人間
人間の生理学や解剖学について、また客観的にどうすれば生かせるか、「異星人の動物園向け、地球人個体単独飼育マニュアル」。
*人体生理
**形状、四肢
では人類についてまず全体、そして下から順に解説しようか。哺乳類の一般論をやってから人類がそれから外れている点について話したほうがいいかもしれないんだが、私はあいにく人類に生まれたせいで人類について一番学んできたから、それがどう哺乳類の標準から外れているかを語るとするか。ブタ生理学やネズミ解剖学に十分詳しければ、それを解説しつつその妙な変形として人体生理学を紹介することもでき、たぶんそっちのほうがいいんだが。
今ここにある私の体を、細胞の分子レベルから全体までよく調べてみれば、それがとんでもなく複雑でよくできていることがわかるはずだ。機械とみなしてちゃんとリバースエンジニアリングできたら、あまりの複雑さと精妙さ、いい加減さに驚嘆するだろうな。そうそう、人類ももちろん含めて今まで言った大きい生物全部は、細かく見ると非常に小さな細胞……最初に言った、ほぼ閉じた油膜に入ったタンパク質とDNAなどの塊がたくさん集まってできている。
ごらんの通り、人類の個体はほぼ左右対称の形をしている。非常に大きく見ると、下半分が二股になった垂直な太い棒だ。上から丸い頭部、それに胴体という上下にやや長い塊がつき、その塊の上、頭部とつながるやや細い首に近いところから左右対称に二本、腕という長い棒が出ている。また胴体の下端から脚という棒も胴体に平行な方向に二本出ている。
前後は非対称で、前方には多く穴の類が見られる。胴体下端にも複数の穴があり、そこの構成が異なる二種類の存在がいる……多少例外はあるが。同じ両親の子供が二つのグループ、男女にはっきり分かれるんだ、不思議なことに。
一般的な哺乳動物は、地面と平行な太い棒で、その棒を上から見て長方形と見るとその長方形の各頂点から下に棒のようなものがつながっている、あと棒の前後に少し小さい出っ張りがある、とというのが基本形態だ。前後・上下に非対称で左右対称。前から動く頭部、細めの前脚が二本、太い胴体の後ろ端から比較的太い後脚、そして胴体上後端から尾が延びている。
それぞれの機能などを下から順に説明していこう。
一番下は足。多くのサルは足も物をつかむことに用いるが、人間の場合は非常に特異な体質をしている……二足歩行だ。哺乳類・爬虫類・両生類問わず大半の大型陸上脊椎動物は四本の脚全てを使って歩行する。だから四足歩行や泳ぐ動物なら前後方向と一致する体の中心軸が人間の場合上下になり、それと直交する、腹背方向が人間にとっての前後になってしまうわけだ。
鳥類は地上を歩行するときは二本脚で飛ぶことをやめて大型化した鳥は完全二足歩行、もう絶滅した鳥類に近い大型動物群にも二本脚はあったようだからそこまで珍しいわけじゃないが。生物はある程度似た形・機能に進化することもあるから分類はまぎらわしい。まあ生物に使える分子は限られているから、その分子と地球の環境で最も合理的な形自体も限られるんだろうな。
でもやはり地上を歩くときには、普通なら脚が多いほど安定する。考えてもみろ、二本脚だと移動するのに必ず一方の脚を地面から離して空中に持ち上げなければならない。その間は一本脚だ! 不安定にも程がある。それだけでなく、移動時の多くで両腕が完全に無駄な重量で、その細胞は無駄に水や酸素やエネルギーその他を消費するんだ。動物の目的なんて要するに移動して食べ、交接して繁殖することなんだ……そのほとんどで両腕は無駄だ。他の、ずっと昔いたものやオーストラリアにいる有袋類など二足歩行を選んだ動物は腕を小さくしたが、人類は例外だ。
脚が三本接地していて三角形を作り、重心がその上にあれば安定することは分かると思う。だから本当は最小で六本脚が安定するんだ。四本脚でも少なすぎる、二本脚はもうどうしようもないと言ってもいい。
だが二本脚で直立したおかげで、本当の大きさの割に高い動物になった。動物は大体大きいものほど強いから、多くの動物が人類の強さを間違えてくれる。また、高い所に目があるとより遠くを見ることができるし、高い木の実や葉も取れる。反面、四足歩行動物のように、自分が次に踏み出す地面やそれに近い化学物質を分析しながら歩くことができない。
さて、足が地面に接するところは、手が変型してかなり前後に長い構造を取っている。骨だけ分解すればわかるが、指の数どころか骨の数まで手と一緒で、一つ一つの骨の長さや太さが違うだけだ、生物の進化はそうやる。部品数の増減は困難で、一つ一つの部品を変型させるほうが楽だ。
足の指はやや短いが、いちばん内側の指が非常に太く強くなっており、地面を強くけり出す力を与えている。地面に接する足は、四つに分散できず二つだけで全体重を受けなければならない。だから多数の小さな骨がうまくつながってアーチ……横から見て曲線になっている。そうすると、上からの力が一つの骨に集中せず多数の骨に分散し、しかも形を保つように働く。アーチという構造は実に便利で、人間の建造物でもよく使われる。
他にも自然は「使いやすい形」を色々な形で反復する。それは非常に小さい物から銀河のようにとてつもなく大きい物までいろいろある。たとえば銀河の多くは巨大な渦……多数の螺旋が中心の一点から出た形を作っているし、その渦は海や大気のような大量の流体が動くときも、そのごく小さい部分にもよく出てくる。渦の形を部分に持つ生物も多く、その多くに5の平方根に関係する数が見られる。他にも我々の宇宙がしばしば見せる形や数式、定数は実に多く、その数学的な美しさは驚くほどだ。他にも単純な分岐の繰り返しなどでできた形は、ごく小さい一部が全体に相似しているような、特殊な複雑さをそなえることがある。
それら、幾何学が宇宙や生物、人間社会にまでもたらす影響はとても大きい。
人間の足の構造は極端に長くも短くもない。てこはわかるか? 棒を通じて力を伝える、特に棒を一端を固定して回転させる場合、力を加えるところと固定したところの距離:その力で何かを押すところと固定したところの距離の比で、同じ力を加えても伝えられる力が違う……数学や論理に優れた種族にとっては自明だと思う。まあその梃子で、棒が長いと力は弱まるが、早く動く。棒が短いとその逆だ。関節間の棒を伸ばすことは苦手なのか、陸上大型動物は速く走りたければ関節を増やす。かなり多くの陸上動物が、人間の足や手に当たる部分の骨を長く伸ばし、種類によっては長く伸びた指一本の先で接地して走ることさえある。逆に地面を掘るように極端に強い力を出したければ、骨を短くする。
さてと、足は関節……二本の棒の端をつなぎ、離れないようにしつつ角度を変えて動けるようにする機構……でやや長い二本の並行する骨につながり、それが膝という別の関節につながり、膝からまた非常に太い骨で胴体につながる。
特に脚全体が胴体につながる関節は見事な構造で、脚上部の太い骨……大腿骨から出ている半球形の部品がしっかりと球形のくぼみにはまりこみ、だから本来は前後左右ものすごく自由に動く。
ああ、脚は……人間の体はどこも、まず骨と骨が関節を作るときにその関節周辺にいろいろな組織がある。柔らかめの骨に似た構造、非常に丈夫な繊維、それどころか固体どうしが触れ合うと摩擦が発生するのでそれを防ぐための液体まである。
そして筋肉という、骨と骨をつなぐ細長い細胞の塊があり、それが伸縮することによって関節が動ける方向に体が変型する……運動する。
その運動は、別の神経という化学的に電気情報を伝える細胞の、電気信号によって動く。また運動は大量のエネルギーを使う……短い時間なら細胞内のATPや糖でも動くが、すぐに限界が来る。そのためにたくさんの、前に言った血液を運ぶ肉の管があり、酸素や糖分を補充して副産物の二酸化炭素などを運び去ることもする。血管と神経は全身の、生きている細胞でできているところにはほとんど至る所に、ごく細く分岐して通っている。
そして脂肪も重要だ。人間を始め多くの生物の細胞の表面が脂肪でできているだけでなく、内部にも多くの脂肪などをためこむことができる。人間などの脊椎動物は特に脂肪をためこむことが得意で、それ専門に分化した細胞の組織さえある。その脂肪は食物が足りていないとき以外は無駄な重さでもあるが、外の温度変化や衝撃などから内部を守る働きもしている。その脂肪は簡単に増減するので、同一個体でも食事によってかなり外見が変わることもある。他にもさまざまな役割を果たしている。骨内部や脳なども豊富に脂肪を含んでいるし、脂肪組織が胴体内の内臓周辺、皮膚と筋肉の間などに多量に蓄積される。
