物に、自分が捕まえやすいように移動させる技術もある。これは自分ひとりではなく、群れの仲間との情報交換・連係、高度な地形把握、そして因果関係や心の理論、動物の生態についての理解など高度な知能が必要とされる。
それには音を使ったり、直接追ったり、植物に火を放ったりもする。それで地面の高低差が極端に急なところの高い所から低い所に追えば、自分の手で殺さなくても多くの獲物を得ることもできる。
で、目の前に動物がいるとする。サービスだ、移動して逃げることはないとする。どうやって殺す?
動物が死ぬ条件は上の人体生理を参考に考えればいい。人間と、特に大型脊椎動物にはそれほど大きな違いはない。大きい傷をつけて大量に出血させる、呼吸関係の臓器を破壊する、中枢神経を破壊するなどすれば死ぬ。
小さい動物であれば、近づいて首のあたりを強く押さえてやればそのうち呼吸できなくて死ぬだろう。首が長い脊椎動物であれば首を手で曲げて首の脊椎を折っても中枢神経が破壊されて死ぬ。昆虫や陸で暮らす貝類などは動きが遅いものも多く、手でそのまま口に運んでもいい。
でも自分と同じか、もっと大きい動物は? 自分より小さくても相手にも牙や爪があり、どんな反撃をされるかもわからないぞ?
人間が何も持たないサルのままだったら、基本的に「自分より大きい動物は殺せない」。まあ例外的な方法は二つある、群れで襲って押し倒し、呼吸できなくするか、または群れで脅かしては移動するのを続けさせ、相手が力尽きるのを待つ。多くの動物は移動などの運動を限界より長時間続けたら行動不能になり、死に至る。倒れさえすれば首の呼吸管や、胴体後端(四足動物にとって、人間にとっては胴体下端)の生殖器・消化管排出口など柔らかい部分から、口や爪のように鋭く硬い部分で攻撃することで死に至らしめることができる。
でも人間は道具を持っている。前に言った、手で持つ能力で石を持って、握ったままでもぶつければ、人間の手の骨より硬く重いそれの衝撃で大型動物でも死ぬ。拳を強化したわけだ。
木の棒は、人間の手を伸ばすような働きもする。手が届く距離を伸ばし、梃子の反対に先端がとても速く動くので、その先端が当たると大きい衝撃になる。高速の物が何かにぶつかると、ごく短い時間だが巨大な力が出る。
また木の棒の先端が、太いからだんだん細くなる、円錐のような構造になっているのを長い方向にぶつければ、先端に極端な圧力が集中して簡単に皮膚を破れる。棒が直角に曲がってさらに先端が細ければ、円を描く自然な動きでそれができるし、まっすぐな棒でも足で全身を進める力……体重と動く速度によるエネルギーをまとめてぶつければ強い力になる。
最初は偶然そうなっている棒を選んだのだろうが、そのうち棒を歯や上述の石器で加工することも覚えただろう。
さらに木の棒の先端に、上述の石の鋭い破片を動かないように固定できれば、石の重さと硬さと鋭さが加わってもっと威力が増す。棒の、長い方向が尖っているものを槍という。長い方向に垂直な方向が尖っているものもあり、それは斧などといわれる。これらはきわめて革新的な技術だ、自然界に存在していない、「二つ以上の異なる素材を固定して道具を作る」こと。道具を使う動物は多いが、異なる素材を複合した道具を作るのは人類だけだったはずだ。
木の多くは残念ながら、頑丈だが硬くはないので……硬いと頑丈がどう違うといわれても難しいな、物の素材としての強度を、厳密に科学的に数値化できるものにしようとするときわめて多くの単位が必要になる……槍や斧に直接成型するには適さない。
棒を、その長い方の軸に沿って直線的に動かす。またちょうど身体を固定して腕や足を振って先端に大きな円を描かせるのを棒で延長する……棒の一端を握って棒を大きく持ち上げ、もう一端で大きな円を描く。その二つの動作がすべての基本だ。
後者を用いる斧などは水平方向にも垂直方向にも使える。垂直方向のほうが重力を活用できるため、特に石のほうを重くすると威力が極度に増す。
斧などは先端の形状でいくつか用途が違うものを作ることができる。牙と同様に円錐に似ているなら柔らかいものを突き破ったり、非常に硬いが結晶構造があって特定の方向に巨大な力を加えれば破壊できるものを砕いたりするのに向く。平たい刃ならやや柔らかいものを切断でき、また重い塊なら柔らかいものを変型させたり、より硬く頑丈なものを破壊することができる。また曲がった強い棒をつけると、自分に近づける方向の力を出すことができるし、短いものは急な傾きや固体の水がある苛酷な地形で転がり落ちるのを防ぐのにも使う。その曲がった強い棒の、自分に近い方が刃となったものは比較的柔らかい植物を正確に切るのに向いている。棒自体がそうだが、てことして重いものを持ち上げたりすることもできる。
また人間の脳の、きわめて高度な運動制御はものを「投げる」ことができる。手に持った物を、全身を協調させ腕を振って高い速度にし、離すことで高速で飛ばすことができる。石だけでなく、槍を標的に刺さるように投げることすら可能だ。
それは人間の手の長さに比べ非常に長い距離を飛ぶ。反撃される危険もなく、遠くの動物を殺せるわけだ。
さらにその、遠くに届く鋭いものに、様々な植物や昆虫が食われないため(こういう「~ために」に注意、本来は「~を持つように複製の間違いされた生物は生き延び子孫を残す確率が高かった」だけのこと)に体内にためた毒を塗ることで、軽い傷でも獲物を殺すことができるようにもなった。
補助的な猟具として投槍器・スリング・ボーラ・吹き矢などもある。さらに弓矢もあるが、それは……いつできたんだろうな。それが、人類が農耕などを始めるより早かったかどうかもわからない。小さい大陸にもあるから結構古い、後述の人類の拡散より古いかも……でも拡散後各地で独立に発明したかもしれない……わからない。
ちょっと説明するか、投槍器とスリングは要するに人の手を延長する道具だ。手に棒と槍を同時に持ち、槍の鋭くないほうをもう一本の棒の、握りから遠いほうの先にある向きにしか外れないような関節構造をつけておく。それでうまく投げると、もう一本の棒の長さだけ腕が伸びたのと同じように遠くに槍を投げることができる。スリングは、上で言っているまとめた繊維の中ほどを平たく柔らかいものにし、一方の端を手に固定し、もう一方の端を軽く握り、平たく柔らかい部分に石を入れて振りまわして軽く握った方の端を投げる。ちょうど月が地球の周りを回るように、紐が石を引っ張って回転軌道に固定される……それは手を振って出せる最大速度よりはるかに速く、そこで紐を放せば接線方向にまっしぐらだ。ボーラは繊維の両端に石をうまくつけたもので、それを投げるとスリングと同じく手で投げるよりも速く、二重星のように石が互いに周りながら飛び、曲線軌道を描く単独の石より当たる誤差が大きくてもいい。紐か石が当たれば大抵獲物は行動不能になる……石は硬く重く、速く動いているから大きな運動エネルギーを持っているし、紐に当たれば石には慣性があって等速直線運動をしたがるから紐の残りが獲物に絡まる。
吹き矢は、植物には円筒の表面だけが固い筒になるものが結構あるんだが、それに先が尖った、植物の固い部分や加工した骨などを入れて、尖っていない方から強く呼吸の吐く息を吹きこむ。人間の唇の構造は筒の周囲を密閉でき、また人間は呼吸をかなり制御できるから、強い気圧を筒の中に入れて、それで中の小さい物を加速し、飛ばすことができる。どうしても威力は弱いから、毒をつけるのが普通だ。
**弓矢
まず狩猟・戦争両方に使える、最も大きな発明が弓矢だな。これはアメリカ大陸にもあるからそれなりに古いと思われる。まあ別々に発明されたという説もあるけど。
弓矢というのはごく小さな槍を高速で飛ばす技術なんだが、それに「エネルギーを貯めて変える」という原理が使われている。
かなり変型しても壊れずに元の形に戻る、しかもその変型させるに必要な力は人間の腕で充分出せる素材で棒を作る。木がちょうどそんな素材だったのは実に幸運だ。
固体に力をかけたときの変形にもいくつか種類があり、素材の性質や温度、かけた力の大きさなどで変わる。ここで挙げているのは力をかけているときに変形し、力をなくすと元の形に戻る種類の変形だ。変形の大きさと必要な力が比例し、わずかな熱以外のエネルギーは元に戻るときにうまくやれば引き出せる。ほかにも変形したまま戻らない変形、固体自体が二つ以上に分かれてしまう破壊がある。
その棒を、まず円の周囲の一部を切りとったような形にし、その両端を強い力をかけても長さが変わったり切れたりしない細紐で結ぶ。細紐が伸びきっている状態だと棒にそれ以上曲げる力はかからないが、細紐の中央部あたりに別の力をかけると、紐に角ができてその分棒の両端の間は短くなり……数学的にはこれも面白いんだが……棒は曲げられることになる。その時に力が棒の変型のエネルギーとして蓄積され、紐にかけた力を抜くと棒はいきおいよく元に戻る。それだけなら音や熱という秩序の低いエネルギーに力や変型という秩序の高いエネルギーが変わっただけだが、ここで小さい槍の刃のないほうの端を、元に戻る紐に押させてやると、エネルギーがその小さい槍……矢の速度に変わって非常に速く飛び出す。
槍を投げるのに比べ、放つ矢がより小さくていいので棒も刃も入手しやすいし、たくさん持って行動できる。また槍投げより狙いがつけやすく、遠距離に届く。さらに矢の棒の、刃がない端に鳥の羽を切ってつけるという技術ができた。それが大気中でまっすぐ飛ばないと極端に大きくなる抵抗となり、射程も命中精度も大幅に上がった。
この武器の重要性はどれほど強調しても足りない。
ちなみに本当はどうなのかは知らないが、弓は別の道具からできたものかもしれない。何もないところから火を作るのは重要な技術だが、弓を用いる方法もあるといわれる。強く張る必要はない、棒の両端を繊維で結び、その中ほどで一度交差させて小さな輪を作る。それに棒を入れ、棒の双方を軽く、位置だけは変わらないが棒の回転は妨げないように固定して弓を輪が潰れないよう棒と垂直方向に往復運動させると、棒が高速で回転する。直線の運動を回転に変換するという、最も単純で基本的な機械の一つでもある。
その高速回転する両端と固定している部分のあいだでは摩擦が集中する。表面どうしがきわめて長い距離を擦れ合い続けているのと同じだからだ。それで棒か押さえている部分が木なら粉になり、それに火がつく。
他にも楽器としても弓は使える。何が一番最初だったのかはわからない。
**水中狩猟
水中で動く獲物を捕らえるのに使う方法を説明しておこう。
水中生物、特に魚は動きが速く、簡単には捕まらない。ただし魚は攻撃する能力が弱く、水上に引き揚げるだけで呼吸ができず死ぬから、殺すのは楽だ。
上述の槍もいい。だが槍を、特に濁った水中に投げたら簡単に失われる。槍は貴重品だから、槍に紐を結びつけておけば回収できる。
また上述の長くまとめた線維の、細く強い物の先に、魚の口より小さい鋭く尖った細い棒をつけておく……棒のままでもある程度、それに魚が好む餌や、餌に見せかけた飾りをつければもっと高い確率で、魚が餌として飲みこんでしまい、棒が魚の体内に刺さって抜けなくなることがある。そうなればその線維を引き上げればいい。さらに棒を曲げるなど工夫を凝らせばもっと確実に引き上げられる。
すばらしいのが網だ。上で説明した紡いだ繊維を使い、下で説明する布にも通じる。ある意味人間が上述の濾過食者になると言ってもいい! 紡いだ繊維どうしをつないでより長い一本にする結びという技術は、結び方によっては四つの端がひとつの結び目からできるようにもできる。事実上いくつもの端を持つようにもできる。
それをちょうど、座標平面のある程度広い一部の、どちらかが整数である部分に線を引いたような構造にすることができる。そうするとたくさんの隙間がある平面状の構造になり、それを水中に入れると動物が濾過されてひっかかり、網をうまく引き上げれば水上に出せる。
また、網は四角形の繰り返しだけでなく、三角形の繰り返しにもできる。
さらにその網を蚊より細かくしてその中で生活すれば、蚊に刺されないため生存率が桁外れに上がる。
**野焼き
農耕以前の、世界中に拡散しつつ大型動物を滅ぼしていく人類が得意としていた技術に、広い範囲の地面に火を放ち、木や草を焼いていくことがある。
それによって本来は森林だった地域が極めて広い範囲で、短い草しかない草原となった。
人類は元々草原で暮らしており、目に頼り飛び道具での狩猟を得意とする。草原になっていれば獲物・人類を襲いかねない危険な肉食獣の隠れ場所がなく、便利だ。
また高い木に光を奪われない、焼かれたばかりの草原では多様な植物が繁殖するので、様々な目的に応じた有用植物を探すことができる。
注意すべきなのは、火は人類が進化してから地上に出現したものではなく、それ以前から雷などによって自然に起きるものだ。それによって巨大化した老木が死に、新しく多様な植物が地面を覆うことにもなる。火に適応した種を出す樹木すらある。
また後の農耕との関係も深い。人間は木の葉ではなく草を食べる草原の動物を家畜化し、木でも多年草でもなく一年草、または地下に栄養を貯蔵する植物を好んで利用するが、どちらも頻繁な野焼きによる草原により適応している。
さらに、後述する焼畑との関係も深い。
*技術(古代)
主に植物や虫を集める生活から大型動物の狩猟、そして「別種の生物を育てる」生活になったとき、詳しくは後述するが群れの人口規模が大きく変わった。それは人間の心のありかたさえ変えてしまう。
これらの技術はある程度行くと、それまでのようにたくさんの技術を一人の人間が同時に持っている、というわけにはいかない。それがいきつくと、一人の人間には一つの技術だけしかできない、他のたとえば獲物を解体したりはできない、ということにもなる。
また、少ない人数ではこれらの技術は維持・行使できない。必然的に、狩猟採集生活ではありえない人数の、非常に大きな群れが必要になる。
技術そのものも大幅に高まる。特に後述の文字によって情報を蓄積することができたことが大きい。移動範囲・速度・使える力・最高温度・刃の切れ味・計測加工精度などが互いを高めながらどんどん高めあっていった。
まあ詳しい社会構造の変化は後で。
*家畜
人間は、動物を見れば全て殺し、食える植物は全て食い、食物が見当たらなくなったら移動する生活をしていた。だがあるとき……おそらく何万年という時間をかけて……動物を人間の手の届く範囲から逃げないように、いやむしろ人間自体をその動物の群れの最上位者として認めさせて共に暮らすことで、群れを全滅させずに生かすことを学んだ。人類と動物の〈複合群れ〉を作ったわけだ。獲物である大型草食動物の群れと共に移動し、少しずつ狩って食べながらその獲物を襲う別の肉食動物を追い払うのが前段階だろうか?
