人間の一般的条件、狩猟採集生活など
この世界で人間が生きることの、思い至りにくい多くの条件。そして人類が数百万年、この形になってからほとんどを暮らした狩猟採集生活について。
***
*人類の誕生
再開しよう。
といってもここから言うことは、今までとは違いほとんど証拠がないことばかりだ。できるだけ証拠があることを話すようにしたいが、一々その証拠は何か……何雑誌の何年何月号の何という論文の、どこにある遺跡を何年に発掘し……そんなのを思い出すのは無理だ。
上と違って検証不能な話も多いから、与太話とみなして聞き流してくれても別にかまわない。何より来年には誰かの研究で、ここで言っていたことがまるっきりの間違いだとわかる可能性だって十分ある。上の自然科学もある程度そうだが、まあ原子より上のスケールには間違いはないだろう。
さて、人類が人になったのはいつか……それは知らない。というか「人」の定義がはっきりしない以上、その問い自体がむちゃくちゃだ。
直立二足歩行、言葉、衣類、道具、火、文化、家畜、原始農耕……それら色々な要素全部が「人」という説明できない言葉に関わっている。
どれをどんな順番でどんなふうに人類が手に入れたか、など知らない。せいぜい、アメリカ大陸にいた人類が持っていない物は、人類がアメリカ大陸に渡ったとき以降に手に入れたのだろう、と推測できる程度だ。
だから、上記のものに関して「全部得る前」と「全部得た後」しか今から想像するのは無理だ。
あと気をつけて欲しいのが、今の私が昔の人類について知っているのは、今生きている人類のDNAを調べてみたり昔の土を掘っていろいろ調べたりして知っているだけだ。だからこれまでの人類の営み全部のごくわずか、そして土に埋まって残るものしか知らない……昔の人類が、たとえば固体の水と二酸化炭素だけを用いて宇宙の彼方に行けたとしても、それは使い終わったら蒸発して空気に混じってしまうから今の人類がその遺物を見つけだすことは絶対にできない。それは反証不能な仮説になってしまい、科学の範疇から出てしまう。だからそんなことはなかったという前提で考えることにしている。前も言った、ナメクジが作った泥文明も同じだ。ナメクジの死体は化石を残さず、泥の家も車も土に戻ってしまう。
それが本当に厄介なんだ、それほどでなくても残りにくくて重要なものはいろいろあっただろうからね。
*通俗的世界
上ではこの世界を支配する物理学を説明したが、これから重要なのは「人間のサイズにとっての現実」だ。
幾何学的には空間曲率ゼロ、二点間の最短距離は直線だし三角形の角を切り取って集めれば一直線になる。
明るいといろいろなものが見えるが、暗くなるとまず色が消え、そして何も見えなくなる。風が吹き、物は揺れ、軽い物は飛ばされる。ところどころで水が流れ、雨が降る。地面は固い。水に溶けるものと溶けないもの、腐るものと腐らないもの、燃えるものと燃えないもの、放っておくと空気に混じって消えるものとそうでないものなどいろいろある。
目に見える物は大抵は触れる。遠すぎるものには、空気と熱のせいで光が曲げられてできた実体のないものもあるし、目も幻覚や錯覚があるが。
見えて触れる物はまず大きさを、自分自身の大きさと比べられる。そして手で触ると表面がどんな質か、皮膚の細胞と脳が分析し、感じとして意識に伝える。力に対して変形するか、温度が体温と比べて高いか低いか、また伝わった体温でどれぐらい素早く温度が変わるかでエネルギーあたりの温度変化まである程度、感覚であり数字としてではないがわかる。
それから上向きの力をかけると、軽い物は持ち上げることができ、持ち上げられなければそれが重いとわかる。注意すべきなのは地表では地球と相互の引力が、地球の質量と大きさが圧倒的に大きいためほとんど一様な質量のみに比例する定数になる。大きさ……体積と全体の重さから、重さの割に軽いとか重いか、というのも重要な情報だ。この重さというのは物体固有の質量とは違い、地球の質量からほぼ決まる重力の強さと空気の密度と体積で出る浮力、さらに地面と接していたら、地面とその物体の相互作用でも地面から持ち上げるのに必要な力は変わってしまう。
また力を加えると変形する物もあり、しない物もある。
そして特に均質な物は、変形しても変わらない……特にバラバラにしても変わらない性質もいろいろあり、その性質も認識できる。
人間にとっては生物であるものとないものという区別も重要になる。
熱力学・流体力学など多数の原子の集まりを記述する法則が重要になり、それも人間のサイズ・温度・圧力における性質のみに着目しなければならない。
それらを、人間の感覚に合わせて見ることも理解して欲しい。量子力学的な性質の方が本来は本質的なんだが、人間はそんなこと感知しない。気体とか液体とかなんて分子サイズで見れば意味がないが、人間にはその粘性とかしかわからないんだ。
物理については流体と固体とその中間がはっきりしていて、様々な力が重要になる。
力そのものについてもはっきりとは書いていなかった。素粒子のレベルでは、電磁気力の場合光子という粒子でも波でもあるもので伝え合い、双方の運動などを変える粒子どうしの関わりだが、それが人間に関わるサイズまで原子が大量に集まると、原子が集まったもの……量子力学的な、波でもある性質は無視できるようになる……の間はニュートン力学の作用反作用に支配され、力を受けると質量に応じて運動状態が変化する……加速度になる。相対論的には絶対的な位置や速度などなく観察者と時空の曲率の数学だけ、量子論的には位置と速度を同時に決定できないのだが、我々の大きさでははっきり基準となる大地からどう移動したかがわかる。といってもそれは人間に認識できる速度の話であり、大陸が動いたりする速度は遅すぎて認識できない。
さらに力と、力が作用した距離をかけあわせる……複雑な場合積分すると、エネルギーと同値な仕事という量になる。
またあらゆるものとものとの関わりは、実際には表面に対する圧力としてまず出る。面積で力が分散され、その圧力が全体に伝わってニュートン力学で近似できるわけだ。圧力は気体や液体でも特に重要になり、それと熱の本質は分子の衝突から理論化できる。
また衝撃力もあり、それは物理的な解析が難しい。主にものを破壊することになる。
固体に力を加えれば変型し、その変型にはつながったまま形を変えてそのまま、一時形が変わるが元に戻る、そして壊れてふたつ以上のものになるなどいろいろある。その大きな運動は、その固体の重心に質量が集中していると考えれば計算しやすい。固体が重心の周りで回転したりする時は、変形しない一様な固体と見なして計算されたモデルを作ってそれを応用する。
さらに多数の物体が絡まり合って別々に動くと、一つ一つは物理的にはっきりしていても、最初の条件が少し違うだけで結果が大きく違ってしまう現象が起き、実質予測不能になる。また非常に高い圧力・速度・衝撃などがかかり人間の寿命よりずっと長い時間があったりすると気体や液体が固体のように、また固体が液体のようにふるまうこともよくあるが、人間はそれを見ることができない。
さらに気温・大気の圧力がある範囲であること、下に引っ張る力……地球という莫大な質量との重力による相互作用……がほぼ等しいある値であることなどが、意識さえできないほど当たり前とされる。
熱も原子レベルの説明より、減ることも増えることもない見えない量が物から物へ移動しているように解釈した方がわかりやすくなってしまう。それと、別に摩擦などによる仕事と熱の交換を計算すれば大体正しくなってしまう。
この「人間のサイズにとっての現実」を言葉にし、またそれをより普遍的な物理法則から説明していくのはやってみると実に難しいな。
人類はあくまで「人間のサイズの現実」を言葉にし、それを説明する物理法則を作っていき、それが深めていく歴史を歩んできた。本来私がここでやりたいこと、一番根本的な法則から現在の世界を逆に計算することとは逆なんだよ。
**素材・道具
人類の最大の特徴の一つが、道具を作り使う「技術」を持つことだ。といってもそれは人類の独占ではない。
人類の道具と同質で精緻なものが自分の体の器官として進化しており、それを使いこなす生物は昆虫や植物、単細胞生物を見ても多数ある。
さらに、自分の体から出たものでない、周囲の環境にある物体を変化させて利用する動物も少なくない。アリが穴を掘って巣を作るのも、ある種の魚が水を吐くのも、ビーバーが木を切るのも、細胞すら持たずDNAと覆いだけの存在が別の細胞に侵入して自己増殖するのも「周囲の環境にある物体を利用し」ている。
人間が言う道具に近いものも、大型の鳥や人類に近いサルはある程度使える知能がある。
人間が道具を使うというのは、まず手足など自分の体の延長……手足や歯で行える行為と質的に同じだが、人間の力では不可能なこと……として周囲にあるものを用いること、さらにそれをより使いやすくするため、力を加えるなどして変型させて用いることだ。
その道具を作る技術は情報として貯えることができる。人類は情報の伝達にも優れており、特に群れの中で子供に情報を伝えることができるから、見つけだされた道具の作り方・使い方などの情報は知識として群れに蓄積される。
それが人類の、ほかの動物との最大の違いかもしれない……どんどん新しい知識を蓄積できる。
その前に、人間の肉体の道具としての面を見ていこう。人体生理自体は見たが、人間の道具の多くはそれを拡大延長するものだ。たとえば石を先に固定した木の棒が、拳を握った腕をより長くして拳をより硬く重くしたのと同様であるように。
人間の体でも、手と口には特に様々なことができる。
手ではものを持ち上げる、つまむ……小さく表面が柔らかい二つの面を、平行なまま互いに近づけてなにかを両側から覆って圧力をかけ、それで軽いものの位置が変わらないようにしたりする、圧力をかけて押しつぶす、固い質量を高速でぶつけて衝撃を与える、下向きに曲がった曲面を作って液体を保持するなどとても多くのことができる。上述の棒を握ることで、長さが限られた棒としての腕を長く伸ばしより重く硬くすることができる。
口も、一番前にある平たい歯で、線といっていいほど狭い領域に上下から硬い歯で高い圧力を加えてものを切断……ひとつながりだったものを二つにする、円錐形の歯で一点に高い圧力をかけ、またそれを上下からかけて固い表面を破る、指よりもっと高い圧力をかけて潰すなどいろいろできる。
体全体では体重ぐらいの質量をもつ物体を地面から上に移動させ、そのまま体に固定して共に移動することができる。
人間はそれぞれを、道具を用いてより強い力でできるようになっていった。
ちなみに、技術水準の評価としては、実はこれは別々ではないが「木を切断する能力」「土砂を移動させて構造物を作る能力」「より重いものを速く遠くへ運ぶ能力」がまず先行する。その後で、後述する色々な文化の進歩がある。
更に深い本質は「利用されていない淡水を利用する面積」「利用できる燃料の量」「最大温度」「情報・物資の移動」にある。
どのような素材が必要なのか?
長く長軸以外に変型しやすいもの……繊維……糸・紐・縄・綱
薄いもの……板、布、革、金属(薄くて更に自由に変型する、さらに染色・筆記・印刷に優れていればなおよい)
柔らかいもの……藁・繊維、粘土
固いもの……土器・石材・レンガ・木材・金属
鋭いもの……石器、金属
水に溶けない液体……生物の脂肪分・生物が化石化した複雑な炭化水素分子・その他
ものを溶かし、自由変型してから自分は空気に混じって気体になって消える液体……水、各種油
べたべたくっつくもの……生物の組成の一種、各種油など
水に溶けず、自由に変型する固体……ゴム
熱に強いもの……一部金属、石、ガラス、耐火レンガなど
熱で簡単に溶けるもの……一部金属、蝋など
液体から固体になるもの……セメント、泥、土器粘土、金属、蝋、化石炭化水素など
ほかの物質を変化させるもの……水をはじめ多種多様
エネルギー……大気中で燃焼する生物由来の物質など
色などを与えるもの
滑るもの……脂肪・化石炭化水素・ある原子の組み方でできた炭素鉱物など
それらについて詳しいことはおいおい説明していく。
さらに後に、内部の電子の動きやすさから放射能防御まで多彩な性質も求められるようになっている。また将来何が必要とされるかもわからない。
物質でできた物には、熱力学第二法則に由来する法則がある……物体は変化し、壊れていく。特に人類が暮らす陸上という環境、人間の寿命という時間スケールでは多くの素材が寿命内で、一見長持ちする素材でも人間の寿命より長い時間で見ればいつかは崩壊していく。ただし地域などにもよる。
短期間で崩壊するのは生物由来の木材などだ。特に大気中の気体の水が多く温度が高い環境だったり、よく水に濡れる環境だと、微生物が繁殖してすぐに美しさと強度を失ってしまう。生物由来などの色々な物質を塗ってある程度遅くすることはできる。
金属は利用するとき元素だけ取り出すことが多く、それは酸素などと化合しやすい。ただし、鉄などはどんどん内部まで酸化して強度を失うが、アルミニウムやチタンなどは表面だけに酸素と化合した膜ができ、それが酸素などを通さないので内部は酸化しない。また銅や金も酸素との化合はしない、ただし空気中の窒素や硫黄を含む分子とは反応する。
岩石は元々、酸化などがしつくされているので化学的には安定している。ただし、形を永遠に維持することはできない……風に飛ばされた砂などさまざまなものが常にぶつかり、また温度の変化があると、特にそれが水が固体になる温度があると、液体の水が固体になるとき膨らんで強い力を出す。また様々な生物にも壊される。
日光と空気中の酸素分子や硫黄や窒素と酸素の化合物、そして水も、長い時間はかかるが事実上すべての原子のつながりを壊していく。特に海面、空気に触れる海水が最悪だ。
それに、人間自体がいろいろなものを欲しがり、そのためにあらゆるものを壊す。
**人間界における水
人間に認識できる範囲、人間にとって重要なものの働きの範囲で、特に重要な物質である水の挙動を少し見てみよう。繰り返すことも多いが。
水の性質は上でも説明したけど、人間の体温前後かつ現在の海面近くの気圧では液体であり、それよりある程度分子運動が少ない……冷たいと固体になり、また温度を上げていくとある温度で分子の運動のほうが大気の圧力より強くなり、特に水の中に不均質な何かがあるとそれを中心に気体になって泡が出、最後には大気に混じって人間の目が見る光では透明になる。逆に大気に混じった気体から液体になるとき、液体から固体になるときも不均質な何かを必要とする。
固体から液体になるとき、また液体から気体になるときそれぞれ膨大な熱を奪う。逆に固体になるときは少し膨らみ、その際にとてつもない力を出すし、気体にするときにも熱を高い圧力にできる。
塩化ナトリウムや糖が混じると固体になる温度はかなり下がる。だから海の水は固体になりにくく、陸から塩が少ない水が流れ込むところでより固体になりやすい。
固体になるより少し高い温度のほうが固体より密度が高いことはもう説明した。
高いところだと、上に乗っている空気分子、空気の圧力が少ないため、加熱して泡が出る温度がかなり下がる。
液体であれば地球の重力に引かれて下に行きたがる。液体だからきわめて小さい隙間からでも下に行く。水を重力に逆らって止めておくには隙間がとても少ない素材で、しかも三次元的に凹の構造がなければならない。
また細かな隙間が多い素材に触れると、水の表面の分子が互いに引き合う力のために隙間に入り、なかなか出ない。植物の管は非常に細く、水の分子どうしの力を利用して気圧だけでは引き上げられない高さに水を引き上げることができる。
水はとても多くの固体を溶かす……形がなくなって自分がその色に染まる。だいたい気体にならない程度に温度の高い水は冷たい水より固体を溶かすのが速いし、そこでは原子どうしがつながったり離れたりするのが活発になる。高熱で気体になった、または気体になる温度に近いほど温度の高い、普通なら気体になるけれど地球の海面より圧力が高いため液体のまま、さらに高い温度と圧力で液体と気体の区別が意味を持たなくなったりすると、あらゆる物の分子のつながりを切り離したり違うくっつけ方をしたり、普通の気温での水がやらないさまざまな働きをする。
また溶けたものによっては、空気と攪拌すると泡になることがある。
いろいろなものを溶かすし、溶けなくても水があるだけで原子のつながりが変わったり色々することがある。
ちなみに水には溶けないが油など別の液に溶けるものもあるし、またただの水では溶けないがいろいろな物が溶けている水なら溶けたりするものもある。
水と土が混じると色々面白いことがある。少量だと土の色が変わり、種があり温度がよければ植物が生えてくる。多いと土が軟らかくなり、変型しやすくなるがある程度は形を保つので、好きな形を整形するのに適する。もっと多いと、非常に粘性の高い液体に近くなり、その状態になった地面を移動するのは人間にとってとても困難だ。さらに多いと色のついた水と区別がつかなくなるが、その状態で動かさず時間を経たせれば土の多くは沈んで下方の土と薄い色水に分離する。
水はかなり密度が高い物体であり、それに物を入れると上向きの強い力が働く。また液体に共通するが、分子の大きさまでの小さい隙間があっても低いほうに落ちていく。