そして表面を皮膚という器官が覆っている。やや薄く、多くの繊維細胞で強化されており、内部には外の圧力、温度変化などを感じる多数の感覚器、毛を出す、表面を守る油脂を出す、これは人類以外少数しか持たない能力だが体が熱くなりすぎたときに水が気化するときに膨大な熱を奪うことを利用して冷やすため体液の一部を出すなど多くの小さい器官がある。本来なら外側を毛で守るのが哺乳類では普通だが、人類はそうしておらず、一部を除いて毛が極度に細く短くなっている。
他の哺乳類のかなり多くは、その全身を覆う毛にいろいろな色があり、それで模様を作って個体を識別させることができるが、人類にはそれができないんだ。また毛を用いた感情表現もできなくなる。
いちばんの表面は死んだ細胞でできており、さらにそこには多数の細菌が常にいて他の細菌などから内部を守っている。人間は多数の細菌との共生体でもある。
ここで生物の体がいかにうまくできているか少し触れようか……普通の生物は、表面が少し傷ついたぐらいでは死なない。傷が大きいと血液を失うなどして死ぬが、小さければその傷の周囲の細胞分裂を早め、傷を覆ってまるで傷がなかったようにすることができる。
それだけでなく、人間の皮膚は繰り返し激しく摩擦されるなど傷ついた場合、それが十分な間隔があれば一時痛んだ皮膚が回復したとき、皮膚が厚くなってより強くなることもある。また筋肉も、無理な強度の運動をしてから休息すると、傷ついた部分が運動する前よりも強くなることがある。体のすべてが、状況に適応するために成長する……まあ限度はあるが。
人類は地球全体にたくさんいるにもかかわらず、遺伝子がほとんど変わらない。昔、巨大な火山の噴火のせいでごくわずかに減ったからだろうといわれている。
だが、遺伝子の違いは小さいけれど、外見に遺伝する違いがある群れに分かれる。といってもどの個体も交配可能だ。主に皮膚の色、強い日光から内部を保護するための色素によって区別できる。大体皮膚・体毛とも黒く体毛が曲がっている、体毛がまっすぐで黒く皮膚は中間の黄色、体毛が細く色も薄く皮膚に色素が少なく白の三種類に分けられている。ただし皮膚の色は濃いけどDNAを分析したら白いのと同じだった、というのもある。ちなみにオーストラリアあたりの人々は皮膚の色が濃いが、アフリカの皮膚が黒い人々とは遺伝子的な来歴がかなり違う。
外見の違いの割に体の機能にはほとんど違いがない。体の機能に遺伝的な違いがあるといえば、後述する牛乳を消化できるかとか血液が変で病気になることもあるけどある伝染病にかかりにくいとかはあるか。
そういう構造で移動していて、また大気と、大抵の陸地表面の構造からいって、人類は上にも下にもほとんど移動できない。上に行けば重力で地面に戻され、手や足で空気を蹴ったり下に息を吹いたりしても空気の密度が低すぎて地球の重力に勝てない。地面を掘って下に行くには、特に道具を使わなければ人間のサイズと手足の構造では地下にもぐるような穴を掘るのはかなり大変だ。また呼吸器などについての説明とも関係するが、水中で生活することもできないが、短時間なら手足を使って水面近くを泳ぐことはできる。
だから人間の生活圏は、ある程度二次元で近似される。
**生殖器、骨格続き
さて、胴体の一番下には、他の多くの陸上脊椎動物は後ろ側にもう一本、尾という、内部の骨が多数の短い棒がつながってできていていて曲がることも含め自由に動く棒があるが、人間の場合例外的にそれが非常に小さくなって、骨格にわずかに残るぐらいになっている。
また胴体の一番下には、いくつか穴がある。これは雌雄……個体が生殖に於いてどちらの役割を果たすかでかなり違う。ちなみにたまに奇形がある。性はグラデーションだとか色々人間は言うが、正常に生殖できない個体は遺伝子的には自然に消える奇形だ。胴体下端は、後ろから順に食物の消化管の末端で糞を排出する肛門が雌雄……男女共通。
それから雌は生殖時に雄の生殖細胞を注入され、また子供を出すのに用いる膣、体内の水分や塩分や窒素分などを処理して排出する尿道口が肉襞と、人間の体の多くでは極度に細く目立たなくなっているが例外的に残っている体毛に守られている。
雄は生殖細胞などを作る睾丸という臓器が露出している。冷やすためとも言われているが、非常に大きいリスク要因だ。四足歩行なら胴体全体に守られているからまだ安全なんだが、人間の場合は前下に放り出している……無謀と言っていいぐらい危険なことだ、ここはごく弱い衝撃でも激しい苦痛で行動不能、最悪死に至る。その上に、脊椎動物としては比較的大きい筒状になった棒が出ている。筒としては、恐ろしいことに尿の排出口と生殖細胞を出す生殖器を兼ねている。感染などを考えれば無茶だと思うけど、なぜか大型脊椎動物の多くはそうなっている。その棒を雌の膣に入れて生殖細胞を多く含む液を放出すると、それが雌内部の器官に入って雌の生殖細胞と接して受精卵ができるわけだ。はっきり言って同時に病原微生物も厳重に保護して交換してるとしか言いようがない、アホか設計者出てこいと叫びたくなる。でもなぜかそのシステムが進化で生き残っている。多分病原微生物の交換より生殖細胞が保護されることの方が大事だったのだろう……表皮上に生殖器官を作るよりはましかもしれないし……頑丈な膜で覆って固めた生殖細胞の塊を吐き戻した消化液で滅菌してから受け渡す、なんてことはできないか……
流れだと尿や雌の生殖器官だろうが、とりあえず骨格と外見の説明を済ませる。
体幹の背中側中央に、かなり太く多数の短い管状の骨がつながった棒、脊椎があり、その一番下は前に言った尾の名残につながっているが、その下の方は大きな骨の板をなしていて、それが体内の内臓の重さを受けとめ、また前に言った大腿骨との関節を作って脊椎とつなげている。
胴体自体はそのまま上に伸びる。目立つのは前側中央やや下にある妙な部分だ。それは哺乳類特有のものでへそと呼ばれる。それはあとで説明するよ。あと胴体前方上部の形が、雌の平均と男性の平均でやや違い、雌の場合大量の脂肪を集めたふくらみが一対ある。雌雄ともその先端に周囲と色などが違う器官があるが、機能しているのは雌だけだ。
それから上は、並行に脊椎から伸びて曲がり、上のほうのは前で融合している肋骨という多数の骨に守られている。明らかに胴体背部のほうが肋骨などが多く、守りが堅い。本来四足歩行の哺乳類は背中を外に向けており、胴体前面は普段は大地でがっちり守り、決して外に出してはいけない弱点に他ならない。というか四足歩行動物にとって、腹は胴体下面だろう。まあ人間は背中の肋骨も下のほうが弱く、折れたらすぐ内臓に刺さるようにできている。欠陥品もいいところだ。
胴体のいちばん上の背中側に肩胛骨という骨の板、また前方には鎖骨という横棒があって、その肩胛骨と鎖骨がつながった所に前の大腿骨同様半球を受ける自由度の高い関節があり、腕というもう一対の棒につながっている。腕・肩胛骨・鎖骨は直接脊椎とつながってはいないのが興味深いな。
腕もまず肩、そして肘という単純な関節と骨の棒でつながり、それから多数の骨が集まった手に達する。手には足に似た指があるが、その指は五本ともかなり長い。そしていちばん内側の親指が特徴的で、やや短く関節が一つ(他四本は二つ)、他の四本の指と向かい合わせることができる。これは上記の「つかむ」作業に実に適している。手の指がつながっている多数の骨などでできたある程度動く手のひらと呼ばれる板状の部分、親指、他の指のうちの二本があれば摩擦のない球をつかむことさえできる。また手や指には実に多くの神経と筋肉があり、非常に細かい作業をこなすことができる。
あとこれは足にもだが、指先のある側は死んだ細胞でできた固い板でおおわれており、かなり力の入る作業でもこなせる。その爪という板は動物の種類によって色々な役割をする……走ることが多い四足歩行動物はそれに地面との接触を任せ、ほかの動物を食べる肉食動物はその爪が鋭く尖って獲物を破壊することができる、など。