殺した生物は食べきれなければ腐るだけだが、生きている生物が移動できず手元にあれば、たとえばしばらく食料が入手できないときに「保存された食物」と同様にいつでも食べられるわけだ。また家畜の側も、人間によって別の肉食動物からは守られ、人間の知能……遠距離を見わたす視覚、地形などの知識を図・言語にして蓄積できること……に助けられて確実に餌や水にありつけるから群れ・遺伝子を中心に考えればそれほど損はしていない。
だが、そのためには動物をある程度以上移動させないこと、生存させるために上記の「人間の生存条件」と同様なものをそれぞれの動物の種に応じて確保する必要がある、ということだ。水や空気などほとんどは共通だが、食物・温度管理・湿度、そしてその動物が繁殖する条件も必要になる。
よりそれまでと違う要素としては、狩猟生活は「弱いものを殺す」のが肉食動物の鉄則だった。まず子供を殺して食う。また年老いて弱ったものを殺して食う。だが、新しい技術を覚えた人類のように大きい群れが狩猟を行い、獲物の側もそれにあわせて進化してないと、最後の子供まで殺してしまう。それによって上述の大絶滅が起きたようなものだ。ただし普通肉食動物はそんなことを考えはしない。単に獲物を殺しつくす能力が普通はないし獲物側も共に進化してるだけのこと、たとえば人類が家畜化したいくつかの動物は世界各地で大量の生物種を絶滅させている。
だが人類は、子供を殺して食うことを抑制し、相手の群れを維持することを学んだんだ。これがどれだけ大きい叡智か、わかるだろうか。さらに家畜としてより有用な個体のみに子を産ませ、他を殺すことで人工的な進化を起こすこともする。それほど意識的ではなかったと思うが……この品種改良と呼ばれる技術は後述の作物についても同様だ。
人間にも家畜化されたようなところがある。体毛がないこと、あごなどが退化していること、従順であることなど。ただし、別に人間はどこかの宇宙人に家畜化されて作られたなどとバカなことは言わない。自分で自分を家畜化したんだ。生活が常に苦しく、十人産まれて二人生き残れば上等という生活がずっと続いていたら、群れに反抗しない子、衣服に順応した子のほうが生かされ、子孫を残すのは当然だからな。
それは、人類と家畜がともに互いを進化させていったと思わせるものがある。ただし互いを進化させるのは普通の肉食動物とその獲物でもあるけど。
家畜化のためにはその動物は群れを作る性質があり、自然ではありえない高い密度など不自然な状態でも繁殖できるような特殊な強さがなければならない。広い範囲のものを食べられる、人間の役に立つ、品種改良のためには生まれてから子供を産むまでの期間が短いこと、人間に対して攻撃的でないことなども重要だ。少なくとも昔は、人類の指示に従って自力でかなりの速度で決まった方向に移動できることも条件だったようだ。それらの条件を満たす大型動物はわずかしかいない……これはダイアモンド『銃・病原菌・鉄』の受け売りだ。
だが個人的には、体温を保つ必要がないからより少ない食料ですむリクガメなど草食性爬虫類、大型の木の葉を食べる動物、また幼虫が木の葉や木を食べて容易にとても大きくなり栄養豊富で食べやすく毒がない昆虫や陸上で暮らす貝、広範囲の汚物を良質の栄養に変える蝿の幼虫などがもっと家畜化されなかったことが不思議でならない。人間が命令しただけでその方向に、人間と変わらない速度で移動する知能がないからか? 運搬するのではなく自力でともに移動してくれるものでなければならなかった? 理由はわからない。
特にリクガメには多くの候補があったはずなんだが、昔の人類が全部絶滅させたんだろうな……というか今の、そういう見方ができる人類が、人類がアフリカから出て世界中に広がる直前の地球に行き、その動植物をきちんと調べたら家畜・作物とも今の何十倍もの種類があったはずだ。
また最も知能の高い動物の一つである全身が黒い鳥や海で生活する大型哺乳類を、その知能を活かして家畜化していないのも不思議だ。
ちなみに農耕牧畜は人間の専売特許じゃなく、一部のアリもやっている。木の葉を切って地中の巣穴に持ち帰り、それを蜜を出す昆虫の幼虫に与えたり、植物を腐らせる菌類に与え水もやってその菌類を食べたりするのがある。
家畜を維持するには、まず家畜の攻撃から自分の身を守ること、人間の支配から離れて移動したがる……逃げることを防止すること、家畜自体を別の肉食動物・吸血生物・伝染病・もちろん別の人間の群れなどから守ること、確実に繁殖させること、もちろん水や空気、動物ごとに異なる食料、生きていくのに必要な温度など、上記の人間の生存条件と同じような条件・資材を与え続けることが必要だ。
動物は自然状態では糞尿で地面が汚れれば移動してしまうが、家畜は勝手に移動させるわけにはいかないから人間が掃除をしてやらなければならない、といえばその厄介さが分かるだろうか。
また家畜に限らず、動植物は人間にとってはただ利用するだけの資源ではなかった。上記のようにさまざまな魔術的な意味を持ち、占いに用い、資源に余裕のある都市生活になると賭博や動物との闘争に発展し、美的に鑑賞するなどさまざまな社会的な機能も持つようになった。贅沢を見せつける消費のためには、色や形の改良が重視されとんでもなく派手な色をした品種も多くある。
それに付随し、多くの食用家畜について民族ごとにさまざまな食物タブーがある。
また家畜という形で別の種の動物と常に接触する生活は、当然ながらさまざまな伝染病のリスクを高める。元々人間にも動物にも感染する微生物や寄生虫も多いし、遺伝子に複製の間違いが多く進化の早い微生物は家畜から人間に感染してさらに進化して人間から人間に感染するようにもなった。天然痘は牛から、インフルエンザは鳥からの感染症といわれる。
**利用法
家畜の利用法としては大きく分けて殺してからの利用と生きているときの利用がある。
殺してからの利用は上記の通り、皮および毛皮・肉・脂肪組織・骨などの資源を活用する。
生きているときには人間の周囲で様々なものを狩らせたり、その筋力を人間が移動したり、ものを運搬したり、ものを加工したりするのに必要な力源として活用したりする。
特に興味深いのが家畜を生かしたまま食料をとり続ける技術だ。血液・哺乳動物が子供を育てるために分泌する乳汁・鶏などが産み続ける卵などは殺さなくてもかなりの期間とり続けることができる。動物を殺すといくら血一滴無駄にしないように工夫しても、特に金属の利用法が確立されて骨器の価値が低下し、長距離輸送が多くなって腐敗の早い内臓を捨てるようになってからは多くの無駄が出る。それに対して殺さないで得られる食料は家畜に与える水や食料の割に多く、しかも味が良く消化しやすい。
血液も大きな潜在力があり、地域によって使うところもあるが、それほど重要な食物とはされていない。
最も多いのが乳汁だ。乳汁は小さい子供を育てるために雌の体から分泌される体液だ。ほとんどは水だが多くの脂肪・タンパク質・糖類・人間が体内合成できない必要な化合物や必須元素化合物を含み、それとごくわずかな生の植物か動物の内臓を食べれば必要な養分全てが得られるほどだ。
それ自体は微生物にとってもいい栄養源だから短時間で人間には食べられなくなるが、水分を除いて保存食にする方法も多くある。
水を入れるのと同様な容器に入れたまま長時間動かすと、きわめて細かい粒になっている脂肪が集まって水と分離する。また動物の内臓から得られる特定の触媒タンパク質を与えることでタンパク質が分離し固まる。微生物を用いて発酵させることでも固まることがある。その固まった物は塩・発酵を加えてかなりいい保存食となる。
また乳を別の微生物で発酵させ、栄養豊富な酒にすることもできる。
この乳を手に入れたことは、人類の人口をどれだけ増やしたかわからない。
ここで面白いのが、人類の多くは乳を生で飲むのに向いていないことだ。乳の中のある糖が消化できず、消化内臓が不調になる。人類が進化していた段階では乳を食べることはなかったし、子供が母乳を飲んでいるときは当然乳を消化できたが、ある程度大きくなったら普通の食物は消化できるが乳が消化できない、となって母親を解放し、母親が別の子供を妊娠出産できるようにしたわけだ。その遺伝子を追跡するのもとても面白い研究になる。
食糧ではないが、毛も殺さずに得ることができる資材だ。
ちなみに草食家畜の糞も重要な資源だ。乾燥させれば良質の燃料になり、また土と混ぜて建材に強度を与え、火に加えて煙にすれば蚊などを近寄せない薬となり、農耕が始まってからは貴重な肥料ともなる。
一つ一つ主要な家畜を紹介していこう。
**犬
犬は最も古い家畜だ。犬自体は知能が高く群れをなす肉食の四足哺乳動物で、大きさは多様で最大で人間と同じぐらいの体重にもなる。音と匂いにきわめて鋭く、腐った肉、人間の糞さえかなり食べられる。ある程度植物も食べられる……人間の食料の大半を共有できる。分厚い毛皮があって寒いところで生きられる。人間のような言葉とは違うが、かなり表現力のある多様な声を出せる。
利用価値としては肉や毛皮もある程度あるが、生きている犬は人間の命令に忠実に従い、ある程度人の言葉さえ聞きわけてかなり複雑な命令をこなす。音と匂いをよく分析し自らも優れた狩猟者で、人間が狩りをするときに非常にいい助けになる。ある意味人間も犬も大きい利益を得る共生関係と言ったっていいんだ、人間は目と道具という長い手、犬は匂いと音の精密な分析で協力できる。たとえば動物がほとんど足跡も残さず移動したとしても、どんなに遠くでもその一匹を群れからかぎ分けて追い、隠れ場から追い出して人の投げ槍の射程に送ることができる。また闇夜に別の群れの人間に襲われそうになっても、投げ槍の射程にも入らないうちにその足音を聞きつけて声を上げて警戒・反撃を訴え、襲いかかって敵である人間を鋭い歯でかみ殺す。
また別の家畜を大量に管理する能力がある……本来は群れをなす草食動物を追い回し、はぐれたものを殺して食うための能力だろう。逆に訓練次第で、何百何千という草食動物が草原を移動するのを、一匹も群れから外れないよう動かし、また別の肉食動物に襲われないように警戒することができる。
さらに小型の犬は鼠などの小動物を自分で狩ることもでき、それは備蓄食糧を失わず伝染病を防ぐことができる。
ただし犬の野生種は多くの家畜や、地域によるが人間さえ襲い、人間は他のどんな野生動物よりも恐れ皆殺しにしようとする。
**牛
特に現代世界で最大最強の文明で最も重視される。
人間よりかなり大型の草食四足大型哺乳動物。植物を食べ、体内の複雑な消化器官に膨大な微生物を飼い、それに植物細胞の頑丈な分子を分解させて食べるという高い能力を持つ。小さい角をもち、育て方によってはかなり高い攻撃性もある。
用途がとても広い。肉・皮・角・乳・糞(・用いる文化圏は少ないが血液)など広く利用可能で、従順で非常に力が強く、首のつけねの構造上何かを前から引いて力を出させることにも適し、動力として荷物を運搬したり土を耕す道具を引かせたり単純な動力を出したりするのにも使える。
特に乳は質量共にとてもよく、多様な乳製品が多くの人口を支えている。
牛には独自の伝染病も多数あり、天然痘は牛から人間に変異して伝わったとも言われる。
インドでは非常に神聖視され、肉が食用にされない。また攻撃的な面もあるため、牛どうしや人と牛、犬と牛などで戦わせて楽しむこともある。
ヤク、スイギュウなどが似た家畜だ。
**豚
人間とほぼ同じ大きさの胴体をもつ哺乳動物。太く強靱な円筒形の体躯に短い四足、最大の特徴は体の一番前にある鼻で、嗅覚も優れているが前面が固くなり、地面を掘ることができる。穀物や木や草の根、後述するオーク類の堅い木の実、土の中にいる虫や人糞まで、食物の範囲も植物寄りだが広い。
本来知能は高いが、主に肉を食べ、多量に蓄積される皮下脂肪から油をとる。汚物食いを利用して後述する都市部で飼うのにも適している。
現在の地球でも野生種がきわめて多く生きており、農作物を荒らしたり狩られたりすることも特筆すべきだろう。
歴史的に、オークの森や都市に順応し、清潔のために泥水を必要とする豚は、他の大型草食動物とはやや異質な存在だ。これまでの人類の歴史学の主流は、草原に順応した草食動物と長い葉をもつ草の実だが、オークと豚を中心として生きた人々も想像以上に多かったのではないか……
また、現在の地球で圧倒的な影響力を持つ複数の宗教でタブーとされる。
**羊、山羊
比較的小型の草食四足哺乳動物で、どちらも牛より苛酷な環境で増えることができるので牛以上に数が多い家畜だ。牛同様に高度な植物消化能力を持っている。
羊は草、山羊は木の芽や根も食べられる。山羊は地形がきわめて悪くても問題なく移動できる。どちらも苛酷な環境からでも食べられる植物を見つけることができる反面、本来植物が多くは育たない乾燥した土地で過剰に増やしたら根まで食べ尽くしてしまい、半永久的に植物が生えない砂漠にしてしまう。
肉・皮・角・乳・糞が牛に劣らず利用でき、また常に多くの毛が伸びるので寒冷地でも生きられ、毛を用いた衣類もいろいろとできる。
**馬
人類の歴史そのものを大きく変えた大型草食四足哺乳動物。
きわめて移動速度が速く、人間が全力で走る速さの倍は軽い。瞬間的な最大速度はある種の肉食動物の方が速いが、馬は長時間持続して走れる。毛皮があって寒冷地でも耐えられるのに汗をうまくかいて体温を逃がすこともできる。力も強いが、体の構造上車や地面を耕す道具など動力として使うには工夫が必要で、かなり遅かった。
人間がその背に、両脚を横に開いて乗ることができる。人間の股関節の動く範囲の広さと馬の背の形が、まるであつらえたようにぴったり合っているんだ。さらに道具を追加することでより乗りやすくなる。その歯並びに、人間が乗るために作られたと思えるほど都合のいい隙間がある。そこに棒を通して咬ませ、それに紐を付けてその紐を動かせば、痛みで簡単に方向を指示できる。
忠実で知能も高く、訓練次第で人間の複雑な命令にきわめて忠実に従う。
それによって人類の移動速度そのものが大幅に増し、文明のあり方自体が変わった。万一アメリカ大陸だけでなく、ユーラシアの人類も馬を絶滅させていたら、人類の歴史はどんなだっただろう。
もちろん移動だけでなく肉・皮・乳・糞も利用可能だが、移動用として貴重すぎるためか多くの文化で食用はタブーとされる。
**ラクダ
雨が少ない乾燥地域に極端に順応した大型草食四足哺乳動物。極端な乾燥と風に舞って襲う細かな砂に耐える目や鼻があり、高濃度の塩水を飲んで生きられ、またまったく水を飲まなくても長時間生存・活動でき、砂漠の極端な寒暖差にも耐え、硬かったり表面が刃のようになっていたり塩分が多かったりする植物も食べられる。
砂漠は人類にとって、海同様複雑な面をもつ環境だ。本質的にそこでは水や食料がほとんど得られず生きられないが、地下水さえ掘り当てれば農業生産力がとても大きく伝染病も少ないため最も生きやすい。海同様複数の、人類が多く住む地域をへだてる障壁になり、だからこそその障壁を越えることができれば膨大な富を得ることができる。土地は広く無料であり、自由に移動できる。
砂漠で重い荷を運んで移動するには、何よりも砂漠に順応し力の強いラクダが適している。馬同様乗ることもある程度でき、もちろん肉・皮・乳・毛もとても良質だ。
他に哺乳類の家畜では、小さい馬のようなロバやアメリカ大陸のリャマなどがある。
他小型の家畜は多数あるが、その多くは食料などとしての利用価値が低いけれど愛情だけで飼い続けている、文化が発達してからの余剰消費であるペットだ。現在は犬もペットとしての面が非常に大きくなっている。
その中で特に重要なのは猫。群れを作らない小型肉食哺乳類で、樹上から地上まで非常に広い範囲で狩猟をこなす。人間にとってはネズミを食べてくれるため、特に穀物を大量に保存するためだった。
また比較的最近、新しい目的の家畜として毛皮用に小型の肉食動物が、医学実験用にネズミ・ウサギ・サルの類が多く用いられている。
**ニワトリ
これまでずっと四足哺乳動物ばかりだったが、ニワトリはやや例外的に鳥類だ。
中型で飛ぶ力が弱く、穀物・野菜の人には不味い固い部分・昆虫などかなり広い食物を食う。
鳥類の家畜からは肉・羽毛・卵が得られる。肉も実は穀物一単位あたりの肉産出量が大型哺乳動物の家畜に比べて多い。何より常に産み続ける卵は殺さず得られるし多くの栄養を豊富に含み、殻があるためある程度運搬・保存さえ可能な素晴らしい食物で、穀物一単位あたりの効率も非常に高い。
また一個体の雄に多数の雌という群れを作る習性上雄どうしが激しく争うことを利用し、鶏どうしを戦わせる賭博が現在の世界で広く行われている。
他に鳥類の家畜には淡水面で暮らすアヒル・ニワトリに似て大型の七面鳥・超大型の飛べない鳥ダチョウのようにニワトリ同様主に食べるもの、インコ・カナリヤ・文鳥などのように娯楽・装飾の面が大きいもの、ハトなどがある。
特にハトは肉や卵も得られるし装飾性も高いが、どこに連れていってから放しても空を高速で飛び天文観測などで元の巣に返るという能力があるため、電気が発達するまでは最速の情報伝達手段の一つだった。
**ミツバチ
上述のように生態系の中で、多様な植物の受粉を助ける重要な社会性昆虫だ。
ミツバチは巣に、花が受粉を助ける報酬のように出す糖分に富んだ汁や花粉を集め、体内で少し化学的に変化させ、水分を飛ばして大量に貯蔵する。
それは強い甘みがあり、人間の味覚にはとてもうまいし、ほとんど消化にエネルギーを使わず体力になる最上の食物だ。後述の酒としても価値があるし、調味料としても薬としても有益だ。昆虫の体も成虫・幼虫・卵問わず栄養価が高い良質な食物だし、巣自体もミツバチの体内で作られた、普段はかなり固く水にも溶けないが、体温よりかなり高く加熱すると溶けて液状になったりそれより低い温度でも柔らかくなって自在に成型できるなど非常に貴重な素材でできている。後に金属加工・照明について詳説する。また薬・化粧品としても多用な用途がある。
そのミツバチが生活するには地面や木の穴があればいいが、それを人間が木材を使って作ることで、ある意味家畜化した。
普通の家畜化と違うのは、ミツバチの形態などに家畜らしい変異があまり見られず、大型脊椎動物と違って人間が言葉で命令することはできないままであることだ。毒針すら失われていないほど形態変化は少ない。
さらに一部のアリ・シロアリ・肉食ハチ・ハエ・クモなどを家畜化しなかったことは今虚心に見れば不思議でならないことだ。どれもきわめて大きな食料生産力があり、ハチやハエやクモは種類によっては農業害虫や、家畜や作物のやや大型の微生物による伝染病・人間の伝染病や蚊やノミなどさえ食い尽くすことができていたはずだ。ハエは適切な温度で人間の生活から確実に隔離さえできればあらゆる汚物を短時間で処理でき、飛ばないハエを作りだすことさえできていたらその利用価値は大きかったはずだ。
そうそう、ハエに傷口の微生物を食わせると死ぬ率が下がる。これも昔の医療としては重要だった。また、人の血を吸う特殊な小さい動物を治療に使うこともあったな。科学的に効くのかどうか知らないが。
**カイコ
ユーラシア東方原産、幼虫は特定の木の葉を食べ、大きくなったら糸を吐いてその中で自分の身を守りながら体の構成を変えて飛べるようになり、飛んで交接して卵を産む、というかなり多くの種類がある昆虫の一つだ。
主に利用されるのは、その幼虫から変態するために吐く多量の糸。きわめて強靱で繊細、皮膚にも心地いいし染色も自在、質感も工夫次第で変えられるし……と人類にとって最も人気のある繊維だ。
昆虫としては例外的にほぼ完全に家畜化されており、野生では生存不可能。糸を取った後の虫自体も食料になる。
**カイガラムシ
あまり動かず植物の体内の液を吸う昆虫。さまざまな物質を出して体を覆う。植物の液は炭素と水素の化合物が、虫が体を作るのに必要な窒素化合物より圧倒的に多いため、炭素と水素のつながりかたを変えて体外に出し、それで自分を守る殻にすることさえある。