空気は気体の水とある程度混じることができ、どれだけ入るかは主に温度で決まる。空気中に水が少ないと、液体の水を普通に置いてあったりしただけでどんどん空気に混じって水が消えてしまう。また植物は常に地中の水を、植物がない状態よりも多く空気中に気体にして逃がす働きをする。
逆に空気中に水が多いと、液体の水はなかなか消えない。
それは温度によるから、一日の間に昼は気温が高く夜は低いため、特に地面に近い部分は気候によって夜に、あらゆる固体表面に水が空気から出てくるし、もっと寒ければそれが氷になることもある。それは人間にとってとても不快で、死に至ることも多い。
*成長・進化補足
少しばかり、人体生理や進化について補足しておいたほうがいいだろう。
人間をはじめ哺乳類は一部の昆虫とは違い、出産後大きな形の変化はない。
生後数ヶ月は通常の食物を消化できず母乳を必要とするし、約一年は自力で行動することができず移動するには生物でないもの同様に親に運搬される必要がある。保温・免疫なども弱い。脳・運動・内蔵などが未熟なんだ。
一年から三年で立って歩くこと、見て周囲の状況を判断すること、最低限の言葉など多くのことを学習する。それから人間として生きていくのに必要な多くのことを、十年から十五年ぐらい、長ければ三十年もかけて学ぶことになる。
その学習のやり方として模倣、他人の動作や情報表示を感覚で見て自分も同じことを、それも外見のみではなく相手の目的を理解してやる、というのも重大な人類の特徴かもしれない。
十年から十五年ぐらいの間に、性的に成熟して雌雄とも生殖可能になり、運動能力もある程度大人に追いついていく。ただし雌が出産するリスクが、人類というその意味では欠陥種の標準になるのは十八年ぐらいしてからだし、また体力的に大人に追いつくのは大体十七年から二十年、脳が完全に成熟するのは二十年を少し過ぎた頃だ。生後十年ごろから二十年ちょいまでは非常に攻撃性が増し、精神的にも不安定になる。配偶者を選ぶ、場合によっては群れを離れて新しい群れを形成するなどさまざまな経験があるからでもあろう。
女性の生殖可能期間は四十から五十ぐらいまで。つまりすべて双子で無事故、養育援助を無制限に得られるとしても六十人が上限、標準では十人前後だ。昔の苛酷な環境ではその大半は死んでいただろうし、上述のように人類の出産にはかなりの無理があるので母親が死ぬ率も非常に高い。
男性は、上限としては一日三人×三百六十五日×六十年というとてつもない数の交接が可能だ。それに交接から出産に至る率を掛け合わせても膨大な数になるし、実は一度の交接で放出される生殖細胞の数は億単位だから、それを高い技術で活用すると……
最大寿命は百二十年、健康で資源に恵まれた個体の標準で八十といったところか。雌のほうがやや寿命が長い。
雄と雌の生殖可能数の違いも、多くの生物にとって本質的なものだ。
多くの生物は、まあさまざまな要因で同一個体が雄になったり雌になったり、一つの個体の体に雌雄双方の生殖器官を備えているものも多いが、雌の大きい、酸素呼吸や光合成をする共生極微生物を含むさまざまな機能を備えてDNAのみが半分しかない細胞に、逆にDNAの半分以外の大半を切り捨てた雄の生殖細胞が侵入、DNAのみが合わさって新しい完全なDNAを持った卵になる。
その後多くの生物は体内で卵をかなり細胞分裂させる。その間栄養や酸素を補充してやり、または外に出した後にも生活できるように多量の栄養を与えるために、膨大な栄養を投入することになる。雌だけが、だ。
逆に雄は常に、膨大な数の、ごくわずかな栄養分しか消費しない生殖細胞の生産だけでいい。
ここで常に「栄養(をはじめ資源)」の「投資」、そして「個体の生存」「繁殖」「繁殖関係がある別個体を含めた、DNA自体の複製成功・存続」が密接に関係しつつさまざまな異なる利害を持っていることを意識してほしい。ここは人間が理解するために経済の比喩を使うのが普通だ。
繁殖関係はDNA情報の共有率でもあり、重要だ。時には個体が死んでも、多数の遺伝子共有者を生きさせれば遺伝子の存続になることがある。
まず、雌雄の親と子が結びつく。共通の雌雄から生まれる複数の子、兄弟姉妹も強い繁殖関係を持ち、世代がより近い。特に妊娠初期に受精卵が分裂した多胎児は、DNA情報を全て共有する。親の兄弟姉妹なども繁殖関係でつながる。
繁殖する雌雄は、本質的にDNA上の繁殖関係はないが、人類は繁殖相手およびその繁殖関係でつながる集団も重視する。子は食わせるが繁殖相手には交接時以外関心を持たない動物も多数いるし、多産多死タイプなら子にも関心を持たない。
まず、特に人類は極端な少産少死で、しかも妊娠による雌の行動能力減退期間・子供が自立するまでの期間が長い動物だ。ゆえに雌は、自分とは別の個体や群れが大量の食料を「投資」してくれないかぎり子供を育てることができない。理由は知らないしそうでない方法をとる動物もいるのも確かなのだが、現実の人類は知る限り、繁殖相手の雄を中心とし、加えて繁殖相手雄の繁殖関係者も含め繁殖関係でつながる群れに、自分及び子供の食糧投資を頼ることが多い。
その性質上、特に人類のように少産少死戦略をとる生物の場合には、雄はとにかく多数の雌を妊娠させるのが最も自らのDNAの存続確率を高める行動であり、反面どの子供も本当に自分の子供か確認する術を持たない。人類が体毛をほぼ喪失していることも重要だ……多くの家畜哺乳動物のように体毛が多く、色の不均等があれば繁殖関係は一目瞭然だが、人類はそうではない。また嗅覚が極度に優れた動物も臭いで繁殖関係を見分けられるかもしれないが、人類は嗅覚も鈍い。今の人類ならDNAを調べて確定できるが、そんなことができる世界で生物は進化していない。
逆に雌はもっとも子育てのための資源を確保し続けてくれる、かつできるかぎり遺伝子の質の高い雄を選ぶのが得ということになる。また雌は本質的に、出産直後にひそかに交換しない限り親子関係は確定しているので、自分の子供を確実に育てることが自分のDNAの存続には有効だ。
またある程度視覚が発達した大型脊椎動物を中心に、「性淘汰」という概念がある。
本来それが考えられたのは、進化論と合理主義からは説明するのが困難な生物が多数、人類にとって身近に存在しているからだ。明らかに移動する役に立たない巨大な羽をもつ鳥、実用性など何もない巨大な角を持つものなどいろいろと。
ではなぜそんなものがあるか? 説明としては、雌が多くの雄から交配相手を選ぶことができるときに、その選ばれやすさにそのような羽や角があると考えられる。普通ならば遺伝子の質が高い……丈夫で、体の形が種の標準に合っていて病気などの痕跡がない雄を選べばいいが、逆に「これだけ無駄なものをつけているのに、それでも今まで生きてきた、それだけ自分は強い」というアピールが有効だとしたら? それによって無駄な羽や角が発達したのではないか? というのが今は多くの人が認めている。
また、遺伝子を支配している原子が結びつく法則自体が、ある変型をしやすいとしたら、その方向に進化してしまうこともある。逆に、進化ではどうしてもできないことも多い……チタンや非常に硬い結合をした炭素を歯や表面を覆う防護に使う生物はいない。
性淘汰は後に説明する、人類の文化や脳の構造にとってきわめて重要な要素だ。
*群れ
上記のものを手に入れる前の人類は、基本的にはサルと同じような生活をしていたと考えられる。
肉体的には完全には草原に適応してはいない……しているとしたら、立体視よりも左右を広く見ることを優先して目を左右に寄せる、足を変化させてより速く走るなどしていたはずだ。むしろかなりの技術を前提とした動物として進化していると考えたほうがいい。
どこに住んでいたか……アフリカの赤道付近、やや東側であることは確かだ。それ以上のことはわからない。
繁殖関係がある別個体を中心にして集まり、群れで生活していたはずだ。同じ、人類になる直前のサルの群れと群れがどう関わっていたかはわからない。
その「群れ」というのも説明が必要かもしれない。生物、特に動物には、同じ種で集まる生き方をとるものがある。脊椎動物にも昆虫にもその他にも。
たくさん集まっていると、水や食物が少ないときには独り占めした方がいいに決まっているから食べられる量が少なくなるとも考えられる。
でも自分を食べるほかの動物に襲われたら、群れを単独より大きい生物と見てしまって襲うのをやめる捕食者も多い。多少犠牲が出ても、たとえそれが自分自身でも、自分と、繁殖関係で結んだ場合のつながりが近く共通の遺伝子が多い群れの仲間が生きのびれば遺伝子は残る。また、一対一では絶対勝てない大きい肉食動物を、集団でなら追い払える可能性がある。
この有利というのは、「生物の目的は自己の遺伝子のコピーを多く残すこと」という、DNAの性質から考えられるものの考え方だ。ただし、物事はいいだけであることも悪いだけであることもそうない。普通はいい面も悪い面もある。というかその「いい」と「悪い」という言葉自体が……詳しくは後で。
さてと、他にも群れには有利な点がある。繁殖のための同種で性が違う仲間を見つけるのが楽になる……反面同性の競争相手も近くに多くいることがあるが。また、単独ではできないことをすることができる。アリは多数が力を合わせて土を移動させ、巨大な構造物を造りあげる。
動物が群れでいる、というのはそれほど簡単ではない。皆が勝手なバラバラな方向に動きだしたら群れにならないから、どの方向に動くか情報を共有しなければならない。他にも様々な問題がどうしてもある。
群れで重要なのは情報の伝達と行動の確定、群れの成員の判別、群れの縄張り、順位と最上位者の確定などがある。ただし群れの順位、最上位者の概念は大型脊椎動物には見られるが、社会性昆虫には見られない。
生物の、単細胞から共通する「自分の情報を複製し、結果として保つ」ことに着目すると、群れにおいて個体は細胞の原子、多細胞生物の個々の細胞と同じく、入れ替えていい存在だ。だが個体の情報についていえば、自分自身および同じ受精卵からなる兄弟姉妹、そうでない親・兄弟姉妹・子、そしてそれ以降の、生殖関係でつながる者と、徐々に共通のDNA情報は減少していく。それに応じて、本質的な重要度が変化していく。
情報の伝達は群れとして生きることそれ自体の利点と深く関わる。どんな生物の脳も……脳を持たない単細胞生物でさえ、たとえば「食べものが右にある」は、感覚器から直接処理し、そちらに向かうことができる。でも、群れなら群れの人数だけの目があり、より食べものや敵を見つけやすくなる。だが、一匹がなにかを見つけても、それがどこにあるかを脳の中の情報から別の形の情報に翻訳して全員に伝え、どう行動するか決め、皆がその決定に従わなければ無意味だ。その情報伝達が多くの群れ動物では重要だ。昆虫には、動き回って太陽を基準に餌の正確な位置を示す種もある。声、匂い、その他実に多様な情報伝達手段がある。
最上位者からはじまる順位は「群れがどう行動するか」を決めることに必要だ……バラバラに行動することを避けるため、誰かの判断に全員が従うとした方がいい。たとえ間違った決断をすることがあっても、決断できないより生きのびる確率は高い。また群れのメンバーが同種だから生殖上・食料の上で競争相手になることにも関わる。誰もが多数の子供を作りたい。特に大型陸上脊椎動物の雄は、一般に一匹で短期間に多数の雌と生殖できるから、できれば雄一匹雌多数の群れが望ましい……現実にそんな動物も多数いる。でも雄も多数いる群れを作る動物もおり、その場合最上位者の支配力や慣習、順位によってそれらを配分する。食料の配分の上でも、最上位者の確定と群れの順位は非常に重要になる。
誰が上かを決めるのに、多くの動物で相手を殺したり死ぬほど傷つけたりしないで争う方法が確立されている。二匹が接するたびに殺し合っていたら群れにならない。前述の、人間の拳が壊れやすいのも殺し合いにならずに争うことができる、という意味では適切なのかもしれない。まあ後述するように道具を覚えて台なしになったが。
注意して欲しいのが、食料にしても繁殖相手にしてもどの個体も手に届く物は全部欲しい、自分の遺伝子を増やすために。だがそのために群れが滅んだら、結果的に自分の遺伝子が伝わることも不可能になる、という深刻なジレンマが本質的に存在していることだ。
誰が群れの一員であり、誰が違うのかを判別するのも重大な問題だ。多くの動物は嗅覚が発達しているが、人類は嗅覚がかなり弱いのでそれに頼れない。
縄張りというのは群れに限らず、むしろ単独で暮らす動物一般に見られる行動パターンだ。地球上のある区域に、自分と同種の生物が入ることを生殖のための異性を除き防ぐ行動を取る。その区域の食物を独占しておけば、長期的に食物を得られる確率が高まるからだ。群れる場合は群れの成員に限り個体どうしの縄張り意識を弱め、代わりに群れ全体が一つの個体であるようにひとつの大きい縄張りを守る。
あと、昔の人類はまず間違いなく肉も木の実も草も虫も、実に色々な物を食べていただろう。身の回りのあらゆる生物について詳しい知識を持っていたはずだ。そうでなければ生きられなかったはずだし、今生き残っている孤立して狩猟採集生活をしている人々もそうしている。
あとついでに、特に大型の動物は一定の空間を認識し、その空間に自分と同種の動物を入れないようにすることを好む。
また、安全な場にこもって眠る種も多い。
**リスク・判断・偶然
動物は動いて何かをすることで生存・繁殖する。
動けば、または動かなくても時間が経つにつれて結果がある。その多くは偶然、統計確率に支配されている。それが動物が存在し、因果に支配されたこの世界での最も根本的な法則と言えよう。
単純に動くか動かないか、大抵は動く方向をいくつか選ぶぐらいはできるからどちらに動くか、で多くの選択肢から選択することになる。
それが、「生存し繁殖する」という生物の本質的な目的にかなえば種が残り、かなわなければ絶滅に向かう。
詳しくは後述するが、人間がよく間違えるのは「正しい行動」があるという考えだ。正しいと間違っているの二つに極端に考えることで、思考を節約してしまう。
人間にはなまじ豊富な感覚器と高い知能があり、行動する前に未来について思考し、その中で最も利益になる未来が予測できる行動を選ぶことができるからでもある。ならこの行動を取ったときに、食糧にありつくことも自分が食われることもどちらも、ある確率であり得る、と考えればいいのに、それは苦手だ。「信じる」のが人間には基本で、この道は絶対に正しい、食糧だけがあり自分を食う敵はいない、と「信じる」ことで行動する。
だが実際には、ある行動の結果は、特に長期になると予測できない。物理的に単純なことであっても、多数積み重なると最初の条件にどんなわずかな違いがあってもそれが大きな結果の違いを生みだしてしまう。あらゆる事は統計確率に支配されている。
また、あまりにも、多くの要因が絡むために事実上予測不能になること、偶然が生物が生きていく世界には多すぎる。
いえることは唯一つ「一つのバスケットに全ての卵を入れるな」。後述する鶏卵は素晴らしい食料だが、衝撃を受けると割れて液状の中身が流れ出し、食べられなくなる。たくさんの卵を得たとき、それ全部を一つの籠に入れて運べば一度の移動で済むから運動は節約できるし楽だが、その一度でたまたま転んでしまったり何かにぶつかられたりしたら全ての卵を失う。複数に分ければ、そのどれで転んでも全滅は免れる。
人類という、極端な少産少死自体その点ではまずいし、まして後年の近代都市以降は極度に生まれた子供の死亡率が低いため、リスクが存在していること自体忘れられてしまう。特に人間は、ちゃんと統計的・論理的にものを考えるのがものすごく苦手だし。
あと、判断は常に正しい判断と間違った判断があるように思われてしまうが、実際にはあらゆる事に損得の両面がある。
*狩猟採集時代
**人類生理から
さて、人類になった。それから何百万年も、アフリカの草原と森林の中間で暮らしていたことは確かだ。人類が進化して大体形になってから今までの、圧倒的に長い期間は似たような生活をしていたはずだ。
アフリカにもいろいろな気候・植生がある。どんなところだろう? 人体から考えてみよう。
人類は汗をかくので、水を飲まずに長期間活動できない。ただし汗は強力に体を冷やすので、水と塩化ナトリウムがたくさんあれば、同じ体重の動物で比べると遅いが非常に長い距離を移動することができる。だから一番昔の人類は、水がとても豊富な地域に住んでいたと考えられる。元々熱帯雨林は水が豊富だし……そうだろうか? 人類が最も早く知った食物に、長い茎で地上に広がったり別の木にからみついて上に登ったりして、豊富に水を含む大きい実をつける瓜の類がある……それがどこにでもあれば、それほど水が豊富な地域でなくてもいつでもどこでも水を補給して長距離移動できた。また水を運ぶための品がきわめて古くから発明されており、人類の体質が大量の水を消費するものになる前だったら? まあいい、どうせわからないことだ。
そんな感じで考えられることはたくさんある。
ではまず、上で解説した「人間が必要な物」をアフリカの森と草原の中間という環境でどう手に入れていたかを順に考えよう。
短期間生きるのに必要な、適度な酸素を含む大気とかは別に人間が何もしなくてもある。地球は非常に大きく、大気はとても多い……人間の尺度で言えば。また悪い電磁波や高エネルギー素粒子はほとんどすべて大気と地球自体が発する磁場が防いでくれる。
だが、上で注文した物と同等のものはやはり必要とされる。それをどうやって入手していたか?