手の指は一方向に曲げることができ、うまく最大限に曲げれば手先が塊状になる。その拳を前に突き出せば衝撃を与えることができ、それが人間の最も標準的な「武器」だと普通思われている。だがあまりに多くの小さい骨の集合体であり、それほど頑丈でもないし威力も乏しい。同じ人の頭部を殴れば骨折の危険があるほどだ。人間は本来道具を持たずに他の生物を殺すようにはできていない……おそらく、後で詳しく言う集団内での儀礼的闘争のために進化したのだろう。あと、本来の用途は人間に近いが二足歩行は苦手な大型サルが、拳を地面について四足歩行をすることがあるから、そっちが主かな。
人類の腕は非常に動きの自由度が大きい。犬は前足で背中を搔くことはできないが、人類にはできる。それは元はといえば、人類の先祖が森で木の枝を伝い、ぶらさがって体を揺らし枝から枝に移るなどして移動していた頃の名残とも言える。それは大型化して木から下りてからも、重いものを運搬したり道具を使ったり、「ものを投げる」という特技につながった。別の用途のために進化したものが、思いもかけないことに役立ったわけだ。
人間が他の生物を殺すには、二足直立によって高いところに多くの質量があり、それがエネルギーになるから、飛びかって相手を押し倒してそのまま頭や肘を体重を乗せてぶつけるのが適しているはずだ。
そして脊椎は胴体から出て、丸い頭部につながっている。頭部は頑丈な骨の板がいくつも組み合わさって殻状になり、中に大きな脳という器官を入れて守っている。頭部上部の外側の皮膚にしっかりした体毛が生える。
実を言うと、人間の二足歩行というのはものすごく無茶だ。大型哺乳動物の基本設計は四足歩行で、背骨や肋骨を始めあらゆる骨がそれに適応している。それを無理に立たせたんだ……それこそ橋を垂直に引き起こして、ビルとして住むぐらい無茶だ。なんとか立っていられるのが奇跡のようなものだ。どれだけそのせいで起きる欠陥があるか……たとえば個体が長く生存し、筋肉や骨などが弱ったらいつも足や腰に痛みがある。他にもおいおい言うが、もし聞いているのが神なら欠陥品の苦情、できれば製造物責任法による告訴をしたいところだ。
**生殖
さて、まず生殖について説明するか。生殖細胞の交換については話した……人間については精神的・魔術的・社会的などいろいろな面もあるけど、それはややこしくなるから後回し。生殖の多くは、脊椎動物の常として雌と呼ばれる半分の個体が行う。その雌雄は受精時に遺伝子で決まるが、脳や生殖器官形成の上での雌雄が成長時に狂うこともたまにある。雌は上記の胸部の脂肪と腺……乳を出す器官……が発達し、体自体脂肪が多く筋肉が少なく雄に比べやや小型だ。内部の……それも後で言うけどホルモンや脳の構造もかなり違う。
本質的に最大の違いは胴体下端の生殖排尿器官と、雌の膣につながる下腹部奥の子宮という臓器だ。大きい袋、二つ突き出た部分がありそこに卵巣……生殖細胞を供給する腺がある。その発達は、雄もだが産まれてからやや遅れて十数年必要だ。発達して妊娠していない期間は、供給されたものの雄の生殖細胞と接しなかった雌の生殖細胞などが血液に似た液として膣から定期的に出る。それがなぜか、地球の衛星である月が公転……人間から見れば変型する周期とほぼ一致しているのが面白い所だ。それに社会的というか魔術的な意味がいやというほどある。
ちなみに人類は、他の大抵の動物と違い成熟後は常に発情している。大抵の動物は、月などで定められるある時期以外は交接せず、発情期には外見や匂いがそれ以外とは少し違って見分けられる。
さて、成熟した雌と成熟した雄が交接し、受精したら受精卵は子宮内で保護され……しそこねたら普通死ぬし、下手をすると母体も死ぬ……胎盤という器官を作る。
母と子は、確かに遺伝子の半分は共有しているがあくまで別の個体だ。だから直接血液を混ぜ合わせることはできない。だが子は酸素・栄養などを必要とし、また老廃物を除去される必要があるが、まだ乳を吸うことはできない。だから胎盤内で非常に細い血管どうしとんでもない面積でつなげずに並行させ、いろいろなものを交換している。その血管は胎児と、前に言ったへそから出た太い血管でつながっている。またある程度妊娠が進むと子宮内は羊水という体液でみたされ、羊膜という膜組織で胎児を保護する。そうして守られながら単細胞から小さな人間の姿まで、二倍二倍に増えながらゆっくりと発達するわけだ。その発達では、必要ない部分の細胞が勝手に壊れて形ができる、という器用なことさえある。
人間はかなり雌が腹部に胎児を入れている妊娠期間が長く、一年近くにもなる。胎児がかなり大型化するので腹部が膨らみ、運動機能なども大きく損なわれる……単独で苛酷な状況では生存できない。
そして出産……胎児を膣から逆に外に出し、母胎と切り離すときに最大の危険がある。人間が四足歩行から二足歩行になった最大のデメリットだ。胴体下端の骨は、内臓の大きな重量を受けとめて歩行に使われる二本の脚を胴体とつなげるという、四足歩行時代の目的とは違う目的のために強引に進化した骨の板になっている。だから出産のために必要な、股間の骨の隙間が狭いんだ!
その狭い隙間を、ただでさえ妊娠期間が長くて大きすぎる胎児の、肥大化した頭骨を通り抜けさせるんだ……無茶だ。同じ大きさの四脚哺乳動物に比べてずっと母の苦痛と消耗が激しく、もちろん母子ともに死ぬリスクも桁外れに高い。まったく、二足歩行したいならなんで有袋類や鳥類や、昔いた恐竜と呼ばれる爬虫類と鳥の中間みたいな動物から進化しなかったんだ!
ああ、生物の進化については説明した通り、要するに遺伝子情報の複製の間違いから生き延びたのが選ばれる仕組みだ。だからまったく新しい要素を合理的につけ加える、ということは生物は本質的にできない。親が持っている器官を少し変型させて作るしかないんだ。それでも驚くような変化を成し遂げることはできるし、本当に不都合のほうが大きければ絶滅するからそれがテストにはなっているけど。
ついでに言うと、そんな長い時間をかけ、母体に負担をかけて生まれた人間の乳児はそれでもまだ未発達だ。わずかでも自力で移動できるまでに二、三年、自力で餌をとれるまでに最低十年はかかる。そんな動物は他にほとんどない。
出産された小さい子供はまず母親の胸の器官から分泌される栄養豊富で微生物を殺す物質も含む液を食料として成長する。ちなみに飲んでいる間は次の子供が妊娠されにくい。
**循環
さて、次はどこから説明するか……まず循環器にしよう。
頭部の前方下に、三つ穴がある。下にある一つは大きい、関節によって開閉する口、その少し上にあまり動かせない小さい一対の穴があり、その穴の上が弱い骨に支えられて少し盛り上がっており鼻と呼ばれる。
口も呼吸に使われるが、鼻が本来呼吸で外と空気を出し入れする穴だ。三つの穴が体内でつながり、一つの大きい袋とつながっていると考えればいい。
鼻の中に入るとその中に毛が生えており、その後ろには複雑な構造がある。そこには空気中の物質を分析する器官がある。空気をどんな分子が含まれているか分析し、得た情報を匂いと呼ぶ。多くの動物では非常に重要な感覚だ。
さらに行くと、口から胴体内に向かう別の管と一時つながる、複雑な構造を作ってまた分岐する。これは人間の本質的な欠陥であり、同時に最高の道具でもある。呼吸は圧力のかかった空気の流れを作るのだが、この喉の多数の筋肉、鼻から体内の空気を通す管の中のある構造によって空気の流れを調節し、それと口の様々な構造を利用して、きわめて多種多様な空気の圧力波……音を生みだすことができる。その音で様々な情報を伝えることができるのだ。欠陥としては、空気の流れと水や食物は別の臓器が処理し、特に空気を処理する肺という臓器は敏感で水や食物を含め異物を流しこまれたら簡単に死ぬ。空気用の管も詰まりやすい。だから人間は、食べたものを間違えて空気の管に入れて死ぬことが結構ある。これも欠陥だ。
さて、空気の管は下に行き、胴体に入って二つに分かれ、似た形のかなり大きい肺という臓器につながる。その臓器は袋になっており、胴体上部を覆う肋骨周辺の筋肉や、胴体内部で上下を分けている横隔膜という丈夫な筋肉の板の力によって袋にかかる圧力が変わる。そうなると気圧……大気の、地球全体から見れば薄い層だが人間から見れば膨大な積み重ねが作る、人間は普段気づかないがかなり強い圧力があるため、それによって空気が出たり入ったりする。なぜ出入口がある管にしなかったのか……穴が二つより一つのほうがリスクが少ないとでも?