農作物の害になることが多い反面、上記のミツバチの巣同様に加熱すると液状になる物質・色・薬などがとれるものも多い。
そんな意外と有用な生物はカイガラムシだけでなくほかにもとても多い。
**奴隷
人類にとって人類自体が最大の敵であり、そして家畜でもある。
別の群れの同じ人間をとらえ、家畜として飼い売買することが、ある程度以上文明化された人類にはつきものだった。現在も完全にそれが消えたとは言えない。家畜とどちらが早かったかもわからない。
ただし人類は家畜と飼主に分化されてはいない、幸か不幸か。上述のように、人類が今の形になる間に大規模な火山の噴火があり、人類の数が極度に減ったことがあるらしく、人類の遺伝的な多様性はとても小さい。また繁殖までの時間がかかりすぎることもある。
用途としては作業などにも用いられるし、後述の売春専用も多い。最上の教育を受け巨大な群れの最上位者の子供の教師となった奴隷すらいる。苛酷な労働の多くを奴隷に押しつける文明が実に多い。
ある程度以上の文明で人間を食肉・皮革として用いることは少ないが、昔はわからない。
人間で、地位が高い病人の病んだ臓器を切りとって替わりに健康な奴隷の臓器をつなげることが昔の技術で簡単にできなかったことや、科学実験が容認されたのが遅く、後述するように人間の体を神の似姿として神聖視する宗教が強い文明を母胎とし、人権概念が発達したために人体実験がほとんど容認されなかったことは医学の進歩にとっては不運だった。人権的なものの見方をするとそれで良かったんだろうがね。
他にもかなり昔から限られた種類の陸上で育つ貝が養殖されており、一部の甲羅のある爬虫類、各種の魚などの養殖にも成功している。
淡水魚の養殖というのは家畜という概念をかなりややこしくする存在だ。といっても、物事を一つの定義に当てはめるのは人間の悪い癖でしかない。そのまま見ればいい……池の類を維持することは、蚊が増えて疫病になるリスクが増す反面、ほぼ放置していても常に多量の淡水魚・鳥を得ることができるし、農業用水としてもきわめて有用だ。有用な植物も多量に手に入る。ちなみに充分に魚や鳥がいる池であれば、蚊はほとんどが食い尽くされてそれほど害はない。
ある程度、池から農地に水を入れるタイミングを調整したり、池や水路の地形を調整することで淡水魚の繁殖を助けることもあっただろう。またその池を、人畜の糞尿その他汚物を捨てる場に用いることも、それによって窒素など肥料分を増やして光合成量を増やし、結果的に淡水魚に餌を与えるに等しいこともある。
さらに後述の稲のように、池で育てる作物の場合には魚や鳥を排除しないことで害虫や雑草を防ぐことさえできてしまうんだから、もう家畜と野生を区別するのもばかばかしい。
まあ家畜と野生の区別を言えば、人間の巣に勝手に住み着いて別の昆虫や微生物を食べる昆虫や小さい動物なんて人間にとってはありがたいぐらいの存在だ。ただし人間はそれも嫌って殺すことが多いけどな、バカなことに。
ユーラシア東方では、贅沢を見せつける消費として非常に色の派手な淡水魚の品種が作り出されている。
家畜に関連する道具をいくつか紹介しようか。
まず家畜が逃げないように移動範囲を限定し、また別の肉食獣や人間に家畜を食われないように守るのに人間自身の巣の技術を応用できる。また犬が自分の縄張りに侵入する動物を声で警告・攻撃する習性も同様に使える。
また、ある程度以上広い範囲を守るとしたら、人間の住居の技術ではコストがかかりすぎるため、単純に木の棒を地面に垂直に刺し、その間を縄や棒、薄く一辺だけが長く切った木材などで囲う技術もできた。これは本質的に、農地より早く後述する私有の概念の始まりだったんじゃないかな。
これは牛・馬・ラクダなど大型の草食動物に限定されるが、人間がなにかを運搬するのには肩に乗せて位置関係を固定したまま運ぶ、また板や車を引っ張るというものがあるが、その両方を家畜にやらせることもできる。
乗せるなら布・皮の袋が便利だ。四足哺乳動物の背は歪んだ大きな円筒の上半分のようになり、形に合わせて変型する袋を乗せればいい。大量の布や革も直接乗せられる。
また、背中に合わせて革や木で作ったものを縛りつけ、その上に乗ったりものを乗せたりするのも便利だ。
家畜に命令するため、馬は歯並びの隙間に棒を咬ませ、また口周辺を紐で縛ったり、鼻の(人類とも共通する)二つの穴を隔てる壁に穴を開けて円の周辺の形をした金属器を通したりする。
さらに家畜の体にうまく紐や幅の広い革を結び、車や後述する土を耕す道具、その他純粋な動力などを「紐を引っ張る力」として出させることもできる。馬でそれをやるのが少し難しく、完成したのはかなり遅い年代だ。
家畜や奴隷に命令するため、死んだり行動不能にならないように痛みと恐怖だけを与える武器、鞭が発達している。革などの密度が高い紐で、先端を少し重く鋭利な金属片を植えたりするが、ボーラのように先端の重さが圧倒的に重くはせず、紐自体の重さで動くようにすると先端に力がうまく伝わって瞬間的に音速を越えることもある。皮膚だけを強く広範囲に傷つけて強い痛みを与え、内臓や骨への打撃は最低限ですむ。
他にも、これはかなり後の時代の技術だが、馬は蹄が弱く地形が悪いと行動できないが、馬の蹄に合わせて金属器を固定する技術もある。また、不思議なことにかなり登場は遅いが、馬に人が乗るための座る道具から両側に紐を垂らし、その先端に乗る人の足を固定するものをつけるとものすごく安定し、様々な武器を使いやすくなる。
家畜の生殖を制御する技術として、家畜の雄の生殖細胞を作る器官を切除する技術がある。人間もそうだが、体の外に薄皮一枚だけで露出しているから、技術さえあれば切り取っても大抵死なない。その器官は人間もそうだが、攻撃性を高める物質を出しているから、それを切り取れば攻撃性も低下して扱いやすくなる。
群れを作る動物には一頭の雄と多数の雌という構造で群れを作るのも多く多数の雄がいると群れが分裂する恐れもあるので、ちゃんと家畜を管理するには必須の技術だ。
家畜の子供への授乳を調整するのもある意味生殖への介入だ。
去勢は人間に対しても行われるが、家畜に対してほど社会の隅々まで当たり前に行われるわけではなく、後述の大文明の非常に有力な人間が、一頭の雄と多数の雌という構造を作る時に、その多数の雌を去勢雄に管理させるために使う程度だ。
どの小さい村でも一人か二人を除いてすべての雄が去勢されるシステムだったらどうなってたんだろうな。
*主要作物
家畜同様、繁殖を人間が管理する植物が作物だ。本来は作物と家畜をまとめる一つの言葉があった方がいいだろうし、ここでは何の意味もなく家畜を先にしているが、どちらが早かったかも知らない。
本来は多くの動物が、意図はしていないが食べる植物の繁殖に関わっている。動物が植物の実を食べて栄養を摂り、そして消化されず生きたままだった種が糞と共に別の場所に排出されれば、「別の場所に繁殖する」ことで自分の遺伝子を残す率を高めることができる。自力では移動できないはずの植物が移動することができるわけだ。
人類はそれの、別のやりかたに気づいたのだろう。まず種を地に埋めれば芽が出て植物になること。ある植物が実をつけ種ができれば、その種から親と同じような植物が生えること……本質的に動物の親子関係と同様であること。
さらに乾燥地では、水を人工的に与えることで本来ならそこでは育たない植物が育つこと。他にも寒冷地でも、別の植物の枯れた部分で覆う、寒すぎる時期は室内で温めるなどして本来人間の助けがなければ育たない植物を育てることができた。
そしていくつも植物がある中から、特にいい植物の種を集めてまたその種を埋めることで、植物をよりよくしていくことができること。栄養を貯める部分がより大きく毒が少なく(=味が良く)、移動した先の気候や土壌でも育つ、麦の場合は種ができたらすぐ落ちるし種ができる時期もバラバラだが、種が落ちずたくさんつき同じ時期に実ること……そうしないと、人間がまとめて収穫するには不便だ。
**手入れ・焼畑
さらにただ種を埋めたりまいたりして収穫するだけでなく、水・肥料をやって雑草や害虫を駆除することで、きわめて多い収量を得ることができることも後に分かってきた。
肥料は上述の、植物が必要とする元素の中で水や空気から簡単に得られない、窒素・カリウム・燐・硫黄などの化合物だ。ちなみに窒素は大気の主成分だが、窒素二つの分子は安定していて多くの生物には利用できない。それを利用できる分子にする、特殊な微生物の働きなどが必要だ。本来は農地の近くで生活し、糞尿の全てを農地に戻せばそんなに減ることはないが、収穫されたものを遠距離に運ぶことも多いのでそうなるとは限らない。
肥料として適するものは人畜の糞尿・野生の植物や海藻・乾燥させた動物(魚など)・化石化した空を飛ぶ動物の糞、そして後に人類が科学研究の結果開発し、化石燃料内燃機関の力を用いて作った人工的な窒素化合物や、はるか昔に干上がった海から得られるカリウム化合物、リン化合物などの鉱物資源だ。
農作物は植物であり、もちろん大小問わず多くの動物は植物を食べたがるし、多くの微生物が農作物の中から食い荒らそうとする。生きているうちも、切りとって保存できるように乾燥させるなどしてからもだ。
そして人類は、考えてみれば愚かなことだが同じ種類、それどころか同じ遺伝子をもつ作物だけである面積の農地を独占させることが多い。そうなれば、それをちょうど好む害虫や病気が大発生するのは当然のことだ。
それに農地は、水も肥料分も豊富な土だ。だとしたら他の植物も伸びたがる。農作物は人間にとって多くの食料が得られることが重視され、早く伸びる・他の植物の生長を妨害する物質を出すなど他の植物と競争する力は比較的弱い。
害虫・病気・目的とされる作物以外の植物を取り除いていくのは昔は人間の手によるしかなかった。薬をやったり地面を焼いたりするのも有用だが、どれも治水・収穫なども含めて膨大な労働力を必要とする。
そうやって広い範囲を木のない平坦な土地にし、大量の水を用いて主に多くの種を作る草を少ない種類栽培する生活だと、土地当たりの食料生産がきわめて多い。しかしその遺伝子の多様性が少ないので、その植物を食い荒らす虫や土壌生物や微生物が大量繁殖して全滅することも多いし、水不足で全滅することもよくある。そうなると食べるものが全くなくなり、多くの人が飢え死にすることになる……すべての卵を一つの籠に入れていれば、転んだら全部割れてだいなしになるようなものだ。
あと少ない種類の植物とわずかな家畜しか食べない生活では、狩猟採集で多種多様な食べものを食べる生活より、人間が必要とする様々な微量のもの……タンパク質の最小単位・化合物・金属元素などが不足しやすい。
昔の人間は知らなかったんだから仕方ないが、単純にたくさん収穫できるかよりも空中窒素固定能力があり、タンパク質や脂肪の人体が必要とする最小単位全部を含む、できれば安定した木になる植物を何とか見つけ出してそれを主力にして欲しかった。
農耕の重要な段階に焼畑がある。農耕を知らない人間集団も行う野焼きの発展とも言える。木や草が広く焼かれた地面には、灰となった肥料が積もり、他の植物や昆虫もほぼ死に絶えている。
その状態に種を蒔けば、ほとんど世話も必要なく多くの収穫を得ることができる。
ただし数年も収穫すると、雑草や害虫が戻ってくるし、作物の根にとって利用しやすい灰となっていた肥料も枯渇して収穫が激減するので、その農地を放置して別の地域を焼き、移動する。そうしたら繁茂した雑草、そして木が茂りはじめ、その中には大気を構成する窒素分子を生物が利用できる分子にする微生物と共生する植物もあるし、また木の深い根が下の石を砕けば微生物が石から肥料分子を引き出すこともある。つながっている水の流れからも少しずつだが肥料分はやってくる。それで何年も経てばまた豊かな森が茂るから、その時にまた戻って焼けばいい。やりすぎなければ、とても広い範囲で見れば充分に持続可能だ。
あ、近現代の大人口でやらかしたら全く持続不能になるけどな。
**道具
農業は家畜を育てる以上に、多くの道具を必要とする。家畜は自分で移動して水や食物をとることができる、つまり自分で広い面積の光合成産物を集め、密度を高めることができる。この「(秩序ある)エネルギーの密度」というのが、人間を理解するにはかなり肝心なことなんだ。日光が秩序あるエネルギーであり、また水も太陽という秩序あるエネルギーの力で本来ならより秩序の低い海にあるはずだったのが大地にある。だがどちらも、はっきり言って面積当たりの密度が低い。その分少し秩序が低いとも言える。逆にたとえば大量の水が高い場に集まれば極めて高い秩序となる。要するに後述するダムで、それを使いこなせればさまざまなものすごいことができる。
たとえば家畜の脂肪も、かなり大量の太陽光と水という秩序を、その相当部分を体温や呼吸で秩序を低めてしまうかわりに濃縮したエネルギー・秩序の塊に他ならない。
この、水……特に農業で用いられる淡水・肥料・日光と土地の面積で考えた密度、それをエネルギーの秩序とその密度を基準に考えることが、人類文明を考える中で本質的な考え方なんだ。
さて、その密度の低い地面での植物生産を少しでも濃縮するために、人間は多くの道具を用いる。
単純に「生えている草の種を集める」だけでも、種が集まっている部分を茎から切断する、茎から種を切り離す、それを集めてこぼれ落ちないよう収納しつつ運搬する、種を覆っている固い部分を分離する、そして貯蔵したり調理したりする……そういう草の場合一番いいのは乾燥させてから強い圧力+摩擦をかけて粉末にする……とそれだけの道具と技術が必要とされる。
さらに継続的に大量の収穫を得るために、人間は地面の土を一度破壊し、水を管理することをする。
土が非常に複雑な、植物の根から虫から微生物から多数の生物の塊だと思い出して欲しい。そうなると、たとえばそれまでの作物を食い荒らす微生物から小さい虫までたくさん土の中でぬくぬくとしていたのが、空気や日光にさらされて多くが死ぬ。また、様々な草の根が切られて死ぬことで、何の植物もない状態に新しい種がまかれ、種をまいた作物だけが育つ状態を作ることができる。また水が土に入って中で蒸発せず留まるようにもなる。土の微生物にとっても、一度壊された土の方が住む場所が多いこともある。
水は少なくても植物は生長しないが、逆に多すぎても土から空気が抜けて土壌生物や根が酸素を得られず、植物も死ぬ。それを防ぐために、適度に水が抜けるようにする必要もある。そのためにも土を一度破壊するのは有効だ。もっと高度には、木の葉や砂を入れて土の質を変えることすらある。それを広い面積でやるんだ、どれほどの量になるかは言うまでもない。
それらのためには、乾燥して非常に固くなることがある土を壊し、移動させる非常に強い力と道具が必要になる。
一番古くは、ただの木の棒だったろう。それでも軟らかい土なら掘り返すことができる。
それに、後述する金属の刃をつけ、さらに人間では動かないほどの重さにして家畜に引かせるなどしてどんどん「掘る力」を増している。現在の人類が享受している莫大な食料生産も、結局は金属や動力が進歩して「掘る力」が史上かつてないほど強くなったからとも言える。
ただし、それをやると土そのものが水や風に飛ばされて長期的にはなくなるから本当はやらないほうがいいかもしれないが。
道具については後により詳しくやる。
**限度
残念ながら、僅かな例外を除いて農業は持続可能ではない。千年間同じ地域で充分な収穫を得続けることができたのは、アフリカ北東部の砂漠を縦断する大河に洗われる地域とユーラシア東端周辺の島だけ。ユーラシア東端の大河流域南部やユーラシア南部の大半島はかなり不安定ではあるが、何とかかなり多数の人が生きつづけていられる。他は千年以内に土地が衰えて二度と植物の生えない砂漠と化すか、人間がほとんど住まない熱帯雨林と化すか、乏しい農業生産で最盛期よりずっと少ない人がやっと生きているだけだ。長期間収穫が得られる地域の共通点は、非常に大きな河川が常に洪水を起こす、雨が極端に豊富、後述する水田で稲を育てる農法が多いことなどだ。
上述の肥料をやるのを忘れてひたすら収穫を持ちだせば、もちろん土地は必須元素を失って植物が生長できなくなる。
遺伝子が変わらない、同じ種類の作物を同じ土地で育ち続け、その収穫を全部持ちだすことを繰り返すと、特定の特に必要とされる元素が土から失われたり、その作物を特に好む害虫が繁殖したりして収量が落ちる。できれば三年ぐらいかけて、一年目と二年目に別の作物、三年目は作物は作らず雑草を茂らせて家畜に食わせる程度にし、また次の年は雑草の根も含めて地面に混ぜて、を繰り返すほうがいい。特に上述の、根に特殊な微生物を棲ませて大気中の窒素を生物体に使える化合物にできるタイプの植物を混ぜて育てることも有効だ。
本当は多数の作物を混ぜて育てるのが一番いいんだが……。
人類は農耕を大規模にやる際、多くは農業地域の森林を全て切り倒す。燃料や建材として必要とすることもあるし、木が混じっていると大きい道具を用いた農耕がやりにくいからもあろう。所有を明らかにするためや、単なる精神・言葉が暴走した迷信の影響もあろう。森では動物の群れがばらばらになるため、牧畜に向いていないこともあろう。だが森を失い、表面を道具で破壊され、季節によってまったく表面に植物がない状態になると、地面の土は水・風などで容易に移動し、最終的には海に失われる。農業地帯では地域全体の半分ぐらいは森や低い木にしておくべきだが、人間は大規模にはそれを意識的にやることがほとんどない。あるとすれば伝染病などによる人口の不足、木を切り倒すための道具が足りない、とそれだけのことだ。
農業に使われていない木や草がないと、植物の花粉を運ぶ昆虫がいなくて種をつけることができなくなることもありえる。
さらに最も恐ろしいのが塩害の類だ。乾燥地に遠くから水を得て、大規模に潅漑するときに起きる恐ろしい現象。乾燥地では、普通に雨が降り地面に水が流れる地域と違い、どんどん水が蒸発する。するとナトリウムやカルシウムなど、水に溶けている金属元素がそのまま残ってしまう……水はすぐ気体になって大気に混じって消えるが、金属元素は消えてくれない。また潅漑の水量が多すぎたり耕し方が悪かったりすると、普通なら地中深く流れていて地面とは関係を持たない地下水と地面がつながってしまうことがある。そうなると地下から金属元素を含む水がどんどん上昇しては地面で蒸発し、金属元素を残す。そうなると、それと土の成分が結びついた化合物が土の中で濃度を増して普通の陸上植物がそこでは育たないようになる。乾燥地で潅漑をするなら水を多くやりすぎない、少なくとも何年かに一度ものすごく大量の水を流して必ず流れる先が海までつながるようにして地面にたまった塩を抜く、穴や溝を掘って地下水の高さを調節するなど、非常に緻密な管理が必要だが、人類全体がそれを長期間うまくやれたためしははっきり言ってない。塩害についての知識がちゃんとある現在でさえも、農地の半分は塩害で失われようとしているぐらいだ……人類の欲望と繁殖は常に人類の知恵より強い。
さらにどうしようもないのが赤道近くのとても雨が多い森だ。人類が文明を発達させた高緯度地方では森林を焼けばいい農地になったから同じだと思ってるが、雨が多すぎるし生物分子が水と二酸化炭素に分解されるのも早いから、石由来の必須元素は水に流されて乏しく土は恐ろしく薄い。そこで森を切り倒して農業をやったらほんの数年で、薄い土は流され酸化アルミニウムしか残らない、半永久的にいかなる植物も育たない荒れ地になる。森のまま役に立つ木を増やして少しだけ収穫するか、水田に限定すべきだ。
そういうバカをやって農業でとれる作物が少なくなってもう森林もない、その状態で農業がダメだからと家畜を高密度に放牧すれば、あっという間に残った植物も食い尽くされ、地面は踏み固められて砂漠になってしまう。そうなったらもう……人類が今消え失せても、元の森に戻るのは何千年後なんだろうな。ずっとこのままかもしれない……ワイズマン『人類が消えた世界』にはそのあたりは書いてあったっけ?