水、それも塩化ナトリウムが多すぎない、また変な化学物質や微生物が多すぎない水が必要だ。まず空から降ってくる雨があるが、特にアフリカの草原は雨季と乾季がはっきりしており、雨期にはたっぷり降るが乾期にはあまり降らない。
ただし川や地下水が地面に自然に湧いている泉などがあり、そこではかなりいい水がたくさん常に手に入る。さっき言った、水を豊富に含む植物の果実や傷つけるとほとんど水である体液を出す植物そのものを利用することもあっただろう。
**食料
さて食料だが、そこら中にたくさんいるあらゆる生物が潜在的には食料になる。生物でなく食べるものは残念ながら水と塩化ナトリウムぐらいしかない。窒素と酸素や炭酸とカリウムやカルシウムの化合物などが保存や味に少し使われるぐらいか。
植物はたくさんあり、位置を変えて逃げたりしないので取りやすい。ただし一部をのぞいて消化しにくく、食べられないように多くの毒を持っている。膨大な量を考えると残念だが、固い木質は人間にはまったく消化できない。
葉や木の芽、木の皮の内側、そして花や実、地下の繁殖・貯蔵に用いられる普通より太くなった根などのいくらかは、人類がなにもしなくても食べられる。歯の構造などから見て昔の人類はそれを主に食べていたと思われる。一部の実以外には糖と、ビタミンCなど人間が自力で合成できない化学物質のいくらか、多くの微量元素が含まれている。
大抵タンパク質は少ないし、タンパク質の基本構成分子の種類が偏っている。人類の体の細胞は多くの分子を作れるが、ビタミン類やタンパク質の基本的な分子のいくつかは自力で合成できず、外から食べる必要がある。その単純なタンパク質はどれか一つだけをたくさん食べても人間の細胞にはそれを相互に変換する能力がないのでダメ、全部ある程度ずつ必要だ。逆にそれを考えると、昔の人間が何を食べていたか分かりそうなものなんだが。
土や木の中の非常に細長い体が無数に絡み合って伸び、周囲から栄養を食い、ごく小さな塊で増える生物が出す比較的大きい塊もいい食料だ。多くは猛毒があるから、知識が必要とされるがね。
動物は移動して逃げたり反撃したりするので、つかまえて殺し、丈夫な皮膚などを破って食べるのがかなり大変だ。でも脂肪やタンパク質がたくさん含まれている。
さまざまな虫は手に入れやすく、多くはそのまま食べられる。だが有毒なものも多く、安全に採集するには高い知識がいる。また一つ一つが小さいから、見つけるのは簡単だけど腹いっぱいになるまで集めるのは大変で、そのために必要なエネルギーのほうが得られるエネルギーより多くなってしまうことも多い。ちなみにそれは木や草の実も同様。さらに言えば、前言ったように土にはたくさん小さい生物がいるけど、だから土を食べて生きられるかと言うとそれは人間には辛い。エネルギーの密度が低すぎるんだ。
逆に大型脊椎動物は人間が必要とするタンパク質全部と脂肪を大量に含み、きわめて効率の高い食物だ。
自分の糞を食べる動物も多くあるが、知る限り人類はそれをしない。糞を食べることは、腸内の細菌を食べるに等しいためそれを繰り返すことで頑丈な分子の多い食物も吸収できるんだが。あと腐肉もあまり食べない。といってもそれは現在の人類の話で、とことん昔はどうだったか知らない。生肉を食うなら、腐敗というほどじゃないが十日かそこら室温で置いて、細胞自体の物質によって組織が分解され柔らかくなるのを待ったほうが消化しやすいし。
味覚について補足しておくか、人間は生きて活動するために必要なものを食べると、舌表面にある器官がそれにどんな分子が含まれているかに応じて脳に情報を送り、脳がその情報を受け取ると快や不快を感じる。そして快であればそれを再び得たいと脳が強く思うし、動物としてはそれを得るための行動を反復したがる。単純な糖・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどに対して特にそれを強く感じる。逆にこれは毒だと脳の奥が分析したら吐き、不快になって二度と食べないようにする。
ついでにそれで後述の乗り物酔いなんてのが起きる……目と耳の奥の加速度探知機の情報が矛盾したら、毒を食べたと脳の奥が判断するわけだ。
人類が道具を覚える前、より単純なサルであったころ食べていたものを現在の人類の体から推測してみよう。次に述べる調理なしで、生きているまま食べられるものだ。
まず上述の、植物の実で、特に水分や脂肪が多いもの。その他植物の葉・芽・根など。きのこ類の一部。さまざまな虫や陸上生活をする貝類。特にハチが巣に貯める蜜。小さい魚。動物の脳・骨内部の脂肪組織・内臓など。それぐらいだな。
ビタミンCやタンパク質の単純ないくつかを自力で合成できない、草や木の固い繊維をろくに栄養にできないことを考えると、植物と多分虫など小さな動物も食べていたと思われる。大量の水を常に必要とすることから水場に近いところに暮らしていたとも考えられ、なら水場にいる魚や貝も食べていただろう。
人類が大型動物の肉を豊富に食べられるようになったのは進化から見て最近のことで、それ以前の多くの植物も食べていたサルの特徴も引き継いでいる。
できれば動植物両方を食べるほうがいいが、動物質のものと、植物の中でも脂肪や糖の多い種や果実を好む。ただし動物の筋肉部のみなどタンパク質が多すぎる食事でも長期的には生存できない。
また後で詳しく言うが、人間は「動物を殺さずに得られるもの」を食べる方法も手に入れた。動物の死体の多くは骨など食べられないものなので、殺さずに得られる食べ物のほうが動物が食べる食物の量から言っても、いつでも食べられるという点から言っても都合がいい。哺乳類の乳、鳥類の卵、動物の血液、ミツバチの蜜などがそれに当たる。
**調理、石器
さてと、人間はただ生物を食べるだけじゃない。その食物を調理……なんらかの方法で大きさや原子のつながり方を変え、死なせてから長時間微生物に食われないよう保存する。
というか、ここに動物の死体が食べてくれと放り出されている。それをどうやって食べればいい?
典型的な哺乳類とすると、上で述べた人類と大体同じ、ただ二足ではなく四足で、全身を長い毛が覆っている、と考えれば間違っていないだろう。
口に丸々入るほど小さい動物、特に昆虫や陸上生活をする貝類などなら、そのまま口に入れ、歯で噛み砕いて……あごの力を利用して圧力をかけ、殻などを砕いて飲みこめる。人間の味覚には合わないことが多いが、少なくともそれで栄養を得ることはできる。だが今の、私と同じ生活水準にいる人に、口に入るほど小さい哺乳類の死体をそのまま噛み砕いて飲みこめといったら……餓死するほうを選ぶ人も多いだろう。
肉食動物が他の動物の死体を食べるには、大型哺乳類の場合は皮膚を切断できる非常に鋭い歯がある。後に説明する鋏に似て、複数の方向から狭い部分に固い歯で高い圧力をかけることで小さくても破れ目をつけ、そこに力を集中すると破れたところから破壊が広がっていく。どちらも我々の次元・物性でしばしば見られる破壊方法だ。それで比較的柔らかい腹の皮膚を切断し、まず一番柔らかい内臓から食べ、栄養豊富な血液を飲む。より頑丈なあごの持ち主は筋肉や脂肪組織や皮膚、そして骨の中の脂肪がたくさんある髄を食べる。中には死んだ肉が自分自身に含まれている化学物質によって分解され、柔らかくなるまで待って食べたり、さらには微生物に食われて変質したものを食べるものもいる。
道具を得る前の人間には、大型動物の皮膚を自分の歯と爪だけで裂くことはできなかったから別の肉食動物が倒し、食べかけている肉を横取りしていたとも考えられている。実際に自然界には、主に別の肉食獣が食べ残した腐りかけた獲物を横取りする肉食動物は多い。といってもそれにしては人類の消化能力はやや低く、ひどく腐った肉を食べるとすぐ体を壊すんだが……まあわからない。いや、多分「道具を持たない人間」なんて生きられない、人間が今の形になったときにはもう道具を使っていたんじゃないか。
動物全体で見ればその「食べ方」だけでも実に多様だ。特に小さい昆虫やそれ以下のサイズ、海の無脊椎動物は本当に多様だよ。たとえば生物の体を溶かす液を口から獲物の体内に入れ、溶けたのをまとめて吸う動物も多いし、中には胃を口から出して獲物を包むという食べ方をするのもいる。
まあそれはともかく、大型哺乳類である人類にそんな能力はないし、歯や爪も弱いが、大型動物も運がよければ食べていたと考えられる。土の深いところに埋まっていた昔の人類が暮らしていたところに、大型動物の骨が見つかっている。どうやってかというと、その近くで見つかる割れた石を用いていたと考えられている。
割れた石……石器だ。地上にはたくさん固い塊が、人間の目では見えないほど小さいのから身長の何倍もある巨大なものまである。それは強い力を与えると割れ……一つの塊が、ある面によって二つになる、二つ以上のこともあるが……その割れた面の角が鋭角をなしていることがある。
ちなみに固い物体に二つの交わる面があるとき、その境界線により柔らかいものを当てて力を加えると、柔らかいものが耐えられる限界より大きい圧力を与えられるなどして、柔らかいものが二つに分かれることがある。生物に石より硬い部分はめったにない。硬いとか柔らかいとかいう言葉は……説明するのは簡単じゃないな、切れるということも。
自然にある割れた石を使える動物ならいる。でも、人間は意図的に石を割ったりして、必要な形を作り出すことができる。
それで大型動物の肉や脂肪を口に入る大きさに切り取ることができた。
ちなみに血液もとても重要な食料資源になりえる。中の糞を除いた腸の管に、血と脂肪を入れて固め、加熱した保存食が昔から好まれている。後に血液の代わりに細かく切った肉になったのもあるが。
ついでに、進化段階の人類にとって、石器や木の棒、火など道具を使えたことは、多くの動物が捕まえることはできても食べることが難しい、体を頑丈な骨の板で覆った動物を食べることができた、という意味も大きかったと思ってる。そいつは多くの動物にとって、食べたくても骨の板をこじ開けて肉に達するのが難しい。だが動きが遅いから捕まえるのは簡単だ。そして道具を使いこなせれば、その骨の板をこじ開けて肉を食べることができる。
ここで思い出して欲しいのだが、上で私は肉を加熱するよう頼んだ。それは私が文明人で、加熱していない肉を食べることに慣れていないからかもしれないが、人類の消化能力はやや弱く、肉は加熱したほうが食べやすい。また肉についていて、瞬時に増加する微生物や寄生生物も加熱することで殺せる。より安全になるわけだ。
食べやすい、というのは結構大きい。物を食べると、体内で固い組織を壊し、細胞を壊して利用できる細かい分子にしていくのにはものすごいエネルギーを必要とする。場合によっては食物から得られるエネルギーより食物を体内で壊すエネルギーのほうが大きくなりかねないぐらいなんだ。加熱したり、細かく潰したりするとそのエネルギーを節約できる。
多くの植物のデンプンは、水を加えて加熱すると構造が変わり、人間にとっては味もよく消化もしやすくなることも重要だろう。
昔の人間は加熱するには火を用いるしかなかった。
**火、土器
火というのは地球陸上の気圧、大気の構成、重力、人間の大きさなどがからんで起きるとんでもない現象だ。
特に死んで水分が大気に溶けて失われた生物体、中でも植物が火になるのに適している。大きさも重要だ、あまりに小さいとあっという間に消えて制御できず、巨大すぎると表面積と体積の比が悪くて火がつきにくい。人間という生物の大きさはその意味でも絶妙だったな、十倍や十分の一どころか半分や二倍だったとしてもあらゆることが変わっていただろう。
前に言った石炭や石油など生物由来の炭素と水素の化合物など、本来は大半の金属や水素も火になる。ただし地球の、人類の手に届くところには、酸素などとくっついていない金属や水素はほとんど見られないが。
火が燃える、燃焼というのは要するに急速な、発熱する酸化だ。いろいろな原子どうしがくっついたり離れたりするのには常に熱や電気など様々なエネルギーの出入りがある。
酸素分子が二割ある大気に触れた状態で、そのような性質を持つ物質を、ある温度……水の沸点よりずっと高い温度……まで加熱すると、主に炭素や水素の原子がその分子から離れて酸素と結びつく。温度によって原子が結びついたりすることのしやすさが変わったりするんだ。その炭素や水素と酸素が結びつくときに大量の熱が出て、その熱が周囲を加熱する。それで温度が上がった周囲の部分で、同じような激しい酸化が始まる。ということで、酸素か酸化しやすいものがなくなるまで、その連鎖的な酸化が続くわけだ。その熱はついでに燃えるもの自体を液体・気体にし、その高熱の気体は光も放つことが多い。
ちなみに熱を帯びた気体は普通の大気の中なので密度差と重力のために上昇し、周囲から比較的低温の空気が入るから酸素の供給が続く……実は地球に重力があり、大気が温度によって密度が変わり、密度が違う気体が接していると高い密度の気体が上昇する、という条件があるからこそ燃焼なんてことが起きるんだがね。無重力じゃ燃焼は持続しないよ。
そして、特に植物の乾燥した死体が燃えると、そのときには加熱されて酸化されたり原子のつながりが変わったりして気体や細かな粒子になった物質が混じる、色のついた気体が見えて煙と呼ばれ、燃えたあとには白い、とても細かい粒子でできたそれ以上燃えない砂のようなものが残されて灰と呼ばれる。ナトリウムやカリウムなどの金属成分の単純な化合物だ。煙がなにかに当たって冷えると、煤と呼ばれる炭素の微粒子や、生物を作る分子がつながりかたを変えられた炭化水素などいろいろな分子がくっつくことがある。
灰自体も、現実にも魔術としてもきわめて多様な用途を持つ、人間にとって重要な素材だ。ちなみに動植物問わず、脂肪が燃えるとほとんど灰が残らない。
また空気がうまく供給されないで木を燃やし……本質的には、酸素供給がないまま高温をしばらく保つと、高温によって生物体を作っている分子が分解されて炭素と灰だけが黒い塊として残り、水やより複雑な分子など他のいろいろな物質は煙となって大気に混じるか周囲を汚すことがある。それでできる炭素の黒い塊は炭と呼ばれ、高級な燃料として使われる。材木に比べ微生物にきわめて強いため保存しやすく、容易に高温で燃やすことができ単位質量当たりの燃焼熱が大きく運搬効率が高く、金属の還元にも必須だし、灰が少しついているため純炭素に比べて低温から燃焼を初め、煙はもう出てしまっているので燃やしても不快感がない。灰を入れた容器で低温で長時間燃やして火そのものを携帯することも、空気を外から供給して石が溶けるほどの高温で燃やすことも、酸化金属と混ぜて加熱し高温で酸素と炭素一つづつの分子を出させて金属から酸素原子を奪うことも自在なんだ。
ちなみに、人間から見ると、あらゆる固体・液体を「燃える」「焦げる」「溶け、蒸発する」の三つに分けることができる。「燃える」ものは水が少なく、炭素と水素の化合物で生物由来が多い……本当は金属単体も燃えるが、自然界にはそれはほとんどない。「焦げる」のは炭素と水素の化合物の複雑なものが結合を熱で切り離されて多くが組み合わせを変えながら気体となり、黒く炭素が露出することだ。炎を当てれば燃えるが炎を使わず加熱すれば焦げる物質も多いし、炎でさえも焦げるだけで燃えない物質も多くある。「溶け、蒸発する」のは加熱により上記の、固体→液体→気体の普通の変遷をしてしまう物質だ。単純な化合物が多く、生物由来のものはまずそうはならない。うまく加熱すれば固体から直接気体になるのもある。
さてと、昔の人類の周囲では主に植物が枯れて乾燥したものが燃料となる。だが、最初に高温がなければならない……それはどうやって得ていただろう?
自然界に火が全くないわけじゃない。火山の溶岩が木に触れたり、また大気の風が電荷を動かして悪天候の時に超高熱が発生することがあり雷と呼ぶんだが、それで植物に火がつくこともある。水がうまく曲面になると、それが日光を曲げて、集中すると温度を上げることもあり、時にはそれが火になる温度にもなる。さらに二つの物質が触れ合ったまま動かすと動かされることに抵抗する摩擦という働きがあり、そのときに熱が出るんだが、風で木の枝が動いたりするときにその熱が出ることもある。火に順応した植物もいるよ、種が火に耐えるだけでなく、火にあわなければ成長を始めないものもある。
逆に、動物はその火を恐れる程度に火に進化として適応している。だからこそ人類は火を燃やし続けることで、人類を食べようとする別の動物を……人類以外は……遠ざけることができる。
多分とことん昔の人類は、その天然の火に枯れた植物を加え続けることで、火を持続させることができることを知ったのだろう。だが一度火が消えたら、もう火を手に入れることはできなかったはずだ。火は上記からわかるように、燃えるものがなくなる・酸素を多く含む空気が供給されなくなる・全体の温度が下がる、のどれかで消える。特に水で濡れると温度は簡単に下がる。逆に多量の空気を吹きこむ・火を高く重ねて下の火が出す熱い光と、熱によって密度が下がり上昇する空気の流れを利用するなどでより高い温度を得ることができる。
ある程度以上多くの情報を伝える人類の群れは、火を自分の手で作り出すことができた。その方法としては木を摩擦する、鉄にある種の石を叩きつける、日光を曲げて集中するなどがある。ただしそれはとても大変な作業……特に光を操作するには高い技術が必要……だから、できるだけ火を保つことを選んでいたはずだ。燃えにくく水を通さない素材でうまく火を包めば、かなり長いこと火を保ったまま持って歩くことさえできる。
あと火は非常に危険なものだ。高熱だから人間の体でも触ると細胞が破壊されて傷を負う。火で加熱された水や金属や空気なども危険だし、熱で気体が膨張したり水が気化したりすると高い圧力となり、それが強い力で閉じこめている固体を破壊し高温の物が飛び散ることもある。煙も呼吸器官を刺激し不快だし多ければ死ぬ。密閉空間で火を燃やすと出る酸素と炭素一つづつの分子も生物にとって猛毒になる。
火を制御する技術も重要だ。火は本質的に、燃料と空気があればどんどん周囲の燃料も点火し、増えていく。ある意味生物のようなものであり、生物が高い秩序のエネルギーを消費しつつ情報を無限にコピーするのにも似ている。それで周囲のすべての植物を灰にし、人間も含め動物は殺してしまう。逆に、小さい火を点火してからもすぐ消える。火が消えていると、全てを焼き尽くして制御不能と、その中間の状態を保つ、制御する。それが人間の最高の知恵だ。
たとえば水をかければ水の膨大な比熱および蒸発のときに奪う熱で一気に燃えているものが冷え、火が消える。砂をかけても空気が遮断され、酸化が進まなくなって消える。上記の、燃料・熱・酸素の三要素のどれかを断てば火は消える。
あと火をただ燃やすだけでなく、火が出す熱……ほとんどは煙とともに、熱い空気として上に上昇する……を無駄なく使う工夫も色々あるが詳しくは後述。
その火は調理・保温・物の加工・後述する光など実にさまざまな役割を果たす。
さて、その火で食物を加熱するとどうなるか? 生物のさまざまな物質が熱によって変化するので弱い力で噛みちぎれるようになり、体内に取り込む消化器官も楽になる。それに従い味もよくなり、同じ量食べてもより多くの栄養を身体に取りこむことができる。また多くの食物の中にいる寄生生物……微生物からかなり大型のものまでおり、寄生先が食われることも繁殖システムの一部になっているものもある……も死ぬので生存の確率が高まる。加熱しないと食べると有害なものを含むが、加熱するとその有害な物質が壊れて食べられるようになる生物もある。
その加熱のためにどうするか、自分の体を加熱してはならないことに注意。ただ火に近づけるのが一番単純だ。また広い葉などでくるみ、灰に埋めてその上で火を燃やし続けるのも安全でいい方法だ。土を盛り上げて中をくりぬき、その中で火を燃やして土の塊を加熱し、そこに食材を入れて穴をふさげば、土の塊に残る熱が食材を美味しく調理してくれる。平たい石の上に食物を置き、石の下で火を燃やせば食物が灰に触れずに加熱できる。
沸騰している水に食材を入れて加熱し、その水ごと飲むという調理法も人は好む。そうすると他の方法では失われる栄養分もたっぷり食べられる。特に塩と脂肪が失われない。水のかわりに油を使って加熱して食べても美味だ……油そのものを飲むのは人間の習慣にはないが。
そのためには、水は液体だからそれが重力で出て行かないよう、水を通さない、燃えにくい素材が必要とされる。それも器の形……重力があるから上は覆う必要はないが、上以外は連続的にふさがった形でなければならない。名前などどうでもいいが、そういうのを鍋とかいろいろな名で呼ぶ。
木や動物の表面……皮も、ある程度それができる。柔軟だから加工でき、水をほとんど通さず、薄ければ自分が燃える温度になるより水で冷やされるほうが早いから燃えない。貴重な皮を使えなくする覚悟があればだけど。
また地面に穴を掘り、水をためて、そこに加熱した石を入れる手もある。木の中をくりぬいたり、中空になった木や表面だけ硬く木質で中空になる実を使ってもいい。
でも皮はほかにも用途が多くあり、地面の穴だとせっかく脂肪などが溶け出た水を飲むのが大変だ。
石で作れたら最高だが、石は人間の力ではそう簡単には加工できないし、割れやすいのでうまくいかない。
いつごろ作られたのかは知らないが、その解になるのが土器だ。金属はいつごろだろうか? わからないので後述とする。本当は土器より金属の方が早いかも知れないが、わかっていないでやってる。
ある種の非常に細かい鉱物が多い土は、水を加えれば簡単に自在な形に加工できる。それを乾燥させると固くなる。乾燥させただけだと水を入れたらすぐ柔らかくなるが、火の温度で加熱すると固くなり、水を入れても柔らかくならないし火を浴びせても燃えない。
形は上だけ開いた円筒や半球の一定の厚みの表面部などが適している。球が一番単位体積当たりの表面積が小さいから、素材をそれだけ節約できるがひっくり返りやすいので何かで支える必要がある。
そして、土器は食べるときに、直接地上に置かれた食物ではなく器の上の食物を食べるという、人間特有の行動も生みだした。おそらく液状の食物を保持するために下に水が出ない形のものが必要とされ、それを他の食物にも用いるようになったのだろう。加熱された食物は手に持っていられないこともあるだろう。
その食べ物入れの清潔を保つために、またできれば多量の水、なければ砂や草や木の葉が必要される。それに使った水には食物の食べられなかった部分などが混じり、すぐに有害な微生物が増えるから飲んだりするのには適さなくなる。