その肺はきわめて複雑な、ひたすら表面積を増やすための構造をしている。無数の袋が集まったようになっているんだ。その袋に非常に細い血管が通り、そこで血液の赤を出している鉄を含む分子が新鮮な空気中の酸素と結びつき、細胞が生きるために呼吸して出した二酸化炭素を肺の空気に戻す。だから吸った空気に比べ、吐いた空気は酸素が少なく二酸化炭素が多い。
他にも色々な臓器が表面積を増やすための構造を持っている。表面積が問題でなければ、わざわざ穴を作らなくても体表でやればいい……細菌がそうしているように。でも大きくなれば、二乗三乗則……立方体の各辺を2倍にすると相似な立方体ができるが、定義上表面積は4倍、体積は8倍になることが分かるだろう。そしてn倍だと表面積はnの2乗、体積はnの3乗になる。どんな形であっても表面積と体積の増え方は同じだ。そうなると、大きくなればなるほど表面積と体積の比が大きくなってしまうんだ。だから細菌がそのまま十倍になると、内部の体積に対する表面積が少なすぎて、表面だけではうまく外界と物質を交換できない。また人間をそのまま十倍にすると、骨が細すぎ足の裏に掛かる圧力が大きすぎて壊れてしまう。だから大きくなるには頑丈な構造に、そして必要な表面積を大きくしなければならないんだ。
次は循環系かな? その血液を利用して、酸素を全身の細胞に行きわたらせ、また二酸化炭素を回収しなければならない。また他にも水分、さまざまな栄養素、細胞に命令するためのごくわずかな物質などいろいろなものを血液を通じて全身に送る。脊椎動物は体が大きくて、表面のと外界のやり取りでは奥の細胞に酸素や水分を十分に送れないんだ。
そのために、人間を含む脊椎動物は心臓という、液体に圧力をかける器官とその心臓につながる肉の管を持っている。人間はそれに似た、圧力を操作するポンプという道具を発明しており、それを心臓を表現する比喩に使っている。
その肉の管全体は、分岐を無視すれば人間の場合ひとつながりの輪であり、その一部が接近して並行しそれぞれにポンプがついている構造になる。しかも便利なことに、一つのポンプが二つのポンプの役割を同時に果たしているんだ。
さて、一つの輪だから出発もなにもない。適当な所から出発しようか、心臓から肺に向かって押し出された血液はすぐ二つの肺に分かれ、それから更に多数に分かれる。肺は上述のように複雑な多数の、非常に細い血管ばかりの袋になっていて、そこで血液の赤い色素の鉄分が酸素と結びついて赤くなる。そして無数の分岐がまた集まって二本、そして一本の太い流れになって心臓に戻る。一部が非常に細かく分かれた輪になっているわけだ。それが心臓に入り、またとても強い圧力をかけられて今度は全身に送りだされる。いくつにも分岐し、手の先足の先、頭のてっぺん、骨の中、全身のあらゆる臓器……体の血の通っている所全てにその血管の細かい分岐がある。どこを破壊しても血が出る。それがまた、肺の時と同様分岐が戻っていき、一本になって酸素が少なく二酸化炭素の多い血液を心臓に戻し、また肺に向かって出発するわけだ。実際驚くべきことだ、人間を含む脊椎動物の太い血管を出して切り、一方から大量の色をつけた水に圧力をかけて流しこめば、体のどこを切ってもその色水が出るようになるし血管を切ったもう一方から流れ戻るようになるんだ! ただし正しい側でないと難しい、外から戻る、黒っぽい血が流れている血管の多くに弁……中を流体が一方向にしか流れないようにしてある機構があり、逆には流しにくいんだ。
ああ、血液の成分についても少し。血液の多くは水であり、塩化ナトリウムなども多少溶けている。人間の体が出す様々な化学物質も多く溶けているし、そして無数の、どこともつながらず血液中を泳ぐ細胞もある。それが実に様々なことをしている。そういういろいろがあるから非常に栄養豊かな食物にもなるし、逆に栄養がありすぎるから水のかわりに飲むことはできない。体がそれを全部処理しようとして、かえって水分を失うんだ。
たびたび言っている、鉄を含む赤いヘモグロビンという色素は……名前なんてある意味どうでもいい、厳密に分子式・原子構造図を書く余裕がないんだから本当に説明してはいないんだ……血液にそのまま溶けているのではなく、赤血球という核を持たない、細胞の外の構造だけの組織の中に含まれている。あと骨の中には脂肪分の多い組織があり、特に骨盤や脊椎など大きい骨は血液の中で動き回る細胞の一部を作っている。他にも血液の中で活動する細胞を作ったり、血液に化学物質を出したりする内臓はとても多い。その役割も色々、酸素を運んだり、体内に入った細菌などを食べて殺したり、体が傷ついて血が流れ出たらその血管を固めて血が出るのを防いだり。
ついでに免疫も説明しておくか。免疫とは、前からさんざん言っている「生物は放っておくと色々な微生物に食い尽くされる」のに抵抗するシステムの総称だ。
更に言えば、上記の毒を分解するシステムと区別していいのかもわからない。今言った、体内に入った細菌などを食べて吸収したりそれ以上増えないようにしたりする血液内の他とつながっていない細胞の活動も免疫だし、血液自体に多くの微生物にとって毒になる物質が混じっているのも免疫だし、一つ一つの普通の細胞もいろいろなものを出したりして微生物の攻撃に抵抗している。
体の液は血液だけでなく、組織そのものの間にリンパと呼ばれる液が充満しており、そのリンパ液をある程度動かす管やそれを出す腺も体のあちこちにある。
ちなみに、人類は四足歩行動物が強引に二足歩行になっている……同じ大きさの四足歩行動物に比べて、血液の上下移動が非常に大きい。しかも後で言うが、いちばん血液を通しにくいいちばん上に大量の血液を要求する器官がある。だから心臓や血管にはものすごく余計な負担がいつもかかっているんだ。これも設計ミスと言えば設計ミスだよ、心臓のすぐ下であればよかったんだ。
ま、設計ミスがあれば、魚からどう変化してきたか追ってみればいい……魚の構造に由来する設計ミスさえ人間には実に多くある。
循環系の、呼吸に並ぶもうひとつの要素も説明しておくか。胴体の背中側やや下に、互いに似た形の臓器が左右対称に一つづつある。小さいが血液は大量に流れていて、その内部は恐ろしいほど細かい構造になっており、それは血液から過剰な水分や塩化ナトリウム、細胞がタンパク質を切り離した時に出した単純な窒素化合物など様々なものを抜いて血液をきれいにする。抜いたものは水にいろいろ溶けて黄色い液として二つの臓器から中央にある一つの袋に管で流し入れ、その袋から胴体下端の、前に説明した男女で違う穴から外に放出する……尿だ。非常に残念ながら、人間の腎臓には海水を飲んで長期間生活できるほどの性能はない。あればよかったんだがね。
あと血液には食事からも自分の体内の細胞からも体の中の微生物からも色々な物質が入る。それを処理するのは全身の細胞がある程度やるが、特に肝臓という胴体右下にある特大の臓器がそれを集中的にやる。特に毒を無害にするのが得意だな。人間が普通に食べるものでも実は多くの毒が含まれている……あらゆる生物が他の生物に食べられないようあらゆる毒を作るんだが、人間は一部の特に悪質な毒以外は肝臓で分解して食べても平気だ。多くの動物で、この毒は平気だがこの毒は苦手というのがある、だから残念ながら別の動物が食べているからこの草は食べられる、虫が食った跡があるからこの(実は糸状の菌類が繁殖するために出した)塊は無毒だ、とは限らない。人間はけっこう範囲が広いかな。肝臓には他にもエネルギーをためるなど多くの役割があり、一つに赤血球の分解がある。他にも脾臓という別の臓器も赤血球を分解するな。
**消化
さて、次は食物についてやるか。前に言った頭部の、関節がある口から入り胴体下の肛門から出る。
まず口から。口は人間以外の多くの、特に動物を食う動物にとっては最大の武器でもある。武器というのは要するに他の生物の体を破壊して死なせるのものか。殺した相手の体を自分の体に入れ……食べて単純な、高い秩序とエネルギーを持つ分子にして自分の体の材料や燃料にするためだ。
とても強い筋肉によって、頭蓋と下の骨が閉じたり開いたりして相手をはさむことができる。またその端の部分が、きわめて硬い歯と呼ばれる塊状のものや嘴と呼ばれる固くなった部分ででき、それを相手に食いこませ、切断し、押しつぶし、すりつぶすなど様々なことができる。色々な動物がいるから口の形や機能も様々だがね。
人類は口の武器としての面が比較的小さい。歯がつく部分が小さくなり、前に出ておらず、弱い。人間が後でいう加工をせずに食べられる生き物はごく少ない。
いや、歯の前に唇というものがある。口と歯を覆う柔らかい組織で、人間はそれにも多くの筋肉があって、それを動かして色々な感情を表現できる。また人間どうしの親密なコミュニケーションとして、唇を相手に触れさせるものもある。詳しくは後述。