**小麦
人類の最も重要な作物だ。これはその、イネ科という植物グループ共通の特徴だが、茎があまり見られず、地面から直接長い葉を高く伸ばす。花があまり目立たない、ということは昆虫ではなく主に風で花粉を飛ばす。栄養の多くを種に集中し、鋭いとげで種を保護する。種には豊富なデンプンが含まれ、乾燥させれば絶好の保存食となる。タンパク質と脂肪も含まれている。またその鉱物を含んで硬く再生が早い葉は、牛・馬・羊・山羊など主要草食家畜の好物でもある。
小麦は乾燥に強く、複数の気温の変化に順応する。
特筆すべきなのが、その種……植物学的にはいろいろあるが……を乾燥させて、石の上に置いて別の石で叩いたり平行に動かしたり強い圧力と摩擦を同時にかけると粉になって爆発的に体積と表面積の比が増し、味が悪い皮などを分離できるようになる。それを水と混ぜると、増した表面積と水となじんで互いにくっつくようになるデンプンの性質のせいで柔らかな塊となる。さらにそれを、適度な温度である微生物に食わせると、微生物が二酸化炭素などの気体を出してその圧力でふくらみ、含まれるタンパク質が引っ張られて伸びる強さがあるため無数の泡がある状態になる。そこで、水を用いずに加熱してやると、泡構造を保ったまま固まり、熱でデンプンが食べやすい分子になる。
そのパンと言われる食物、特に種の粉から白い部分だけを集めて作ったものは、間違いなく人間が一番好む食物だ。乾燥させれば長期間保存できるし、焼いてすぐはきわめて美味だ。
残念ながらパンだけでは食べにくく、油などが必要とされるし白い部分だけだと人体が自力で合成できないある化合物が足りなくなって病気になるが。
他にも粉を水と混ぜ、ある方向だけに長くすると表面積が増し、乾燥しやすくなる。それを水で加熱するとこれがまた美味だ。
種自体が乾燥させれば長期保存ができ、収量もきわめて多い。根本的に大量の食糧を貯蔵できるため、それを育てる技術があると多くの人口を養える。
**他麦
小麦に似た作物は多く、それらは小麦より土の塩分が多い、寒い、水が少ないなど過酷な条件でも育つがパンを作りにくい。後述するビールの材料に適する大麦、ライ麦、オーツ麦など多数ある。家畜の食料としても重要だ。
他にも同じように種を乾燥させてから粉にして食べる草は多種多様だ。むしろ小麦・米はぜいたく品といえ、普通の人は普段は他の種を食べる草や豆や芋で生きていた。
**稲
これはユーラシア東側でとても珍重される作物で、日本語ではその種を米と呼ぶ。基本的な性質は麦の仲間だが、つねに地面が湿るか水で覆われた地域の植物であることが異なる。
陸上で麦のように育てることもできるが、その水で覆われた環境を再現するときわめて収量が多く、しかも同じ場所で長期間農業を続けることができる。大量の水を一点に集めることで、その水がこれまで流れてきた森などから各種必須元素も大量に持ってくるんだ。また水がたっぷりあり、それが流れ出る道もあるから塩害が本質的に起きない。また水に浸された環境というのは多くの生物にとってかなり厄介で、ゆえに雑草も比較的少ない。同時に水を貯めた農地からは多量の貝や魚も得られる。
あまり粉にして食べることに向かないのか、粒のまま水を通じて加熱することが多い。タンパク質のバランスが小麦以上によく、米と塩の多い魚や発酵豆と、多少の生きた植物があればそれだけで人間の必要な栄養がそろう。
きわめて味が良く、ユーラシア東部ではある意味神聖視されていると言っていいほど好まれる。
ちなみに小麦・他の麦・稲には、花から種がつく長い棒状の部分が種を落として枯れたものに、非常に大きな有用性がある。内部が中空になったとても丈夫な繊維の塊で、うまく扱えば太く丈夫な縄にもなる。工夫次第で籠や帽子など多様な工芸品を作る文化がある。
それを集めてその上に人間や家畜が寝ると水分を吸ってくれてしかも保温力が高い。
後述する干しレンガに入れることもあるし、巣の上側を雨や風から守りつつ保温するのにも有用だ。
草食性家畜の食べ物としてもとても有用だ。
**トウモロコシ
アメリカ大陸原産。光合成のやり方が少し違うため同じ水と面積でも、特に日光が強い低緯度地域では麦よりはるかに収量が多い。
パンでも食べられるが、色々な調理法がある。
**芋
植物には、地下にある根や茎の一部が大きくなり、そこにさまざまな物質を貯めるものが多くある。さらに品種改良によって、その貯める量はどんどん多くなる。特に人間が好むのはデンプンを貯めるものだ。
地下に大きく多量のデンプンを含む植物群を芋とまとめて呼び、特にユーラシア南部の島が多い赤道に近い地域で様々な芋と豚と犬を中心にした食生活が発達した。
アメリカ原産で、後に人類全体の人口を大きく押しあげた作物も多くある。
特筆すべきなのが寒冷地に適し麦よりはるかに収量の多いジャガイモ、豆同様大気の窒素を取りこむことができ痩せ地でも育つサツマイモ、そのままでは有毒だがあらゆる作物で最大級の収量を誇るキャッサバなどだ。
収量自体は穀物より多く気候や土壌の幅も広いが、タンパク質をあまり含まないし保存がやや難しいので、穀物ほどの地位を持つことは少ない。
**豆
花や大きめの種をもつ実に特徴があるが、最大の共通する特徴は「根に空気中の窒素を生物が使える化合物にする微生物が住んでいること」だ。まあその能力を持つ植物は、分類学上豆でないのにもあるけどな。自分でやれといいたいが動物も植物も、細胞をそう進化させることはできないようだ。
何の役にも立たなくても、ただ数年に一度この種の植物を植えるだけで土地の植物生産が大幅に増える。
それだけでなくそのかなり大きい種は多くのタンパク質や脂肪を含み、最上の食物だろう……残念ながら泡立ち苦みがある毒が僅かに含まれ味が少し悪いため、麦の類のようにそればかり食べることは少ない。
後述する野菜や家畜の食料としてもとても価値が高い。
ここまでが、人間及び草食家畜の、現時点で主要な食物となっている作物だ。共通点はデンプンが多いこと。他に高デンプンで人が生きるためのエネルギーの多くを得られる食用農業植物は、熱帯で育つ身長より大きくなるが草であるバナナ、後述するヤシなどがある。以下は少し特殊な作物を挙げていく。中には、それがなくても生きるには不自由しないものも多い。
**オーク
これは作物に入れるのは間違っているかもしれない。人間は利用はするが、意識的に育てることがほとんどないし、品種改良もしていないからだ。
ここで挙げるのは、一種類の植物ではなく多数の共通の特徴を持つ、大木になる植物だ。一番共通の特徴は「固く薄い木質の殻で覆われた種をきわめて多数落とす」こと。ちなみにその種は野生動物にとっても貴重な食料になる、もちろん。
本来なら普通の作物のように、悪い味を持たず成長が早くなるように品種改良していれば、上記の限度でいったような問題が少なく何千年も収穫し続けられる最上の作物だったろう。だが種をまいてからまた種ができるまでの期間が人間の普通の寿命にも匹敵するほど長いとか、収量が本質的に不安定だからそうならなかったのか。とにかく人類は、森を維持したままその産物に依存する生き方よりも、木を切り倒して草原に近くし、それで上記の麦や稲、豆などの作物を育て、家畜を飼う方が人口が多く戦力が強いらしい。
ただしその前、特にアフリカ大陸から出た直後の人類にとってはとても心強い食料になっただろう。
その種は量が多く、きわめて長期間収穫を続けられるが毒が強く、水や灰を用いてかなりの技術を使わないと食べられるようにならない。ただし豚にとってはいい食料だから、その森に豚を放しておけば勝手に育つ。
個人的には人類が、麦や稲ではなくオークの実を主に食べていれば今のように自滅の可能性が高い状態にならずにすんだのに、と後悔している。せめて農地を作るにしても半分はオーク森として確保し、種を食べる技術も残しておけば、作物が全滅しても餓死は最低限で済んだはずだ。現に日本ではそうやって暮らしていた地域も多い。
木材も頑丈で、素材としても燃料としても質がいい。この木材がなければ遠洋航海は難しかっただろう。また樹皮が革の処理に必要な物質を多く含み、さらに後に言う文字を書くのに必要な染料も特殊な寄生虫を通じて得られる。
**ヤシ
これは水が凍ることがない、赤道に近く気温の高い地域で育ついくつかの種類の木の集まりだ。高くなり、上の方だけに葉があるのが大体共通している。
木材としてもいいし葉も用途が広い。未熟な葉もいい野菜代わりになるし、花をつける部分を切れば次に述べる酒にもなる糖分の多い体液が出る。
種類が多く、ナツメヤシは甘く乾燥させれば保存が利く実をたくさんつける。種もラクダなどにとってはいい食物になる。
ココヤシは油・器・安全な水などとても用途が広い。
アブラヤシの実は大量に油を含み、実は現在の人類の文明を支えているし、昔の南方の人間にとってもありがたい食物・商品だった。
サゴヤシというのは幹の内部に大量のデンプンを含み、切り倒さなければならないが一度に大量の食料を得ることができた。
熱帯沿岸の海水が入る泥地に育つニッパヤシは葉が多様に使えるし、樹液から酒も得られる。
**葡萄、酒
長いつるを作って別の木にからみついて育ち、自分も木になっていく植物。大量の単純な糖を含み、水分も多い……甘い実をたくさんつける。むしろ土より砂に近い、水がすぐ出ていく地域に適している。
これは「酒」が主目的になる作物だ。前述のように糖を含む水がある微生物に食われると、繁殖するときに出すエタノールが混ざった水になる。エタノールは水と混じりやすい、単独だと燃えやすい、色々な物質を溶かすなど面白い性質もある。ちなみに多くの生物、特に微生物にとっては毒だ。その微生物は増えるときに毒を出して他の微生物を殺し、糖という貴重な資源を独占するわけだ。
大型動物にとってもエタノールは基本的に毒だが、逆に糖とその微生物自体はこれ以上ない栄養源になる。だから少し発酵させて他の有害な微生物を全滅させれば糖と微生物を食うこともできる。特に馬の乳を用いた酒は多くの有用な栄養素を含む。
また湧き流れている水が動物の糞で汚染され、金属元素が多すぎて飲むと体を損なう場合、その水で葡萄などを作って酒にして飲めば雑菌も多すぎる金属元素も排除されているから乳に並んで安全に水分を得る手段ともなる。雑菌を殺すだけなら水で酒を薄めて飲んでもいい。
それだけでなく、その毒であるものは、人間の脳神経を破壊するのだが、その時に強い「快」を感じてしまう。毒に快を感じるってのは矛盾している気がするがそれは言葉の問題で、快になる毒はけっこうある。それもその毒を飲むことが食料や繁殖、群れ内部での地位同様に高い欲求になるように精神が変化することさえある。
そうなると、実は多くの食料を無駄にすることにもなるんだが、人は多くの酒を求め、それを後述する貨幣で交換するようにもなる。
さらについで、後に語る蒸留など高度な技術を使って酒からエタノールだけ取り出すと、より強力な酒になる。またエタノールを造る微生物は二酸化炭素も出すから、うまく密封したまま発酵させれば泡が出る酒になり、これまた独特の味になってうまい。多くの二酸化炭素を含む泉の水がわりと安全だから人間がその味を好むのだろうか。
また葡萄以外の酒を造るための作物についても簡単に触れておく。
まず最も簡単なのがミツバチが巣に貯める蜂蜜。そのままだと糖が多すぎて微生物すら生きられないが、水で薄めればすぐどこにでもいる微生物が増え始めて発酵する。
葡萄などあらゆる果樹は元々適している。
穀物、特に大麦も酒に適している。そのまま粉にして水と混ぜ、適切な微生物を少量植えて適温を保っても微生物がデンプンを分解して糖にし、さらに糖をエタノールにする。また水を与えて葉や根を出させると、その時植物はデンプンを分解して糖にして利用して成長する準備をするから、そのデンプンを分解する酵素を出す。その時に乾燥させ、水をうまく与えれば糖が微生物によって発酵され、酒になる。その乾燥した芽と芋などを混ぜても酒を作れる。また人間の口の中に出る液もデンプンを糖に分解する酵素を含んでいるから、それを利用する酒もある。
後述するヤシを始めとする植物内部を流れる体液、砂糖を作るための作物も酒を造るのに適している。
前述のように、特に馬の乳も酒を作ることができる。
またエタノールは、特に外の力で傷を負ったときにそこにつければ微生物を殺せる。
葡萄に適した土地はあまり麦等に適していないこともあり、そういう土地に押し込められ、しかもかなり進歩して周囲との交換で生きられる人々は葡萄を育て、酒にして生活する。
水分と糖を含む実を潰し、そのまま水を通さない器に入れて温度を安定させると、実そのものについている微生物が増えて酒になる。
ちなみに葡萄の実を乾燥させてもいい保存食になるし、種に含まれる油も利用され、葉も野菜として利用する地域がある。
歴史上面白いこと、ユーラシア大陸の葡萄は今はそのままでは生きられない。アメリカ大陸にもあった葡萄をユーラシア大陸に持ってきたら、それを食べる虫を一緒に持って帰ってしまい、アメリカ大陸の葡萄はその虫があってもちょっと弱るだけだがユーラシア大陸の葡萄はその虫に食い尽くされて死んでしまう……人間と逆になったわけだ。
**油脂
人間にとって脂肪は食料としてもさまざまなものの材料としても重要な資源だ。
特に重要な作物として、やや乾燥した地域に適したオリーブがある。その実を強く潰した汁を置いておくと、水と豊富な脂肪分が密度の違いで分離し、普通の人間が生活する温度では液体である。その油が色々な目的に使われる。葡萄同様に実を加工してカネになるものを得ることができるわけだ。
後に、そのままでは食べられない実を加工して食べる技術もできた。
脂肪は価値の高い資源だから、油を得るための作物も多数ある。大きな花をつけるヒマワリの種、野菜の一種であるアブラナなども重要だ。
大豆、綿など他の目的にも使うが油も多く得られる作物もある。米、麦、トウモロコシからもある程度油がとれる。
特に重要なのがアブラヤシという低緯度の木で、それは後にプランテーションで詳述するが洗剤などの価格を大きく下げ、近代文明を支える重要な作物の一つとなった。
動物性の油脂としては上記の豚脂、牛乳から作られたバターなども重要であり、後述の近代になるときに海に棲む超大型哺乳類の脂肪も多量に使われた。
**サトウキビ
これは実は麦の仲間なのだが、非常に長い茎と葉が特徴。赤道に近い暑い地域で育つ。
茎に多くの単純な糖分を含んでおり、ただ茎を切断してしゃぶるだけで甘い。
それを絞って煮詰めると甘い糖の塊がとれる。
もちろん酒も作れる。
それを精製した物は最上の食糧資源だが膨大な薪を必要とするので、蜂蜜・酒・油同様主に貴重品として高額で売買された。
現在の世界を支えている作物の一つで、最近はエタノールを直接燃料に使うこともやりはじめている。後述するプランテーション農業の重要な作物だ。
他にも寒い地方でできる草の太い根、ある木の中を流れる液からも砂糖が得られる。
**果樹
甘い実ができる樹木。種類はきわめて多種多様。実を乾燥させれば保存食となり、水分が多ければ絞って酒になる。そのまま食べてもうまいものも多い。薬としての効果も多様。
酸性が強い実の汁を、上記の遠洋航海で足りなくなる微量物質を補給するために運んでいた時期もある。酸のおかげで糖分が多いにもかかわらず微生物に食われにくいからだ。もっと早くその手に気がついていたらどれだけの人が死なずにすんだか……いかに人間が新しい知識を拒絶するかの好例の一つだ。
中には酒にずっと漬けておき、薬になる成分を出して酒を飲むもの、塩漬けにするものなどもある。
その花を楽しむこともあるし、木材としても利用する。
まあ全体には贅沢品、また森のサルであった人類の祖先の主食であったこともあり、特に好む食品でもある。
また脂肪を豊富に含む種子が贅沢な食物となる樹木もかなり多様にある。
**野菜
人類が進化してきた間、多くの野草・木の葉などを常に食べていた。その多くはデンプン・脂肪・タンパク質などこそ少なくエネルギーにはならないが、人間が必要とする多様な微量元素・微量化合物を摂るのに必要だ。
人間は雑食性で、多様な食物を常に食べることを好む。
だから身の回りの作物でない草から食べられるもの、香りがよく調味料になるもの、薬になるものなどを集めるし、また主要作物だけでなく多くの柔らかく品種改良された草を育てて食べる。
後に文明が進むと主要作物と家畜の肉以外食べたがらない人々も多くなるが、都市住民がある種の贅沢として作物として作られた野菜を食べることも多い。まあ高価な穀物や肉を節約するため、野菜で腹だけ膨らませることも大きいがね。
葉・太くなる根・実など色々な部分を食べる。加熱調理することもあるし生で食べることもあるが、葉を生で食べるときは人は好んで油と、酒の発酵を更に進めてできた酸を混ぜてかけて食べる。
肉同様塩漬けにしたりそのまま発酵させたりすると保存食にもなる。人類が広がった地域の多くは季節がある高緯度地方で、そこでは寒い時期には人体が必要とする微量物質が得にくいので野菜の保存食も重要だった。
また、ある根が肥大する野菜が寒い時期も保存できる家畜の飼料となったことから、それまでのように寒い地域では家畜を最低限を除き殺して保存食にするのではなくそのまま生かしておけるようになり、それは産業革命のきっかけのひとつにさえなった。
**繊維
上述の繊維は人間にとってきわめて重要な物資だ。それを得るための作物も多くある。
麻はオークやヤシ同様多くの種類の植物をまとめて言う言葉だ。重要なのには大麻・苧麻、亜麻、サイザル麻、マニラ麻、ジュートなどがある。
中でも大麻は繊維の加工に手間が掛かり熱を遮断することや染色には不利だがきわめて強靱で、後の遠洋航海を支えた。食物・油脂・嗜好品・医薬品、そして後述の麻薬としてもきわめて高い価値がある。
木綿は実を覆う部分が繊維となり、染めやすく着心地が良く温かい繊維になる。丈夫で軽いから船の帆にも適している。ただし水になじみやすく冷えやすいから寒冷地には適していない。またその種は多くの油脂を含む。
上述のカイコがその葉を好んで食べる木も、人が果樹のように育てることが多く重要な作物と言える。
いくつかの樹木は、樹皮からかなり強靱な繊維を得ることができる。
動物性繊維に上述の羊や山羊やラクダの毛、カイコの絹などがある。近代になってから、長い分子を人工的に化石燃料を利用して作る技術が発達した。
特異な繊維として鉱物である石綿があり、強靱で腐らず燃えないため便利だが、人類そのものに向いていないことがわかった……その細かい鉱物が肺に入りこむと消化吸収できず、放っておけばいいのに排除しようと攻撃を続けて、それが細胞の遺伝子異常につながることが多い。人類はそんなものと接することがまずない環境で進化したからだ。
**花・香料
これはまあ、贅沢の極みというものだ……人間はただ生きるだけでなく、色々な楽しみもあったほうがいい。人は植物そのもの・特にその花の色と香りを楽しむ。