火を用いない調理も結構ある。たとえば、表面が非常に強い木質にくるまれており、口では割れないような木の実も結構あるし、また色々な毒が強くてそのままでは食べたら体も壊すし味覚上不快、という植物も結構ある。
それを、たとえば木質の硬い殻がある実は、地面の大きい石の上において、別の手で持てる大きさの石を持ち上げて実の上に落とせば、殻が砕けて中身が出て食べられるようになる。上の歯と下の歯で潰すのを、それぞれ石で代替するわけだ。それもある意味調理だね。石を用いて固い実を割ることは人類以外でも、一部のサルや鳥もやる。
石器で小さく切断することもある意味調理だ。
有毒な植物を食べるのに、上記の石を使う方法で細かく砕いて大量の水で洗う、熱い灰に入れて加熱して熱と灰の化学的性質を利用する、灰と水に混ぜる、後述の発酵などで毒や嫌な味をなくすことができる。それも調理といえるだろう。
粉にして水で長期間洗ったり塩水に漬けるだけで、そのままでは有毒だったり味が悪かったりするものが食べられるようになることも多い。
また色々な味を持つ食物を混ぜることで味をよくすることもできる。今はそれがむしろ調理の主な部分だな。
**食物保存
人類は食物を貯蔵することもやる。これは人類だけでなく、アリや蜂のような昆虫も、一部の鳥も、リスのような小型哺乳類もやる。食べられる植物は一度に大量に実をつけることが多く、食べきれないのだが、それをどこかに集めて他の生物に食べられないようにしておけば量を時間に変えることができる……一度に食べる十倍の量の食物が手に入ったときに、一度に食べることはできなくても保存さえできれば十回食べることができる。翌日食物が見つからなくても食べることができ、生存率がとんでもなく上がる。
人間は食物をただ貯蔵するだけでなく、微生物に食われないように貯蔵することも得意だ。
その方法としては土に埋める・乾燥・燻製・塩化ナトリウムや糖・酸・発酵・乾燥したところに置くなどいろいろある。
ただ穴を掘って上から土をかければ、多くの動物が食べることができなくなる。水分があるほうが保存できる、たとえば栄養をためた植物の地下部分などはこのやり方で保存するのに適している。
ここで重要になるのがデンプンの性質。水に溶けないがある程度水を含んで性質を変え、また水がある状態で加熱しないと人類にとっては消化吸収しにくい。完全に水分を抜けば固くなってかなり保存できる。理想的なのは一度水を用いて加熱してから乾燥させたもので、保存できる上に調理しなくても食べられる。
乾燥は空気に触れる部分を多くし、火に近づけるか日光を当てるかして温度を上げれば、水が気体になって大気に混ざって出て行きやすくなる。上記の石器を使って薄く切れば空気に触れる部分が多くなる。水分の多い木の実、肉などはこの手でかなり保存できる。
燻製は乾燥に似ているが、日光と空気ではなく火を用いるものだ。燃えないように火からやや距離を置き、主に煙が当たるようにする。そうすると熱で乾燥し、同時に煙に混じっている複雑な物質がついて表面を固めてくれる。味が変わるし、乾燥よりも長期間保存できる。
塩化ナトリウム、塩があればそれを大量につけることで、特に肉などは保存できる。水に塩が溶けることは話したが、塩が多く溶けた水と塩が少ない水が、水を通さないが塩は通す膜を通して接すると、要するに温度とかと同様に同じ塩濃度になりたがって塩が多いほうに水が移動する。そこで圧力差が出てくるんだ。生物の細胞の表面も「水を通さないが塩は通す膜」だから、その圧力で微生物の表面が破れて死んでしまう。だから、一部の塩に耐えられる種類を除いた微生物は塩が多すぎる肉などを食べられないんだ。
同じことが、非常に単純な糖……食べると甘い単純な炭化水素の栄養にも言える。自然界ではミツバチが花から集めて貯蔵しているもの、水分の多い木の実などに多く含まれている。人間は元々その味を好むので、とても重要な資源だ。
多くの微生物は酸も苦手だから、酸に入れてもいい。もともと酸を多く含んでいる水気の多い木の実もあるし、次にいう発酵の結果酸を出す生物もある。発酵で酸が出ることもあって人間の味覚は酸は害があると判断して嫌うが、文化的に好むようになっていることも多い。
発酵というのは、その「微生物に食われる」ことを逆に使ってしまう技術だ。微生物どうしも激しい生存競争があるから、中には食べたものをうまく分解して、他の微生物にとって害になる物質を出すものがいる。そういう微生物で、その害になる物質が人間にとってそれほど害にならない、食べても人間の内臓を害さない、または加熱して無毒化できる微生物があれば、他の微生物にはやられないから保存になるわけだ。それだけではなく、微生物は固い細胞壁や繊維に守られた生物体を崩してより消化しやすい微生物細胞にしてしまうため、普通なら人間には消化できないものも食べやすくなる。
炭化水素について乱暴にいえば(デンプン→)甘い糖→エタノール→酸(酢)の順に発酵が進む。どれも人間にとってとても重要だ。
エタノールという微生物が作る炭化水素分子は人間にとっては本来毒だが、その毒性がちょっと厄介な働きをする。人間の脳の活動を低くさせ、感覚で得た情報を処理するシステムを狂わせるんだが、人はそれを求めてしまうんだよ。人間は本来毒であるものを病気などを治す薬や、単純に快楽を得るために摂取することがとても多い。ちなみに食料をエタノールにすると、それで保存できることもあるが生存するためのエネルギーとしては減る。甘いものは発酵してエタノールになる……水で薄めた蜂蜜、水分の多い木の実、樹液にはほぼすぐにエタノールになるものが多い。またある種の草の種が芽を出すときに、デンプンなど単純な糖がいくつもくっついて水に溶けにくくなった甘くない糖を分解し、甘く消化しやすい糖にすることもできるので、それもすぐエタノールに発酵される。エタノール液だけでなく、微生物自体も味は悪いが栄養豊富だ。
エタノールやそれが発酵した酸もそれ自体大抵の微生物を殺すから、それに入れてしまうのも保存になる。
他にも哺乳類の乳も色々な形で発酵する。
特に乾燥した食物は、そのまま乾燥させておかなければならない。上が開いていると雨が降って濡れるし、土に触れさせると土から水が伝わる。また土に触れていると小型の動物、土の中で暮らす微小動物などに食われる。
後に人類が、より寒く水が固体になることがある地域で暮らすようになると、その低温と水が固体になること自体を調理として用いるようにもなった。低温では微生物の活動が衰えるし、水を含む物体が低温になると固まるとき水が物体から出ていくことがあり、それで水と物体を離すことができる。後述するジャガイモや豆製品・海藻製品を保存するのにそれが用いられたり、また長期間きわめて寒い地域では肉や魚を氷にして保存することもできた。
脂肪も加熱で細胞を壊して一度液状にして、純粋に貯蔵すると微生物に食われにくく、しかも重量あたりのエネルギーが大きいよい保存食になる。ただし残念ながら脂肪だけでは人間は生活できない。人類に限らず動物の体は、脂肪から窒素原子を必要とするタンパク質はもちろん脳や血液が必要とするブドウ糖を作ることもできないんだ。
**糞尿処理
食べて飲んだら糞尿を出す、それはどうしていただろう? さらに食器や後述の衣類を洗うのに、さらに多くの汚れた水が出る。
当時人類がどう生活していたかにもよる。同じ場所で暮らしていたのか、それとも毎日別の場所に移動していたのか。肝心なそれがわからない。
毎日別の場所に移動していたなら、糞尿を処理する必要はない。そのまま地面に出してすぐ移動すればいい。
でも同じ場所で長期間暮らしていると、どこを歩いても糞尿を踏む羽目になり匂って不快だし、伝染病が再び仲間の人間に感染して死ぬリスクが高まる。
そうなるとどうしても糞尿や食べ残しを処理しなければならない。
水があれば、そこに流してしまえばいい。糞尿で汚染された水を飲むのは味覚・嗅覚が警戒信号を発して不快だし、水を通じて広がる伝染病もあるが、水の量が圧倒的に多ければ問題はない。
土に埋めてしまうのも、匂いも封じられるし時間さえあれば土の中の小さい生物が全部食べて再利用してくれるから問題ない。
人の糞尿を好む動物がいるところに集めておくというのも手だな。そうすれば獲物をおびき寄せる餌にもなる。
火で加熱して土に混ぜても安全だが、はっきり言って燃料がもったいない。乾燥させてもほぼ安全になる。
**生物資源の加工
動物の死体は、食べる肉以外も捨てる所が事実上ない。人間の技術はそれを様々な方法で加工し、道具などにする。典型的な動物の死体がどうなっているかは、上の人間の体についての解説がほとんどそのままあてはまる。こういう考え方は人間には不快だが、人間も大型哺乳類の一種だからな。
それをふまえて見てみようか。
多少高度な技術についても説明するが、そのいくつかの技術はもっと後、定住や農耕牧畜の後かもしれない。でもわからないからここでまとめてやってしまおう。
まず表面から。皮膚は非常に強靱な、タンパク質などでできた繊維でできた、生物の表面全体を覆う曲面だ。強靱すぎるため、殺して間もないうちなら下の肉や脂肪から簡単にはがして皮膚だけにすることができる。哺乳類の多くはその表面に密に毛が生えているし、頭に角という毛や骨が固まって鋭く尖った部分がある。人間にもそれがあれば便利だったんだが。
皮膚を食べるのは大変だが、食べるのはもったいない。特に昔の人にとっては本当に貴重な素材だったんだ。
皮膚はそのままではすぐ腐り、また乾燥させると固くもろくなる。だが、それに植物などが含むある物質を混ぜると、皮膚の中のタンパク質でできた繊維が変化し、それがきわめて複雑に絡みあってそのきわめて強い摩擦で保持される素材になる。それは何年も使い続けることができる。平たく広く、引きのばす方向以外はほぼ自由に形を変え、水をあまり通さず、それでいて水蒸気は出入りでき……と非常に便利な性質を持っている。水を加えながら加熱するなどすれば厚い皮を非常に固い革にすることができ、それはかなり柔軟で加工できる板のようにすることもできる。また円形の革を、周囲からできるだけ幅を一定にして切っていくことで強靱な……何と言えばいいか、日本語では細いのから糸・紐・縄・綱といろいろ言うが、それとして使うこともできる。それは柔らかいままにすることもできるし、巻いてから硬く締まるようにもできる。
皮膚を加工して革にするには、獲物の死体からはがし、脂肪や肉を取り除いた皮膚を、一つには前も言った植物が作る毒の一つ、苦みの非常に強く水に溶ける成分を水を利用してつける方法がある。特に木の表面、樹皮部分に濃く含まれる。あと獲物の脳と火から出る煙を利用する方法もある。
毛がついたまま加工する方法もあり、それは後述する保温具として最高だ。それがなければ人類が地球中に広がることは不可能だっただろうな。装身具としても価値がある。衣類として用いるには変型する程度の柔らかさが必要で、そのためには歯で噛んだりした。
死体から皮膚をはがすのにも、皮膚から脂肪や肉を取り除くにもさまざまな形の固いものが必要で、だからこそ石や骨、後には金属を加工する必要があった。
皮膚の下や内臓にある脂肪をためた細胞の集まりは食料としても価値があるが、それを前に言ったように水を通して加熱し、水と脂肪が溶けあわないことを利用して液化した脂肪だけを集めることができる。それは保存食としても質量あたりの秩序あるエネルギーとしての価値が大きいし、薬や照明など実に多様な用途がある。
筋肉部分は主に食料だが、筋肉を骨につけている非常に強靱な線維はとても有用だ。水を含ませると伸びて加工でき、乾燥すると強く縮んで固くなる性質があるため、棒と石や棒どうしを固定するのに便利だ。
骨の中の、脳などの脂肪に富む組織は動物にとって最高のごちそうの一つだ。人間はそれほど強靱な顎を持たないかわりに、石を高い所から叩きつけることで骨を砕くことができた。また皮の加工にも使える。
そして骨の外側の固い部分は人類が最初に手にした、石や木同様にとても扱いやすい「固い素材」の一つだ。削ったりうまく折ったりすると線維の関係で非常に鋭くなることもあるし、石や木に比べて特定の方向に弱かったりしないから工夫次第で様々な形を削り出せる。その点は多くの動物にある角も同じだな。角は骨より更に固い。
走る動物の蹄と呼ばれる平たくなった爪やその周囲の組織、また不要な皮を水で長時間加熱すると、繊維になるタンパク質が大量に出て固まり、それをうまく使うと色々なものを接着する……二つの板に接着剤をはさむとまるで一枚の厚い板のように固定される……ことができる。
歯は硬すぎて加工しにくいが、だからこそ装身具としての価値があった。
内臓の多くは保存しにくいが栄養価が高い食料になる。また腸は中身を捨てて乾燥させれば紐としても使える。胃や膀胱は袋になっており、水を運ぶのに便利だ。
そして毛だけを皮膚から切り離して集めると、繊維として紐の類にすることができる。これは後述する殺さずに得られる資材でもある。
血液も保存はしにくいが消化しやすい良質な食糧だ。
昔の人間なら誰でも、動物の死体があれば何も無駄にせずに利用しつくせたんだ、私のような都市生活者・近代人という欠陥人間以外は。
ちなみに、水がいつもあるところにいる貝類は固い殻をつける。それも固い素材として利用できる。
植物にも器官や性質によって色々利用法がある。
木の表面、皮は上述の皮革加工に使うし水で加熱すると薬になるものも多い。薬というのは、要するに生物が体内に作っている様々な物質を、普通は毒だが業とそれを少し食べるなどして、それで病気や傷を治してしまうんだ。詳しくは後述。
また木の皮を使って水を加熱することも説明したし、動物の皮を加工した革ほどではないが用途の広い素材になった。
木の皮に傷を付けると中の液が出てくるんだが、それも色々な用途がある。薬になるのもあり、食料になるのもあり、火になるのもあり、油のように使える物もあり、さらに糖を含みエタノールになるのもある。木に塗る水を通さない膜になるものも、もっと違う形で使えるものもある。
木の内部、固い木になった部分は火にするのに使うし、固く長い素材として下で言う棒やその他様々な用途がある。
草の葉や茎の長い部分、木の根などから、長い繊維を取って紐のたぐいを作ることができる。
花は、人間はその匂いや色を見ると心地よいと感じるので後で詳しく言う装飾などに使う。実際にその匂いが昆虫や微生物を排除するものもある。
実……はいろいろあるな。固い、繊維が多い、水気が多く甘い、脂肪が多い、……
固く、デンプンが多いものはそのまま乾燥させればいい保存食であり、もっともよく食べる食物だ。利用できるほど繊維が多いのもある。水気が多く甘いのは潰すだけでエタノールになり、乾燥させればいい保存食だ。水そのものを得るにも貴重だ。脂肪が多いのは保存食にもなるし、脂肪自体をとることもできる。脂肪は水に浮く性質があるから、常温で固体であるものも含め水を通じて加熱すれば、水に浮いて純粋になる。
動植物問わず脂肪は食料のみならず多くの用途がある貴重な資源だ。燃料としても適しており、特に光を得るのに適している。また食物を保存するのにも使えるし、体に塗って清潔にするのにも使うし、革の手入れにも使う、いろいろな木などの素材の表面に塗ればそれを腐敗から守ることもできる。
根は薬になるのもあるし、根や実は地下の茎などに栄養が豊富で食べられるものも多い。
繊維……前述の、生物がよく体内に作る一次元方向にとても細長く弾力が強い棒、ここではさらに相互の摩擦がある程度以上強いことも条件となる……をたくさん集め、一端を固定してから棒の長さ方向を軸に回転する方向にもう一端をねじるといくらでも長く、弾力がほぼ無視できてそれ自体の伸び縮み以外は自由に動く柔軟な繊維のようになることがあって紐などと呼ぶんだが、それも人類にとって根本的に重要な資材だ。
さまざまに……どう説明していいやら、要するに二本の繊維を一本の倍近く長い繊維のようにする、色々な技術があるんだ。三次元ならではの技術だな、考えてみると。たとえば一本の繊維の一方の端……作業端と呼ぶ……を伸ばしながら同一平面で同じ方向、直角に三回曲げると、最終的にはその繊維自体にぶつかる。その時に少し持ち上げて交差させ、接触を保つと「輪」ができる。それからまた曲げて、輪を下からくぐらせ、引っ張ると輪がどんどん小さくなり、結び目と呼ばれるこぶがある一本の繊維になる。さらに、さっきの途中の輪に自分の作業端を下からくぐらせた直後の状態で繊維1を動かさず、もう一本の繊維2で同様の操作を、1の輪を通して2の輪を作るようにやって両方の作業端を引っ張って輪を縮めると、繊維12とも摩擦によって結び目が保たれる力が勝っている限り外れない一本の長い繊維のようになる。それはあまりいい結び方ではないが、結び方というのはとんでもない多様性がある。さらに棒と繊維を結ぶ組み合わせときたら……そんな簡単なものから、人間がどれほどの技術を作りだすかは驚くほどだ。
特に重要な結び方は、二本の紐を一本の紐のようにつなげるいくつかのよりよい結び、大きさが変わらない輪を作る、大きさが簡単に変わる輪を作る、棒に紐を結ぶ、棒と棒を平行・垂直に結ぶなどがある。
*衣類
ああ、温度や湿度を保つ必要もあるな。特に睡眠のために。それには衣服・住居・火などを使う。
衣服というのは皮膚を強化するものだ。人類に近い哺乳動物は毛を増やしたり減らしたりして、ある程度気候の変化に対応する能力がある。でもそれには時間がかかるが、人間は衣服を着たり脱いだりすることで一瞬でそれを行える。特に長時間獲物を追うと膨大な熱が出るから毛皮は正直邪魔で、それをすぐ消せるのはありがたいことだ。人類という動物の重要な特技は低速長距離移動だ。
保温自体を根本的に考えれば、それは人類が生活している範囲での話なのだが、空気を動かないようにすればそれが保温になる。空気は大きい塊だと対流を起こして熱を運ぶが、小さい塊で動かないようにすると熱が動かない。逆に密度が高いものが温度が高いものと低いものの間にあると、大抵それは簡単に熱を伝えてすぐ同じ温度になってしまう。空気を動かさないためには隙間が多い物体があればいい。
また水と馴染まないほうがいい。水は隙間を潰して熱を伝えやすくし、しかも水が大気に蒸発するときには膨大な熱を奪う。
鳥の羽毛や哺乳類の毛皮は空気を細かく固定し、脂肪分で水をはじくからその目的を見事に果たしている。
また移動する際に、植物の葉や茎の鋭い部分で体を傷つけることも防げる。それをさらに頑丈にすると鎧になる。
その服には上述の革や毛皮と、繊維を用いた布……フェルト・織る・編むなどがある。樹皮はちょっと乾燥したら固くなりすぎるな、繊維を取るにはいいのもあるが。後述する紙はもっと後だろうか……
要するに平たく薄く、平面方向には少しだけ伸び縮みするが丈夫で、そして他は自由に変型できる素材が欲しいわけだ。隙間が少しあって空気を含み、水を通すものもいい。人間は前述のように汗を出すから、それが蒸発できたほうが熱すぎるときには体を冷やすことができる。簡単に細く鋭い棒で貫通でき、けれどもその穴から壊れることがないほうがいいな。
そんな素材は服だけでなく、物を運搬するのにも便利だ。
フェルト、織る、編むがいつ頃どんな順番でできたかは知らない。
フェルトというのは、動物の毛をたくさん集め、水をつけて平らに固めたものだ。そうなると毛の表面は死んだ細胞で非常に複雑な構造をしているんだが、それが絡まってかなり緊密に結びつく。ちょうど革と同じだ。あまり薄くできないが簡単で丈夫だ。特に毛は脂を含んでいるから、水をはじくことができる。
織るというのは驚くべき技術だ。たぶん人類が手に入れたのはかなり後だろう。上述の細い紐のたぐいをきわめて長く、二本用意する。そして棒を二本用意し、並行に置いて……言葉で説明するのは本当に面倒だな。繰り返し棒と棒の間の空間を往復させる……棒の太さを厚みとする、仮想的な板にコイル状に巻きつけるようにするわけだ。そうなると棒も二本ではなく、四本を長方形の辺としたほうが楽だな。そうすると、無数の糸が並行に並ぶようになる。そこでもう一本の糸を、さっきの平行に巻いた糸の垂直方向から、上下上下と順に通していく。反対側まで行ったらすぐ逆方向に、一つ前とは上下が逆になるように通していく。糸だけだと面倒だから、糸の先端に棒を固定しておくと扱いやすい。そうしてから隙間をなくすように固めると、糸どうしの摩擦で固まって上述の条件を見事に満たす頑丈な平たい素材が生まれるわけだ。
編むというのも素晴らしい技術だ。前述の結ぶ技術の延長で、一本の細い紐のたぐいを、指や棒を利用して一枚の布のようにしてしまう。こちらは形の自由度が高く、袋など複雑な立体形状を一体で作ることができる。
そういう平面の素材を立体にするには、編む場合はどんな形も自由だが、板の一部を重ね、それを接着するようなことが必要だ。服は負担が大きいので接着は適さないので、縫うという技術を使う。小さい穴を開けて糸を通し、それを繰り返して糸の強度でくっつけるわけだ。
それに使う棒は「一端が一点になるまで細くなって鋭く、もう一端の近くに穴が開いている」のが望ましい。それほど複雑な形は、壊れやすい石では作れない……骨・角・貝殻など、後には金属がよい素材になる。
ちなみに革、布ともに、色をつけることができる。実用上も腐りにくくなることがあるし、後述する装飾になる。それには脊椎動物でないあらゆる小さい動物、あらゆる植物が含むさまざまな物質、さらにそれを発酵させたものに、ある種の金属元素を含む土や石を砕いたものを混ぜて反応させ、それに繰り返し布などを浸すと水洗いしても色が落ちなくなる。考えてみるととんでもない技術だ。
ちなみに服で覆うのは体だけでなく、頭と顔と足にはそれぞれ特別な配慮がいる。
頭は特に打撃に弱い。丈夫な頭蓋骨で覆われてはいるが、それでも中に弱い脳がある。だから非常に頑丈な素材で覆っておく必要がある。また目立つ場所だから、装飾上も重要だ。
顔については、普通にアフリカの草原で暮らす上では問題はないが、寒冷地で固体の水に覆われているところや砂漠では反射される日光で目を痛めることがある。だから目に余計な光が入らないように覆い、しかも呼吸を妨害しないようにしなければならない。ある程度以上寒いところでも覆う必要があるし、戦闘でも眼など急所が多いためできれば覆っておきたい。魔術的な意味もある。
足が一番肝心だ。普通に暮らしていれば足の皮は固くなるが、それでも石だらけの地面は痛い。だから人間は、厚い革など特に頑丈な素材で足を覆うことを覚えた。さらに木などのより丈夫な素材の板を足底に使うことさえする。
といっても狩猟採集民の多くは裸足だっけ……?