口内部から皮膚ではなく、再生が早い組織が露出している。そして口の中には、舌という筋肉でできた短い棒がある。それは口に入れた食物を体内に押し込む補助をする器官だが、人間の場合それを前に言った声を出すとき、その情報の種類を増やすことにも用いられる。また舌表面には非常に敏感な化学物質を分析する小さい器官が多数あり、それは口に入れたものが食べられるものか毒か瞬時に判定する。その判定をくぐり抜ける毒もあるが、はっきり言って多くはない。口の中には水分の多い、デンプンという糖がつながった分子で植物が栄養を貯める養分を消化する消化液が少し出て、それは食物を飲み込むのを助ける役割もする。人間にとっては水分が多い食物ほど食べやすい。また舌は、多くの哺乳類は自分自身や同じ群れの仲間をこすって体をきれいに保つのにも使われる。
そして前に言ったように一時気管と交わってから、また分岐して胴体に向かう。しばらく下に行って、かなり大きい袋……胃になる。その胃は出入口が閉まって出入りしにくくでき、胃全体に強い筋肉があって自在に動き回る。いや、口から肛門までの管の全体が筋肉だらけで、それが管の径を拡げたり狭めたりの運動をし、それを波状に伝えることで食物を正しい方向に押し出し続けることができる。本来重力をあまり感じない水中で、しかも横向きに進化したのだから、重力に頼らないシステムなのは当然のことだ。
逆に害になる物を胃から口まで押し戻すこともできる。便利なことに、人間は喉の奥に物を突っ込んだりしていると反射的に食物を吐く。舌や鼻が悪すぎる味や匂いに触れたり、脳が「これは毒だ吐け」と意識の下で判断しても吐く。けっこう重要な機能だ。
胃はその動きによって物理的に食物を潰すこともするし、とても強い消化液も出す。塩素によるきわめて強い酸だ。それに耐えられる生物など存在しないから胃も体も溶けてしまうと思わせるが、胃の細胞はその酸から体を守る液を出し続けることもする。主にタンパク質を分解する。
そして非常に細長い管につながる。その管は体そのものよりずっと長く、それを折りたたんで胴体下部に納めている。
そのひとつながりの管は三つに分かれている。胃からつながる短い管、細長い小腸、やや短く太い大腸。
小腸はそれ自体胃と同じように動く。そして上述の肝臓と、膵臓という横に細長い別の臓器とつながっており、それらが出す多くの酵素を含んだ液によってあらゆる食物の成分を分解・吸収する。その吸収のための表面積稼ぎが驚くほど精巧だ。腸の内部自体無数の襞があり、その襞の表面も短い毛のような組織がある。その細胞の一つ一つからさえ毛のようなものが出ていて、その膨大な表面積の表面で様々な物質をやりとりしている。過酷な条件だからその細胞はすぐ死ぬが、あとからあとから次が増えてくる。
それだけじゃなく、人間が食べるものにはなんでもたくさんの微生物が住んでいる。その多くは胃の酸で死ぬが。腸の酸素がほとんどない環境は嫌気性微生物の天国だ。その菌が害になることもあるが、時には人間の臓器が出すものでは分解できない食物を分解して人間が食えるようにしてくれたり、人間が自力では作れない必要な物質を作ってくれたりすることもある。菌どうしも互いに食い合い、有害な菌を減らしてくれもする。皮膚表面の菌も含め、人間は単独では生きられない……無数の菌と助け合ってやっと生きていられるんだ。
小腸で糖・脂肪・タンパク質をはじめ多くの栄養分を吸収された食物の残り……といっても食べたものはほとんど吸われ、先に行くのは死んだ腸の細胞とか微生物とかだ……は太い大腸に行く。そこは特に体内微生物が多い。大腸は主に残された水分を吸収し、全部吸ったのが最後に肛門から糞として出る。
あと体内の微生物は膨大な種類の物質を入れ、色々出す。あらゆる炭素を含む複雑な化合物を使った結果出る二酸化炭素が多いが、メタンから始まってかなりややこしい物質も多数混じる。それは腸で吸収されることもあるが、肛門から出ることもある。あと飲食の時に同時に飲んだ空気も結構あり、それは口から出ることもあり、ずっと食物と一緒で肛門から微生物の出したものと混ざって出るのもある。
**神経、中枢神経系
あと感覚と神経か。多細胞生物、いや単細胞生物の内部でも情報は重要な要素だ。それこそ生命そのものが、情報を伝えるものだとさえ言える。で、特に分化した多細胞生物は、その情報を一つの細胞が得たら他の全部に伝えなければならない。運動するなら互いに、時間などを調整して強調しなければならない。人間の細胞の数は膨大だ、それを協調させるのは大変なことだ。
全身の感覚器から情報を受け取り、その情報からどう動くか判断し、そのための器官に命令を伝達するだけでも大変だし、さらに人間の体は内部の、きわめて複雑な関わりあいを持っている。
実際の機能から言おう。人間は細胞どうしの情報のやり取りに、内分泌と神経という二つの方法を用いる。他にもいろいろあるし、その二つを分けるのも正しくはないんだが。
内分泌というのは文字どおり、全身の一つ一つの細胞が出す色々な物が体内を流れ、その物に触れた細胞が反応するというやりかただ。なかでも特にいくつかの臓器が重要な物質を出す。後で出てくる脳の一部、前に言った生殖器・膵臓など各臓器……。
別に神経という、長く伸びた情報伝達専用の細胞でできた組織も体の各部を結んでいる。前に言った脊椎に開いた穴や、そことつながる頭骨内部の大きい空間に詰まっているのも神経に近い細胞だ。
特に激しい運動をする動物は、どう動くかを神経細胞に似たのが集まった脳という器官で行い、脊椎を通る太い神経から全身につながる神経に通して各筋肉の細胞に伸縮するよう命令する。それが集まって骨を動かし、体が動く。考えてみるととんでもないことをやってるよ。
神経を構成する細胞は電気と、細胞どうしが触れ合ったりごく狭い隙間だけにしていたりしている所で様々な物質をやり取りしたりして情報を伝えることができる。
そして脳や脊髄の中では、ものすごい量の神経細胞が複雑につながり、大量の情報を処理・記録してその個体が受けている無数の内外の刺激と、その個体が行う運動をつなげている。その処理にはかなりのエネルギーを使うらしく、脳と全身の重量比の割に脳は多くの血液・酸素・ブドウ糖を消費し、多くの熱を出す。少なくとも人間は脳については、最近急速に進歩はしているがいやと言うほど何も知らない……といっても肝臓や腸や皮膚について本当に知っているとはお世辞にも言えないがね。私が人類の最先端の知識のごく小さい部分しか知らないのは確かだが、人類の知識全体を含めてもほんのわずかでしかないのも確かだ。
脳の、そういう神経細胞は非常に長い枝をたくさん伸ばしていて、いくつもの別の神経細胞とつながっている。それはとんでもない数の組み合わせを産んでいる……できたり切れたりもする。
特に人間はその脳が……頭部がきわめて大きく複雑だ。また人間どうしの情報交換も複雑で、純粋に近い情報のやり取りもできる。多くの情報も記録できる。それで人間には意識というものがある。さあ大変な言葉が出た……意識という言葉をどう説明すればいいやら。
まあそれは後回しにして、人体生理の説明に徹しよう。
人類の脳そのものの解説をどこまでやるか……正直に言うと、人間全体が脳についてほとんど何も知らないし、私自身はその人類の知識のさらにわずかしか知らない。左右に分かれており、後ろの脊椎につながる部分に小さめの塊がある。奥から順に層になっていて、層ごとに働きがかなり異なる。いちばん奥は内分泌器官としても重要で、全身の細胞に血液などを通じて色々な命令ができる。
進化を、人間中心主義から……要するにゾウリムシ・魚・両生類・爬虫類・哺乳類……サル・人と順序つける考え方が強いんだが、脳についての知識はどうもそれが根本にあるんだよな。ここはその考え方で説明するのが正しいのだが、脳の奥の部分ほど原始的だ。一番奥の部分は魚類から爬虫類まで似た構造が共通して見られ、ごく単純に環境に適応して体のあらゆる細胞を調整し、食べたり生殖したりと単純な動きをすることができる。人間もそれらの機能をそのまま使っていることに注意するように。全体を新しい生活様式に合わせて再設計することは生物進化ではありえず、何かを変形して追加することしかできない。
その上に哺乳類の、やや原始的な多くに共通するものがあり、それは群れを作ったり子供に餌をやったり複雑な行動を行わせているようだ。
一番上の前方、前頭葉が肥大している生物は人間だけだ。人間の二足歩行に並ぶ特徴と言ってもいいか。その前頭葉は、それに傷を負ったが死ななかった個体の観察などにより、人間が非常に複雑な因果関係を思考して先を予測し、それに基づいて自分の行動を抑制するなど他の動物よりはるかに複雑な心理・行動を実現するのに関わっているらしい。
神経には自分の体、特に臓器を制御する役割もある。それは人間の意識、思考とはあまり関係がなく、脳の相当部分が機能していなくても勝手に行われている。心臓が血液を押し出したり、呼吸したり、消化器官が動いて食物を潰したり、皮膚が汗を出したり……実に色々なことを神経系が意識しなくてもやる。運動でも脳と無関係にやることも結構ある。ただし、人間は脳を破壊されたら、口から水と食物を入れてやるだけでは生存できない。それぐらい脳と内臓のつながりも深い。
あと脳の中では、電気信号だけでなく色々な物質を出すことで脳の他の部分に色々伝えたりするのもけっこう重要だ。そういうのがこんがらがってるんだ。
脳と神経と肉体の複雑な関わりに、たとえば敵に攻撃されていると判断したとき、体表の体温や血流・内臓の血流・感覚器・体毛など実にさまざまな部分を無意識に変える機能を挙げておこう。行動の準備などの情報に脳細胞の集まりが反応したら、脳内でいろいろな微量分子が作られ、それが脳細胞に影響して、脳細胞がまた微量分子を出して全身にも影響がある。血液を運動のために特定期間に集中させたりしてしまう。