文明以前の狩猟採集生活では身の回りにいくらでも花はあり、巣に花が欲しければただ出かけて採集すれば良かった。だが非常に贅沢な文明生活で、贅沢な階級が農作物として花を求めることが多くなり、花を作物として栽培することが出た。ここでは品種改良を高尚な趣味として行うこともある。
また、その花の香りを出している、きわめて複雑な物質を多く含む細胞内の、油脂とは違うが水に溶けない液という点で似ている物質を取り出す技術も後に産まれた。方法には直接絞り出す、後述の蒸留の応用で水蒸気を用いるもの、最高級なのが動物の脂を用いるもの、後に加わった近代以降の技術を用いるものがある。
香りを取り出せる植物は花以外にも多く、樹木であるものも多い。また動物性の香料も結構ある。
木や動物による香は、加熱して煙にして使うことが多い。蚊や蝿を追い払うことができ、精神に色々影響を与えるので薬用としても重要だ。
また布や革や食料を染めるため、色をとるのに用いられる生物も非常に多い。食料を染めるものは後述の調味料・薬とも分類できそうだが、そんな分類はあまり意味がない。
アイ・紅花などが重要だな。食用にはサフラン・ターメリック(ウコン)など。ある貝の紫が珍重された地方もあるし、ある赤い色を出す木は一つの大陸の運命を大きく変えたものだ。
**薬・毒・嗜好品・調味料
これは実に多様な植物があてはまる。
何度も言っているように、あらゆる生物は体内に様々な物質を作る。特に微生物と、自力で動けない植物は。その多くは自分を食べる生物・自分と資源を争う生物(同種を含む)にとっての毒。ただし花をつける植物は、多様な子孫を広い範囲に送るため、ほかの動物の力を借りることも多いので、それを呼び寄せその益になる物質も作る。
人間は、その毒である物質を色々に使う。上述の革加工、保存食、他にも病気を治す薬、繊維の染色、革以外でも多数の素材の加工。
また匂い・色をそのまま楽しむ。体に入れて、その毒による精神の変化を楽しむ。匂いによって小さい虫が人間や人間の資材を襲うのを防ぐこともする。
嗜好品は、多くはその毒が、「人間が好ましく感じる」ものになってしまったものだ。微生物が造る酒が代表的だな。砂糖や蜂蜜もある意味ではそうだ。
特に効果が大きいのが、依存性をもつ嗜好性物質。それを習慣として使わないことが非常に大きな精神的な苦痛になる。依存性というのは他にもきわめて広い概念だ……精神に快感を与えること全てに依存性がある。人を支配すること、支配されること、性的接触、夫婦間の狂気、金銭、賭博、魔術、その他きわめて多くのことに依存性がある。依存性をきわめて起こしやすい物質も多い……脳を破壊して普通とは知覚と意識の関係や意識そのものを歪める効果がある物質は特にそうだ。これらは魔術にも用いられる。薬による幻覚を、神との接触と解釈するわけだ。
上述の酒、タバコというアメリカ大陸原産の葉に含まれる猛毒、ケシという草の大きい実を傷つけて出る汁を固めたものやその精製した成分、大麻の成分、麦をだめにする微生物が出すもの、コカという木の葉の成分、ある種の石とともに噛んで赤く染まった唾液を出す葉など。同様の効果を持つ物質を人工的に作ることもでき、他の重要な用途をもつものが依存性薬物として使われることもある。
そのいくつかは薬としてもとても価値が高く、大麻は呼吸が苦しいときなどいろいろに効くし、ケシは苦痛を和らげる働きがとても高い。
比較的害が少ないのが茶・コーヒー・ココアなどいくつかの灌木の葉・実などに含まれるもので、眠らなくても気分がよくなる。
そういうものは……賭博などもそうなんだが……文明が進むと、魔術との関係も高いため禁止する圧力が高くなり、それが後述の闇社会を生みだす。
調味料は味覚および嗅覚、一部味覚に働きかける、食物に比較的少なく入れる食物だ。香料・嗜好品・薬と厳密には区別はできない。
実は塩化ナトリウムそれ自体がもっとも重要な調味料だ。
様々な味……中には舌の味を感じる細胞器官に痛みを与え、それが塩化ナトリウムに似た味と解釈されるものすらある……や香り、弾力・粘性など力学的な違いを食物に与えることができる。
多少腐っている肉を食べるときにそれで味をごまかすことができるし、含まれる複雑な分子は微生物を殺すこともする。
また、人間は「複雑な味」を好むこともある……単純な味も好きだが、複雑な生き物なので。複雑な味というのは、多種多様な食物を食べているということであり、それだけ必要なものがすべて摂取され、また多様な食物源を利用することでどれかがだめになっても他でカバーできて生存率が高い、ということかもしれない、進化心理学的屁理屈を言えば。
ただの雑草から木の実など非常に多様な植物から得られる。
特にコショウという木の実を乾燥させた調味料は歴史的に重要だ。後述する、ヨーロッパが世界に広がった理由に、高価だったコショウを求めたことも大きい。
**ゴムなど
これはかなり例外的な作物であり、後述の近代文明に至ってから工業素材として主に用いられた。
木を傷つけて出る体内を流れる液を固め、硫黄で処理すると「水を通さず、非常に弾力が高くて自由に変形してすぐ戻る」素材になる。布に塗れば完全防水できるし、中空のトーラス状に加工して内部に高い圧で空気を入れて密封、上述の車輪の縁として用いると乗り心地が大幅に良くなる。後述の自動車文明はこれがなければ無理だっただろう。
樹液を素材として用いるものは他にもある。北方の葉が針状になる木の根の樹液・樹脂は木に塗って微生物に食われにくくするなど多様な使い道がある。さらにそれを後述の蒸留技術を用いると実に色々な素材になる。
ユーラシア東方の素晴らしい技術に、非常に毒性が強く触れただけで皮膚が傷つく樹液を出すつる植物の利用法がある。その樹液を加工したものを木に塗ると、水などほとんどあらゆるものに強く、美しい膜になる。実質的に「加工しやすく、微生物に食われない」ものになるわけだ。
他にもある果樹の、まだ種が育っておらず食べられない実を砕いた汁からも塗料がとれる。
またこれはついでにだが、塗る油としては食用油やそれに似ているが食べられない油を含む植物、さらに生物でなく上述の生物が化石化した油、木を酸素不足で燃やしたときに出る液なども利用される。
**緑肥・飼料
これを意識的に使うようになったのはかなり先の話だが、「色々な植物の葉など柔らかい部分を刻んだもの、または動物の糞尿を、耕すついでに土に混ぜると収穫が多い」という経験則は農業をやれば誰でもわかる。すべての生物には、生物が必要とする窒素・リン・硫黄など元素の利用しやすい化合物が含まれており、それは土に混ぜれば微生物が分解し、また植物が利用しやすい単純な分子として土に混じり、それを作物が吸い上げる。
植物由来の有機物が多く混じって腐敗し、土壌小生物が多い土というだけでも、それは水を保ちつつ余計な水を排除し、肥料を適切に根に供給し、害虫や雑草がいてもそれを食べる虫も多くいる、一般に生産量が多くなる土だ。
特に豆の類がそれに優れていることも、経験則としては知られていただろう。豆の類に限らず上で述べた、根に特殊な微生物を共生させて大気中の窒素を使える形にできる植物は特に優れた緑肥になる。ついでにいえば、魚や海藻を肥料とするのも有用だ。
後にはそのための作物も色々見つけだされた。またそういう作物は、草食性の家畜の餌としても優れている。
よりよい肥料が、大量の植物や人間や動物の糞尿を集めて空気を遮断したもので、微生物が活動して発酵することで生物が必要とする元素がより容易に植物の根に吸収される。
たいていの草が家畜化した草食動物の餌になるが、これはかなり後の話だが有用な技術として、大量の草を切断し、乾燥させてからうまく保管することで微生物を繁殖させ、保存もできて栄養もいい食物にする技術がある。その技術がなければ、冬に寒くなって植物が育たない北方ユーラシアで家畜の群れを維持するのは困難だ……家畜を最低限に減らして、室内で大量の燃料で温めて人間用の保存食を与えるか、または暖かい地域に長距離移動するほかなくなるが、その技術によってかなり北方でも定住しつつ大きな家畜の群れを保つことができるようになった。上述の根野菜と並んで歴史的にも重要な技術だ。
*木の伐採
地面から大体垂直に伸びている木を、地面近くの適当な高さで切断し、その根をなくしてしまうこと、木という生物個体を殺すことが農耕以降の人間にとっては重要だ。
木は上下方向に無数の管が集まったような構造であり、死んだ細胞が繊維状につながった内側はきわめて強い。地面から力で抜こうとすると、無数の根が土と絡み合って巨大な摩擦になり、根が切れて抜けるにしても土ごと抜けるにしてもとてつもない力が必要になる。
刃物で木の部分を切断しようとすると、それは非常に刃にとって負担がかかる……極端に低い角度で面が交差している刃に強い力がかかるとどうしてもそこが壊れる……し、人間の筋力も大きく消耗される大変な作業だ。倒れる木は人を簡単に押しつぶす危険もある。
比較的楽な方法として、木材を取ることをあまり考えず木を排除することだけ考えれば、木の表面部を木の周囲を一周して輪になるように傷つけてある時間待てば木そのものが死ぬ。それを待って火を放てばいい。
乾燥した季節・気候なら大規模な放火で森ごと焼き払うこともできる。
ただし木材や樹皮を得るには、そのまま木を切断する必要があるので刃物に苦労をかけることになる。刃物の性能が人類の文明の規模を大きく制約する、というのはそのこともある。刃物の性能が低いと、ある程度以上太い木を切断するのが現実的ではなくなるんだ。
しかも、上部を切っても根が残っている限り植物は死なない。地上に出ている部分からすぐ芽が出て、短期間で新しい木ができてしまうこともあり、それを利用すれば安定して木材を得たり、またその芽は草食家畜の好物だから家畜を養ったりもする。
根を除去するのはきわめて困難だが、それをしない限り大規模な農耕はできないので、農耕をする人間は何としてもそれをしようとする。
**車
これは移動のための決定的な技術だ。
その前段階と思われるものが「ころ」という技術だ。
木の幹を切って根や枝を除くことができれば、円筒形が得られる。
その円筒を平らな地面に置くと、円筒の軸に垂直な方向には理論的には慣性だけで移動することができる。実際には円筒が不完全であり、また地面の表面が接点を吸ったりでこぼこがあったりするからそうはいかないが、その円筒を持ち上げて運ぶよりずっと少ない力でできることには違いない。
その円筒をいくつか平行に並べ、その上に下が平らな重いものを置くと、これまたその重い物を持ち上げたり地面の上で押したりして運ぶよりずっと楽に運べる。
ただし、並べた円筒から運びたい物がはみ出したらそれ以上運べなくなる。だからたくさんの円筒を並べるか、または後ろに出て不要になった円筒をまた前に持ってくる必要があり、それがけっこう面倒だ。
その手間を省くのが車という発明だ。これは、少なくともアメリカ大陸にはなかったといわれている。
要するに、二本の円筒の上に平らな板を乗せ、円筒が転がってもその三つの位置関係が変わらないようにしたものだ。
ころからどう発展してそうなったかは知らない。ある程度完成した形を描いてみよう……
二本の円筒を、四枚の軸方向に薄い円筒で代替する。薄い円筒が二枚、中心の軸が一致した状態で置かれると、それは一本の円筒と同じことになる。
さらにその薄い円筒の、周縁と中心以外をいくつかつなぐ部分を残してくりぬいてもいい。
一致した中心の軸は非常に強い棒で代替する。棒と薄い円盤の垂直を保てば、二枚の薄い円盤は円筒形を維持できる。その棒と荷物を載せる板を、回転は自由だがずれることのないやりかたで結びつける……小さくて中を抜いた円筒を板に固定し、少しだけ小さい円筒形の棒を入れてやれば、回転と軸方向にずれることは自由だが、外れることはなくなる。そして中に通す方の細い円筒の、小さい円筒の両端にぶつかるところに少し膨らみをつけてやれば軸方向のずれもなくなる。一つ一つ運動の自由度を潰して回転のみにしてやるわけだ。
そうすると一つの長方形の、四つの角の近く長い辺のところに薄い円筒がつき、長い辺の方向にいくらでも軽い力で動く運搬具ができるわけだ。
この車というシステムを実現するには非常に硬度が高く、摩擦によって出る熱にも強い素材を、高精度の幾何学的な形に加工しなければならない。後述の金属をはじめ、さまざまな素材や高度な加工技術が必要とされる。
また、この車が効率よく動くには、道を整備しなければならない。できることなら平面の、石やレンガなど水が当たっても泥にならず固い道がなければ、特に泥や雪や砂の中ではただの板に荷を乗せて引きずる方がましなぐらいだ。
そのための膨大な人数と、できれば石を加工する高い技術と石材も車の運用には必要だ。
ちなみに、車で物を運ぶのは摩擦と重力が、それぞれ大きすぎも小さすぎもしないことが必要だ。摩擦が大きすぎれば軸受けと軸、車輪と地面の摩擦で車が動かない。摩擦が小さすぎれば人や家畜が押すにしても車輪自体が動力で回るにしても地面を押すこと自体ができない。重力がなければ押すために力をかけることができないし、重力が大きすぎれば車が壊れるか摩擦が大きくなって動かない。
このように複雑なものを作ったことは、人間はものの幾何学的な形や力学の本質をかなり理解し、その目的に合わせた物を作ることができることを意味している。自然の人間が観察できる生物にも、人間の体にも、車と同じような物など存在しないからだ。
車の一部を応用した機構は多数ある。薄い円筒からも実に様々な物が作られてきた。
まず滑車と呼ばれる、一枚の薄く側面がへこんでいて溝になっている円筒と、その両側で軸と直交し、軸を留める薄い板などからなる機構だ。円盤と板のどちらに動く構造があってもいい。その薄い板をなにかに固定し、太い紐を当てると力の方向を変えることができる。それだけでも重要だが、多数の滑車を組み合わせることにより、原理的には梃子と同じく仕事量の保存則を用いて弱い力と長い長さを引くことで、長さは短くても強い力を出すことができる。これがなかったら人間や家畜の力では巨大な石や木を運ぶことはできなかっただろう。
そして車輪は直径の長い薄い円筒と、直径の短い細い棒からなる。薄い円筒のまわりに手をかけて回してやれば、細い円筒にかかる回転させる力は梃子となって巨大になる。その薄い円筒を削って一本または多数の棒にしたのも重要になる。
また、これはかなり後の技術だが、複数の薄い円筒に多数の、円筒の軸方向の切れ目を入れてやり、その切れ目が噛み合うようにしてやると、力の方向を変えたり力を強めたりが自在にできる。これは極めて高い加工精度・強靱な素材が必要になるが、後述する時計その他複雑な機械を作るには必須の技術だ。
その応用として、回転運動と直線運動の相互変換がある。これが重要になるのはかなり後。素材の強度・加工精度ともそれを使いこなせるレベルになるのは先の話だから。
同様により優れた技術として、軸と軸受けの間に油脂など液体を入れたり、多数のころや同様に働く球を入れたりすることによってより小さい摩擦で動く車を作れる。
また、ころとどちらが早いかもわからない、物を位置を変えずに回転させることを利用する道具を二つほどあげておく。
人は色々な作業を下の土で汚されずにできるよう平面を持つ大きい物を用いることが多いが、それを地面と垂直な線を軸に回るようにすることもある。特に土器をつくるとき、材料を節約し構造を丈夫にし、また見て美しくするにはある軸から回転体であることがいちばんいい。それを目と手だけでやればどうしても間違うが、その回転する台を利用すれば正確に簡単にできる。
また、食物などを小さく壊すのがとても重要な技術になるが、そのためには石と石を摩擦……接する平面と平行に圧力をかけたまま動かす。それも、往復運動でもいいが、軸で上下の石を固定してどちらかを回転させるのもある。
**風車・水車・畜力
車の応用として、上の石を回転させてものを粉にする技術の別の面を見てみよう。そこには、「人間の力以外の力を利用する」という発想がある。それは後述の帆船などとも通い合い、後の産業革命の基幹となった技術とも言える。
後に述べる熱機関より前から、大きな力を用いて人間には難しいことをする技術は発達していた。
一人の人間ではできない……体重の何十倍・何千倍もある石を運ぶなど……も、それこそ縄で結んで多くの人で引っぱることで可能になった。
さらに、力を集中したりするのに、上述の車の本質の変型であり、後述する機械の根幹である「直線往復と軸回転の相互変換」が出てくる。たとえば巨大な岩を引っぱって移動させるのには多数の人間が一本の縄に並んでつかまって引っぱるやり方もあるが、それは広い場を必要とするし人間の手にとってやりにくい動きだ。だが、輪と軸が互いに回転しない一輪の車を軸が地面に垂直になるように立てて軸受けのほうを補強した地面に固定し、軸に縄の一端を固定、そして輪のほうを削って多数の棒にして……これも重要な形だ……、その棒を多人数で一定の方向に押せば、回転する軸にそって縄が巻かれ続けて強い力で引かれ、多人数で縄を引くより狭い作業空間でより強い力を出せる。単純に綱を手で引っ張るのと、横棒を身体に当て、その両端から別の縄をつけ、それに縄を結んで引っ張るので綱引きをして比べてみればいい、出せる力と持続時間に何倍も差がある。さらに軸と棒になった輪の直径の違いがてことなってより強い力になる。棒の長さを変えれば、二人だけで百人が縄を引くより強い力を出すのも容易だ。
牛や馬やロバは人間より安いことが多く……時には人間の奴隷の方が安いこともあるが、より高価な食物が必要だ……、その力も使える。牛に「その縄を引っぱれ」と言っても無理だが、ただ円形の道を歩きながら身体にうまく固定した棒を押させるのは可能だ。馬の力をうまく活用する技術は実は結構遅いんだけどな。
人間はしばしば巨大な回転力を必要とする。主に上述の、穀物などを粉にするため二つの石板を回すのに使う。
粉を作る技術の応用として、回転と往復の変換を使うのもある。楕円を短軸にそって切り、またそれと同じ直径の円も半分に切ってつなげた薄板、その円の中心に当たる部分に軸を通して固定して軸を回してやると、軸から板端までの距離が連続的に変化する。それで別の板を押し上げては押し下げることができる。それを利用して、人間が棒を上げ下ろす単純動作を、より強い力でやらせることができる……棒を振り上げて重力加速も利用して振り下ろし、棒が高速でぶつかって止まる時の衝撃力、瞬間的に出る桁外れに大きい力は武器操作の基本でもあるし石材加工や地面掘りや鍛冶にも使われるし、それを製粉に使ってもいいんだ。石などのより大きく硬い塊から粉を作ることができる。
他にも水を重力から見て下から上に動かす時にも使える。それは水路や貯水池から農地に水を押しあげる、鉱山で特に深い穴を掘って掘り続ける場合に湧いてくる地下水を排除する、船にたまってくる水を排除するなどとても有益な技術だ。