それらがなかったら、人間はごく狭い範囲でしか暮らせなかったろう。
ただし衣服があると問題ができる。体毛なら皮膚が生きているから、脂肪が補給され、免疫力もあり、また毛自体が定期的に抜けて更新されてある程度清潔を保つ。少し汚れを取ったりすればいい。だが死んだ物質でできている衣服は、ただ着ていると外界・着ている自分自身の皮膚から出る死んだ細胞でどんどん余計な物質がこびりつく。それには生きている毛と違って免疫がなく、どんどん微生物が増えて着ている者に害を与える。だから汚れたら交換するか、洗う必要がある。
特に問題なのが、糞尿を出すときや繁殖のため交接するとき、一時的に衣服を体から外す必要があることだ。そのときには大きな隙になる。
毎回捨てていたらものすごい資源の無駄だ。水に漬けて激しく変形させ、乾燥させればかなりきれいになる。ただし他の動物の毛で作った衣類はそれをやるとフェルトのように縮んで再利用できなくなるが、都合がいいことに動物の体毛には脂肪が残って汚れをはじくからそれほど洗わなくてもいい。
衣類をきれいにするのは飲む水よりずっと多くの水を、低い秩序にして利用不能にするということだ。
これは熱力学第二法則の応用でもある、歴史の経験則にも関わる……人類が多くの物を使い、より便利に暮らすほど多くの水・高秩序エネルギーを余分に使い、大量の廃水・廃棄物を出すことになる。
後のことだが、尿を微生物に処理させて単純な窒素化合物を作らせたり、脂肪と灰を反応させたり、そういう毒を含む植物を利用することで衣類などを洗えるようにもなったが、悪臭を伴い苦痛が大きく水をひどく汚染する仕事だった。
**住居、運搬具
野生動物の多くは巣を作る。
小さい虫の類には体内のタンパク質を糸にして巣を作るものもあるし、蜂には木を噛み砕いて体内から出した物質とあわせたり、体から室温で固まる蝋という水に強い物質を出すものもある。木に穴を開けてそれ自体に潜るものもある。
より大型の動物は自分の体から色々な複雑な性質を持つ物質を出すのは苦手だが、地面に穴を掘る、木の枝や葉を集めるなどして巣を作ることが多い。鳥の中には植物を「編む」ものさえいるし、ビーバーという哺乳動物は木を歯で切って後述するダムに似たものさえ作る。
卵を産むだけでも場所を選ぶ必要がある動物が多い。少産少死で親が子に食料などを渡し、保温するなど育てることが多くなると、産まれてすぐの子供を巣を作って保護する必要が増す。
また普段も、睡眠などは巣でやるようにするほうが寝ている間に襲われずにすむ。
人間も例外じゃない。
人類はあまりに温度が高すぎ、または低すぎると特に寝るときには不快だ。皮膚に接しているものは、大気も含めて水が多すぎてもだめだ。特に気温が低く、皮膚に、固体の氷やそれに近い温度の低い水が直接触れている状態では長時間生存できない。
岩のように、力をかけても変型しないものの上で寝るのはかなり不快だ。ただしそれも育ちによる、それがあたりまえで疲れていれば眠れるもんだ。逆に柔らかいものの上でも、ずっと動かず寝てたら皮膚から腐る。
人間の場合、動物と違って保護すべきなのは自分たちの体だけじゃない。
上記の狩猟具・石器や土器など調理具・保存食・皮革、繊維類・衣類、後述のコミュニケーションに関するものなど種類も量も多い。保存食や繊維の類は水が多いと微生物が繁殖して使い物にならなくなるし、衣類は体温を奪って不快になる。
また、空からの雨などから火を守る必要もある。だから上を平面で覆って、しかも空気は入るようにしなければならない。昔は特に火を熾すのが大変だったし。
昔の人類はどうしていたのかな……倒木がうまく組み合わさって下に雨が落ちないようになっているところを利用したり、ある程度枝を折って集めてそんな状態を作ったりしたんだろう。大木に穴が開いていたり、地形そのものが巣にしやすくなっていたりする場所を利用することもあったろう。特に急な勾配で、岩などの具合で中に入れるへこみがある場が便利だっただろう。
最初は、急な勾配のへこみを奥に掘り広げ、またへこみがないところにへこみを掘るのが最初の巣であり、土木だったのだろうか。
ある程度以降文明が発達した人間の、硬い素材を使う巣は直方体が基本なんだが、移動が多い場合は布や皮など柔軟な平面を用いるから円錐が一番使いやすい。
サルには木の上に巣を作る種類も多いが、人類は大きすぎて大抵の木は折れるし、元々人類はジャングルから離れた草原で暮らすことを選んでいる。
木の中に空間ができることも多いし、熱帯の別の木を覆って殺す木は好きな形の空洞を作れるが、人類が楽に暮らせる大きさにするには人類の寿命を越える年月が必要だ。人類は大きすぎる上に木から見れば寿命が短すぎる。
土を掘って巣を作るのもいいが、土の中は湿度が高くなりやすく水気が多い。人間の体からもかなり汗として水が出る。また空気の出入りも悪い。そうなると火の維持や保存食・繊維などを食ってしまう微生物にとって住みよくなるし、微生物に人間自体が食われるリスクが増す。また、人間のサイズを入れる土の穴は長期間維持できない。昆虫のサイズと寿命なら土の穴で寿命まで安全に生活できるが、人間のサイズだと土の構造上、穴が確実に形を保つことは期待できない。
サイズといえば、人類がもっと大型であれば体温を多少失っても無視できただろうから巣はほとんど不要だったかもしれない。でも巣がなければ、寒冷地に移動することはできなかったはずだ……分厚い毛皮が戻る進化には、人間が成熟するまでの時間ではめちゃくちゃにかかる。
それで多いのが、木の枝や皮や布を使ったりしてまず上、そして前後左右を覆う巣だ。
直方体や円錐のちゃんとした住居はいつごろから発達したんだろうか? それは知らない。
長い時間をかけたんだろうな。住む地域によって合う住居は違うし、どれだけの時間が経ったら移動したらいいかも違う。
あと人類は多くの動物と違い、地面に直接寝たり座ったりするのを嫌う。まあ巣で暮らす動物にはそういうのが多いけど。進化してきた過去において樹上生活も長いし、特にアフリカから出てより寒い地域で暮らすようになってからは、空気に混じっている気体の水や夜の温度などの性質で、地面近くは特に温度が低くなり、時には空気からあらゆるものの表面に気体だった水が液体になって出てくるし、それが固体になることさえある。
特に寝ているときには体温の調整も難しく、また布の衣服を着ていると、布は水を含む……その水が蒸発すると膨大な熱を奪うので、ますます体温が下がって危険だ。
だから地面に厚い布、毛皮、木の枝、草の茎を乾燥させたものなどを敷いてその上で座ったり寝たりしたがる。できれば地面から離れたところで寝ることを好む。
あと火で調理もでき、雨で火が消えることもなく、熱も逃げず、それでいて酸素を豊富に含む空気の供給は邪魔されず煙だらけにもならない、巣を構成する多くの可燃物に火が燃え移らない、というような場も必要になる。
同族で違う群れの攻撃から身を守る必要もある。
建築については後により詳しくやろうか。地域ごとの違いも大きいし、闘争とも深く関わる。
ちなみに人間は、基本的にごく近い血族……交配相手および親子関係がある者のみで巣を形成し、その「家族」がいくつか集まって群れをつくるのが一般的だ。
その「巣」は、火を使って調理することも重要だし、また火をうまく使い風を防げば外の気温が寒くても中は暖かい。保温においては衣服と、石を一度火で暖めて衣服の中に入れて体に当てておくのも有効な温まり方だったはずだ。
さらに、火は光る。これは非常に重要な偶然じゃないかな、火という反応は燃えて出たガスをあるかなり高い温度にするが、そのガスがその温度で出す光の波長はたまたま人間がものを見る波長だった、というのは。
だから周囲が完全に暗くてもものを見ることができ、色々作業ができる。
人間の巣について、後にどんどん発達していくのを見ていくつもりだ。
人類が定住したのは最近で、人類に近い大型サルや昔ながらの生活をしている人々の生活は、ある一定の非常に広い範囲を縄張りとし、その中で食べられるものを食べてしまったら別の場所に移動する、というものだ。
そのためには、上記の住居で保護しなければならないもの、まだ行動できない子供たちも含めて移動させなければならない。
人間の手は元々、子供を抱えるのにも使える。それを色々応用できる。
上記の衣類・皮革・土器などは「運ぶ」のにも非常に有用な道具だ。直方体や円筒のような構造を作り、それを手で抱えることができる。また、それに紐を固定して適切に結べば、より小さい力で体に固定することができる。邪魔にならず、負担が少ない形には、背中に縛りつける形、長く柔らかい筒を作って半分に折って肩に載せ、逆側の脇腹で縛る形、頭の前に回した紐から背中で支える形、頭に載せる形などがある。
本来「運ぶ」には、地面と平行な平面形、いやむしろくぼんだ形の上に載せるのが一番安定する。けれども人間にはそんな部分はない。真上を向いているのは頭のいちばん上の点と両肩だけだ。頭のいちばん上に、円周を太くしたような柔らかい素材を載せれば、その上にかなり重いものを載せて運ぶことができる。また、棒の両端に重いものを下にぶら下がるよう固定し、棒の中心を肩に載せてもかなり重いものを運べる。二人の肩に棒の両端を載せ、中心に重いものをぶら下げてもいい。
車という技術があるが、それは明らかに相当先だな。より昔からある技術としては、平たく丈夫なものを地面に置き、そこから紐か何かを伸ばして、それを歩きながら引っ張る。すると、確かに摩擦は大きいけれど動かすことはできる。できたら平たいものを、棒を二本進行方向に平行に置き、両方に直行する棒を固定して、その上に荷物を乗せて引きずれば、摩擦は棒二本分で済む。これも結構使える技術なんだ。
籠というものもとても重要な運搬具だ。上記のつるになる植物を使う。木になりかかっている状態のつるは、巻きついている木から引き剥がしても乾燥するまでは自在に形を変える。それを、ちょうど布のように、特殊な結びを複雑に使って袋状の形を作ることができる。それから乾燥させるとそのまま、適度に弾力があるけど頑丈になる。他にも弾力の強い特殊な木や草を使って同様にやることができる。また、それを浅めにすると網状の構造にもなる。狩猟採集というように、木の実・昆虫など、エネルギーの密度が高く一つ一つが小さく見つけやすいものを大量に集めるのにも有用だ。水のような流体を運ぶことはできないが、そうでないものを運ぶには土器より軽く便利だ。また詳しくは後述するが、粉状の固体をある意味ろ過するのにも便利だ。
ちなみに、普通の木材もうまく加熱して曲げて、曲がった形を保ったまま室温にゆっくり戻すと曲がったままの形になることがある。その技術もすごく重要だよ。
水の運搬も重要だ。水の運搬は、単純に「水が補給できない状態で行動不能・死に至るまでに移動できる距離」を大きく変える。上述の、保存食や薬など液体の運搬も重要だ。液体はわずかでも隙間があればそこから落ちて失われるから、籠や布では運べない。一部の革、特に上述の胃や膀胱はかなりいい。土器もだ。まあ革も土器もごく小さい穴が無数に開いているがね。
また植物で実や幹が空洞になる、または内部が非常に柔らかくて、内部を潰して除去してから乾燥させれば固い木の殻だけが残る、というものもある。特にヒョウタンと呼ばれる、そんな実をつける植物は人類にとって最も古く重要な植物の一つだ。
木の内部だけをくりぬくことができたらそれは実に便利だ。石器を用いて根気よく削り続けるのもいいが時間がかかる。また、火を制御する方法もある。火で強く加熱した木は炭素の塊になり、そうでない木より簡単に削って取り除ける。炭素になっているから、漏れにくいし反応しやすい物質などを運べる。樽・桶という重要な技術がいつごろできたか知らないけど後述することにする。
非常に大きい飛べない鳥の卵の殻、布に樹液・脂肪・植物が燃えた時に出るもの・天然化石炭化水素などを塗ったものも使える。
二人以上で協力すれば、一人では……二人がバラバラにやっても運べない重いものや大きいものも運べる。一番いいのは、二人が進行方向を一直線にして並び、両方の肩に一本の長く頑丈な棒を乗せる。その棒から籠や網、布などを縛り付けて重力に任せてぶら下げたまま歩く。これもかなり有効だ。
一番いい運び方は、水路を用いるやり方なんだが……それはいつごろから発達したんだろうか? ちょっと後回しにする。
**コミュニケーション、言語
人類の最大の能力は群れ内部のコミュニケーション……情報伝達+触れ合い、模倣だ……手先の器用さ、個体脳内の活発な精神活動も並ぶけどな。
詳しくは下の、人間の精神に関することで詳しくやるのでここでは人体生理学との関係を掘り下げる。
人間の最大の能力は言葉だ。言葉というのは基本的には口から出す音を複雑に変え、組み合わせることによって情報を伝えること。後に文字が加わるし複雑な手振りで言語と認められるものもあるが、それはかなり後になってだ。
ただしコミュニケーションはそれだけじゃない。皮膚と皮膚で接することや繁殖のための交接行為や授乳など接触、顔を微妙に変形する、身振り手振りなども非常に重要だし、絵や地図も有力な情報伝達手段になる。群れで移動するとき自分がどこに位置するか、それこそ殺し合いすら広義のコミュニケーションにはなる。
そして、人間は他者の情報や、意識とは関係のない行動、それだけでなく抽象的な目的を含めた行動を模倣して学ぶことができる。それによって、様々な情報が人間社会の中で、まるでDNAのように複製され、進化することさえあり一部ではミームと呼ばれる。
そのミームは、当の人に「それを複製し、他人に広める」行動を起こさせるように、人の脳や体の構造に合ってしまっているものがより生き残りやすいだろう。そして人間の脳・肉体そのものが限られており、過剰に複製されるものからより人間という環境に合うものがより多く生き残ってまた複製される、その点も遺伝子に似ている。
こういうこともできるか、人と人とが接しているときには、「人間が協力している」「人間が支配権争いをしている」「ミームとミームがいくつかの脳という限られた資源を争っている」「遺伝子群れが有限な資源を争っている」「小さな群れが争っている」という様々な面がある、と。
まず言葉について詳しく。人間の喉と舌と口は上述のように非常に複雑で、多数の筋肉と強力な脳によって制御され、きわめて多様な音を出すことができる。音の波長も変えられるし、波長に依存しない質の違う音も出すことができる。そのために窒息の危険という高価な代償まで払っているんだ。
その音の、口の形による一番大きな群と、口の中の喉や舌などを組み合わせて単独の、他とは区別できる音がいくつか……百前後ある。ちょうど原子のように、それが最低単位となる。本当は人間の口と喉はとても多様な音を出せるが、その全部を使うことはまずない。ほんの数十の音の原子でも、それを十個もつなげていいならそれが表現できる組み合わせが莫大になることはわかると思う。
その音の原子をいくつか短く順番を決めて組み合わせ、それに強調などを加えたものが、世界の多くのものの種類に対応する。人間の脳そのものが、世界のあらゆるものを、たとえばどの種に属する動物なのかなどを記憶して認識している。「あの首が長く斑がある動物」などとは思わず、「キリン」と直接種に名前をつけてその一員として認識するんだ。あるキリンの個体を識別する必要があるときは、別に名前を用意する。世界の、事実上ありとあらゆるもの……そして世界には実際に存在していないものも、そうして分類して認識し、それに対応する音原子の短いつながりがある。
他にも人間の動作や行動、心の動き、感覚器が受けた情報などの多くがその認識の仕方でとらえられており、それに対応する音原子のつながりがある。だがそれだけじゃなく、そのつながったのをさらに決まった規則で組み合わせることで、世界で起きた事象そのものの一面を他人に伝えることができる。人間の感覚器や脳、言語そのものの限界により一面しか伝えられないが、一面でも伝えられれば「群れが草原や暑い森で生き延びる」にはきわめて有利だ。