人間は「意識と無関係に」というのでいちいち驚いているけれど、生物としては意識だろうが内分泌だろうが無関係な神経だろうが、全部同じ個体制御システムに過ぎないはずなんだが……それは人間の物の見方が偏ってるからどうしようもない。
ああ、人間の脳は同じ大きさの他の動物に比べて極端に大きい。それは本来不利だ、脳は異常に多くの酸素と栄養分を要求し、大量の廃熱も出すから。その廃熱を処理するために顔面に過剰なほどの血管があったりもする。人間以上に大きい脳をもつ動物もいくつかあるが、人間のような働きはしていないようだ、単に人間の側がバカなだけかもしれないが。
**感覚
さて最後に感覚器か。動物は外界のさまざまな情報を得て、それによって行動する。食べられる別の生き物があればそちらに移動してそれを破壊して食い、自分を食おうとする別の生き物を先に見つければ離れる方向に移動したり隠れたりして逃れる。微生物さえ、自分のいる場の化学的性質が少しでも変われば自分の住みやすい場に移動する。
そのためにはまず、周囲の外界の諸情報を知らなければならない。
その媒介にも実に色々考えられるが、その中で自分が生きていくうえで必要なものと必要でないものを分けなければならない。たとえば光が届かない地中で生きる生物にとって、光を見る器官は必要ない。どんな生物でも、ニュートリノや反陽子を感知する必要は全くなかった。だからそんな器官があってもなくても子孫を残せる率は変わらないから資源の無駄遣いで、すぐなくなることになる。生物の進化は「必要ないものは捨てる」がけっこう多いんだ。必要ないのにずっと残されているもの、どう見ても邪魔だというぐらいに肥大しているのも多いけど。必要そうだけどないものもある……たとえば陸上脊椎動物には空気中の酸素が必須だが、酸素濃度を感知する感覚器などない。まあ普通に生活していれば大気中の酸素濃度は変わらないし、もし変わったら……どう逃げようが手遅れだ。
さて、人類の感覚器に戻ろう。人間の感覚の特徴は圧倒的な視覚偏重。光によって広い範囲の物体の形や表面の反射を知ることが人間にとって最も重要な知覚だ。かなり暗くても見ることはできるが、基本的には太陽が見えて周囲が明るいときに活動し、暗くなれば守りに入って眠る。かなり嗅覚が弱いのも特徴だ。
皮膚全体に、圧力・温度を感知する感覚があることは言った。その皮膚の感覚器は、非常に強い力などが加えられて体の一部を破壊されたときに特に強い情報を脳に伝え、脳はそうならないように体に命令して行動させるし、内分泌などを通じて体全体に命令して移動しやすいように呼吸量を上げたり血を失わないよう血管を狭くさせて血の流れる量を減たいたいらしたりいろいろすることさえやる。体内もある程度、どうなっているか脳に伝えることができる……皮膚が破壊されたときと同様の感覚を、内臓の異常から感じることもある。
人間は大体同類などとの弱い接触を快いと感じ、強い圧力、極端に体温より高かったり低かったりする温度など体が破壊するような働きを痛いと感じて不快がる。
自分の運動を制御するのにも重要だ。自分が思ったとおりの動きをしているか触覚が返す情報で確かめ、修正することが人間はとても得意で、後述の訓練というものをすると恐ろしく精緻な動きができる。
他の感覚器は頭部に集中している。頭部……他の、魚類や四足歩行動物共通で、いちばん前方に感覚器と脳が集中している。昆虫もそうだな、そういえば。人間は二足歩行になったから、それがいちばん上に行ったんだ。バカな話だ、高いと言うことは位置エネルギーも最大だから倒れるだけで命に関わることもある。
考えてみると首は人間だけでなくすべての大型脊椎動物の弱点だ。確かに首、頭部を切り離し、自由に動く関節であご・感覚器がカバーできる範囲を広げるのは有効かもしれない……だがその反面の弱さを考えると、脳は体内深くに大切に納めて別の、破壊されてもすぐ再生する触手状の可動性の高い感覚器と、ものを食べるため専用の口があればよかったんだ。海の生物にはそんな感じになっているのもある。
さて、頭部の呼吸しながら空気中の化学物質を分析する嗅覚、飲食しながらその中の化学物質を分析する味覚は説明した。
嗅覚も快不快につながっている。主に脂肪などの匂いや植物の花が出している匂いを好み、窒素と水素の単純な分子など生物が小さい生物に分解されている匂いを嫌うことが多い。きわめて多くの匂いに、全身が反応して吐くこともある。そうそう、人間が二足歩行をしていることは、頭部が地面から遠いため地面に多様にある匂いのほとんどを感じることができないことも意味している。四足歩行をしている動物の多くは歩きながら、地面近くの匂いを分析できるが人間にはできないんだ。人間にとって嗅覚の重要性は低いが、他の多くの動物にとってはきわめて重要だ。
ちなみに味覚は糖分・脂肪・タンパク質・塩化ナトリウムなどを口にしてその情報が脳の奥のほうに伝わると快い感じとなる。それらを食べれば多くの秩序あるエネルギーを得られ、長期間生きられ、子孫を残せる確率が増すからだ。逆に多くの植物が作る毒や微生物が作る物質に共通する、酸や苦みも感じられてそれらを普通は不快に思う。少しだけならそれらを好むこともあるが。最も好むのが甘み、ブドウ糖など単純な糖の味だ。あと塩化ナトリウムの味も好む。他、毒として警戒すべき酸や苦味、そしてタンパク質のうまみなどを感じる。口の中自体も、暖かかったり冷たかったり、脂肪が多くて滑らかだったり水分が少なくてぱさぱさしていたり色々感じる。
他に頭部の左右に、肉などでできた薄く複雑な構造と、その奥の穴があり、それは音……空気の粗密・圧力波を感じる複雑な器官がある。左右に二つあるから音源の位置をかなり正確に調べることもできる。その構造も実に精巧だ……皮膚一枚の薄い膜から三つの小さい骨を通じて、液の中で微小な毛が振動を感じて神経の信号に変換する、人間が機械として考えたらあまりの複雑さと小ささと機能の高さに驚嘆するようなシステムがある。それによって圧力波の波長と、圧力派の源の方向や距離を感知するが、それを数値で出すことはできない。直接感じるだけだ。しかも波長が整数倍など単純な比になっていればそれも感じることができる。
それだけでなく、両耳それぞれに付随する感覚器に三半規管という、三つの互いに直交する輪からできた器官がある。それにかかる加速度それ自体を感じることができ、自分の体が重力方向……上下から傾いているか、どちらへの加速度を感じている……動いているかきわめて精密に感じることができるのだ。
そして人間にとって最も重要なのが目。目は光、電磁波の実質無限にある波長から、ある波長からそれより少し短い波長までの一部だけを見ることができる。それも、その範囲内なら波長の違いもかなり鋭敏に色としてわかるし、光の量そのものもわかる。
しかもそれを、三種類の細胞だけでやってしまう。光の様々な波長は、三種類の波長の光を組み合わせることで合成できるし、地上での日光を混ぜたのを反射させた時に見える色も、三種類の色を混ぜることで全部表現できる。
とにかくそれはきわめて高い解像度で、周囲から膨大な位置・形の情報と、色として認識される反射光の波長を通じてある程度、光を反射した表面の分子構造の情報を同時に受け取ることができる。
目は人類の場合頭部中央前方に二つ、やや接近してついている。頭蓋骨だけを見ると深いくぼみになり、その奥が細い穴で脳につながっている。そのくぼみに球に近い眼球が入り、そこから神経をそれぞれ脳に伝えている。その眼球は小さな多数の筋肉でかなり大きく動き、体も頭も……ああ言い忘れていたか、胴体を動かさないままでも頭部はかなり大きな自由度で動き、周囲を素早く見回すことができる。
外から見ると眼球はほとんど見えない。皮膚が延長し、小さい筋肉で自由に開閉するまぶたで覆われ、瞼を開けているときも細い隙間でしかない。ちなみに眼球は常に涙という体液で洗われている……しかもその涙の管、それに耳の奥からの管がそれぞれ鼻の奥とつながっていたりするんだからややこしい話だ。
眼球の構造は、要するに外から受けた光を眼球内の別の膜で入る穴の面積を決め、それから透明な曲面を持つ物体を通して屈折させて一度一点に集中させ、それから無数の光を受けた物質の化学反応を電気信号に変換する小さい細胞でできた膜に当て、その電気信号を神経を通じて脳に伝えるというきわめて複雑なことをする。その解像度は空間・時間とも人間の工学技術と比較しても恐ろしいほど高い。
光が入る穴の面積を変えるのは周囲の光の量に応じて取りこむ光の量を変えるためだ。暗いときにはたくさん光を入れたいし、明るいときに光を入れすぎると目を破壊する。
目が頭部前方に並んでいるのは一部肉食動物やサルに共通する特徴で、一度に見わたす角度は狭いが、ある範囲のものなら二つの目でずれた位置から同時に見ることができる。そうなると二つの目の間、一つ一つの目から目標で三角測量ができ、相手との距離をつかむことができる。といってもそれは脳がものすごい処理をしているんだけどな。