また水路の泥を掘り上げるのにも必要だ。金属加工のために風を使う技術があるが、それに巨大な回転力を使えればより大量に、またより高温で金属を処理できる。
それには上記の、人間や家畜に円盤のかわりに棒にした車輪を押させるのもいい。また、川など重力によって流れ落ちる水を別の大きな車輪で用いることでも巨大な力が得られる。高く造った建物で、いくつかの板を後述の帆の応用で、「円盤のかわりに棒」のようにうまく並べても風の力を巨大な回転力にできる。
それらの技術が後の産業革命で本質になったし、産業革命に至らなかった多くの文明でも様々な目的に広く用いられた。
*水
人間の技術・文明にとっては、水を制御することが特に重要だ。逆に文明の定義を「水を制御する巨大群れ」としたっていい。
水は人間や後述の家畜・作物が生きるためには絶対に必要だ。最大限に単純化すれば、人間の人口およびその密度は淡水に制約される、とさえ言えるほどだ。より正確には文明の規模……人数とその維持は利用可能な淡水・土地の広さと日照・植物生産が再生可能かどうか・燃料によって制約・限定されるというのが歴史の基本法則だ。
あらゆる物を作りだすにも、衛生を保つにも水は大量に必要になる。
水による災害も人間にとっては重要であり、それを制御することも重要だ。
水は移動の障害になり、逆に水上を移動できれば膨大な質量を高速で移動させることが可能だ。
**井戸
水を手に入れるいい方法として、地面を掘ることがある。地面の一部の土を別の所に移すと、土の総量は変わらないから移した所は高くなり、移された所は低くなる。単純に言えば前後左右を変えず、ひたすらその掘る作業を続ければどんどん下へ下へと行く。ただし土は崩れやすいし、また地面は土ばかりではなく木の根や岩石も結構あるので簡単ではないが、とにかく掘った穴の壁を固め、ひたすら深く掘ると、地下にうまく地下水の流れがある場所で地下水面まで掘り下げれば穴に水が染み出てきてたまる。その水が利用でき、その穴を井戸という。けっこう重要な技術だ、といっても穴を掘ることだけなら多くの動物がやるが。逆に技術という言葉を、その行為から理解することもできるだろう……周囲にある物質の配置を変え、変型させることでそのままでは得られない資源を得ることができる。
ただ問題が、井戸を作ったのはいつ頃からか、だ。井戸は作って水がたまるようになるまで数日かかるから、ある程度同じ場所で生活するのでなければ作る意味がない。昔の人間が移動していたか定住していたか、どこでどう暮らしていたかは本当にわからないことが多いんだ。
**土木治水
人間は水がたくさん地上にあり、海に向かって流れているところを好む。
その流れを支配する法則は基本的に「より低いところへ」の一語だ。それと長期的には水が土や岩石さえ削り、流れの底に土を貯めていくことで水が浅くなっていく。
人間は多人数の群れを作り、それをある目的に向けて使い、また重量物を運びより硬い土を掘る技術を手に入れたことで、その水の流れを変える技術を得た。
井戸とも似ているが、井戸や家屋に比べてきわめて大規模な土砂岩石の移動によって、地形そのものをかなり変えてしまう技術だ。
まず空から降る雨の量は実に不安定であり、地下水の水位も大きく変わる。
だから何年かに一度など、水の量が極端に、しかも地形によっては急に増えることがある。それから逃げ損ねた動物は溺れ死ぬ、非常に大きな脅威だ。
特に巣を作って定住する人間にとって、巣を押し流し、せっかく乾燥させた保存食などあらゆる物資を腐らせ使い物にならなくする急な増水は恐ろしい脅威だった。
だがそんな増水は自然界の一部であり、人間を考えに入れない生物界にとってはとても重要な役割を果たしている。まず、流れの有無にかかわらず、水は常に生物生産・周辺からの土砂の流入などで埋まっていく。大地そのものも巨大な力で常に変型する。だから地形は変化するものであり、その変化に水の流れや溜まりを合わせるのに洪水が必須だ。
人間から見れば、洪水で残された土砂は後述の農耕に必要な肥料分を豊富に含んでいる。だがその年の、後述の農業収穫は流され失われ、次の年もリンなどは豊富だが生物が少ない砂なので収穫は乏しい。また巣も破壊される……大規模な巣になれば損害も大きい。
だから大規模な農地を中心に、充分備蓄だけはして都市は農地というか川から離して作る形であれば、洪水は放置するのが長期的にはいい。そのためには非常に広い面積が一つの群れになっていなければならない。その最も成功した例がアフリカ北東だ。
逆に、一つの小さい川とその流域という狭い地域に限定される群れは、川に近い都市と乏しい食物を守るため洪水を起こさないようにしたい。
ただし、制御された洪水は農業では欠かせない技術だ。特に巨大な河の流域は、年周期で一時期大きな増水があり、それは灌漑・土の更新に欠かせなかった。
そのための方法にはダムと堤防、運河、遊水池、植林などがある。
ダムは、実は人間だけが作るものではない。実を言えば大自然が作った地形の模倣だ。
川が長期間大地を削り、川の両側から離れるに従って急に高くなる地形がよくある。そこにたまたま狭い場所ができ、そこに岩かなにかがひっかかってそこにばかり岩石土砂がたまると、大きく見れば「ひっかかってたまった部分」を除けば自然な流れなのが、そのひっかかってできた場のせいで流れがふさがれ、膨大な水が広い面積を占めて普段の流れが非常に弱くなることがある。
また、ビーバーというネズミの仲間である哺乳類は、自分でそんな地形を作る。伸び続ける鋭い歯を活用して細い木を切ってしまい、それを川に運んで流れをふさぎ、池を作ってその中の、木を使って作った島で暮らすんだ。本当にビーバーに高い知能がないのか不思議だ。
人間もそれに似たことをする。水の流れを一部で遮ると、その下流ではそのダムが壊れない限り洪水が起きない。またその、大量にたまった水をうまく利用すると本来流れない方向に流してやって広い面積に水を与えたり、後には動力としても用いることができる。ダムの水はきわめて秩序の高いエネルギーの高密度な集まりなんだ。
もちろん熱力学第二法則はそんな秩序の高さを許さない……ダムはいつかは壊れて大洪水を起こすか、地表を流れる水に必ず混じる土砂で少しずつ埋まる。
堤防は川の両脇に大量の土砂を運んで、壁を作ってやること。そうなると洪水で多少増水しても、堤防の外に水は出ない。ちなみに堤防をうまく使えば、川の流れる方向もかなり変えることができる。
非常に多くの人数と力が必要であり、地理についての知識も多く必要だ。
ただし本質的には、長い時間が経つと川底に土砂がたまって水面がどんどん上に行くので、川底の土砂を掘り出して外に持っていくか無限に堤防を高くするかだ。要するにいつか堤防が壊れて大洪水になるに決まってる。熱力学第二法則に長く逆らうことはできない。
といっても、川底が堤防の外の地面より高くなった状態なら、その堤防の外の地面を農地にして、最初に堤防の一部を意図的に壊して洪水を起こしてやればその農地に水をやることもできる。
運河というのは堤防とは逆に人工的に地面に低い線を引き、そちらに水が流れるようにすること。地形が良ければ、たった一つ山を崩すだけで別の方向に川を流してしまうことができる。そうすることで洪水のリスクを低くすることもできるし、潅漑や後述の船で荷物を運ぶのに使うこともできる。
遊水池は運河やダムを用い、やや低い地域に向けた流れを作っておくこと。ある地域の周囲に堤防を作っておけば、洪水時にはそこに大量の水が流れこんで広い池になり、川の堤防自体は崩れずにすむ。そこでは洪水時には流されることを承知で農業をやってもいいし、後述の狩猟専用地域にしてもいい。水を溜めておくこともできる。
流れる水は放っておくと長い時間をかけて大地の土でも岩でも削ってしまうが、木が生えている土は根で固まっているため流れに抵抗する。また、雨が多く降って川ができる地域に森があると、腐りつつある木の葉を多く含む土自体が大量の水を含むため水の流量が安定する。そして森自体が、地面から水を吸って大気中に蒸発させ、次の雨が降るのを助ける効果もある。だから安定して水を得たければ、木を切りすぎず、少なくとも源流域と堤防・遊水池周辺の森は維持した方がいい。といってもそれができるほど人類の群れは賢くない。
ちなみにこれら、地形を変える技術は上述の「人間の巣を防衛する」技術を大規模にしたものでもある。逆に治水のための技術を応用すれば、巨大な防御壁も作れるわけだ。水上は移動しにくいから、強力な防御壁にもなる。
あと、これもある意味治水だな……より高い技術を得た人は、川や川が削った極端に深い溝状の地形を、その流れに直交する方向に渡る手段を作りだした。地面を三次元で扱う技術だ。といっても単に、細い溝ならそこに大きい木の幹を渡すだけでいい。その改良も凄いものがある。広い川の場合、中間に支える部分を作れば、支えから地面までの距離を支えられる橋があればそれでいい。後述の船をつないでも、その上を渡って移動できる。そしてアーチ……上述の人体の骨にもある、石や木を断面が曲線になるよう積み上げることで、上からの力をアーチを圧縮し、構造を強化する力に変えることができる。また川の両側に地面より高い部分を木などで作り、両側の高い部分を縄で結ぶと、ちょうどアーチをひっくり返したように力がうまく縄全体に散って構造が安定する。その縄のあちこちから下に別の縄を結び、その縄に板をつければ、変型しやすいからこそ安定した橋ができる。
**船
船は、地球にある重力と水の高い密度・流体としての性質から出る「浮力」という力を利用した運搬法だ。人間が暮らす地球の陸地は、けっこうあちこちに大量の水が流れ、また流れずたまっている場所がある。それは人間が普通に歩いて移動しにくい。
単純に密度が低い物体は、塊であっても自分より高密度の液体に浮く……上向きの力をかけられて上に上に持ち上げられ、最終的には水面の上に一部を出して、密度差と水面下体積と浮くもの自体の質量で決まる上下方向の位置で重力と浮力が一致する。石でも水銀には浮く。たとえ沈んでも、浮力という上向きの力は常にある……水に潜れば、空気中である地上では持ち上げられない石を簡単に持ち上げられるし、応用として巨大な石でも完全に水に沈めて船から吊れば、地上で持ち上げるより軽くなり簡単に運べる。液圧についての物理学は別に学んでくれ。
あ、これらの議論はどんな液体でも同じことだ。
また人間を含め多数の動物も、上述のようにその自然生活には常に洪水があるから、小さい頃訓練されればある程度泳ぐことができる。だが裸ならともかく、人間は衣類や様々な武器や道具を常に持ち歩く。それは泳ぐときには恐ろしく邪魔になってしまう。
だが木など水より密度が低い物体を手でつかみ、そのまま足で泳ぐだけでも、かなり溺れずにいられる。
さらに木の幹は根と枝を除けば円筒形をなすから、それをたくさん横に並べると大きく見れば平面を作る。そして並んだ状態で固定し、そのまま浮かべれば密度差で浮かぶ平面の台となり、自分自身や様々な物をたくさん運ぶことができる。
さらに、実は素材の密度は水より高くてもいい。ある立体の、表面だけを高密度でも固く水を通さず溶けない素材で作れば……地球上では相当手間をかけなければ中に空気が充満するが……水は中の空気と固い素材でできた表面の合計質量と合計体積だけで浮力を働かせ、浮かせる。
その浮く中が空の立体の、下半分だけでも別にいいしそのほうが作りやすい。ただし中に水が入ったらあっさり沈むし、水中で回転しても中に水が入って沈むことになるが。
その船は流れに任せて漂わせてもいいが、泳ぐため腕や脚で水を押すようにして船を動かすこともできる。さらに船の上にいながら、長い棒で水を押したり浅ければ水底の地面を押せばもっと楽に動く。
水を押す長い棒も色々形を工夫できる。
さらに楽な方法が、面積が広く薄いもので風をさえぎることだ。遮られた風は板を押し、莫大な力をかけるためとても早く船が動く。単なる薄い直方体より、曲げて鳥の翼のようにしたほうが、空気の流れる力をうまく使えるのでずっと強い力を得られる。
面積が広く薄いものを木などで作ると密度の割に弱い。でもしっかりした枠に張った布や皮なら、ずっと強くそれを帆という。そのためには船の底から垂直に立てた長く頑丈な棒があれば、その頂点・船の底と接する部分・船の別のどこかの三点で三角形の帆なら張れる。二本の棒を直交させればより操作しやすくなる。
後に帆を翼として用いることで、風上にも移動できるようにもなった。
また後述する内燃機関動力が進歩してから、それによってより安定して速い移動が可能となった。
風向きのいい時の単純な帆だけで、移動できる速さは人間はおろか後述する馬が全力で走るより速く、しかもその積める荷物の重さときたら船を大きくすればするほど、ある意味いくらでも積める。車や家畜より圧倒的に、桁外れに多くの、きわめて重い荷物を高速で運ぶことができる。
ここで人体のつくりで残念なことがいくつかある。人間は海水を飲んで生きることができない。だから重く、こぼれて失われやすい真水を大量に積んでいなければ、数日以上航海できない。
さらに人間は、加熱していない植物・動物の内臓に含まれるいくつかの分子を体内で作りだすことができない。人類の動物としての進化は暑い森林から草原でほぼ止まっており、その段階では加熱していない植物も動物の内臓も意識しなくても食べることができていたから、それを体内で合成する遺伝子が壊れても繁殖生存に支障がなかったからだ。保存できる塩漬け肉や後述の穀物などだけではそれを得られず、半年から数年で悲惨で緩慢な死に至る。
この二つの要因が、人類の行動範囲もかなり制限している。人が海水を飲むことができ、穀物だけで生きられたらどれほど早く人類は地球全体を航海していただろう。
**金属(古代)
元素としての金属は上で説明した。その性質を人類の技術という観点から繰り返す。
多くは常温常圧で固体、岩石に匹敵するほど硬く、木材や岩石以上に壊れにくい。
また岩石に比べて固体から液体になる温度が低く、一部は単なる火の温度でも液体になる。液体であれば自由な形になるし、二つの物を部分的に溶かしてくっつけるのも簡単だ。
二種類、もしくはそれ以上の異なる元素……金属と金属、金属と金属でない元素などいろいろあるが……を液体やそれに準ずる高温で混ぜると、どちらとも性質が異なる新しい金属ができることがある。
また加熱すると柔らかくなり、人間の力でもかなり自由に変型するものも多い。
さらに加熱と冷却をうまく制御したり、適切な衝撃を加えたりすると、きわめて硬度が高くなり刃物として使えるものもいくつかある。
加熱しなくても人間の力、特に衝撃などの力を借りれば変型させられる金属も多くある。
要するに自由に変型し、しかも硬く頑丈、さらに光も反射し色も美しいといいことずくめの素材だ。金属を使うようになって人類の文明はとても大きく進んだ。
刃物だけでなく調理具・装身具・住居などの素材としても重要。特に上記の車は金属加工技術なしにはほぼ絶対無理だ。
ほとんどの金属は人間の手に届く範囲では酸素と化合し、岩石の一部となっている。上述の、光合成をして酸素を出す生物が誕生してから地球表面や海に大量に酸素がばらまかれ、その酸素と特に海中の金属元素が化合して水に溶けない固体となり、その頃の海に積もった。その頃の海底が、うまくプレートの動きによって陸地の一部となっていれば、高濃度である金属の酸素との化合物がある岩盤があるというわけだ。他にも岩が溶けてからまた固まったとき、岩が水に溶けてから固まったときなど、色々な形で「ある金属元素がとても多くある岩の層」が地球のあちこちに見られる。
その酸素と化合した金属は、その金属よりも酸素とくっつきやすい何かと混ぜ、高温にすれば酸素と離れて金属だけになる。水素や炭素は多くの金属と酸素をそうやって切り離すことができ、特に炭素が手に入れやすい。
ただし、炭素より酸素とくっつく金属もアルミニウム・チタンなど多く、それらを利用できたのは電気技術が進んだ近代の話だ。
要するにある金属を多く含む岩石をこまかく砕き、色や密度などでその金属と酸素の化合物だけを選び出し、それと上記の木炭や石炭と混ぜて火をつけて高温にすれば金属とくっついている酸素は炭素とくっついた二酸化炭素として空気に混じって見えなくなり、溶けた金属だけが残るわけだ。
さらに植物灰、塩など天然化学物質、水銀など別のものを用いることでよりうまく金属を取り出す技術が発達した。
それが楽なのは銀・銅・錫・鉛などで、普通の火の温度でできる。鉄はもっと高温の火を、道具を使って風を吹きこむことや火を高く重ねることなどで作らなければならない。
その「最大温度」も文明水準としてけっこう重要でね。それこそ今の人類が核融合をまだ使いこなせないのは、それに必要な超高温を使いこなせていないからに過ぎない。
人類の初期に特に重要な金属は金・銀・銅・錫・鉛・水銀。
金はほとんど酸素と化合しないし焚き火でも溶ける。おそらく人類が最初に見つけた金属ではないか? 焚き火をした場の石や砂の一部、太陽に似たきれいな色をした部分が、まるで水の固体が液体になり、また固体になるように妙な形で固まっているのを見つけた……さらにその部分は、強く力をかければ自由に形を変えるときている。刃物にするには柔らかすぎるけれど、美しく装身具にはとてもいい。また酸素と化合しないから永遠に色や輝きが変わらないこと、色が太陽に似ていることなどから魔術的にも崇拝され、また後述の貨幣にも最適だ。はっきり言って、文明以後の人類にとって金ほど欲望されるものはない。
金と周期表から見ても似ているのが銀。金ほどではないが酸素と化合しにくいなどの性質が似ていてより手に入りやすい。加工によって刃物にできるほど硬くもなる。
銅がもっとも重要だった。金や銀と周期表から見ても似ており、独特の色をしている。だが装身具・貨幣のみならず、錫という別の金属と溶かして混ぜると……最初は偶然、銅鉱石と錫鉱石が混じった鉱脈から、一つの金属として発見されたのかもしれない……溶かすことも加熱して叩いて変型させることもできる、しかも充分石の刃に匹敵する硬さがあり、しかも石と違って砕けない刃物材となった。
鉛や水銀は、それ自体が使われたと言うよりも鉱石から金属を取り出し加工する時に人間に関わる。どちらも生物には有毒。鉛は非常に重く溶ける温度が低く、柔らかく加工しやすい。資源量も多く、毒であることが知られていなかった昔はけっこう使われていた。金銀と混じって出ることも多く、金銀から鉛を分離する技術はとても重要だった。水銀は常温で液体という変わった性質を持ち、他の金属と混じりやすいため金属精製技術には水銀を使いこなすことが必須だ。また水銀の化合物は強い赤を生み出すため色を出すためにも重要だった。
また鉛と錫の合金は低い温度で液体になるので、物をくっつけるのに非常に有益だ。後に電気機械が発達するにも必要な素材だった。
そして、ついに鉄と、鉄に炭素を混ぜた合金である鋼の作り方が発見された!