その組み合わせる規則には最も基本的な、世界のいかなる場所の人間でも共通する構造がある。まずあらゆる「何かに対応する音原子のつながり」全体は物体など、行動、状態の三つに大きく分けられる。それに言葉を組み立てるためだけの「音原子のつながり」も加わるし、物体側のそれを少し変形して行動側にしたりすることもよくある。
組み合わせだから、見たことがないものや実際にはありえないものも表現することができるし、人間の思考もそれに合わせるようにそういうのを考えることができるようになっている。
こういうふうに「言語」を「原子」という、全く違うものを使って表現すること自体が「たとえる」という人間特有の心の働きでもある。
その「言語」で世界がどうなっているか、自分の脳の中がどうなっているかなど多くの情報を他者に伝えることができるわけだ。さらにその組み方、言葉の原子の変化の仕方などで話す者と聞く者の群れ内の上下関係の確認、攻撃などのメッセージを含めることもできる。それどころか自分自身とのやり取りもある程度できる。脳の中で、口を動かさずに勝手に言葉だけを出すこともできるんだ。
多く表現される内容は後述する「物語」だ。個体が経験した出来事を記憶に移し、言語の形に編集する。その際に膨大な記憶から必要なものだけに削る。それを自分が学んだ言語の言葉の原子を使い、共通する順番にまとめなおす。それを他人に伝える。
受ける人はその言語情報を感覚から入力され、直接会って相手の口から出る音を聞いていれば相手が体から出す情報も同時に処理する。それによって自分自身がその出来事を見ていたり経験していたりするように移行するが、相手も自分も多くの情報を省略しているので本当にそれが相手が経験した出来事そのままと言うわけではない。ただし多くの情報が伝わっていることは事実だ。で、その情報を内部で経験にしてまた記憶し、場合によっては別の誰かに自分の言葉、または言葉そのものは受けた言葉を全部正確に繰り返しているが体で多くの情報を加えて自分の中で繰り返したり、他の誰かに伝える、ということができる。
重要な情報は「誰が」「何を(行為の対象)」「いつ(時間)」「どこで(位置)」「なぜ(因果および個体の精神内面の言語化)」「どのように」だ。ただしどれかがなくてもいいこともある。
そのような構造である言語は本質的に多様な解釈を許す。
言語自体はより抽象的に考えることもできる。声というメディアに完全に依存しているわけではなく、後述の文字、文字を電子的な情報に変換したものなどにもできるし、本来声言語が使えない耳が聞こえない人も手や身振りから、言語と同様の構造がありある程度普通の言語に訳せる総体を作っている。
ちなみに言語は完全なものではない、人間は完全だと思いたがるが。同じ言葉が、複数の具体的な状況に翻訳できることもある。言葉を受けた人間の精神状態、口から耳なら相互の関係や体が出しているメッセージも関わる。今述べているこの文章だって、あとで読んだ人がどう解釈するかわからない。
また人間の口は、言語だけでなく別の声も出せる。たとえば言語を出すための声をとても大きくすると、襲われているときなど緊急事態を知らせることもできる。それとは別だが、唇をうまく使うと、言語とは違う単純な音だが波長を制御しやすい音が出せる。
言語を習得していない小さい子供は大声で泣く、笑う、何かもごもご言うしかできないし、それは大人になっても用いることはできる。
波長やその変化も結構情報を伝えることができ、特に感情を伝えるのを得意とする。言葉と、波長の上下も組み合わせるのもある。波長や音の繰り返し、音の強弱などを組み合わせた「音楽」やそれにあわせて体を動かす「踊り」も詳しくは後述するが人類にとっては重要なコミュニケーション・表現の手段だ。
実際には、普通に言語で話しているときも、その声の波長、同時に起きる体や顔の筋肉の変化などから言語とは別の情報も大量に伝えている。
その言語によるもの以外に、たとえば「私はあなたと親しい」「あなたは私より下位だ」など、群れにおいて重要な情報を体の動き、顔の筋肉の微細な動き、それどころか服など体に後天的につけたものからも示すことができる。
身振り手振りと呼ばれる、体でものを表現することも非常に複雑で人間にとっては重要だ。言語は音声から発達したのか、それとも身振り手振りから発達したのか……両方だろう。
またそれに関する人間の体の特徴として、尾がないこと、二足歩行で複雑な前足があること、顔を少し変形させる筋肉が異常なまでに多いことがある。
多くの脳が発達し、群れ生活をする大型哺乳類には身振りとして尾を振る、または寝転んで腹を見せる「あなたは私より上位だ、私はあなたを攻撃しない」という身振りがあるが、人間にはどちらもできない。人間の場合寝転んで腹を見せるかわり、背中を見せて頭を地面につけ、手足を折り曲げて体をできる限り地面に近づけるなどの身振りが服従を意味するものとなる。要するに「相手より低く」なるのが服従、下位を意味する……ここで使っている日本語の「高い」「低い」というのが、地面からの距離、群れ内部の順位の両方を示す言葉なのがまさにそのことを示しているな。
ただ、群れ動物には同種、同じ群れの生物の近くにいたい、姿を見たい、接触したいという欲がある。特に寒いときなどは固まっていたほうが熱が逃げず暖かいからだろうか。また近くに群れの仲間がいることは、何かに攻撃されたときにはとても有利になる。
多くの群れるサルで「毛づくろい」というコミュニケーションが重視される。サルは構造上、背中などの寄生虫や汚れを自力で取り除くのが苦手なので、同じ種・同じ群れの仲間にそれを除いてもらう。寄生虫や汚れがあると死ぬ確率が増えるので、それを取り除くのを好む個体が生存して増えていったが、それだけでなく群れの統合を深めるのにも用いられる。サルは指を使うことができるが、多くの哺乳類は自分自身の手入れも含め舌を使う。
人間は基本的には肉体的な接触を好むが、毛づくろいの毛がないし、舌および唇による接触は親子・交配相手などごく密接な関係に限られることも多く、その場合きわめて強い親しみを伝え合うことになる。ただしその場合でも、他の動物でよくある排泄器官の清掃は比較的少ない。軽い唇による接触は、現代の人類の文化圏によってはある程度の親しさ程度でもある。
また人間とごく近い動物の一つが、同性も含めほとんど無差別に交接をすることによって、親しみを互いに表現し群れを維持することにも触れておこう。
また人間は、自分の体調や精神状態を体の外から観察できる部分に出すこともできる。それも情報交換だ。特に重要なのが、上述の目を洗うための体液で、激しい苦痛を感じた時などはそれが大量に出て液を受ける管からあふれる。生まれてすぐの子供にとってはそれを特定の言語のない声を複合させたものが、不快を表明し親の保護を求める重要なメッセージだ。
他にも、本来攻撃に移るときに運動能力を増すため、または打撃を受けたときに体表からの出血量を減らし内臓の修復に集中するためなどだが、人間の皮膚は感情によって血液が流れる量が変化し、それが無毛ゆえに外からはっきり観察できる。汗が出るのもある意味その面もある。多くの動物で有効な、毛が逆立つ現象もまた人間にも起きる。
また男性生殖器が肥大する、女性生殖器が潤滑のための液を分泌するなどの反応も情報となるし、激しい感情や苦痛などから糞尿を漏らすこともある。
人間は嗅覚が発達していないから人間には感じられないが、匂いに敏感な動物には人間の感情に応じたにおいの変化は明白なはずだ。
これらは意識による制御を受けないため、後述する真偽判定にある程度使える。
他にも主に嗅覚によって、集団で暮らす妊娠していない雌の、卵子の排出に関する周期が一致すること、誰かが食べたものを吐き出したらそれを見たり嗅いだりした周囲の人間も吐きたくなることなどもある。群れで暮らしている以上同じものを食べている可能性が高い、誰かが吐いたらそれは毒だということだから、だったらみんな吐けばみんな助かって遺伝子情報が存続する、というわけだ。
興味深いのが笑いという行動だ。これは制御できないこともある、独特の呼吸と声、表情の変化をともなう。快を予期したときや予期した快を得たとき、予測していなかった快、美と関連があるようであり、言葉が発達するとその高度な使い方と複雑な関係を持つ。少なくとも人間の形をしているか、または言語を用いて交渉する「何か」を人間と判定するには、その笑いを操作できるかというのは重要な基準になるだろう。
それらの方法を総合することによって、主張の内容だけでなく今の心理状態を同時に示すこともできる。
また、様々な情報を伝達するための行為が、逆にそれを出している人の心理に働きかけてしまうこともよくある。特に声は呼吸とつながっているので、その働きが大きい。意識的に呼吸を深く長くすることで攻撃を準備している心理・肉体状態を解除することもできる。
人間は技術を使うことによって、またその知能を活かしてより強力な情報交換ができるようになったことも触れておこう。詳しくは後述するが、絵と地図は人類が進化したずっと昔から単純なものはあっただろうからここで。
絵というのは、人間が視覚情報を何らかの表面に……小さな変化を作ることによって与えることだ。地面でもいいし、上記の布・革のような薄い素材なら携帯もできる。
たとえば表面を鋭い何かで破壊する、何らかの違う色の物質の液や粉を乗せて定着させる、熱や化学などで変質させるなどで目に見える周囲との違いができる。特に「液体をつけ」「それを化学変化させる」と、布や革、後述の紙などの繊維に色素が完全に定着し、長期間見ることができる。布や革を染色する技術と本質的に同じだし、それこそ布や革を染めて模様を作るのと絵を描くのはある意味本質的に同じだ。
人間にとってやりやすいのは「棒の先端を触れ、引きずる」ことだ。そうすると「棒の先端と面の接点」という「点」が動くことで「線」ができる。その「線」は数学的に抽象化されたものと違い太さがあるから、たくさん集めれば面を塗ることができる。また先端が太く、多数の毛のようなものをまとめたものだと接点が小さな面をなすから、それを引きずれば効率よく太い線、すなわち面を作ることができる。多数の毛をまとめると、その隙間に液体が入るからやりやすい。
壁や地面に木の棒の先端を押しつけたまま動かすだけでも表面を浅く破壊して細い溝を作れる。
絵の内容としては人間が視覚で見たものが脳が分析した像をできるかぎり絵にすることがまずある。ただし、目の像そのものは非常に解像度が高く、それを完全に表現するなど人間には不可能だ。それをいくつもの単純な線や、同じ色で塗られた部分の組み合わせで、極度に情報を圧縮して表現する。
それから脳が持った、より純粋なイメージを絵にすることができる。詳しくは後述するが、人間は見たものを単純な図形に抽象化する能力もあるし、さまざまな要素を集めて現実に存在しない視覚的な像を作ることができる。それを絵にすることもできるんだ。
それがどれほど高度なことか。コンピューターに、草原の中に立つライオンの写真を読ませ、それを線で表現させることがどれほど困難か。絵の持つ膨大な情報から、輪郭線を抜き出し、形を単純にして描くことがどんなに難しいか。それを見た人間がライオンを認識すること、抽象化することがどれほどすさまじい情報処理か。
ずっと昔の絵は、主に後述の呪術的な意味で使われたと思う。
さらに素材を変型させたり削ったりして、三次元でなにかの形やそれを抽象化したものを再現することもある。これも呪術では重要だ。
さらにその応用として「地図」というものがある。「地」の「図」、地表を平面的に見て、それを図にしたものだ。人間は目である程度距離を見ることができるから、見回した世界全体の、特徴的な木・地面に水がある部分・地面に露出している岩石・大きい高低差などを抽象化した単純な絵にし、互いの距離関係をある程度でも絵として再現することができる。
単純に視界全体を絵にしてもある程度使うことができる。それがないよりあるほうがずっといい。
地図があれば、たとえば「この水たまりから、あの高い地形にある岩の方向に歩けば、いつも大量においしい実をつける木が生えている」ことを簡単に思い出し、また他者に伝えることができる。非常に便利だ。
ああ、地図の発明が文明以前だというのは私が勝手に言っているだけだ。何の証拠もないよ。
絵はある程度証拠があるけど、その目的は知らない。たぶん後述する呪術だと思うけど根拠はない。本当は次元潜行艇の設計図なのにわれわれが読み方を知らないだけかもしれないが証拠はまったくない。
絵と言葉と抽象化という心の働きを合わせると後述する文字になる。
あと、最もわかりやすく、言語の壁も何もないコミュニケーションがある……暴力だ。
**同族闘争、武器防具
人類の、狩猟採集民の水準から見ても、人類に近いサルから見ても明らかなことが、人類は同族でも群れどうし常に争うということだ。縄張りを防衛する、という動物に共通する行動でもある。縄張りの、限られた食料資源を自分たちの群れで独占すれば、DNAの相当部分を共有する自分たちの群れが繁殖できる確率が上がる。本来なら食料源としても同種別群を殺す動機にはなるが、後述するように多くの人間は食人を嫌う……だが食人を嫌わない狩猟採集民も多くあり、絶対ではない。昔どうだったかはわからない。
また、上記の色々な物資を敵から奪えば、こちらで苦労して作らなくてもいいから楽だ。
そして交配に関する欲を満たすこともできる……雄が雌を暴力的に支配して交配することによって。
また、群れの内部でも地位の争いは重要であり、どの個体も少しでも地位を高めようとする。その一番簡単な方法が、より高い地位の者を暴力で屈服させるか群れから追放するか殺すかだし、逆に地位の高い者はより低い者に暴力を振るって従わせるのが生き残る術だ。
上の人類に近い、というのはDNAを知る前の人間から見ても、外見で人間そっくりだとすぐわかったし、また体を解剖してみても人間そっくりだし、DNAにも共通の情報がとても多いことからはっきりしている。
まあ同じく人類に近いのには、ほとんど同種で殺しあわない、交接行為を用いたコミュニケーションを活用するのもいるけどね。
とにかく人間は非常に暴力的で、しかも強力な武器を持っている。
だから大型動物にとっても人類にとっても、他の人類に見つけられることはきわめて危険なことだった。
また人間はいろいろな肉食動物にも襲われるから、その意味でも暴力は重要だ。
後述の狩猟具の多くは、同じ人間を殺すための武器としても使える。
また人は木や布で巣を作ることがあるし、燃えやすいものも多いから、そこに火をつけるだけでも効率よく人を殺せる。
これは人間の認識だが、戦闘は「攻撃」と「防御」に分けられる。
だから、同じく武器=狩猟具を用いる人間に殺されない、できれば殺し返す……自分を殺すことをやめさせる一番確実な方法は相手を殺すことだ……ために「防御」のためのさまざまな道具などが発明されている。
上述の住居自体、保温と貯蔵だけでなく防御のための道具とみなすことができる。
その防御のための構造を強めることもできる。
また住居を集めた、群れ全体の住居の集まりを防御する構造もある。
要するに、地面が平らだと動きやすいが、でこぼこがあると動きにくいことを使うことが多い。重力下では上下に動くには、前後左右よりずっと体力を消耗する。水・水と土が混じって柔らかくなっているところなども動きにくい。とげのある植物にぶつかっても動きにくい。
特に有効なのはすきまのない高い部分や低く水がたまった部分を小さい地形として作ることだ。単純に少し高いところにいるだけでも、そこから石を投げ落とすだけで位置エネルギーが運動エネルギーに、そして破壊のエネルギーに変わって大幅に有利だし、逆に下から上がろうとするだけで大量の体内の水や食物を使って位置エネルギーにしなければならない。
また、敵の動きを知ることも重要だ。そのために一番いいのは、たとえば平坦な草原の高い岩・大木などに誰かが常に登って周囲を見渡して警戒していることだ。まあその場合夜に攻撃されると弱いんだが……いくら火の光があっても、それで周囲を警戒するほど大量の燃料はそうない。
ただし火の存在は、人間以外の大型動物を避けるには有効だ。
これで、狩猟採集の水準の生活が理解できただろうか?