また人類の眼は色にもかなり敏感で、明暗の差がかなりあっても見ることができる。人類があまり深すぎないジャングル、または木のいちばん上で、また昼間も活動するように進化したからだろう……様々な色を見分ける必要があり、暗いこともあるし明るいこともある。
ちなみに人間の目が判別できる膨大な波長は、三つの色を適当な割で重ねることで全て表現できる。後に述べる芸術では実に便利だ、三種類の色を持つ粉があればそれで済む。
ただし人間は、波長ごとに「色」を感じて、その色を言葉にして頭に入れている。その言葉は群れによって違うから、たとえばこの光の波長は、というのはわからない。
色は波長が見える範囲で短いほうから紫、青、緑、黄、赤ぐらいは大体どこの言葉にもある。光が全くないのが黒、全色が強くあるのが白。それぞれの色も濃い薄いがある。紫は自然界では一部の花や鉱石にしかない。青は空や深く透明な水が日光を通した時に残って人の目に入る色で、それに溶け込むために多くの生物の表面の色でもある。緑は葉緑素の色で、光合成が盛んであり食料が多いことになる。黄色は土や砂の色で、陸上動物には当然その色の表面も多い。赤は血液・酸化鉄の色だ。それぞれ、後述する魔術においても様々な意味を持つ。
ちなみに色は光の波長だ。その波長は、いろいろな波長が混じった光を受けて、その分子がどの波長の光を吸収して熱や分子構造の変化や原子内の電子のあり方の変化に変え、また別の波長の光を放ち、どの波長はそのまま方向を変えて飛ばし、というので決まる。だからどの分子かにどんな光を当てたかでも決まるし、非常に細かい構造が一部以外の光を打ち消したりしても妙な色を出したりできる。
ここで注意して欲しいのは、感覚で得た情報はありのままではなく、脳内で処理された情報だ。たとえば目の、光を受けて電気信号に変える細胞に写っているのは眼球で反転した像だが、それを脳で処理して正しい像にしている。要するに両目それぞれの二枚の平面像を立体に補正もしている。他にも脳が行っている、受けた情報の処理は恐ろしく広い……ある意味、「現実の世界」「感覚器が受けた情報の集合」「脳が修正した世界」のそれぞれがかなり違うといってもいいぐらいだ。まあ生きるだけなら支障はない。
それに、もし画像……ある範囲を格子に分け、それぞれがどの波長の光を反射しているかの情報を受け取ったところで、そこから……たとえば木・人間にとって食べられる木の実・人間を襲う動物を見分けることができるコンピューターがどれだけ強大で非効率なものになることか。人間の脳がどれだけうまくさまざまな、単純な線の集合と色の組み合わせをパターンとして分析し、必要な情報だけを強調しているかは驚くしかないよ。
もちろん全身の神経を含めた感覚器から入力される情報は常に膨大だ。だから人間の脳は、特に意識する上では受け取った情報の大半を無視する。瞬時に意味のある情報を選び出し、強調する。ちなみに受けた情報を、精密に数字で表現することはできないといっていい。かなり訓練していても、たとえば目で見たものの長さについては簡単に間違える。
人類の体については以上でいいかな? ああ一つ肝腎なことを忘れていた。陸上脊椎動物は一般に、脳や体の性質上一定期間活動したら眠る……体を動かないようにし、支える力も極力抜いて外界からの刺激は相当強くなければ無視し、一切の行動をやめる時間が周期的にある。人間の場合ほぼ一日周期、一日の三分の一から四分の一は眠る。それは、それができなければ水や食料が得られない場合より早く死ぬほど必要だ。
その間、人間はさまざまな現実にはありえない経験を脳の中だけでしており、それを夢と呼ぶ。
*人類個体の生存条件
さて、そろそろ私も上記の眠りをしたいと脳が命じている。言葉での命令じゃなく、色々な「感じ」があるだけだ。脳の深い部分と意識の部分は、その「感じ」でやりとりしていると言えるだろう。
他にも私、人類の一個体が熱力学第二法則に逆らって細胞分裂を続け、形を保ち、動き回ったりし続けるのには色々な物体などが必要になるので、それを注文してから一眠りしよう。まあ今こうして自分が生きているということは、ある程度その条件が満たされているということでもあるが。要するに自分の、人類の飼育法を解説しているようなもんだ……飼育という言葉自体、後で説明しないとな。異星人の動物園向けの、地球人を単独で飼育するマニュアルといったところか。
まず何より、地球の今の大気とほぼ等しい窒素分子4に酸素分子1の割合。二酸化炭素は今の濃度よりそれほど高くならないように。私がこうして呼吸している以上、常に二酸化炭素は加わっているから、圧倒的な量の大気で多少の追加は無視できるようにするか、常に二酸化炭素を除去するかだ。ちなみに酸素が少なすぎても多すぎても死ぬ。
適度に水蒸気も混ぜてくれ。多すぎれば体が汗を蒸発させて体温を調整するのがやりにくくなり、少なすぎると呼吸器や皮膚から水がどんどん蒸発して不快だ。
不快というのは、脳が出している信号だが、それは感覚器の情報から「ここは適さない」と脳が判断しているということだ。その状態では生きることができない、自分が死ぬ確率が高い、子供が死ぬ確率が高い……ということだ。その状態を人は避ける行動を行う、また人の脳はその状態でなくなることを望み、そうなるよう何か行動したがる。
空気の温度も今と同じぐらいに保ってくれ。私の体は眠っていてさえかなりの熱を出しているから、それも別の低熱源に吸わせるか何かしてもらわないとな。少なくとも常圧で水が固体になったり気体になったりする温度は私には苦痛で短時間で死んで語り続けられなくなる。体温より少し低いぐらいがちょうどいい。
空気の圧力も高かったり低すぎたりすると死ぬし、音波振動もあまり強すぎるのはやめてくれ。それらには私の、人類の感覚器が対応しておらず、自力で警報を出せないものもある。進化する段階で普通にあるもの以外に対応する必要はなかったからだ。
空気のかわりに水や油、水銀などを充たされたりしたら真空にされるのと同様短時間で呼吸ができなくて死んでしまう。
もちろん空気に余計な化学物質や元素の気体や微粉末を混ぜたら、非常に多くの種類の物質で死ぬことになる。人間は腸から多少メタンなど常温では気体で大気と混じる化学物質を出し、その濃度が高くても死ぬので全部許容範囲内にしてくれ。
あと重力も、ちゃんと調整してくれているな? まあ今と同じ程度を保ってくれ。重力が大きすぎたら自分の体重を骨が支えられなくなって死ぬ。小さくても不快だ。また重力が一定でなかったら、体に余計な力がかかって耐えられる限度を超えると死ぬ。気をつけてくれ。多分重力波もある程度以上は耐えられない。
ついでに今大丈夫かどうか知らないが、できれば光の極端に短い波長のもの、各種きわめて高速のさっき説明した素粒子類が私の体に当たらないようにしてくれ。私の体はそれを感じる感覚器を持たない……人類ができるまでの長い進化で、普通に生活していてそれにさらされることがなかったからだ。だがそれは細胞の内部を破壊し、ある程度以上だと死ぬことには違いない。そうだ、もし今座っている椅子を構成する原子の原子番号が大きすぎたりそれ以下でも不安定な同位体だったりしたら、もう手遅れかもしれないが原子核が崩壊しない、化学反応も少ない……炭素か酸化鉄でできたものに交換してくれ。といっても、我々が生活している世界でもそれは少しあるから、許容範囲内であればいい。
ああ、もちろん今私の体を構成している電子や陽子の反粒子も許容範囲内にしてくれ。
電場・磁場、電圧などもできるだけ許容範囲内にしてくれ。それを感じる感覚器はないが、致命的には違いない。
ほかに私が知らない力があるとしたら、余計な力や波はかけないでくれ。物理定数も全部、もしいじれるのなら今のままにしてくれないと、私の体を構成する原子が壊れて当然機能できなくなる。
まあこの数時間、私がこうして生きてはいるんだからそんなにひどくはないんだろうけど。
それぐらいが、短い時間人類が生き続けるのに必要な最低条件だ。でも人間が長時間健康に生きていくためには他にも様々なものが必要になる。眠っている間に用意してくれ。
まず水。水素は中性子を持たないものにしてほしい、私の体を今作っている水分子程度の比なら許容範囲だが。体温前後の液状。あと純粋な水は自然界にはほとんどなく、体に悪いから少しだけ塩化ナトリウム、炭酸マグネシウム、酸素、二酸化炭素などを混ぜてくれ。ただし塩化ナトリウムが多すぎると死ぬ。水から余計な化学物質や微生物は取り除いてくれないと、ある程度は耐えられるが限度を超えると死ぬ。
それがないと十日生きられるかどうかだ。それがあれば、今の自分の脂肪などだけで十何日かは生きていけるだろう。
それ以上は生きられないし、とても苦しい……食糧が不足している状態を嫌と感じ、食料集めをさせるように脳の構造ができている動物のほうが生存率が高いというだけの話だが……ので、食料も用意してくれないか。食料は前も言ったが、人間の体を構成する細胞が自己増殖を続け、呼吸して「生」を続けるのに必要とする材料とエネルギーというか高いレベルの秩序を外界からもらうため、いくつかの物質を必要とする。