鉄は酸化しやすいのが欠点だが、その硬度と頑丈さは桁外れだ。
それがあるからこそ耕せた土、切り倒せた森がどれだけあったか。武器としてもそれがあるとないじゃとんでもない戦力差だ。
要求される温度が高いが、反面高温にも耐えられる。
鉱石は非常に豊富、大量の木材か石炭鉱山があればかなりの量手に入る。そのせいで切り尽くされた森林だって多いだろうな。
用途も広い……炭素の配合を変えることで、溶かして使える鋳鉄から柔らかい繊維状の針金まで自在に使える。そして温度管理によって、すさまじい強さと硬度と切れ味を持たせることもできる。
さらに、残念ながら近代以降だが、鉄に色々な別の金属を混ぜて錆びにくい鉄さえ作られるようになった。
さてと、その金属に関する道具の類も少し解説するか。
ちなみにその、石から金属を取り出す技術は昔は魔術の一つとされ、金属の化学的な性質についての知識も魔術の言葉を用いて表現された。
それで面白いのが、魔術の一番深い部分……不老不死を得て神になるための技が、類推として「地中で鉛が金になる」という迷信と結びつき、多くの人がそれを研究した。
大量に安く手に入る鉛を、少なく高価な金にできればそれはもう大もうけだし。
ちなみにその錬金術という迷信は、人類の科学技術の歴史を追い、精神構造を理解するには絶対に外せない知識なんだが……それをちゃんと教育することはないんだよな……
まあここでは錬金術抜きでいこう。
まず鉱石を取り出すには、詳しくは下でやる地面・岩石を壊す技術がいる。井戸掘りの、穴を掘る技術も必要だ。
またやっかいなことに、より深く掘ればたくさん鉱石が得られるが、そうすると下では空気から酸素がなくなって死んだり、地下の石に含まれたメタンなど燃えやすいガスが出て火がついたり、井戸同様水が出てきたり、もちろん穴が崩れたりととても危険だ。それぞれについてすごくいろいろ技術がある……特に水を排除する技術は、近代で解説する蒸気機関のきっかけにさえなった。
それで石が手に入ったら、その石をさらに細かくする。それには重く硬いもの、岩かできれば金属の塊を先につけた棒が必要になる。槍や斧に似ているが、衝撃のみだ。
石を砕いたら、水などを使って選り分けて、多分技術水準が低い頃は焚き火に放り込んだんだろうが、ある程度文明が進むと熱を上に積み重ねる設備を作った。当然それ自体が熱で燃えたり溶けたりしてはいけないから高い温度でも変質しない土器が求められた。
さらに高温を維持するために、火に空気を外の力で強制的に送り込んで酸素を追加する設備も、かなり後になるが作られた。それは柔軟な革と丈夫な木をうまく組み合わせ、体積が変わっても密封状態が変わらず……ととても複雑な設計が必要な高度な技術だ。
金属どうしを分離するのが比較的難しく、木などの灰……カリウムなどの金属を利用して不純物を土器に吸わせる方法などいろいろな技術がある。
できた金属の加工……形を変えるには、単純に打撃・加熱してから打撃・溶かして変型の三種類がある。
加熱してから変型させるには、大量の頑丈な金属……できれば鉄……の塊の上に変型させたい金属を載せ、その上から上記の塊がついた棒などで叩く。高温のものは手では握れないから、別の棒を手のかわりにしなければならない。
溶かして変型するには、その金属が溶ける温度でも固体のままである鍋が必要になる。土器の中にはとても高い温度で溶けないものがあるので、それを使うことが多い。
変型すると言っても、金属が液体になる温度を手でいじったら手が傷つくだけだ。ならどうすればいいか? 砂はけっこう高温に耐えられるから、まず棒を作るとして、砂に棒を突っ込んで棒の形の穴を開け、そこに溶けた銅を流しこみ、銅が冷え固まってから砂を掘れば銅の棒ができる。刃物の大体の形もそれで作れる。
二つの砂をある程度固めた型を、少し隙間ができるように近づけておき、その隙間に銅を流すのも鍋などいろいろ作れる。
一番洗練された技術……きわめて広い範囲の形が作れる技術が、上記のミツバチが作る巣の材料である低い温度で溶ける柔らかい蝋で好きな形……ひとつながりであれば事実上何でもあり……を作り、それを周囲から砂でしっかり固め、ちょっとだけ砂の外につながる部分を蝋で上と下に作ってやって、そこから溶けた銅を流せば蝋はあっという間に溶けて消え失せ、銅が蝋のかわりに入っていく。それで銅が冷え固まってから砂を取り除けば、蝋で作った形と同じ形のひとつながりの銅の塊が出てくる、というわけだ。
できてから表面をきれいにするのに、石同様砂などを面に垂直な方向に押しつけながら面に平行な方向に動かすこともする。そうすると、砂の大きさより大きいでこぼこに余分な圧力が掛かってより多く削られ、より平坦に近くなっていく。
ついでに重要な技術として、ある金属の表面を別の金属で覆うことや、別元素の金属を溶かして混ぜて性質の違う金属を作る技術がある。
また金属を非常に細長い棒にすると、その太さが適切なら繊維のように扱うことができる。加工によって少し変形してもまっすぐに戻る繊維により近いものと、曲がったらそのままな柔らかいものがあり、どちらも用途がある。
またやや太く短い棒を曲げて輪にて固定し、別の同じ太さと長さの棒を前の輪を通るように同じく輪にし、また第三の……と繰り返し、どれもそれ以上普通の力では変形しない、特に輪が外れて棒に戻らないようにすると、その輪を集めたものが非常に柔らかい縄のように扱える。
またその技術の応用として、一つの輪に複数の輪を通して組んでいくことで布のように平坦で自由に動く金属製品を作ることができる。それは切りつける系統の武器にきわめて強く着たまま自由に動けるため、革に並び非常に有用な防具になる。
実は重さあたりの引っ張り強度は生物由来の繊維のほうが強いことも多いのだが、金属製の縄は強度も高いし、人間の手や歯も含め複雑な道具を用いずに切断することができない。もちろん人間以外の動物には事実上決して切断できない。だから人間や動物を移動できないようにするのに適している。
*いろいろな刃物
好きな形に加工できる金属の発達により、様々な形の刃物を作れるようにもなった。土器も好きな形に加工できるが、残念ながら強い力を加えるとすぐ砕けるので刃物には適していない。
刃に穴を開け、そこに木の握りをさしこんだり、逆に刃から刃がついていない部分を長く伸ばしてそれを握りに開いた穴に入れたりすることで、よりしっかりして握りやすい道具を作ることができるようになった。
武器としてもそれは重要で、上述の槍や斧だけでなく、特に人に好まれる刀剣とよばれる武器が生じた。長い刃に、手で握るだけの柄がついた武器だ。武器としては実は折れやすくコストの割に効果が低い、長所は接近戦で敵に奪われる心配が少ないぐらいだが、豊かさを見せびらかすのにいいし宗教儀式と相性が良く、人間の文化の中で特別な地位にある武器だ。
もう一つ金属器の進歩によってできた重要な道具がはさみだ。二枚の刃を一つの支点で固定してすりあわせることで、平たい物をはさむようにすると、常に一点に二方向から力が集中し、その強く、反対側からしかもわずかにずれた力によって普通に刃を使うよりずっとよく切断できる。
また毛など、細い棒状の物を、普通の刃物と違って引っ張る力をかけずに切る場所だけに力をかけて切ることができる。これは家畜の毛を切るとき、家畜に痛い思いをさせずにすむので作業がとても楽になった。
また、はさみと同じ原理で両側を棒状・板状にすると、手でつまむより強い力でものをつかむことができるし、鉄を用いれば火の中で高熱になっている物をつかむことができる。
はさむものには二つの棒とそれを結ぶしくみ以外にも、U字にして曲がった部分を極薄くしてそこは変形してもこわれないで力を抜けば元に戻るようにするのもある。
**石材・木材の加工
ものを加工する技術には、前も簡単に言ったが「一つのものを二つにする」「二つのものを一つにする」「形を変える」などがある。
それ以前に、石材や木材の、そこらで手の力で手に入るものではなく、もっと大きいものを手に入れるには「一つのものを二つにする」より強力な道具が必要になる。
木の場合は生きている大きい木を切断する。
石の場合は、巨大な地形レベルの岩の塊から特定の大きさの石を切り離す。
木を切断するには、分厚く重い刃を槍と似たように木の棒の先につけ、ただし方向を変えて棒と直交させた道具……斧か、刃をたくさん並べた道具……鋸を使う。
前者の方が技術的には簡単だが、後者の方が場合にもよるがはるかに早い。
後者に似たものは自然にもあるか、麦などの葉の縁を細かく見ると、たくさんの刃が並んでいるようになっていて、それでそれら植物は自分の身をある程度守っている。
後者を石で作るのは難しい。金属の、それもかなり高度な加工が必要になるが、一度できたらとても便利だ。
ただ切断するのではなく、少し深い傷をつけておいて、そこに堅い木で一つの角がやや鋭い三角柱……楔を作って差し込み、それを斧や槍と似ているがただ重く固いだけの、上の金属加工でも出た道具で衝撃を与えると瞬間的にものすごい力が出るから、それで楔が食いこんでいって自然に傷を拡げる。木は無数の管が集まった構造だからそれができる。
切り倒した木をさらに切ってできれば薄い直方体にするのにも、鋸が高価だった昔は斧と楔を使った。
ちなみに木は、熱帯など特別な場での例外を除いて、暑さ寒さに応じて組織の粗密が違い、円筒の断面が無数の同心円に見える。それに枝などがあると傷が入る。その粗密、傷などを利用して加工すると楽だし長持ちする。その同心円の、中心から周囲への直径方向に割るのがよい。
木材そのものは素材としては、比較的低密度で加工もしやすく強度もとても高い。頑丈な繊維分子が、無数の昔細胞だった中空構造を作って強く絡みあっているから。
ただし生物の死んだ体だから、それを食べるために進化してきた色々な生物にいつか食べられ土に戻る。水分があるとそこに様々な微生物や菌がはびこっていつかは形が崩れ、またシロアリは木をかじってその体内の微生物に消化させる。海水につかっている木は似たような特殊な貝に食われる。
それは様々な油を塗ったり、ある果樹のまだ食べるに適さない実を集めて潰した嫌な味がする汁を使ったり、ある有毒なつる植物の樹液を加工して塗ったりしてある程度防ぐことができる。それは同時に好きな色を塗ることもできるから、装飾にもなって一石二鳥だ。
特に鋸が発達すると、木材を円錐形の丸太だけでなく薄い直方体の板に加工することもできるようになった。これは非常に汎用性が高く、後述する樽にも結びついた。
そしてその板と板を重ねて仮固定し、細長い先端が円錐形にとがった円柱状の丈夫な素材で貫くことで固定する方法もできた。他にも木と木を固定するには一方を穴、もう一方を凸に加工してはめ合わせるやり方もある。
石を切断するのは、石器や金属の刃と人間の体力では正直歯が立たない。割れ目が少しでもあれば楔を入れて叩けば、大きく割ることができる石も多い。木の楔に水をかけても、木が水を吸って膨らむ力で割ることもできる。また割れ目を入れるのに、火で高温に加熱してから水をかけて急激に冷やすという手もある。我々のサイズでは多くの液体固体は加熱されると体積を増し冷やすと減るが、あまり急激な体積の変化に構造がついていかず壊れることが多いんだ。また、夜に水が個体になるほど冷える地域なら割れ目に水をいれて夜凍らせ、水は例外的に凍るときに体積を増しものすごい力を出すから、その力で割ることもできる。
小さい石なら、衝撃を与えて割ることができるが、とても経験がいる。石を加工するのには衝撃力が多用され、重く固いのをつけた木の棒や、それと斧をさらに極端にした、尖った重い金属の先端が棒に直交しているようなのがよく使われる。
より大きく複雑なものを木で作ろうとしたら、木と木、時には石と木を組み合わせて壊れにくい構造を作らなければならない。
そのために必要なのは、より自由な加工、特に決められた大きさの、できれば直方体に加工し、またその望む場所に直方体の穴を開けることだ。
そしてしっかり二つの材をくっつけ、離れないようにすることも必要だ。
穴を開けるにはまた特殊な形の刃で円形の穴を開けてから、先端に厚く頑丈な刃がついた棒を当てて衝撃を加える方法で細かく加工する。
表面のでこぼこをなくし連続した平面・曲面に近づけるのも、特に微生物に食われないためや色を塗ったりするために重要だ。それには表面に無数の刃を刻んだ金属板や粒の粗い石などでこすり、どんどん細かくしていき、最後に皮や布で磨く方法が用いられる。
金属の刃物の出現は、石器による刃物を完全に時代遅れにした。硬度と切れ味は石器も高いが、自在に加工できるし砕けにくい金属の刃物は、空気中の酸素などで痛みやすいという欠点はあってもその利点は圧倒的だ。
そしてそれは、木を切り倒す能力を大幅に高め、文明を作りだす最大の原動力となった。
これが同時に、扱える温度が上がったからでもあることは忘れないで欲しい。
**レンガ
人類の、建築の規模を一気に大きくしたのがレンガという技術だ。
要するに土器であり、土を石に変える技術で、それを建築の素材にする。
レンガには日干しレンガと焼きレンガがある。
日干しレンガは、いい土に水と、大量の植物繊維……草、穀物の枯れた食べない部分、草食家畜の多くの繊維を含む糞などを混ぜ、合同な直方体にして太陽光の熱で乾燥させたものだ。
雨が降り続いたり地震が起きたりすると弱いが、乾燥した地域ではきわめて頑丈な建材だ。
それをある程度以上の火を用いた高温で加熱すると、雨にも強くなる。ただし焼きレンガの建物を大量に作るということは、大量の木材を切って焼くということだ。確実にその地域から森林はなくなり、文明自体の崩壊にもつながる。
レンガの建物を積んだだけでは崩れやすいが、日干しなら泥を隙間に入れれば固まる。泥は水に弱いが、焼きレンガどうしを固められる、ある条件では粘土か泥のように流体のようであり、別の条件では石のように固まる素材が昔から二つある。
一つは、天然の石油から融点が低く大気に混じって消えてしまう分子が抜けて、非常に大きい炭化水素分子ばかりになったものだ。それは加熱すると燃えるほどではない温度で液体になり、そして冷えると固まる。レンガだけでなく船にも用いられる重要な素材だ。
もう一つは、貝殻や同じ成分でできた石を高熱で焼いたものだ。粉状になっていて、水と砂を混ぜてしばらく置いたら石のように固まる。ちなみに困ったことに、それに使える石にはとても美しいものがあり、それは非常にいい建物や彫刻にも使えるんだが、それも焼けばレンガや石をつなぐのに使える。だから一時期大きい群れがたくさん美しい彫刻や建物を造ったのが、後に別の価値観を持つ群れが貴重な彫刻を全部砕いて焼いてつなぎにしてしまった、ということもよくある。笑うしかない。
他にも土自体を直接使うやり方として、細い木で大体の形を作って泥を塗るという手もある。これは壁に隙間が多いので空気を通し、湿度調整ができていて住みやすい。
**塩
塩化ナトリウムはあらゆる生物にとって、過剰だと害だが必須でもある。海水に含まれるので海に近ければ食物に海水を加えればいいが、海から遠い内陸では不足する。海水を運んで交易するのはとてもかさばるので、水を蒸発させて塩化ナトリウムだけ残すことが望ましい。
水に溶けた塩だけを取り出して固体にするには膨大な熱量が必要になる。雨が少ない地域ではある程度は太陽光で熱して水を沸点以下でも蒸発させることができるが、良質な塩を得るには火で加熱することが必要になり、膨大な木材をはじめとする燃料を消費することになる。
実は海水由来の塩は人間にとってそれほど重要ではなく、むしろ内陸の、昔海だった地面が持ち上げられて陸になったときに取り残された海水が蒸発して残り、銅や鉄の鉱石のようになった岩塩が重要だ。それは良質であれば石材のように切り出されることもあり、また水を入れて溶かして塩水を取りだし、加熱して純粋な固体塩を得ることもある。また内陸乾燥地の湖には水が流入するだけで海まで水が届かないものも多く、その場合には水は蒸発するが塩は蒸発しないためそのまま残され、際限なく塩の濃度が高くなる。それで水に塩が溶ける限度を超えると固体になる。それを切り出すのも重要な塩資源だ。
塩がなければ人は生きられないし、その膨大な木材消費が森の消失を早めるため、文明の重要な制約要因になる。
興味深いのはユーラシア東端部で、塩鉱山から地下の可燃性炭化水素を同時に得てそれを燃料に加えていた。
**石鹸
動植物の油脂と、植物を焼いた灰を加熱して反応させると、水に溶け細かな泡を出す、温度や水などで固かったりいろいろな状態になる塊ができる。それを水にとかして泡が出る状態にすると、脂肪が水をはじけなくなって水に混じる。
それにより、脂肪で汚れた衣類や食器をきれいに洗うことができる。
上述のように、脂肪が水に溶けないで膜を作ることが生物の本質の一つだから、それは細胞にとって致命的な毒ともなる。体を常に石鹸と水で洗えば、特に(手を用いる)食事・交接行為・傷や出産に関わることの前後にやれば体に入る微生物を大幅に減らせるし、重要なのは体や衣類の、微生物が増えるときに出す匂いや余計な色を除くことができることだ。
大量の油や植物灰を用いるため、きわめて贅沢な物だ。同時に水も多量に用いるので、「清潔」自体が、特に都市生活者にとってはきわめて贅沢になる。
それに似た働きをする毒を体内に作っている植物もあるし、衣類の洗浄や皮革加工には微生物に分解されて単純な窒素と水素の分子となった尿なども用いられることがある。また日光にもいろいろな分子を分解する作用があるため、それを当てて汚れや余計な色を消すこともある。
**計測具
幾何学的な計測のための道具も、大規模な建築にしても複雑で高精度な道具にしても必要になる。
最も単純な計測具は自分の目や手足だ。それでもかなりの計測ができる。歩いた歩数である程度距離は測れるし、手足の長さはあまり変わらないから精度が低く、親から教わって自分でやるだけならそれで十分だ。
だが社会が大きくなり、規模も精度も最大温度もエネルギーの量も大きくなると、それだけではすまない。建物が大きければ大きいほど、角度の誤差が小さくても致命的になる。
また、非常に正確な地図を作ることは戦争にも交易にも有利だし、大規模建築には絶対に必要だ。土地の分配においても重要になる。
もちろんそれらは魔術にも直結していることを忘れないように。
紐や縄も非常に有用な計測具になる。強い力で両端から引けば直線となる……それもあたりまえとされるが、この世界の、この大きさで経験される重要な幾何学的な性質だ……し、また「同じ長さ」を測ることも、さらに複雑な曲線の長さを測ることもできる。紐を折って端をそろえれば、それだけである長さを二等分できる。また紐の一端を固定し、もう一端を回せばそれだけで円を作ることができる。それを利用して、角を二等分することも簡単にできる。
さらに三平方定理……これはこの世界の通俗物理がユークリッド幾何学に頼っている以上、平面では必然的に出る……から輪にした紐に等間隔の印をつければいつでも3-4-5の直角三角形を得ることができる。紐で等間隔は、紐を曲げて曲がったところから両端の長さを同じにすることで容易に得られる。その大きさは任意に拡大できる。こう思うと面白いが、人間は最近やっと、その3・4・5みたいな自然数の組が、三乗以上で存在しないことを証明した。その点だけでも、三次元にいるというのは幸運な話、ということさ。