太陽が見えて明るくなれば睡眠から醒めて活動を始める。
とにかく水を確保する。
雄は動物を狩り雌は食べられる植物や昆虫を探す。いつも食物が豊富にあるとは限らず、大抵は食物の不足を感じている。狩った動物を加工し、保存食を作ったり色々な資材を作る。
火を使って食物を調理し、体を温める。
保存食や衣服や住居、石器や土器を作る。
食物が足りなくなったり、土全体から嫌な匂いがしてきたりしたら巣を解体し、できるだけいろいろ持って、ごく小さい子は抱えて群れごと別の場所へ移動し、また巣を作る。
大型肉食動物に食われ、また群れの中で身を寄せ合う。敵である人の群れどうしが殺し合い、傷つけ、雌に交接行為を強い、資材を奪い、焼いたりして破壊し、それに抵抗して反撃する。
体が汚れ不快を感じれば大量の水に体をひたし、ぬぐってきれいにする。他にも油や土など色々なものを使えたはずだ。
日が沈めばしばらくは火の光で過ごし、成熟した雄と雌が交接し、気温が低すぎれば布や皮で体を包み、住居にもぐり、火に近づいたり暖めた石を抱いたりして体温が下がり過ぎないようにして眠る。
群れの中で常にコミュニケーションをとり、色々な情報や物を分け合い、少しでも地位を高めよう、群れを維持しようとする。地位を高め維持しようとすることなどが群れの中での暴力になることも多い。
もちろん子供のほとんどは死ぬ、毎日食べられるとは限らない。育てられる食料が確保できそうになかったり、親が死んでいたり、群れが決定したりしたら生まれてすぐ子供を殺すことも多い。また別の肉食動物や別の人類の群れに攻撃されて殺され、また下で言う病気になり、水や食料が得られず死ぬこともしょっちゅうある。
人類が今の形に進化し、それから今までの年月のほとんど……数百万年間、ずっとそんな暮らしだっただろう。何よりも強く強調したいのが、人類は本来そんな生活のために進化した動物だ、ということだ。大抵の人間はそんなことさっぱりと忘れているが。
*主要病気・天敵
上の、「人間にとって必要なもの」と人体の構造から逆算すれば、人間にとって致命的な病気・傷についてある程度わかると思う。
血液や体内の水分を体重の十分の一失えば死ぬ。
皮膚の半分を火などで傷つけられれば、表面から体液が失われて死ぬ。
ある程度以上の痛みなどで、脳を通じて心臓などの機能が低下し、死ぬことがある。
脳などを破壊されれば死ぬ。
特に呼吸などに関する内臓を破壊されたらすぐ死ぬし、他の内臓でも長期間機能が回復しなかったり、体内での出血が多かったりしたら死ぬ。
多数の微生物が体内の、特に消化器や皮膚表面以外に侵入し、それが体を食いながらある程度以上増殖したら死ぬ。
各内臓それぞれ、微生物や寄生虫、外傷などで痛むとそれぞれの症状が出る。注意して欲しいのは、症状は「ある臓器が破壊された」ことを意味していることもあるが、「今戦闘中」という臓器からのサインであることのほうが多い。特に組織が赤く柔らかくなり温度も上がる現象はそれであり、全身のどこにでもよく出る。
また食べたものを口から吐き出す、また糞が極度に柔らかくなって変な色の水が噴き出すような感じになる、呼吸が瞬間的に極端に激しくなるなど苦痛を伴う状態も、有害物を体内にとどめないために体が反応しているのだ。それ自体は苦しいが、それがないよりあるほうがはるかに生存率が高い。それを逆に利用する伝染病も後述するように多いが、それでもその機能があるほうがいい。
また体温、特に頭部の温度が上がることがある。そうなると調子が悪くなり、ものも食べずじっと動かずにいたくなるし、そうしているほうが生きられる確率は高い。
皮膚表面に、いくつも周りと異なる赤く盛り上がり周囲より温度の高い部分ができることも多い。それはしばしば、嫌なにおいのする普通の体液とは違う色の液を出す。その液の存在は、体の免疫が働いていることを示している。
体のあちこちが、他より温度が高く、普段は触れないが固く膨れた塊になることがある。それも免疫が働いているときに起きる。
人体は生きているだけでかなり傷や病気から回復し、免疫や肝臓の分解機能で異物を無害にし、微生物を殺すことができる。
人間の言葉では病気と怪我は区別されるが、実際にはあまり意味はない。
その原因には
○外からの力
○外からの、力以外の環境の変化
○欠乏
○毒物
○伝染病
○風土病
○遺伝病
○個体の体の中から出る
○個体の精神
などがある。
医学、人間の体、なかでもその分子単位の細かな挙動を理解する能力には、人間の目がある程度以上細かいものを見られないこと、また人間を解剖して調べることを禁じる宗教、科学的手法が組織的に使われることが稀であることなどの制約がある。
また人間の体は分子の挙動や素材に制約されているし、遺伝子が均一に近いため品種改良もほとんど無効だ。
それゆえに、医学的にできないことが実に多い。不老不死、安全確実な避妊・堕胎・男女産み分け・不妊治療、奇形防止、伝染病の予防、人体の大きな……翼をつけて飛べるようにするなど……改造、切断された手足の再生、臓器移植、精神から欲望などを取り除いたり完全な忠誠を守らせたりすること、確実な自白薬、どんな病気も治る万能薬などは科学が進歩する以前はすべて絶対に不可能だったし、多くは今でも、そして未来に期待できる科学の進歩があっても不可能だ。
**外
外からの力は、別の動物や同じ人類による暴力も多い。人類にとって最大の敵は人類自身だが、他にもアフリカの大草原には強力な肉食動物が多数おり、武器の性能が上がるまでは人類は食われる側だった。
毒を使う動物も多く、それにやられると軽い傷に見えても死に至ることもある。
また事故も多くなる……特に地面の高低が激しいところに住んだり、また木に登ったりして暮らすと落ちることがある。落ちると高さによる位置エネルギーが運動エネルギーに変わり、事実上地球という固いものを高速でぶつけられるのと同じことになって体を大きく破壊する。他にも後述のように木を切ったり岩を動かしたりもするから、そのたびになにか間違えると怪我をし死に至る。
また、人間は皮膚によってしっかり外界から守られているが、外からの力で体を傷つけると多くその守りに穴が開くので、微生物に食われやすくなる。その最悪なのが破傷風・ガス壊疽・敗血症だ。
環境に属するものには極端なところでは火による体表面の破壊と、それで体液を失い、また皮膚の守りがなくなって無防備に微生物に食われることもある。また過剰なほど高い気温・そのなかでの長時間の運動で、体の水などを過剰に失って死ぬことも多くある。
後述するが人類が広い範囲で暮らすようになると、低温によっても体が破壊され、また体温低下自体で死ぬこともある。
低温になると、まず人体は貴重な熱を奪われないように血管を縮め、体の表面・末端部への血流を弱める。またある程度以上の低温だと、それは末端部の細胞が酸素不足で死ぬことにもつながる。それも合理的ではある、手足の指を失っても一時間余計に生きのびる方が繁殖できる可能性はある。体の一部である細胞が死ぬと毒を出すことがあり、それによって死ぬこともあるし、また低温それ自体によって内臓の働きもやられて死ぬこともある。特に冷たい水に浸かると、急速に体温を奪われ短時間で死ぬ。体や衣類が水に濡れ、さらに強く冷たい風が吹いているときも大きく熱を奪われる。
人間が水中で呼吸できず、すぐ死んでしまうことも重要だ。後には呼吸する空気に火から出た煙や微粒子、石の粉などが混じって長期的に呼吸器がやられる病気も重要になった。
欠乏はもうあらかた書いた。食物・水・酸素のどれが欠乏しても死ぬ。人間が必要とする様々な元素・体内で合成できない分子のどれかが飲食物の中で足りなくなると体のあちこちが不調になり、最終的には死ぬ。
特に恐ろしいのが、加熱した保存食だけを食べ続け、死んでから短時間かつ加熱したことがない、植物や動物の内蔵を食べずに過ごしたときに出る病気で、体のいたるところから血が出てゆっくりと崩れていく。また後に詳しく言うが、美味で見た目が美しい部分だけを取りだした草の実ばかり食べることでも死に至る病気も後代になって多くの人の命を奪った。
火と住居を手に入れてからは、酸素豊富な外の空気が入らない場所で火を使うことによって、酸素不足というか炭素と酸素が一対一の有毒である分子ができてそれで死ぬことも多くあった。
**毒
毒物は自然界では実にたくさんある。ちなみに薬も過剰なら毒、多くの毒は少量なら薬になる、ということが人間の重要な経験則だ。
塩化ナトリウムのように人間には必須の栄養素や水や酸素だって過剰になったら死に至る。
哺乳類・爬虫類・鳥類の肉は無毒だ。魚にはときどき有毒なのがある。昆虫その他比較的小さく複雑な生物のかなり多くの種類には毒がある。
植物や、土や木から出る菌が集まったものにも有毒なものが多い。
また毒を武器として使う動物もけっこう多い。特に注意すべきなのが、ヘビと呼ばれる手足がなく長い棒状の胴体だけの動物で、歯から効率的に毒を敵の体内に注ぐ機構があるものが多い。
他にも外側が硬い比較的小さい生物で、口などに管状の構造を作り、それで毒を別の動物の体内に入れる動物は実に多い。音を立てて飛ぶ蜂、足が八本で糸を出すクモ、尻から毒針のついた尾を前に出すサソリなど。
鉱物にも毒は多い。後に人類が文明を発達させると、新しい毒物がどんどん人間の世界に入っていった。
また、食物が腐るときに、微生物が毒を出すこともある。別の微生物にせっかくの食物を横取りされないため、自分は耐えられるが他の微生物にとっては毒になるものを出すことが多く、その中には大型動物も殺せるものがある。
それら多くの毒は、それぞれ独特の形をした炭素・水素・酸素・窒素などを中心にした複雑な分子であり、害がある以外にも多くの用途がある。
また、人間にとって毒であるもの以外にも多くの物質が多くの生物に含まれており、たとえば人間にとっては毒ではないがほかの動物にとっては毒、というものも多いことを再度強調しておこう。
**伝染病
伝染病とは、一人がある症状を示したらそいつと接触のある、または近くに住んでいる別の人間もかかることの多い病気だ。なんらかの小さい生物……単細胞、多細胞、目で見えるほど大きいの、細胞構造すらないもっと小さいのなどいろいろ……が犠牲者の体内で繁殖し、さらに別の人にまで移動して増えることによって起きる。群れが全滅する危険があるため、遺伝子を保存するためには最も恐ろしいものだ。多数が病むという点では群れがみな同じ毒を食べたりした時、また繁殖関係でつながる群れの成員の多くが悪い遺伝子を受け継いだときにも起き、それらと区別しにくい。
伝染病は多種多様な微生物が引き起こす。微生物の大きさや種類も膨大で、その分類法も複雑だ。どう分類するのが正しいかもわからない。ちなみにいかなる意味でも生物でさえない、ある形のタンパク質に過ぎない病原すらあるといわれている、ちょっと議論はあるが。
伝染病が一人の人間から別の人間に「感染する」にも色々な径路がある。下で少し説明する呼吸を用いるのが一番感染しやすい。誰かが着た衣類を着るのも、皮膚が出した脂などに住む微生物が移動して皮膚から浸入することにもなる。糞尿が混じる水や食物を飲食するのも感染経路だし、糞尿の混じる土で手の指を汚してその指で飲食するのも感染につながる。皮膚どうしの接触も感染経路だ。特に上述の繁殖のための交接は微生物を大切に外界から保護しながら交換するようなものだ。動物の血を吸う虫も多数おり、それも重要だ。
ちなみに、症状を何も出さないが微生物を体内に入れていて感染させる者もいる。
あと伝染病のもとである微生物にとっては症状を出さないか、致命的でないほうがいい。宿主に死なれたら自分も死ぬだけ、まして群れを全滅させたら別の宿主に接触するのも難しくなる。本来伝染病にとって一番望ましい進化は、宿主となる動物全員が自然に感染しており、宿主の生存繁殖を一切脅かさない状態だ。
症状を利用して感染を拡げる微生物もある……たとえば、人間の呼吸器官は刺激されたら激しく息をして自らを掃除するが、その時に非常に細かい液の粒がたくさん出る。それを別の人が呼吸の空気と一緒に吸うと吸った人もその微生物に住み着かれる、ということがある。それで、そういう微生物の中にはうまい物質を出したりして呼吸器を刺激し、そういう激しい呼吸をさせる、という変異を起こしたものもあり、そうなると増えやすくなる……というわけだ。後述の、水分が異常に多い糞も似たような話だ。
昆虫に感染する伝染病には昆虫の脳を狂わせて「ひたすら上に行け」と命じ、木などのいちばん上に入ったところで全身を食い尽くして殺してから自分自身の……環境に耐えられるように変型し、それ一つからでも宿主にさえ入れば完全な自己増殖が可能な卵のようなものを大量にばらまく、という代物さえある。より高いところからばらまく方が広い範囲に拡がる、というわけだ。それに知性がないと誰に言えるんだ?人間は本当にそんな病気はないのか、性病の一つは……まあ知らん。
ちなみに上述のように、人類に限らずあらゆる生物は微生物に食われないよう、まして伝染病にやられないよう体内で様々な物質を作り、それ専用の細胞を分化させなどあの手この手で戦いつづけてきた。そこで重要なのが動物は、一種類の微生物にやられて死ななければ、体にあるそのための細胞が攻撃してきた微生物の特徴を覚え、また来たら前に撃退するのに使った物質などをまた出すことができるから、二度やられることはない、ということだ。またある程度他と往き来できない地域で、ある伝染病で何度も多数の死者を出しながら生きてきた人の集団は、その多くが遺伝子のレベルでその伝染病にかかりにくく、死ににくくなっている。逆に他と接触できないでずっと別々に生きてきた人間集団は、別の人間集団からなにか伝染病が感染したら一気に大量死することもある。後述するが、それが人類の歴史で最も重要な出来事、一つの群れが別の大陸全体を征服した事件の核心であり、また「二度やられることはない」という点が、ある時期から特に技術を発展させた文明の核心でさえある。
あと当たり前のことだけど、どんな動物にも植物にもそれ特有の伝染病がある。
で、人間の重要な伝染病と、それに関する生物もいくつか紹介していこう。
人類の天敵と言い切っていいのが天然痘。体温を上げ、皮膚に赤い部分をたくさん作る。呼吸からも含めて伝染しやすく半分は死に、生き延びても皮膚の赤い部分から臭い液が出てその跡が一生残ることも多く、そうなると後述する美を損なう。後述する、アメリカ大陸に前から住んでいた人をほとんど全滅させたのは主にこいつと後述のチフス類だ。ただし人間以外には感染せず、一度かかって生き延びたら二度とかからないので、後述するが世界全体を高い技術水準の文明が支配したとき完全に地球から除くことに成功した。麻疹など似た病気も多い。
結核は症状がしつこく、感染経路が多い。
インフルエンザは死亡率こそ低いが、しょっちゅう遺伝の複製の間違いを起こすから常に人間の間で蔓延している。一度極度に死亡率が高いのが人類全体に蔓延し、その時ちょうど起きていた最大規模の戦争に匹敵する死者を出したこともある。
インフルエンザに似ているのが風邪という、激しい呼吸や体温上昇などの症状をまとめた病名だ。いろいろな病原体がある。
ペストも非常に多くの人間を殺している。ある地域の歴史で大きい被害を出したから注目が大きいというのもあるが、恐ろしい伝染病であることに違いはない。
ペストは人間から人間の感染は弱く、ネズミ・ノミという二つの動物を経由した感染が主になる。
ネズミというのは比較的小型、人間の拳程度の大きさの哺乳類動物だ。知能が高く複雑な地形を垂直方向も含めて動き回ることが得意で、口の先にある長く強く伸び続ける歯を使って土でも木でもなんでもかじって穴を作り、そこで暮らすことができる。繁殖力も高い。食べられるものの範囲も広く、人間の保存食を特に好む。人間の生活が豊かになり複雑になり定住するほど増え、常に人間の身近の見えにくい所にいる。それが食ってしまう食料や衣類なども困りものだが、多くの伝染病に関わるのが厄介だ。人間や後述の家畜と違いネズミに糞尿を、人間が飲食したり着たりするものに入れるな、と頼んでも聞いてくれやしない、さらにこのペストという最悪の病気がある。
ペストはネズミだけからは感染せず、ノミという小型の昆虫も媒介として必要とする。目にやっと見えるぐらい小さく、とても高く跳びはねる。ちなみに別に凄い力とかじゃなく、ノミの身体構造が高く跳び上がることに適していて、また二乗三乗則で筋力当たりの体重が少ないからだ。まあそれはともかく、それは口を色々な動物の皮膚に刺して血を吸う。血は栄養価が高いから、接近して殺されるリスクがあっても余りあるほどだ。
で、ペストに感染したネズミの血をノミが吸って、それから次に人間の血を吸えば、ノミの中で生きているペストの微生物が人間の血液に入って増える。
皮膚のあちこちに黒い部分ができるのが特徴で、恐ろしく致死率が高い。ヨーロッパの人口の三分の一が死んだことがあるぐらいだ。
他にも人の血を吸う虫にはシラミ・ダニ・飛びまわる蚊などがある。
シラミやダニは発疹チフスという、同じく多くの人を殺してきた病気に関わる。
ちなみに、ノミ・シラミ・ダニは毛を利用して動物にしがみつくから、体毛のない人類はそれにやられにくい。人間の毛の薄さはその点で生存上有利だ、という人もいる。ただし衣服を覚えてしまったんだからそういうのにとってはもっと過ごしやすいかもしれないがね。
血を吸う昆虫で目立つのが蚊だ。蚊は流れのない水面に卵を産み……拳ほどの植物のくぼみに水がたまったところで充分だ……小さい頃はその水に澄む微生物を濾過食で食べて成長し、空を飛んで血を吸う成虫になる。
だから人間にとって、本来いつでもたくさんの生物がいて住みやすいはずの、浅い水が広い面積を湿らせている地域は伝染病が多いので死にやすい地域でもあるんだ。逆に必要もない水面は徹底して埋め、植物から遠ざかって幾何学的に単純な場所で暮らすのが、蚊を媒介にした伝染病を避けるには有益だ。
蚊が媒介する伝染病もマラリア、黄熱病など多い。どちらも気温の高い地域の病気だ。マラリアは熱を出し、それがいつまでも続き、調子が悪くなる。現代の人類にとってもきわめて重大な問題だ。黄熱病も致死率が高く、人類をとても苦しめた。
蠅も空を飛ぶ昆虫で、非常に多様。卵をどこにでも産むことができ、特に死体や糞、腐敗した植物などに産むことを好む。短時間で卵から出るごく小さい子供は膨大な微生物に食われないどころかそれを食ってしまう強さがあり、微生物以外もとても広く色々食べる。そして短時間で大きくなり、空を飛んでどこにでももぐりこんで卵を産む。