もしそちらが、特に高い技術を持たない異世界の人間なら「普通の人間の食物、新鮮な素材か、味が乏しく大量に食べられている植物を、塩と火と水だけで調理したもの」をくれ。保存食には味が強いものが多いから、毒だと判断してしまって吐く可能性がある。それだけだと比較的短期間しか生存できないから、できたら食べられているものをできるだけ多様に、その材料が生きている姿とともにそろえて、少しずつサンプルを見せて欲しい。
そちらが人間とは無縁で高い技術の持ち主なら、私の脂肪組織・血液・筋肉・肝臓の微小な一部を採取し、原子レベルで同じものを大量に……大体二十四時間に二度から三度が習慣だ、一度に脂肪と血液は私の体重の二百分の一、筋肉と肝臓は千分の一程度作ってくれ。できれば痛みがないように一度採取し、その情報を保管してその都度コピーするように。
それを血液と肝臓はなにもせず、脂肪と筋肉は今の気圧で沸騰する水……くそ、気圧は? 人間の感覚器には厳密な気圧計がない……475Kで、450K以下の部分がなくなるまで加熱。ああそうか、Kは人間が今使っている温度単位で、空気分子の温度と運動から予測される、分子が静止してしまってそれ以上冷やせない温度の理論上下限をゼロKとし、ある気圧で水が固体から液体になる温度が273K前後、水が気体になる温度が373K前後、今の私の体温が多分273+36=309前後……逆にそんな圧力が、今の私にとってちょうどいい気圧になるわけだ。あとちょうどいい気圧を示すのには二つの円筒の下端をつなげて水を入れ、一方の円筒の上から気圧を抜くと、上が大気に解放されていて気圧のかかっている対照筒に比べ身長の六倍ほどなら引き上げられる、というのもあるかな。といってもそれは地表の重力が前提になるが。SI系を示す方が早いかな……。
多分普通の人間はこの発想は嫌がると思う、人間には後述するタブーがあるから。私も実は嫌だし吐くかもしれない。そちらがある文化圏に属する人間であれば、今の言葉は私を処刑する十分な理由になるはずだ。また、チューリングテスト……相手の知性を判定するテストの一つで、言葉の交換で人間と区別できなければ人間と同等の知性とする……私はそれは踊りや表情を考えに入れていないので不完全だと思うが……に不合格になる言葉である可能性もある。
しかしそちらが人間であれば理解して欲しい。何の共通前提もない、別次元の知性である可能性も私は考えている。それに注文するのにはこれがいちばん早いんだ、そうしないと相手が私の注文通りにいろいろ用意したとしても間違ったものを出す可能性がある。各原子の同位体比も問題だし、原子そのものに私が……私の属する人類が確認していない超対称性があり、それが異なっている可能性を完全に否定できない。同じ原子で指定通りに分子を組んでくれても、右手と左手の違い同様異なっていて食べられないことがありえる。だから今のこの私の体からコピーするのが一番簡単で確実なんだ。
ああ、あと私の腸内にたくさんいる細菌のいくつかを大量に増殖させてもらったほうがいいかもしれないが、間違った種類のをもらうと逆に死ぬ可能性が高い。どれが食糧として使えるか指定するのは無理だな。
人類が生きるのに食料として必要なのは、まず十分な量の単純な糖かそれが人間が消化できる形でうまくつながったデンプンと呼ばれるもの、脂肪、タンパク質。一応エネルギー自体は糖・脂肪・タンパク質のどれからも得ることができるが、タンパク質の素材であるアミノ酸や脂肪の素材やブドウ糖など人間が自力で合成できないものがいくつかあるのでそれは必要だ。食物としてのデンプンは水に溶けないかわりに水を吸って膨らみ、非常に柔らかい固体のようになる白い粒で、主に植物に含まれる。動物にも似た糖のつながりがあるがいろいろ違う。
それに鉄などいくつかの微量元素の、体が取りこみやすい化合物も必要になる。単体の塊をもらって口に入れても多分だめだろう。ある程度の量の塩化ナトリウムも必要だ。他にも人間が自力で合成できないさまざまな微量生体化合物……ビタミン類が必要なんだが、それぞれの分子構造を正確に指定するのは、いちいち調べるとしてもすごく面倒臭い。しかも私は、人間の知識全体が、人類の一個体を合成した栄養分の集まりだけで長期間生存させられるところまで行っているかどうか知らない。まだ人類が知らない何かがあるのかもしれない。
ついでにだが、特に人類はビタミンCという少しだけ必要な、水に溶けて高温に弱い分子を体内で合成できないので、水と腐らないようにした食料がたくさんあっても、ある程度以上長時間生きていけない。それは後で言うような遠洋航海で大きな不便になる。多分それは、人類の先祖がずっと森の植物も食べていて、それにはいつも豊富にビタミンCがあったから自力で合成する必要がなく、そこに複製の間違いが起きても問題なく子孫を残せたのだろう。複製の間違いは常にあらゆる箇所で起きるから、それが致命的でなければ増えてしまう。
というか……生の血液と肝臓があれば多分大丈夫だと思うが、「自分の体の一部のコピー」に必要な栄養分が全部含まれているか確信が持てない……
ちょっとまて、忘れてた、ポケットに……マルチビタミンミネラルタンパク入りチョコバーがあった。これを大量にコピーしてくれ。自分の肉のコピーを食わずに済んだのは助かった。
そして食べ飲むだけでなく、皮膚に多少太陽の光を浴びる必要がある。多分栄養素を作るだけだと思う……これは波長指定しないとだめか? 数字じゃ覚えてない……
さて、あと必要なのが、人間は前述のように食べて飲んだら糞尿を出す。それには大量の微生物が混じっていて、それが近くにあると微生物が出す化学物質が混じった空気を呼吸することになり、鼻がそれを感知して脳が不快を訴える。それに体が接していると皮膚が微生物によって食われ、皮膚の免疫を突破されて体内に入られる恐れもあるし、色々な形で微生物を呼吸・飲食から体内に入れると病気になる確率が高まる。
だからそれを今から衣服を脱いで出すから、出したものにまた触れずにすむようにしてほしい。そのためには、まず糞尿を排出する場所を決めること。そこに立てる微生物が少ない足場を確保し、重力か吸引力で出したものを体から離れる方向に持っていき、大量の水その他なんらかの液体で私が吸う空気から隔離するか、高熱で乾燥させるか、さっき説明した土壌に深く埋めるかしてくれ。周辺の空気も何らかの方法で隔離して、排出する場と生活の場を分けてくれるとありがたい。
ああ、その後で肛門・生殖器周辺および手指を清潔にするため、なんらかの……布や紙のような非常に隙間の多い繊維でできた材質と、液体エタノールか塩素が多めに溶けた水などが少量必要だ。ちなみに他の部分も長期的には清潔に保つことが必要だ。普通にしていても私の体表には多数の菌がいるし、私の皮膚細胞は次々に古い細胞が死に、下から新しい細胞が分裂して更新される構造になっている。また皮膚を守るためだが油脂なども出している。それらが増えた菌に食われ、だんだんと菌が多すぎ、少なければいいのだが多いと害になる種類が多い状態になる。それを防ぐには、体表を洗浄して予備に着替えなければならない。そのためには現在の衣服をコピーしたものかそんな感じの衣服と、大量の体温程度の水が最低でも必要になる。石けんがあればもっといいが、そのレシピを分子式で出すのは……私の脂肪をコピーし、それに水酸化ナトリウム……とやるか?……まあしばらくはいらない、後でまとめて説明する。
液体エタノールや塩素水も微生物を殺すにはいい。ただしそれほど大量にはいらない、特に微生物が多いものに触れた、しかも食物を食べるのに使うから特に清潔でなければない手から微生物を除くために必要なだけだ。全身の皮膚を除菌するのは前述の常在菌も殺してしまい、体にはかえって害になる。
あと鼻などからも色々な液を常に出すから、布か紙を多少用意して捨てられるようにしてくれ。私が女性だったとしたら、前述の受精し損ねた卵子の排出にともなう出血を吸わせるのにそれが必要になったはずだ。それも含め、股間にある多くの穴は排出時以外もいろいろ出しているから、清潔にするためには定期的にそこに触れる衣類を交換または洗浄する必要がある。
そして耳の穴が狭すぎて、その中に指も何も届かない。そうなるとその中に死んだ細胞がたまって詰まって不快だから、それを取り出すために……太さ1mm程度の棒、先端に半径3mm、厚さ1mm程度の円盤を、棒が円の中心を通って円が属する平面と直交するようにくっつけたのをくれ。そういう「耳かき」はいろいろあるけど、まったく共通前提がない相手に言葉だけで設計図を伝えるとなるとむずかしいよ。
あと清潔で丈夫な糸か布、または太さ5mmぐらいの棒の先端周辺から垂直に多数のこの髪の毛ぐらいの太さと弾力性があるものを生やした、ブラシと呼ばれる物があると助かる。口の中には多数の微生物がいて、その中には食べた食物の、飲みこまれなかったカスを食べながら歯に害を与えるものがいる。それを落としておかなければかなり不快だからね。
こういう清潔のためのものは私が育った群れで必要とされているだけで、それほどの清潔を必要としていない人間集団も多いと思う。
まったく我ながら注文の多い客もいたもんだ。
そして……これは不快程度かも知れないが、人間は群れる動物だ。だからできれば、いつかは同胞のところに返してくれ……と言いたいが、私個人は帰りたくない気持ちも強いな。
ではおやすみ、しばらく寝てから続けるよ。