また紐に重いものを結んで下に垂らせば、どちらが下かを正確に知り、地面と直交する線を得ることができる。
直線を得るには光を用いる方法もある。また水平面を得るには、水など液体を器に入れて動かなくなるまで放置すると、上の面が重力方向と垂直な平面になる。
ただし紐は長さなどが変わりやすいから、ちゃんと作業するために同じ長さを確保するには、自分一人でやるなら「自分の指の長さの何倍」で覚えれば楽だ。
足で歩くのも、どれだけ道に長さがあるかをけっこう測ることができる。
室内で、文字の読み書きの延長で書かれた図を扱うのに、車や人間の関節というかハサミのように二本の棒を組み合わせたもので一定の距離を確保し、一方の棒の関節でないほうの端を固定すれば円を描くことができる。また紐などを利用してまっすぐな辺を持つ長い直方体の棒があれば、簡単に直線を引くことができる。あと高精度な直線ででき角を持つ薄板を二枚組み合わせ、ずらせば平行線を引くことができる。それだけを用いた幾何学が人間の間では結構重要だ。というか数学的には単純な話だが。
天体観測も重要になる。魔術には天体は重要な要素になるし、農業をやるにはいつごろ暖かくなり、雨が降り、川が洪水を起こし……が死活問題になる。まあ詳しくは後述。
質量を測るには人間の感触もかなり頼りになるが、後述のように多数の群れの交易が当然になるとある基準の何倍か、という考えが主になる。その時に役に立つのが、均質な棒の中央の重心を支えれば地面に平行になり、両端に同じ力を追加しても棒が地面に平行であることが変わらない、ということだ。それによって「AとBの質量は等しい」ことを証明できるし、推移律「AとBの質量が等しい、かつ、BとCの質量は等しい、ならばAとCの質量は等しい」を利用していろいろなものの質量を抽象的に測ることもできる。
測るというのは、本質的にはいろいろな事物のある面を、「普遍的な情報である数値」に変換することだ。それによって群れの情報把握が大幅にやりやすくなる。特に複数の群れが交易するには絶対に必要なことだ。
**樽・桶
木という軽量で頑丈、汎用性の高い素材を「液体を運ぶ」ために使うこの技術は遠距離交易で非常に重要になる。油・酒・蜂蜜・化学物質など液体を前述の車や後述の船で大量に運ぶことができ、また海上船に必要になる真水も大量に運ぶことができる。
また、船とも深い関わりを持つ技術だ。
木の板……薄い直方体に近い形……を適切な形に加工し、それを組み合わせて、断面が多角形の筒を作る。その筒の両端を縄のような素材で強く締めつけると、隙間がなくなって筒形になる。その上と下に板をしっかり固定すれば、鍋同様水が漏れなくなる。
そのしめつけるための輪も金属、特殊な植物、皮など色々使われるな。また、その樽の形を工夫して膨らみを持たせることで、積み重ねることもできるし転がして楽に運ぶこともできる形になっている。
**ガラス・鏡
たいていの石は多数の結晶でできているが、それは単に非常に長い時間をかけて冷え固まったからだ。ある種の、地球に広くある石の類を高熱で加熱し、急速に冷却すると一つ一つの分子がちゃんと結晶になることができず、均一な塊になる。それはある意味非常に動きにくい液体と言っていい状態だ。
そんな石は天然にも、火山や隕石の衝突などによってできることがある。それは割れると結晶がないため非常に鋭い刃を作るため、石器には最適の素材だ。
また、高い温度の火を扱うことができれば、適切な石やそれが砕けた砂を加熱することで一度石を溶かし、また固めることができる。それは上記の金属同様自由に成型できる。壊れやすいから金属の刃物ができた後は刃物として使われることはないが、人間がものを見るのに使う波長の光を通すという性質から非常に贅沢な建築素材として用いられるようになった。木や石、レンガで箱状の構造を作ってその中に住む時、一部の壁をガラスにすると外の光を箱の中に入れることができ、外の熱すぎたり寒すぎたりする気温から身を護りつつ、火を使わず明るくできる。
また、土器や金属器を作るときに表面に、泥状にしたガラスになる砂をかけてから高温で焼くことで表面をガラスで固めれば、水が漏れたり銹びたりしない容器を作ることができる。ガラス自体も食事のための食器としては最高級品だ。
鉄で管を作り、その一端に半ば溶けたガラスをつけて、もう一端から吹き矢のように息を吹きこむと、ガラスが粘性の高い液体のように大きな泡になる。それによって回転体に近い多様な形を作ることができる。
ガラスを作るための砂はたくさんあるが、高熱を得るための燃料と加える必要がある草木の灰も大量に必要なため、非常に高価になる。
これはずっと後になるが、ガラスが透明で空気と水の屈折の仕方が違うことは、光を曲げて普通には見えない物を見る道具を作ることができる。というか火をつける技術はきわめて重要で、石器を磨く技術があるのに、光を曲げて一点に集める構造のものを昔の人が普通に作っていなかったのが不思議だ。
光を操る技術として、もっと古くから単に光を反射させる平面というものがあった。光を反射する平面があれば、それによって反射された光の集まり……目で直接見るのとあまり変わらない像を見ることができる。
波立っていない水面だけでも、ある程度光を反射するからそれで自分の姿を見ることができる。
さらに金属を平らに成型し、表面を細かい砂で磨いたり水銀を利用したりして加工しても、かなり光を反射するからかなりの像を見ることができる。
それは装飾としても、自分の装飾が正しいか確認するためにもとても重要だし、また光を出すようにも見える鏡を魔術的に太陽と同一視する文化もある。
本当は鏡でうまく日光を集中すれば、火のかわりに十分なるんだが、人類はなぜかそれをあまり利用しなかった。鏡の素材が貴重すぎ、それをうまく加工することができなかったからか……
*長期的住居
農耕は必然的に大規模な定住を伴う。牧畜も遊牧を選ぶ人は昔同様、単純に木の棒に皮や布を張っただけの柔らかい構造の巣で暮らすが、農耕や農耕の面が大きい牧畜を選んだ人や、後述する都市生活者は事実上一生一つの場所を動かず暮らさなければならない。
そういう、人間の寿命かそれ以上の長期間利用する巣の基本構造は直方体の内部空間とその組み合わせだ。上は地面に対して斜めの平面を基本にし、多くは軸方向が地面に平行な三角柱で、そのうちの一面が地面と平行、残りの二面はどちらも地面に斜めの平面となる。そうしておけば雨が降った時に、雨が速やかに地面に流れ落ちるからだ……雨の水分が屋根の上にずっとたまっていると、屋根の素材が短期間で腐ったり巣の中に水が浸入したりする。
巣の素材としては地域にもよるが木、石、上記のレンガなどが用いられる。
住居と同構造の空間は、穀物など保存食の貯蔵にも重要だ。
人間は巣を直方体中心に形成し、空間認識すら六面体が中心だ。だがミツバチは六角柱の巣を並べる。それは単純にサイズの差でしかない、ミツバチの大きさだと自分の体を上下方向に動かすのが簡単であり、部屋を必要とする幼虫が円筒に近い構造だからだ。
**照明
光に関する技術として、火を用いた光も人類にとってはとても重要だ。
火の光(と音と匂い)は多くの肉食動物を巣から遠ざけるし、夜間移動しなければならなくなっても普通は発見できない肉食動物や毒蛇を発見できるようになるため、光がある状態は生存しやすく、逆に光がない闇……夜、地下などに人間は強い恐怖を感じる。
前述のように火が光を発し……生物の乾燥した構成分子が酸素と急に反応するときの温度で加熱された物体が出す電磁波でしかないのだが……その光が人類にとって見える光なのは幸運だった。
その光は魔術的にも重要で、儀式としても火の光を用いるものは実に多い。
移動するときには木に燃えやすい油をつけたり油を多く含む植物を集めたりして、火そのものを携帯できる。
単純に木を積んで燃やすだけでも光は得られる。だが、巨大群れの都市生活者は、調理のための熱と光を分離するようになった。夜も文字に関することやさまざまなものの加工など細かく目を用いる作業をするのに光が独立に必要になったからだ。また贅沢を示すのにも用いられる。
そのためには油やロウソクが用いられる。
油は上で食物や薬、塗料などとして用いられることは解説したが、照明用の燃料としての面もかなり重要だ。油を小さな容器に入れ、適当な太さの糸を浸して一部を空気に触れさせて火をつけると、液体はその表面の分子が引かれ合う力によってごく狭い隙間なら重力に逆らって上にでも移動する性質があるから、少しずつ油が糸に沿って上昇しては燃えて消える。油で常に冷やされているから糸はすぐには燃え尽きない。
それに似ている、さらに簡単に持ち歩くことができるのがロウソク。室温で固体になり、加熱すると燃焼する液体になるものならなんでもいい。それを棒状に加工し、中に糸を入れておいてから少し糸を外に出して火をつけると、火の周囲の油が熱で溶けてあとは上と同じだ。まだ解けていない硬い部分が器にさえなる。
動物の脂は液体になる温度が高く、寒いところではロウソクに使える。またミツバチの巣の外壁から得られる蜜蝋もいい素材だし、植物からもそんな物質は得られる。
どちらもきわめて価値が高い資材であり、後述する高価なものだ。
**家具
農耕に頼り、移動せず一生、大量の資材を用いた頑丈な巣で暮らすようになった人は、それまでの短期間で移動する生活とは違い、手で持てないほど多くの物体と共に暮らすようになった。
特に大質量なのは巣そのもの、儀式に用いられる物、調理や排泄の設備、寝る・座る・食事など生活に用いる物だ。
儀式関係は多様で一口には言えない。人間関係における上下を示すシステムの、誰よりも上であることを示すメッセージを普通は秘めており、巣の構造自体に加わっていることもある。人間や動物の形を作ることもあるし、それを禁じることもある。人間には持ち上げられないほど巨大な武器や食器などを作ることもある。
調理にはまず燃料や保存食を蓄積する倉庫と、きれいな水を貯めておく上述の樽や土器の水入れなどが必要となる。そして火を使っても巣の様々な可燃物に火が燃え広がらないよう、土や石でできた一定の広さの面を作り、また火を使うときに出る煙が不快感を与えないように煙を外に出す隙間も必要になる。
火は調理・保温・照明・加工など多様に用いられるため、できればそれらを兼ねるように工夫される。基本的に、火の熱のほとんどは煙に混じって上に逃げる。また煙そのものが、寒さを避けるため密閉している巣に充満すると呼吸が苦しくなる。
まずできるだけ火を熱に耐える素材で閉じこめ、しかも酸素不足で消えることはないように覆うとよい。多くの酸素を含む新鮮な外気を外から入れ、巣の上に小さな穴を開けて逃がせば呼吸が苦しくなることはない。
さらに近代以前では最も洗練された技術として、煙が逃げる穴自体を壁や床下全体とし、煙の熱から暖を取るものがある。
そして食事に用いられた食器などについている食物の一部、多くの生物由来分子を落として次の食事が微生物に汚染されるのを防ぐため、大量の水や水が貴重な地域では砂を用いて食器を洗い、その水を安全に排出する設備が必要になる。その洗浄は魔術的な儀式の面が強いことを忘れないように。科学的な考え、生理的な嫌悪、魔術的な理論が常にごっちゃになるのが人間だ。
大小便の排泄も、不快な匂いがあるので人間の生活の場から隔離し、できれば大量の水で遠くに流す必要がある。後述する都市ではその設備があることもある。また地域にもよるが、そうとは知らずとも窒素化合物や微量元素などを土に加えて農耕の生産量を増やすいい手段として車に積んだ桶で回収することもあるし、また犬や豚の餌にすることもある。最終的に出る単純な窒素化合物を皮革加工や後述する窒素とカリウムの化合物を作るのに用いることもある。
そのために必要になるのが水の流れを操る技術や、漏れがない桶や土器を作る技術だ。水の流れを操作するのには厚みのある円筒、管を使うことが多い。木や竹、レンガを含む土器、銅、鉛などが用いられる。
寝るには長い辺が人間の身長より少し長い程度、短い辺が人間の肩の幅より少し長いぐらいの長方形のほぼ全体を柔らかい素材にしたものが基本となる。その地域の気候によって、その形は様々に変わる。
人間は二足歩行が基本で、静止状態も二本の足で立つ。また完全に力を使わないときには地面に横になる。だがその中間として、脚のつけ根後ろ側の胴体最下端などを地面につけ、すぐまた立てるようにする体の使い方がある。人と人とが互いに敬意を払って接し、しかも休息に準じている、という状態だ。
そのためには多くの地域で、地面から膝まで程度の高さの上面が少し柔らかい台が用いられる。
それを用いて食事を取ったり文字を扱ったりする場合は、その台から少し高い面に薄い頑丈な木材・石材などで作られた面を作り、その面で作業する。その設備も多くの木材などを用い、非常に体積も質量も大きく高価で長期間の定住に合っている。
衣類を含めた様々な物も大量に持っていることができ、またそれを保存するための様々な家具も増えることになる。木材の直方体を基本とした隙間のないものと、植物を編んでから乾燥させた半球形に近いものの両方が使い分けられる。
*楽器
音を出すことは、特に人間の声では伝わりにくい距離に音が届くようになると遠距離への情報伝達に使うことができ、とても便利だ。家畜の群れを管理するのにも重要な技術の一つであり、無論人間の群れも統御できる。たとえば到底手ぶりが見えず、声も届かないような大人数どうしが戦うとき、続けて出る音を聞けば突撃、間隔を置いた音を聞けば後退、と決めただけでも、それがない相手に圧勝できるはずだ。
様々な波長、時間と強さの周期的な関係で音を駆使するのは感情に快を与え、儀式においてもとても重要だ。
人は自分の体でも、主に呼吸を通じて多くの音を出せる。また両手をたたき合わせたり、手で体を叩いたりしても音を出せる。
さらに音を出す道具も人はたくさん造っている。特に一定の波長の音を、音の大きさ……波の振幅を調整して出せればよりいい。ちょっとした調整で、色々な波長を、しかも出したい波長に固定させて大きさも調整できれば最高だ。
一定の波長の音を出させるには、物は何でも振動し、いろいろな波長の中で特定の波長だけが残ることが多いことを利用すればいい。波長がそのものの大きさと同じだったり、その整数倍だったりするとその波長だけが残ることになりやすい。
呼吸を用いたり、弓を使ったり、中空の物を叩いたりするのがある。
呼吸を用いる楽器の多くは管構造をしている。管に呼吸が起こす空気の流れをうまく当てると、管の中の空気が、管の長さによって決められた波長の波だけが残るように振動する。管に多くの穴を開け、それを指でふさぐと出す波長も変えられる。
弓は、もしかしたら武器より楽器の方が古いんじゃないかと思うぐらいだ。弓をぴんと張って、少し弦を動かして急に解放したり、別の弓の弦どうしこすり合わせたりすると、その弓に合う波長の音だけが出る。
どちらも、中が空で表面だけが固く、部分的に穴が開いているものと組み合わせて音を大きくすることができる。
円筒形の側面だけの木の、円のところに革を強く張り、それを叩くとかなり大きい音が出る。波長の調整はしにくいが、複雑な仕掛けが無くても音を大きくしやすく、時間と音の関係を楽しむのに向いている。
*文字
人類史上最大の発明の一つ。言語を絵や地図同様平面に記す単純な記号の集まりと、言葉の語や、さらに音の最小単位を対応させるシステムだ。同じ文字を読む方法を教えられた人なら誰にでも読める。
声で話す言葉はすぐ消えるが、文字はきわめて長期間残る。また大きい文字を壁などに刻めば非常に多くの人に見せることもできる。言葉とそれを発する人を切り離すことで、言葉を純粋な情報として扱うことができる。文字が書かれた物自体、情報自体を価値のある物として交換することもできる。
どのように始まったのかはわからない。絵を描くことからとも言われる。人はたとえばある種類の動物などを、ごく単純でわかりやすい特徴……長い四肢と角など……だけを強調した単純な絵にすることができる。その単純な絵を並べて物事、特に物語を表現できる。
本来なら絵の連なりだけでも十分物語を表現できるが、絵をとことん単純化すると質が変わって言語そのものを表現できるようになる。そのためには動物など目に見える物に対応するだけでなく、言葉の中の行動や文法のためだけに必要な語も文字にすることが必要になる。
文字自体の美しく複雑な図案とその繰り返しという性質は、それ自体美として人に訴える。また魔術も文字を用いることで幅が広がる。文字の歴史を見る上で美と魔術を忘れてはならない。
文字を記すには、ちょっと順序が狂うがまず木や土の板、石などの表面に固く細いもので表面の一部を刻むやり方がある。それはかなり単純な形しか刻めず、書いた物も重くかさばって携帯しにくいが、複雑な資材が不要で保存されやすい。
後には薄い革・布・木の薄い板・樹皮、そして草の繊維を集めて板状に固めたものなどの表面に、泥水・火を燃やした時に出る炭素粉を水に溶いたもの、樹皮の苦い化学物質や鉱物などをうまく使った染料などで表面に色を乗せることが多くなる。
並べるのは普通は一つの方向に、細い帯になるように文字を順に連ねていき、書くものの端まで来たら前の帯の先頭の隣からはじめ、その並ぶ帯の集まりも同じ方向に増えていくようにすればいい。文字情報を一次元の線、それから二次元の面に大量に容れられる。書くものを三次元にすればさらに増える。非常に細長い長方形にし、それを芯にそって巻く方法や、同じ形……適度な長方形……にして重ねる方法などがある。
文字そのものもたくさんあるが、言語自体ほどの多様性はない。比較的少ない場で発生したようで、文字のない群れも多くある。
今の世界で広く使われているのは地中海から広まった音の最小単位と対応した文字だ。覚える文字の数自体は少なくて済むが、実際に使われる言語の多くでは長い時間の中で文字の組み合わせと発音が厳密に一対一対応しなくなり、不規則な学ぶべきことが多くある。
ユーラシア東端の大陸で発達した、物の形を単純化した図案から発達した文字も多くの人口で使われている。一つの文字は正方形にまとめられ、その正方形を上下左右に区切って、比較的単純な形を組み合わせることで一語につき一文字の体系を作っている。組み合わせこそあるが、一語一文字だからとにかく文字の数が膨大だ。近くにある島や半島ではその影響を受けつつ発音の最小単位と対応する文字を作りだした。
他にも、現在多数の人に使われているのは地中海の西端から、後述する大宗教の一つと共に広まった文字がある。
数や音楽も文字で表現され、独自に文字が作られたり数字だけ別文明から伝わったりすることもある。
絵と文字を組み合わせるのも字がわからない人も含めた多くの人に物語を伝えるのに適しており、様々な形で使われてきた。
文字の読み書きには膨大な、人間が進化段階で必要としていなかった知能を用いる学習が必要であり、文字が発明されてからも長いことそれができるのは人類のごく一部であり、それは特殊な魔術と同一視されたほどだ。
文字は数を表す言葉を記すこともでき、文字を用いた計算は人間の脳だけでは不可能な量を計算できる。