上述の、肉や皮を干したりしているところなどではちょっと油断するとすぐ蠅に卵を産まれ、小さい子供に全部食い尽くされることになる。というわけで人類にとっては常に傍にいる生物の一つだ。さらに糞を食べた直後に人の食物を食べたりするから、下で言うような飲食からの感染の元になる。まあ蠅に言葉がわかれば、自分たちは年中体中を徹底的に掃除している、人類のような不潔な生物じゃない、と言い返されそうだけどな。
また蠅の類には蚊のように口から血を吸う種類もおり、それもまた重要な伝染病につながる。困ったことに下で紹介する牛という家畜にも深く関わるから、アフリカ大陸のある地域では人が牛を飼って暮らすことがきわめて難しくなる。
つくづくアフリカ大陸は伝染病の面でも呪われているんだ……まあ当然だな、人類が何百万年か前に今の形になってから、いやそれ以前も体を流れる血の種類はほとんど変わらないまま何千万年も暮らして、その間人類の祖先のサルたちと一緒に蚊や蠅やノミや伝染病も進化してきたんだから。
赤痢、コレラ、腸チフスなどは飲食、特に水を通した伝染病で、水状の糞を大量に出させる。同時に熱などを出すものも多い。水のようになったそれはあちこちを汚染しやすいし、大量の水で薄められてもかなりの感染力を持つので感染しやすい……問題はその水状の糞には人体の水分が大量に含まれているので……水状の糞自体は毒をさっさと出してしまう、人間が生きるのに役に立つ仕掛けだが……大量に血を流すのと同じように死にやすい。他にも飲食物を通し、水状の糞を出す病気は実に多くある。
ちなみにチフスという病名はやや混乱していて、生物としての関係が薄いいくつかの病気でその名が見られる。逆に恐ろしい伝染病にチフスと名づけた、という面もあるかな。
ハンセン氏病というのは人類の精神構造の、私が一番嫌いな部分を強く引き出す伝染病だ。これで死んだ人数自体は大したことじゃない……感染力がものすごく弱いし症状を発しても多くが長いこと生き延びる。だが、この病気は皮膚を蝕み、人間の外見を変えてしまうんだ。そうなると後述の美を損ない、そして穢れ、恐怖、罪、スケープゴートといった多くの感情を呼び起こし、必要もないのに群れからの追放や様々な暴力、時に大量虐殺すら引き起こす。この病気に関することを思えば、私は人類の一員であること、そして私が生まれた国に生まれたこと自体が、聞いているのがどの宇宙の存在か知らないが恥ずかしくて嫌で消えてしまいたい。まあそれも、私が後述の近代の人権を尊重する文化で育てられているからなんだろうが。
本来繁殖のための交接行為から感染する病気も重要で、梅毒や新しいものではエイズがある。またある伝染病にかかった母親が妊娠出産した子供は当然それにかかる可能性が高い。それから人類がある程度進化してから、針を体に刺すということもするようになった……そうなれば二人が同じ針で自分を刺せば血液自体を混ぜるようなものだ、当然伝染病にとっては一番感染しやすい。あまりのアホさに言ってて自分で呆れたが本当だ。
エイズは現代の人類にとって、特にアフリカ大陸でマラリアと並び重大な要因だ。エイズは感染こそしにくいが、遺伝子の構造が単純で複製の間違いが起こりやすいため後述する近代的な対策が難しい。また人間が、体内に侵入した微生物を排除する、その免疫機構自体を蝕む。そうなると普通ならまず害にならない弱い微生物にも殺されるわけだ。そして感染した人間の体力と無関係で、子供や老人から殺す普通の伝染病とは違い多くの仕事ができる大人も弱らせてしまう。しかも死ぬまでに時間がかかるから、その間患者の回復を期待して与える食料などの負担が大きい。
伝染病と言えるものには目に見えない微生物だけでなく、大型の寄生生物も多くある。詳しくは述べないが、ごく最近のとんでもない生活様式の少数の人間たち以外は、常に多くの寄生虫に常に吸われている。上述のノミ・シラミ・ダニもある意味寄生虫だ。また時々寄生する生物には、ヒルという柔らかく形しかない、血を吸うと大きく膨らむ変なのもいる。消化器官に住んでいる寄生虫も実に多様だ。
**風土病
これはまあ「ある地域に住んでいる人だけに出る病気」ということだ。それにはその地域の、大地や水そのものに混じっている元素レベルの毒もあるし、またその地域だけに住んでいる動物から人間に感染するが人間と人間では感染しない伝染病、ということもある。
伝染病の、特に媒介する生物が地形・温度などに縛られてその地域から人間と一緒に移動できないこともよくあり、それも風土病になってしまう。
その地域の人間の習慣から、特定の微量物質不足が生じるため必然的に出る病気もある。
**遺伝病
遺伝自体エラーがときどきある。生きるのに必要な情報にエラーが起きたら体が正常に働かないのは当然だ。また人間の遺伝子は膨大なデジタル情報だが、そのほとんどはまったく無意味だ……逆にそれがちょっとの複製の間違いで致死的な悪い情報になることもある。
まあひどいエラーが遺伝情報にある子は、正常に大きくなって出産されること自体無理だ。産まれたときに外見ではっきり欠陥があり、運動能力や感覚や免疫に劣る個体は、非常に厳しい状態で生活する野生動物の場合生存自体が不可能だ。もちろん人類も昔は野生動物だったから、欠陥のある遺伝情報をもつ個体は死んだ。
上記の、ハンセン氏病に対する残酷な扱いも、外見に欠陥がある個体は遺伝子に欠陥がある可能性が高い、だから交配相手にしてはならない、という精神に遺伝子レベルで入っている判断でもある。
といっても、どんな動物にしても一つの欠陥もない遺伝子などあり得ない。誰もがなんらかの、多数のごく軽い遺伝病にかかっているんだ。
特に、一つの遺伝子だけではなんともないが、両親が同じ欠陥を持っているときだけなにか悪い影響が出る、というのは、同じ両親からまともな子供が生まれることも多いので消えにくい。
ただし外見と無関係な、遺伝子から来る欠陥も多くある。代表的なのが血友病という、外からの力で傷ついたとき血管をふさいで出血を止める機構に欠陥がある病気だ。
中には遺伝病でありながら、進化とも言える病気もある。ある遺伝子は、両親から両方受け継ぐと血液内で酸素を運ぶ細胞が変な形になって、酸素をうまく体細胞に運べなくなるから死にやすい。だが片方だけしか持っていないなら、上記のマラリアという病気で死ににくくなる。少数は死ぬ確率が高いが、多数がとても死ににくくなるから有利なんだ。
前述の生殖器官の異常を始め、体の内外の臓器器官の作りが普通でないものもある。
**内部からの病気
遺伝病は繁殖に関する遺伝子の複製の間違いによるが、個体の細胞も常に分裂し、死んでいる。その分裂でも当然複製の間違いがあるし、また外からエネルギーの強い光や元素、分子によってDNAの原子が分裂したり組み合わせがぶれてしまうこともあり、情報が狂った遺伝子がそのまま分裂すれば複製の間違いと同じことになる。実質誰もがかかっている広義の遺伝病がたくさんあるわけだ。
そんな細胞には、臓器としての役割を果たさずひたすら血管から栄養と酸素を受けとりながら増え続けるものもある。その場でひたすら増えるのもあるし、また血管に乗せて狂った細胞を一つづつ全身に送り、送られたのがその先でまた増殖するのもある。
本質的にそれは「元の自分の体と同じ細胞」であり、だから「異物を除去する」のが基本である免疫にとっては排除しにくい。免疫細胞はさまざまな異物と「自分」の細胞を見分けて異物を攻撃するが、その異常細胞はミクロの分子をどう調べても「自分」なんだ。というわけで多くは死に至る。そういうののほとんどは大したことが無く終わり、免疫が見分ける事ができて自然に治っているのも多いのが信じられないぐらいだ。
ちなみに伝染病ではないが、最近の高度な技術なしに伝染病かどうか見分けろと言うのも無理だ。
細胞分裂が多いところで起きやすいため、骨の髄など血液を作っている器官や消化関係の傷ついては修復されることが多い器官によく出る。日光を浴びた皮膚にも起きやすい。また傷を治すことをくり返している場に出やすいから、ある種の毒を飲食したり、また面白いことに人体と関係のない鉱物が肺に入ると、異物を排除しようと攻撃し続けてその結果そういう病気を起こしてしまう。
他にも様々な原因で、内蔵が機能を失うことがある。遺伝子にもいろいろ欠陥はできるし、受精卵から大人の体になるまでにいろいろと間違いがあることもある……というより大多数がちゃんとできている方がおかしい。
運動などの過剰な負担などもあり、それが体に様々な影響を与える。死体の骨だけを見て、生きている間どんなことをしていたかある程度分かるほどだ。
たとえば血管系や呼吸器系のあってはならないところに穴が開いていたり、胃が自分の消化液から自分自身を守るシステムが狂って自分を消化して穴が開いたり、変なところにごみがたまって微生物が増えて毒を出したり、腹の内臓が本来それが収まる部分の外に飛び出したりいろいろある。
詳しくは後述するが、ある程度以上人類が知識と技術を蓄積し、食料を得る術と社会構造を変化させると人間の中に「運動して狩猟採集をしなくても豊富な食料を常に得られる」のが出てくる。
動物としての人類はそんな環境に合わせて進化していない、常に全力で食物を求めて走り、手に入ったものは最大限に食べ、いくら努力してもほとんど常に餓死寸前、いやその多くは餓死するのが動物にとっては当然だ。
過剰なまでの食料が常に手に入り、また他にも脳が要求する快を充たすために様々な物質を飲み食いする生活……たしかにそれは飢えて常に激しく動く個体より平均寿命は長いが、限度を超えると体がそれに対応できず、様々な病気になる。ただそれらの病気の多くは、まあどの病気もそうだが、統計的なものだ。長く生きていれば体は自然に壊れる、生活習慣はその確率を変えるだけだ。
尿に多くの糖分が出て色々な病気が起きやすくなったり、また血管内で鋭い針のような結晶ができて体を中から刺して痛かったり、血管の中で脂肪などが塊になり血管がふさがって心臓や脳が酸欠になったり、肝臓から腸につながる管や尿を作る組織で硬い塊ができたり、口の中で食物の残りを餌にする微生物の出す酸に歯が溶かされたりと実に色々な病気がある。
それでも動物としての人間の脳は、二十年後の激痛より今大量に食べたいとばかり言い続けるんだ。まあ当然だ、二十年後生きている確率などごくわずか、今食べるだけ食べないと次食べられるのは三日後か十日後か、という世界で進化してきた動物なんだからな。
人間の免疫が人間自体を蝕むこともある。無害に近いものに対して上記の呼吸や体温や皮膚の異常を起こしてしまうんだ。
究極の病気は、老いと死だ。
多くの動物は、長時間生存しているだけで組織を維持するための細胞分裂になにかが起き、全身のあらゆる器官が弱くなり、運動能力が低下し、病気にかかりやすくなる。完全な健康と栄養を維持していても、最終的には全身の衰えから死に至る。多くの動物は歯を失うだけでも食物を食べることができず死ぬ。
逆に百年近くも、全ての細胞を交換しながら故障なく生きられること自体がおかしい、と思う方がいいぐらいだ。
これに関しては、知る限り例外はない。少なくとも人間は全て、最終的には死に至る。それを免れる術は今のところない。
別にそれでいい、繁殖さえ成功すれば、繁殖してその子供が繁殖できる年齢まで育てさえすれば、その個体は事実上用無しだ。実際繁殖を終えたらすぐ死ぬ生物は少なくない。
脳が記憶した大量の情報、肉体も含めて作られた経験はもったいないが、その影響が大きいのは人類ぐらいだ。
**精神の病
後述する人間の精神は、産まれた時点では事実上ゼロでそこから育てる側が色々と教え、また本人の脳も遺伝子が命じる通りに柔軟に成長する。だから発達には多くの個体差がある。
でもって、その個体差がその群れで生きるのに適さないレベルになることもあり、それは病気とみなされる。ただしあくまでそれはそのときのその群れで生きるため、という基準だ。また単純に群れの、詳しくは後述するが色々なルールを守らないのは大抵は別扱いされる。
精神については以下説明する。精神が様々な要素のバランスを失い、群れの一員としての的確な行動ができなくなればそれで病だと考えていい。まあ逆に、個体に異常はないけれど群れの都合で排除されることもあるが。
人とのコミュニケーション、自分とのコミュニケーションが原因で心のバランスを崩すことも多くあり、それはしばしば肉体の異常にさえなる。
もちろん遺伝・外傷・毒物・微生物・異常細胞など問わず肉体的な精神異常も多くあるが、外部からの影響が無視できるものも多いし遺伝子だけでは説明できないものも多い。脳というのはとことん複雑な器官だ、まともに働くほうが変なんだ。
あと詳しくは後述するが、さまざまな依存症もある。
さらに、人間の群れ全体の精神がさまざまな形で異常な行動を示すことがある。その各個体はその集団に順応しているから健康だが、全体としてみるとおかしいんだ。それは病といえるんだろうか。
というか、精神的に病気じゃないといわれる「ある集団に順応している」こと自体が、その集団という精神の病気に完全に冒されている、といってもいい。
*医・衛生
人体の生理や伝染病について解説したから、それで死ぬ率を下げる方法も分かると思う。死ぬ率を下げて群れの人数を増やすことは、少なくとも短期的には「DNAが自己増殖をする」という生命の目的に適い、それに優れた生物はより増え、後述する人間の精神もそれを求める。
あと人間の根本的な前提。全ての病気に後述する「名前」があり、多くの人が示すいろいろな症状が同じ一つの病名のあらわれであり、それぞれによく効く治療法がある。
まず伝染病から。
まず群れの中でもある程度遺伝子的な多様性を保っておくこと。全員のDNA情報が同じだと、そのDNAの穴を突く伝染病で瞬時に全滅する。群れ自体も多様性があるほうがいい。だからある程度以上離れたところに群れを分けておくのもいい……たとえその群れが敵に回ってこっちを殺すことがよくあるとしても。
そして群れの中では、伝染病を人から人に移すことを止めること。詳しくは後述するが、人が特に激しい息をしたらそれを吸わない、人の糞便や土がついた、また腐敗した水や食物は口にしない、伝染病に感染した者は最善は即座に殺して死体やその持ち物ごと焼き尽くす、次善は群れから離れた地域に少なくとも完治するまで隔離……いや、外から見て目立つ症状がなくても微生物を撒き散らし続けていることもあるので追放して水・食物などが触れないようにする。
また外の群れの人との接触もしないほうが短期的には安全だが、もし群れAが長期間他のあらゆる群れとの接触を断って何世代も過ごしていったら、Aは誰も経験していない伝染病に外の世界の人類の群れBはたっぷり経験して、それにかかっても全滅はしないよう変異した遺伝子の持ち主が多くなって……進化していて、それでいつかBとAが接触したらあっというまにAが全滅する、ということにもなるからやりすぎもよくない。
水・食物はまず人間の感性がきれいと感じるもの、そしてできれば口に入れる前に水が常圧で沸騰する以上に加熱したものを食べること。寄生虫などをよけるために体や衣類や寝具もたびたび水で洗い、日光にさらして乾燥させ、時には沸騰した水で加熱した方がいいぐらいだ。ただし衣類や寝具の、動物の毛由来のものは本質的に水洗いに適さないが。
住居などを工夫して、蠅・蚊・ノミ・シラミ・ダニなどに刺されないようにすることも重要だ。
遺伝病や寄生虫を避けるために、外見が「標準でない」個体を群れから排除することも有効だ。少なくとも繁殖相手には選ばないほうがいい。そのために人類は、詳しくは後述するが精神に美という感覚も進化させた。
くそ、そう理解してみると腹が立つが、ハンセン氏病患者にしたことはある意味間違ってない、ただしハンセン氏病の感染力の弱さを考えると不合理なまでにやりすぎ、しかも色々解明された後だったのに「伝染病患者の隔離」と「外見が美しくない者を避ける」と「穢れを忌む」が暴走し、当時の技術水準から見ても不要な虐待が横行していた、というだけだ。
では病気にかかったり、外からの力で傷を負ったりしたらどうすればよいか?
野生動物の場合、基本的には動かないで安全な場所に移動し、痛いところを舐めたり触ったりしてじっとする。痛みなどの症状がなくなればまた動きだし、できれば群れに加わる。自分自身を治す細胞の能力では足りなければそのまま死ぬまでだ。
実は人間はその、痛い部分を刺激する癖が不適な形で働くことがある……皮膚に異常があると、弱い痛みが常にあり、それを不快と感じてそこを爪など硬い部分でこすったりすることがある。そうすると皮膚に傷がつき、そこからより悪い感染症になったり、跡が残って美を損なったりする可能性がある。だが、進化する以前、分厚い毛皮のある動物だった場合には、皮膚に弱い痛みがあればそれはシラミなど寄生虫の可能性が高いから、それを掻きおとす必要があった。
ただし人間は知能が高いため、もっと複雑な治癒もできるし、逆に無価値なことを治癒行為だと思いこんでやってしまうことも多い。
かなり知能の高い動物に例はあるが、さまざまな動植物の、本来なら食べられないように体内に作っている毒を少量意図的に飲食したり、症状を示す体表に接触させたりすることもある。たとえば微生物を殺す毒をもつ植物を潰して傷口に塗ってやれば、傷口から微生物にやられることを防げる。また便が水状になる症状を起こす毒を意図的に口にすることで、別の毒や微生物を早期に体から出してしまうことができる。他にも色々きわめて複雑な作用が、様々な自然に存在する毒物にある。
傷に関して、骨が折れたときに骨の形を元どおりに整え、固い物で形を保って固定するのも重要な技術だ。
他にもかなり高度な、物理的な力を治療に使う技術がいろいろな人間の群れに伝わっている。
他にも、昔の人間は主に魔術を治療に用いていた。その多くは無効でむしろ有害だが、その中には膨大な試行錯誤による正しい治療も混ざっている。
何万、いや何百万年にもわたって人は身の回りのあらゆる植物・昆虫・動物、菌、土などを試し尽くしてきた。そのために捧げられた命がどれだけあったか、想像もつかない。その中には実際に、様々な症状をなくしてそのままだったら死ぬはずの人を健康で行動できる体に戻せるようなものも多くあった。
精神の病に対しては医はほぼ無力だ。最近はある程度効く薬が出てきたようだがね。